会報第24号 昭和63年7月31日
 ■ 巻 頭 言

 薬剤師の明暗を分ける年

(社)福岡市薬剤師会 会長 古 賀  隆

 「61年度医療費17兆円超す」という見出しが、6月12日の各新聞のトップを飾っていた。

 高齢化社会における医療費の増大に対する社会の関心の高さと問題提起を示すものであろう。厚生省の推計では、63年度の国民医療費は18兆9600億に達するとのことである。

 老年人口が7%を越えて高齢化社会に突入したのが昭和45年で、現在が約10%、2000年(昭和75年)には16%の予想であるというから、厚生省があらゆる方策を駆使して医療費抑制策に取組んでいくことも当然と言える。

 ただ医療というのは人間の健康に関わる問題だけに、むやみに受診の抑制は出来ないし、費用についても福祉と同様、やたらに個人負担を増すわけにもいかない。それやこれやで、老人保健法の創設、つづいて改正、健保法・医療法の改正、薬価基準の切下げなど矢次早やに法改正がなされてきているが、これとても厚生省が考える程に抑制につながっていない。 これまで一番抑制効果の表われたのは、59年における医療費の本人1割負担の導入の時に伸び率が3.8%に抑えられた時だけで、あとは又6点数%に上昇している。このことから、本人負担2割近しと言う声も聞かれる所以である。

 医療費抑制策の中で医薬分業はどのように進められるであろうか。厚生省の考えは、医療の質を高めるためには医薬分業は必要というのが基本的な考えである。3年間の「モデル地区事業」の中で若松地区が高い評価を受けたのも、同地区が、第二薬局、マンツーマンを排除し面分業を強く推進していることが基本にある。

 新たに5ケ年計画で「分業推進基盤事業」を厚生省は始めるが、大病院からの応需を積極的にやりなさい、情報活動、備蓄、薬歴管理など盛込んだ模範的分業、質の高い分業を進めなさいと言うのが内容で、従って、これからの分業は二師との連携もさることながら、分業は患者、国民にとって、より大きな価値と利益をもたらす医療の形態であることの理解とPRに努めなければならないと思う。

 又、医療費抑制策が強化される程、期待されてくるのが落ち込んでいるOTCの浮揚である。その表われがOTCは効かないと言うイメージから効くOTCへの転換である。

 所謂スイッチOTCの出現である。現在は、まだまだ厚生省も慎重な構えであるが、薬局薬剤師のモラルと姿勢如何によっては拡大されていくだろう。

 そのような期待にもかかわらず、OTC薬局においては、尚不安材料の方が一杯である。

 カタログ販売、配置販売に加えて最近はガソリンスタンドで薬を販売しようとの動きもあるそうである。我々は医薬品の特殊性を強調するけれども社会通念は医薬品を商品としてしか見ていないと言うことである。

 医療費が、どんどん締めつけられていく中で、医療人としての薬剤師、薬局はどう生きて行くのか、アウトサイダーによって自在に侵食されていくOTC部門をどう死守していくのか、最後は時の政治力にかかってくると思う。

 そう言う意味では、昭和63年は薬剤師にとって危急存亡の年になるのではないか、とさえ思う。

 ひと度国会から薬剤師議席を失うとどうなるか、昭和40年高野一夫議員を落選させてから、再び石井道子議員を国会に送り出すまでに実に19年の歳月を要している。その間の政治的空白(薬剤師会にとって)時代における薬剤師会の損失は歴史を見れば一目瞭然である。

 今年、6月29日に自民党は参議院比例代表の公認候補を内定発表した。それによると現職14名、新人12名の計26名である。石井道子議員は勿論現職14名の中に公認されているが、問題は果たして何位にランクされるかである。15位以内にランクされるには余程の条件づくりが必須である。

 現在、後援会員獲得1会員100名目標で懸命にお願いしている段階だが、これも極めて低調である。余すところの期間も、もうあまりない。 執行部もその対策に苦慮している所である。どうか会員諸兄の(A会員、B会員共に)奮起を切にお願いする次第である。

 福岡市薬も過年度から持越した幾つかの大きな課題があるが、その中で試験センターについては、医薬品に関する厚生大臣指定申請の準備をしてから1年を経過して尚未解決で、試験センター利用契約も北九州市薬と契約している状況は、まことに申し訳ないと思っている。しかし交渉を中断しているわけではなく、日薬が年末までには指定されるよう努力すると回答しているのに対して、もっと早急に指定されるよう折衝を続けているところである。

 会館建替問題については、福岡市との補償問題も解決したので、あとは時期の問題になるが、いろいろな兼ね合いもあるので執行部に御一任願いたい。

 福岡市制100周年言己念事業の目玉であるアジア太平洋博覧会への三師会、玉屋グループの協同出展が既に決定し、「健康いきいき館」(仮称)のテーマで現在実行委員会、総会の二機関において具体的企画、設計が精力的に続けられている。 その全容も近々発表されることになると思うが、これも薬剤師会の重要な社会活動のひとつであるので認識と協力を賜わりたい。

 私は4月の代議員会において、再び会長に選出されたが、役員構成も早々に終え担当理事によって各委員会共、すでに事業活動に入っているが、今期理事の年令を見てみると、30代、40代が11名という理事構成の半数を越えている。これら若い人達の活力がこれからは特に大切と思う。 特に期待しているところである。

 私も若い理事者に負けないよう頑張るつもりである。一層の御支援、御鞭撻をお願いする次第である。


 <特別寄稿> 「日本人は人類社会のはみ出し者か」

福岡大学学長 宮 野 成 二

 先日たまたま目を通した本に「ヒトは自然からのはみ出し者である」という表現があった。余り上品な書名ではないが「パンツをはいた猿」という本である。著者の栗本さんの主張はざっとこういうことである。

 「地球上の生物はお互に調和し合って生きており、ひとり人間だけが自然界の調和を乱すならず者である。動物や昆虫は増殖しすぎると自然陶汰によって適正な規模まで調整をはかる。ところが人間はふえ続けるのみか自然界のバランスを崩すことなしには生きられない動物という意味ではみ出し者なのだ。必要以上に他の種の生命を奪ったり仲間を殺数しつつ生きつづける。」

 もっともヒトをこのようにはみ出し者それも悪い意味のはみ出し者とする見方もあるがそうした極端な結論をかんたんに下せるものでもあるまい。

 その議論はさて措き私の少々気にかかることはヒトが自然界のはみ出し者である如く、「日本人は人間社会の中でも極めてユニークなはみ出し者ではないか」という点である。

 急に成金にのし上がり札束に物を言わせて(もっとも前西独首相シュミットさんによれば日本人はせっせと紙切れを貯め込んでいるとのことだが)世界の資源や土地を買いあさる姿を見るとそうした不安がさっとよぎることもある。

 ここで日本人が人間社会にとって好ましいはみ出し者か有害なはみ出し者かを少し冷静に考えて見よう。

 先づいい意味では世界に例のない技術の達人ということである。

 零戦といえば半世紀前の太平洋戦争で勇名をはせた日本海軍の主力戦闘機である。戦争がタブーとなり耳にするのもいやだという人があるとしてもこの飛行機が今を去る50年前の日本人が生み出した世界の傑作機であることに相違なかろう。

 日本海軍は速度、旋回性能、航績力の三点の何れにおいても世界最高水準の戦闘機の計画要求書を三菱に交付し、その主務設計者となったのが当時三十才の堀越二郎技師であった。素人が考えてもわかることだが速度を大きくすれば旋回性能は低下し航続距離も短かくなる。この相反する三つの機能を一つの機種に要求するのは五種競技の選手に各種目に於てそれぞれ最優秀の記録を出せというに等しい難問である。

 しかし堀越技師を筆頭とする三菱技術陣は不可能に挑戦し、1グラムでも機体を軽くすべく全智全脳を絞った末、完成したのが世界に冠絶する「零式艦上戦闘機」であり、我々はそこに欧米人の感覚とは無縁の日本的技術の結晶を見ることができる。

 しかもブルドッグのようにどうもうな外観のグラマン戦闘機とは似ても似つかぬ優雅な流線は戦闘機というより芸術品にふさわしい今日の経済的発展の基盤にはこのせんさいな日本的技術者魂があったのである。

 マイカーの泥を落としワックスをかけ我身のようにいつくしむ光景に接する。これほど機械という無機物を生き物のよう扱う日本人の心情、技術的完壁主義、せんさいな美的感覚が家電製品から自動車、新幹線までエネルギー効率のすぐれた製品をつくり上げ人類社会に十分の貢献を果し、今後も果し続けることであろう。

 つぎに悪い意味のはみ出し者になりはしないかという懸念についてふれておこう。それは度を越した集団指向性である。

 数日前テレビでスズメバチに巣箱を襲われる西洋ミツバチと日本ミツバチの戦いぶりを見た。一匹のスズメバチに西洋ミツバチは一匹づつ対抗し忽ち数千の死骸の山をきづくのに対し日本ミツバチは一匹のスズメバチを集団で包囲し各個体の飛翔筋が放出する熱(48℃)で遂に強大な侵入者を熱死させてしまった。

 これは集団の強味を巧みに利用した行動例である。ところで集団指向性がいつもプラスに働くとは限らない。学校教育では集団の価値を優先し校則で規制するが個性の尊重や啓発はどうしてもおろそかになる。「人に迷惑をかけてはならない」ことは教えても「人の為に奉仕する」人間性の養成は後廻Lになる。

 気になるのはこれからの日本である。今日つまり七月六日私はアメリカの黒人女性学長と会って一時間程話し合った。この人は少数民族、少数人種(黒人、スペイン系、アジア系、インディアンなど)問題minorityproblemの専門家であるが困難な問題に立向うアメリカ人の勇気を感じとることが出来た。

 アメリカ大陸は広大である。しかしキューバやベトナムの難民を進んで引受けメキシコの密航者さえふところに包んでしまうのを見ると国土の広大さのみのなせるわざとは理解しにくい。失業率が二桁にもなろうとする自国にわざわざ難民を受容するのはたやすいことではなかろうと思う。

 日本は変動する為替レートのなせるわざとは申せ名目では世界最高の経済大国に成り上った。統計に忠実に従えば一人当りGNPでお隣りの中国のざっと100倍であり、トヨタ自動車の年商はフイリッピンの国民総生産の3倍に当る。南の国にとっては日本の国の存在そのものが「コップの中の嵐tempest in atea‐pot」ではすまされず一国の死活問題となりつつある。

 水は低きに流れるように日本を目指す外国人労働者は急増し遠からず社会問題となるであろう。外国人流入の事のよしあしは別として我々が単一民族の国として人種問題と無縁であった時代はすぎ去りつつあり集団指向性から脱却し多様な価値、文化を認め異人種と共存し得る国際感覚が必要となる。

 技術の優先のみに頼っていては21世紀の日本に多くの期待はできないように思われる。


 <特別寄稿> 人の心の暖かさ−着任3年目にして想うこと−

博多保健所所長 花 田 咲 子

 暦の上では、もう夏至を一週間も過ぎているのに相変らず風は冷たい。北半球にある日本では、此の時期むし暑いうっとうしい日々が続く筈だが、福岡では未だ梅雨らしい雨にも雷にも出逢っていない。私は雷が大嫌いなので、例年よりも安らかな日々を過していることになります。

 私が博多保健所へ着任してから今春で三年目に入り、博多支部の総会へは二回出席させて戴きました。高杉支部長さんや、荒巻県薬会長さん方のお話をお聞きしていると胸の熱くなる思いがいたしました。

 皆様方は地域の学識者として住民から尊敬され、相談をされ、その信頼関係の中で繁栄していかれることが一番理想的ではないかと私はつねづね思っております。

 近年世の中は、“バイオ”とか、“ハイテク”とか、科学の進歩は実に驚異的で瞠目いたしますが、それによる便利さや豊かさの中で、人間として最も大切な心の豊かさを失いつつあるように思えてなりません。村おこし、街おこしのリーダー達も、このような思いにかつれての運動展開であろうかと、共鳴しております。

 私も人生の最後のステージに臨むに当り、最近とみに人の心の暖かさにひかれ殊の外、感激するようになりました。年をとって涙もろくなったのだと言われるかも知れませんが…。とにかく周囲の人々と積極的にかかわって人と人との心の交流を暖い豊かなものへ復元させたいと思っています。

 若い頃は引込み思案で、心では思っていてもなかなか自分から飛び出して周囲の人々とのコミュニケートができませんでしたので、友達も少く、近所親戚つき合いも下手でした。今までは子供達や主人がそばにいて淋しいと思ったことはありませんでしたが、これからだんだん喪失の時代に入り、又身体的にも衰えて介助をうけなければならないときがやってくることを思うと、そしてそれは私だけではなく周囲の多くの人々にも確実に到来、且つ介助を必要とする人口の増嵩を思うとき、私達は互いに助け合い福祉の心を心として実践につくさなければならないと思うからです。

 先生方が全員相互の結束を益々強められて、住民に信頼される薬剤師会として、健康づくりの為の啓蒙啓発活動を、より一そう地域に密着して展開されると共に、益々ど繁栄されることを心よりお祈りいたします。

 最後になりましたが、毎年博多区健康フェスティバルでは大変など協力を戴き、心より厚く御礼申し上げますと共に、これからも益々のご協力をお願い申し上げます。

 重ねて皆様のご健康とご繁栄をお祈りいたします。


 <薬事春秋> 「診療報酬改正と病院薬剤師」

福岡大学病院 薬剤部長 黒 田  健

 さる4月より実施された診療報酬の改正は、老人医療の今後のあり方、長期入院の是正、大学病院における医療と研修の見直し、患者サービスの向上などなどについての国民医療総合対策本部中間報告の趣旨をふまえた内容のもので、今後のわが国医療のあり方に強い影響をおよぼしてくるものと思われます。

 教育、研究および診療の三位一体による高度専門医療を標模する大学病院医療に対して、厚生省は、外来患者の規制(紹介制として患者の流れを変える)、他の医療機関に比べて高い検査料の是正、保険医認定制度の導入(研修医に対する若葉マークあるいは仮免許といったような制度)などの問題点を厳しく提示してきましたが、今回の改正の段階ではこれらの難問の具体化はひとまず見送られた形になっているものの、次回65年の改正では、再び浮上してその実現化の方向へ動くものと思われます。わが国の医療全般にわたって、この大学病院の例のような否応のない改革が求められているものと受け止めなければなりません。

