■ 巻 頭 言
組織と規範 福岡市薬剤師会組織担当 常務理事 戸田昭洋

先月号で、組織という言葉の意味するものという題で、駄文を載せさせて頂いたが、今回も懲りずに、チャンスを与えて下さったので、書く。

組織がタテマエとして、つまり公式、理想的に存在し、機能するには組織の原則としてa、指令系統の統一、b、統制の限界、c、同質的な職務の統一、d、権限の委任。

管理の原則としては、a、計画、b、指令、c、統制、d、調整というような伝統的ロジックの上に立って編成され運用されねばならないという規範が必要であった。

しかし公式組織をいかに精密かつ、的確に明示したとしても、そのままの組織が現実の世界に存在するものではない。現実の組織はそれぞれの生活史をもった個人により、またそれぞれの規範をもった集団によって構成されている以上、そこに人間の合理的側面だけでなく、非合理的側面、すなはち情緒的側面をも包含しているはずなのである。組織のタテマエがどのようなものであろうと、組織を構成している人間はタテマエだけでなくホンネによって行動するものである。それは丁度現実の場面では親子がたがいに敵意をもつことがあっても、親は子に慈愛を、子は親に孝養を、という道徳律があっても無意味ではない。親は子に愛情深くあるものだという理念型、ないしは規範があればこそ、現実にかもしだされる敵意の程度やその当否を評価できるし、敵意を極少化しようという意識さえも生まれることになる。

では現実の親子関係がたやすく理念型どうりの親子関係になりうるものなら、現実の親子関係など深く探究する必要はないのかといえば、これまたそうではない。なぜなら親が子に対してもつべき慈愛を、いかに精密に限定したとしても、その規定に則した行動がすべて好ましい結果を生むとはかぎらないからだ。ことによると、子どもの親に対する依頼心ばかりを助長する結果に終わるかもしれない。いやそんなことはない。子には子で、親に孝養を尽くせという規範が課されているではないかという疑問が出るかもしれない。もしそうなら、親の子に対する慈愛と子が親に対する孝養とは原理的に矛盾・背反するものになる。もともと、それ事態では調和的な体系をもたないのだ。

だからこそ、我々は、一方で理念型を洗練しこれを尊重しつつ、他方では生身の人間としてやむにやまれぬ本心にしたがって行動をしているわけだから、その意味で公式組織は、非公式組織すなはち現実の組織を映す鏡であり、それがなければ現実の組織は盲目に陥るが、もう一方、現実の組織があればこそ、これを写す鏡、つまり公式組織の凹凸が判明するわけである。

回りくどい話しになったが、今、組織委員会で、合樺先生を中心に福岡市薬の公式組織規範とすべく、定款改正の研究が行われている。新定款ができた暁には、全員各位に現実組織を鑑み、状況適応的考慮をお願いする。あえて、ディベートのためにのみ、書かせて頂いた。

<ふお−らむ> 組織強化について 博多区薬剤師会 専務理事 山口利英

『組織とは』のテーマについて前号の会報で各区の先生方が述べられているので、ここでは博多区薬剤師会の活動を通して少し討論に参加したいと思います。

先生方が述べられておられるように、『組織』はその目的を同一とする仲間のあつまりでその目的を遂行するために、一定のルールをもっているものである。社会的に認識された組織では、それが成文化されている。

市薬剤師会では、定款として全員に示していることはすでに御承知のところである。

第3条に掲げられている目的については会員の認識は一致していて、異論の予知はないところだと思います。しかしこの目的を実戦に移すとき、認識の違いによって異論が生じることがあります。俗っぽい言い方をすれば、『総論賛成、各論反対』と言うような状況が時として生じてくることがあります。このような事態が生じるのは、多くの場合、組織活動の停滞や未熟等により会員への情報提供の不足や組織内での意志疎通の場の不足によることがあげられます。ただ全てをこれだけで解決するとは思いませんが… 博多区薬剤師会では、少なくとも情報提供の不足による組織活動の停滞をなくし、会員に見える組織活動をめざして、会長を先頭に努力しています。

年一回の総会にあたっては、年間の活動総括と次期活動方針、決算・予算を印刷した議案書を作成し、それに基づいて討議、議案書の全会員への配布。総会への参加の意識的な組織など。

部会長会は月平均1回程開かれ、ほとんどの部会長が参加して行われます。会議では、必ず市薬理事会の活動報告があり、そこより付託された課題について、区薬剤師会としてはどう対応し、具体化していくかについて、討議を深めて行きます。特に付託された課題が全会員を対象にしたもの(例えば選挙)であれば、どうしたら全会員参加の活動が得られるかについて討議します。この課題では、なんらかの形でも会員が関わりを持てるようにするにはどうしたらよいか討議し、意志統一をはかっていきます。各部会の会員については部会長が一番把握していますが、場合によっては他の部会長や区役員が協力して進めます。また部会長会では、部会内のことも、それが全体で議論した方がよい場合は、部会長会で行います。例えば会員の資格に関することや部会運営上の問題などについて。

部会活動については、年2回以上の部会会議の開催を訴えています。最近では、一部の部会を除いてほとんど年2回以上の部会をもっています。これらの部会には、区から会議援助金を出しています。

会員や家族・従業員の親睦と交流をめざし区主催バスハイクなどをおこなってきています。(この2年は財政不足のため実施できていませんが)

これまで述べてきたような活動を通じて、少しでも情報を交換し合い、薬剤師会がいま何をしようとしているのか、全員に何が求められているのか、またわれわれは会に何を求めているのか、を理解し合う機械を少しでも多く作る取り組みをしてきています。

このような取り組みの中から組織への結集も進んできていますし、会の役員として活躍する人材も育ってきていると思います。

最後に、蛇足でひとこと 「知は力なり」の格言がありますが、組織の強化に役立つ「知」とは情報の収集力とその評価力、と理解するのが今日的な解釈かもしれない。 今日、薬剤師会や会に関する情報は決して少なくない。会雑誌、県・市の会報、業界紙。また一般紙でも「くすり」に関する記事など。

ちょっと視点をかえると、われわれに何が求められているかが見えてくる。お互い見えたものを、会などの場で出し合えばもっとはっきり見えてくる。会はそんなところと思う。けっして損なところではないはずだ。

<ふお−らむ> 支部会員へのメッセージ
組織強化について
早良支部 副支部長 南島敏彦

ルルルル…電話が鳴っている。

電話を取った。○○○薬局の××先生からの電話である。今日の電話はいやな予感が脳裏をよぎった。予感は的中、私が苦手としている文章を書いてほしいとの要請であった。11月号ですでに諸先生方が寄稿されている組織についてと、むずかしい注文であった。

当然のごとく拒否の言葉を並べてしばしねばったが、組織について早良区からは意見が出されていないとの強い口調に、しぶしぶOKすることとなった。

さて一口に組織強化をいってもあまりに大きな問題であり、考えれば考えるほどむずかしく、頭の中がパニック状態になる、そこで身近な支部の会員の方へメッセージを送る事によって組織の強化に変えて書くことにしよう。薬剤師会は、誰のためのものであり、誰が支えていかなければならないのか。又何のための薬剤師会なのか、当然会員の方は意識されているものと思う。私は薬剤師会の最大の目的は、薬剤師の社会的地位の向上とそれにともなう経済的地位の向上にあると考えている。この両面における地位向上のために一般会員は何をしなければならないのだろうか、もう一度会員の方は考えてもらいたい。今会員ははたして自分達のこととして、目的に向い行動を起こそうとしているだろうか。ほとんどの会員の方が他人事のような顔をしている状況であると私は見ている。あきらめてはいけない。今からでも遅くない。会員の目覚めをお願いしたい。自分達のために!!

