■ 巻 頭 言
年頭に寄せて (社)福岡市薬剤師会 会長 古賀隆

会員の皆様、お健やかに新年を迎えられたことと思います。本年は、1980年代の最後の年を迎えることになりました。10年ひと昔と申しますが、10年前と言いますと、記念すべき会館建設に着手した年であります。前号に記しておりますように、当時は諸般の事情で試験センターの厚生大臣指定は成りませんでしたが、これも昨年指定を受けることが出来、大きな肩の荷をひとつ下した気持であります。

今後は運営面において、内容の充実に努めていかなければなりません。そして会館建設10年目のこんにち、西鉄高架事業による用地売却及び補償問題について、数年にわたる折衝の末、愈々本年、現在の会館を取り壊し、新しい会館を再び建設することになりました。建設について、同じ建て替えるなら、狭隘に悩んでおりました研修室をワンフロアーに拡張して4階建にすることとし、研修事業の強化に備えたいと思います。

これまでに、プロジェクトチームによって綿密な計画を練り.現在本設計、本見積りの段階に入っているところです。予算的にも限られておりますので.無駄を省き、機能性を重視して最良の会館に仕上げるよう努力致します。本年中には新しい会館が完成する予定であります。

ここ10年間の国民医療費の推移は、1979年に10兆9500億であったのが、本年度は20兆円を超えると予測されます.その中で薬局の調剤医療費は、1974年の分業元年を境に急速な伸びを示し、10年前に1155億に運し、これも恐らく今年は3800億を超えると思われます。金額、枚数ともにほぼ3.7倍の伸びを示しております。この事実は、明らかに分業が進展していることを示唆しております。

厚生省は昨年終了したモデル地区事業に続いて、「医薬分業推進基盤整備事業」を5ケ年計画で始めており、特に国立病院を中心として、積極的に院外処方箋発行を推進する考えです。市薬においても出来ることから、出来る所から応需態勢と面分業を進めていく必要があります。これも、これからの課題であります。

扨て1980年代には、さまざまな出来事がありましたが、中でも我々薬剤師にとって特筆すべきことは、1984年、参議院に石井道子議員を誕生させたことであります。これも雌伏18年、漸やく勝ち取った議席であります。

この一点の灯は、薬剤師の未来を左右する大切な灯であります。絶対に消してはならない灯であります。そして、この灯を消すも消さぬも薬剤師あなた白身の自覚と行動にかかっでおります。愈々その選挙は今夏に行われます。ゴールはまさに間近です。残された最大の条件、後援会員獲得数について昨年11月の日薬集計では、目標の僅か37%です(最終締切1月末)。このままでは「再選は危ない」が現実となります。この1月に最後の総力を尽くしていただきたい。お願い致します。

1980年代最後の年が、薬剤師発展のステップ元年となりますことを願いつつ年頭の御挨拶と致します。

<特別寄稿>ヨーロッパ随想 福岡市衛生局保健部長 兼中央保健所長 横田剛男

昭和63年10月1日から20日間、公衆衛生事情視察団に加わり、欧州の6ケ国を歩いて来ました。年間600万人もの人が海外へ出かける時代に、今さら旅行記でもないでしょうが、2つ3つ短い間に見聞したことを書いてみましょう。

ヨーロッパは2回目ですが、どの国も5年前とくらべて町並が一段ときれいになっていました。駐車難や車ラッシュは我が国と少しも変りません。しかし輸出大国といわれている割には、日本車がバイク以外にほとんど見当らず、少々期待外れというか意外でした。

あちらの人は信号をあまり守らないようで、男性はヒラヒラと赤信号を無視して道路を横断していましたが、一方ではおばあさんが、悠々とマイペースで歩き、車の方が慌ててブレーキを踏むといった光景が見られました。ジュネーブで聞いた話では、横断歩道を渡らないで車に跳ねられたら、車の方が歩行者を訴えるということで、何が何でも弱者救済の日本とは大違いだなと感心しました。

東西歩み寄りの時代といわれても、ジュネーブやフランクフルトでは、自動小銃を持った兵士の姿を見かけましたし、スイスでは公的機関はもちろん、民家でさえも政府の補助のもとで核シェルターが出来ているとかで、平和ボケした日本では想像もできないことです。パリのオルリー空港で、荷物待ちしている時に、突然腹に響く大爆発音がして、同行の御婦人方の顔色が変りましたが、この音は万一のテロに備えての模擬演習ということでした。

ウイーンは前回一週間滞在した関係で、私の大好きな街です。この国も例外なく老人大国で、男の年寄り1に対して女は3倍ということからもわかるように、とにかく道を歩いているとやたらとおばあさんの姿が目につきます。しかも100kgもありそうな、日本では想像もつかない肥りようで、あまりの大きさに階段を上ったり、市電に乗ったりするのが一苦労ですが、ウイーンの人々は気軽に手をひっぱったり、大きなお尻を押して助けています。おばあさん達も、明るく大きな声で、「ダンケシェーン」と歌うようにお礼を言っています。

そういえば、シルバーシートもあり、席を譲られたら素直に座り、決して断ったりしません。他人の好意を自然に受け入れ、周囲も自然に授助の手をさしのべるというように、社会のルールの確立が日本より進んでいるように思えました。邦人の音楽家の卵達が、猫も杓子も留学したがるウイーンですが、これも住み心地が良い証拠かもしれません。胴体を赤く塗った市電は二輌連結で、運転手が一人で「○○シュトラーセ」、「××ガッセ」と停留所の案内をしつつ、時どき「お年寄りや障害者の方に席をお譲りください。」とアナウンスしています。

あちらでは生水を飲むなというのが常識ですが、ウイーンやフィレンツェのホテルでは水を飲んでも別におなかをこわすことはありませんでした。しかし量が同じなら、水もビールもワインもコーラも同じ値段というのは、水がタダで酒は高いという日本人の感覚からすると不思議な気がしました。

口から入る方はともかくとして、出す方つまりトイレもわずか20円ばかりにせよチップがいるのは、つくづく不便だなあと思います。その上、男性用のトイレの朝顔が、爪先き立ちしないと届かないというのは何とも情けない話で、戦時中の栄養不足の時代に育った影響がモロに出た感じです。御婦人方の間からも、便器に腰かけたら足が床に届かないという話が出ていました。

パリはフランス料理の本場ということで楽しみにして行ったのですが、野菜サラダも高価な割にしなびていて、シャキシャキしたレタスなどを食べつけている日本人にとっては、大いに不満が残ります。好物のソーセージは沢山の種類がありましたが、どれもこれも物凄く塩辛くて、私の舌の感覚では食塩量20g位に感じられ、高血圧や腎障害になるのではと思える程です。しかし馴れというのは恐ろしいもので、帰国する頃にはそんなに辛いと思わなくなりました。

その反対に、タッチュケルクやザハトルテといった有名なウイーンのお菓子も驚いたものの一つでした。その味は砂糖の塊のように甘ったるくて日本人の口には合わないようです。これでは成人病が心配になってきます。

ヨーロッパでは、ワインの種類が多く、値段も日本の何分の一で、毎日昼間から飲みましたが、一年のうちで、一週間位しか手に入らないというワインの前段階の「ムー」(Mou)というブドーの濁り酒に巡りあいましたが、甘いブドージュースのようで、とても飲みやすく、原地の人も郊外の酒場に乗りこんでは朝迄痛飲していました。

若い女性の観光客が飲みすぎて、足腰が立たなくなることもしばしばとか、この「ムー」に出会ったことはとにかくラッキーといわれ、これも忘れられない思い出です。

ヨーロッパは、イタリーを除いて男色が盛んということで、NATO軍もいることだし、ホモ=エイズの図式が当てはまります。各国の行政機関で、目下の保健行政上の問題は、第一は老人間題、第二がエイズ対策というのもうなずけるところです。

花の都パリには、ベトナム難民の街娼が多いそうで西独のフランクフルトでは公娼制度があって、人口10万以上の都市には法律で「エロスセンター」を置くことを義務づけられており、これによって、性犯罪を減らそうという考えでした。このような場所は駅の裏などで、映画館が密集しているような所にあり、利用するお値段は100マルク(7000円)という話でしたが、日本人は危険だから近寄らないようにと説明され、誰も行った人は居りませんでした。

まじめな話がちっとも出てこなくて、何を視察してきたのかといわれそうですが、WHOを始めとして、6ケ国で9つの保健行政機関や医療施設を訪問し、どこでも暖かく迎えられ勉強してきましたが、それは別の機会に語ることに致します。とにかく、スリや置引きなどに神経をすり減らす必要もなく、水がタダで、トイレにも困らないこんなに安全で白由な国はないと、改めて日本の良さを再認識しました。

その一方で、エジプト、ローマ時代の遺跡、そしてルーベンス、レンブラント、ベラスケス、ミケランジェロ、ラファエロなどの名画や彫刻に接し、壮大な大理石の聖堂や建造物を忘れることはできません。またいつの日か必ずヨーロッパを訪れようと、成田に着くや否や心に誓ったことでした。


 パリ ノートルダム寺院の裏で

<特別寄稿>長寿が時代のテーマに 三共製薬(株)福岡支店 支店長 斎藤功

昨年の日薬学術大会は「高齢化社会と薬剤師」がテーマであり、製薬協広告キャンペーンもテーマが「長寿社会をどう生きるか」であった。長寿社会に関連した講演会、シンポジウムも多くなっている。世界に類をみないスピードで長寿社会を迎える社会のテーマであり文化にかかわっていく問題のように思われる。

この世から病気がなくなると寿命は……。平均寿命はローマ時代22歳であったが1900年50歳、現在74歳と大きく更新されている。これに対し最高長寿の記録は約110歳でローマ時代も現代もまったく変っていない。

生活環境、栄養改善などの社会の変革、医薬品、医療の貢献も大きく従来の死病はほとんど征服された。更に現代病である心臓病、がん、などが征服されると、更に老化も少なくなると寿命はどうなるだろうか。

レストランで使われているたくさんのコップの運命をたどってみると92歳以上の人間の 生存曲線と同じ曲線になる。(注1)。つまりコップは病気はしないが一定の割合で壊れていく運命にある。人間も高齢では事故がいちばんの死因になる。老化のない野生動物も同じ生存曲線になっている。人間の病気がなくなって事故だけに なると寿命は約350年位になるとの説もある。(注2)。

アショフの資料というのがある。4000例の老衰死と云われた死体を解剖すると完全な老 衰死はなく何らかの病気があった。自然死はなく病死であることが判った。と言われている。哲学者セネカの「人間は死ぬのでなく自殺している」と言うことばはこの裏付けであろう。長寿社会は病気、事故との斗いでもある。

長寿社会の対応は……。
寿命の伸び出産率の低下で長寿社会は社会の構造が変る、お年寄りも役割分担をして社会の一つの資源と考えることが先ず必要である。又社会で扶養する考えも改めなければこれから維持出来なくなる。日本人には南の国の海洋民族の特性が残っていて若者中心、若者の情熱を期待する余り、老人を社会的弱者と思うところがあると言う人がいる。しかし日本には儒教の思想もあって老人を尊ぶ教えがある。この考えが逆にお年寄りの特別扱いに発展したとも考えられる。