 医療従事者としての病院薬剤師はこのような厳しい社会のニーズにどのように対応すべきでありましょうか。人口の老齢化に伴う国民医療費増大の抑制、および薬剤師不要論へつながりかねないコンピュータという高度情報処理システムの普及という二つの大波に激しくゆつれながら、病院薬剤師が21世紀へ生き残る道として、クリニカルファーマシイの実践への取り組みといったわが国の現実では大変困難な問題について、長い間試行や論議が続けられてきたわけであります。

 ところが今回の診療報酬改正で、300床以上の病院に入院中の患者に適切な薬学的管理のもとに投薬が行われた場合、月100点の調剤技術基本料が新設されたことは、病院における薬剤業務のあり方として入院業務指向という方向づけを行政が明確に打ち出したことを意味していると思われます。

 すなわち、今回の改正が病院薬剤業務のあり方についての思い切った発想の転換と決断とをせまる画期的な趣旨を含んだものである点、病院薬剤師としてはこれを高く評価すべきでありましょう。

 病院薬剤師の日常の標準的業務は、薬品管理、調剤、製剤、薬品情報および薬品試験として列挙されますが、巡回による病棟薬品管理、IVHの調製、さらにTDMを通じての合理的処方設計への関与など、比較的クリニカルと言われるような業務もこれらの組識の中で行われています。しかし入院患者に対して直接的に薬学的サービスを行うという形での業務は、残念ながら非常にまれなケースに過ぎないという現状であります。その根底の原因は、病院薬剤師の技術料の過少と関連した慢性的要員不足に由来するもので、外来調剤を主とする従来業務にきりきり舞いを続けている全く余裕のない勤務環境にあるからだと思われます。

 一方、新設の入院におけるいわゆる100点業務の条件は、300床以上という病床数規制のほかに、専用の薬品情報室に複数のDI専従者がいること、注射せんで一本渡しの注射薬投薬を行っていること、入院患者にインタビューして服薬指導を行っていること、薬歴管理を行って必要な指示を出していることとされており、これらの条件を直ちに実施できる病院は全国的にも数少ないと思われますが、これを努力目標として実現化を図る道を病院薬剤師は選択すべきだと考えています。

 さらにここを拠点にしてクリニカルファーマシイサービスが充実されて行くならば、わが国の病院薬剤師職能の前途は洋々たるものがあると言えるでしょう。そのためには、病院薬剤師の既存の立場にとってそれが合理的であるか非合理的であるかの価値判断はひとまずおいて、コンピュータ調剤システムを導入するかあるいは院外処方せんを発行するなどによって、従来の外来業務を大幅に縮少して行くことを企てる以外によい対応策があるのかどうか、慎重に検討したいと考えています。なお、300床という病院規模による差別を取り払い、また入院患者を持たない診療所薬剤師のあり方についても別途検討しなければなりません。

 以上、福岡県病院薬剤師会の責任者として最近の所感の一端を述べてみました。岐路に立つ病院薬剤師職能のあり方について会員各位の関心と理解をお願い申し上げる次第です。


 <薬事春秋> 「医 療 と 薬 剤 師」

九州大学病院 副薬剤部長 金 枝 正 巳

 近年、全国的に「患者中心の医療」が積極的にとり入れられてきた。まことに喜ばしいことである。

 九大病院においても62年5月に総合診療部が新設され、経験豊富な医師が外来受付の近くに立ち、初めて訪れた患者の申し出でに適合した診療科を指示し、効率の良い医療を展開する体制となった。そして、これまで一日一つの診療科しか受診できなかったものが、必要に応じては複数科の診療が可能となるシステムづくりができ上った。

 また、昨秋から医事課の会計窓口、本年4月からは薬剤部における薬の交付窓口がいずれもオープンカウンター方式に改造され、これまで診察料などの会計収納、薬に関する相談、服薬指導などをガラスで仕切られた30p四方の狭い窓口で行っていたのを、広々とした自由な場所でのびのびと実施できるようになった。病院当局の患者基本サービスの一つの現われであるがまことに時宜をえたものと好評である。

 薬の交付窓口のオープン化に際しては、薬の相談件数が多くなり、調剤業務の停滞をきたし、投薬待時間が延長し、一般患者のサービス低下につながるのではないかという危惧があったが、実際に実施してみると思った程混乱はなく業務は至極円滑に遂行されている、関係部門担当の事前の周到な準備と日常業務に対する真撃な姿勢によるものであろう。

 これまで他の医療関係者と比べ、患者と薬剤師の間隔が一寸離れた感じであったのが、ぐっと縮まり明るい雰囲気になったことは、非常に素晴らしく有形無形の効果が期待できる。

 薬剤部は患者が診察,検査,会計などを終え最後に立寄る部門であるので、ここでの印象は病院全体の評価に大きく影響する。受診科,年令,性別などの面から相手の心理をよく観察し、親切,丁寧をモットーに気持良く応じていかねばならない。

 このところ1年毎に行われている診療報酬改訂においては、調剤のハード面よりソフト面の業務すなわち医薬品情報,薬歴管理,服薬指導などに対し評価のウエイトが移っている。

 今年4月1日付の改正では病院薬剤師にとって画期的ともいえる新しい点数化が実現した。いわゆる施設基準に適合する病院の入院患者に投薬を行った場合、月1回100点の調剤技術基本料の設定がなされたのである。病院薬局の機能の強化と技術の評価が新しく認められたもので大きな意義をもつものである。施設基準にはいくつかの厳しい条件がついているが、国がこれからの病院薬剤師のあるべき姿として示した指標と謙虚に受け止め、ある程度の犠牲は覚悟の上で条件達成を目指すべきだとの考えで、勤務部会役員会では熱心な検討が繰返されている。

 これまで薬剤師は調剤,医薬品の供給,薬事行政など夫々の立場で職能を発揮し医療に参画してきたが、これからはさらに新しい時代に即した対応が望まれる。すなわち医薬品情報の提供,服薬指導,薬歴作成,薬物血中濃度測定と投与計画,患者の個人差を考慮した薬物療法への参加,注射薬の専門的知識による混合などのクリニカルファーマシー的業務(後半は病診部門)である。

 すでに実施しているもの,これから取組まねばならぬもの、とてもやれそうにないものとに分けられるが何とか手がけていきたいものである。

 昭和65年には医療法の第2次改正が行われる。医療の中の薬剤師の位置づけを中心に関連事項についての法的見解がさらに鮮明に明示されることだろう。われわれは、日常業務の周辺を今一度見直し、社会的に立派な評価を得るよう努力を重ねていかねばならない。会員諸士のご研鑽をお祈りする次第である。


 <薬事春秋> 「QualityofLife と 薬剤師の役割」

田辺製薬梶@福岡支店長 田 代 義 徳

 薬剤師の職能の中でも、患者に薬の使用の目的を理解させ、正しい服用法や使用法を説明し、適切な使用上の注意を促し、薬物治療の効果を最大限に発揮して、更には患者の安全性を確保することは、極めて大切なことである。

 近年、患者の服薬コンプライアンスを向上させるための研究が活発になされているが、さらに最近では、国内外の文献で薬剤投与とも関連して、QualityofLife(以下QOLと略)という言葉が散見され、重要視されてきている。

 QOLの課題は高血圧症治療時のみでなく心臓疾患や高脂血症など、特に高齢者の医療の全般にわたる課題であり、薬剤師との関わりも深いようである。
 これを高血圧症でみると、この疾病の大部分が軽症又は中等症で、自覚症状が少なく、日常生活にはほとんど支障のない人が多いので、長年にわたる治療管理が必要であり、それに伴ってQOLの問題が大切になり、治療成功の鍵を握るとされている。

 QOLを日本語に訳すると、生活の快適さ生活の質,又は、生活の充実感などの言葉が生まれている。外国雑誌のなかでもQualityof Life惑いはA Fuller Life などの語が使われ、薬剤投与での配慮が啓蒙され始めている。

 QOLの概念は五つの次元として、具体的に定義されている。
 (1)身体症状
 (2)情緒状況
 (3)認識機能
 (4)社会活動能力とそれに基づく満足感
 (5)Well−being 感と生活満足感

 また、この定義の内容は次の8つのバロメーターで、それぞれの適切な段階に分けられて分析評価されている。
 @ 健康感:健康,元気さ,生活の充実感,不安など
 A 身体症状:これは2つにわかれ
 A DistressIndex:疲労感,口渇感,味覚,悪夢,めまい,ふらつきなど
 B 睡眠尺度:入眠困難,眠気,早期覚醒,覚醒時疲労感 など
 C 仕事の実行と満足感:仕事のペース,仕事中の疲労感,集中力低下,仕事の満足感など
 D 情緒状態:感情の表現,抑うつ,不安感,敵意,妄想 など
 E 認識機能:記憶力や見当識
 F 社会的関係:社会や地域の活動における友人や親戚との連携の度合
 G 生活の満足度:結婚,生活水準,経済状態,などの満足の度合
 H 性機能について:陰萎,性欲減退など

 ところで、薬剤にはなんらかの副作用があり、QOLを下げる可能性は高い。従来の薬物療法で問題となっている胃腸障害や薬疹のような身体的副作用のみではなく、QOLは人間のデリケートな精神的,肉体的な機能面にまでおよんでいることを認識しておきたい。つまり、薬物療法を高血圧の分野で考慮すると QOLの問題が重要視され始めたのは降圧剤の著しい進歩によってであり、降圧剤の一番最初の段階はとにかく血圧が下がればよい、次に副作用が少ないはうがよい、その次に検査所見に悪い影響が少ないものがよい、これらはほぼ満足されたので次の課題として、QOLが取り上げられてきたものである。

 即ち、薬を使う時、副作用として変わった症状が起こっていないか、検査所見ではどうかを検討し、さらには生活の快適さ・生活の充実感・仕事の能力・性機能なども配慮して、患者個々に適した薬剤を選択し、QOLを向上させる必要がある。

 QOLの運用には医師の指導管理が最も大切であるが、薬の適切な使用と安全性確保のためには薬剤師の果たす役割も重要である。

 九州大学健康科学センターの川崎教授は、ある座談会で、個人別の健康度のチェックの指標として、次のような条件を紹介されている。
 (1)めしがうまい:毎日食膳にむかった時、食欲が良好である。そして便通が規則正しくある。−即ち、消化器系の健康
 (2)かぜひかぬ:天候の変化に対して抵抗力がある。−即ち、皮膚・呼吸器系の健康
 (3)昼元気がよい:心身の活動力とその持続力に富む。仕事に疲れ易くないことを意味する。
 (4)よく眠る:毎夜安眠熟睡して疲労の回復力がよく、あすの活力に余裕があること。

 以上の条件は大体肉体的なすべてを網羅すると述べられている。

 薬剤師の服薬指導にあたり、この4条件はQOL運用の参考として、価値あるものと思われる。


 <薬事春秋> 「地場企業としての所感」

コ ー ヤク梶@取締役社長 吉 村 慶 元

 過日、友人から江戸時代の処世訓「貯蓄十両・儲け、百両。見切り、千両・無欲、万両。」を教わりました。十両といえば、今日の1億円に相当しましょう。個人的にも不可能な貯金ではありません。「消費は美徳」の心地よい美意識イッパイのケジメのない生活であれば不可能です。無意味な出費を、たとえ少額でもやめ、有意義に生きるため積極的な生活習慣の変革をやれと訓えています。

 次いで儲けですが、書いて字の如く、信頼してくれる人を一人でも増やすことで、そのために自分の言動が、どうあらねばならぬか、自明の理であります。満足した一人の信者は、二十五人の仲間にクチコミするといわれます。そして見切りとは現状をヨミ、時代の方向をもヨミとる力であります。現在の各人それぞれの仕事の権威となるよう努めれば、自ずから体感を得て備わるヨミの力であります。

 今日の変化は全く不連続であり、アイマイであり、スピードがあり、拡がりが大きく、突然に表面化することすらございます。ダラダラした改善という名の対応はあり得ません。悪習慣と訣別する勇気、全く新しい価値感での対応がないと駄日であると訓えています。市場の渇きをイチ早く察知し、強い独自性・自主性での対応を示唆しています。

 さらに今日は飽食の時代、極端にいえば、ホシイモノが無い、それでいて物欲に覆われた自分の姿を見出します。この姿は他人様からは、毅然とした偉丈夫に見えますが、心は空洞であります。人間本来無一物です。ところが、人間、家柄とか親御さんとかでモノ・カネでの差が生じます。

 また、成長して自分の労働で、モノ・カネを得ることになります。さらに、ペーパーマネーが横行している現今、自力でなくカネを掌中にすることが出来ます。このモノ・カネを自分の所有と思い、自分の力と過信しておりますが、よく考えてみると知識・教養に至るまで、実は、すべて他人様から与えられたもので、縁あって一時的に所有させて貰っているだけで、人と人、或いは人と物、人と時間、人と空間の支え合いで生かされていることが体験・自覚できるようになると、心は満たされ、万(=無限)両を得たと同じ、との有難い教訓であります。人生を真撃に生きる者のみ味わえる人生の「原点」「基本」でありましょう。

 弊社は、取扱品の関係から、法的に擁護され、規制された経営環境下にあるため、専業意識・特別意識が固定化してきた感すらございます。加えて営業の主要な部分が、医療用の医薬品や医療器械・設備等、今日の国家財政を左右する医療保険制度の傘下に組み込まれておりますと、被保険者の既得権的医療需要や社会保障制度の運用如何で、順調な物事の推移がでてまいりますと、傘下・制度下のことを忘れ、自分の実力・能力が作動していると錯覚し、改善・改革を怠るようになってまいります。

 昨今、医薬品のカタログ販売の容認、倉庫業の医薬品卸売一般販売業の可能性、医薬品の再販適用撤廃等の「規制の緩和」が噂されます。これは、シビル・ミニマムを護ろうとする官僚の善意でもあろうと思います。これら、規制の緩和に賛成と言えば、既得権を固守されるお得意様の方々には無礼極まることでございますが、生活者・消費者のライフスタイルに背を向けたものであるならば、これは地場社会の障害物でありますから、チャネルから排除されることは当然であります。またこの場合、自ら身を退くべきとも考えます。

