■ 巻 頭 言
OTC薬局の強み 福岡市薬剤師会 社保担当 常務理事 正岡民次

ギックリ腰の痛みもやわらいで、すがすがしく出勤した土曜日の朝、前日のバレンタインデーのチョコレートのかわりに舞いこんでいたファックスー通!!これを見てドンと肩に重さを感じる。ショック!

「締切日2月29日まで“巻頭言”を寄稿して下さい」あと2週間しかない。文章力とぼしい私にとって文を書くのは大の苦手。さてなにを書くか、いつも固い分業問題ばかりだからたまにはちがった事も言ってみるか。そうだ、私はOTCについて書こう。私のOTC薬局にはボスレジが導入されている。3年前からの導入で大正のサポートバンシステムをおこなっている。自慢ではないが市内でも2〜3番目の導入だ。これは良い!薬局の状態が手にとるようにわかる。まるで薬局をCTスキャンで輪切りにしたようにできる。

在庫、利益、顧客、etcなんでもすぐわかる。

以前は9月、1月は支払うお金の通り繰りが大変だったが今はない。私の他の調剤薬局より利益をあげている。こんな良いものなぜ皆導入しないのかな?

考えるよりまず実行!!

私は生来なまけもの、勉強嫌い、働く事嫌いだから楽になるものはすぐ導入してしまう。ファックス、コンピューター、ボス、ワープロ、コピーなどOA機はなんでもそろっている、ないのはお金だけ。そして買う時の基準が中州ののみ代と比較するのですぐ決まる。

薬局も大型化するというより、大きなものに吸収される時代がそこまで来ている。大には小は勝てない(ランチェスター法則)。くつ屋、家電店、おもちゃ屋、やお屋etcすべてこれらにやられている。残れるのは、わずかな業種しかないのではと思う。

しかし、しかしである。薬局には薬剤師という免許が有る。これにより商売人から医療人に変身する。つまり処方せんを受け入れるのである。かと言って、分業もマンツーマン調剤専門では最初が最高でそれからだんだんジリ貧になっていく。それでもそういう所はチェーン化して調剤薬局を出していく。しかしそれも限りがあり、いっの日か採算割れをおこす。

しかし、いまあるOTCに乗せれば薬剤師の確保の心配も、つぶれる心配もいらない。処方せん枚数が少なくて採算が合う事は、処方せんを発行する医者が一番負担を感じなくて良い。末永く、地域医療にともに貢献できる。

これが薬局の本来の姿であり分業の姿であると私は思う。しかし、待っているだけでは何も生まれない。ただ滅びるのを待つのみである。

本年4月からの医療費改正、そして加重平均という新方式による薬価基準の引き下げによって、分業のための地ならしが着々と進められている。

OTC薬局は今こそ、その強みを発揮すべき時である。さあ、外へ出て行動しよう。

<特別寄稿> 福岡市急患診療センター 福岡市急患診療センター
  婦  長 平山節子
  担当理事 山本愛文

貴会の会報担当理事から、標記のテーマを戴きました。

さて、いわゆる急患センターの何を紹介したらよいのか、特集の一部なのか、一遍の読み物なのかと、迷いましたが、またまた編集後記でいじわるされるのが怖いので、婦長に相談して、あたり触りのないところを書かせて戴きました。文章の殆どは、婦長の原案によるもので、その責は婦長にあるものと理解して戴きたい。と、こっそり思っております。

日頃から、急患センターの運営につきましては、絶大なるご理解とご協力を賜りまして、深く感謝しております。先生方のお力添えがなければ、とうてい運営が出来ないのでありまして、今後おそらく続くでありましょう急患センターをよろしくお願い致します。まずもって、お礼申し上げます。

急患センターは、昭和49年に開設されて以来、土曜夜間・休日・祝日・お盆・年末年始と5月のゴールデンウィークで、約122日の営業をしております。年間5万人の市民と若干の旅行者とか近郊の住民の診療をしていることになります。

診療科目は、全国でも少ない、内・児・外・整・眼・耳・婦で対応しております。特に小児科は、受診者2.5万と半数を占めていますが、このことが待合室の狭隘の原因の大きな要素だと考えられます。

救急車は、年間400件の搬入があり、3月4月、12月と年末年始が多いようです。救急車による搬出も12月と1月に多く見られます。各会からの出動延人数は、医師3,000名、看護婦5,000名、事務1,900名と多いのですが、薬剤師会からも750名の出動をお願いしております。

特に年末年始だけで、4,000名の患者さんが殺到されますので、役割の重大さを感じておりますが、出勤者の家庭を犠牲にされてのご出動を思うと、心が痛む思いです。市衛生局もナミダしていると思います。

さて、一番の関心事は4月から移転します、新急患センターはどうなるのかと言うことだろうと存じます。3月末までに新会館の引き渡しが終了いたしますが、急患センターは福岡市に売却しますので、医師会への引渡しと同時に市への引渡しがあります。その後、市としての検査があり、機器の搬入後には、機器の検査が行われ、医師会に業務委託が参ります。従って、いまのところ、4月14日〜17日に引っ越しを終えて、18日の準夜から診療を始める予定にしております。

ももち浜の広大な地域に、それなりの威容を見せておりますので、お近くにお出でのときには、じっくりと見てやってください。

新急患センターの広さは、現在の約2倍です。しかも、一階部門を全部専有しますので、今までのように外科の患者さんが、痛い足を引きずって2階に上がることもなくなりました。

市衛生局は、目玉として全身CTを挙げていますが、これは目玉でもなんでもなく、只の機械だと思っています。超音波がすでに聴診器なみに使われている時代です。急患診療でCTは当たり前です。しかし、一次医療としては、今までにない理解を示してくれまして、担当として感謝しています。

救急車の入口を別に設け、雨風に晒されることなく救急室にまっすぐに運び、直ちに救急態勢をとれるようにしました。蘇生器・除細動器等を常備した救急室を作りました。また、身障者にはどこまでも優しく、クルマ椅子専用のスロープをつくり、受付窓口・薬局にもこころ配りをしております。

救急の患者さんが、少しでもゆったりとした気持ちになれるようにと、2階までの吹き抜けを作りました。吹き抜けがある待合室は、100名はゆったりと座れる広さにしました。これで、驚異を感じた混雑は回避出来るものと信じています。この広さが満員になることは、喜べない反面があります。薬局も同様に2倍の広さになります。今までは狭苦しいところで、まことに済ませんでした。これからは、太極拳でも、ラジオ体操でも出来ると思います。ゴルフのスイングはどうでしょうか?

常勤の職員は数少ないので、先生方のご要望をどこに持っていってよいのかと、ご不満のときもあると存じますが、婦長を診療部門の最高責任者にしましたので、なんなりとぶつけて下さい。頑丈に作っていますので、何のご心配もいりません。少々のことでは、びくとも致しません。

新しい建物には、新しい魂を入れる儀式が必要です。ご出動いただける先生方、ぜひお力をお貸しくださって、入魂式にご参列を!日本一の設備と陣容で対処すれば、いまより赤字経営になっても笑ってくれることを期待しましょう。急患診療はもっと行政が力を入れて、本気で掛かってこないと、国民の健康は守れないと思います。最後に、移転により早良診療所を閉鎖して、中央診療所は再開しないことを申し添えておきます。

<特別寄稿> ガラパゴス諸島自然調査行 福岡自然研究会 代表 河西照勝

昨年末の平成3年12月26日から翌1月6日までの12日間、私達福岡自然研究会のメンバー11名は太平洋の彼方に浮かぶ赤道直下の島ガラパゴス諸島の自然調査行を行った。

訪れた島々は7つ、群青の海と紺碧のはざまに原始の姿をそのままの動植物を600枚のフイルムと10巻のビデオテープに収めてきた。 強力な自然保護の取組みが随所にみられ我が国の保護運動の試みに貴重な体験をした。例えば、山道や砂浜を歩くのは両方に立てられた狭い棒杭の間だけ、カメラアングルの為に30cmそこから外れただけでもガイドを兼ねた監視員の激しい叱責の声が飛ぶ。砂浜の下に はアシカやイグアナ類の卵が生み付けられている可能性が強いからである。

この島に上陸したかってのスペインの船乗りたちが、「魔法にかけられた島」とよんでいたが大陸を遠くはなれた島々には我々がいまだ見た事のない光景が次々とあらわれた。

福岡空港より、マイアミ、キト(エクアドルの首都)と泊りを重ねて空路だけでも延々25時間、ガラパゴス諸島観光の玄関口バルトラ島の荒涼とした空港につく。ウチワサボテンが点在しその根元にヨウガントカゲがみえる。

小船でサンタクルス島へ渡り、小型バスでアカデミー湾へ移動、サンタクルス島高原ではガラパゴス・ゾウガメの自然生息保護区レセルバ・デ・ガラパゴス地区の見学や雲霧帯と呼ばれる高原で大木化したスカレシアなどの植物を観察する。進化論を発表したイギリスの博物学者チャールス・ダ・ウィンを記念して建てられたダーウィン研究所では減少しつつあるガラパゴスゾウガメなどのふ化飼育などが行われているが成果はなかなかのようだ。

翌日、観察船サンタクルス号に乗船しクルーズ開始。オオグンカンドリの営巣地やアシカの群生地ノースセイモア島やガラパゴス諸島随一の景勝地バルトロメ島はアオウミガメの産卵、イザベラ島内に入ると縦横に動きとぶベニイワガこ、植物相もあつく、原種もいくつかみられる。午後、食料である魚類が余りにも多いため飛ぶ必要がなく羽根が退化して飛べなくなったコバネウの営巣地フェルナンディナ島のプンタ・エスティノーサに上陸、怪奇なウミイグアナの群生地等もみる。その後再びバルトラ島に戻りマイアミ・ダラス経由で帰国の途に付き1月6日(日)福岡空港着後 解散式を行い無事帰国した。

今回の調査については、結果を日本生物教育学会九州支部での講演会、西日本新聞への連載・写真集の発行(カラーガイド・ガラパゴスの自然を訪ねて−魔法にかけられた島々−)その本の発行にあわせての写真展の開催など福岡の市民やこどもたちへの還元を計画している。

なお、今回のガラパゴス諸島自然調査行に対して貴福岡市薬剤師会より専務理事の冷川氏を派遣していただき、また暖かいご支援にたいして心から感謝の意を表します。


 ガラパゴス ゾウガメ

<特集・会報について> 会報編集の思い出 福岡市薬剤師会 会長 三津家正友

昭和53年藤野義彦先生が会長になられたとき、突然広報担当の常務理事を命ぜられた。私としてはとまどいもあり、仕事は何をするのですかとお尋ねすると、会報を作れとおっしゃる。そしてお断りする暇もないほどの強引さで「頼みますよ」。この一言で押し付けられてしまった。

何しろ学生時代を通じて未経験の分野であり、市薬には前例もないので何から手を付けていいかもわからない。先ず会報の形式をどうするか、本の形式にするのか、新聞の形式にするのか大いに迷った。本の形式にすれば編集は楽なのであるが、経費節限ということで新聞形式にせざるを得ず、このときから悪戦苦闘が始まった。

私一人の作業では無理なので、親友の細井徹一先生に応援を求めることにした。書いていただいた原稿、会員に伝達すべき情報等の資料を持って細井先生宅を訪れ、二人とも辞書を片手に、縦書き13文字の原稿用紙に書き直す作業に着手。そしてレイアウトをどうするか、見出しは何段にするか、その活字の大きさは?と、すべて手探りの状態で進めなければならなかった。

最も苦労したのは、文字数を何度数えても枠内にきちっと納まらず、その都度原稿を書き直さなければならないことで、細井先生宅での作業も夜の12時、1時になることが数日続いた。

やっとの思いで昭和53年7月1日、新聞タイプ2ページの創刊号(現在の会報の10ぺージ分に相当)を発行したことが今懐しく思い出される。

その後、第2号から第8号(昭和53〜54年)は新聞タイプ4ページで発行したが、保存しやすいようにということで、昭和55年の第9号から本タイプ約20ページの会報に変更し、昭和56年の第13号で編集の責任を終えた。