社会が年令による差別、必要以上の保護をなくしていくことがお年寄りも人生を最後まで生き抜く自覚が生れるのではないか。

健康なお年寄りが増えている。年齢区分も45歳から74歳を壮年、75歳以上を高齢者とすると高齢社会の問題も軽くなる。

問題になっている痴呆性老人と寝たきり老人の数も65歳以上人口の1割に満たない。9割の人は正常な生活をしている。外国には寝たきり老人と言う言葉はなく寝たきりにさせられているお年寄もほとんどいない。

そのためには在宅で私生活をエンジョイ出来る十分なケア、ホームヘルパー制度などの充実が急務になる。

医療費も高齢化が進んでその比率も高まっている。抑制のための方策も強くなっている。

医療の進歩で新しい治療、理想に近づいた新薬開発も盛んである。医療水準が高くなっていく時、国民所得と医療費の比率の問題、健康保険という一律の枠内医療の考え方の再検討の時であると考える。

長寿、高齢化に対する医薬品の貢献は大きくますます必要性が大きくなっている。脳血管系疾患の死因順位が下ったのも降圧剤などの進歩の成果であり、今日の医薬品の開発もほとんどがこの高齢化に関するものになっている。

クオリティ オブ ライフは理想的な薬の表現にもなっているが、広い意味ですばらしい言葉だと思う、豊かな長寿社会は1人1人の問題でありいずれは訪れる全員の問題でもある。


注1.2.…「人間はどこまで長生きできるか」ロイ.L.ウォルフォード著 久保山盛雄訳

参考……1)上記  2)「Capsnle」1988.Na 25 日本製薬工業協会
 

<特別寄稿>九山学会での救急医療担当者協議会について (社)熊本県薬剤踊会 理事 日永田義冶

諸先生新年のお屠蘇をいただきながら、またこの一年、元気な体で薬剤師として社会奉仕できる慶びと新たな包負を胸にしておられることと思います。

ことに鹿児島の先生方はもう頭の隅で、第55回九州山口薬学大会の準備のことなど、チラチラと考えておられることでしまう。9年に1度のことで、開催県の担当者も半数は未経験者かそれに近いものだと思います。いろいろな不安や心配で一杯ですが、人の集りの力は強いもので、名コンダクターが必ずできて最後は大合唱となるものです。

咋年は熊本がお世話させていただきましたが、担当する方としては冷汗の連続でした。なにせ、限られた時間枠の中で幾多の部会や行事を同時進行させるのですから、いろいろなハプニングにあわてさせられることもありました。

そんな中で、昨年の福岡に続いて第2回目の救急医療担当者協議会の準備でしたので、不行届きの点が多かったと思います。この欄をお借りしてお詫び申し上げます。

救急医療撞当者協議会は、その開催時間を大会第1日目の本会議(13:00〜15:30)に掛らぬようにしてくれとの大会本部からの強い要求で、苦労しましたが、ぎりぎり交渉して14:30からなら本会議途中から抜け出してもよいということになりました。各県からの協議会出席者は、当日大会出席者の中から決めるという県もあったり、予定者を変更された県もあり、名札で失礼したところもありました。

とにかく、諸先生方と顔を合わせ、自己紹介を始めるともう旧知の間柄、始終なごやかな雰囲気の中、話題がはずみました。大森先生(熊本市)を議長とし、成沢先生(福岡市)のアドヴァイスをいただきながら、21名の出席者全員による熱心な意見交換が繰り広げられました。地域医療に密着した薬剤師の活動としての救急医療調剤業務が抱える諸問題について、短い時間の中ではありながら、得たものは大きかったと思います。

今回はとくに、医療事故に対する検討ということで、当地の安田火災海上保険サービスセンターの西峯勝課長に臨席してもらい、いろんなケースに対する、薬剤師賠償責任保険の適応といったものにっいてアドヴァイスをいただきました。

その中で、万一事故発生の場合は、医師会の統括する機関内に於いてであっても、可急的速やかに相談してもらえれば、対医師会の折衝も円滑に責任をもって保険会社が行うこと、少なくとも保険期間内(一年)に連絡してもらいたいこと(3年で時効)、基本的なポイントとして、患者が誰を訴えているのか(病院のみか、または病院と出動協力薬剤師両方か)で責任の分担を考えねばならないこと等話し合われました。

ついで、救急医療準備医薬品の管理について、各県薬各支部毎の実情が報告されました。行政主導の北九州市など特別なシステムの地区を除いて、医師の要望と期限切れ薬品を出さないようにする苦労は少なからずあるとのことが話し合われ、各地区で作られている医薬品リストの交換が行われました。中でも福岡市薬の成沢先生から、前年約束されていた医薬品リストの改訂版が出席者全員に配布され、一同その出来映えに感服し、その出版に至るまでの作業や財源などについて質問が続出しました。

短い時間内で意を尽くすことはできませんでしたが、同志として横のつながりをもって集うことの意義を改めて感じた会でした。次回も成沢先生の御尽力に負いながら、お会いできることを楽しみにしております。

バードウォッチングしてみませんか
−鳥達の身上調査−
シリーズNo.2 <ツル>

ツルは日本産のトリの中では最大級の一つ。代表格のタンチョウは全長140cm,翼を広げると240cmにもなる。体は白く、首と翼の一部が黒い。頭頂はタンチョウ(丹頂)の名が示すように赤い。地上にいるときには尾が黒いように見えるが、あれは翼であって尾は白い。

タンチョウは姿の美しさと長寿のシンボルのせいで絵画や物語に登場することが多い。しかし、中には正確な姿をとらえているとはいいかねるものもある。屏風や花札に見られる松とツルの取り合わせがそれである。まことにめでたい図柄であるが、これはどうもツルではなさそうである。タンチョウの生息地で有名なのは釧路湿原であるように、ツルは湿地帯や水田におり、木の枝には止まらない。とすると、木に止まる大型のトリはコウノトリかサギ類が考えられる。もっとも、昔は白くて大きなトリをひっくるめて"ツル"と呼んでいた可能性もある。

日本各地には“鶴”のついた地名も多く、かつてツルは身近なトリであったようだ。

鹿児島県の出水平野はツルの越冬地として世界的に有名である。ここには遠くシベリアや中国の奥地から飛来し、9,000羽を越える。一番数の多いのは首が白く、体が灰黒色のナベヅルで、全世界の80%がここ出水にくるという。出水の魅力は大したものである。次に数の多いのはマナヅルで、目のまわりが赤く、首の前が黒く、後が白い、体はグレーの印象であるが微妙な色合と光沢があり、仲々美しい。その他には1〜数羽でまぎれこむクロヅル、カナダヅル、アネハヅルなどがいる。

夜は水を張った田んぼで大集団で休み、夜明けとともに舞い上がり、家族単位(夫婦と幼鳥1〜2羽)で近くの田畑に採餌に出かける。顆しい数の群れと空に舞う雄姿には圧倒される。

・タンチョウを見たい人へ
鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ:北海道阿寒郡鶴居村 10月〜3月開館
2月中旬から求愛のダンス「タンチョウの舞い」
・出水のツルを見たい入へ
出水荒崎展望台:民宿鶴見亭前の田んぼ11月〜3月

(九大病院薬剤部 野仲範子)

<会員の広場> 巳年にあたって雑感 板付部会 (有)上野薬局 竹下店 上野弥久次

東学の乱にこぢつけた日清戦争も終結。漸く和平の朝鮮に明治三十年祖父が移民(現地第一番の入植者)薬房を開業。父の代は薬局、ラジオ店、時計店を拡げます。私昭和四年三月に朝鮮忠清南道禮山邑に出生の頃は家業極めて安定。隆盛の状況でした。祖父等の尽力で開設された小学校は複式学級で尋常科三組、高等科一組教員五名、児童数百二十名の家族的なごやかなもので幸せにぼんやり過したと記憶します。韓国は天高く乾燥の地で朝鮮の地名が如く鶏鳴時の東天紅の爽やかさは類がありません。又黄金の稲穂をよこぎる秋風の候のポプラのある風物は誰しもの情感をそそります。近頃私も朝の目覚めの一つ時来し方を思い辿りますが何の苦みなく素直に繰り展がるのは彼の地のその頃です。

昭和六年四月大田公立中学校入学、道唯一の進学校でした。

家郷、父母の元より初めて他処し寄宿舎に入り、(舎生百二十名。五年生室長の下八名が同室)やかんの水汲み、ストーブの石炭運び、夜になると上級生の説教。便所迄の廊下、階段での幽霊おどしで消灯後はしとしと涙で枕濡らす日々でした。

三年生位になると体も大きく成り逆に新入生をからかって至極愉快な舎生活になりますが、戦争もいよいよたけなわ軍事教練、動員作業に熱が入り、食料も少く粗悪で殺伐の気風みなぎります。

終戦。昭和二十年十月に博多港に引揚げます。祖父、父等の営々力行の結晶も全て放置した儘と言う次第です。

戦後の最も困難な時期、昭和二十一年四月入学の為名古屋にむかいました。公立名古屋薬学専門学校、現、名市大です。博多−名古屋間の汽車賃十二円。下関、広島、岐阜と乗替え、三十時間程掛けて名古屋着。立錐の余地無いすし詰め、車掌は人の背の上をはって移動する有様で食料の雑穀パンも立った儘食べるのです。

向学心希望に燃えての就学も一日一合八勺の配給。闇値で馬鈴薯一貫目(3.7s)三十円(日雇日当十五円)。下宿では学生皆痩せて階段も手すり伝いで上下する有様。停電は日常的で闇市で買った電池ランプを使用。毛布を頭からかぶり芋かじり乍ら机に向かったものです。

学生には(陸海軍の復員者多し)軍服下駄ばき姿がまじり、それでも皆角帽をかぶり何かしら白由な開放感と、何かなしの希望を持ち休憩時間には教室の後でダンスのレッスンに余念のない者も居る風景でした。

ラジオから「リンゴの歌」が流れ日刊紙には青春小説「青い山脈」が連載され、喫茶店ではズルチン入りのコーヒーで女子学生との語らいです。クラブ活動も漸やく始まり私はサッカーと相撲部に籍を置きましたが、やはりスタミナが無く退部しました。その後、「社会科学研究部」に入部します。

そんな工合で三年が過ぎ第1回目の国家試験を大阪で受けました。就職先はメーカーは少なく保健所の職員と中学校の教員に窓口の有る程度でした。暫く保健所にお世話になりましたが給料安く(八千円位と記憶します)薬局開業が夢でした。

昭和二十七年四月二十三才。念願の開業です。屋号「アサヒ薬局」。当時日商三千円で小家族なら生活出来ると言われていました。店舗立地がアサヒビール博多工場の裏路地でしたのでその三千円がやっとでした。