 弊社は、異業種、他企業間との交流・交錯、地域生活者の多種・多様な需要の変化等から、弊社の存在価値につき常にインセンティブを与えられておりますし、この様に恵まれた現況、恵まれた業界、そして縁あって生かされている現状に一つ一つ思い当たり、一層感謝の念を深くいたします。片や、弊社本社のあります北九州市では、地場基幹産業の衰退をマスコミが取材し、失業率を報じますと、往時中央から螺集した関連の大手企業が、まるで手足をつぼめる如く出先機関を減少してまいり。ます。人情の機微を窺い得て複雑な気持になります。

 顧客との関係をさらに重厚にし、信頼性(POSの如き)、妥当性・適時性(合目的な戦略・戦術のためのデータベースの如き)を高め、市場の質的な変異に如何様にも対応できるためにも社員の企業家マインドを必要とします。誠実な、清潔な人間性を必要とします。心ある異業種の方々の特色に学び、既存の境界線を見直し、従来の理論・考え方に意図的に抵抗し、「発想の転換」のできる、自律的なイノベーターの輩出する職場をもつ企業たつんと意気込んでおります。


 <会員のひろば> 「時 代 が 変 る」

春吉部会 六月田薬局 森 田  明

 63年も既に半ばを過ぎあと12年で21世紀を迎えようとしています。時代は急速に転換しております。日本の近代化は常に外圧が大きな力となっているが日本人はこれに旨く対応し現在のような経済大国まで伸展してきたものと思います。

 鉄,造船,自動車,電子産業の時代等々戦後産業界だけ見ても時代は代りつつあります。今は、ハイテク産業の時代とよばれ、また働き過ぎ日本が世界中から批判をうけ余暇産業時代を迎えようとしています。

 世界的に見て日本の平均的勤労者の労働時間は年間2,108時間で西ドイツの1,659時間,アメリカの1,924時間を大きく超過しています。一日8時間労働として日数換算で西ドイツに比べて56日間,アメリカに対しても23日間休みが少ない。

 我々薬局特にOTC従事者の場合はっきりしたデータがありませんので推測の域をでませんが平均1日10時間営業,日曜完全週休で、盆休み,正月休みを考慮しても実働日数約300日労働時間は実に3,000時間となります。

 薬局の特殊性を考慮すれば、営業時間の短縮は困難であり又すべきでないと思われる。
結果的には勤務時間を2交替制にすれば丁度西ドイツ並になりますが経済力が問題となってきます。

 現在の従業員を倍増して尚かつ経営が安定する必要があります。21世紀の薬局像として未来をみつめるとき楽観或いは悲観こもごもに交錯するなかでこの際外圧に匹敵する政治力を発揮して未来を切り開きたいものです。そのためにも台風の目を作る必要を痛感します。

 戦後の我々の業界を振り返って見れば、メーカー段階で流通経路は70%が薬局であったものが現在は15%と大きく低落しています。社会変革の影響を他の産業並みに大きく受けています。人類の健康指向がある限り製薬業界は拡大伸長を続けるがその流通チャンネルとして薬局がどれだけ利用されるか現状では大いに問題があり、今後の変革,時代の流れを我々にいかに有利に展開するかが台風の目となるものと思われます。

 そこで、最後になりましたが我々の一番の弱点と言われる政治力をつけ医薬分業を勝ちとり本来の姿に戻そうではありませんか!


 <会員のひろば> 「京城薬専時代の思い出」

春吉部会 警固部会 永瀬永寿堂薬局 中 野  佐

 昨日まで青年だと思っていたのに玉手箱を開けてみたらもう65歳の老年になっていた。

 昭和16年3月2日長崎県立対馬中学校を卒業し昭和16年4月8日18歳で京城薬学専門学校に入学した。日本人75名,韓国人30名,台湾人5名であった。

 校長は海軍薬剤少将で薬学博士・薬学士の玉虫雄蔵先生(東大薬学科出身)で後に名城大学薬学部長になられた方で軍人には似合わない温厚な人だった。教頭は薬学博士・薬学士の伊東半次郎先生(東大薬学科出身)で後に徳島大学薬学部長になられた方で新進気鋭の教授で微量分析の権威者であった。

 薬学の金文字の帽章のついた角帽をかぶり、黒い詰め襟にPharmaceuticalの頭文字Pの襟章を付けた学生服を着て希望に燃えてさっそうと京城の街を通学していたのは昨日のようであった。

 1年生の2学期の学期試験の勉強中に太平洋戦争が始まり、最初は勝った勝ったと喜んでいたが昭和17年6月10日ミッドウエイ海戦の敗退により物量に勝るアメリカ軍には勇敢なる日本兵もじりじりと後退せざるを得なかった。

 かくて学徒動員令が下り、6カ月短縮卒業により2年6カ月で昭和18年9月21日、20歳で卒業した。光陰矢の如く過ぎ去り人は去って行ってしまった。

 今思うと学生時代が人生の花だったと思う。戦局悪化により薬専生も化学の実習より学校教練が重要になってきた。江原道平康の地平線の彼方が淡紫に霞む広大な高原地帯の陸軍演習場で1週間兵営宿泊をした。

 敢闘精神旺盛な配属将校荒木哲次郎大佐,公門慶六中尉,古川繁雄少尉の3名が軍隊に入隊してもすぐ役に立つよう龍山歩兵第22部隊の現役兵の伍長と軍曹に学生と思わず兵隊同様手心を加えずビシビシ鍛えてくれと現役兵の伍長と軍曹に言い、我々は92式重機関銃で散兵戦の猛訓練を受けた。

 何をモタモタしているかと叱咤され、非力の小生は腕力のある学友よりは苦しかった。背嚢に20kgの砂袋を入れ38式歩兵銃を担いで20里行軍があったが、これに落伍したら幹部候補生の適任証はやらんぞ、一兵卒では高等教育を受けた者としてプライドが許さんだろう、非常時下の日本は青白いインテリーは求めておらんぞと叱咤激励された。

 小生もせめて陸軍薬剤少尉にならなければと思い最後まで歩き通したが右肩は紫色にはれあがっていた。然し当時は苦しかったが若かったので一晩寝れば疲れは回復した。

 鉄道で京城駅を北上する何千何万という若い童顔の真新しい軍服を着た兵士を京城中学や竜山中学の生徒のブラスバンドで出征兵士を送る歌、「わが大君に召されたる、生命はえある朝ぼらけ、たたえて送る一億の、歓呼は高く天をつく、いざ征けつわもの日本男児」と小・中・大学,専門学校,国防婦人会の大勢の人びとと日の丸の旗をふって歓呼の声で送った前途有為の青年将兵が生きて故郷に何人帰りつくことができたであろうか。

 昭和18年9月21日卒業証書を貰って校門を去る時、配属将校公門慶六中尉が薬剤師として将来の日本を背負って立て、他の薬専出身者に負けるな、陸軍特別操縦見習士官・海軍予備学生に合格した者は入隊まで後一週間しかないので、御両親・兄弟・親戚の方々に別れの御挨拶をしてくるよう諸君の武運長久を祈る、と激励された。

 勉強と試験の苦痛から解放されたが、いつ召集令がきても若い命を国に捧げなければならなかった。人の生命や病苦を救う崇高な使命がある薬学生が試験管や乳鉢を操縦桿や銃に持ちかえて軍務につかなければならないようにそれ程戦局は逼迫していた。

 同級生中、海軍予備学生に合格した北海道の苫小牧工業出身の杉尾忠君は昭和19年12月11日レィテ島沖の特攻作戦に第一金剛隊の一員となり出撃、敵艦に体当りして散華した。江田島の海上自衛隊学校の慰霊碑にその名前が刻まれている。

 陸軍特別操縦見習士官に合格した沖縄一中出身の古波津里英君は昭和20年4月7日東京上空に飛来してきたB29爆撃機に飛燕戦闘機で体当り攻撃を敢行し撃墜した。自らは落下傘で降下して命は助かり今は那覇市で薬局を開局している。

 敗戦後、配属将校荒木哲次郎大佐は多くの生徒を死に追いやったと言って割腹自殺をされたそうである。我が青春も16.425日の彼方に消え去ってしまって再びもどることはない。ただ若き日多くの出征兵士を送った赤レンガの京城駅はソウル駅となり赤レンガ三階建ての薬専の校舎は今も昔のままの姿で残っていた。


 <会員のひろば> 「自 由 と 義 務」

春吉部会 潟yンギン堂薬局 三井所 清 澄

 暑い最中老人のうわごとと思って聞流して下さい。

 薬業界のことは若い方々がいつも大変頑張っておられ感謝しておりますが、長年一本調子でやって来ましたので今更後悔しても始まらないのですが、やはりこれからの世相が嫌でも頭に入ってくるので遂色々言いたくなる様ですが悪しからず。

 この頃の司法行政や政治経済,特に福岡県内のことは色々気になることが多すぎます。県内のマナーの悪さは有名なことで暴力団,暴走族,露店商,政治裏金等々は税金はどうしているのだろうと思うと店舗を張って固定資産税,源泉課税,事業税等を真面目に払うのがおかしい様に思われますが一等地の路上で10年20年に渡り吾々の倍以上の売上のある露店でも税務署は分らないそうで全く自由の様です。

 最も裏ではみかじの料は払わねばならないそうですが半日の売上程度で大したことはないらしい。又バス停駐車のタクシーに文句を言ったバスの運転手はタクシーの運ちゃんに殴られそれを乗客は知らんふりです。

 路上のごみ箱にごみの山・これ等はごみ箱を置かなくて済む様にしたいものです。くわえたばこの男女、何処を見ても理想郷とは思えませんが来年はここでよかトピアを開催するそうで外国からは皆さん遠慮してか国内企業が主の様です。もっと根本から考えて環境の整備,人心の一新,特に教育面で必要と思います。

 百年千年の福岡を考えて物事を行ったら如何かと思います。自分は南区の住居では水道と井戸水を併用していますが両方の蛇口に袋をつけてこしていますが水道水は二三日で黒ずんで来ますが井戸水の方はいつまでも真白で又味も比べられない位うまいですが之も何時まで続くものか。熊本市の例もあり産業廃棄物の恐怖に絶えません。


 <会員のひろば> 「信じられない様な現実」

香椎部会 福岡東洋漢方薬局 大部 芳広

 小生、薬剤師と鍼灸師の二つの土俵で仕事をしている為、卒後教育もこれ又大変ではあるが、新しい知識や技術の修得に楽しみを感じる事も多い。

 先日も6月下旬に、北京中医学院の彭 静山教授が2度目の来日をされ、東京と大阪で脳卒中後遺症の片マヒに対する眼鍼療法のセミナーが開かれたので、千載一遇のチャンスとばかりこのセミナーに参加した。全国から医師と鍼灸師が多数集まり、久し振りの本場中国医学の素晴らしい独創的な技術を目前にして強い感銘を抱いた。

 彭 静山教授はこの治療法の創始者であり、片マヒのみに限らず、眼鍼によって色々な疾病の治療法まで発展させた権威者である。そもそも小生がこの治療法を知ったのは少し前の事になるが、当時は正直なところ余り信用していなかったのである。

 ところが小生の漢方薬局に併設している鍼灸治療室に或る時、パーキンソン氏病の患者が来院した。従来の鍼灸治療や湯液では、と言うより少なくとも未熟な小生にとってはこの錐体外路疾患であるパーキンソン氏病を治す事は、はっきり言って自信がなかった。

 そこでこの患者に眼鍼療法を試みたのである。眼球に近い所の眼窩の周囲の特殊なツポに中国鍼を、刺入したと同時と言って良い位、即ち、刺入して4−5秒位で数年来の足の振範がピタリと言って良い程止ったのである。患者本人の驚きも然る事乍ら、小生の驚きの方が大きかった様だ。

 最初の内は1−2日で再び振せんが起り、再度眼鍼療法をすると止ると言った状態が2週間位続いたが、次第に振せんも軽くなり現在では極く僅かに振るえる程度で、週2回位の頻度で治療している。歩行も以前より随分楽になったと患者は言うのである。

 こんな経験等をして以来、この眼鍼療法の効果を小生も信じる様になってから脳卒中後遺症の片マヒ治療を主として、其他色々な疾患にこの眼鍼療法を応用している。又、日本の或る医師は73才の女性の片マヒ患者が、12回の眼鍼療法で仰臥して、マヒした足を挙上する事が出来る様になり、且つ、杖をついて100m位歩ける様になったと言う。

 さて、日本に於ける此の度の実技セミナーでは、実際に数名の患者さんが会場に来ておられ、実際に治療をされる様子を自分の目で確かめる事が出来た。

 その一部を記すと、脳血栓で4年前に倒れ、左の手足がマヒした患者に眼鍼を行なうと、治療前に仰臥位で15pしか挙上しなかった患側の足が5分間の治療で42p挙上し、一人で装具なしで数歩歩いて見せた。

? 又、或る患者さんは、1年前に倒れ、今尚言語障害がひどく、全くと言って良い程言葉が出なかった人が治療後にはアイウエオが何とか言える様になったのである。患者さんも家族の方も涙で言葉にならない様子だった。

 ところで、有効率は発病3年以内なら80〜90%位だとの事である。完全に元通りとは行かない迄も、マヒが少しでも軽くなれば患者にとっては夢の様な話である。

 さて何故この様な劇的効果があるのかについては未だ解明されてはいないがいずれにしても効果の差こそあれ確かに効く事丈は判って来たのである。

 又、鍼を用いなくても同じ領域のまつ毛の根元の粘膜を消毒した綿棒等で刺激しても鍼程ではないが、同じ様な効果があるのだと言う。知識として知っておくと薬局の店頭でも役に立つ事もあるかと思い参考迄にその治療領域と適応疾患の経区を図1に示す。

図


 薬局の店頭で患者さんに手を施す事は勿論、法的に出来ないが、患者自身が行なう事は問題ない。但し、呉々も注意しておきたい事は消毒した綿棒なり衛生的に問題のない物を使って行ない且つ、余り強く刺激して粘膜を傷つけない様にしなければならない。

 安全面を考えるなら手指で眼窩内縁をもんでも或る程度の効果がある様な気もするが如何がなものだろうか。惑いは毎日眼窩周囲全体をもむと色々な疾病の予防にも少しは効果があるのではなかろうか。又、店頭での望診にも使える。