今思い起こすと、昭和53年は藤野会長により会の運営、事業等数々の改革がなされた年であった。主なものでは、(1)組織、社保、薬局、急患の常置委員会を設置しての事業運営(広報部、常置委員会としての学術委員会は54年に追加)、(2)支部制度の発足、(3)会館建設問題、そして情報を密にするため、(4)会報の発行があった。

私が携わった4年間の会報を読み返してみると、市薬、学薬、各支部、またその他の組織の役員として、いきいきと活躍された先生方の顔が浮かんでくる。一方では若くして亡くなられた先生もあり一抹の淋しさも覚える。

会報編集の大変さは、身をもって経験した一人として十分認識している。それだけに、現在のように充実してきた会報には今昔の感を覚えるとともに、編集者に対しては、心から感謝しつつ「ご苦労さま」と申し上げたい。

しかし、会報というものは時代の変化に対応して、更に充実させ発展を続けなければならないという宿命を持っている。そのためには編集に携わる人の努力はもちろんであるが、会員諸兄の協力がなければ、今後の発展はありえない。

また、現在の会報は対外的広報活動の一環としても重要な役目を果たしている。このこともご理解いただいて、会員諸兄の更なるご協力をお願い致したい。

<特集・会報について> 市薬会報についての提言 福岡市薬剤師会 顧問 藤野義彦

私は以前の会報からみると、大変な努力が払われた結果、非常に見応えのある会報になったことを大変喜ばしいことだと感謝している者の一人です。

然し、気付くところを忌憚なく言わせてもらうと、編集にたずさわる3〜4人の先生方が集り、話し合いで紙面ができていると思うが如何。

これは基本的には息切れしてしまうおそれがあります。編集して発行する以上、予算もかかり、労力も必要でしょう。それには編集委員会(広報委員会)の常置が必要です。

今の3〜4人が集まっての編集では、同族の者同志がキズを舐め合っている様にしか見えないのです。

話はそれますが、羊の群を飼っていた昔の人は近親結婚がいい結果を生まないことを知っていました。

昔の中国では、弱い子が生まれ、それが重なって子孫がなくなると先祖の祭祀がたえてしまい、老と子とからなり、子が父母や祖先によく仕える意を表わす「孝」を百行のもととする儒教の基本理念に悖るということで「珍えるを恵む」と教えたのです。

古代中国で股が衰え、周がやって来て王朝を継ぐのですが、その周の実体は中国北西部にいたチベット系牧畜民だった羌です。

周は羌としての牧畜の経験から、同姓不婚の知恵を持っていました。中国における同姓不婚の禁制は「周礼」からはじまります。

日本列島の歴史は古いが、統一国家をおこしたのは7世紀の大化改新からと考えられます。 精密な法典ができるのは「大宝律令」(701年)からですが「大宝律令」の範は「唐律」です。 その「唐律」を範としながら、我が国に入れなかったものが3つあるといわれます。1つは道教(唐の国教)、2つ目は宦官、3つ目は同姓不婚です。日本はいわば南方社会ですので、同姓不婚は受け皿がなく盛りようもなかったのですが、李氏朝鮮では(1392〜1910)朱子学を採用して以来、儒教文明は本場の中国以上にキビシクなりました。この様に近い者同士の寄合いは、同姓不婚とされる進歩的な考えを否定しかねません。私はこの様に本質的な歴史の流れの中で学びとられ、遺伝学的にも好ましくないとされていることを知らねばならないと思います。

現代の情報伝達には目をみはるものがありますが、何といっても基本は文字であることは言をまちません。それ故、歴史が教えるように、適切な会員の先生方に編集(広報)委員として力添えを頂き、是非共新しい血を注いで頂くよう執行部の努力を節にお願いします。

この常置委員会に次の様なテーマのたたき台を提供したいと思います。

編集のあり方
(1) 追われることなく、早めに委員会決定として上梓する計画をもつ。
(2) 会報は投稿者、寄稿者のみにての発行のあり方を考える。
(3) 委員は記者的な行動のみではなく、編集目的に添った企画をする。
(4) 本格的な編集の勉強会を折にふれてもつ。
(5) 薬剤師職能や目薬憲章等、目的意識を啓蒙する標語を会報に一貫してのせる。

プログラム記事のあり方
(1) メインの大会、学術会議、各講演、講習、研修会等の予告と必要と思われる要旨を載せる。
(2) 原稿の穴埋め的に、薬事、分業、職能、医薬品等について社会の中で公表された、
  情報スクラップの項を2頁位さいて掲載する。
(3) 原稿、編集のあり方によっては隔月でもよし、欠刊してもという余裕をもつ、
  原則は寄稿者のみで発行するようなことではいけない。編集のあり方の(3)に通じる。
(4) 会務報告は委員会、理事会等々の詳報を是非もれなく載せる。

考えられることを種々雑多に思いつくまま書いてしまいました。なにとぞよろしく、より会員に読んでいただける、会員がつくる、全員のための会報として、今一層の努力をお願いしたいと思います。

<特集・会報について> 会報について 元福岡市薬剤師会 副会長 堀江秀男

現在市薬から毎月立派な会報が発行されています。会報係の諸先生にはたいへんご苦労のことと推察します。各職域でご活躍の会員、新会員さんなどのお話が収載されて、たいへん楽しく気軽に読ませて頂いております。

私事でまことに恐縮なのですが、私は平成二年春県薬代議委員会副議長を最後に十年間の市薬県薬でのお手伝いを終り、現在細々と専門薬局(自称)を営んでいるところです。木原先生より会報発行当初の苦労話等寄稿するよう依頼されましたので拙文をお目にかける次第です。

古い話しになりますが十年前にタイムスリップして、市薬に微力を傾注した当時の記憶をたどりつつ述べさせていただきます。昭和53年市薬に支部制ができまして、初代博多支部長として藤野会長の市薬に参加し、二期4年を務め、昭和57年冨永会長に専務理事を命ぜられ市薬運営の実務につきました。何分市薬では理事の経験もなく、全く白紙の状態でお 引受けしたのですが、若気と元気まかせ、自我流を以って会務に携った事が今思えば懐かしくも、又恥かしくも思えるのです。当時の常務理事、理事、監事の諸先生方にはたいへんご迷惑をかけ失礼致しました、紙上をお借りしてお礼とお詫びを申し上げます。会長副会長先生方の温情をもって、どうにか私の職務も出発したのですが運悪く昭和57年度は前事務長吉田さん(故人)が退職され、事務長空席の一年でありました。

熟練の肥高、家永(現在井原)両職員さんのお蔭で事務所は事無きを得ましたが本当に酷しい市薬でありました。と申しますのは、繰越金がまことに少く旧会館の借入金が重くのしかかる時代で、年間事務長人件費が不要であったのが逆に救いであった様に思える程でした。

会長副会長に支えられ皆目運営に不案内の私が各委員会に種々問題提起し、お願いしたり、事業展開をせねばならず無我夢中でしたが、何んとか二期4年間の任務を遂行させて頂きました。大げさですが会の民主化、会を明るく、会員サイドのものに、又会館は会員の共有財産ですから会員利用を啓発促進せねばと考えました。事務所の配置、受付を立派にしたり、会館の夜間利用も断行し、理事会、委員会、研修会も夜間行われるようになりました。

当時の状況を長く述べ過ぎました、これも年齢のなせるところとお笑い下さい。主題の会報について少々続けさせて頂きます。何分そんな状況で少しでも市薬の中味を会員各位にお報らせするよう「市薬広報」として、概ね月1回発行することにしました。郵送料すら節約して支部長さんにお持ち帰り頂く、そんな緊縮予算で広報会議も開かれず、事業の様子等私が係で発行したのです。紙代と労作で造らねばなりません。で承知の方もおられると思いますがゲステットナーと申して臭いの出る製版幾で版造り、印刷、紙折り、ホッチキス止めと事務職員さんにはご苦労かけました。昼間時間のとれぬ時は夜中の2時まで会館で作業を致しました。広報として全くお粗末なものでしたが、その結果市薬会報も連続発行されるようになったと記憶しています。

筆不精の私がやっとの出稿ですので会報に ついて少々私なりの所感を申し述べたいと思います。現在の会報は読んで頂く会報としては申し分ありません、全体がソフトで会員さんが気軽に読めるよう配慮を頂いていることが随所に見られます。市薬役員諸先生、委員の各先生等会館に出入りされる会員さんには市薬の状況は理解出来るのですが、他の会員さん方、店頭から外に足を持出せない会員さん、余り会館に用件のない会員さん等市薬とのパイプは会報だけなのです。会報は市薬の窓口です。会員さんは薬剤師と職能に関する情報を少からず求めて居られるものと考えますし、職域の活動状況等も参考とします。市薬では九州の他県の2倍以上の会員をもっている大世帯ですから自信をもって今少し権威のある会報は如何でしょうか。更に骨格のある会報にお育て下さることを願っておきます。左右両脳で区別して読める様前段を情報として会の状況、問題点職能啓発事項等とし後半に写真等も入れて会員さんの旅行記、ご意見、抱負、懸賞問題等如何でしょうか。会報を吾々会員の情報紙兼連絡紙として機能させる必要があると思います。

係の先生には申訳ありませんが、ご一考お願い申し上げて終わります。

<特集・会報について> 市薬会報に寄せて 博多支部 千代吉塚部会 恵愛団薬局 金枝正巳

「福岡市薬会報」が、900名に及ぶこよなき情報誌として、新しい時代に相応しい情報レターを豊富に積んで定期的に発行されているのは、本当に有難い。本会報が、会員の連繋強化を果す役割はまことに大である。

限られた編集委員で、企画から原稿依頼、編集、校正に至るまでの大変なご努力に対し心から敬意を表するものである。

このたび、これからの会報のあり方について、何か意見をとのことにて改めて最近の会報に目を通してみた。委員各位の真筆な姿勢が随所に伺われていて嬉しくなる。

先ず、宣伝広告がどこにも見当たらぬことに好感がもてる。予算との関係で工夫の跡が偲ばれるが、今後もすっきりとした形で頑張って貰いたい。つぎに表紙の写真であるが、季節感が現れており、目を楽しませてくれる。投稿者の顔写真の掲載は、愛され親しまれる会報にふさわしく会員との距離接近に一役買っている。巻頭言のことばは、その時代背景が感じられ、とても勉強になる。編集後記は、毎号の内容、特徴を解りやすくまとめてあり、いつも感心している。

さて、ここで私の希望をのべてみたい。

1.カラーページの設置
 是非これだけは読んで貰いたい情報を1〜2頁にまとめるようにする。若干、費用がかかるかもしれないが、それなりの効果は期待できるものと確信する。
2.行事予告の項目を。
 市薬を中心とした関連団体の行事、事業の予定を掲載する。毎号の必要はない。4半期に1回の程度が妥当であろう。
3.肩のこらない記事を。
 会員の趣味、経験談などを巾広く求める。
4.ゆとりの空間を。
 予算のことを考えて、全頁を通じてぎっしりつめたレイアウトの配慮がなされているが、たまには遊びの場をつくる勇気がほしい。
5.誤字、宛字などに注意して。
 とくに大きなタイトル、項目には慎重に対処しミスの防止に留意する。最近、ワープロによる原稿が漸増の傾向にあり、一層このチェックは重要になる。
6.より活性化を図るために。
 マンネリ化を防ぎより良い会報を目指すためには、別のファクターをもち込む勇気が時として必要であろう。例えば、新しい委員を加えるとか、他の市(県)などの会報の目星しい事柄を抜粋してのせ変化をつける。
7.夢、ロマンをのせて。

これからの若い人に希望を与えるような 内容を積極的に取り入れる。  以上、思いつくままに記したが、「福岡市薬会報」が益々充実し、われわれの素晴らしい道標となるよう、ここに念願するものである。

<特集・会報について> 思うがまま 福岡県薬剤師会 専務理事 木村英樹

今回会報について原稿依頼を受けたが、今県薬会報の編集に携わっている手前、今更会報についての意見を求められても申し上げることは何もないので控えさせていただくが、編集をされている方々が如何に苦労されているか、よーくわかるので少々苦労話しみたいなものを述べさせていただく。