当時の感冒薬はソボリン。改源、後藤散程度でしたが「アナヒスト」二〇錠小野百円が輸入薬としてデビュー。「コルゲン」三〇錠興和百円、次いで「ルル」三〇錠三共百円「ベンザ」三〇錠武田百円が発売されたのはその後でした。「サロンパス」五十円、百円、シロン百円、共に大入二百円が発売された時は驚きました。いよいよ「アリナミン」の登場です。五mg三百錠が何と千五百円でした。仲々売れません。オロナイン軟膏。同液も発売され後に軟膏丈になります。当然零細な小売ですので全商品定価販売です。コンドームも百円。五十円。二百円。

或る暮のボーナス時に酔客が二百円のゴムを一グロス買ってくれた時は喜びました。そんな時が小売店主にとってのボーナスなのです。当時は開業者もまぼらで支部会の集りの後は必らず親睦会があり大いに飲ませて貰ったものです。無頼の若年者に当るに先輩諸先生の優しみをなつかしみます。

日本経済も高度成長の入口に掛り「割引店」が出て来ました。そのせいか当店の売上げは延びません。生活にも成長が無く家内(私二十八才時にきよみ二十四才と結婚)と相談。国鉄竹下駅通りに貸店舗があったので思い切って移転しました。昭和三十四年三十才の秋です。

私は家賃も払わねばならぬし日商一万円目標でしたが家内はそれは無理との意見でした。処が落付く処が私の目標通りになりました。もうこれで真面目にすれば生活安定です。当時の真からの喜びでした。

近所の「竹下薬局」故大橋先生、「木村薬局」徹夫先生には一端の御迷惑お掛けした事を申し訳なく思ってます。

以後三十年を経ましたが当時のやっと人並に皆さんに伍してゆける思いと、生業の足場作りの出来た充足感、これに優る感動を味わうことはありません。後は惰性で今日迄馬齢を重ねました。然し考えれば日本人に生れた事と、業界(薬)の一人にあれたことを幸せに思います。同業皆様の清福を祈って止みません。

−新年号には巳年(還暦)生まれの先生に原稿をお願いしたくて捜してみましたら、お二人しかいらっしゃらなくて、半ば強引に上野先生にお願い致しました。

<会員の広場> 手帳 千早病院 薬局長 金山一彦

毎年12月の初めになると年の瀬を知らせてくれる人がいる。「薬局長、又例のものを頼みます。」と言って、狭い私の部屋に入ってくる。キョトンとしている私の顔をみて、「アレですよ。アレ。」「ああ、わかりました。アレですね。1年たつのが早いですね。」

彼は仕事に利用するアポイントメントダイアリー、自分が使う大型の手帳、「家内が好きでして」という可愛い子供の絵のカレンダーをここ数年使用している。

私もほとんど同じ手帳を使用する。これといった特徴も無いのだが、左側に予定を書き右側に結果を書く。2年前までは数年間の手帳を残していたが、健康診断で肝機能と糖に赤ランプが付いた時、死後のことを考えて捨ててしまった。今になって後悔している。

手帳には詳しくは書いてないが、これを見ていると、ときどきの自分の状態が良くわかる。“あせるな”“おこるな”“いばるな”“くさるな”“おこたるな”と毎日のように書いている時は精神的に不調な時だろう。好調な時は毎日友人と酒を呑んでいて、天神(○○氏と飲みすぎ)中洲(○○氏とかるく)となっている。“直行”とあるのは、体調が悪くなっていて寄り道なしの帰宅であり、NA(アルコール無し)が週に2日もあれば絶不調のときである。

11月になって、やっと、休み、休みと4日間続いている。久しぶりの旅行である。4泊5日の家内との2人旅は、私の酒呑みを改めて知らせたようなものだった。帰りの車内でコーヒーをたのむと意地悪く、「あら、ビールは呑まないの?」ときた。さすがに呑み疲れていた。

最近読んだ本に書かれている。『病、医院安全経営のポイント』『財務を制するものは企業を制す』などで、あまりにも生活の臭いが強すぎる。これらの本からは生活のゆとりが感じられない。

本といえば、転居の時、ほとんど整理したのに『ああ、男ごころ』という本がでてきた。読みかけていたらしくしおりが挟んであり、ここを開けてうれしくなった。
“夫帰る”という章で、

−帰る。どういうわけか帰る。
どんなに酔っぱらっていても、家に帰る。飲み屋のママに「あら、お帰り?」と声をかけられて「うん。帰る。」と唇をへの字に曲げたものの、ホントは帰りたくない。ホントは、もうちょっと飲んでいたい。が帰る。どうしても家に帰る。ホントにうしろ髪をひかれるような思いで帰る。帰りながら「どうしてこんな思いまでして帰るのだろうか。」と考えた。帰ったところで女房にイヤな顔をされるのがオチではないか!それなのに、なぜ、オレは帰るのだろう?なにもそんなところに、わざわざ帰らなくったっていいではないか…よく知らないが愛人のところに訪ねて行く時は、「帰った」と言わないだろうなあ。あれはやっぱり「来たよ」と言うんだろうなあ。「来たよ」と言うから「いらっしゃい」と言うことになるわけだ。…… 帰る。どういうわけか帰る。どんなに酔っぱらっていても家に帰る。そして叱られる。

「ああ、男ごころ」青木雨彦

これを家内に読んで聞かせたら、「わたし、叱ったことないでしょう。」と言って叱られた。
さて、あと2週間もすれば休める。正月である。コタツに入って水割り片手にこの本をもう1度ゆっくり読もう。

<俳 句>

<会員の広場> 出合いそしてほのぼのする薬局へ 長住部会 花畑薬局 熊沢和子

誰一人として知人も居ない、知らない場所で、資金もなく、信用もない、無い無いづくしの全くの0からの出発だった私が、この二十数年間、色々な試行錯誤を経た今、開局の薬剤師として歩んで来たのを、しみじみ“よかった”と思うのです。ここまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

専門外のこの道にとびこんでいつも二人三脚で助け合ってきてくれた主人の支え無しには築けなかった店だと思います。そして又、素晴らしい開局の先生方との出合いが、私の目を開かせ導いてくださったと思います。

そのお一人 岡山のO薬局の先生
後世方漢方の基礎である陰陽五行説、五行色体表、五臓六腑の相生相剋の理論、そして、それを店頭でどのように活用していくかを、明確にときほぐして下さいました。それは、来店した患者さんの訴えを聞いて、病気の原因は何かのか?どこに問題があるのかを探る重要な目安になります

そのお一入 東京のN薬局の先生
食養の話から、五行に基づいて食物にも五味があり、この五味の調和が身体の健康を保つ、いわゆる医食同源のお話、そして本草学ヘ−。又、気の話で、病気は気が病むことから出発する。開局の人は、薬を渡すのと同時に、患者の精神不安を解消させなければならない。そのための気ばたらきの大切さを教えて下さいました。

そのお一人 京都のW先生
急患センターでの若いお仲間の田中先生に紹介されて先生の講座を受けるようになりました。先生は、五十年かかってつかまえたものを話すのだから、皆さんは五十年節約できると言われます。漢方の奥の深さに驚くばかりで、牛歩のあゆみでとりくんでいます。

先日の新聞で、久山町では、近い将来にむかえる高齢化社会の健康対策のために、中医学院から先生をお招きしてその指導をあおぐことを計画中という記事を読みましたが、予防医学は漢方でと、私も間違いのない方向へむかって歩いている感を強くいたしました。

そのお一人 久留米のS薬局の先生
まだお会いして日が浅いので、今一番心を打たれているのですが、お姿を見て驚きました。観音様のような優しいお顔、そしてまるで禅寺の修業僧のようにピンとのばされた背すじからは、自分へのきびしさがほのみえ。全身から後光を感じました。諸芸一般、文学、哲学、宗教、そして漢方と博識な先生のお話には、五時間の間、魅せられっぱなしでした。宝石のような光る言葉が満ち満ちていました。

「開局の先生方の出来る布施は。“和顔愛語”しか無いのです。」ということ。今迄、協励誌で幾度となく活字で見て来た“和顔愛語”という言葉を、私はいとも簡単に素通りしていたことに気づきました。

“和顔”とは、S先生のような観音様の優しさが、自然ににじみ出た、そしてまわりにあたたかな空気が広がり、その中に包まれた人は、悩みも、苦しみも、不安も軽くなるようなそんな顔なのだと実感いたしました。

“愛語”−病い、老い、死に対する不安をもつ人に、どんな言葉をかけて安心の境地にもっていってあげられるのか、まるで非力な未熟な自分をみました。

S先生には、人間として如何に生きるか!そして子供に何をのこすか!の大きな指標を示して頂きました。

人間づくりは一朝一夕でできるものではありません。背のびしないで、自然に、自分のもてる器で、私なりに“ほのぼのする店”に、ああ、この店に来て良かったと思われる店にしようと思います。

<会員の広場> 生涯を共にしたい三人の恋人達 大名部会 (有)新日本薬局 北島啓子

新年明けましておめでとうございます。

今年は当薬局にとりまして、開局十周年という一つの節目の年でもあります。気持を新たに常に新鮮な気分で頑張って参りたいと存じます。どうぞ御指導の程、宣しくお願い申し上げます。又、薬業界にとっても、一段と厳しい年になりそうですが、皆様の御発展を心よりお祈り申し上げます。

さて、今日は私の趣味について少々お話させて頂きます。

私は、何か新しい事、面白そうな事に対して常にアンテナを張り廻し、キャッチしてはチャレンジするという習性がございます。つまり何にでもすぐ首をつっこむ癖があるのです。といいますのも、私は“やった事の後悔よりもやらなかった事への後悔の方が大きい”と考えますので。

では末永く仲良く出来そうな気がする三人の恋人達を御紹介致しましょう。 最初に、一目ぼれの恋人、“アクアビクス”です。これは水中でやるエアロビクスで、これに出会った時、私は忽ち恋に落ちてしまいました。正に出会い頭の恋という訳です。アクアビクスは、水圧と水の抵抗を利用したとても疲労度の低い効率の良いエアロビクスです。それに、私はもともと水の中に入るのが大好きで(温泉も含めて)、何かホッとすると同時に、忘れたい事や、日頃のストレスなど、全て水が洗い流してくれる様な気がします。

専任のコーチ(これまた美形なんです!)につき、ビートのきいたロックのリズムに乗って、個人個人の体力に合わせて45分間やった後、軽く泳いで、サウナに入った時の爽快感は格別です。そして、その後のビールの美味しい事!これは自信を持って皆様にお薦め致します。老若男女を問わず、皆さんイキイキとやっておられます。

次に、只今深く静かに潜行中の二番目の恋人、それは“中国語”です。今、最も注目されている国、中国。国交回復して十六年、著しい発展と、とてつも無い大きさと、限り無いパワーを感じる中国。中国をもっと知りたい。中国にもっと触れたい。私の中の例のチャレンジ精神がムクムクと頭をもたげて中国語を習い始めて一年半。机上の学習のみならず、現在九大の大学院に留学中の中国人の先生を囲んで、中国の歌を唄ったり、中華料理に舌つづみを打ちながら、中国式の食事のマナーや食生活の習慣、医食同源の事、薬膳の事、満漢全席についてなど、片言の中国語を交えての宴の楽しさ。