では一般会員は何をすれば良いのだろうか、我々がまず初めに取りかからなければならない事は、会員同士の輪、要するに友達の輪を作ることであると私は考える。友達の輪はどうすればできるのだろうか。そのためには数多くの会員同士の接触を持つ事である。

その為に各部会、委員会、支部総会等の会合に積極的に参加し、激論を交わし、会員互いの人格と、考え方を理解し合い、一致協力体制を早急に作り上げなければならない。この積み重ねが、強い絆となり、強固な組織になっていくと考えている。

末端の組織が協力になれば、上部団体(福岡市薬剤師会)も一般会員の声に十分耳をかたむけ結果的に強力な指導力を発揮し、我々委 員の為の施策を実行すると確認する。

<会員の広場> 薬草栽培記 東支部 馬出部会 柴田薬局 柴田伊津郎

2ヵ年のアメリカ留学から帰った次男が家の裏に住居を建てたいという、雑草園と倉庫代わりにしている建物をつぶしても50坪余りの土地にどんな家が建てられるのかと思ったが“スープのさめない距離"に子供達が住んでいるというのは、私どもにとっては何かと心強いものなので家を建てることにした。それで市薬会報23号に書かせてもらった「裏庭の薬草たち」(印刷では「家庭の薬草たち」になっている)の場はもうない。従って今は少しばかりの中庭と鉢植えで薬草作りをしている。私はどちらかというと雑草屋であるが、それでもゲンノショウコ、クコ、ジロボウエンゴサク、テマチヤズルなど十数種の薬草といわれるものがある。

センブリ

昨年の特記すべき事はセンブリの開花、結実である。
 センブリの栽培をはじめて数年になるが開花結実したのははじめてである。センブリというのは第1年目はロゼットのまま越年し、2年目に花茎を伸ばして開花結実するものだが、開花の時期になると毎年立枯れになってしまう。昨年はそれにコリて殺菌剤を数回散布して1本だけが生き残ったものである。
 センブリの種子は毎年若杉山の側峰である米の山(593m)で採種していたが、今年は自家産の種子で間に合いそうである。

ジロウボエンゴサク

これを採集したのは熊本県の高森だったと思う。これの塊根は延胡索として漢方で用いられる。種子でよく増えるもので植木鉢や庭の各所に芽を出している、春に可愛い紅紫色の花を開くので鑑賞用としても十分価値があると思う。

スミレ

スミレは薬草というより可憐な草花としてのイメージが先行するが次郎坊延胡索と対比して太郎坊といわれるスミレをあげておく。スミレは春の花としてあつかわれるが、栽培してみると12月頃から花が見られる。スミレは薬用としては「はれもの」に用いられるというが、近頃はエディブルフラワーとして花を食べるという。何とも無粋な話であるが私は夏葉をてんぷらにして食う。花の時期の葉は小さいが、夏の葉は別物のように大きくなる。
 少し粘りがあるがクセのないものである。同様に葉をてんぷらとして食えるものにドクダミがある。あの強い臭いもてんぷらにするとほとんど消えてしまう。

ゲンノショウコ

私の家には白花と赤花とがある。関東地方では白花が多いそうだが九州では赤花が一般的である。ゲンノショウコは果実のはぜた姿からミコシグサといわれるそうだが、この種千の飛ぶ力は相当なもので、私が計ったところでは約4mも飛んだ。
 九州で白花のゲンノショウコを見たのは豊後中村から十三曲を経て墨ノロに行く途中の峠の茶屋の前に白と赤がいっしょに生えていたのを見たきりである。これもその後の道路工事でなくなってしまった。私の家にある白花はいとこがくれた種子からのもので赤花と変わりなく育っている。

<会員の広場> 売薬は定価を超えて販売すべからず 南支部 野間部会 みどり薬局 大黒隆男

法規の一ヵ条にこのような条文があったといったら、皆さんは恐らくそんな馬鹿なことが……と思われることでしょう。

併しこの条文はかってあったのです。それは裏にわが国の統治国であった朝鮮でのことです。

明治28年、日清戦争終了後、当時のロシア帝国は日本の大陸進出を危惧して、満州地区を自国の勢力圏内におくため出兵を企画し実施したことは御存じの通りです。わが国はこの事実に対抗するため、朝鮮南端の釜山から満州と朝鮮の国境にある新義州への鉄道の速成工事に着手しました。当時の朝鮮は統治者の李正家の内紛と、これに伴って政治家の勢力争いが絶えず、政治はないに等しい状態であったのです。

この鉄道の速成工事につれて、工事現場に次々と飯場ができました。

この飯場を巡り歩いて日用品を売る行商人も渡来し、当時の唯一といってよい釜山の邦人業者から必要品を仕入れて持ち歩いていたのです。勿論飯場毎に医師が常駐する状態で はないので、行商人が持ち歩く売薬(現今の名称は家庭薬)が医療の手段であったのです。

これらの売薬は、他の食料品や日用品と同様、釜山で仕入れられたが、当時薬の卸屋はなく数軒しかいない小売薬店から仕入れるので、すべて売薬の定価であるから、飯場などで売る場合は勿論定価以上であったのです。当時の売薬の定価は10銭、20銭であったので、行商人が売る値段は10銭のものが15銭、16銭となることは当然のことでした。

鉄道の速成工事と、朝鮮の各地に点々と開店した田舎の薬店では、概ね定価以上で販売されていたのは事実でした。所謂日韓併合が実現し、総督府政治が始まると、朝鮮にも、現在の薬事法に相当する薬律が施行され表題の一条が入れられたのです。この世にも不思議な条文も、釜山京城平壌元山と次々に卸商が開店したのを機会に、大正年代の初めに削除されました。

今にして思えば、誠に善い時代であったと思われます。

因に朝鮮に於ける薬の卸商の第一号は、大黒南海堂で。明治32年でした。

<会員の広場> 赤道より想いをこめて
ガラパゴス便り
住吉部会 はなたれ薬局 冷川襄

1991年12月28日(土)

飛行機でバルトラ島に着きました。ガラパゴスの第一日目です。日本を離れて3日、やっと来ました。あたりは一面荒涼とした感じで、ウチワサボテンが林をなしています。温度計を取り出すと30℃になりました。厚い日差しに、サボテンの黄色い花が咲いています。根本に、喉の赤いトカゲがいます。これからバスと船でサンタ・クルス島へ渡ります。
 サンタ・クルス島へ着き、バスでアカデミー湾まで島を縦断しました。ホテルまでまた船でアカデミー湾を渡ります。空にはオオグンカンドリが飛行しています。向岸のいわの上はハシラサボテンの株です。船着場で降り向い側を見ると、ウミイグアナがいます。こちらを見て時々顔を上下に振ります。まるで人にあいさつをしているようです。

1991年12月29日(日)

昨日はホテルについて夕方、久しぶりに海につかりました。最初は少し水が冷たいという感じでしたが、すぐなれました。また夕食はフォルクロールの生演奏を聴きながらでした。「花祭」や「コンドルは飛んでいく」といった聞きなじんだ曲もありました。にぎやかなリズムの中に、哀調をおびたケーナの響き、ほんとうにすばらしい夕食の一時でした。夜空を見上げると頭上にオリオン座が輝いています。
 さて、今日は島の中間地点あたりの自然観察をしました。そして野生のゾウガメを見ました。大変な迫力です。甲長1mを越す大きさでした。観察後の空腹時に飲んだビールと、昼食の食前酒としてでたカクテルにすっかり酔ってしまいました。ダーウィン研究所を見学する時は眠くてたまりませんでした。

1991年12月30日(月)

今日は、バスで島を縦断し、船でバルトラ島へ渡り、サンタ・クルス号に乗船します。このサンタ・クルス島の南側は緑豊かで人も生活しています。峠を越え北側へ出ると、とたんに、木々は葉を落としてしまって、荒涼とした風景が続きますふ峠の手前は連日宕雨が降っていました。
 ガラパゴスについて3日目、今日から、船で寝泊まりです。部屋に窓が無いので少しばかり窮屈です。
 午後からはノースセーモア島を観察しました。小舟から上陸したとたん、何かに吼えられました。見上げるとアシカでした。ウミイグアナもゾロゾロといます。帰りがけにカニの写真を撮ろうとして滑り、手と膝をすりむきました。医薬品係りの自分が最初に、自分の持ってきた薬の世話になるハメになりました。

1991年12月31日(火)

小船でバルトロメ島へ渡りました。時計が午前9時を指しています。日本では平成4年1月1日午前0時です。テレビで「行く年来る年」を見ながら、除夜の鐘を聞いている人、勧請に出かける人、日本の今頃の状態が浮かんできます。
 この島はあまり生物がいません。溶岩が不恩議な景観を造り出しています。島の最高点まで登ると、目の前にすばらしい景色が広がっています。
 船に戻り昼食の頃より、船の揺れがひどくなりました。食事を食べれないままで部屋に何人か戻りました。まわりが何人も気分が悪くなったのを見ると、こちらまで精神的におかしくなりそうです。ポートデッキに上り、昼寝をすることにします。先ほどイルカが何頭も泳いでいましたが、写真を撮りそこないました。ボートデッキの上は風が爽やかです。ちょっと肌寒いくらいですが、ぜいたくな一時です。

1992年1月1日(水)