それぞれ会報というものは、それぞれの団体の事業、伝達事項等の報告とか、会員の意見、研究報告、あるいは見聞録等色々な原稿でもって構成されているのが一般であろう。

そこで市薬会報は、全国紙にあたる県薬会報に対して地方紙的存在のローカル色を多く盛り込んだものであって良いと思っている。まあ譬えが妥当でないかもしれないが、そうした特色を充分出して良いとおもう。

県薬会報で、ある時様々な意見、苦言をいただいた。内容、構成はもとより、誤字、脱字等初歩的なミスで編集に対してその真価を問われたものである。編集者は一生懸命やっているが、毎月の発行による多忙さ、頻繁に出来ない校正、又印刷所、即ちオペレーターの文章能力の有無からくるミス等不備の要因は幾つかあるが、それはあくまで他動的結果であって、編集者の取り組み方、努力でそれらは解決出来ると思う。しかし限られた予算の中で発行する会報には構成の上で大変な苦労があることは云うまでもない。

原稿集めの苦労も又大変である。〆切りまで揃わない時等、まったく頑の痛いものである。その為に常に埋め原稿をプールして置くことが良いのであるが、そうはなかなかうまくいかない。毎月発行されるがその内容に差異が出てくることはいなめないのである。会報は普通はその形、パターンは決まる思う。又そうあるべきであろう。県薬会報は会員全体 に事業と方針とそれに伴う色々な報告、又職能向上即ち研修等の材料の提供や案内通知、出来得るだけの紙面を利用して役立てることを目的として毎月発行している。全体的にみて面白味は少いと思う。編集者の苦労もここにもある。

まあ色々書いたが要は会員に如何に多く読んでもらうかが重要で、それが編集者の力量にもつながり会報の意味が増大すると思う。限られた会員の中から原稿を集め、しかもバラエティーに富み、読ませる会報作りに努力されている市薬編集者の知恵と手腕は立派なものがあると思うが、ローカル色を失わず目を楽しませてくれる会報であってほしいものである。

最後にちょっと一言

表紙について、毎号すばらしい写真を見せてくれるが、表紙一面写真で占められているのはちょっと重く、威圧観がある。白枠をとって見るのも一考かと、わたし自身の感覚から思うことで一般的に如何か、色々意見を聞いてみては。

<特集・会報について> 会報を作っていた頃の思い出 福岡市薬剤師会 理事 城戸嘉寿子

「会報について」の特集を組むという話である。

過去に会報の編集にタッチした人の原稿を集めるという事で原稿依頼が来た。

私は昭和61年11月から63年4月まで会報の編集を担当し、63年5月に木原先生にバトンタッチした。

私が編集にたづさわるようになる前は、専任の編集者はおらず、専務理事が一手に作業をやっておられました。しかし近年専務理事の職蕃範囲が広くなり、ただでさえオーバーワークになるところで、会報を一手に作るだけの時間的余裕がなくなって来たという状況でした。そこで専任の担当者が必要ということになり、私が指名されました。

日く、「会報に女性的な視点を盛りこんでいきたい」。日く「今までの会報は固苦しい感じが強かったので、もっと楽しさとやわらかさを出していきたい」と当時の専務理事であった藤原先生にうまくのせられたものです。表面的な理由はともかくとして、当時、理事の末席に連らなり乍ら、市薬運営面で何の寄与もしていなかった私に、もっと理事として働けというのが真実の理由だったと思っています。

お手伝いして頂くスタッフには3名の女性をお願いしました。私を始めスタッフ全員編集業務については全くの素人で右も左も分からなかったのですが、三津家先生と藤原先生に手ほどきをうけながら、最初の会報が出来上がった時は何ともいえないよろこびを感じました。

当時の古賀会長からねぎらいのお手紙を頂いたのを今でも忘れません。

原稿依頼から編集、校正とつづく作業の中で何といっても原稿依頼が一番大変でした。1回のお願いですんなり引きうけて下さる方は少なく、何度もねぱってやっと承知して頂き、原稿が送られて来た時はほんとに嬉しかったものです。

バラバラに集まって来た原稿がそれぞれの場所を得て、有機的に連らなっていき、一冊の会報に仕上がっていく過程の中に楽しさと喜びを味わいました。

それまでの会報にはなかった新しいページの試みとしてフレッシュさん紹介と随筆シリーズを設けました。随筆シリーズではたくさんの素敵な文章に出あいました。またフレッシュさんは、いかにも若い人らしくさわやかな感じでした。

表紙の写真や色、カットなどに思いなやんだ事も今となってみれば、どれもよい思い出となっています。

当時寄稿して頂いた先生方の中には、すでに幽明境を異にした方も何人かいらっしゃり、時の流れを感じます。

会報は、会と会員を結ぶ絆としてとても大切なものです。今後ますます会報が充実し、会員の皆さんに喜こんで読んでいただけるようなものになるよう希望してやみません。

<特集・会報について> 広報について 西支部 壱岐部会 ナカガミ薬局 仲上一成

私がかって県薬の広報を担当していた事もあって当時の苦心談でも書いてくれという事で原稿用紙が送ってきました。

しかし、苦心談を一つ一つ書いていたのではきりがありません。それ位広報の仕事は大変です。当時、県薬は神谷会長から荒巻会長に変わられた時で、神谷会長時代からの公約で県薬会報を発行する事になっていました。

たまたま私が担当する事になったのですが、私にはそういう経験は全くありませんし、スタッフも一人もおりません。たった一人でやるのだから簡単な内容でいいよと言ってくれる役員の先生方もおられましたが、実際、当時はそういうものしか作る事が出来ませんでした。みるにみかねて荒巻会長がスタッフをつけてくれたのですが、古賀(隆)現県薬副会長(当時、市薬会長兼任)、城戸嘉寿子市薬試験センター室長(兼、県女子薬会長)というそうそうたる顔ぶれです。スタッフというよりはお目付け役兼アドバイザーだったのでしょう。

その後、古賀(隆)先生に代って現市薬会長の三津家先生、城戸先生に代って現在の県薬広報担当理事である末永先生、それに情報センターの北島麻利子先生も加わっていただき、現在の県薬会報の形が出来ました。

県薬会報というのは、県薬会員はもちろん、行政、医師会、歯科医師会、他県薬剤師会と広範囲に配布されます。それだけ多くの私達の仲間以外の人の目にも触れる訳ですから内容の吟味には大変気を使います。内容によっては最終的にはその原稿を掲載して良いかどうか荒巻会長に判断を仰ぐという事になります。

よく、市薬会報は、面白くて読みやすいが県薬会報は面白くないと言われます。

しかし、前述したような事情もあってくだけた内容(=面白くて読みやすい)がなかなか掲載出来ません。それに県薬会報というのは、北九州、筑豊、福岡、筑後と広い範囲に会員がいる為、どうしても情報の伝達という事に一番重点がおかれます。その為、固い内容ばかりで面白くないという事になってしまうのでしょう。その点、市薬会報というのは、情報の伝達もあるのですが、会員同志のコミュニケーションの場、同じ市内の仲間同志の会報という感じがして親しみが持て、内容も身近なものになって面白いのでしょう。

しかし、会報というものは読んでもらわない事には発行する意味がありません。いかにすれば多くの会員に読んでもらえるか?それが一番頭を悩ます問題です。

広報の仕事というのは、原稿の依頼、各種委員会や会合に出席し原稿を書く事、原稿集め、編集、何回かの校正、印刷会社との交渉、原稿依頼者への謝礼、配布とたった一冊の会報を出すのにも大変な仕事量です。他の委員会活動のように派手ではないのですが、仕事の量としては、各委員会活動の中でも一番多いのではないでしょうか? それなのにうまく発行できて当たり前、発行が遅れたり、ミスがあったりすると多くの会員から批判が出ます。広報に携っている木原、戸田両先生の苦労も並大抵ではないと思います。なるべくたくさんの会員が、広報活動に協力し、多くの会員が会報によく目を通す事が、広報に携っている先生方の苦労に報いる事だと思います。

<特集・会報について> 会報によせて 城南支部 友泉部会 松島薬局 松島照幸

私にとって、文章を書く事は対岸まで独泳するようなものである。泳ぎが得意でない者にはつらい労作である。私と同様、文章を書く事が苦手な人を散見するものである。日頃、書く事など余り縁が無い者にとっては尚更のことである。書く事と言えば、学生時代のレポート、感傷時代に綴った一年余りの日記、かなわぬ恋のラブレターぐらいであった。特に、小論文を書くには、目標の設定に苦心し、数少ない語彙の選定に窮するのである。必要以上に力を入れると沈んでしまい、浮沈をくり返しながら、あがきつづけるようなものである。きれいな文章はなかなか書けないものである。しかし、良否を問わず完成した原稿には無上の悦びを覚える、まして活字になれば尚更である。

西日本新聞の「くすりの話」で、すっかりお馴染みの木原先生、軽妙なタッチの会話文はここちよい響きがあり、楽しい文章でした。 会報の編集後記もなかなか冴えています。論理的な文節にうなったり、頭をかかえたり戸田先生の地響きが聞こえてきます。さらに、冷川先生の投稿による「牧ノ戸峠の登山口より一時間少々・・・」で始まる『紅葉、そして霧の中』(平成3年9月号)は、手に取る様な、繊細な情景描写で印象的な作品でした。その他にも、味わい深い文章が多数ありました。

藤原先生の『編集者の目』(平成2年11月号)によれば、「文は人なり」という、文章にはその人の人柄や性格がにじみ出てくる、と言うことや、わかりやすい文章を書くには、センテンスが短く、段落は7、8行ぐらいにすると良いなど、筆者の心得が記述してある。さらに、文章は読まれてはじめて価値がある、条件つきであるが、編集者にもその工夫が許されても良いと思う、と言うことであった。大変、参考になったので再度、引用させていただいた。付け加えるなら、筆者は文章を読ませる努力が必要なのである。

会報に期待

「会報」とは、会の運営、活動などを報告する文章または雑誌と記されている(広辞苑)。 勿論、現在の会報はその要件を満しているとおもう。各も薬剤師会の活動が、多いものかと目を見張るばかりである。ところが、運営施策について、具体的な記述が乏しいようだ。巻頭言で何度か提起されているので、内容を汲み取れば状況把握には事欠かないが、今後、一層の表明を期待したいものである。会報は理事会と会員のパイプでもある。

会報は会員相互のコミュニケーションの場であり、情報誌でもある。その時代の顔をもつ会報は、刻一刻と歴史を記すのである。会報が現在の薬剤師会の顔であるなら、我々は、一層の充実と増々の発展を願わずにはいられない。

昨今、薬剤師の社会参加への必要性が問われてきている。その一環として、文章を書く事に挑戦してみてはどうだろうか、それは、つらいけど自己啓発を促すと共に、自分自身を見つめるよい機会である。

その為に、市薬会報を利用しない手はないと思うのである。

<会員の広場> 進化論の島・ガラパゴス諸島 博多支部 住吉部会 はなたれ薬局 冷川襄

ダーウィンがピーグル号で航海し、進化論を考えついたガラパゴス諸島、今回、私が参加している福岡自然研究会のメンバーで調査旅行に出かけた。約1年間、わずかな資料で時前調査を続けた。

1991年12月26日福岡空港を発ち、東京羽田空港へ降り、東京成田空港へ行き、アメリカン航空でアメリカ・マイアミへと向かった。 夕方18時20分出航したが、途中で日付変更線を越え時間が逆戻りする。時計を17時間逆に戻し12月26日がまた始まった。午前10時20分シアトルに着く。山々は雪におおわれ、外は寒そうだ。13時45分アメリカン航空にてマイアミに向う。しばらくロッキー山脈の雄大な景色が続く。今度は時間を3時間進める。3時間半の飛行だが、マイアミ着は20時13分に着く。真冬の東京、シアトルから常夏のマイアミへと着く。建物の外に出ると冬の服装ではさすがに暑い。近くのホテルに泊まり、長い12月26日が終わった。

一晩明けて12月27日、しばらくフリータイムなので、我々のグループはマイアミビーチへ出かける。世界有数のリゾート地だが、日本人はほとんど見当らない。海岸にのんびりしていると潮風が非常に心地よい。日本の気候でいえば、暑さの峠をすぎた9月始めぐらいだ。KA氏、F氏、NO女史、U女史は海水浴を楽しんだ。夕方17時15分、マイアミ空港から、エクアドルの首都キトへ向う。約4時間半の飛行でキトへ着く。キトのホテルで宿泊する。キトは赤道直下で、2812mの高地にある。夜はかなり冷えこんでいた。