その仲間の内には、中国語を学ぶうちに、中国への憧憬が慕り、居ても立ってもいられず、サッサと仕事を辞めて中国に行ったっきり半年にもなるというさばけた方もおられます。その方は、中国の山中に籠り、暫くの間仙人の様な生活も経験なさったとか。その方から定期的に届く生の中国事情を知るのも、大きな楽しみの一つです。

又、ボケ(私にはいささか早いかもしれませんが転ばぬ先の杖ですから)を遅らせるには、何かを記憶しようとする作業が非常に大切です。その点、語学を学ぶ事は趣味と実益を兼ね、理に叶うと思います。

中国語は発音とイントネーションが難解で仲々思う様に上手になりませんが、まあ気長に中国四千年の歴史でも紐解きながら、アフターレッスンの楽しさを支えに、現在計画中の五月の北京、上海、西安への修学旅行を楽しみにする毎日です。

では、最後に、少々気難し屋で、思い通りになってくれませんが、噛むほどに味わい深い、いわばいぶし銀の魅力を放つ三番目の恋人、それは“ゴルフ”です。やり始めて七年余り…。なのにこのスコア。はっきり申しまして、どうも才能は無い様です。ま、練習嫌いのコース好きですので致し方ありませんが…。

しかし乍ら、プレイ自体の楽しさ、奥深さに加え、四季節々の海辺や山々の白然の素晴しさ、鳥のさえずり、ちょっぴりシミを気にしながらの日光浴、林に打ち込んでこそ出来る森林浴、時には砂漠の中のオアシスの様に思える茶店での一息……とにかく楽しさ満載です。

今は、多くを望まず、1ホールに一度のナイスショットorパットで満足する様に心掛けています。そして、あまり上手になり過ぎず、皆様から愛されるプレーヤーを目指したいと心得ます。

人間は、頭ばかり使い過ぎても、肉体ばかり駆使し過ぎても良くありません。どちらかがオーバーヒートしない様に右脳と左脳をバランス良く使う事が肝要と思われます。そこで私は、どちらもほどほどに刺激していると自負致しております。

以上、御紹介しました三人の恋人達とは、きっと生涯を共に出来ると信じています。 でも……やっぱり主人が一番です!

それでは、皆様の御健勝をお祈り致しまして……今日はここまでに致しとうございます。

<会員の広場> この頃感じること 千鳥橋病院 大沢友二

以前勤めていた大阪の病院をやめ、まったく未知の町福岡にきてもう十数年がたちました。いまの病院に薬剤師の病棟活動の研修にきた当時はまだ路面電車が走っており、大阪や神戸がなくしてしまった情緒が残った町でした。この十数年間の間に路面電車はなくなり、国鉄はJRに変わり、博多駅前にはホテルやビルが数多くたてられるなど福岡は大きな都会に変貌してきた様に思います。

十数年前の福岡と同じ様にいま病院薬剤師や開局薬剤師の役割も大きく変わろうとしているように思います。

病院薬剤師では今回300床以上の病院が対象ですが、初めて薬剤師による入院患者の面談や医師への医薬品情報活動等の臨床薬剤師活動が点数化されたことです。

薬剤師が入院患者に面談して薬に関する指導を実施すれば一ケ月に100点(1000円)を請求できる様になりました。このことは現在病院薬剤師業務のかなりの部分を外来患者の調剤に割かれていますが、主な業務が入院患者の調剤・薬歴作成・面談、医師への医薬品情報活動、薬物血中濃度モニタリング等を中心にした病棟活動へと変化を求められているように思います。

開局薬剤師には病院薬局の上記の変化に伴い外来患者の調剤、プライマリケアーとしての患者薬歴の作成と服薬指導の充実がますます重要になってくるのではないかと思います。外来患者の服薬指導には医師の治療方針の把握とともに最新の医薬品情報や個々の患者の医薬品情報の把握と集積が必要になります。医薬品情報活動はDIセンターの活用とともに病院薬局との情報交換(例、今、その病院で新薬としてどのような薬耕使用されていて、その効果はどうか等)を密にしておかなければ的確な服薬指導ができず、かえって患者に不信感を生む原因になりかねない様に思います。

しかし、現在、病院薬局と開局薬局との患者や薬剤に関する情報交換のシステムは無きに等しい状態です。病院薬局と開局薬局における新しい協力システム作りが求められているように感じています。

病院薬局・開局薬局それぞれの役割と分担がより明確になるのは福岡が十数年で変貌したよりも早いテンポで確立されてくるように思います。

十数年前、私が福岡へきた目的は千鳥橋病院で薬剤師の病棟活動を学ぶことでした。この十数年間、医師と共同で研究や症例検討などを行い、その内容を学会発表や医学雑誌への投稿としておこなってきました。しかし、毎年、年の始めになると「こんなことをしていて何になるのだろうか。」と考えてしまうことが多かった様に思います。しかし、多くの病院薬局の先生方の御指導、御鞭撻でなんとか現在まで継続できた様に思います。不満足な状態ではありましたが、この活動の継続の結果として新たに設けられた調剤技術基本料を県下でいち早く認可される結果へとむすびついた様に思います。何事も継続は力なりと言うことを強く感じました。

今日の医療の進歩はめざましくその内容に薬剤師が対応できる継続的な力量を養うためには卒後教育が重要と考えられます。アメリカの病院薬局を見学した際、卒後教育制度が法律的に定められており、業務上も時間的保障がされている現状を聞き、うらやましく思いました。市薬でも卒後教育がおこなわれておられ、その内容はいつも興味深いものばかりですが、日本においても卒後教育制度がさらに充実強化されればと思っております。

今年も年の始めにあたり医療の急速な進歩と薬局活動の発展が予想されるなかで私自身も「あせらず、あわてず、あきらめず」の三ずで、どれをとっても自分の性格にはほど遠いものですが、がんばってみたいと思っています。

<会員の広場> 共に生きて 博多区 友愛病院 龍三千子

友愛病院に薬剤師として勤めて15年が過ぎる。この寄稿を機に、初めて患者さんにお薬を渡した時の事を思い出す。一回一錠、朝昼晩の食後に飲んで下さい。薬効もよくわかりもせず、ただ処方箋通りに説明してほっとしていた日々…。

私の家族は医学については全く無知である。だから、病院に勤めているというだけで、私の言葉は医者の言葉よりも信じている。

30年来糖尿を患っていた父が脳出血で倒れた。ろれつがまわらない。左半身自由が利かない。すぐ病院に連れて来させて即入院。ただ、おろおろする母に、大丈夫よ、そう言うとにっこりする。入院すれば、注射すれば病気は治ると思っている。幸い回復が早く、麻痺も残らず退院したが、糖尿病は恐い病気である。その脳出血の時の眼底出血が影響して糖尿病性網膜症、腎機能低下により人工透析・糖尿病と診断は受けていたものの、インシュリンも使わず、薬も飲まず、ただ食事療法だげですごして病院に無縁だった父が、一日おきに透析に通う。透析のための5時間余りの束縛、透析後の低血圧のためのおう吐、辛い経験のようである。一日おきの透析なんて大変ね。ある時父にこう尋ねた。父が黙って見せてくれた日記を抜粋する。

62年1月1日(木)

私が透析に行く日の事を妻は仕事に行く日だという。今朝も「新年おめでとう。仕事に行く日だから起きなさいよ。」という声に起こされた。考えてみると、NTTに勤めていた40年間、元日は必ず休みであった。透析という第二の入生を踏み出した今、元日早々出勤せねばならないが、それは厳しい事である。しかし寝正月といって、朝10時頃まで寝て、それから起きてお屠蘇を飲んで、御馳走を食べて、またゴロゴロ寝て一日を過ごしていたのとくらべると、今日の方が、ずっと「生きているんだ」という実感は大きい。

父はいつもこうやって私を教育する。網膜症のために小さい字は見えないし、書けない。マジックで、大きく濃く書く。目と頭のリハビリだと言って、少しずつ懸命に書いている。自分は生きるためにこんな事やってるんだよ。と問いかけてくる。

今年も父の年賀状ができた。なるべくなら自分の字で皆に挨拶したいから、と大きな紙にマジックで書いて、それを葉書大に縮小コピーして印刷を頼む。昨年はB5の用紙に、今年はA4の用紙に清書した。父は力ー杯人生を生きている。負けてはいられない。

これは下剤です。便が緑色になると思いますが、それはお薬のせいですから。この薬は少し眠くなると思いますから、車の運転など気をつけて下さいね。薬剤師は薬のプロである。一言一言に責任を持たなければならない。 私にとってただ棚に並んでいる薬でも、それにすがって患者さんは現実に、その薬を一個一個大事に飲むのだから。その意識を持って診療に関わる事が、病院における私の職務である。頭痛の薬と、腹痛の薬と、一緒にのんで、どうやって頭に効き、腹に効くんだろう。真面目な顔してそう言っている父の傍で、そんな事を改めて考えているこの頃である。

<会員の広場> 雑感 住吉部会 聖和堂薬局 蔵元良行

除夜の鐘が澄んだ夜空に響きわたるころ、毎年のことではあるが、今年一年を振り返りながら、新年のころに立てた抱負がなんの意味もなかったことに気づき、少しの間、反省と後悔の時を過ごしてしまう。しかし一月一日の新しい年の時報がたからかに告げられると、今年もまた懲りずに一年の抱負をたてようとしている。

私が福岡で暮しはじめて十年が過ぎようとしている。以前勤めていた会社の転勤により福岡の地で生活をはじめ、人々の人情の温かさと酒の肴の美味しさから福岡を離れられず転勤族から開局薬剤師に模様替えした。最初のうちは失敗の連続で、薬剤師会の研修や多くの先生方の助言や御指導をいただき、未熟ながら恰好だけは少しつつ薬剤師らしくなってきている。ただ薬剤師を取り巻く環境が少しつつ変化していくために、より多くの知識や技術が必要となってきており、今後とも研修会等を通して、より高度な薬学知識を身につけ、患者が必要とする正しい情報を提供できるよう努力せねばならないと思っている。

薬局における薬剤師は注意深く正確に仕事をし、患者に信頼してもらわねばならない。そのため薬局内で一日を過ごすことが多く、行動範囲の狭さから一般社会における常識を時々見失ってしまうようである。私はできるかぎり休みの日には、スポーツ、特にテニスを通していろいろな人々と接し、日ごろ不足しがちな一般常識や体力を補うように心掛けている。また私自身旅行がたいへん好きで、以前はよく機会をみて出かけていたのだが、薬局薬剤師になってからは、なかなか長期に休むこともできないため、長旅をすることがなくなり、世界感も少しずつ狭くなっていくようである。そのため機会をみて楽しい旅でもできればと考えている。

今日、薬剤師一人一人の社会的、政治的な影響には限界があるようで、各先生方の協力が必要となって来ているようである。私自身権利だけを受けることが多く、なかなか積極的な協力はしていないのである。