船の上で新年を迎えました。昨夜、夕食の後は、年越しの仮装パーティーでドンチャン騒ぎをしていたようです。自分は体力に自信が無いので、参加せずに寝ました。朝は船の上で屠蘇酒の乾杯をしました。
 午前中はイサベラ島の見学です。ガラパゴス諸島の中で最も大きな島です。小船で海岸を見てまわり、ペンギンに会えました。島に渡り、植物の名を質問しながら、ガイドのオスカル青年と少しは会話ができるようになりました。
 船で泊るのも、今晩だけになりました。我々の日本人グループだけ夕食に刺身がでました。日本を離れて1週間、久しぶりの味でした。

1992年1月2日(木)

ガラパゴスともいよいよお別れの時となりました。バルトラ島へ渡り、飛行機でエクアドルのグァヤキルへ飛びます。リクイグアナ、アホウドリ、ベニフラミンゴに会えないままというのは、確かに心残りです。しかし.、日程の関係上どうしても仕方ありません。今回まわれなかった島々、必ずもう一度機会を見つけて、来たいものです。
 ガイド達の何人かも入れかわるようです。グァヤキル空港まで一緒に帰ってきました。今晩はグァナキルの街で泊ります。
 赤道直下、失われた楽園、ガラパゴス、太平の彼方、本当に素晴らしい日々でした。

〔フレッシュさん紹介〕 どんな時でも絶好調 博多支部板付部会 アスカ薬局 徳山日出也

薬袋書いて、薬歴簿出して、計算して、調剤して、監査して、名前呼んで、投薬。 (あれー順番はこれでよかったかナー)

このくり返し、くり返し、くり返し。 在庫を調べ、あすの注文を書き出す。 レジを合わせ、日報を書き、一日分のレセプトを書いて、はい今日はここまで。

10月にここ諸岡で開局となった。
 ややハードな肉体労働です。
 一ケ月もすると歯と胃が反乱を起こしました。そして頭が一段とパーになってしまった。
 ここ2〜3ヶ月は新聞さえもろくに読んでいないのです。
 エリツィンさんにゴルビーちゃん、それにフセイン大統領は、どうなりましたか。
 バブルははじけてどうなりましたか。
 年末ジャンボの一等は何番だったですか。
 などと思いながらも
 また今日も、せっせと薬袋書いて薬歴出して計算して、投薬をやっています。

もう、こうなったら  やるっきゃないと、ひらき直るしかありません。『どんな時でも、絶好調』のノリでやっ てます。

ところでゴルフ同好会の皆様、今年こそ、今咋こそ優勝させて下さい。

(S53.第一薬科大学卒)

〔フレッシュさん紹介〕 薬剤師会に入るにあたり 福岡大学大学院生 木原太郎

小学校のときから高校の2年生までは、父親の修理工場をつぐのが夢でした。しかし、物理の授業についていけなくなり、その夢を諦めました。その後、家業が薬局をしているせいでしょうか、あまり意識せずにこの道に進んでいました。大学に入った頃は、薬学について何も知らず、母親のしていることなどに関心もありませんでした。

大学3年の春、病院実習である女性と知り合い、ときどき電話もする仲になりました。このことが、高額の電話代から足がつき、母親にばれ、ひどく怒られました。

それから、何事もなく2、3ヵ月が過ぎたその年の夏、私は初めて「市薬会報」を読みました。編集後記に自分の母親の名前を見つけました。「なんば書いとっちゃろうかね−」と思って読んで見ると、「電話代がこんなにかかって大変だ」とか、「彼のこの恋が、成就するとは限らない」とか、もう好き放題に書きまくられていました。長電話は、母親が一番多かったのに人のせいだけにしてから、「許せん」と怒り、文句を言うと。「あれは、フィクションたい。ばってん、ノンフィクションのところもあろ−が」の一言。怒りが一転して呆れに変わりました。それからというもの私は、母親が書く文章は注意して読むようになりました。

またある時、大学のT教授に「寄生虫」と、突然呼ばれ「なんで、寄生虫なんですか?」と尋ねると、「新聞にそう書いてあった」と言われました。親切な先輩は、わざわざ新聞の切り抜きまで持ってきてくれました。その新聞の切り抜きには、クスリの話のおちの部分にまちがいなく、私の事を寄生虫と書いてありました。それ以来その教授は、私の事を、「寄生虫、寄生虫」と呼ぶようになり、また周りの人達も同じように呼ぶようになりました。本当に迷惑な話です。

こんな話はまだたくさんあります。けれども、これらの話のうち“高額電話料金事件”は、私が薬剤師の国家試験に一発で合格するための原動力となりました。というのは、国家試験合格のあかつきには、薬剤師会に入り、いままで母親にいろいろとやられたお礼詣りをしようと心に強く誓ったからです。それがこのフレッシュさん紹介です。

動機はどうあれ、そのお陰で今はいっぱしの薬剤師になり、いろんな経験をするようになりました。これからは、公私共々、いろいろな面で皆様方にお世話になったり、迷惑をかけたりすることと思いますが、末永くこの若造を宜しくお願いします。

(H3.福岡大学卒)

■■トピックス■■ 市薬学術委員会

機能性食品とは

食物を摂取する意義は個々の栄養素の有するそれらの作用を発揮させ、生活活動を円滑に行わせることにある。栄養素には(1)人体の構成成分となる。(2)エネルギー源となる。(3)生活活動を行う上に必要な種々の科学反応に関与する。各栄養素は最少必要量以上、中毒量以下の範囲で取るのが適量である。最少必要量は栄養素としての量であるが、この量を超えて栄養素を与えると、栄養素の作用とまったく異なった薬理作用が出て来る場合がある(図1)。一方、食品にはは表1に示すような3種類の機能が存在するが、機能性食品という言葉はこの第三次機能を利用して、日常摂取する食品により疾病を予防し健康を改善しようという考えから生まれたものである

機能性食品の問題点

 毎日摂取する食品から成人病を予防しようと言う発想はおもしろい。が多くの問題点がある。(1)生体に対する機能を証明するための統一的基準がいる。(2)副作用に対する対策を立てておく。(3)例えば、「血圧を上げる」ものと「血圧を下げる」機能食品があった場合、消費者にその選択の判断をまかせていいかどうか。機能性食品の選択に医師の判断が必要で はないか。その場合を想定して注意書き等詳細な記載をする等の配慮が必要であろう。(4)現在は食品と健康に関する情報が規制なく流され、氾濫しており、一般の消費者に情報の真偽を選択させるのは無理だと思われ、健康情報になんらかの規制が必要であろう。

P21 Noll,p5 NO12 Voll.27 (1991)

ニューキノロン(NQ)剤と制酸剤の相互作用

NQ剤とAl、Mg含有消化器官用剤の併用により抗菌力が低下した。症例として、KMさん(Al、MG含有)継続服用の患者さんで発熱するたびに喀庚申にHaemophilus spが3+検出された。薬剤感受性試験3+のOFLXとNFLXを投与した。OFLX投与すると、解熱はするが、中止すると4日目より発熱、今度はNFLXを投与したが、解熱しなかった。OFI、X投与7日後の喀痍中の薬剤感受性はOFLX、NFLX共に3+で、菌数は3+で消化しなかった。この相互作用の機序はNQ剤がAl、Mgとキレートを形成することによる消化管からの呼吸阻害と考えられている。その他、Ca、Zn、Feなども、NFLXやOPLXのAUCを減少させる報告がなされている。NFLX単独投与時を100%とした場合、マーロックス同時服用時1.5%、2時間後服用時77.6%とbioavailabilityに大きな影響がみられるので、併用を避け、必要ならば他の薬剤を検討した方が良い。

山形大学医学部附属病院薬剤部 豊口禎子他 p35 JJSHP,Vol.27,No.9 (1991)

〔ドリンク剤のカロリー〕

日頃店頭に立っていると「糖尿病ですけど、飲んでいいですか」とか、「栄養剤を飲むとふとりませんか」などと聞かれることがあります。一般的にはドリンク剤一本はおよそ80kcalと言われていますが、 この表を見るとかなりバラつきがあるのが分かります。 ここに佐賀県薬剤師会試験センターでテストされたものがありましたので転載します。

ドリンク剤の糖分テスト 佐賀県薬剤師会検査センター

[広報]

 毎月送っていただいている、福岡市医師全発行の「福岡市医報」。市医報には毎月特集記事が企画されていますが、10月号の特集は−〔中医協建義の評価と今後の影響〕−。本年4月からの導入が決定されている“加重平均方式’つこついて、このような方々が投稿されています。なかに、私どもの組織から杜保担当の正岡常務理事が、保険薬局の立場で投稿していますので、ここに転載させていただきました。