 この様に最近は東洋医学にも次から次へと新しい治療法が出て来る昨今である。ハゲ治療に閻三針の鍼治療や、今話題の101等はその最たるものではなかろうか。漢方の分野も更に広い視野で色々と新しい情報を受け入れ、自分の血肉となる様な生きた卒後教育と熱意が毎日の店頭活動に活力を与えるカンフル剤となるのではなかろうかと痛感する此の頃である。


 <会員のひろば> 「趣  味」

九宏薬品(株) DI室 山田 雅弘

 最初に、体を動かすスポーツについてですが、運動神経は人並みにはあるのでしょう。中学、高校ごろは、草野球程度ですがよくやりました。病院勤務をした40年代は、メンバーの一員として参加してやりましたが、その頃、九大二外科からネーベンで来られていた杉町先生(現、九大二外科教授)もメンバーの一人でした。50年代、九宏薬品に勤務してからは、市薬のソフトボール大会に3〜4回博多支部から参加し、1−2本ホームランも打てました。しかし、現在は、TVでプロ野球を見る位です。

 山登り(山歩き)は若い頃、若杉〜宝満,背振〜金山などや傾〜祖母に行きました。九重連山には5−6回行ったと思います。毎年夏になると想いだすのは、大学2年の時、友人と二人で四人用テントを携行し、重量30kg近くのキスリングを担いで、日本アルプスの立山から黒部渓谷へ縦走した時のことです。

 当時すでに麓から美陀ケ原へのケーブルはありましたが、私達は、それに乗らず常願寺川の渓流を逆のぼり、立山温泉,五色ケ原経由で立山に到達するコースを選びました。立山に到達するまで途中、尾根で思いもかけぬ烈しい雨に遭遇し、テントを頭からかぶってかなり長時間の雨を凌いだが、寒さのために体は凍りつきそうになり、死をも覚悟したように記憶しています。結局そのために、最初、全行程3泊4日の予定が3日間順延し一週間になってしまいましたが、こういう思いもかけぬできごとが起きるのが山の恐さでしょう。

 立山に登頂後の下りは、剣岳をわきに見ながら剣沢から黒部渓谷,宇奈月温泉,魚津へとでましたが、黒部渓谷の凄絶さと美しさには魅せられたものでした。

 今後、手軽に山歩きをするとすれば、福岡市民のハイキングコースである油山位でしょうが、しかし、毎年六月の第一日曜日に上高地で催されるウェストン祭に、一度行きたいという願望を持っています。

 スポーツを別にして趣味と言いますと、囲碁ということになるでしょう。その他、切手収集,レコード収集(カセットテープも含めて、クラシック,ジャズ,ポピュラー,フォーク,歌謡曲など)も一時期やりましたが、現在はやっていません。麻雀は若い頃やりましたが、これで身を持ち崩したので、趣味というより麻雀ぼけしたと言えます。

 囲碁について述べますと、覚えたのは中学の頃で、家に下宿していた九大の学生さんと私の兄が少し打つことができて、二人の対局を見ながらいつの間にか覚えたような気がします。高校になってたまに近くの碁会所へ習いに行き、卒業時頃は初段近くになったようです。そして大学受験に失敗し一浪をしたため、その間、碁会所へまた通い、二〜三段位になったと思います。

 大学へ行ってからも囲碁を打っていたことに変りはありませんが、当時はまだ大学で囲碁部があったのは関東,関西地方の大学を除いてはほとんど無かったのが悔まれます。今では全国の大学で囲碁部のないところは数える程しかないと思われるし、大学間の対抗戦も盛んで、それと共に当然レベルも高くなり羨ましく感じます。

 現在、囲碁人口は500万人とも1,000万人ともいわれ小学生,中学生への普及はかなりなものであり、また女性の愛好者も同様増えてきています。

 今後、益々囲碁の普及が図られることと思われますが、一団欒の一つとして囲碁を楽しむ家庭が増えれば大変楽しいことと想像できます。


 <会員のひろば> 「病院薬剤師として思うこと」

福岡大学病院 薬剤部 土師 清

 無芸、無趣味そして筆無精の私に、今回の原稿依頼があったのは、確か6月の中旬だったと思います。私は悩みました。そして、私は今、この機会に昭和60年の医療法改正につづき今年の診療報酬点数表の一部改正により今後、医療機関のなすべき機能,特質が問われ、患者ニーズの高度化,多様化に対応せざるを得ない状況にきている現在の社会情勢を鑑み、私達薬剤師が近未来に何をなすべきか私の13年間の病院薬剤師業務を振り返り、その糸口をみつけるべき、今回筆をとることにしました。

 昭和50年に私が福大病院薬剤部に勤務しはじめた頃は薬剤師のなすべき中心業務は今でいう狭義の調剤であり、それを習得するのが私達薬剤師の仕事であり使命であるとその時私は思っていました。しかし医療情勢の変化と共に次第にノンコンプライアンスの面から患者への服薬指導が重要視されるようになり、医師、看護婦等を対象にしたDI業務もDI室に専任者を配置することでだんだんと確立されてきました。

 又、昭和50年代のコンピューターの開発,発展は著しいものであり、医療分野にもその波及は大きく拡がりました。私達の薬剤部も昭和55年に薬品管理室に端末機を導入し、医薬品の受払い業務に活用しはじめました。

 そしてTDM、さらに昭和60年には調剤の一部の機械化ともいえる全自動錠剤分包機を購入し、現在入院患者サービスを行っています。昭和61年には、外来患者サービスの一環として、今までの調剤業務の見直しを図り調剤方式等の改良や全自動分割分包機等の機器購入を行い、現在大幅な薬の待時間短縮につなげています。

 以上が私の歩んできた業務の推移であり、最近まで私は今までの業務内容は、時代の流れに沿っていると思っていました。しかし、私達を取り巻く現在の社会情勢を考えると、これからの薬剤師には、今まで以上になすべきことが山積みにされている様に思え、現状の業務に甘んじている自分に叱責する思いです。

 そして私は今後、薬剤師が社会的使命を達成するために、何をなすべきかその答えを早急にみつけだすことが今の私達薬剤師に課せられた大きな課題であると考え始めました。そんな折に今年の6月に東京都で開催された第2回クリニカルファーマシーシンポジウムに参加する機会を得ました。

 今回のシンポジウムは、クリニカルファーマシーの現状と問題点がメインテーマで薬学教育者、行政・病院診療所・開局の薬剤師等が一堂に会して2日間講演と討論が真剣かつ活発に繰り広げられました。

 そこで現時点で私と同様に薬剤師の近未来に危機感等を感じられている先生方に、今後の薬剤師業務発展の手がかりとなればと思い、今回のシンポジウムの中で北里大学の小宮山先生が講演された内容を私なりに解釈し要約したのでその一部を紹介して私の話しを終えたいと思います。

 小宮山先生は「臨床現場でのクリニカルファーマシー活動へのステップ」と題し、演者自身の実務体験を基に話されました。まず始めに、クリニカルファーマシーサービスの定義は新しい既念ではなく患者の合理的薬物療法に寄与する薬剤師サービスそれ自身であり本来の活動であると述べられました。

 そして現在の日本のクリニカルファーマシーの流れは2つに大別されるが、今後は臨床現場でクリニカルファーマシーの展開はステップ方式でスタートすべきであり、実務サイドのみならず教育サイドにおいても努力すべきであると述べられ、各々サイドのステップ方式を詳細に述べられました。

 特に薬剤師が望まないものは薬局に根付かない。中央薬局に効果的医薬品供給システム等が確立されていなければならない。さらに医療チームの一員として信頼を得、あてにされる薬剤師の存在となるためには責任とプロの誇り、地道な努力が必要である等と述べられました。

 そして最後に、近い将来、必ず機械が調剤をする時代がくる、そして現在の医療経済体制はいつか必ず大きなメスが入れられる。その時になっては遅すぎる。クリニカルファーマシーの本質は薬剤師による合理的薬物療法の追求である。肝心なのは薬学関係者の正しい現状認識とプロ意識そして薬学を取り巻く状況変化に対する危機感とその対応策の着手であると切実に述べられました。
* 第2回クリニカルファーマシーシンポジウム 講演要旨集


 <会員のひろば> 「今日、この頃」

博多西部全 くすりのヒロヤ 山村 博久

 先日、あるお客様より私に電話が、ありました。そのお客様は、随分長い間、当店のお客様でもあり、最近は、支店でお買物をされている方です。話しの内容とは次のような事でした。最近、支店の従業員の接客態度が冷たいとおっしゃるのでした。開店した当時、店長も他の従業員も、心暖まる接客で、それが自分にも伝わって来て、買物が楽しく出来たとおっしゃるのでした。でも、近頃の「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という挨拶には、心が伝わってこないともおっしゃるのでした。支店も3年が経過し、少し繁盛するようになり、毎日の忙しさにかまけ、支店長や他の従業員も一番大切な「心」を忘れがちになっていたのでしょう。

 それは、私自身にもいえることだと思いました。8年前、夫婦で、店をはじめた頃はお客さんも少なく、お客様が、当店に来て下さることだけで、うれしかったものです。あの頃は、私も家内も、本当に一生懸命でした。年中無休で働き、家内は子供を生む前の日まで、それも、夜遅くまで働いてくれました。

 お客様が、電話をかけて下さってきたことで、私自身、考える機会を改めて与えて下さったと、そのお客様に感謝しております。反省をもしております。

 今、自分自身について考えるに、従業員も5人に増え、昔ほど一生懸命じゃないように思われます。謙虚さが、ないようにも思われます。「実るほど、頭をたれる稲穂かな」です。それから、私どものような町のどこにでもあるような薬局においては、なによりも「心のサービス」が一番です。

 色々、偉い方の講演を聞いても、書物を読んでも、やはり同じことを言われています。それゆえ、店が、どんなに大きくなり、いくら増えても、私自身、初心に戻り、「心のサービス」が出来るような接客を、心がけなければならないと思っております。

 同業種で、仲の良い友人ができました。彼とは、同じ薬業人として、売り上げ、イベント,問屋やメーカーの事,人間関係と幅広く、それぞれの店のことを卒直に話しあっています。お互いに全く違う環境で営業をやっているものですから、かえってそれがいい刺劇になり、アドバイスし合い、日々の販売にも、プラスになっております。そして、ここでも、彼との結論は、いつも「心のサービス」だと言うことで、終りになります。また、こんな友人が出来たことも、うれしく思っています。

 これが、私の、「今日、この頃」……です。


 <会員のひろば> 「中国語口座によせて!」

博多東部会 センタービル薬局 塚田 靖子

 私は、中国語を習い始めて一年近くになります。習おうと思った動機は単純な考えでした。知人に中国旅行に誘われていた時にたまたま市政だよりに、中国語無料講座受講生募集、の見出しに、これは、グッドタイミング、だと思い、早速飛びついて、応募しました所、運よく抽選に当り、今日までに至りました。

 今は、中国語がブームで、中国語講座に人気が集まり応募者数も多いらしく、私などが一度で当った事は、幸運だったと思っています。

 興味本意で始めた中国語は、習えば習う程に面白さが湧いてきて、今では講座のある日が楽しみになってしまっています。

 最初、六十人余りだった受講生の方々も、無料から有料になるにつれて、少なくなって今では二十人足らずに減ってしまいました。

 ほとんどが女性ばかりで男性は2人です。女性パワーの凄さには感心します。

 最初の頃は週2回の講議と発音の難しさと初めて見る漢語と、物覚えの悪さに途中で落ちこぼれるんではと心配しましたけど、これは年の功と申しましょうか、図々しさと度胸で頑張って、どうにかここまでやって来られました。

 講座のある日は、朝早くから家事に取りかかり、発音練習のため、カセットを聴きながら、夕食の用意などをして、バタバタと出掛けて行きます。何しろ忙がしいので、予習も復習も満足にせず、受講しているその時間だけ、集中して聞いてるのみですので、全く上手になりません。

 一年たった今でも、理解に苦しむ事が多くて心配になります。時たま忙がしくて、行くのが億くらになる事もありますけど、落ちこぼれると大変なので、足を引きづりながら出かけたりします。

 何しろ若い時と異って、無理が効きませんし、頭の働きも鈍くなり、同じ事を何回も何回も繰り返し、やっと人並についていく感じです。 受講生の方々の平均年令は、32才位だと思いますが、皆さん熱心な方ばかりで刺激に刺激を受け、牛の舌なんか忘れてハッスルしています。

 中国語の先生は、皆九大留学生の方々です。日本語は流暢で、漢字は達筆で、そして努力家です。又礼義正しく更に言葉使いも丁寧で、時々私の方が何かとお知えられる事もあります。

 若くバツラツとした留学生の方々に接する事が出来ただけでも「中国語を習っていて良かったなあ」と思っています。

 もう少し、話し聴き取れる様になり、気の合った仲間と一緒に、中国にでも行けば、きっと楽しい旅行になるんではと思っています。それにはまだまだ遠い先の事で、夢の又夢になりそうですけど、出来る限り続けて頑張りたいと思っています。


 <会員のひろば> 「死 学 事 始」

箱崎部会 セイイ薬局 入江 理裕

 四季はなは定まれる序(ついで)あり、死期は序を待たず、死は前よりも来たらず、かねて後に迫れり。人皆、死ある事を知りて待つこと、しかも急ならざるに覚えずして来る。

 沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとし。(徒然草)
 と兼好法師は死を語っています。

 皆様方は一度や二度は死ぬ目に会い、その恐怖が、ぞーっと、背中を吹き抜けた経験をお持ちでしょう。又死を思い夜半に戻された事もあるでしょう。その時、死んでなくて良かったと胸をさすられた事でしょう。

 しかし人間は必ず死ぬ。という完全な摂理があります。この摂理を理解すべきです。死を自分の物とし、死をみつめて、人生を生き抜けば早く死しても、老いて死しても、内にも外にも、調和と安らぎが得られます。摂理を認めたがらず、又まだ先の事として、死にたくない。又はまだ死ぬはずない、と摂理に逆らう生き方は、不安、恐怖、取り越し苦労が続き、人生に混沌が生じます。