新年をむかえるにあたり、薬剤師の環境が少しずつでもよくなるように、微力ではあるが会に協力してゆき、又幅広い世界感がもてるような一年を過ごせればと考えている。

<会員の広場> ひとりごと 仲原病院 吉田和子

市薬に入会したからには「いつかは来る」と思っていた原稿の依頼がとうとう来てしまいました。しかも「新年号に掲載する」とおっしゃいます。『話題は何にしようかな?』『新年号だったら松竹梅のおめでたいものがいいのかな?』と悩みました。おまけに原稿を書いている今は年末も近い12月。忘年会の合い間を縫ってペンを走らせているわけではありませんが、何かと忙しいこの季節。薬剤師も走り回るという“師走”です。そしてまた、載るなら『フレッシュさん紹介』のコーナーと信じていたのに…。(ちなみに現在勤務中の仲原病院には、88年4月に入局したばかりです。)

そう言えば楽しみにしていだ9月の新人研修会にも行かせてもらえなかったなァ…。何歳になっても新採用には違いないと思っていたのに。

などと考えているうちに「そうだ!話題は“激動の88年を振り返り、輝ける希望に満ちた(はずである)89年へ向けて”ということにしよう」と決めたのでした。大袈裟に聞こえますが、何のことはありません。主義主張のない回顧文(?)となるでしょう。

しかし厳しいK薬局長の手前、もっと真面目な話題にして業務に取り組む真剣な態度を示した方がいいだろうか?という考えも頭の片角みに燻っています。

おっと!気付いてみると前置きだけですでに原稿用紙1枚半を費しているではありませんか!?この調子でいくと、5枚なんて「アッ」という間に埋まってしまいそうです。

さて、私にとって88年という年は「激動」とまではいかなくても「動」の年でありました。4月、仲原病院に就職すべく鹿児島から博多の町へ出て来たのです。病院が粕屋郡にあるので、住む所は市内で丁目がつく所にしたいと思っていましたし、F先生の「働く女性は住む所も選ばなくてはいかん」(?)の一言もあって現住所に落ち着きました。

働き始めてみますと、小さい病院の良さといいましょうか、全職員と顔見知りなので他部署との連絡がスムーズです。人間関係もよく、のびのびと働かせてもらっています。ただ強いて言うなら、敢えて苦言を呈するならば、「建物が多少古い」ということでしょう。ニヤリと笑ってうなづいた方もいらっしゃるようですね。

研修生としてお世話になった九大病院も近く、困ったときはすぐ相談に行けますし、9月から急患センターの仕事もさせていただいております。仲原病院にはない診療科の処方箋を目にすることができ、薬剤師としての見聞を広めるのに役立っています。

生来好奇心旺盛な性質らしく、いろんなことに手や顔を出したがります。再就職を機に6月からゴルフを始め、夏の体力のなさを思い知って、9月からフィットネス・クラブに通い始めました。ゴルフは若葉マークのついたビギナーだというのに9月にはコースに出るという暴挙を成し遂げ、『大胆不敵』『他人の迷惑』『怖いもの知らず』云々と様々なお言葉をいただきました。しかし最低でも1回/週は通っていた打ちっ放しも夏の日が過ぎ、秋風が身にしみるようになると、次第に足が遠のき、「やはり冬は基礎体力養成」と、室内でできるフィットネスの方をどうしても選んでしまいがちです。

そして秋の日…土曜日の仕事を終えてから出かけていった熊本は汗ばむほどの学会日和り。久しぶりにお会いした先生方もお変わりなく、九州山口薬学会を楽しんできました。特に23日(日)午後講演をされたDr.エバンスの人柄には強くひかれるものがありました。こういった学会は、研究発表や情報交換の場であることはもちろんですが、出張でもないのに、自費で勝手に行く私の楽しみは、友だちや知り合いの先生方にお会いしたり、新しい“輪”を広げたりすることなのです。いろいろお話しをしていくと、仕事の中で生かせるヒントがあったり、思わぬ舞台裏を聞けたりとなかなかおもしろいものです。

いよいよ1989年です。きりのいい数字でもないし、オリンピックもないし、取りたてて特別な事も起こらないかもしれません。が、近頃「一年」という長いはずのピリオドがだんだんと短かく感じられるようになってきたとなると、ボーッとしては過ごせません。

やろうと思えばすることは山ほど、いえ、チョモランマほどあるはず……。
   さあ動くぞ!
   人が動くと「働」となります。
 体も頭も(口も?) 動かして、中身の濃い一年にするぞ!

(吉田先生に写真をお願いしておりましたら 写真のいいのが有りませんのでと言うことで、このように可愛いい似顔絵を送って下さいました。似てるかな…?)

〔フレッシュさん紹介〕 これからの病院薬剤師として 福岡大学病院 高瀬久光

薬学部を卒業後、約半年間は九州大学病院薬剤部で研修を行ない、その後は福岡大学病院薬剤部に入局して早や2年が経ちました。

就職してまず驚いたことは、休む暇がない業務量の多さであります。学生時代との大きなギャップを感じました。私が思うには、確かに大学での机上の学問は基礎にはなりますが実践ともなれば、+αが大きなウエイトを占める様な気がしました。この+αが何んであるかは今の私にとって見当がつきませんが今後の経験で自づと身につくものと信じます。

ここで一つ調剤室における窓口業務の事を述べたいと思います。病気である患者さんにとっては、ただでさえ大変なのにさらに受付けで待たされ、診療で待たされ、会計で待たされ、おまげに薬剤部で特にピーク時間には30分以上待たされます。大学病院では処方箋が多いためそれだけの処方箋をいかに早く処理し、調剤し患者さんとの対話も出来るだげ簡潔明瞭にして待時間を少なくすることに気を配っていると思います。それにもかかわらず窓口で薬を交付する際、患者さんから、「お薬は1つだけなのにどれだけ待ったらいいのか」「バスの時間がないから早くしてくれ」「自分より後の人が先に薬をもらっていくけど…」などのクレームがきます。実際のところ、まだまだ未熟なせいでこんな時、戸惑いが多くベテランの先生方と代ってもらうことも少なくありません。

医師は待時間を気にとめてはいても診療や治療を犠牲にしてまで待時間を短縮はしないでしょう。薬剤師は薬の待時間・患者さんのための服薬指導に努力しています。こちらが患者さんのためと思っていても患者さんから見た薬剤部は薬をもらう所ぐらいの意識しかない方が多いのではないでしょうか。特に大学病院薬剤部は患者との隔りがある様に思われます。

これからの病院薬剤師は病院においての裏方では社会的地位はみとめてもらえない時期に来ているのではないでしょうか。その上、薬の進歩と多様化、投与設計をしていくためのTDM、電解質その他の基本液を無菌的に調整したりするIVH、それに100点業務etc.薬剤業務は著しく複雑化しています。このように患者さんのために行なわなければならない仕事はたくさんあります。これを一つ一つ処理していくことは時間がかかるかもしれませんが、出来ることから一歩一歩努力していきたいと思います。

(S60年福岡大学薬学部製薬化学科卒業)

〔フレッシュさん紹介〕 “若葉”な気持ち 博多南部会 若葉薬局 花山育子

私の勤務している若葉薬局は、昭和63年6月1日に開局したばかりの調剤主体の薬局です。常勤の薬剤師は、私も含めて2名、どちらも、調剤薬局で働くのは初めてで、胸に若葉マークをつけています。というのは冗談ですが、開局前には、正直言って、やっていけるのだろうかと思ったほどです。若葉薬局は文字通り“若い”薬局なのです。

6月1日、開局の日は、ひどい雨降りでした。患者さんたちは、医薬分業に、どんな反応を示すだろうか、天気が悪いせいで、印象が余計に悪くなりはしないか、等々の心配をよそに、ほとんどの患者さんは、あまり抵抗なく、処方せんを出してもらって、薬局で薬をもらうというシステムを受け入れてくださったようでした。

しかし一部には「どうして2回もお金を払わねばならないのか」「病院で同じ薬を出してもらっていたときよりも高くなった」と怒り出す方や、「調剤といっても、薬のヒートを切って出すだけではないかとつめよる方、薬歴簿作成のために住所をお聞きしようとすると、「薬だけもらえればいいんだ。そんなものは必要ない」とくってかかる方、「医薬分業するのはもうかるからだろう」としつこくおっしゃる方、「面倒になった」と眉間にしわをよせる方、等々いらっしゃいました。私たちのたどたどしい説明では、ほとんど納得していただけず、情なく思いました。また、最初のうちは、計算は遅いし、手際が悪いので、患者さんは、何人も続いたり、OTCのお客さんと重なったりするとパニックになっていました。

やっとリズムがつかめてきたかなと思えるようになった頃初めての保険請求の仕事がやってきました。これには、正直言って参りました。書いても書いても、まだある!!永遠に続くのではないかと思えました。計算ミスがたくさん発見されるし、末期には、夢の中で電卓をたたいていたりしました。1ケ月に5〜6回研修会があるし、薬剤師はつくづくたいへんだなと思いました。

それから半年。あっという間に過ぎた。この半年の間に、薬品棚の整理等、薬局内の整備もしたし、棚卸しもしたし、調剤の手際もずっとよくなったし、患者さんとも顔みしりになったりして、仕事はやりやすくなりました。未だに、月末が近づくと胃が痛くなりますが、半年前には絶対できなかったであろう数の調剤やレセプト書きをこなせるように、なってきたようです。

とはいえ、まだまだ、経験も薬の知識も、乏しいと思います。極力、研修会などには、出席するよう心がけてはいますが、もっと勉強が必要だと思うことはしばしばあります。患者さんに適切な助言を与えたり、服薬指導をしたりするためには、もっともっと勉強が必要であると思っています。たいへんだとは思いますが、少しずつがんばりたいと思います。たぶん、いろいろな思いがこめられているだろう「若葉薬局」という文字を見ながら今の“若葉”な気持ちを持ち続けていきたいなと思う今日この頃です。

最後に、薬剤師としては、まだまだな私ですが、この薬局とともに大きく成長していきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。

(S63年九州大学薬学部薬学科卒業)

〔部会紹介〕 箱崎部会について 東支部 箱崎部会長 入江理裕

我箱崎部会は、全部で12軒あります。そして主に筥崎神宮を中心にして10軒がその周りで開業しています。富士薬局さんと流通センター薬局さんの二店が、多の津というお宮より少し離れた所でがんばっておられます。

我部会は薬剤師会に対しては忠誠心は厚く貢献度はかなり高いもの思っています。その証として、まず石井道子先生に対する貢献度は月隈部会と壱岐部会には遅れを取ったものの部会としては早々と百%を超え、個人で百名以上名簿提出は藤野義彦先生の抜群の成績を筆頭に河辺先生、岸田先生、熊谷先生、仁田脇先生と私を含めて、12人中6人の先生方が、いらっしゃいます。

ここで12軒の先生方のお仕事に対する考えパーソナリティをご紹介します。


富士薬局の河辺先生
 私は、福岡流通センター内で保険調剤及一般品の販売を営んでおります。
昨年7月、装いも新たにし、「親切、丁寧、明るく」をモットーに、誰からも親まれる薬局を目指して、一層の努力をしております。