薬価改定と保険薬局 福岡市薬剤師会 常務理事 正岡民次

来春の薬価改定による保険薬局の経済的影響について、その見解を述べよとのご依頼がありましたので、その旨、書かせて頂きます。

福岡市薬剤師全の会員も保険調剤を主とする会員が約160軒で、全会員の30%にもなりましたので、薬価基準の改定は会員の注目を集めています。

すでにご案内のごとく、厚生大臣の諮問機関である中央社会保険医療協議会(館龍一郎会長)が、5月に打ち出された新しい薬価算定方式一加重平均値一定価格各幅方式(R加重平均値方式)は、従来の診療側に裁量をもたせたものと異なり、完璧なまでに診療側の懐を操る厳しい最期通告となっています。しかし薬価算定方式の変化は、これからの保険医療における医薬品の方向性を示したもので、「これまでの供給過剰のなか、量より質への転換をはかることも考えなくては」との指摘もあります。

改定後は使用されるR加重方式とは、ある医薬品価格の平均値を出す際、各値段とその数量を加味して計算するものです。つまり300円が10個、350円が30個出されている医薬品の場合の加重平均値は(300×10+350×30)/(10+30)で337円30銭となります。

来春の改定では、加算される一定価格幅(R)には現行薬価の15%が採用になります。これは医薬品の安定供給を保つため設定されたもので、国が認めた薬価差に当たります。それ以降は加算平均プラスから3回の薬価改定を経て13%、11%、10%と6年間で段階的に加算幅を縮小されます。

現行薬価を100円として加重平均値が60円と仮定すると、60円+15円(15%)=75円が新薬価となります。又、新薬の薬価算定については、保険医療上の有用性が認められるものとそうでないものを分け、メリハリのある評価を行うことになりました。これにより従来の先駆性加算は廃止され、画期性加算が新設されます。即ち加算率20%の画期性、同3%の有用性、同3%の市場性の3種類の加算区分となります。また、サンプルについては、保険請求を認められないほか、提供機関の短縮等、供給の在り方を見直す方針もあります。

改定を重ねる度に、薬価差のある医薬品は一気に縮まっていく仕組みで、メーカー、卸、医療機関が努力すればするほど、加重平均値は下がり、まるで蟻地獄的薬価算定方式であり、現在1兆3千億円あると言われる薬価差を強制管理してしまう方式だと思われます。

薬剤師会の対応としては、当然前例がありませんから、やってみないと判からない面が多々あります。調剤を主とする薬局には色々な診療科目の処方箋を受けていますので、それぞれ受けとめ方は異なりますが、一部試算してみました。

(仮定)
(1) 技術料のアップはないものとする。
(2) 総収入を300万円と各科限定する。
(3) 調剤を主とする保険薬局における薬価差は一般的に500T〜100Tを主とする購入のため一般医療機関より5%高いものとする。

ご覧のごとく薬価差が15%であれば、今回は現状を維持します。言い換えれば調剤を主とする保険薬局では医薬品の仕入値が高く、あまり影響は出ません。しかし影響が出ないのは今回限りで3回目のR−10%のごとき状態では薬剤師不足の折、給与の高騰等労働条件の改善を迫られましょう。

米国のドラッッグストア、ヴォルグリーン(1988年、年商48億8千3百50万ドル、このうち処方箋による医薬品27%)がトイザラスの次に日本に進出する噂もあり、現在型の調査を主とする保険薬局は将来的に存続出来るのかむずかしい問題です。

聞くところによると、厚生省は「(薬価差益がない)医薬分業の病院で健全な経営をしているところもある。今の診療報酬が充分でないと言えるのか」と報酬引き上げを求める医療機関を牽制し、本当に必要なのは医療機関の経営の一層の合理化を強調しているとのことです。

ですから、これからも医師会と薬剤師会がともに手を携え、より協力しこれらの荒波を乗り越え、新しい医療への取組を確立していけたらと思います。

(資料) 薬価問題全般についての中医協建議書(全文) 平成3年5月31日 厚生大臣 下条進一郎 殿 中央社会保険医療協議会 会長 館龍一郎

建 議 書

当協議会においては平成2年12月に薬価専門部全を設置し、以降、新薬の薬価算定を含む薬価問題全般について審議を行ってきた。  審議に当たっては、内外の関係団体(日本製薬団体連合会、日本医薬品卸業連合会、米国製薬工業協会及び欧州ビジネス協議会)から意見聴取を行い、それらの意見も踏まえ検討を進めてきたところであるが、今般、結論を得るに至ったので、社会保険審議会及び社会保険医療協議会法(昭和25年法律第47号)第14条第1項の規定に基づき、下記のとおり建議する。

第1 基本的考え方
 薬価算定方式等については、昭和57年9月18日付け当協議会答申(以下「57年答申」という。)及び昭和62年5月25日付け当協議会建議(以下「62年建議」という。)により、逐次、その改善を図ってきたところであるが、その後の状況の推移等に照らし、今後、次のような基本的な考え方に立って各般の施策を講じ、薬価及び医薬品使用等の一層の適正化を通じ、保険医療における医薬品に対する国民の信頼の確保に努めるべきである。
(1) 市場における実勢価格のより簡明かつ適切な反映を通じた将来にわたる薬価の一層の適正化
(2) 保険医療に対する貢献度に相応しい新薬の適切な評価を通じた保険医療の質的向上
(3) 小包装医薬品、基礎的医薬品等に対する一層の配慮を通じた保険医療上必要性の高い医薬品の適切な供給の確保
(4) 臨床試用医薬品(医薬品サンプル)の取扱いの適正化等を通じた保険医療における医薬品使用の適正化

第2 薬価算定方式の変更
1.これまでの経緯
 薬価基準は、昭和25年に設けられたものであるが、薬価算定方式については、医薬品の供給が必ずしも十分でない状況の下で、医薬品の供給の促進及び大部分の保険医療機関等における安定的購入の保障という観点から、いわゆるバルクライン方式が採用された。
 その後、医薬品の供給が大幅に改善される等の状況の変化の中で、90%バルクライン方式を基本としつつも、、ばらつきの是正等の観点から、57年答申においては、ばらつきの大きな品目について81%バルクライン方式を導入する一方、薬価基準と加重平均値との罪離が小さい品目については据置き措置を導入する等の修正を行い、更に、62年建議においては、加重平均値の要素を大幅に加味し、いわゆる上限修正及び下限修正を導入する等の修正を行い、現在に至っている。

2.現 状
 62年建議以降の薬価改正結果に鑑みれば、同建議のねらいとした薬価差の縮小及びばらつきの是正の強化という点では、一応の改善傾向が見られるものの、その進捗状況は必ずしも十分なものとは言えない。
 他方、医薬品の流通については、公正取引委員会の指摘も踏まえ、既に本年4月より、いわゆる建値制への移行を柱とする流通改善が逐次実施に移されているところであり、これが順調に機能すれば、従来のいわゆる値引補償・承認価格制等に起因する価格形成上の問題点は、漸次改善されることが期待される。

3.薬価算定方式の変更(「加重平均値一定  価格幅方式」の採用)

(1) 基本的考え方
 上述のとおり、医薬品の流通の面では、本年4月より流通改善が逐次実施に移されており、こうした機会をとらえ、実勢価格のより適切な反映、価格の不自然なばらつきの一層の是正、算定方式の簡素化等を図るため、従来の修正の方向を更に推し進め、この際、バルクライン方式を廃止し、加重平均値を基にする算定方式とすることが適切である。
 この場合、包装単位の大小等、取引条件の差異に起因して取引価格に一定の価格の幅が生ずることは、経済原則上も当然であるが、加重平均値そのものを薬価とすることは、医療上必要性の高い小包装医薬品等取引条件の不利な品目の安定的購入等の面で支障を生ずることが懸念されるので、加重平均値そのものでなく、これに一定の合理的な価格幅を加えた数値をもって薬価とすることが適切である。
 但し、この場合、薬価を実勢価格にできるだけ近づけるという要請及びこれまでの薬価適正化の経緯に鑑みれば、当該価格幅は過大なものとならないことが求められる。
 なお、算定方式の変更により保険医療機関等における医薬品の安定購入等に支障が生じないよう、取引価格の現状を踏まえ、今回の算定方式の変更が円滑に実施されるための所要の配慮を行うべきである。