12月28日、思ったよりも暖かい。

9時30分キト空港からいよいよガラパゴスへ向う。タメ航空機で、一度グアヤキル空港で乗りかえる。時差が1時間あり、1時間逆に戻す。

10時40分待望のガラパゴス諸島の一つバラトラ島へ降り立った。空港のまわりはウチワサボテンの林になっている。バスが来る迄その周辺を散策してみる。ウチワサボテンに黄色の花が咲いている。まだ乾期が終わってなくて緑が割に少ない。Y君がトカゲを見つける。二匹のうち一匹は喉のあたりが赤くなっている。別種かと思ったが、後で調べてみるとオスとメスで喉の赤い方がメスだった。

やがてバスが来て、サンタクルス島への渡し場へと向う。渡し場でバスを降りると、空にオオグンカンドリが飛んでいる。写真やテレビでは見ていたがこうして目の前にするとやはり本物の迫力を感じる。

小船でサンタクルス島へと渡る。バスに乗り、島を縦断し、アカデミー湾へと向う。荒涼とした荒原で道が真直ぐに彼方へと続いている。ウチワサボテンとパロ・サントと呼ばれる木の林が続いてくる。乾期の終期で、パロ・サントは木の葉を落してしまっている。峠が近づくにつれて緑が多くなってきた。空も曇ってきて、峠を越したあたりは雨が降りだした。まわりの景色もがらりと変わった。見たような植物、珍しい植物、窓ごLにいろいろと見える。下車して写真に撮りたいが、ツアーなのでそうもいかない。しばらく下ると、雨もやみ人家が出てきた。牧場もあって生活の臭いが感られる。

15時15分アカデミー湾に着く。湾にはグンカンドリ、ペリカン、カツオドリが飛びかっている。対岸にはハシラサボテンの林が拡がっている。もう一度小舟で対岸に渡る。渡って舟着場の向いの岩にウミイグアナがじっとしている。一瞬置物ではないかと疑った。

少し歩いてホテルへと向かう。ホテルでは一休みした後、ホテルの前の海で海水浴をする。ちょっと水が冷たいがすぐになれる。署場までくると、イグアナがいた。近くに集まり、皆で記念写真を写す。ところがよく見るとそこにもここにもイグアナがいる。正面から近づくと口から汐のようなものを吹き出す。それより近づくなということらしい。向うでNO氏の悲鳴が聞こえる。イグアナを踏みつけそうになったそうだ。笑いながら岩を一つ跳ぼうとすると、目の前にイグアナがいる。笑いごとではなく、よそ見をしていたらこちらが踏みつけていたところだった。

ホテルに戻り、塩水混じりのシャワーを浴びてレストランで夕食をとった。この日は特別にフォルクローレのバンドが来ていた。フォルクローレを聞きながらの素晴らしい夕食となった。花祭りやコンドルは飛んで行く他聞き覚えのある曲が演奏された。楽しい陽気なリズムの中で、哀調をおびたケーナの響き、大変な感激だった。YA君も持参のソプラリーノを取り出して、そのバンドの中に入り一緒に花祭りの演奏に加わった。バンド演奏が終わった後、YA君は、コンドルは飛んでいくをソロ演奏した。NI氏も自分のハーモニカをとり出し、花を演奏した。バンドのメンバーも大喜びで、各人それぞれ自分の楽器でソロで演奏した。こうしてガラパゴスの第一日目は感動と感激の中に過ぎていった。

ガラパゴスの2日目、12月29日、バスで島の高原地帯へと出かける。昨日と同じ道を戻り途中から道を左に折れる。ピットクレーターという火口跡へ来る。丘の上からあたりを見て、スカレシアの群生している火口底へとはいっていく。スカレシアというのは、ガラパゴス固有のキク科の植物で、草ではあるが木化し、林をなす。島によって種類が違っている。霧がかかって非常に湿度が高い。この場所は日本の梅雨時のような感じだ。

珍しい植物がいくつもある。また日本で見かけるのとほとんど変わらない植物もある。U女史がスペイン人客から、イヌホウズキに似た植物の名前を聞かれていた。どう見てもイヌホウズキのようなので、かわって“Solanum nigrum”と教えた。別のスペイン人と現地ガイドがモーラだといって薬として使うと教えてくれた。後日談になるが、エクアドルのグアヤキルで買った薬草図鑑にモーラが載っていて、学名は“Solanum nigrum”でやはり日本のイヌホウズキと同じものであった。

火口底から上ってバスに乗り移動を始める。しばらく行くと後から現地ガイドの男性が「ガラパゴス」と大声で叫びながら追って来た。近くにゾウガメがいるそうだ。車を降りてゾウガメを見に行く。ガラバゴというのは海ガメのことで、ゾウガメを海ガメと間違ってガラバゴと呼んだことから、この諸島がガラパゴスと呼ばれるようになったということだ。林をわけて進んで行くと何かうなり声が聞えてきた。1mほどの大きな亀がいた。うなり声は近づくなという威嚇だそうだ。しかし、人が多いので、とうとう首も手足も甲羅にひっこめてしまった。この地で4匹のゾウガメを見ることができた。

車で場所を変え、洞窟の見学をする。洞窟の入口の木の上にフクロウがとまっている。メンバーの半分ほどは洞窟の内部へとはいっていった。我々は車に戻り洞窟の出口に方へ車で移動した。

休憩をとりビールを飲む。それから森の中のレストランで昼食をとった。ところが先程空腹で飲んだビール、食前酒として出されたアルコール度の高いカクテルで、すっかり酔いが回ってしまった。ダーウィン研究所に着いた時は眠くて、車を降りずに寝ていたかった。しかし、気をとり直して研究所を見学する。

この島々独特の植物が生育しているが、自生なのか植えられたものなのかがわからない。先程、イヌホウズキをモーラと教えてくれたスペイン人はマドリッド大学の講師で博士号を持っているそうだ。ウチワサボテンの区別法を聞いてみたら、切って細胞の模様を見ないと分からないと言われた。各島々の違った種類のゾウガメが飼育されていた。ここの亀は人に慣れているのか、うなり声は出さない。

この研究所を一周してホテルへと戻る。夕食後外に出て夜空の星を観察する。丁度頭上にオリオン座が輝いている。南側には明るいカノープスという星が輝いている。その手前側にマゼラン大星雲がボヨーと見える。オリオン座の中にも星雲が見られる。西側の空にはプレアデス星団昂が輝いている。

日本では寒さにふるえながらオリオン座を見るが、ここでは夕涼みの感覚でオリオン座が見られる。ただ蚊に刺されるのだけはへいこうする。旅行前の注意書きに蚊取線香を忘れないようにということだったのに。不覚。

30日午前1時頃部屋に帰って寝る。

(次号につづく)

<会員の広場> 簡易専用水道検査員講習会を修了して 南支部 長住部会 ふかみ薬局 深見俊彦

平成3年の12月もおし迫ったころ、簡易専用水道検査員資格取得の為の講習会が川崎市日本環境衛生センターで行なわれた。福岡市薬剤師会からは、私とギオン薬局の鶴原先生の二人が応募した。長時間の講習は久しぶりの私にとって、緊張の連続であった。その苦労話の前に、水道の歴史及び簡易専用水道検査とは何かを、記述しよう。江戸末期から明治初期にかけて、外国との交易が活発化して、欧米文化が導入された反面、コレラ、チフスなどの伝染病が全国的に大流行した。こうしたコレラの流行は不衛生な飲料水に起因するものであったことから、衛生の確保を目的とした水道の建設を必要とする世論が高まった。

明治18年に、横浜市においてわが国初の近代水道の建設が着手され、明治20年に通水を開始した。その後函館市、長崎市、大阪市と3府5港と称せられた都市を中心に、布設されていき、1987年には近代水道100周年を迎えるに至った。産業の発展と人口の都市集中に伴い、建築物の大型化、中高層化が進行し、その結果、生活用水、業務用水の大部分は、ビル、マンション等に設けられた受水槽以下の水道設備によって供給されるようになった。時折、受水槽、給水槽の中で色々な動物の死骸が発見され、社会的問題になっている。又(簡易専用水道とは別であるが)幼稚園で、井戸水の大腸菌汚染による園児数人の死亡事故は、記憶に新しい。その管理及び定期検査の徹底を通じて、衛生的で安全な水の供給を図る為の施設が簡易専用水道として規制される事となった。

久しぶりに上京した私は、昔懐かしい友人や、知人との再会に、毎晩飲み明かし、ともすれば酒の臭いを発散させながらの4日間の講習であったが為、最終日に行なわれた認定試験は、最高のプレッシャーとなった。またおりしも、合否発表の日が、福岡市薬剤師全組織委員会主催のポーリング大会前日(1月18日)と聞き、南支部の組織委員の役にある私にとって、否合格の通知を受けて、その場に行く事は針のむしろといっても過言ではない。 市薬会員の方の何人かは、私が今回の講習会を受講した事を御存知で、ポーリング大会の案内電話時かなり冷やかされたものでした。幸い、合格通知及び修了証が1月18日に届き、翌日のボーリング大会には、胸を張って参加出来ました。

同行した鶴原先生、又説明、アドバイスしていただいた住吉薬局の細井先生、それに講習会申込みやホテルの手配等をしていただいた市薬職員の皆様、おかげ様で私も簡易専用水道検査員の一員になれました。ほんとうにありがとうございました。

追伸.鶴原先生ももちろん合格されておられる事は、言うまでもない。

<会員の広場> 急患診療センター懇親会 急患委員 馬場正佳

急患委員会ではさる2月5日、博多駅近くの八仙闇にて出勤者懇親会を行いました。

出席者は40名の他に三津家会長を含め、5名の来賓を迎えました。

会長から、日頃急患診療センターで勤務する会員へ労いのことばをいただき、委員長の成澤先生より、この一年間の経過と4月にももち浜へ移転することの説明を受けました。

乾杯のあとは、次々に出て来る美味しい料理に舌づつみを打ちながらの懇親会となりました。

酒は飲み放題で杯やコップがカラになるヒマがありません。日頃忙しいセンターでしか顔を会わせない先生方は打ち解けたムードで、料理に酒に楽しまれていました。

また、テーブルによって料理の減り方に差がでないように、くじを引いて席を決めていただいたのですが、それでも食いはぐれたと言われる先生方、来年はがんばって下さい。

2時間余りで宴は終り、二次会へと席を移した先生方も多かったようでした。

<会員の広場> グローバル・ファミリー 東支部 箱崎部会 セイイ薬局 入江理裕

ルバちゃんのコンサートに参加していただき、有難うございます。心より感謝致します。人の為に役に立つ、人に貢献することはとてもすばらしいことだと、私は、信じています。ところで、私が属しているハンガー・プロジェクトについて、お話をさせて下さい。

ハンガー・プロジェクトは、2000年迄に、地球上より飢餓を終わらせることを目的とした国際的なボランティアのネットワークです。1977年に発足し、世界約40ヵ国で活動しています。

今、飢餓は毎日、毎日地球上で4万人の命を奪っています。その大半は、5才以下の子供達です。

ハンガー・プロジェクトは飢餓を終わらせるという世論、行動を呼び起こすための出版物やビデオを用いた教育、広報活動、また、アフリカの飢餓の終わりに多大な貢献をしたリーダーを讃える「アフリカ賞」の授与、インド政府やゼネガル政府と共同で行なっている農民の自立の為のプロジェクト。また10代のユース・エンディング・ハンガーのメンバーが中心になって開催する「地球子ども会議」など、飢餓を終わらせるための世界規模での様々な具体的行動を起こしています。

我々が、ルバちゃんを応援するのは、バングラディシュに、盲学校という機会の提供に参加することが出来るからです。盲学校が出来れば、盲目の子どもでも飢餓の国で、自立していく事が出来る可能性が大となります。