(有)流通センター薬局の岸田先生
 昭和55年に開局、現在東区を基盤とし念願の三店舗開設する事が出来ました。
開局するにあたって不安は色々あったものの、自分なりに理想の薬局が出来た様に思います。男性2名、女性10名のスタッフで明るく親切をモットーに従業員一丸となって頑張っております。

佐々木薬局の佐々木先生
 私は、この薬局の三代目でございます。親切、丁寧をモットーとし、そのようにガンバッています。やりすぎて損する事もあり、商売が下手だと思っています。

西村薬局の西村先生
 私は特別にモットー等という事を考えた事はありませんが、「信頼される」薬局をいつも、考えています。

みくに調剤薬局の仁田脇先生
 正月の玉せせり、秋の放生会で有名な筥崎宮の裏門入口開業6年半のみくに調剤薬局です。患者さんは、赤ちゃんより、明治生まれの元気な御老人まで巾ひろく、処方薬もシロップ類からホパテまで多種多様、医薬分業してよかったと、医師、患者さんにも理解してもらえるよう男女4人で頑張っています。

馬場薬局の馬場先生
 こんにちは!アミヤ町バス停前の馬場薬局です。漢方薬を研究しています。これは、私が父から受け継いだものです。その折は、会員の先生方に大変お世話になりました。お蔭様でやっと軌道に乗ってまいりました。これから父の方針の上に私のカラーを乗せて、ガンバって行きたいと思います。

箱崎薬局の馬場先生
 亡父勘二葬儀の時は大変お世話になりました。福大薬学部卒の二代目となりますが、よろしくお願い致します。

ユニード薬店箱崎店の建井先生
 62年度6月にオープンした時より管理薬剤師をしています。篠栗より通っています。

藤野薬局の藤野先生
 昭和26年6月開局、商住地に位置し、一般OTC薬と処方せん応需を両立させ、現在、薬剤師四人非薬剤師一人で経営しています。開業以来地域密着型の経営方針で、特に近年は情報管理という職能の下に社会の薬局(大衆薬)。医療の中の薬局(処方せん調剤)として、親切をモットーにしている。更に地域住民の二一ズに応える為、取扱う商品は、すべて薬剤師の管理下にあるという考えで取扱っている。

漢方ふじや薬局の藤家先生
 御不幸の為お話をお伺い出来ませんでした。


最後に私は、いつも患者さんには、親切と笑顔で接し、来た時よりも、帰る時には前よりも少しでもよくなっているようにと願いつつ、お薬を渡しております。

以上、簡単ではございましたが、これで、紹介を終らせていただきます。

ご覧になりましたか

先日発表されたよかトピアの前売入場券の当選番号が発表されました。私は10枚買いましたけど、フットワーク賞に6000番も違っていて残念でした。お手待ちの入場券、当たっているといいですね!

福岡市衛生局の招待により古賀会長他役員の先生方と12月10日よかトピアの会場見学に行きました。前売入場券を買う時は、わざわざ見に行く気は無いけど市薬の割り当てだから仕方がないなと思ってシブシプ買いました。でも実際に博覧会場に行ってみて、その規模の素晴しさに前売入場券が安く感じられて帰りました。

絶対!あのグルメワールドの東南アジアの料理を食べに行くぞー。

(記 木原)

■■トピックス■■ 市薬学術委員会

鉄とタンニンの反応におよぼす影響力の評価

鉄剤服用患者が緑茶,コーヒーなどのタンニン含有飲料を摂取した場合、鉄はタンニンと難溶性化合物を形成し、その吸収が抑制されるとの考えから、従来、鉄剤服用患者に対しては多くの病院で禁茶の指導が行われてきた。著者らは鉄とタンニンの反応による難溶性化合物の形成についてどのような条件下でそれが促進され、また抑制されるかを数量的に検討している。

実験に用いている鉄化合物は硫酸第一鉄,硫酸第二鉄およびクエン酸第一鉄ナトリウムの3種。実験方法は一般に鉄は分子量10,000以下のものはそのまま吸収され、それ以上のものは吸収が阻害されることが知られているため、鉄タンニン反応生成物のうち分子量10,000以下低分子鉄の比率(%)を求め種々の条件下での変動を検討し次の結果を得ている。

1) 鉄とタンニンの反応は混合後瞬時にして起こり、それで終るのではなく4時間以後もその反応は継続する。

2) 鉄とタンニンの反応はタンニン濃度による影響を受けたがFe100mgとタンニン酸100mgの反応でも50%以上が吸収可能な低分子鉄(%)として存在した。

3) PH2,5,7での反応性を比較するとPHの高い程低分子鉄(%)は低下した。

4) 鉄とタンニンの反応力は鉄化合物の種類によっても異なり、クエン酸第一鉄ナトリウムが最も反応性が低く、硫酸第一鉄,硫酸第二鉄の順に高い。

5) 鉄吸収におよぼす緑茶の影響を考える場合、濃い緑茶の場合でもFe 100mgのうち50%以上は吸収可能な低分子鉄の形で存在している。

下園拓郎ら 新薬と臨床,37,1030,(1988)

喫煙によるカドミウム,鉛汚染

喫煙者の血液,尿中のカドミウム(Cd)および鉛(Pb)の濃度は非喫煙者に比べて高いことが報告されており、著者らの調査でも喫煙者の血中Cdは非喫煙者より高く、また1日の喫煙本数に対応して高い傾向を認めている。しかし、血液中Pbは喫煙者と非喫煙者の差は明確でなかったとしている。本研究で著者らは、喫煙によるCd, Pbの摂取量を知るために、シガレットを燃焼させて発生した主流煙および副流煙などに含まれるCd, Pb量を測定している。また、事務所,遊技場(パチンコ店),列車などの室内汚染を調査して、タバコ煙濃度と室内空気中Cd, Pb子度の関係を検討している。その結果は次のとおり。

1) シガレット燃焼実験では、シガレット1本あたりCd, Pbとも約50ng(燃焼部分の総Cd,pb量の約10%)が主流煙に移行することが知られた。したがって、20本の喫煙によって約1μgのCd、およびPbを吸収することになる。

2) 副流煙には主流煙の3〜20倍(平均5倍)ものCdが含まれていた。副流煙のCd濃度が主流煙より高いことは、受動喫煙による影響も無視できないものと思われる。

3) 室内環境調査結果では、室内のタバコ煙濃度が増大するにつれて、明らかに空気中Cd濃度の増加がみられた。特に列車内においては、大気中Cd濃度の20〜50倍にも達していた。一方、室内空気中Pb濃度には室内のタバコ煙濃度との相関が認められなかった。このことからタバコ煙は室内空気Pb汚染の主たる汚染源ではないことを示すものと思われる。

那須 滋ら 医薬ジャーナル, 24,626, (1988)

H1,H2ブロッカーの併用療法

ヒスタミンは生体内においてヒスタミンレセプターと結合し、生理的作用を現し、また炎症惹起物質として働く。これらの作用をコントロールするには、ヒスタミンのレセプターへの結合を、競合的に阻害する抗ヒスタミン剤が用いられる。抗ヒスタミン剤には、血管透過性抗進,平滑筋収縮に拮抗するH1ブロッカーと、胃分泌に拮抗するH2ブロッカーの2種がある。

皮膚の血管にはH1およびH2レセプターの両者が存在し、紅斑や膨疹を発生させることが明らかとなった。これに伴い、従来のH1ブロッカーによる治療に抵抗する難治性の慢性蕁麻疹では、H1,H2ブロッカーの併用療法が、H1ブロッカー単独療法より有意に効果的であることが報告され、臨床応用されている。

西岡和恵・麻上千鳥,医薬ジャーナル  24,2219, (1988)

癌の痛みの治療について

癌の痛みで死亡前30日間に鎮痛剤を必要とするほどの疼痛を感じたのは67.7%であった。直接浸潤、腫脹(体性痛)の場合は鎮痛剤が効きやすく、非麻薬系鎮痛剤で十分奏効することが多い。根治的手術の場合は、ある程度まで痛みを我慢させることに意味があるが、非根治的治寮のための痛みには、十分な鎮痛対策を講じるべきである。

主軸となる治療法は鎮痛薬であり適切な投与は、90%以上の患者の痛みを消失させる。なかでもモルヒネが重要な役割を果たしている。モルヒネの長期継続投与は耐性、身体的依存、精神的依存の発生の恐れにより推奨されなかった。(注射による使用経験に基づいている。) しかし、アヘン系麻薬の長期経口投与の経験から、適切に投与すれば耐性も身体的依存も長期投与の妨げにはならず、精神的依存の発生は皆無に等しいことが明らかになった。

WHOでは今世紀中にすべての癌患者を痛みから解放することを目的としている。

癌の痛みに対しモルヒネを上手に投与する方法として、制吐剤、抗不安薬、緩下剤などとの併用、また坐薬の調製、注射、硬膜外注入などのくふうがなされている。今度、徐放錠が発売され1日2回の投与で24時間除痛が得られ、通院又は自宅療養が可能になるため、患者又は家族にとっても非常に喜ばしいことである。

麻薬管理の面を強調するあまり、また管理がわずらわしいあまり、麻薬の適正な施用を妨げることがあってはならない。麻薬取扱者のうち麻薬を施用する病院、診療所では、麻薬施用者、麻薬管理者の免許が必要であり、麻薬処方せんにより調剤を行う薬局では、麻薬小売業者の免許が必要である。

種々の管理の為の資格や規約があるが、かつて不可能であった末期癌の疼痛管理が麻薬を用いる事により可能になり多くの医療の場で麻薬の投与が考えられ、積極的にこれに取り組むべきであろう。

日刊薬事,10,23-57 (1988)

事業報告

[学術研修会]

日 時
昭和63年11月25日(金) 午後6時30分
場 所
福岡市薬剤師会館研修室
演題と講師
「心身症の概念と病態生理」
  九州大学医学部心療内科 病棟医長 美根和典先生
出席者数
(87名)

さまざまな病態が、心理的因子によって起きていることを豊富な症例によって解説していただいた。

特に、患者さん自身が、自分の身体症状が心理的因子によって起きていることを強く否定したり、あるいは、それに全く気付いていないことが、心身症の特徴であるという。 そのため、抗うつ剤が奏効する場合が多く、身体症状が改善し、精神的に打ち解けるにつれて、患者さんの口から、心理的要因を聴き出せることが多いそうである。 次の表は美根先生が「心身症と神経症の区別」として示された表である。参考にしていただきたい。

入会のしおりについて 組織委員長 戸田昭洋

先日の第18回通常代議員会の席上、古賀会長が約束された"薬局勤務薬剤師の組織づくり"の一環として、薬局勤務薬剤師の方々に本会への入会をお願いするためと、正会員になっていただきたい先生方を部会長並びに支部長に推挙していただき入会をお願いするために、今回「福岡市薬剤師会入会の栞」をつくりました。すでに市薬会員である先生方の目にふれる事は無いと思われますので、ここにご紹介致します。