(2) 具体的な内容
 銘柄別の全包装取引価格の加重平均値に現行薬価の一定割合(一定価格幅)を加算した数値をもって新薬価とする。但し、現行薬価を限度とする。
また、「一定価格幅」については取引条件の差異等による合理的な価格幅という観点から、これを100%とすることが適当である。
 しかしながら、取引価格の現状から、直ちにこの幅を10%とすることは保険医療機関等における安定購入等の面で支障を生ずることも懸念されるので、当初の幅は15%とし、3回の薬価改正を経て13%、11%、そして10%と段階的にこれを縮小していくこととする。
 なお、この一定価格幅の在り方については、10%に縮小された後にあっても、取引価格の状況の推移を見つつ、更に見直すこととする。
 取引件数の少ない品目や相場品目のように加重平均値を基に算定を行うことが困難な品目の算定については、同種同効品の改定率を用いる等、従前のとおりとする。

第3 新薬の薬価算定の適正化
 新薬の薬価算定については、57年答申に基づき、類似薬効比較方式を原則とし、先駆性加算、有用性加算及び市場性加算の3区分で補正加算を行う方式を採ってきているが、近年における新薬開発の動向に照らし、真に画期的な新薬に限り算定される画期性加算を新たに設けるとともに、従来の先駆性加算を廃止する等、補正加算の在り方の適正化を図る必要がある。
 具体的には、類似薬効比較方式における補正加算について、画期性加算、有用性加算及び市場性加算の3種に区分し、それぞれの対象となる新薬の要件の明確化を図るとともに、加算率は、上記3種の区分につき、それぞれ、20%、3%及び3%を原則とし、薬価に応じ傾斜配分を行うこととする。  なお、補正加算の適用に当たっては、制度の趣旨を十分に踏まえ、客観的資料に基づき適正な運用が図られるよう留意する必要がある。

第4 医薬品の供給及び使用の適正化等
1.小包装医薬品の供給の確保
 医薬品の使用及び管理の適正化、医薬分業の推進等の観点から、小包装医薬品の適切な供給が図られるよう、最小包単位の基準を引き下げる方向で見直す等、一層の配慮を行うこととする。
2.臨床試用医薬品(医薬品サンプル)の取扱いの適正化
 臨床試用医薬品については、提供期間の短縮等、その供給の在り方を見直すとともに、医療保険上の取扱いについても、保険請求を認めないこととする方向で見直すこととする。
3.低薬価品目等への配慮
 保険医療上必要性の高い低薬価品目、不採算品目、日本薬局方収載医薬品等については、その適正な供給の碓保を図る観点から、薬価算定等において、十分な配慮を行うこととする。
4.薬価調査の充実等
 今回の算定方式の変更のねらいが実勢価格のより適切な反映にあること等に照らし、従来見受けられる取引価格の末妥結及び仮納入の長期継続という状況は速やかに是正される必要があり、また、薬価調査の実施に当たっては、経時変動調査の一層の充実、強化等に努める必要がある。

(福岡市医報、第32巻 第10号より)

会議報告

[支部長会]

日 時
平成3年11月5日(水)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館第2会議室
出席者
三津家会長、藤原、松枝各副会長、冷川専務理事、合樺、戸田常務理事、松井、高杉、光安、栗田、糸岐、吉田、大庭各支部長

1.会長あいさつ 三津家正友
 毎日お忙しい中、市薬事業へのご協力、感謝申し上げます。先日のソフトボール大会、 重富選挙、各保健所ごとの健康フェアと、行事が多く、大変おつかれさまでした。参議 院補欠選挙では、重富候補を当選させることができ、翌日早々、市薬に御礼にこられました。来年の長尾選挙につきましてもよろしくお願い申し上げます。

2.長尾立子選挙について
 県薬に提出した名簿をもう一度返却し、個人毎に集計しなおす。次回メ切を今月末にする。現在目標の50%も達成されていない。

3.組織の強化について
 商組への協力、各支部から、部会末端会員への伝達が不十分である。支部役員会へは三役から一人必ず派達する。

4.簡易専用水道検査員講習会について
 市薬で費用を負担するので、数人の出席を要請

5.その他

[第6回理事、監事会(通算224回)]

日 時
平成3年11月22日(金)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館会議室
出席者
三津家会長、藤原、松枝、長谷川各副会長、冷川専務理事、細井、深江、合澤、戸田常務理事、木原、高杉、藤田、小野、鶴原、成澤、城戸、市花、裾越各理事、豊福監事

1.会長あいさつ
 先月から事業が多く、各委員会とも大変でした。本日は協議事項が沢山ありますの で、すぐに議事にはいります。

2.会務報告 冷川専務理事
(1) 10月28日内科医会・薬剤師会懇談会 18:00岩永
(2) 11月5日 支部長会19:00

3.協議事項
(1) 各委員会報告および事業方針各委員長
  (1) 組織委員会  1月19日ポーリング大会
  (2) 薬局委員会  急患センターへの協力
  (3) 社保委員会  備蓄リストの作成
  (4) 急患委員会  出勤者懇親会を1月下旬から2月中旬までに行う
  (5) 学術委員会  12月2日に委員会を開き2月中に2回目の実務研修会を行う。
  (6) 試験センター 酸性雨試験終了
  (7) 広報部    西日本新聞連載について、冷川専務理事が担当記者と話し合う
  (8) 関連団体報告 各担当理事より
     学薬、勤務部会、女子薬、商組
(2)平成3年度予算執行状況について 細井常務理事より順調に推移しているとの説明
(3)定款改定について 合澤常務理事
  11月13日、11月27日に委員会開催
(4)地域医療計画の経過について
  福岡地区、地域医療計画については、薬剤師会関係について原案提出中。
  福岡市地域医療計画も来月1回目の会合が開かれる。
(5)一般検査薬テキストの販売について
  研修会を開いて販売する。(薬局委員会が担当)
(6)その他
  2月8日県薬ブロック別研修会を市薬で開催する。

[第7回理事、監事会(通算225回)]

日 時
平成3年12月16日(月)午後6時30分
場 所
「一条」
出席者
三津家全長、藤原、松枝、長谷川各副会長、冷川専務理事、細井、深江、合澤、篠崎、戸田常務理事、木原、高杉、藤田、小野、成澤、城戸、市花、猪越各理事、豊福監事

1.会長あいさつ
 暮れの忙しい中、出席ありがとうございます。今年も残り少なくなりました。本日 はこの後、顧問および県薬会長、県薬専務理事をご招待いたしまして忘年会を行います。

2.各委員会の積み残し事業について
 (1) 組織委員会
 (2) 薬局委員会
 (3) 社保委員会
 (4) 急患委員会
 (5) 学術委員会
 (6) 試験センター
 (7) 広報部
 (8) 関連団体報告
   学薬、勤務部会、女子薬、商組

委員会報告

[組織委員会]

日 時
12月17日(日)午後7時
場 所
市薬会館第2会議室

1.ボーリング大会について
  平成4年1月19日(日)城山ボール
2.定款改正について

[薬局委員会]

日 時
11月14日(木)午後7時30分
場 所
「一条」
出席者
三津家会長、松枝副会長、深江常務理事、小野理事、藤野、向井、松島、中野、吉田各理事

1.健康展の状況報告と反省
2.薬草観察会の反省
3.漢方学術講演会の反省
4.基準薬局の問題点と今後の対策

[学術委員会]

日 時
12月2日(月)午後6時30分
場 所
市薬会館会議室
出席者
長谷川副会長、篠崎常務理事、市花、成澤、藤田各理事、中島、久池井各委員

1.第2回薬局実務研修会開催について
2.福岡市歯科医師会協定処方について
3.学術研修会について2月25〜26日頃
4.学術委員会および新年会 1月28日(火)

[急患委員会]

日 時
11月1日(金)午後6時30分
場 所
市薬会館会議室
出席者
成澤、市花各理事、小松、深見、馬場、竹尾、北島各委員

1.九山大会「休日急患センター連絡協議会」 出席報告
2.急患センター新規出動者の見学
 11/3、11/4、12/8、各1名
3.出動表作成
 ・12月、1月、2月
 ・年末、年始
4.急患センターの移転について
 4/13(月)〜17(金)の予定
5.基準薬局の教育
 基準薬局認定条件として急患センター出動義務づけについて今後検討していく。

日 時
12月17日(日)午後6時30分
場 所
市薬会館会議室
出席者
成澤、市花各理事、小松、深見、馬場、北島各委員

1.出勤者懇親会 2月5日(水)八仙閣
2.センター引越しについて4月13日〜17日
3.出勤者表の変更

[急患診療医薬品集編集委員会]

日 時
11月7日(木)午後7時
出席者
長谷川副会長、深江常務理事、市花、成揮各理事、唐澤、梅津、福澤、湯川、中島各委員

医薬品集原稿の回収
編集問題点の検討

研修会報告

[小太郎漢方研究会]