今、これを読んでいるほとんどの人々にとって、生きる為に必要な物を入手する機会は、当然のこととして与えられています。十分な食物があり、安心して眠れる場所があり、学校があり、医療があることが当然だと思っています。さらに、私たちは、機会という環境の中で、毎日過ごしています。行動の自由、社会に貢献する自由、表現の自由、自分で自分の未来を創っていく自由があります。

しかし、飢えている人には生活に基本的に必要な物、すなわち家、基礎的な保健および、予防接種、読み書き能力、土地、道具、資金の借入先、技術訓練、さらには、清潔な水さえかけているのです。

ハンガー・プロジェクトは、飢餓を終わらせるために、毎月2000円以上一定の金額を自分の生活の一部として投資してもらう人を募っています。

この投資の配当は、21世紀の平和と安全という、未来を作り出す事であり、なによりも人類への愛情を表現する機会です。ぜひ、貴方もなって下さい。私は、貴方がこのハンガー・プロジェクトに参加されることを何よりも希望します。

日本ハンガー・プロジェクト
 九州代表 入 江 理 裕
〒810 福岡市中央区谷2丁目16-33-502
    TEL.092-714-6627

日本ハンガー・プロジェクト
〒112 東京都文京区後楽1-1-15 伊藤ビル
    TEL.03-3816-0796
    FAX.03-3816-4287

郵便振替 東京4−64266
銀行振替 太陽神戸三井銀行
     新宿西支店(普)5336556


 西日本新聞 2・8

<会員の広場> ダイビング日記 アウトドアライフ同好会「NATURE」会長 鶴原潔

平成4年2月11日(日)

午前8時マリゾン集合。車に器材を積み、一路唐津へ。10時30分ボートに乗船。加唐島へと向う。天候暗、気温12℃、水温14℃、風光SE、披1、20分程度で到着。1本目は小泊というポイント。BCにタンクを装着、レギュレーターも装備、そして圧力点検。ゲージ180kg/cm3が各部異常なし。ポート左舷よりシャッテイングハックロールにて入水。アンカーロープをったって水深25mまで一気に潜水開始。11時32分。今日のリーダーは唐津マリンスポーツクラブの浪口氏。バディーは藤波さん。同行はベテランの棚田さんと嶋津さん。そして森さん原田さん。

全員アンカー付近に集合した後、リーダーに続いて行動を開始する。

本日の透視度は5m、べタナギの状態で冬の海にしてはあまりよくない。BCのエアを調整して中性浮力をとる。吐いたエアが無数のアワとなって上へ昇っていく。その昔だけが無音の世界の中で聞こえる。

岩の斜面にソフトコーラルがゆれている。淡いムラサキ色に見えるが、実際の色は赤。水深によって色の見え方は変化するのです。

リーダーが嶋津さんに合図を送っている。ナイフを渡せとの指示。なにかゴソゴソやってるなと思っていると、現われたのは直径20cm程のアワビ。おもわずヨダレが・・・。

水深29m、上方をネンブツダイの群れが通過していく。青の世界に白い大群。しばしウットリ。海底には無数のナマコとヒトデ、岩場には大きなサザエが。何匹かのメバルがこちらを見ている。カモフラージュしているオコゼ。

事件が起こった。バディーの藤波さんのタンクが落ちかかっている。棚田さんが下からささえる。リーダーが近寄る。水中にてBCを脱着し、タンクをしっかり付け直してOKとなる。この事件の為少し無限圧潜水時間をオーバーしてしまった。浮上開始、アンカーロープをったって水深3mまで浮上。3分程その場で停止して減圧を行う。リーダーからOKが出て水面へ。12時3分。

近くの漁港へ移動。上陸して休息をとる。80分の水面休息後つぎのダイビングポイントへ。対馬瀬というところで、たくさんの約人がいる場所です。

13時41分、潜水開始。水深28m付近でエイを発見。リーダーが集合をかける。エイをつかまえて「ここが危険なんだヨ!」とトゲを指差してくれる。一同納得。

小さなカワハギがおちょぼ口のすまし顔で泳いでいく。今回から使用している自前のレギュレーターは好調。しかし、8月末の支払がズッシリ。

再び3mでの減圧を終えて14時14分浮上。 右舷のハシゴにつかまり、まずウエイトをはずす。そしてフィンをはずしてから乗船。タンクを降ろす。これが正しい方法です。

そしてまた事件。嶋津さんがハシゴにつかまらずにフィンをはずした。ところがこのポイントは潮の流れがあり、彼は流されて行く。 フィンなしで器材をつけていると、泳いでも前へは進まないのです。リーダーが救助に向い、一件落着。

これにて本日のダイビングは終了。港に戻って、あとかたづけ。シャワーを浴びて、楽しい昼食。そしてログブックに本日の潜水内容を記入して、福岡へ。

今年から「NATURE」の活動にスキューバダイビングを追加します。一度体験してみたい方、本格的にやってみようという方。ご相談下さい。青い別の世界があなたを待っていますよ!!

〔フレッシュさん紹介〕 後姿は「オバタリアン」? 中央支部 平尾部会 王丸薬品勤務 山本正子

市薬の木原先生より「フレッシュさん紹介」の原稿依頼を受けました。その時、私は速!お断りしたのです。(先生、ごめんなさい)文章を書くことが得手、不得手にかかわらず、まず頭をよぎったのは、「私は“フレッシュさん”ではないのよ」ということでした。ネギに例えるなら、もうしっかりトウのたったネギ坊主です。後姿は今はやりの「オバタリアン」ですもの。誰ですか!前から見ても…とおっしゃるのは。しかし、このコーナーを読ませていただいて感じたのは、決っして年令ではないということです。いつも何かに思考錯誤して、もっと勉強したい!というその前向きな姿勢が「フレッシュさん」ではないでしょうか。それなら私も…と、ペンをとりました。

卒業後、大学病院に4年半勤務、(ここでの経験は後で、大変助けとなりました)。結婚で酉も東もわからぬ福岡へ来て、子育て片手間仕事片手間、主婦片手間の中(このように書くと不真面目に思われそうですが)只々、一生懸命やってきました。気がつけば14年…。本当に沢山の方々に支えられ、助けられ、続けてくることが出来ました。感謝の気持ちを忘れてはバチがあたりますね。「オバタリアン」ではないでしょう?

とに角、14年間一貰してきたことは「患者の身になって」ということです。私が今まで得てきた知識と経験から、患者さんに今一番、どうしてあげたら良いのか、訴えを聞きながらそればかり考えてきました。時には薬を売らず病院を紹介したり、食生活のアドバイスだけ、という時もありました。「商」ですから、商売気も出さなくてはならないのに、店主は何も言わずに、やらせてくださいました。老いも若きも「健康」が一番と思っていますから、健康を維持するための、また病気予防のための“相談窓口”としてお客様とのコミュニケーションをはかり、ホームドクター的な存在になれたらと思っております。

その為にも積極的に勉強会に出席したり、急患診療センターの勤務に加えていただき、経験豊かな先生方のお話を伺がい、知識を探めたいと思っておりますので皆様よろしくお願い致します。

(S47.東邦大学 薬学部卒)

〔フレッシュさん紹介〕 はじめまして 中央支部 簀子当仁部会 シモセ薬局 下瀬和俊

今日は一日たいへんだったね!明日も又、頼むよといい聞かせながら、分包機の掃除をしていると、ふと、ああ自分で薬局を始めたのだなあという実感がわいてきます。大学を卒業して、薬局の事については、ほとんどわからず、調剤薬局に勤務したのがもう十数年前なのに、ついこの間のことのように思われます。先輩達に薬局の事をいろいろと教えてもらい、又、窓口では患者さんの対応をしながら、お薬は、やっぱり恐いよなあと思いました。そうやって働いている内に、いっか自分でも薬局を出したいなあと思うようになりました。しかし、やりたいからといって、すぐに出来る様なものでもなく、しばらく地道に勉強しなきゃと思いました。

ちょうど一年程前、医薬分業が、かなり言われ出し、そろそろ私も開業できたらと思いましたところ、幸運にも昨年の十一月より開局するチャンスにめぐまれました。しかし、それまでの準備といえば、店舗を借りる事から始まり改装など全く初めてのことで、今まで出来上がった薬局に入って仕事をするということでしたが、薬局が立ち上るまでのことは新しい経験で、図面を考えたり、薬務課に行って相談をしたり、工事の業者と話したりと、いい経験をさせていただきました。

ところで、保険請求は四回目になりますが、まだ、市薬に国保が出せません、がんばって早く仕上げたいと思います。市薬から送られてくる勉強会の案内状を見ては、よし今度は行くぞと思いながら、つい仕事に振り回されて、行けずじまいになり、反省しているこの頃です。私も市薬の一員として、地域の皆様にお役に立てるように、もっともっと勉強しなくてはと思っております。開局にあたりましては、市薬の先生方に、御指導いただき、深く感謝申し上げますとともに会員の皆様には今後ともよろしくお願い申し上げます。

(S54.第一薬科大学卒)

〔フレッシュさん紹介〕 新しい出会い 中央支部 大名部会 薬局白十字勤務 白石治郎

春まだ浅く、寒さが残る今日このごろです。私は大学卒業後、天神の薬局白十字に勤務して以来、調剤と一般販売にいそがしい毎日です。

去年から異常気象のせいか、暖かい日が多く、例年に比べ、かぜ薬の売れゆきがあまりよくないなあと思っていると、今度は店内に花粉症のディスプレーです。鼻炎用内服薬、点鼻薬、目薬、マスク、鼻炎用スチーム、鼻洗浄機等いろいろです。従業員の中にも、花粉アレルギーで悩んでいる人がいるので、大変だということは話に聞かされてます。薬局に勤務して以来、季節感をいろいろな疾病で感じるようになりました。

毎日、数多いお客様の健康管理のお手伝いをしている中、自分自身の健康にも気をつけていかなければならないと思っています。

今回、薬剤師会会員になったのは、急患診療センター薬局で働いてみないかとお誘いをうけたのがきっかけです。病院勤務の経験のある先生方の中で勉強したいと思い、やらせていただきました。先月、見学に行ったのですが、成澤先生をはじめとする先生方が、数多い患者の薬を調剤してあるのを見て、大変な仕事だなと思いました。これからも一生懸命がんばりますので、皆さんよろしくお願いします。

(S61第一薬科大学卒業)

■■トピックス■■ 市薬学術委員会

糖尿病に合併した高血圧症の治療上の留意点

糖尿病と本態性高血圧の合併の頻度は非糖尿病のそれと比べ、1.5〜2倍と高い。高血圧は動脈硬化症だけでなく、糖尿病性細小血管症、特に腎症の進展の大きな因子となり、高血圧の管理が重要となり、血圧は140/90mmHg以下におさえられることが望ましい。

しかし、高齢者の動脈硬化進展例では過度の降圧は臓器循環を悪化させる可能性があり、また近年高齢者や神経症合併例では血圧日内変動の異常が明らかにされ、これ等についても留意しなければならない。治療に際し、一般治療法を厳格に指導するとともに、降圧剤を選択するにあたっては、各々の薬剤の特徴、特に糖代謝、脂質代謝への影響などを充分ふまえた上での使用が望ましいと思われる。

C型慢性肝炎にはインターフェロン療法

C型慢性肝炎にインターフェロン(IFN)が保険摘要になったことはご存知でしょう。C型慢性肝炎は肝病変の進展は遅いものの、自然経過で肝炎は鎮静化することは極めて稀な疾患であり、初感染後十年の経過で肝硬変や肝細胞癌へ進展する、臨床上重要な疾患である。

C型慢性肝炎の内、慢性持続性肝炎では、肝硬変の進展は比較的遅く不変例が多い。が慢性活動性肝炎では数年から十数年の経過で肝硬変や肝細胞癌へ進行する症例が多くみられ経過中改善のみられる症例は稀であった。 C型肝炎ウイルス(HCV)の発見以前よりIFNが有効であることが報告されていたが、その治療効果は不充分であった。

近年、HCV関連マーカーが臨床の場で使用されるようになり、治療例におけるHCV感染の病態が解析可能となった。これに伴いIFNの投与方法が改良され、良い成績が得られるようになった。

IFNはC型慢性肝炎の原因療法になる可能性が高い。しかし組織学的に進展している症例にはIFNが効きにくい。少量で長期投与が検討されているが、長期投与に伴うIFNの副作用が解決されておらず、今後さらに検討される必要がある。