 死はだれもがいつの日か直面する事になる厳粛な事実です。徒然草のどとく、今日、明日にでも死が後より迫ってきている事を今すぐ認めた方が、どれだけ賢明でしょうか。

 永遠の肉体。肉体の不老不死等という事は絶対にありません。又、死は、個人の好き、嫌いで永くも短かくもなる事はありません。

 死とは一体何でしょう。まず普通に云われている死は人生最大の不幸でしょうか。不浄、不吉な事でしょうか。永遠の別れでしょうか。全くの孤独でしょうか。

 よく云われている絶無、まったく何もかも消滅してしまい、後には何も残らないのでしょうか。死は暗黒の世界にひきずり込まれる事でしょうか。もうだれにも会う事が出来なくなるでしょうか。

 私は全部否定します。決してそんな事はありません。これは、私が20年間かかって、得た結論でございます。しかしながら皆様方には、「見て来たようなウソを云う」という事になり、この世的な科学では証明は出来ません。しかし私には確信があります。自信もあります。霊体験もあります。

 しかし、私の云う事は「うのみ」にはしないで下さい。貴方の理性と知性に照し合わせて判断して下さい。ピンと来るものがあれば賛同してほしいし、そんなバカな!と思われる方は、即、否定されてかまいません。

 理性に裏づけされない納得と云いますか。知識は、まったく無意味ですし、その方にとっては毒となる事もあります。否定されて私が困る事は全くありません。又、貴方の人格が否定される事もありません。

 死は、一種の卒業式です。一応人間業を終了出来た大吉の日です。家族との別離?とんでもありません。より一層身近になっています。

 孤独?とんでもありません。死んだ直後より、先に死んだ親,兄弟,姉妹,友,霊友等が、皆迎えに来ます。そして人間の時、苦しかった事や色々の苦労をねぎらってくれるでしょう。会いたいと思った人には全て会えます。残して来た地上の肉親の様子も全部わかります。ただ死ぬと、一般にバイブレーションと申しまして、日本語にしますと、振動という事になりますが、それが肉体と霊体ではまるっきり違い、肉体ではそれが感授できません。それが出来る人達が霊能者と呼ばれています。そして低いバイブレーションしかもたない人間には、霊からの呼びかけに、応じられないわけです。まるっきり聞こえないわけです。そばに居ても肉体を持つ者には、わからないわけです。何故でしょうか

 人間に生まれるというのは、霊の修業の為だからです。人間というのは、もともとは霊です。肉体をまとった霊です。霊である事が本質です。霊が主で肉体が従です。霊は永遠ですが肉体は滅びます。人間は霊,精神,肉体で、出来ています。生きてる人間が霊ならば、死んだ霊からの呼びかけに何故わからないか?それは、肉体で霊を完全に包んでいるからです。

 霊界の霊は先が見えます。地上に修業の為に行った霊が苦しんでいる時、色々と教える事によって修業の邪魔をしない為です。人間は自分の自由意志で生きて行かねばなりません。人間が霊ならば再び人間に生まれ変る事が出来るか?

 答 出来ます。人間に生まれる理由として前に生まれた時やり残した仕事を行う為と、前に生まれた時からのカルマ(業)又は償いの為に生まれます。そして人類の進歩発展の為にも生まれて来ます。長くなりますので今日はこの辺で終わります。


 <会員のひろば> 「私 の 雑 感」

六本松部会 ヤツナミ薬局 松尾 可恵

 この四月、2ケ月前に学校薬剤師を始めて引き受けさせて頂きましたが、始め学薬に入れさせて頂きたいなぁ−と思ったのは、ある方の葬儀の後、皆様と一緒にお茶を飲みにいった時、非常に和気あいあいとしたアットホームな雰囲気に、つい私もお仲間に入れて頂きたいなぁ−と思ったのが始まりです。

 ところが初めての事ばかりで、研修を含め出る事も多く、分らない事ばかりで今年1年間は良い勉強と思い、出席させて頂き、学校へも足を運ぶ積りでおりますが、学校を卒業して始めて学校と名の付く場所の内部を垣間見た分けですが、常識で考えて下さったら分かりそうな事も、今の生徒の親なる人達や、先生という立場の人達の敏感すぎる反応される事を実感として、少し分らせてもらったように思います。

 子供達も親も先生方も、ピリピリし過ぎるように思い、昔の自分の小,中学生時代を思い返えしてみて、子供も親も先生方も、大らかさがあったように思い、良い時代に育ってよかったと思い乍ら、今の時代、子供を育てるという事の大変さを思い、又、可哀想に思いました。

 そういう昨今に於いて、私の店に来る人で、“水の健康法”を一生懸命しておられる人が多く見られる。心臓,甲状腺病に特に良いと云われて、信じておられる人が多い。それも水道水を飲む事だそうです。どこを押したら、こんな話が信じられるのか?分りませんが、私達の話よりも、健康食品を売られる方々の巧みな話し方を信じられる。この一般消費者の人は、健康に関しては、何を根拠に信じて行ってやっていらっしゃるのだろう?

 私達、健康に関して専門的にやっている者が、如何に信じられていないか、痛切に感じる。このような消費者にアピールし、なおかつ、健康指導者として、信頼されるような薬局、又人間になりたいと思いますが、こういう事柄に合うと、なかなか一生涯掛かってもやれないのでは?とつい弱音をはきたくなる程、理想と現実のギャップに、溜息が出るこの頃です。


 <会員のひろば> 「私流楽々子育てノート」

城南区 副島 啓子

 「子育て奮闘記でも…」という御依頼で原稿を書かせて頂くことになった訳ですが、私としては楽しませて頂いていて、少しも奮闘しているつもりはありません(諸先輩お母様方にはそれはドタバタだと思われるかもしれませんが)私自身が、母親が教職にあり、産休を過ぎると、子守りのお姉さんに育ててもらい、母の愛情に飢えていたのか、子供心にその淋しさが身についていたのでしょう。

 自分の子は学校に上がるまでは家で自分と育ってほしいと常々感じておりました。で、仕事も、病院の忙しさもかえり見ず、産休入りできっぱりと辞め、(随分、迷惑をかけていますが)我が子のお世話にどっぷり浸っています。お世話というより一緒に遊んで暮らしています。今までになかった三食昼寝付の優雅な暮らしです。

 夫を朝送りだして、夜迎えるまでの13−14時間は私のものですから、子を泣かそうと笑わせようと、家の中がちらかろうと勝手です。産前1か月、産後4か月という長い間、実家にお世話になり、その間は子のお相手と洗濯のみの生活でしたから、ひどく楽でした。

 いざ家に帰って、さあ大変だろうと思いきや、意外と簡単。どこに行くにも子を連れ出し、子は親に振りまわされている様です。人並に突発性発疹は出ましたが、お陰で子の病院通いもなく、福大病院と筑紫病院には度々お邪魔し、我が子はいろんな人に会えて、未だに人見知りを覚えていません。バス、電車の中では、人ににこにこあいさつのしどうしです。

 病院勤めのお陰で、小児科受診の子のお母さんから得たものが随分役に立ったし、もちろん、我が子の処方せんに書いてある薬も理解でき、やめても薬剤師、処方せんをもらえばチェックする。扁桃炎もどきで、ジゴシンelex.が書いてあったらDr.に聞いてもらうし、ロートエキスやらリンコデの量はしっかり見直します。逆に、シロップはできるだけ混合した方が便利で、ボンタールSyr.なども2日分ぐらいだったら混合してあった方がのませやすいとか、DS.は水に浴かすより、そのままか、シロップにまぜたりヨーグルトにふりかけた方がよくのむとか・‥。

 子を持って自分は今まで何と無責任に窓口で説明していたのかと改めて感じたり。先日、急患センターに復帰させて頂いて、窓口説明が産前のそれと随分変わっていた様に思います。坐薬は、必ずうんちの後に使った方がよいですよと言ったり、粉薬はヨーグルトに混ぜてものませやすいですよと言ったり…・今までにない説明ができました。

 我が子も今、つかまり立ちに興味をもっていますが、できるだけはわせて手足を強くさせようと思っていますので、我が家には夕食時以外には低いテーブルをおいていません。

 いすをさがしてからはハイハイで寄ってきてはいすにつかまっています。狭い家中這いまわるので、玄関にはワゴンを、台所の入口にはダンボールといすを、コードの近くには大きなおもちゃをおいて、ベランダにはすだれや、行水用のプールや洗濯かどでしきりをつけて、それらの内側で、子供としては充分遊べるスペースを作って遊ばせています。

 親が眠い時は、子供部屋の入口を締めて寝ていると、最初は、親を起こそうとしたり、体の上たよじ登ってきたり、おもちゃで遊んだり…そのうち一緒に寝てしまいます。これからもこんな手抜き子育てで行こうと思っていますが、それなりに子には自由さがあってよいのでは(?)と自画自賛。

 そろそろ寝ていた達郎が日を覚ましたのでペンをおきます。いつか機会があり、こんな母親ですが、お手伝いできることがあったらよろしくお願い致します。


 <会員のひろば> 「バイタリティのO型 愛に生きるが、現実性も強い」

九州大学病院 薬剤部 平川 雅章

 ある保険会社のパンフレットに0型気質の特色例が書かれていた。原稿書きを頼まれた時、何を書こうかなと思っていたところでしたので、これを参考に自己紹介します。

 <自然の生命力が最も強く、たくましいが健康に神経質すぎる。>

 私は健康に神経質すぎることはありません。酒もタバコも人並以上で、仕事で遅くなることも気にならないが、Workaholic(仕事中毒)でもalcoholic(アルコール中毒)でもない様にバランスを取ればいいと思っている。とは思うものの、近ごろ、alcoholicに近づいてきている様な気がする。

 一言、ビールはサントリーモルツが好きである。

 現在、私は腰を痛めている。アメリカ帰りの同僚が、調剤室にいると腰が痛くなる、これは労災だと言っている。

 市薬剤師会の皆様、調剤する時は、姿勢を正しく!!<日的志向型、目的が決まれば、まっしぐらに直進し、目的があいまいなときはズッコケ気味>

 その通りだと思う。とくにズッコケ気味が心地良い。<ロマンチックと、強い現実性の二本立て>30才を過ぎて、現実性が増して来ている様に思えるが、強いロマンチストである。

 例えば、私はあまり泳げないが、太陽が昇る前の海が大好きである。釣に行ったとき、釣より景色を眺めることがよくある。(魚が一匹も釣れないからかも知れない。)

 <社会の力関係に敏感,勝負師である。>学生時代から、中国語の勉強が好きで、ちょっとした小遣い稼ぎになったものだ。薬剤部では中国語の勉強が嫌いらしく、稼ぎにはならない、残念である。私が入局した当時、大坪先生が、連続3回負けて、奥様から叱られたらしく、それ以来、中国語の勉強は闇に消えてしまった。

 <やや一言多い>他人に言われる事あり、“口は災いのもと、である、注意しよう”

 <食事は実用的、何でも頂くクチ>力を込めて言いたい。納豆,らっきょう以外はOKです。

 <理論的で信念が強い、反面、考え方がストレートで単純な一面もある。>良くわからない。

 <仲間を求める。>結構、照れ屋で寂しがり屋である。

 以上、取り留めのない原稿になりましたが少し、私の事おわかり頂けたでしょうか?最後になりますが、薬剤部の皆様、私は本当にロマンチストなのである。


 <朝日新聞「声」欄より> 「薬剤師は医師の処方は批判せず」

福岡市 柴田 伊津郎(薬剤師 74才)

 患者に渡す薬について、その効能などを医師がよく説明するよう、厚生省が指導すると報導されていた。そのこと自体は結構なことだが、この記事の一部に気になることがあった。

 患者が自分の服用する薬について、十分理解しておくことは大切なことである。しかし、これを薬局で説明するとなると、よほど慎重にしないと逆効果となる恐れがある。記事中のイラストでは、医師から投薬された薬を、薬局の人が見て「あー、こりゃ安物だなぁ」といっている。とんでもない話で、こんなことはおこらない。

 薬局では、医師の処方内容を批判するようなことは厳に慎んでいる。効能、効果の説明についても、診療に影響することのないよう、十分留意している。イラストのようなことは、あってはならないことである。これでは、医師との間に不信感を生むだけでなく、薬剤師と患者との信頼にもマイナスの効果を生んで、患者に良い結果は与えないであろう。

イラスト



 <フレッシュさん紹介> 「衛生行政の中の薬剤師」

福岡市下水道局管理部水質試験所 仲江 圭子

 はじめまして。私は昨年より福岡市役所に勤務しております。直接的には薬務に携わっていないので、少しでも薬に接したいと思い、昨年の11月に本市薬に入会させて頂きました。

 この会報は、一方的ですが存知ている先生方が多々、文を書いておられるのを、なるほど、と他人事のように思いながら目を通していたところ、まさか自分が書くことになろうとは少々とまどっています。

 医薬品に関する第一線で働きたいというのが私の望みではありますが、思いどうりにはいかなかもので、現在、水質検査をしています。

 市役所でどういう仕事をしているのか、ピンとこないかと思いますので、福岡市のPRも兼ねまして、ちょっと紹介させて頂きます。

 各自治体によって異なっていると思いますが、福岡市では、我々薬剤師が役所に入る場合、衛生管理職という身分で入ることになります。一般的には、薬局,病院,企業等に従事される方が大多数だと早いますが、行政にも、薬剤師としての専門的知識,資格を必要とする仕事は多々あります。

 例えば、食品衛生法第19条第4項で定められている食品衛生監視員がその1つです。これは衛生局に属する保健所等で食品の衛生面を監視,指導する職務です。

 その他、衛生行政に携わる職務としては、環境局,水道局,下水道局等があり、薬剤師の方も多数活躍しておられます。

 とは言っても、私としては、薬学を志したからにはやはり医薬品に関するスペシャリストになるのが本筋ではないかと思います。

 「この薬はどんな薬?」と尋ねられたとき、その説明ができないはど情けないことはありません。ですから急患センターの仕事は、その調剤数,医薬品の種類等、問題にならないほど少ないかもしれませんが、私のような者にとっては、調剤を忘れないそして常に薬に対する興味がもてるという点で、非常に勉強となるものなのです。

 今後ともこの様な気持ちで臨んでいきたいと思いますので、諸先輩の方々どうぞよろしくお願い致します。

 それから行政にも薬剤師の仕事はあるのだということを、これから薬学を卒業される方々にも周知され、ぜひぜひ公務員試験を受けられるようお勧めされるようお願いします。
   (S61年 福岡大学薬学部薬学科卒)