日 時
平成3年11月6日(水)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館講堂
演 題
1.水と水毒
   
2.高血圧症と漢方
講 師
小太郎漢方製薬株式会社学術部
   
山内一晃先生
出席者
43名

[ツムラ漢方学術講演会]

日 時
平成3年11月19日(火)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館講堂
演 題
和漢薬とアレルギー
講 師
岐阜薬科大学教授 江田 昭英先生
出席者
108名

[薬物療法研究会]

日 時
平成3年11月27日(水)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館講堂
演 題
「新しい抗生物質と作用に関する新しい知見」
講 師
武田薬品工業兜汢ェ支店 伊藤洋行先生
出席者
111名

古賀隆先生
厚生大臣表彰祝賀会

祝賀会次第
開会の挨拶           藤原副会長
発起人代表挨拶         三津家会長
来賓の御祝辞          久保田市議
友人代表祝辞          野間薬務課長
日本薬剤師会会長よりの銀杯贈呈 荒巻日薬理事
記念品・花束贈呈受賞者の謝辞  井原・鹿間職員
乾杯              神谷県薬剤師国保理事長
祝電披露            正岡常務理事
祝い目出度           山手前商組理事長
                松枝副会長
                白水県薬事務長
万歳三唱            冨永顧問
閉会の挨拶           大久保協励会福岡西支部長

タカクラホテルでの祝賀会は、葉業界はもとより、各会の100名を越す先生方が、古賀先生の授賞のお祝いにかけつけて下さり盛大に行われました。

 その中、友人代表で35年間の知巳であり、17年ぶりに頑固な古賀先生を、市薬に専務理事として、カムバックさせられた、藤野市薬顧問が、劉備玄徳にならって三顧の礼をもって、お願いにいかれたこと。その時、古賀先生のお宅のタタミの目を、一すじ、二すじ、三すじと数えられたエピソードを披露されました。

これを受け、古賀先生が、昭和55年に突然専務理事に指名があったが、あまりにも長く薬剤師会にかかわっていなかったので、固辞したが、どうしてもということで引受けたのが、市薬、県薬にたずさわるきっかけとなったこと。

又、業界での友人の第一号が当時、六本松部会長であった、三津家市薬会長であったこと。それから、本日の受賞のお礼に、役職にある限り、お役に立ちたいと述べられました。

荒巻県薬全長からは、年末の30日に、酒を呑む為に、古賀先生をよびだして以来、奥様には、迷惑のかけっぱなしで、頭があがらない。本日、目薬会長からの銀杯は、本来奥様にさしあげるのがすじだが、宛名付きなのでとりあえず、古賀先生に贈呈するとの挨拶がありました。

又、『三顧の礼』と題する藤原副会長編集の文集が、記念品としてわたされました。 野間薬務課長や藤野顧問が申されたごとくこの受賞を契機に一段と飛躍して頂き、花と実にされんことを説に望むしだいです。

(文責、戸田)


〔発起人代表あいさつ〕 御挨拶 福岡市薬剤師会 会長 三津家正友

秋いよいよ深まります十月吉日、我々の同志であります古賀隆君が、薬事功労による厚生大臣賞受賞の栄に浴しました。

古賀先生、奥様、誠にお目出うございます。 本日の祝賀会発起人代表としまして、心からお慶び申し上げる次第です。

私共早速これをお祝い致したく、先輩同輩諸兄にご相談申し上げ、ご案内申し上げました所、本日かくのごとく大勢の諸兄に御賛同賜りお集まり頂き、且つまた、御来賓各位には金城花を添えて頂き、盛大な祝賀会を開くことが出来まして厚く御礼申し上げます。

さて、古賀君は幼少の頃を中国旧満州国にて育ちまして、青雲の志を抱いて熊本の地に遊学し、官立熊本薬学専門学校に於て薬学を学び、薬剤師としての道を修めました。

熊本薬専を極めて優秀な成績で卒業後、彼は福岡市中央区にて古賀薬局を開設し、薬剤師として地域住民の方々に対し心身の健康保持の指導に当たり、且つ小学、中学等のPTA会長を歴任して住民の方々の信頼を集めております。

その間、多忙の合間を見ては薬剤師会の中にあって同輩、後輩の指導につとめ、福岡市薬剤師会の会長として、また、福岡県薬剤師会の副会長、日本薬剤師会の代議員等を歴任して、薬剤師としての職能を充分に発揮致しております。

古賀先生今63才、この賞を機に、我々のためにも益々の御活躍を祈念する次第であります。

なお、本日の祝賀会に際し、文集を作製しましたので御贈呈致します。古賀先生、並びに皆様方にとりまして、ささやかな記念になれば幸いに存じます。

最後に、古賀隆君の今後に更に幸あります様、ご列席の皆々様の御指南をお願い申し上げ、御礼の御挨拶と致します。

平成3年12月6日


お礼のことば 古賀隆

最後に、古賀隆君の今後に更に幸あります様、ご列席の皆々様の御指南をお願い申し上げ、御礼の御挨拶と致します。 この度、平成3年度薬事功労による厚生大臣賞を受賞いたしました。私のこんにち迄の人生で最も晴れやかな賞を戴き、心から感激しております。これも、ひとえに薬剤師会員皆様の永年にわたる御支援と、暖かい励ましのお陰であり、心から感謝申し上げ厚く御礼申し上げます。

かえりみますと、九大病院薬剤部を退職して、福岡市中央区草香江に薬局を開設いたしましたのが昭和32年であります。その2年後昭和34年に福岡市薬剤師会理事になりましたのが役員歴の始まりであります。しかし3年間勤めた後は、ずっと役員歴はありませんでした。その間は小学校のPTA会長を引受けたり、公民館審議委員、社会福祉協議会委員など、地域への奉仕活動を少しばかりいたしました。

時が過ぎまして、昭和53年、藤野義彦先生が福岡市薬剤師会長に就任された際に、突然専務理事に指名いただき、再び役員を勤めさせていただくことになりました。その後昭和61年に福岡市薬剤師会長に選出され、4年間会長を勤めました。私の在任中は時あたかも、重要な事業が山積みしており息つく間もない4年間であったように思います。中でも、ビル管の指定を受けたこと。厚生大臣指定の試験センター認可を得たこと。西鉄高架事業による市薬会館の取壊わしと、再建設事業に取組んだこと。国立福岡中央病院の地行浜への移転計画により、先行事業として同地区の土地を購入したこと。などが特に思い出として残っております。

私の退任後は、三津家新会長によって、国立福岡中央病院の処方箋応需を面に拡大、本格的な分業推進に発展させていただいており、研修事業についても同様に全員態勢で取組んでおられることは、まことに同慶の至りに思っており ます。

現在は福岡県薬副会長として、山積みする薬剤師全事業に微力乍ら、その一端の仕事に献身しております。

又この度の受賞を記念して有志の方々で祝賀会をしてくださるということです。しかもお祝いに記念誌を作ってくださるというお話しです。これは大変な労力と費用もかかることで、御遠慮申しあげたのですが、まかせておけとのお言葉で御迷惑とは思いつつ、甘えさせていただくことになりました。私にとっては後世にも残る一生の記念品となります。

本当に有難いことです。このように先輩、同輩、後輩の多くの皆様から暖かい祝福を受けて、過分なお祝いをしていただく私は、本当に幸わせ者であると思います。家内共々、あらためて厚く御礼申しあげる次第でございます。

薬剤師会も、若い有能な薬剤師が、どんどん育っております。私などが何時までも役にとどまっている時ではありませんが、その職に在る間は、更に精進を重ね、少しでも御恩に報いたいと考えております。

 「わが行く道に茨多し、されど生命の道は
   一つ、この外に道なし、この道を行く」
               武者小指実篤

私の好きな言葉です。私の生きる道は今までも、又これからも薬剤師の通ひと筋です。

この道を懸命に生きたいと思います。

終りになりましたが、会員皆様の益々の御健勝と御繁栄を祈念し、合わせて皆様の御厚情に満腔の謝意を表し、お礼の言葉といたします。

(記念誌・三顧の礼より転載)

市薬新春ボーリング大会

日 時
92年1月19日(日)午前10時
場 所
城山スポーツガーデン
参加者
およそ100名 小学生を除くゲーム参加者88名

上記のように好例の“新春ボーリング大会”が開催されました。3ゲームトータルで争われたゲーム成績は次の通りです。

支部対抗戦(参加者の平均得点による)
         平均得点 参加者数
優 勝 勤務部会   381   10
準優勝 東支部    367   11
3 位 城南支部   314   15
4 位 博多支部   310    6
5 位 早良支部   291   14
    中央支部    〃   12
    南支部     〃   11
6 位 西支部    271    9

個人戦
優 勝 入江理裕(東)セイイ薬局    505点
準優勝 四富国臣(勤務)福岡逓信病院  496点
3 位 遠田英信(早良)アクタス薬局  452点
4 位 笹野裕二(城南)ササノ薬局   443点
5 位 松井昌也(東)徳松薬局     440点
6 位 加藤正剛(東)加藤薬局     433点
7 位 平川雅章(勤務)九大病院薬剤部 418点
女性第一位
    根津智佳子さん         409点

 昨年、はなたれ薬局・根津さんの奥さんになった智佳子さん。旧姓上松さんといえば「あー」とうなずかれるかな…?