PTMVo15,3(7) DEC,1991

制酸剤の中和反応速度と持続時間について

 制酸剤の効力は、制酸力、中和反応速度、中和持続時間で示される。胃では常に塩酸が分泌され、反応液は幽門部より十二指腸に排出される。
方法1:0.1Kの塩酸50mlに一定量の制酸剤を加え、マグネチックスターラーで穏やかに撹拝しながら経時的にpHを測定する。
方法2:0.1K塩酸50mlに2ml/minの割合で同濃度の塩酸を滴下し、これと同量の反応液が流れ出るような装置を作り、この中に一定量の制酸剤を加え、マグネチックスターラーで、穏やかに撹拝しながら経時的にpHを測定する。
 方法1と方法2を併記したグラフの例と結果を表に示す。

 制酸剤は他の胃散分泌抑制剤と併用されることが多いが、同時に服用した場合には他の胃酸分泌抑制剤が効果を発揮しはじめるまで、少なくとも30〜60分はpHを3以上に保っていきたい。

Vol.27, No.12 1991 p63 JISHP

【新聞記事より】 不当廉売規制 生ぬるい
再販撤発後、安売り競争懸念

不当廉売の規制が生ぬるいのではないか−−。通産省が公正取引委員会(梅沢節男委員長)に対し、焦点となっている化粧品などの再販価格制度見直しの条件として不当廉売の取り締まりを厳しくするよう要請している。再販制をなくした場合、小売店は自由に販売価格を設定できるようになり、安売り競争が起きかねないためだ。公取委側は不当廉売の違法ケースを示す指針づくりに取り組む意向だが、規制強化が行き過ぎれば消費者に不利益を与えかねない、と懸念している。

不当廉売は独占禁止法が禁止している不公正な取引方法の一種で、公取委は小売店が仕入れ価格を下回る水準で物品を販売すれば独禁法違反であるとみなしている。ただ、公取委の措置は従来「対応を機敏にする」(取引部)ために、勧告や警告に比べ軽い口頭での注意が中心。そのうえ仕入れ価格を上回っても極めて薄利で販売するケースについては、あまり取り締まりの対象としてこなかった。

しかし、化粧品業界などを所管する通産省は「仮に再販制度をなくせば、小売店の問で安売り競争が起きるのは必至」(同省幹部)とみており、公取委による取り締まりの強化が不可欠と主張している。不当廉売に当たる価格水準についても「公取委は狭く解釈しすぎる」(同)との不満をもっている。

公取委としては再販制をなくした場合、不当廉売を厳しく取り締まる意向で、違法ケースについて運用指針を作成することも検討している。昨年十一月、安売りの目立つガソリンスタンド業界が不当廉売の考え方を示すよう要請したのに対し、公取委は仕入れ価格を上回っても周辺のスタンドへの影響を考慮しケース・バイ・ケースで対応するとの考えを示した。

今後、再販制度見直しの対象業種についても、仕入れ価格に保管費、販促費、などを加えた「総販売コスト」を基準とし、これを下回る価格水準を取り締まりの対象とする考えだ。ただ、再販制の見直しは小売店の自由な価格設定によって安い商品を消費者へ供給するのが本来の狙いで、公取委による規制強化はジレンマに陥りかねない要素をはらんでいる。

(日本経済新聞11.21)

【新聞記事より】 公取「不当廉売」の統一解釈
仕入れ値割る同業者に被害理由づけなし

公正取引委員会(高橋元委員長)は二十日、小売業を中心に同委員会への訴えや調査依頼が急増している「不当廉売」について、その定義を(1)仕入れ価格を下回る価格で販売を継続的に行っている(2)その結果、同業者が打撃を受けている(3)生鮮品や季節商品の見切り販売のような正当な理由がないのに安売りしている−とする統一解釈を発表。同委員会の諮問機関である独占禁止懇話会に報告した。これらの要件をすべて満たす商行為を独占禁止法に違反する不当廉売とみなし、訴えがあった場合に調査に乗り出す、との姿勢を示したもの。

不当廉売が行われているという業者から公取委への報告は近年増加しており、年間数千件に達している。そのほとんどは小売業に関するもので、特に中小規模の小売業者や製造業者が大規模小売業者の廉売について問題を提起するケースが大部分を占めている。しかし、不当廉売をしている業者自身が不当廉売規制を知らなかったり、問題を提起した者が同規制の目的、内容をよく知らない場合が多い。このため公取委では、小売業者を対象に同規制の要点を整理、目的や内容を明確にすりことにした。

独禁法の不当廉売規制の目的は業者が創意工夫により良質・廉価な商品を供給する努力を助長すること。このため価格の安さ自体を不当視するものではない。しかし、企業の合理化努力などで安い商品を提供するのでなく、 採算を無視した低価格な商品販売は、同規制の目的に合わないもので規制の対象となる。

ただ、ここでいう不当廉売の定義については、何を「不当」といい「廉売」というのかがいまひとつ明確になっていない。この点について公取委のまとめた解釈はまず価格面で商品の販売価格が仕入れ価格を下回っていることが第一の要件になる。「仕入れ価格」には、仕入れの際の値引き、リベート、現品添付等なども含む。

公取委の解釈はこうした値引きが継続的に行われていなければ不当廉売とはならない。 「継続的」とは毎日である必要はなく、一定期間ごとの繰り返しでもいい。

一方、廉売の結果が他の事業者の営業に悪影響を与えていることが次の要件となる。他の事業者とは不当廉売されているのと同じ商品を扱っている他の小売業者だけでなく、不当廉売によって影響が及ぶ製造業者なども含む。営業に悪い影響を与えるような場合とは、実際に事業活動が困難になることは必要でなく、悪影響が一般的に予測される場合も含まれる。

しかし、廉売に「正当な理由」と認められるのは、生鮮食料品や、販売の最盛期を過ぎた季節商品の安売り、需給関係から商品の価格が低落しているものの安売りなど。一方、廉売によりシェアを広げようとするような場合は、ここでは不当とみなされる。

(日本経済新聞11.21)

[広報]

【支部だより】 城南支部 組織の強化について 支部長 栗田邦彦

城南支部では、平成3年G〜10月にかけて次のようなアンケートを取りました。100%回収をねらったものですが、どうしても無回答、反応なしのところがあります。(アンケート内容別掲)

まず(1)については、年2〜3回、3〜4回の回答が多数、南支部と同様、薬歴管理から入ってはという答が2名でした。

(2)に関しては、わからない1名、選挙が正しいが大多数で、全会員は無理だからまず代議員でやってみてはが1名でした。

また平成3年8月〜12月、長尾立子後援会名簿の獲得状況は次のとおりです。

(別府部会)
 いずみ  50  占  部 13
 大  隈 49  サカタ  50
 シンコー 73  弓の馬場 50
 城  西 50  城  南 50
 セジマ  43  ニ丁目  40
(七隈部会)
 ツノダ  40  ツルカメ 50
 藤  野 50  ササノ  70
 松  村 50  マルゼン 25
 ライオン 50
(友泉部会)
 あいざわ 50  くすりK 9
 クリーン 17  ごとう  28
 サツマ  50  新生堂Z 50
 はくすい 14  松  島 60
 ユアーズ 17  ヨシタケ  7
 アップル  0  大  賀  0
 昭  和  0  しきまち  0

以上の結果でも市薬の各支部の中では辛うじて第1位であります。3月奉まであと少しです。

新入会希望者の時だけ、厳しいことをいっているような気がして反省しています。来春の支部総会時には、従来の会員1人1人が何をなすべきか、わかったような気がします。市薬の勉強会、行事にはもっと出席してもらいたい。選挙の電話当番、健康フェアー等いつも同じメンバーでは困ります。

基準薬局もみなおして、取り消しもありうるということです。

去年の代議員総会より早や1年が過ぎようとしています。継続審議となった定款改正の問題も執行部にやらねばという感じがみえない。

このままだらだらと1年がたち、また代議員会・総会をむかえどう対処するつもりなのか?責任は執行部かわれわれ各員諸氏にあるというのか。

【アンケート内容】
  市薬城南支部会員各位殿
 下記(1)(2)の記載事項につき開設者・管理薬剤師さんのお考えご意見を必ず書いてください。
      支部長 栗 田 邦 彦

(1) 9月20日 県薬にて医薬分業推進会議があり、栗田、会澤の二人が出席。
 支部単位の研修会が必要です。
 すでに南支部では市薬の先頭をきって8月研修・薬歴管理をひらきました。城南支部ではどういう研修会勉強会が必要とお考えですか。
・講師は城南区の医師がよい。面分業にそなへて。
・年間何回したらよいか
・支部で何人の出席をみこまれますか。あなたは何回。
・講義の内容は基礎から、又は
・臨床例をもとにして高血圧・糖尿病・胃疾患など
・その他
いろいろなご意見をもとにして考えたいと思います。
(2) 市薬会報7月号をご覧になりましたか。巻頭言「今、何故定款改正か」組織担当 会渾英夫先生が書いておられます。
 又、市薬会報9月号には薬局担当深江先生が巻頭言で「薬剤師会の真の発展」と題して書いておられます。
 日本薬剤師会の本部においても来春からは、投票により役員の選出となりました。
 一方福岡市薬ではどうでしょうか。
 定款では会長、副会長、監事は代議員の投票による。または代議員の同意を得て別段の方法により選出。となっています。しかし今までの定款では選挙規定がありません。それで代議員の間から投票と声がかかることがありましたが不可能でした。仕方なく別段の方法で選んでいました。別段の方法とは各支部より選考委員が一名づつ出て議長と別室において協議するという方法です。

今年の春、代議員会・総会では理事会を通じて出された会澤先生の改革案が結局継続審議ということとなりました。

なにもいますぐ定款の細則をかえて選挙投票というのではありません。将来にそなえて定款をみなおして選挙という声があっても対応できるようにしておこうというものです。

(H.3.10.9)

福岡県福岡地区・地域保健医療計画について 専務理事 冷川襄

 高令化社会の到来、疾病構造の変化、医療の高度化、専門化といった時代を向え、保健、医療、福祉の密接な連携のもと、包括的な保健医療供給体制の整備を目指し、「福岡県地域保健医療計画」が平成2年3月に作定されました。この医療計画を具体化するため、福岡県を4地域に分け、またその地域をいくつかの地区に分け、それぞれの「地域保健医療計画」の検討が進められています。4地域の中の1つ福岡地域は旧1市5郡の福岡都市圏で、福岡地区と一緒になっています。このたび、福岡地区・地域保健医療計画の原案が作成されました。薬剤師会に関するある部分は、先日の委員会で修正されませんでしたので、このまま決定されるものと思われます。従いまして、我々薬剤師にとって最も重要な「医薬分業」の項をここに掲載いたします。

(5)医薬分業

ア 現状と課題
 医薬分業は、患者の診断・治療は医師が、処方せんに基づく調剤・服薬指導及び薬歴管理は薬剤師が行うなど、医師と薬剤師がそれぞれの職能を発揮しながら、職能を分担しかつ強調することによって、医薬品の服用に係わる安全性・有効性の確保を図って、医療の質の向上を目指そうとするものである。
 また、高齢化社会を迎えた今日では、特に老人に多科受診の傾向が見られ、重複投薬や多剤併用による副作用発現の恐れが指摘されており、保健医療供給システムの一環として推進する必要がある。
 現在、わが国の分業率は12.0%と言われているが、本県では25.1%と全国平均と比較しても高率であり、全県的にみると処方せんの発行枚数の伸びとともに、院外処方せんを応需できる保険薬局も増加傾向にある。
 本圏域の保険業局数の状況は、表V2-5.6のとおり581施設で、県全体の1.561施設の37.2%となっているが、処方せん取扱い実績のない保険薬局も少なくない。
 また、患者サービスの一環として、国立福岡中央病院からの院外処方せん発行が進められており、その他の大病院についても院外処方せんの発行が期待されている。
 しかしながら、本圏域においては個々の病院・診療所と保険薬局によるマン・ツー・マン方式の形をとった分業が主流となっており、今後マン・ツー・マン方式からいわゆる面の分業を推進していく必要がある。
 なお、面分業を推進するにあたり、一つのネックとなるのが医療用医薬品の備蓄体制の問題である。現在、福岡市内においては、市薬剤師会により、会員薬局の全医療用医薬品を電算機に入力し、薬局からの照会に応じられる供給システム画構築されている。
 また、福岡県薬剤師会に薬事情報センターが設置されており、情報のネットワークを構築し、医療関係者や県民に情報が提供されている。