部会内で出店等の経済問題が起きましたら至急市薬に電話して下さい!!
組織の第二委員会及び商組が動きます。

保険薬局備蓄リストについて 社保委員長 正岡民次

保険薬局備蓄リスト改定第5版が4年振りにでき上がりました。ページ数も前回の89ページから164ページに増え、備蓄薬局名も見ると予測できるように変わりました。

三文字の漢字によって、最初の一文字が部会名を表わし、次の二文字が薬局名となっております。なおリスト作成にあたっては、理事の藤田先生、小野先生が担当され、大変な努力をなさった事をご報告致します。

会員各位には充分に活用され、面分業の拡大に向かって努力して欲しいと思います。

薬品の受け渡しは薬価で行なって下さい。またお分けする薬局は心よく領収証を添えて、分けていただく薬局は行く前に電話で確認を取り、仲よく会員同志の交流を深めていただきたいと思っております。

[薬局薬剤師研修会]

日 時
昭和63年12月9日(金) 午後7時
出席者
40名
演 題
「薬局製剤の実際」
講 師
福岡県薬理事岩佐周一郎先生

当日は寒さと雨の悪天候にもかかわらず、40名の先生方が出席された。最初に日薬のフィルムライブラリー「地域医療の中での薬局薬剤師と薬局のあり方」を上映する予定であったが、映写機が故障の為中止した。

岩佐先生の御尽力で最近の薬局をめぐる情報など豊富な資料を元に、熱のこもった研修会となった。

報告担当 冷川 襄

試験センター業務報告 室長 城戸嘉寿子

 会報11月号で会長が報告されましたように当試験センターは昭和63年10月17日付をもって薬事法施行規則第11条2項にもとづく試験検査機関として正式に厚生省の認可をうけました。

  当試験センターが行う業務内容としては
(1) 福岡市立学校飲料水水質検査
(2) 福岡市立学校簡易専用水道法定検査
(3) 福岡県立高校プール水質検査
(4) 医薬品試験
(5) 日本薬剤師会医薬品全国統一試験
(6) 試験,検査センター関係の研修会,講習会への参加
以上が主たる業務である。

  本年度(1)(2)(3)(4)についてはすでにその業務を下記の通り終了した。

(1)の水質検査は9月26日より10月8日の間に福岡市立学校223校につき

(1) 細菌検査(一般細菌,大腸菌)
(2) 理化学検査(濁度,硬度,臭気,味,過マンガン酸カリ消費量,塩素イオン濃度,全鉄イオン濃度,硝酸性窒素,亜硝酸性窒素,アンモニア性窒素)の試験を行った。学校数が多く、検査項目も多岐に亘っているので流れ作業として仕事を行っている。各学校より採水をして頂くのは学校薬剤師の先生方に御協力を頂いているが、中には期日までに水が届かない学校もある。これは業務遂行に大きな支障となるので、是非とも期日までに搬入して頂くようにお願いしたい。試験結果はすべて飲料水適合であった。

(2)については簡易専用水道検査員の資格をもっている方々によって10月中に検査が実施されている。

(3)については学校薬剤師の先生に御協力を頂き8月中に終了した。

(4)医薬品の計画試験として本年度次の試験を行った。

(1) 重量偏差試験
(2) 崩壊試験
(3) PH測定
  (1)(2)については経時変化を起こしやすい成分を含む医薬品について行った。
   すなわち、
   ・アセチルサリチル酸を含むもの
    バイエルアスピリン錠 20件
   ・ジアスターゼを含むもの
    新タカジア錠 20件
    新三共胃腸薬(錠剤) 20件
   ・ビタミンCを含むもの
    ハイシーS錠 20件
   ・塩酸クロルヘキシジンを含むもの
    ダントローチエース 20件
   ・カフェインを含むもの
    カフェソフト錠 20件
   合計120件につき試験を行った。
   試験した医薬品はすべて局方の規格に適合であった。
  (3)については精製水20件につきPH測定を行い、すべて局方規格に適合した。

(5) 日薬医薬品統一試験として本年度次のものが決定している。

(1) インドメタシン坐薬の定量
(2) 塩酸ヒドララジン錠の定量
(3) アスコルビン酸散の定量
(4) 鎮暈剤中のサリチル酸ジフェンヒドラミンの定量
   これらについては試料を入手しだい12月中に試験を行う予定である。

(6) 本年度下記の講習会に出席又は出席予定である。

(1) 簡易専用水道検査講習会
   S63年10月11日〜14日
   於薬業健保会館(東京)
(2) 上水道試験法講習会
   S63年11月8日〜10日
   於薬業健保会館(東京)
(3) 西日本地区給水衛生検査協議会S63年度技術部研修会
   平成元年1月13日〜14日
   於日本環境衛生
   センター九州支局(大野城市)(出席予定)
(4) S63年度試験センター技術講習会(医薬品関係)
   平成元年1月26日〜27日
   於中野サンプラザ(東京)(出席予定)

理事会他会議報告

[第189回理事・幹事会]

日 時
昭和63年11月22日(火) 午後7時
場 所
市薬会館
出席者
古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務、三津家、戸田、松枝、坪根、正岡、藤下各常務、木原、高杉、南島、冷川、城戸、小野、藤田、成澤、市花各理事、日高監事

1. 会長挨拶
 試験センターの区分けについては、県薬試験センター委員会に於いて、福岡選挙区1区2区を福岡で受け持つ事に決まりました。
会館問題は、見積り概算が予算オーバーのため、再度案の練り直しを計り、本見積りの段階に入っている。できるだけ早い時期に臨時代議員会を開催したい。
仮事務所は、福岡市の斡旋で金門製作所跡に内定した。

2. 会務報告
 藤原専務理事より報告
(1) 医薬品試験(計画試験)の品目について北九州市薬より通知あり。
(2) 県薬より試験センターの所轄区分について各支部に通知。
(3) 63年度試験センター技術者講習会
    日時 平成元年1月24日〜25日於東京
    坪根常務理事、城戸理事派遣
(4) 第13回保険薬局セミナーについて
    日時 平成元年2月19日
    場所 県薬会館
(5) 63年度福岡市学校保健大会について
    日時 63年12月1日 午前9時
    場所 早良市民センター
    古賀会長出席
(6) その他

3. 委員会報告
(1) 組織委員会で入会のしおりを作成した。
(2) 社保委員会で備蓄リストを作成し配布した。

4. 協議事項
(1) 石井道子議員後援会について
 後援会名簿及び11月26日の「石井道子議員を励ます会」にっいては、再度各組織を通じて協力をお願いする。
(2) 日薬アンケートについて
 分業推進基盤準備事業の一環として、大衆の意識調査に関するアンケートの依頼がなされた。この件については、社保委員会で薬局を選定し依頼する。

[第190回理事・監事会]

日 時
昭和63年12月12日(月)午後6時
場 所
海王
出席者
古賀会長、竹尾、高倉、長谷川各副会長、藤原専務理事、三津家、戸田、松枝、坪根、正岡、藤下各常務理事、木原、高杉、南島、冷川、城戸、小野、藤田、成澤、市花各理事、日高,礒田各監事

1. 会長挨拶
 会館建設については、12月16日に見積り金額の提示が行われる予定である。これをもとに検討して頂きたい。又、仮事務所については、前回の理事会で了承された金門製作所との契約交渉が成立した。
 恒例の薬業年賀会は、時節柄中止される見通しである。

2. 会務報告
 藤原専務理事より報告
(1) 11月24日 北九州市薬と試験センターの運営について打合せした。
(2) 11月26日 石井道子議員を励ます会の動員数は330名であった。
(3) 県薬支部連絡協議会について
11月16日〜17日に行われた厚生省共同 指導で「コンピューターによる薬歴は現時点では認められない」という問題があり、会員に対し社保委員会から通知する。
(4) 早良保健所運営協議会委員に南島支部長を推せんした。
(5) その他

3. 協議事項
(1) アジア大平洋博覧会 第2期前売入場券協賛について
 博覧会協会より、各出展パビリオンへ協賛依頼が行われており、「健康いきいドーム」へも5,000枚の依頼があった。この内、市薬への割当ては大人用500枚、中・小学生用300枚、合計800枚である。協議の結果、市薬も出展主催者の一員であるので、会員へ協力をお願いすることとし、入場券の価格は大人用2,300円を2,000円、中・小学生用1,100円を1,000円で販売することになった。

(2) 石井道子議員後援会について
 12月5日現在の資料をもとにして、後援会名簿獲得状況を分析し検討した。この資料はすでに、各支部長・部会長に送付済みであるが、実績の悪い支部に対しては更に協力要請を行うことになった。

[第3回部会連絡協議会]

日 時
昭和63年11月14日 午後7時
場 所
市薬会館研修室
出席者
古賀会長、長谷川副会長、藤原専務、三津家、正岡、松枝、坪根、藤下、戸田各常務理事、城戸、高杉、南島、成澤、冷川、小野、藤田、市花、木原各理事
東支部
藤野哲朗、加藤正剛、入江理裕、柴田伊津郎
博多支部
冨永雄造、山口利英、鶴原潔、大賀昌子、森清高、水田雅幸
中央支部
森田明、平島公彦、梅末芳彦、西森基泰
城南支部
深江暉夫、合澤英夫、水田雅幸、
早良支部
波多江敬三、坂本励、清水達三、江頭溜
西支部
吉田斌、竹尾真一、戸畑ミヤ子
南支部
有田俊雄、大庭秀臣、石田和長、小村正治
県 薬
荒巻会長、木村専務

1. 会長挨拶
 本日は再度にわたる石井道子後援会名簿のお願いと、来たる11月26日に行われる「石井道子を励ます会」への動員をお願いしたく、支部長並びに部会長先生方にお集まりいただきました。特に荒巻県薬会長と木村専務にも出席お願いしております。
 市薬に於ける後援会状況は「会報」に順次掲載しておりますが、ご承知のようにまだまだ低調です。そしてこれを成し遂げるためには先生方の頑張りをお願いするしかありません。是非とももう一頑張りをお願い致します。

2. 各支部状況報告
 藤原専務理事の司会により、各支部長に支部状況報告をお願いした。

委員会報告

[組織委員会]

日 時
昭和63年11月11日(金) 午後7時
場 所
市薬会館会議室
出席者
竹尾副会長、藤原専務、戸田常務、高杉、南島各理事、吉田、深見、森川、占部、糸岐、森田、戸田、松井、吉村各委員


1.各支部対抗新春ボーリング大会について
 今回、ゲーム終了後の表彰式は、スターレーン別室にて懇親会と共に行う事に決定
2.入会のしおりについて
3.勤務薬剤師アンケート集計に基づき、入会勧誘のパンフレットを送付する。
4.部会外所属者の対策について協議


日 時
昭和63年12月6日(月) 午後6時
場 所
千太
出席者
古賀会長、竹尾副会長、戸田常務、高杉、南島各理事、森田、森川、深見、糸岐、吉村、戸田各委員

1.部会所属外会員の件
2.新春ボーリング大会について

[薬局委員会]

日 時
昭和63年11月11日(木) 午後7時15分
場 所
市薬会館図書室
出席者
松枝常務、冷川理事、篠崎、石井、本村、青谷各委員

1.各区健康フェアの結果報告
 中央区 内容がマンネリ化
 博多区 会員の出動者が少ない
 東 区 実行委員会に入れず参加ができなかった。
 早良区 大盛況、アンケート200名
 南 区 場所が悪く、ビデオも不調