 <広  報> 「柴田伊津郎先生  叙勲記念祝賀会」

 日 時 昭和63年7月2日出 午後6時
 会 場 西鉄グランドホテル

 祝賀会次第
 司会 藤原良春市薬専務理事
 1.開会の挨拶
   荒 巻 善之助 福岡県薬会長
 1.発起人代表挨拶
   古 賀   隆 福岡市薬会長
 1.来賓の御祝辞
   熊 谷 富士雄 福岡県衛生部長
   林   武 彦 福岡県議会議員
   久保田 秀 己 福岡市議会議員
 1.記念品・花束贈呈
 1.受章者の謝辞
 1.開宴の辞
 1.乾  杯
   神 谷 武 信 前福岡県薬会長
 1.祝電披露
 1.祝い目出度
 1.万才三唱
   白 木 太一郎 先生
1.閉会の挨拶
   大久保 俶 住 先生

 柴田伊津郎先生の、栄えある勲五等双光旭日章受章を記念して、有志による祝賀会が先生御夫妻をお招きして、上記のように盛大に開催されました。お祝いの挨拶の中では、「薬剤師の鑑」という言葉が度々出てきて、又友人代表のスピーチでは藤野義彦先生,金枝正巳先生,小松真佐雄先生よりいろいろなエピソードも披露され、柴田先生の人柄が忍ばれるひとときでした。

 なお柴田先生に対する賛辞は、発起人代表古賀隆先生の挨拶文に尽きると思いますので、ここに記載します。

 「挨拶文」

             発起人代表  古賀 隆

 このたび、春の叙勲に際し、柴田伊津郎先生が栄誉ある勲五等双光旭日章を受章されました。このことは柴田先生のみならず、私達薬剤師会員にとりましても、この上ない喜ばしい慶事であります。心からお祝いを申しあげます。御承知の通り、先生は人格まことに高潔円満で会員の信望も厚く、今日まで多年に亘る輝かしい足跡を拝聞いたしますときに、今回の叙勲はそれに報いるにふさわしい受章であると喜びにたえない次第であります。

 先生の数々の功績については、その経歴、業績を見ていただきますとよくお分りいただけると思いますが、特に私が申しあげたいのは過去叙勲を受けられた先生方が、何れも県薬会長或いは支部の会長というトップを勤められた方ばかりでございます。

 柴田先生は、その性格から、晴れがましいそのような役職を経験されておられません。ただ歴代会長から、ひたすらこわれるままに、淡々と常務理事、理事或いは国保審査委員などの要職を三十余年にわたり勤めてこられました。このことは、やはり先生の非凡な学究的才能を会が必要としたからに外なりません。先生のこのような長年の業績が評価され、今回の受章に到ったことの意義,価値の偉大さを、こんにちつくづくと思うのであります。

 誰言うともなく、先生のことを薬剤師会の「鑑」と申します。まさにむべなるかなであります。どうかこれからも益々御健勝で我々後輩の指導・育成に御尽力を賜わりたいと存ずる次第であります。発起人を代表して一言お祝いを申しあげ祝詞といたします。

         (社)福岡市薬剤師会会長
             (出席者 90名)


 <会議報告> 「第185回理事・監事会」

 日 時 昭和63年6月24日(金) 午後7時
 場 所 市薬会館会議室
 出席者 古賀会長、竹尾,高倉,長谷川場副会長、藤原専務理事、三津家,戸田,松枝,坪根,正岡,藤下部常務理事、木原,高杉,南島,冷川,小野,藤田,成澤,市花各理事、日高,磯田各監事

 1.会長挨拶
 石井道子後援会活動について、党員,党友の獲得は全国的に見ると低調である。福岡県でも提出した名簿に不備なものがあり若干不足している(市薬は100%達成)ので福岡市でカバーしたい。なお締め切り日は7月まで延期された。後援会員については6月20日に支部長会を開き協議したが今後一層の努力が必要である。会員にお願いする上からも、まず理事者は、100名の獲得を達成して頂きたい。

 2.報告事項
 藤原専務理事より報告
(1)福岡市国民健康保険運営協議会委員に古賀会長推せん
(2)各保健所運筥協議会委員に各支部長を推せん
(3)アジア太平洋博「健康館」の進展状況について
(4)その他

 3.委員会報告協議事項
(1)各委員会の事業計画について了承された
(2)組織委員会から出された「薬局に勤務している薬剤師の調査」アンケートについては、一部不適当な項目があるとされ、再度委員会で検討することになった。
(3)入会申込書は二部作成し、一部は会に一部は支部長に提出することになった。

 4.協議事項
(1)会館建設問題について
(イ)設計事務所,建設会社等について協議したが決論は次回の理事会で出すことになった。
(ロ)建設専門委員会(プロジェクトチーム)の設置が了承され、その委員選考は会長に一任された。
(2)石井道子後援会活動の統轄責任者に、竹尾副会長が選任された。
(3)会員名簿の作成が了承された。今回は定款及び連盟規約をつけることになった。

 恒例の「三師会」が、医師会の担当により行われた。医師会及び薬剤師会の役員改選が行われたこともあって、その紹介に始まり、よかトピアその他の諸問題についてなどやかな懇談会であった。尚次回は歯科医師会の担当で行われる予定である。


 <委員会報告>

< 「組織委員会」

 日 時 昭和63年5月26日(木) 午後7時30分
 場 所 市薬会館会議室
 出席者 竹尾副会長、戸田常務理事、高杉,南島,成澤各理事、吉村,森川,吉田,戸田(重),占部,糸岐,瀬尾,深見他各委員

 1.委員会の活動方向について
(1)内容を強化して問題が起きた時対処できる組織作りをしたい。
(2)会員相互の融和をはかるたの、性格の異なる行事を開催し、なるべく多くの会員に出席してもらう。
(3)第1,第2委員会は必要に応じて会議を分ける。

 2.事業計画について
(1)非会員対策
 (イ)部会毎非会員薬局名を提示する。
 (ロ)研修会出席者名簿記入を管理,勤務薬剤師別にする。
(2)新規入会員の指導
 (イ)入会のしおりを作る。
 (ロ)入会者がある人数になれば、年数(1年又は3年未満)で法規の説明を薬務課の応援で行う。
 (ハ)医薬品券のメリットを説明して、小売商組に入会を勧める。
(3)未組織B会員対策について
 (イ)急患診療出動者(勤務を除くB会員)の組織化のため成澤理事へ協力要請。
 (ロ)成澤理事より出動状況の説明あり
    A会員 42名
    B会員 23名(勤務部会会員数72名中)
    49名(末組織B会員数118名中)
    C会員 4名(会員数25名中)
    計 118名
    勤務以中のB会員の出勤者中より、新たに急患委員を選任(理事会にはかる)し、組織委員会へ協力させたい。
(4)薬局に勤務している薬剤師の調査のためアンケートを実施する。
(5)納涼船を実施する。
(6)ソフトボール大会を実施する。
(7)ボーリング大会を実施する。
(8)業界のアピールとしてボランティア活動も必要である。(県薬に質問する)。

〇第1組織委員会

 日 時 昭和63年6月8日(水)
 場 所 市薬会館会議室
 出席者 竹尾副会長、高杉理事、森川,深見他,占部各委員

 1.非会員対策について
(1)理事会を通し事務長が県薬務課の資料よりチェックする。
(2)部会長が会員,非会員のチェックする。
(3)薬事協会等の名簿よりチェックする。
(4)入会のシオリを作成する。

 2.部会の活性化について
 博多支部では、部会活動が成功しているので、博多支部の会員用,部会長用の連絡用紙等を参考にし、部会活性化をはかる。

 3.納涼船について
 検討した結果申し込み時期が悪く今回は中止する。

 4.ソフトボール大会について
 9月18日(日)武田薬品グランドで実施する。

〇第2組織委員会

 日 時 昭和63年6月8日(水) 午後7時
 場 所 市薬会館会議室
 出席者 戸田常務理事、南島理事、戸田(重),吉田,吉村各委員

 1.63年度の目標について
 非会員対策、特に勤務薬剤師(薬局に勤務する)の掘り起しと入会促進。

 2.上記の目的でアンケート調査を行うにつき、その内容を検討した。なお、アンケート調査案は6月24日の理事会にかける。

「薬局委員会」

 日 時 昭和63年5月25日(水) 午後7時
 場 所 市薬会館会議室
 出席者 竹尾副会長、松枝常務理事、冷川理事、篠崎,本村,青谷各委員

 1.事業計画について
(1)医療法及び薬事法改正に伴う薬局の整備と適正化
(2)医薬品の適正な流通と管理による安定化
(3)健康事業への参加
(4)薬と健康の週間行事への参加
(5)公衆衛生,薬害防止運動への参加
(6)OTC浮上策
 以上の件につき協議した。

 2.年間計画について
(1)能古島にて民間保育園健康部会の野草採集会を実施 5月31日
(2)薬局薬剤師研修会  6月実施
(3)漢方研究会     7月 〃
(4)薬草観察会     9月 〃
(5)福岡市健康週間行事・各区健康フェア 10月実施
(6)漢方研究会    12月 〃
 以上の予定で事業を行う。

 日 時 昭和63年6月15日(水) 午後7時15分
 場 所 市薬会館会議室
 出席者 竹尾副会長、松枝常務理事、冷川理事、篠崎,国武,本村,青谷各委員
1.薬局薬剤師研修会について

 日時 7月7日(木) 午後7時
 内容(1)日薬ライブラリー映写
 (イ)専門職としての薬剤師
 (ロ)開局薬剤師のマナーとエチケット
 (2)講濱「OTC薬局の今後」
 講師 竹尾副会長

 2.漢方研究会について
 日時 7月26日(火) 午後7時
 内容 生薬の組織培養の現況
 3.誤食誤飲事故対策ポスター作成について
 継続して検討する。

「社保委員会」

 日 時 昭和63年4月4日 正午
 場 所 市薬会館図書室
 出席者 宮崎常務理事、正岡理事、大庭,有田,清水,岩穴口,小野,山口,藤田,入江,占部各委員

 1.3月23日の社保説明会の反省
 2.レセプト審査
 3.指導箋の今後

 日 時 昭和63年5月6日(金) 正午
 場 所 市薬会館図書室
 出席者 宮崎県薬理事、正岡常務理事、小野,藤田各理事、入江,山口,清水,岩穴口,有田,大庭各委員

 1.レセプト審査
 新請求様式,コンピューター

 日 時 昭和63年6月4日田 正午
 場 所 市薬会館図書室
 出席者 正岡常務理事、小野理事、入江,清水,鶴原,岩穴口,川畑,大庭各委員

 1.63年度事業計画の確認
(1)備蓄薬品リスト10月作成予定‥・藤田
(2)若松地区の見学
 2.25,000円以上の明細書のコピー添付の件は、まだ未定である事を各支部確認すること。
 (県薬社保委員会の決定をもって各薬局に知らせる。)
 3.国保明細書における男,女記載の確認

P> 日 時 昭和63年7月4日(月)正午
 場 所 市薬会館図書室
出席者 正岡常務理事、藤田理事、山口,川畑,大庭、岩穴口,鶴原,清水,入江,藤野,平島各委員

 1.編テツ順の変更
 2.処方コピーに関する注意事項
(1)(処)の未記入
(2)処方欄の計算及び走書きは消してコピーする事
(3)約束処方と誤解されやすい記載は訂正してもらう事
 3.屯用の計算は従来通り、但し内服の計欄は/とする事。

「急患委員会」

 日 時 昭和63年5月18日(水) 午後7時
 場 所 市薬会館図書室
 出席者 高倉副会長、藤下常務理事、成澤理事、馬場,北島,小松,竹崎,深見(朋)各委員

 1.年計表について
 58−59年末では伸びているが、59年以降は横ばいである(患者数)。
 2.出勤表について
(1)出動表作成方法について説明
(2)B会員(勤務を除く出動者)の組織化を検討。
 3.薬局業務質疑応答集について
 県薬の救急医療委員会で作成したものであるが、今後続けて発行するかどうかは県薬で討議する。
 なおこの委員会には市薬より成澤,藤下両理事が出席する。
 4.事業計画について
(1)委員会を10回開催
(2)急患センター薬局業務手引書編集の検討会開催
 調剤申し合わせ、中毒対応一覧表等を収載し、他の急患センターのモデルとなるものを作成したい。
(3)新規出動希望会員のための説明会を随時開催
(4)医薬品集第4版発行に伴い、看護婦さんとの研究会開催

 日 時 昭和63年6月28日(火) 午後6時30分
 場 所 市薬会館会議室
 出席者 藤下常務理事、成澤理事、馬場,北島,小松.竹尾(真),深見(朋),打越各委員

 1.打越新委員の紹介
 勤務以外のB会員の代表として組織委員会へも協力
 2.新規出勤者について
 吉田和子先生(中原病院)
 3.薬局業務手引書の編集について
 早見表,小児薬用量の見直しが必要である。各委員で分担する。提出期限は7月末。
 4.県薬救急医療委員会の報告
 急患センターへの問い合わせで、中毒に関するデータを集積するため質問用紙を充実する。
 5.その他
 枚,件,剤数の数え方を統一して、業務手引書に収載する。


 <事業報告>

「薬物療法研究会」

 日 時 昭和63年6月22日(水) 午後6時30分
 場 所 市薬会館研修室
 演 題 「脳神経と脳代謝改善剤」
 講 師 山之内製薬株式会社 医療部課長 三宅照久 先生
 出席者135名

 「杜保説明会」

 日 時 昭和63年6月27日(月)午後7時
 場 所 市薬会館研修室
 演 題 「厚生大臣の定める調剤報酬明細書に添付する資料の取扱いについて」
 講 師 社保担当理事、小野信昭先生
 出席者 134名

食べられる野草採集 (薬 草 観 察)

 主 催 民間保育園健康部会
 場 所 能古島
 日 時 昭和63年5月31日
 参集者 民間保育園健康部会 50数名
 協 賛 福岡市薬剤師会
 随行員 九大薬学部助教授 正山先生
      同 大学院生 2名
    市薬剤師会  竹尾,坪根,篠崎,柴田,大庭

 能古島の小林園長さんから御依頼があり、正山先生にもお願いして、左記の随行員が同伴することになった。遠くは小倉の幼稚園の先生も見え、皆さん楽しみにしてあったらしい。