イ 施策の方向
(ア) 医薬分業の体制づくり
 高齢化社会を迎え多科受診による重複投薬を防止するためには、患者自らが「かかりつけ薬局」を持つことが重要であり、その適正配置を図るとともに、地域全体で組織的に処方せんを応需するために、薬局のハード面に整備・自主管理体制の確立・分業リーダーの育成等処方せんの受け入れ体制を構築し、理想的な面分業の定着化を図る。
 また、患者が広域に及ぶ国立病院等大病院からの院外処方せん応需体制についても、その整備に努める。
 休日夜間における処方せん応需体制については、輪番制の導入による応需体制の強化を図る。
 なお、日本薬剤師会では、平成2年4月から地域医療の中で質の高い薬局であって、一定の基準に該当する薬局を「基準薬局」として、独自に認定する制度を発足させたところであり、薬局もその機能を十分発揮し、地域社会のニーズに応えることが重要になっているとして、高齢化時代の薬局の機能強化に向けて制定したものである。

資料 厚生省編「厚生白書」(1991年)    薬務課
(イ) 医薬品備蓄体制等の整備
 医薬品の備蓄体制については、現在福岡市内のみで構築されている供給 ステムの全圏域への拡大を促進する。
(ウ) 医薬品情報の収集・伝達体制の整備
 医薬分業の展開を支援する為に、福岡県薬剤師会に設置されている薬事情報センターの機能を活用し、医療機関と医療関係施設相互の情報連絡システムの充実整備を図る。
(エ) 医薬分業の啓発
 医薬分業を推進していくには、住民の幅広い理解が必要であり、啓発資料の配布、健康展等を通じて啓発広報の充実を図る。
 また、医薬分業は患者のニーズや地域の実情に沿って進める必要があり、住民や医療関係者の意識・意向等の把握に努める。
(オ) 関係団体の連係強化
 医薬分業の推進を図るためには、処方せん応需体制の整備とともに、医師 と薬剤師の信頼関係の構築、並びに医師会・歯科医師会・薬剤師会相互の情報交換及び連係強化が必要であり、本圏域においても今後必要に応じて関係機関・団体等による協議組織の設置について検討する。
(カ) 薬剤師等の資質の向上
 今後、面分業を推進するためには、薬剤師の確保とともに資質の向上を図る必要があり、薬剤師の卒後・生涯教育の充実、調剤実務研修等を支援する。

基準薬局
 基準薬局とは、地域医療の質的向上に貢献することを主目的として、地域の住民・患者が使用する医薬品について、重複投薬や相互作用の有無等を調べ、薬学的立場から適切な指導助言を行い、一般用医薬品の適切な供給及び迅速適確な処方せん応需等を実践する薬局として、各都道府県の薬剤師会が個別に認定した薬局のことである。
 本認定制度は、平成2年4月にスタートし、平成3年1月現在、全国では約7,000、福岡県では532、また本圏域におけては190の薬局が認定を受けている。

※地区だの地域だのと、行政のなさることはよう分かりませんが、まあ読んでください。

「福岡県公害審査会」について(委員に就任して) 福岡県薬剤師会 理事 城戸嘉寿子

公害紛争処理法にもとづいて、都道府県では公害審査会を設置することが出来るようになっています。

福岡県ではこの法律をうけて昭和46年1月から知事の附属機関として「福岡県公害審査会」が設置されています。現在は学識経験者等15名の委員で構成され、公害に関する調停等が申請されると、委員の中から3名が調停委員となり、紛争の処理にあたることになっています。この公害審査会の委員に昨年まで県薬の荒巻会長が就任されていましたが、県の方から女性委員を出してほしいとの要望があったそうで、荒巻先生が私を推せんして下さっていました。審査会委員は県議会の承認がなければ発効しない事になっていて、平成4年1月14日の県議会において正式に15名(留任6名、新任9名)の委員が承認されました。第1回目の会合が2月6日県庁に於て開催され、知事から直接委員1人1人に辞令が手渡されました。新委員の中には次の4名の女性委員が含まれています。湯川久子氏(弁護士)、岩城和代氏(弁護士)、島田廣子氏(福大理学部教授)と私です。審査会会長に湯川久子氏を会長代理に福岡県弁護士会会長の徳永賢一氏を選出しました。

私は時々福岡県の女性政策課の懇談会に出席していますが、この場では各女性団体から政策決定の場や審議会等にもっと女性を登用してほしいという事がいつも声高にさけばれています。こうした事の効果を私が直接うけたという型になりました。先日も北九州市の市民局長の方から北九州市でも審議会に女性を登用したいので女性団体の資料を集めているということで女子薬にも照会がありました。早速、定款と役員名簿を送り、是非女子薬剤師を審議会委員に入れて頂きますようお願いしたところです。

今後、女性にとって、このような機会が少しづつふえてくるのではないかと思います。

会議報告

[部会連絡協議会]

日 時
平成4年2月12日(水)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館講堂
出席者
三津家会長、藤原、松枝、長谷川各副会長、冷川専務理事、細井、深江、合澤、篠崎各常務理事、木原、高杉、藤田、小野、鶴原、成揮、城戸、掘越各理事、豊福監事
東支部
吉村部会長
博多支部
冨永副支部長、山口専務理事、槙野、向井、山本各部会長
中央支部
光安支部長、平島、大石、酉森各部会長
城南支部
栗田支部長、松島副支部、小林部会長
早良支部
糸岐支部長、松尾、有馬、橋口各部会長
西支部
吉田支部長、岩穴口、冨永各部会長
南支部
大庭支部長、岩佐副支部長、熊澤部会長

1.会長あいさつ
 本日は部会長の先生方、お疲れのところご集り頂きありがとうございます。市薬は面分業の推進に向かい、卒業教育・研修事業に力を注いでおります。4月には薬価が改正され、処方せんが出やすくなります。その為にも医師の信頼を得ておかねばなりません。また国立中央病院以外の大型病院対策も必要となってきます。それから地域医療計画は、福岡地区、地域保健医療計画がまもなく成立し、福岡市地域保健医療計画も審議が始まりました。やがて各区の地域医療計画についても、支部長先生方に相談がくるものと思います。それから、これまでの広報活動に加えて、渉外対策も考えていかねばなりません。なお本日は、部会連絡協議会にひき続き、薬連総会を開催します。

2.平成3年度の残事業について 各委員長
(1) 組織委員全
  組織の強化については具体的方策が見出せない。
  定款に関しては、不合理な点の改正のために検討している。
  ソフトボール大会とボーリング大会は無事終了。
(2) 薬局委員会
  健康フェア、薬草観察会、漢方研究会を開催、泌尿器疾患講習会開催。
(3) 社保委員会
  国立中央病院は、2月1日より土曜休診となり、
  組合交渉で平日午後は全面院外処方せん発効、3月9日内科医会との協議会。
(4) 学術委員会
  学術研修会3回、薬物療法研修会、4回開催、ビデオを作成。
(5) 急患委員会
  4月13日〜17日ももち浜へ移転。医薬品集5版は最終校正中。
(6) 試験センター
  市立校水質検査毎学期実施、酸性雨測定終了、簡易専用水道検査10月から3月に実施、
  目薬統一試験、計画試験実施、結果は県薬会報に発表予定
(7)関連団体報告 各担当理事
  学薬、勤務部会、女子薬、商組)

3.地域医療計画について 冷川専務理事

4.その他
(1) 目薬学術大会の北九州市開催について
(2) 支部研修担当者について

[支部長会]

日 時
平成4年2月7日午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館会議室
出席者
三津家会長、藤原、松枝、長谷川各副会長、冷川専務理事、細井、正岡、深江、合澤、篠崎各常務理事、松井、高杉、光安、栗田、糸岐、吉田、大庭各支部長、南島副支部長

1.会長あいさつ 三津家会長
 支部長の先生方には市薬事業に協力頂き、ありがとうございます。平制4年も2月にはいり、私どもの任期も迫ってまいりました。 現在地域医療計画は福岡地区・地域の医療計画がまもなくでき上がります。今日は、その医薬分業に関する部分の原案を見て頂き、御意見を頂きたいと思います。また福岡市の地域医療計画も策定にとりかかりました。やがて各区の計画もでてくるものと思われます。その他本日は、今年度の残り事業、次年度への継続事業等につき御協議願います。

2.協議事項
(1) 今年度の積残し事業について
  組織、薬局、社保、学術各担当常務理事より説明
(2) 次年度予算について 細井常務理事
(3) 地域保健医療計画について 冷川専務理事
(4) その他

[第8回理事、監事会(通算226回)]

日 時
平成4年1月13日午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館第一会議室
出席者
三津家会長、松枝、長谷川各副会長、冷川専務理事、細井、正岡、深江、合揮、篠崎、戸田各常務理事、木原、高杉、藤田、小野、鶴原、成澤、城戸、市花、瀬越各理事、豊福監事

1.会長あいさつ
 年改まっての初めての理事会でございます。旧年中はどの委員会も熱心に事業に当たって頂きました。本日は今年度の積残し事業および次年度への継続事業につきまして協議して頂きます。それから福岡市長より扁額を丁載いたしております。

2.会務報告 冷川専務理事
(1) 12月3日福岡市地域保健医療計画策定
   検討委員会15:40福岡市役所(三津家)
(2) 12月19日福岡市地域保健医療計画策定
   検討委員会リハビリ部会13:30福岡市役所(三津家)
(3) 平成4年1月9日三役会(市薬会館会長室)

3.委員会報告 各委員長
(1) 組織委員会
(2) 薬局委員会
(3) 社保委員会
(4) 急患委員会
(5) 学術委員会
(6) 試験センター
(7) 広報部

4.関連団体報告 各担当理事
  学薬、勤務部会、女子薬、商組

5.協議事項
(1) 平成3年度予算執行状況、平成4年度予算について 細井常務理事
(2) 福岡市薬剤師会細則の改定について
(3) その他

[第9回理事・監事会(通算227回)]

日 時
平成4年2月21日(金)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館第一会議室
出席者
三津家会長、藤原、松枝、長谷川各副会長、冷川専務理事、細井、正岡、深江、合澤、篠崎、戸田各常務理事、木原、高杉、藤田、小野、鶴原、城戸、市花、瀬越各理事、豊福監事

1.会長あいさつ 三津家会長
 年度末まで残り40日となりました。理事 の先生方には大変お世話かけました。本日は今年度の残り事業及び次年度への継続事業につき協議して頂き、4月の代議員会に提案いたします事業計画作成の参考にいたします。

2.会務報告 冷川専務理事
(1) 1月19日 第10回市薬懇親ボーリング大会10:00城山スポーツパレス
(2) 2月4日 福岡市地域保健医療計画策定検討委員会14:30福岡市役所(三津家)
(3) 2月6日 福岡市健康週間第2回実行委員会11:00福岡市役所(三津家)
        健康づくり推進組織検討委員会13:30福岡市役所(冷川)
(4) 2月7日 支部長会19:00
(5) 2月12日 部会連絡協議会19:00

3.委員会報告 各委員長
(1) 組織委員会  会員資格、勤務部会との関係について検討中
(2) 薬局委員会  基準薬局のレベルアップ
(3) 社保委員会  国立中央病院指定薬の洗い直し。
(4) 学術委員会  4月の学術研修会まで現委員で担当する。
(5) 試験センター 3月上旬水質検査
(6) 広報部

4.関連団体報告 各担当理事
  学薬、勤務部会、女子薬、商組

5.平成4年度予算案について 細井常務理事

6.早良支部、西新部会および早良部会の分割について
  支部の申し出了承

7.その他
  4月19日第2回チャリティーウオーク開催

委員会報告

[学術委員会]

日 時
2月20日(木)午後7時
場 所
市薬会館
出席者
長谷川副会長、篠崎、深江各常務理事、成澤、市花、藤田各理事、久池井委員

1.次回学術委員会の打合わせ
2.薬局実務研修会について
3.学術用ビデオの保管方法と利用推進について
4.4月の学術研修会開催について

[急患委員会]