[社保委員会]

日 時
昭和63年11月4日(金) 午後1時
場 所
市薬会館図書室
出席者
正岡常務、小野、藤田各理事、鶴原、山口、大庭、清水、川畑、岩穴口各委員

1.若松地区視察報告
2.九州山口薬学大会報告…藤田理事
  医薬品情報部会
   中毒情報について


日 時
昭和63年12月5日(月)午後1時
場 所
市薬会館図書室
出席者
高倉副会長、正岡常務、小野、藤田各理事、入江、藤野、山口、鶴原、清水、岩穴口、大庭、川畑各委員

1.レセプトチェック
2.今年の反省会
 「福岡屋」にて 午後6時

[学術委員会]

日 時
昭和63年11月16日(木) 午後6時30分
場 所
市薬会館図書室
出席者
長谷川副会長、藤下常務、市花理事、成澤、中島、車田、久池井、山田各委員

1.学術研修会(11/25金)の役割分担について
2.広報(トピックス)の原稿準備
3.市薬会館建設について
  映写台の設置希望及び建設期間対策
4.次回の薬物療法研修会予定
1989年1月 抗アレルギー剤

[急患委員会]

日 時
昭和63年11月8日(火) 午後7時
場 所
市薬会館図書室
出席者
藤下常務、成澤理事、深見、打越、竹尾、北島各委員

1.福岡市医師会忘年会の件
2.年末年始及び12月、1月、2月の出動表作成
3.九州山口薬学会
  救急医療担当者会議報告…成澤委員長
4.薬品補充について
  少量しか出ない物は補充を少なめに。期限がわからなくなるので箱は捨てない。

[広報部]

日 時
昭和63年11月25日(火) 午後7時
場 所
市薬会館図書室
出席者
藤原専務、木原、城戸各理事、野仲、宮崎各委員

1.市薬会報9月号の校正
2市薬会報新年号の編集について


日 時
昭和63年12月23日(金) 午後7時
場 所
ほり田
出席者
古賀会長、藤原専務、三津家常務、木原、城戸各理事、野仲、宮崎各委員

1.市薬会報新年号の編集及び一年間の反省

県薬のお知らせ

新薬研修会会場の変更について

昨年3月より市薬会館研修室で開催されていたが、新会館建築のため実施できなくなり、1月実施分より再び県薬会館研修室に変更になっています。

保険薬局セミナー開催日の変更について

市薬会報11月号では、1月15日に開催されるとお知らせしておりますが、講師の都合により2月19日へ変更になりました。なおセミナー終了後行われる予定の懇親会は、時節柄中止されました。

薬連関係報告

石井道子先生を励ます会

日 時
昭和63年11月26日(土) 午後4時
場 所
福岡県薬剤師会館講堂
出席者
330名
来 賓
石井道子議員、遠藤政夫議員(代理人)、合馬敬氏

1.開会挨拶
  福岡県薬会長 荒巻善之助
 本日は、この励ます会にこのようにたくさんの先生方にご参集いただき、本当に心強く思います。私は、以下3点の事を是非お願い致したい。
(1) 一会員100名の後援会員の獲得
(2) 全国に於ける400回の励ます会の実施及び参加
(3) 自民党への投票率を上げる努力をする
 (これは地方議員をしっかり応援する事でもある)
1.激励のことば
  遠藤政夫議員(代理人)
1.祝電披露
  竹下総理大臣、高木日薬会長他多数
1.現況報告
  石井道子議員
1.閉会挨拶
  県薬副会長 古賀隆


 現況報告をされる石井議員

 「石井道子後援会頑張るぞ!」

この"はげます会"は、県薬の薬局薬剤師研修会に引き続いて行われました。市薬執行部の先生方は、当日の出席者数を「なんとか300名を目標にしたいけど無理かなあー」と一生懸命会員の先生方に呼びかけをなさっていました。そのかいあって出席者数330名で県薬講堂の後の方は椅子が足りなくて多くの先生方が立ったままでした。

ちなみにその後開催された北九州会場には北九州市の地方選挙と相まって1,200名の方々が集まられたとか………。

ああ情けない!! 城南支部 支部長 深江暉夫

石井道子後援会名簿作成について、私が感じたことを一言で表現すれば「ああ情けない薬剤師会」と。皆様いかがお考えでしょうか。石井道子後援会名簿作りで、このように各地区で苦戦しているのは、なぜでしょうか?私が名簿作成の為、会員の皆様にお願いに廻って、会員の皆様に言われたことを羅列してみます。
・石井道子先生を国会に送り出して、自分の生活にどれだけプラスになるか?
・私は別の政党支持ですのでサイン出来ない。
・お客様(患者)にサインは依頼出来ない。個人的感情(誰に対して?)が先に出て協力しない。

私は以上の列記された事柄について紙面で、各々に反論、説明することは誤解を招くので省略致します。

会員の皆様方は、各々について納得される方もあるかもしれませんが、しかし冷静に考えてみると、おおいに反省される方も多いと思います。薬剤師会員としての意識の欠如以外のなにものでもないと思います。 私達は薬局経営が苦しい苦しいと言いながら、何とか、生きていける状況であるため、薬剤師会は、役員にまかせておけば良い、自分は生活が大変だと、人まかせの状況ではないでしょうか?

県薬会長、市薬会長等が必死に訴えていること、即ち、薬剤師会の代表を国会に送り出さねば、薬剤師にとって、未来は暗黒時代となるの発言に、皆様方はどれだけ耳を傾けていらっしゃるでしょうか。勿論非常に協力的な多数の人々がいらっしゃいますが、少数の非協力会員の為、多くの会員が迷惑をかけられているのは、非常に残念に思います。

石井道子後援会名簿作成は、薬剤師会組織づくりの一部であり、この組織の弱さを暴露してはいけないと思います。

1989年は、諸先輩が苦労して作り上げた薬剤師会に大きな飛躍を期待し、各々会員は全員役員の積りで頑張りましょう。

輪ゴムで束ねた名刺

先日、石井先生を空港に出迎えました。すると先生は、参議院議員石井道子先生じゃなく、何処にでもいる"可愛いいおばさん"といった様子で、小さなボストンバックと、はち切れんばかりに脹らんだハンドバックを持ってたった一人で気軽に降りて来られた。そしてそのバックの中からおもむろに取り出されたのは輪ゴムでシッカリ束ねられたたくさんの名刺です。その中から一枚取り出してご挨拶されます。荒巻先生に伺うと費用がかさむので全国への移動はいつもお一人で、ホテルはビジネスホテルだとか、でも環境政務次官として公用でみえる時は秘書の方が二人ついて来られ、空港出口には黒塗りの公用車が横づけされるんだそうです。

私は、参議院の先生が秘書も連れずに一人で来られるとは思ってもみなかったので本当に驚きました。

石井先生は、元気に全国の「はげます会」を飛び回っていらっしゃいます。現在となってはただ先生のお体が心配です。風邪などひかれませんよう祈ってやみません。

(記 木原)

石井道子後援会員獲得状況(1月5日現在)

石井道子後援会名簿100名以上獲得者 (64年1月5日現在163名)

昭和63年度 入会者 (11月1日〜12月28日)

会務日誌


11月4日 社保委員会 13:00
  7日 商組福岡ブロック研修会 13:00
  8日 急患委員会 19:00
8日〜10日 上水試験方法講習会 東京(城戸)
  9日 原部会 19:00 花亭(藤原)
  11日 組織委員会 19:00
  14日 第3回部会連絡協議会 19:00 市薬会館(荒巻県薬会長、木村県薬専務理事)
  15日 広報部会 19:00
     新薬研修会 19:00 市薬会館
  16日 学術委員会 18:30
  17日 薬局委員会 19:00
  19日 早良支部総会 19:00 喜水亭(藤原)
  22日 理事・監事会(第7回) 19:00
  24日 北九州市薬と試験センター運営について打合せ会 18:00 てら岡(荒巻,古賀,竹尾,藤原)
  25日 学術委員会 18:30 市薬研修室
     市薬勤務部会例会 18:00 福岡第1ビル
  26日 石井道子議員を励ます会 15:30 県薬会館
  28日 第4回県薬試験センター委員会 13:00 (坪根)
  29日 県薬支部連絡協議会 13:30
12月1日 63年度福岡市学校保健大会 9:00 早良市民センター(古賀)
  2日 簡易専用水道等に関する会議 13:30 県庁会議室(坪根,城戸)
  5日 社保委員会 14:00
  6日 政治連盟説明会 13:00 看護センター(三津家,二宮)
     組織委員会 18:00
  7日 医師会忘年会 18:00 ホテルニューオータニ(古賀,高倉,藤原)
  8日 商組福岡ブロック研修会 16:00
     福岡地区小売医薬品商業組合忘年会 17:30 セントラルホテル(古賀,藤原)
  9日 薬局薬剤師研修会 17:00 市薬会館
  10日 博覧会場見学会 13:00(古賀他7名)
    西支部臨時総会 19:00 三四郎
  12日 理事・監事会(第8回) 18:00 千太
  22日 城南支部役員会 18:30
  23日 広報部会 19:00
  26日 福岡市健康週間第2回実行委員会 市庁舎 15:00(古賀)
  28日 御用納め

お願い
市薬会報の写真について
広報部

今回「市薬会報の写真は、もう少し何んとかなりませんかね」というご指摘を受けました。

市薬会報の印刷は、広報の予算の都合で写植印刷にはできなくて、タイプ印刷にしております。それで内容のわりには単価は比較的安くできておりますが、タイプ印刷の難点はカラー写真がどうしてもきれいに印刷できないという点ではないかと思います。

モノクロ写真ですと比較的良いのですが、カラー写真で色が濃くプリントしてある物は、肉眼で見るよりはずい分と暗くでき上がってしまいます。

それで提出していただく写真がカラーの場合は、広報部の方でモノクロにプリントし直しますと、今よりはもう少しきれいにでますので、ネガをお持ちでしたらネガも一緒に貸してくださいますようお願い申し上げます。

なお、お借りしたネガは、責任を持ってお返しいたします。

[編集後記]

○巳年の幕開けは平成元年となりましたが、考えてみますと巳年には、いつも何か大きな事が有るような気がします。太平洋戦争勃発、平成元年そして2001年と…市薬にとりましても、今年は石井選挙、新会館建設と気を引きしめて掛らねばならない年のようです。

○この頃巷で「オバタリアン」という慢画が評判になっています。その中にオバタリアン度チェックというのがあります。やってみましたら私は35点で初期オバタリアンだとか。自分ではそんなに厚かましくも、ズウズウしくもないつもりでいましたのに くやしい!!
でも、それだからこそこれだけの原稿が集められるのだと自負しています。

○「市薬会報」が届けられる日はいつもハラハラドキドキ。表紙の写真は校正する事もできずその時初めてお目にかかるからです。福岡市周辺の風物をテーマに撮ってもらっていますが如何でしょう……。

(木原)

  

平成元年1月31日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人  古 賀 隆
編集入  木 原 三千代