 梅雨のはしりと思われる日が続き、心配していたが幸にも薄曇りの天気に恵まれ、姪の浜港に晴れやかな顔がそろい9時14分の船に乗りこんだ。

 能古島に到着後、数班に分れ、先頭を正山先生しんがりを柴田先生が受けもち、他の者は適当に中間に位置して見晴台へ向って出発した。

 先生達はクサイチゴに舌鼓をうちながら野草を摘み、薬草の説明を聞いたり、ムサシアブミに吃驚したり、園児の土産にとカタツムリをとる方もあり草の生い繁る山道を汗を拭き拭き登られた。

 頂上に到着後、早速みそ汁やてんぷらの料理を3,4人の人にまかせて、その他の先生達には正山先生から薬用・食用に供される草木について、採集したものを示しながら、40分間程講議があった。

 その後、色々の料理された野草を賞味しながら食事を摂られた。我々は一足先に下山した。

 能古の港で皆に再会した時、一日を有益に過せたことへの満足と喜びの顔がそこにあり、別れを惜んで袂を分った。

 末筆ながら正山先生が快よく参加戴いたことに深く感謝して報告を終ります。

 目についた主な草木
 ヌルデ、アカメガシラ、クサギ、タラノキ、テイカカズラ、スイカズラ、クズ、アケビ、ヨモギ、オオバコ、ノビル、クサイチゴ、ウツボグサ、アマチャヅル、メハジキ、チガヤ、アカネ、カキドオシ、 他
    薬局委員 篠崎 正十郎


 <支 部 だ よ り>

「福岡市薬剤師会 中央支部総会」

 日 時 昭和63年6月8日
 場 所 博多城山ホテル

 1.開会の挨拶
 2.支部長挨拶
 3.来賓挨拶
 4.議  事
 第1号 昭和62年度事業並びに決算報告
 第2号 昭和62年度決算認定の件
     監査報告
 第3号 昭和63年度事業計画案
 第4号 昭和63年度予算案及び会費決定の件
 5.そ の他
 A 新入全員の紹介
 B 市薬中央支部遠出委員の紹介
 6.閉会のことば
 7.懇親パーティ

 出席者 来賓 荒巻県薬会長
        古賀市薬会長
        藤原市薬専務理事
        久保田市議
        石原市議
        早麻県議
     会員    27名
     家族・職員 24名

 来賓の方々より御挨拶を頂いた後、会食をしながら抽選会や国武先生がライオンズクラブでアメリカへ行かれた時のお話しをして頂き楽しい一時を過せました事を報告申し上げておきます。
 (記 小野信昭)

福岡市薬剤師会 博多支部総会

 日 時 5月21日(土) 午後5時
 場 所 ホテルクリオコート博多

 総会は、冨永副支部長の司会により、冷川副支部長開会あいさつ。高杉支部長の冒頭挨拶に続いて、荒巻福岡県薬剤師会会長、竹尾福岡市薬剤師会副会長並びに花田博多保健所所長よりそれぞれ来賓祝辞が述べられた。次いで、山口利英議長のもとに議事に入り、報告事項、議案はいづれも承認可決され、最後に任期満了に伴う役員選挙が行われた。新三役、監事は下記の通りです。

 役職名  氏 名  薬局名
 支部長 高杉正典 高杉調剤薬局
 副支部長 富永雄造 富永薬局
 〃   山口利英 千鳥橋薬局
 会 計 蔵元良行 聖和堂薬局
 監 事 細井徹一 住吉薬局

 総会終了のあと懇親パーティが催され、来賓として、田村博多区医師会会長、葛西博多区歯科医師会会長(代理)、井上、新宮各県会議員、北岡,友杉,南原各市会議員が出席和気あいあいとして盛会を極め、当日の全日程を終えた。

 当日の総会において決定の昭和63年度事業計画は、下記のとおり。
◇ 63年度事業計画
 @ 支部組織の確充。
 A 部会活動の促進。
 B 研修事業への積極的参加。
 C 二師会との積極的対応。
 D 政治力の高揚。
 E 会員相互の親睦促進事業。
 F 急患医療、学薬への積極的参加。
◇部会別出席者数
  部会名  会員数 出席者数
   浜    12    8
 千代・吉塚  15    8
 博 多 西  14    3
 博 多 東  12    7
 博 多 南  16    13
 住   吉  13    8
 月   隈   5    4
 板   付   7    0
 雑   餉 16     9
  出席会員数 60名
  来   賓10名
   合 計  70名
            (記 高杉正典)

福岡市薬剤師会 南支部総会

 日 時 5月7日(土) 午後7時
 場 所 和風レストラン「秋」

 出席者数 28名
役員の改選
 支部長 有田俊雄
 (S24.熊本薬専卒,井尻部会)
 副支部長 大庭秀臣
 (S38.徳島大学卒,大橋部会)
 会 計 瀬尾 隆
  (S48.福大卒,長住部会)
           (記 高倉 博)

福岡市薬剤師会 東支部総会

 日 時 昭和63年4月10日
 場 所 リーセントホテル

 出席者数 22名
 来 賓 林武彦県議会議員
    古賀市薬会長
    藤原市薬専務理事
 1.開会挨拶
   馬場勘二,馬場正守両先生黙寿
 2.来賓挨拶
 3.報告事項
 @ 事業報告 井原先生
 A 理事報告 正岡先生
 B 各委員会報告
 C 代議員会報告
 D 会計報告
 E 支部役員改選の件
  支部長  松井昌也(徳松薬局)
  副支部長 村田博昭(村田薬局)
   〃   藤野哲朗(藤野薬局)
  会 計  入江理裕(セイイ薬局)
  各 委員 薬局  篠崎正十郎
       杜 保 入江理裕,藤野哲朗
       急患 馬場正佳
       組織第1 松井昌也
        〃第2 吉村きく子
           (記 松井昌也)

福岡市薬剤師会 西支部総会

 西支部、最後の支部総会を下記の場所にて開催を致しました。支部会員の御協力を得て全て、無事に終ることが出来ました。報告とともに御協力いただいた事に感謝致します。

 日 時 5月24日 午後6時
 場 所 福岡市薬剤師会館3F研修室
    セントラルホテル(懇親会場)

 出席者数 46名
 通常の議題に賛同をいただいた後、西区の3分割について、会員の先生方に協議を充分にいただき、3分割を決議致しました。
 早良支部(早良区)
  西新部会,原部会,早良部会
 支部長 南島敏彦
 城南支部(城南区)
 別府部会,友泉部会,七隈部会
 支部長 深江暉夫
 西支部(西区)
 姪浜部会,壱岐部会,西部会
 支部長 吉田 斌

 前記の様に、支部を行政の線引き通りに分割する事を決議いただき、新しい支部長さんも決定致しました。市薬にも誕生したばかりの新支部に、あまり負担がかからぬ様、折を見て、お願いをしたつもりです。三支部の事業計画も一致する所が多く、中でも、支部,部会組織の建てなおしと充実の為、支部会則,部会別等を(市薬剤師会細則一部改正の1部第1章 会員の所で部会長及び支部長は前項の入会申込書の進達をそれぞれの部会もしくは支部の議を経て……)1部前記改正を盛り込みながら、組立てられて、今年獲得した部会権限と、それに伴う責任と、部会,支部活動に参加いただく各会員の先生方の義務を、新支部のために、歯をくいしぼって、先生方1人、1人の力を活動のため燃焼いただければ、新しく三つのコンパクトに団結した、各支部が、出来上ってくると思います。
            (記 占部 吉幸)


 <社団法人 福岡市薬剤師会 役員紹介>

 正・副会長,監事 略歴
 「会  長」
 古賀 隆 先生
 S3年5月29日生
 S25年 熊本薬学専門学校卒
 元福岡市薬剤師会 理事
 元福岡市薬剤師会 専務理事
 福岡県薬剤師全 副会長

 「副会長」
竹尾啓二 先生
 S3年8月25日生
 S24年 熊本薬学専門学校卒
 元福岡市薬剤師会 常務理事
 福岡県薬剤師会 常務理事
 福岡県小売商業組合 副理事長

 「副会長」
高 倉 博  先生
 S5年9月9日生
 S30年 星薬科大学卒
 元福岡市薬剤師会 常務理事
 元福岡市薬剤師会 南支部支部長

 「〔副会長」
長谷川 宏 明  先生
 S13年1月11日生
S35年 長崎大学薬学部卒
 済生会福岡総合病院 薬剤部長
 元福岡市薬剤師会 常務理事
 福岡県病院薬剤師会 理事
 福岡市薬剤師会 勤務部会 理事

 「監  事」
 日高賢志 先生
 S4年10月25日生
 S26年 熊本薬学専門学校卒
 福岡逓信病院 薬剤部長
 福岡市薬剤師会 勤務部会 学術委員長

 「監  事」
 磯田正之 先生
 S2年5月2日生
 S22年 熊本薬学専門学校卒
 元福岡市薬剤師会 理事
 元福岡市薬剤師会 東支部支部長


 <一度は泣きました。二度は泣きません!>

 市薬会員の皆さん、日薬誌の中の−薬連ハイライト−「もう、泣きません!」読まれましたか?

 前回の選挙で次点に泣いたばかりに昭和58年の健康保険法改正の時、その中に薬剤師職能が取り入れられずにくやしい思いをした事と、昭和59年9月当選以来の石井議員の素晴しい活躍が私達会員向けに詳しく書いてあります。

 先日、後援会名簿の用紙と一緒に私達の手元に送られてきた、“石井道子後援会入会のしおり”は一般の人向けに作られていますので、−石井道子の最近の活動から−というところを読んでみても、石井議員が私達薬剤師のために、どれ程の活動をしてくださったのか詳しく書いてはありません。

 そして、後援会員獲得の福岡市薬目標達成のためには、市薬会員の皆さんに是非とも石井議員の活動を知っていただく事が必要です。

 なかでも、前回の選挙を知らない会員さんのなかには「石井道子!石井道子!と言われても、だいたいどういう議員さんなのか良く知らないわ。」という会員さんも多いのじゃないかと思われますので、ここに日薬連幹事長 高橋輝一郎氏が書かれたものを転載いたします。

 是非、御一読下さい。“後援会員獲得1会員100名”は誰のためのものでもありません。私達、薬剤師のためのものです。

 100名集めてしまった方も、まだの方も、「Don’tstop!!ザ後援会」で何としても、9月末日の集計迄には、市薬目標を達成したいものです。 
 (記 木原)

 石井道子参議院議員の最近の業績

 1.カタログ販売(通販)につき行政指導基準確立の支援
 2.中医協の調剤報酬アップを支援
 3.新型間接税における日薬要望事項の実現方尽力中
 4.医薬品情報センター補助金制度の新設
 5.薬局等構造設備規則改正に伴う医薬品試験検査委託制度の実現
 6.医薬分業推進基盤整備費の予算化
 7.医療法
 @ 薬剤師・調剤・薬局・薬事を明記
 A 医療審議会への薬剤師の参加
 B 付帯決議に「薬剤師の役割」を明記
 8.老健法
 @ 審議会へ薬剤師の参加
 A 老人保健施設基準における薬剤師配置,医薬品管理規定等の明記
 9.保険調剤報酬(社会保険診療報酬)に係る個人事業税の非課税措置の存続


 <石井道子後援会名薬獲得状況>

      石井道子後援会名薬獲得状況(7月8日現在)        
             
東  支  部   早 良 支 部
部会名 会員数 獲得者 入会者数 目標 達成率
(%)
  部会名 会員数
者数
入会議数 目標 達成率(%)
和     白 9 3 225 900 28.1   西     新 23 6 269 2300 11,6
香     椎 22 3 90 2200 5.3   22 12 698 2200 31.7
名     島 17 3 115 1700 8.2   早     良 14 6 140 1400 10
箱     崎 12 0 0 1200 0   59 24 1107 5900 18.8
馬     出 8 3 88 800 12.6   西 支 部
68 12 518 6800 7.6  
博 多 支 部   姪     浜 12 4 778 1200 64.8
  壱     岐 12 11 1374 1200 114.5
西 14 11 436 1400 31.1   西 9 3 148 900 16.4
住     吉 13 11 478 1300 36.6   33 18 2.3 3300 69.7
12 9 610 1200 50.8   南  支 部
16 15 610 1600 38.1  
12 10 757 1200 63.1   長     住 11 6 291 1100 15.5
月     隈 5 5 692 500 1384   高     宮 8 6 134 800 16.8
雑     餉 18 13 694 1800 36.3   野     間 19 3 241 1900 12.7
千代・吉塚 15 11 784 1500 25.4   大     橋 11 1 100 1100 9.1
板     付 7 6 390 700 55.7   井     尻 13 8 347 1300 9.8
112 91 5451 11200 48.7   62 24 1113 6200 18
中 央 支 部    
  A会員総計 470 182 12760 47000 27.1
春     吉 19 7 494 1900 25.4    
大     名 19 5 201 1900 10.6   B会員(勤 務) 80   1244   15.5
天     神 9 1 60 900 5.6    (その他) 130 8 579   4.5
警    固 17 9 129 1700 7.6   210   1.823   8.7
簀子 ・ 当仁 14 1 50 1400 3.6    
六  本  松 11 3 625 1100 69.4   不     明     77    
平     尾 17 6 234 1700 13.8    
106 32 上793 10600 16.9   メ ー カ ー 43 16 735 4300 17
城 南 支 部    
  12 10 2742 1200 22.8
別     府 8 3 156 800 19.5    
友    泉 13 5 186 1300 14.3   全  合  計 735   18137 73500 24.7
七     隈 9 3 136 900 15.1                
30 10 478 3000 15.9                



 <石井道子後援会名簿100名以上獲得した人>

  石井道子後援会名簿100名以上獲得した人(7月8日現在)  
   