優勝した勤務部会チーム


準優勝で三津家会長からトロフィーと賞品を
受とる、嬉しそうな松井東支部長


昔操った杵柄

集合時間を、ゲーム開始時間と勘違いした何ともドジなお母さん。ねむたがる子供をたたき起こし、大慌てで駆け付けた『城山スポーツガーデン』。昨年は、広報で取材をしなければならないのに遅刻。会長の始球式に間に合わなかったことへの反省も込めてです。

「あれ、駐車場ガラガラよへんね」でもまだ気付かず、受付で始めて気が付くこのドジさ加減。「まったく救いがたい」−と朝から子供になじられる始末です。

受付には、吉村さんと坂田さんが仲良く二人。朝早くからご苦労さまと見回すと、合澤委員長と森川さんは忙しげにあちこちと走り回り、鶴原さんはまだ開店していない喫茶コーナーで、一人コンピューターに入力中。 それにしても、会の根幹をなす組織委員会で、女性が二人も活躍するなどは、とても十年前には考えられなっこと。現在、薬剤師の男女比は、四対六。だんぜん女性優位社会です。しかし、薬剤師会は開設者、すなはち店格で組織されているため、組織構成員はやはり男性優位。そのような中で、女性全員さんが頑張ってくれているのは、とても嬉しいものです。

さて、レーンの方はと見ると、ゲーム開始までまだ30分もあるというのに、第1レーンで、黙々と一人投げている人。東支部長の松井さんです。一昨年は優勝、そして、昨年は残念ながら三位に甘んじた東支部。「近年はソフトボールならぬ、ボーリングの東支部」を自認する松井支部長。一人コンディションの調整中とお見受けしました。

今年のお正月は、「一時間持ちだったよ」という娘。ボーリング場に行くと、いかにもオジさん風の人がおどろくほど上手で、カッコいいのだそうな。当たり前よ!私たちの青春時代は、第一次ボーリングブーム。二時間、二時間待ちはザう。お小使いのほとんどを注ぎ込んでいたものです。そういわれて東支部と勤務部会のメンバーを分析して見ると、たしかに、“昔操った杵柄族”が多く見受けられる。

東支部の仁田脇先生をはじめ入江さんに松井さん。また、勤務部会の豊福先生、篠崎先生をはじめ四宮さん。ま、たしかに、“昔操った…族は”は、チームを優勝に導く確固たる原動力にはなっていらっしゃるようでした。

二年連続優勝の勤務部会さん、おめでとうございます。

それにしても、わが博多支部は参加者わずか6名で平均点314。参加者14名で291点の早良支部の方が上位にランキングされるべきではないかと思う。しかし、飛び賞の方は、西岡さんご夫妻や橋口さん親子など、かなり獲得されていたようですから…。ま、いいかな。

参加者は昨年よりの大幅アップの100名。これではゲーム終了後のパーティー会場が、少し手狭の感あり。次回の反省材料にしなければと。これは合澤委員長の弁。

三津家会長の始球式は金色のボール。いっもダンディな会長ですが、セーター姿もとてもお似合いでした。

(文責・木原)

【広報通信】 新聞連載を終えて 福岡市薬剤師会 広報担当理事 木原三千代

西日本新聞生活欄に連載されていた“クスリの話”が、昨年末に終わった。ほんの五、六回のつもりが一年三カ月62回におよんだ。

思えば一昨年の九月。「木原さん、ちょっとご相談が」と、健康欄紙面担当デスクの竹井記者に誘われたのがそもそもの発端。場所はたしか西日本新聞社の二、三軒となり、長崎銀行地階のうどん屋さんだったと記憶している。「木曜日の健康欄に、場違いな生花の写真がときどき入っているのをご存じでしょう。そこで、お願いなのですが、穴埋めのように五、六本薬の話を書いてくれませんか」との申し出であった。

私が竹井記者に出会ったのは、その三カ月ほど前。忘れもしない六月七日の『仁術問答』。 そこで取り上げられている医薬分業の回答が、薬剤師会で進めようとしているものと少し違っている旨、FAX送信したとき。市医師会の山本愛文理事から、西日本の医療担当記者は、竹井さんという人だと教えてもらっていたが、会ったことはもちろん、声すらも聞いたことがない見ず知らずの人。

FAXを送信して五分。「西日本新聞の竹井です。FAXを受診しました。できれば医薬分業の回答を、今度は薬剤師さんの立場でお書き願えませんか」との電話。医薬分業がなかなか進まないのは行政の怠慢である旨。そして、赤いマニュキアでおしゃべりの薬剤師への批判には、薬剤師会としてどう対処したかを文中に入れてとの細かな指示。もちろん、指示ががなかったら何をどう書けばよいものやらであったが。受話器から流れてくるこわそうな声を聞きながら、これは大変なことになったと大緊張したのが、つい昨日のことのように思える。

それが“クスリの話”へと進んだ。五回書いたとき、「もう書けません」と泣きついた。

「木原さん、五回では読者はつきません。十回書いて、それから決めても遅くはありませんよ」。そして十回目には「せっかくだから、三月までどうですか」と。五月「タイトルを付けたら、もうやめます、書けません、は通用しませんよ。覚悟を決めてください」としっかり念を押され、ようやくタイトルがついた。

ほんの五、六回のつもりが、「ウソーっ、まさか、信じられない」で続いていった“クスリの話”。新聞連載が終わったこの一月。「薬の話は終わったのですか」とか、「続編はないのか」との読者から問い合わせが文化部にあったとか。会員の先生方からはヒンシュクを買いそうな、かなり変わった薬の話。にもかかわらず、読者がいてくださったとの手ごたえ。どんなに嬉しかったことか。

新聞に連載されたものに少し筆を加えて、この四月、西日本新聞社から出版されることになった“クスリの話”。

新聞連最中は多くの先生方から励ましの言葉をいただき、本にまとめるよう進めていただいたこと、心から感謝申し上げます。

【とっておきのくすり学】

【会員の移動】

会 務 日 誌 (平成3年11月、12月)


11月1日 急患委員会 18:30
  5日 社保委員会 13:30
     支部長会 19:00
  6日 小太郎漢方研究会 19:00(松枝、冷川)
  7日 急患センター医薬品集編集委員会 19:00
  13日 定款研究会 19:00
  14日 薬局委員会 19:30 一条
  19日 ツムラ漢方学術講演会 19:00
  22日 理事会 19:00
  27日 薬物療法研究会 19:00(松枝、冷川)
     定款研究会 19:00
12月2日 学術委員会 19:00(長谷川)
  3日 福岡市地域医療計画策定検討委員会 15:40 福岡市役所(三津家)
  4日 福岡市医師会忘年会 18:00(三津家、松枝、冷川)
  5日 福岡市学校保健大会 13:00
  6日 飲料水検査講習会
     広島県地区衛生組織連合会
     古賀隆先生厚生大臣表彰祝賀会 18:00 タカクラホテル
  9日 社保委員会 18:00 楠水閣 (三津家、松枝、冷川)
  16日 理事会 18:00 一条
  17日 急患委員会 18:30
     組織委員会 19:00
  19日 福岡市地域保健医療計画策定検討委員会リハビリ部会 13:30
     福岡市役所(三津家)
  21日 県薬地区連絡協議会 14:00(県葉)三津家、冷川)

ダイエー・ホークスファンクラブ募集

ダイエー、ホークスが福岡に来て4年を迎えます。福岡市医師会、福岡市歯科医師会では、既に、ファンクラブの発会式が行われました。この際、それなら是非、三師会のファンクラブを作ろうと、歯科医師会専務より呼びかけがありました。そこで、4月のペナントレース開幕までにファンクラブを結成したいと思います。

ダイエーファンの方、野球狂の方、アンチ・巨人の方等沢山の参加をお願いします。会員本人だけでなく、家族の方も従業員の方も参加下さい。

(問い合わせ先)
  冷川 襄(はなたれ薬局272−1551)
  蔵元 良行(聖和望薬局271−2227)