薬局名又は氏名 支部(部会) 票数   薬局名又は氏名 支部(部会) 票数
求@タ ケ オ 西(姪 浜) 510   は な た れ 博(住 吉) 110
シ テ ィ ー 博(月 隈) 351   天  満  町 〃(千代・吉塚) 109
給g田薬局下山門店 西(壱 岐) 345   聖  和  堂 〃(住 吉) 106
〃  丸共店 〃(  〃 ) 330   東  光  寺 〃(板 付) 105
〃  南 店 〃( 〃 ) 326   有     田 南(井 尻) 105
(株)森川誠心堂 博(千代・吉塚) 294   成     澤 B 104
大     濠 中(六 本 松) 291   高 杉 調 剤 博( 東 ) 101
古     賀 〃(  〃  ) 215   加     藤 東(守口 白) 100
新  生  堂 博(雑 餉) 169   敬  天  童 博(千代・吾塚) 100
フ ジ タ 寿町 =i 〃 ) 156   双     和 〃( 浜 ) 100
白  十  字 中(大 名) 153   呉服町調剤 〃( 〃 ) 100
城     戸 B 150   去葛P宏寿堂 中(春 吉) 100
カ ル シ ウ ム 博( 浜 ) 147   大     庭 南(大 橋) 100
フ ラ ワ ー 博(月 隈) 130   四  箇  田 早( 原 ) 100
上人橋薬局若久店 南(野 間) 130   〃( 〃 ) 100
求@青 々 園 西(壱 岐) 120   有     馬 〃( 〃 ) 100
迫     田 B 120   中     野 西(姪 浜) 100
樺ゥ日調剤 博( 南 ) 119   藤     本 B 100
鋸a光薬品 中(六 本 松) 119   梶@ 松  枝 中(簀子・当仁) 100
松     尾 早( 原 ) 114   長     住 南(長 住) 100
古賀薬局支店 中(春 吉) 113   大     阪 早(西 新) 100
フ ジ ワ ラ 西(姪 浜) 110          



 <女子薬ホットライン>

 5月29日、三鷹ホールで開催された福岡県女子薬剤師会総会に於いて、大変嬉しいことに城戸先生が福岡県女子薬剤師会会長に、そして山手先生が福岡支部長になられましたので、ここに御紹介いたします。

 皆さん、しっかり応援しましょう!! 女性の先生ですので、生年月日をうかがうのは差しひかえましたが、卒業年次だけはシッカリ書かせていただきました。

 「福岡県女子薬剤師会 会長」
 城戸嘉寿子先生
  (社)福岡市薬剤師会 試験センター
  (社)福岡市薬剤師会 理事
   S31年 共立薬科大学卒業

 「福岡県女子薬剤師会福岡支部支部長 」〕
  山手嘉子先生
   簀子当仁和会 山手薬局
   福岡市学校薬剤師会 理事
   S32年 九州大学医学部薬学科卒業




 <昭和63年度 入 会 者>

        昭和63年度 入 会 者  
        (6月1日〜6月30日)  
         
  (A会員)        
支部名 会 員 名 店   舗   名 住     所
七   隈 豊 原 伸 一 豊    原    薬    局 早良区野芥2ー26−27
平 野 健 二 サ ンキュード ラ ッグ有田店  有田2ー9ー12
原 田 温 子 原    北    薬    局  南極5ー4−17
壱   岐 川 原 重 行 姪 浜 薬 局 拾 六 町 支 店 西区拾六町767−2
井   尻 林 田 美智子 井 尻 百 草 園 薬 局 南区横手2ー18−11
 
一 般(販) 泉   正 美 ホ  ジ  ン  薬  品   南区屋形原180ー2
細 野   誠 日   動  薬 一  品   博多区那珂3ー23−2
(B 会員)        
  安河内 尚 登 福岡市立こども病院感染症センター 柏屋郡久山町大字猪野1098
  吉 田 和 子 社会保険医療協会仲原病院 東区千早5ー17ー13ラブラース井手302
  鬼 崎 ひとみ 日 本 た ば こ 産 業 
福 岡 保 群 管 理 セ ン タ ー
筑紫野市二日市16ー40
  宮 崎 千登世 宮  崎  内  科  医  院 南区寺塚1−7ー48
  江 頭 邦 明 友  愛  調  剤  薬  局 早良区野芥2ー9ー6
  楠 本 智 子 別  府  調  剤  薬  局 早良区荒江3−33ー1 6213号
  稲 葉 時 子   中央区草春江2ー14ー324



 <会 務 日 誌>

昭和63年
1月4日 薬業年賀会12:00ステーションプラザ
  5日 社保委員会13:00
  6日 63年度予算案予備会議13:30(古賀,藤原,三津家)
  8日 正副会長会12:00
  〃  太田誠一新春の集い14:00国際センター(古賀,他)
  〃  試験センター問題で神谷県薬会長と懇談16:00県薬会館(古賀,堀江,栗田,藤原)
  11日 組織委員会18:30
  12日 国保運営協議会15:00セントラルホテル(古賀)
  〃  新薬研修会19:00県薬会館
  13日 市卸役員会17:00八仙閣(古賀)
  〃  広報部会18:30
  15日 ボーリング大会10:00博多スターレーン
  16日 三役会(第8回)15:00
  〃  部会連絡協議会(第2回)16:30
  17日 保険薬局セミナー13:30県薬会館
  18日 試験センター人事について協議15:00(古賀,藤原)
  19日 商組福岡ブロック研修会14:00 市薬会館
  〃  薬局委員会19:00
  21日 会館問題特別委員会19:00
  22日 薬局薬剤師研修会19:00 市薬会館
  23日 勤務部会研修会14:30八仙閣(栗田)
  25日 三役会(第9回)17:00
  〃  理事・監事会(第8回)19:00
  〃  いきいき健康フェア’88実行委員会19:00 県医師会(堀江)
  〃  卸三社訪問(石井道子後援会名簿について)(古賀,二宮)
  26日 浜部会19:00(古賀)
  27日 国保運筥協議会15:00セントラルホテル(古賀)
  28日 原都会19:00(古賀)

2月2日 よかトピア健康館問題について14:30(古賀)
  4日 社保委員会13:00
  〃  三役・支部長会18:30
  〃  県薬支部連絡協議会13:30県薬会館
  5日 急患委員会19:00
  6日 七隈部会19:00(藤原)
  9日 薬事講習会19:00(都久志会館)
  10日 学術委員会18:30
  12日 姪浜部会・壱岐部会・西部会19:30(古賀,藤原)
  13日 高宮部会14:00 (古賀)
  15日 月隈部会19:00 (藤原)
  16日 新薬研修会19:00県薬全館
  17日 よかトピア健康館打合わせ会13:45セントラルホテル(古賀,藤原)
  〃  学術研修会18:30市薬会館
  18日 弁護士相談(定款について)15:00(藤原,戸田)
  19日 くすりのミドリ十字中山氏面談10:30(古賀,藤原,戸田)
  〃  商組福岡ブロック研修会13:00市薬会館
  〃  商組福岡支部と市薬との懇談会15:00(堀江,他)
  〃  第45回国民体育大会福岡市実行委員会設立総会15:40 福岡銀行(古賀)
  〃  市薬勤務部会例会18:00三鷹ホール
  〃  広報部会18:30
  22日 薬局開設更新説明会14:00市薬会館
  〃  県薬代議員予備会議19:00市薬会館
  24日 くすりのミドリ十字問題にて原部会との懇談14:00(古賀,他)
  〃  理事・監事会(第9回)19:00
  26日 よかトピア企画部会13:45セントラルホテル(城戸)

3月1日 三役会(第10回)19:00
  2日 会館問題特別委員会14:30
  〃  戸田家葬儀13:00
  3日 急患委員会19:00
  〃  弁護士相談(定款について)17:30
  4日 杜保委員会13:00
  7日 遠藤議員新春セミナー13:00(古賀)
  〃  商組福岡ブロック研修会13:00市薬会館
  8日 いきいき健康フェア実行委員会19:00県医師会(堀江)
  9日 よかトピア企画部会16:00 歯科医師会(城戸,大久保)
  10日 薬局委員会19:00
  11日 よかトピア企画部会13:30セントラルホテル(城戸)
  〃  厚生省薬務局企画課藤井課長補佐来訪17:00
  〃  急患診療医薬品集編集委員会18:30
  12日 第17回臨時代議員会14:30
  13日 薬剤師卒後研修会13:00県薬会館
  14日 よかトピア出展表明16:00(古賀)
  15日 新薬研修会19:00市薬会館
  17日 急患診療出勤者懇親会19:00(堀江,藤原)
  18日 県薬杜保連絡協議会13:30県薬会館(宮崎,正岡)
  〃  市薬勤務部例会18:00三鷹ホール
19−20日 いきいき健康フェア’88市立南体育館
  22日 理事・監事会(第10回)19:00
  23日 社保説明会19:00県薬会館
  24日 薬局問題懇談会19:00市薬会館
  25日 県薬支部職員研修会15:30県薬会館(二宮,肥高)
  〃  学術研修会18:30市薬会館
  26日 県薬代議員会11:00県薬会館
  28日 老人保健連絡協議会17:00 アークホテル(古賀)

4月1日 監査会13:30市薬会館
  4日 社保委員会13:00
  5日 よかトピア起工式10:00(古賀)
  9日 いきいき健康フェア三師会17:00国際ホール(古賀,堀江)
  10日 東支部総会12:30リーセントホテル(古賀,藤原)
  12日 新薬研修会19:00市薬会館
  15日 顧問会18:00一条
  16日 福岡市学校薬剤師会総会14:00市薬会館(古賀)
  20日 支部長会(第1回)18:00
  〃  理事・監事会(第1回)19:00
  21日 住吉部会17:30(古賀)
  22日 会館用地譲渡契約16:00市薬会館
  〃  神谷武信氏を慰労する夕べ19:00千草ホテル(栗田)
  23日 第18回市薬代議員会・総会13:30市薬会館
  25日 県薬支部連絡協議会13:30県薬会館
  〃  正副会長会(第1回)19:30
  26日 博多南部会18:30(藤原)
  27日 簀子・当仁部会19:00(古賀)

5月6日 社保委員会13:00
  7日 南支部総会
  9日 正副会長全(第2回)13:00
  〃  挨拶廻り
     市医師会,市歯科医師会,市長室,友池助役,市衛生局,県薬務田ユニック,朝日新聞社,西日本新聞社
  〃  商組福岡ブロック研修会13:00市薬会館
  〃  麻生太郎君をはげます会12:30西鉄グランドホテル(三津家)
  〃  広報部会18:30
  11日 支部長会(第2回)18:00
  〃  部会連絡協議会(第1回)19:00
  13日 よかトピア説明会15:00市薬会館(古賀,藤原,城戸)
  〃  理事・監事会(第2回)16:30
  17日 新薬研修会19:00市薬会館
  18日 急患委員会19:00
  19日 福岡市計量普及会総会10:30計量検査所(城戸)
  20日 市薬勤務部会例会18:00三鷹ホール
  21日 博多支部総会17:00ホテルクリオコート(竹尾,藤原)
  〃  春吉部会18:00(松枝)
  24日 広報部会14:00
  〃  西支部総会18:00市薬会館(古賀)
  25日 薬局委員会19:00
  26日 組織委員会19:30
  28日 山崎拓「自民党広報委員長就任を祝う会」12:00ホテルニューオータニ(高倉)
  〃  北九州市薬代議員会18:00(竹尾)
  31日 薬草採集会(福岡市民間保育園部健康部会)能古島(竹尾,他)

6月3日 福岡銀行口座移転について14:00(古賀,高倉,藤原,三津家)
  4日 社保委員会13:00
  6日 よかトピア実行委員会17:00玉屋別館(松枝,藤下,城戸)
  7日 三師会18:00三光園
  8日 中央支部総会18:00城山ホテル(古賀藤原)
  〃  組織委員会19:00
  11日 県薬臨時代議員会13:30県薬会館
  13日 学術委員会18:30
  〃  よかトピア総会14:00歯科医師会館(古賀,竹尾∴藤原)
  14日 新薬研修会19:00市薬会館
  15日 薬局委員会19:00
  18日 市薬勤務部会総会14:30武田薬品(古賀)
  19日 福岡市戦没者合同追悼式13:00市民会館(藤原)
  20日 支部長会(第3回)19:30
  22日 常務理事会18:00
 〃   薬物療法研究会18:30市薬会館
  23日 よかトピア実行委員会13:30玉屋別館(藤下,城戸)
  24日 理事・監事会(第3回)19:00
  27日 社保説明会19:00市薬会館
  30日 よかトピア総会14:00歯科医師会館(古賀,竹尾,藤原)


 <訃  報>

若狭半吉 先生
   簀子当仁部会 去瘠キ屋薬局
 薬業界最高齢者の先生が6月9日永眠されました。
 明治8年7月5日生享年102才
 謹しんで御冥福をお祈り致します。

 <お 知 ら せ>

 @ 薬物療法研究会
    日時 8月17月(水)  午前6時30分
    場所 福岡市薬剤師会館 研修室
    講師 佐渡島先生(九大二内講師)
 A 市薬ソフトボール大会
    日時 9月18日(第3日曜日)午前9時 スタート
    場所 武田薬品グランド
      参加お願いします!!


 <「川  柳>

博 多 人 形

 ◇カタログと  チラシ販売  どこに差が

 ◇医療法  誰れが変えるの 日和見で

 ◇お祭りで  売り上げ上がれば  よかトピア

 ◇店頭で  悩み聞くのも  いい薬

 ◇奥方に  叱られ上手が  役員に

 ◇後援会  名簿集めは  誰れのため

 ◇会報で 人を知るのも  又楽し

 ◇広報に  女のパワー  期待され

 ◇代議員  女名前が  見つからない

 ◇後援会  子供の友にも  ケーキ出し

 ◇カレー見て  お出かけですか  お母さん

 ◇店先きで  薬は売らずに  油売り


 <編 集 後 記>

 〇今まで市薬では、「市薬広報」と「福岡市薬会報」とに分けて発行しておりましたが、会員の皆様により一層親しんでいただける広報を目指して、今号より「市薬会報」に一本化してお届けすることに致しました。発行月は、従来通りの奇数月とし、1月号と7月号は特別号の予定ですので"“会員のひろば”へのご寄稿御待ち申しております。

 ○「もしもし、私は市薬広報担当の木原と申しますが……」と言う突然の電話に、今回ご寄稿下さいました先生方は本当にびっくりされた事と思いますのに、このような素晴らしい原稿をお届け下さいまして本当にありがとうございました。

 そして、自分には関係の無い事だとお考えの先生方、次回は先生のところへお願いの電話を掛けるかもしれません。

 その節は、どうぞつれないお返事はなさらないで下さいませ。       (木原)

昭和63年7月31日発行
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
 社団法人 福岡市薬剤節会
     TEL O92−714−4416
 発行人  古 賀   隆
 編集人  木 原 三千代