余滴 ジレンマ 福岡市薬師会 副会長 藤原良春

先日熊薬の同窓会総会が行われた。その時の特別講演で「一人称の死・二人称の死・三人称の死」という言葉を教えられた。

一人称の死とは本人自身の死であり、二人称の死とは最も身近な夫、妻、子の死であり、三人称の死とは文字どおり第三者、他人の死のことである。

1月22日「脳死及び臓器移植」に関する脳死臨調の最終答申が出された。この結論は、脳死をもって「人の死」とするものが多数意見であるとし、これに基づいて臓器移植の推進がうたわれている。ただし、脳死を人の死として認めない少数意見も併記されている。

この答申を読んで考えさせられたことは、少数意見が持つ重みであり、そこには胸の奥底に響くものがあった。この答申で示された脳死を一言でいうならば、多数意見は三人称の死の立場からのものであり、少数意見は二人称の死に重きを置いている。

私は脳死が医学的には人の死であることを理解できるし、私自身が脳死に陥ったとき、ドナーとなることも同意する。この考えは、脳死状態では肉体的にも、精神的にも痛みを伴わないというのが正直なところかもしれない。

しかし、私の妻や子はどう思うであろう。人工呼吸器をつけているとはいえ、呼吸もあり、体も温かい。それを素直に死と認め、本人の意思だからといって即座に死体として処理できるであろうか。また、私の妻や子が脳死と判定されたとき、私の心の動きはどうなるのであろう。人工呼吸器をはずすことに同意できるのであろうか。

レシピエント(臓器受贈者)の立場で考えても同じことがいえる。第三者のレシピエント、第三者の死については客観的に見ることができるから、臨調の多数意見に同調することも容易である。しかし、私自身が、私の妻や子が臓器移植しか生きる道がないとしたら、三人称の死、つまり第三者の脳死を秘かに期待し、こいねがうという悪魔のささやきに打ち勝てるのだろうか。なぜなら、ドナーとレシピエントとの数のアンバランスは、絶対に解消できないからである。

医学的見地から脳死を人の死と認め、臓器移植を医療として進めなければならないとする理性の問題、一方、二人称の死に存在する感情・情念の世界との相克は、自分の心を見つめれば見つめるほど、大きなジレンマとして浮かび上がってくる。

私はまだジレンマから逃れる道を見い出していない。その道は宗教の世界に求めるべきなのか、あるいは哲学的思想の中に存在するのであろうか。

その答の一つがキリスト教の信仰にあることは否定できない。西欧先進国で脳死が容易に認められ、臓器移植が広く行われているからである。神の前においては何人も平等、神と個人との絶対的契約、そこから生まれてきた個人主義思想が背景として存在する。一方、仏教界においては考え方が揺れ動いており、確固たる思想はない。

私の心は不幸なことかもしれないが、キリスト教にも仏教にも対面しようとはしていない。私がいまかすかな手がかりとして模索しているのは、「和をもって貴しと為す」という古来から日本人の血の中に流れている思想である。その根底には隣人愛という愛の思想が感じられる。

聖徳太子作とされる十七条憲法、その第一条の言葉として有名であるが、その思想はもっと昔に農耕社会ができたとき、日本独特の気候風土、狭陰な地理的条件の中から自然発生的に生まれたものではないかと考えている。

いずれにしても、私の死生観がどこへ向かうのか、まだ定かでない。もしかしたら、生も死も在るがままを受け入れる。寿命は生まれた時に定まっているという考えで、脳死も臓器移植も二人称の死においては、否定的になるかもしれない。ただ、どのような結論に達しようと私の死生観を第三者に押しつけることだけはしたくない。

薬価引き下げ医薬分業にメリット

伊藤医業経営研究所が、ある整形外科病院(60床)をモデルにして、レセプト分析したところ、現在の薬価を30%程度大きく見積もっても医薬分業のメリットのでることがわかった。処方した医薬品の総点数に占める差益を26%と見積もると、医薬分業への切り替えによって毎月収入は15万円程度改善される。

同研究所のABC分析では、この整形外科病院のレセプト(90年10月分)は、0〜100点未満、101〜300点未満、301点以上のそれぞれ1037枚、868枚112枚。平均点数はそれぞれ57点、162点、683点で、薬剤師の人件費や院内流通などその他のオンコストを考えると、自院での調剤、処方では収入が少ないことがわかった。

一方、院外処方箋を発行して医薬分業化した場合、処方箋発行による収入が143万3338円(レセプト1937枚)。使用薬剤は合計266万4620円であり、このうち薬価差益を18〜30%と設定すると、分業による損失は技術料58万8790円と合算して106万8420円〜138万8180円となる。失われる薬価差益を32%とすると損失の合計は144万1470円と初めて処方箋発行収入を超える。したがって同研究所はこのような単科病院ではほとんどの場合、分業にした方がメリットがでると結論づけている。

(日経メディカル 92’1月10日号)

【書き忘れた後記】

筆者近影というのはあるが、筆者“昔影”というものが許されるのだろうか。それにしても何年前の写真であろう。今号「巻頭言」の戸田常務理事である。あれほど、ポーリング大全の時に「白黒のフイルムだから、顔写真を撮らせてよ」と言ったのに。「ネクタイをしていないから」と断ったのは、こういう魂胆であったのか。

それにしても、組織というテーマ。ただでさえ難しいのに、ことさら難しく書く人ではある。「ディベートって、なんね?」、「討論とか論争のことたい」。編集時、このようなやりとりがあったことを、あえて付け加えておく。

また、戸田さんを知らない人のために。1944年生まれの年男、47才。写真の黒々とした髪の毛は7割かた、イヤ大まけにまけて5割かたは白いものが混じっていると、ご想像のうえご覧下さい。

編集者としては、3日間で巻頭言を書いてもらった手前、あまり大きな事は言えないのであるが…。

やったー!!

このスナップは「新春ポーリング大会」でのものです。賞品を手に嬉しそうなのは、左から吉田西支部長、早良支部の橋口さんとお嬢さん、それに西岡さん。

 皆さんボーリングの成績は、どうだったのかは聞きもらしましたが、手にしている賞品は“飛び賞”によるもの。ポーリングの成績が優秀であったから獲得したものではありませんので。念のため!


[編集後記]

○立春、新しい季節の予感にワクワクするような響き。冬もそろそろ終わりです。この冬も昨年同様、暖冬気味。倉庫に山積みされているカゼ薬。腐るんじゃないかなといっている本人が、カゼ引いてハクション。

○柴田先生からは、先生のお人柄そのもののような優しい、薬草の話。そして大黒先生からは、私なんぞ知る由もない釜山のクスリ事情。投稿飢餓の一月号。編集者としては、手を合わせたいくらい嬉しいご寄稿でした。
 また、送っていただいた大黒先生の原稿用紙、これが手作り。16文字23行、1cm間隔に点を打って、定規できれいに線を引いてあります。ちなみに、市薬会報用は20×20、定番のものです。
 原稿用紙といえば、いぜん藤野顧問にご寄稿をお願いしましたら、原稿用紙の裏に書いてこられたことがあります。「原稿用紙って、裏に書くのかな?」と、イヤ味を言いつつ文字を数えたことを思い出しました。

〇市医報11月号の特集記事、11編のうち7編は女性の投稿によるものです。羨ましい!市薬会報もこういきたいですね。

○もし投稿してきても、絶対ポツにしてやるとの固い決意。また、原稿がたくさん集まっていたら決して載せることはなかった「フレッシュさん紹介」。一昨年5月。編集後記に書いた“高額電話料金事件”いらい、「国試合格のあかつきには入会して、必ず市薬会報に投稿して仕返しをしてやる」と脅し続けられ1年半。心ならずも投稿される羽目に。

○会報の編集を引き受けた年、88年9月号の会員数は816名。92年1月号は900名です。魚やさん、肉やさんといった小売業が年々減っていくなか、唯一増え続けている小売業の薬局。市薬会報の発行部数も850部から950部へ。この4年間で100部増部されています。

○市薬広報を担当して2期4年間。会報の編集も、3月号の一回を残すところとなりました。 現在、市薬広報は広報部。委員会になっていません。しかし、委員会制にしなければどうしようもないくらいの仕事量です。
 常置委員会の必要性が認められ、前回の理事会では、4月の通常代議員全に『細則の改正』を提案する旨決定されました。

(木原)

平成4年1月31日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人  三津家 正 友
編集入  木 原 三千代
印刷所  (有)興英社印刷