日 時
1月14日(火)午後6時
場 所
市薬会館
出席者
成澤、市花各理事、小松、深見、竹尾、馬場、北島各委員

1.年末年始診療について
2.出席者一覧表の訂正
3.3〜5月出勤表の検討
4.出勤者懇親会について
5.薬剤師賠償責任保険の継続契約
6.出動者確認カードの件
7.平成4年度の事業計画について
8.その他

日 時
2月5日(水)午後6時
場 所
市薬会館
出席者
成揮、市花各理事、小松、深見、竹尾、馬場、北島各委員

1.3〜5月出勤表の作成
2.新規出勤者説明会について
3.年末年始薬局業務量統計
4.急患診療出勤者懇談会について
5.医薬品集第5版の編集状況について
6.新センター薬局の内部設備について
7.その他

[薬局実務研修会打合せ会議]

日 時
1月21日(火)午後7時
場 所
市薬会館
出席者
長谷川副会長、篠崎、合澤各常務理事、成澤理事、中島委員

1.薬局実務研修会について
2.学術研修会について
3.急患センター採用医薬品集についてc

[広報部会]

日 時
2月5日(水)午後5時
場 所
市薬会館
出席者
木原理事、冷川専務理事、鶴原理事

1.3月号の編集について
  3月号の特集は「会報について」とする

日 時
3月4日(火)午後4時
場 所
市薬会館
出席者
木原理事、戸田常務理事、冷川専務理事

1.3月号の編集について

研修会報告

[学術講演会]

日 時
平成4年2月13日(木)午後6時45分
場 所
福岡市薬剤師会館講堂
演 題
1.検査試験販売についての注意事項
講 師
福岡県薬剤師会薬局委員長 南島敏彦先生
演 題
2.腎臓診療の実際一最近の動向一
講 師
福岡大学附属病院 腎センター 教授 内藤説也先生
出席者
116名

[ツムラ漢方学術講演会]

日 時
平成4年2月18日(火)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館講堂
演 題
老年痴呆に漢方薬はどこまで迫れるか
講 師
福岡大学薬学部 教授 藤松直弘先生
出席者
113名

[学術研究会]

日 時
平成4年2月26日(水)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館講堂
演 題
糖尿病の診断と治療
講 師
福岡大学附属病院 講師 向野賢治先生
出席者
99名

【広報通信】 特別講演『くすりと健康』 福岡市薬剤師会 広報担当理事 木原三千代

一月、県薬の光安理事から講師を引き受けてくれないかとの電話をもらった。光安さんは国保の審査員。国保組合からのお話だということだけで、詳しいことは何も聞かされないまま、私でお役に立つのであればと引き受けた。それが『しあわせ老人大研修会』であった。

後日、前原町長名で郵送されてきた講演依頼書には、町内のお年寄り約900名への講演であり、日時は2月28日、場所は伊都文化会館・大ホールと記され、伊都文化会館と前原町の観光案内のパンフレットが同封されていた。福岡県配置薬協会さんの研修会で、責務課の先生方とご一緒に講師をさせて頂いたことはあるが、一般の人を対象にした講演は始めてのこと。「こんなにおおぜいの皆さんに、私が講演を?」。

どうやら、光安さんにハメられたらしいと気がついたが後の祭り。今さらお断りするわけにもいかず“おばたりあんスピリット”で腹をくくることにした。

お電話くださった前原町保健課の井上さんは、保険婦さん。私が西日本新聞に連載していたクスリの話を読んでいてくださったそうで、「ウイットにとんだ話ですね」と評された。町内のお年寄りを家庭訪問していると、降圧剤をきちんと飲んでいなかったり、余った薬を引き出しにたくさんしまっていたり。薬が間違って使われていることがよくありますので、講演お願いしますとのことであった。

何をお話ししようかと、まず目についたのが目薬が作った『お年寄りが薬と上手に付き合う法』。これを送ると、すぐに「とっても良いので、900部ほど手に入りませんか」と問い合わせがあった。県薬にお願いすると目薬には無いとの返事。目薬も、こんな役に立つ資料はもっとたくさん作ればよいのにと一人プツブツ。結局、井上さんの方で印刷してくださることになった。

つぎに、いい機会だから薬剤師の仕事を知ってもらおうと、宮野福岡大学長にお願いして福大病院薬剤部を取材、スライドにした。また、200点業務をやっている松田さんには、4F外科病棟に入院中の患者さんのところに案内してもらい、実際にどのようにされているのかを見学させてもらった。松田さんのことは以前、古賀県薬副会長が病床体験記(市薬会報92.9月号)の中でお書きになっているので、記憶にあるかも知れません。

一週間前の日曜日、いやがる主人を誘って下見に行った。地下鉄の方が早いという人もあり迷ったが、クルマでおよそ一時間。やはりクルマの方がよさそうだ。

そしていよいよ当日。控え室でご挨拶した老人クラブ連合会長の清水さんはお若くて、とても86才とは思えない。そして、前原町収入役の井上倭文子氏は、参院議員の石井道子先生にそっくり、とてもお優しそう。町収入役といえば三役、名刺を頂きながら福岡市にも加藤助役がいらっしゃるが、前原町にも女性の三役がいらっしゃるなんてと講演会はそっちのけで大感激。「頭痛や肩こりでよく薬を飲むので、今日の先生のご講演楽しみにしているんですよ」と、講演を前に目いっぱい緊張気味の講師を励ましてくださった。

講演時間は1時間10分。40分ほど話した頃ふと気がつくと、前列二列目のおばあちゃんが、気持ちよさそうにコックリッコックリ。そのまま眠ってもらっていようかなとも思ったが、オバタリアンは根が意地悪。起きてもらうことにした。

それでもって始めたのが博多弁バージョンでの、とっておきの強精薬話。効果てきめんで会場は大爆笑。講演が終わり保健課の若い素敵な男性に花束をプレゼントされた。控え室に戻ると「先生、ありゃよかったですばい」と、老人クラブの会長さんにほめられた。

しかし、特別講演『くすりと健康』の講師としては、最後のところだけを覚えて帰られても、困るんだがなあ。

終わりに、今回の取材に際し心よくご協力くださった宮野福岡大学長はじめ、黒田薬剤部長、馬島副薬剤部長、そして松田さんに心から感謝申し上げます。

【とっておきのくすり学】

おわびと訂正

1月号の巻頭言を書いてくれた戸田常務理事の担当が、組織になっていますが、総務です。

またフレッシュさん紹介の徳山さん、1月号S54・第一、11月号S60・福大となっていたので気がついて碓認したのですが、確認ミスでした。徳山さんはS60・福大卒です。

そして、またまたフレッシュさんの白石治郎さん。1月号の新入会者では次郎さんとなっていますが、治郎さんです。

お詫びして訂正いたします。

【会員の移動】

ご結婚おめでとう

2月11日
 下 川 聖 司さん(28)
     多津子さん(28)
      旧姓 古賀
○まったく痛みを感じないとかで、古賀県薬副会長の目の中に、大切に大切に入れられていた多っちゃん。それを無理やり取り出して奪って行ったにっくき男性は下川聖司さん。九大歯学部テニスクラブがキューピット役を演じたそうですよ。

2月23日
 森 川 公 雄さん(31)
     康 代さん(28)
○千代吉塚部会には独身男性が二人いましたが、その中の一人森川さんがようやく結婚しました。
「先を越されてしまった。これからは先輩と呼ぼう」と言ったという、もう一人はどなたでしょうね?

社保委員会から

国立福岡中央病院からの院外処方せんの発行については、会員の先生方には大変なご協力を頂き、おかげさまで一月17.7%、二月17.9%と確実に増えてきています。全国的には院外処方せんの発行率が下がっているところもありますが、国立福岡中央病院にかぎってはこのように確実な進展を見せています。これも先生方のご協力あったればこそです。

さて、この二月からの土曜休診にともない、平日午後はすべて院外処方せんになりました。そして、火曜日にはFAX送信が100枚を超すことから、派遣薬剤師も専任の江崎さんに加え、女賀さんにもお手伝いしてもらっています。聞き慣れた江崎さんの声でなくても、あれっ?と戸惑われないようにお願いをして、お知らせと致します。

(文責・小野)

会 務 日 誌 (平成4年1月〜2月)


1月6日 薬業団体連合会新年名刺交換会 12:00 ホテルニューオータニ(三津家他)
     社保委員会 13:30
  9日 三役会 18:00
  10日 第2回国民健康保険運営協議会 15:00 福岡市役所(三津家)
  13日 理事会 19:00
  19日 懇親ボーリング大会 10:00 城山スポーツパレス
  21日 薬局実務研修会運営委員会 19:00(長谷川)
  24日 県薬地区指導者研修会 13:30県薬(冷川)
  28日 学術委員会 18:30 網元(長谷川)
2月4日 福岡市地域保健医療計画策定検討委員会 14:30 福岡市役所(三津家)
     社保委員会 13:30(冷川)
  5日 広報部会 17:00(冷川)
     急患委員会 18:00八仙閣
  6日 福岡市健康週間実行委員会 11:00福岡市役所(三津家)
     福岡市健康づくり推進組織検討委員会 13:00 福岡市役所(冷川)
  7日 支部長会 19:00
  10日 定款研究会 19:00(冷川)
  12日 部会連絡協議会 19:00
  13日 計量普及協会30周年記念 14:00福岡市計量検査所(二宮)
     尿検査試薬研修会 18:45(三津家、冷川)
15〜16日 薬局実務研修会(前期)
  18日 ツムラ漢方学術講演会 19:00(三津家、松枝、冷川)
  20日 学術委員会 19:00
  21日 理事会 19:00
22〜23日 薬局実務研修会(後期)
  26日 学術研修会 19:00

【薬連関係報告】 太田誠一先生を囲む会

日 時
平成4年3月7日
場 所
「福新楼
出席者
約50名

上記のように薬誠会懇親会が開催されました。ご承知の通り薬誠会は、衆議院議員太田誠一先生を支援する会であり、荒巻県薬会長、三津家市薬会長をはじめ、おおむね市薬会員により組織されている。なお、薬誠会会長は藤野市薬顧問が努められている。その薬誠会、今回は太田議員が衆議院大蔵委員長に就任されたのを祝っての開催となった。

会は藤原副会長の司会で進められ、藤野薬誠会会長は「当会の会員はおよそ120名。さらなる会員の広がりを期待する」とご挨拶。

荒巻県薬会長は「過日、ある会合で宮野福岡大学長と同席したが、学長は薬学部がなかなか六年生にならないのは、私学が反対しているからではなく、国立大学への大蔵省の予算がつかないためだと言われた」と、暗に大蔵予算委員長の太田議員にアピール。

太田議員は、委員会が終わったあと社会党の若手議員と飲みに行くことがよくある。そのとき政治問題について話してみると、私の言うことはよく理解してくれるし、考え方にはそれほどの違いはないと思うことが多い。

ところがマスコミは、政党間の建て前上の違いをことさら強調し、常に対立しているように報道するので国民もそう思ってしまう。むしろ、自民党内において考え方の相違がある場合が多い。とくに派閥間の権力争いが加わるので政治を分かりにくいものし、醜いものにしていると指摘された。

また、議員はご挨拶のあとも長時間同席され、会員さんとの親睦を深められた。

ところで、会場で久しぶりにお目にかかった恵愛団薬局の金枝先生。「木原さん、藤野先生の原稿は届きましたか。二、三日前に県薬でお会いしましたら、また原稿用紙の裏に書いてありましたよ」と心配してくださった。 “また”とおっしゃったということは、一月号に書いた編集後記の原稿用紙談義を読んでくださったのかな?

(文責、木原)


 井原先生 藤原薬誠全会長 太田議員

県薬代議員会 速報!!

3月20日(祭)午前11時より、県薬会館において、第67回通常代議員会が開催された。

任期満了にともなう役員選挙が行われたが、荒巻会長、古賀、梶原、岩橋、野田各副会長、合澤、城各監事ともに再選された。合澤監事は、市薬合澤常務理事のお兄さん。

写真は代表質問で、福岡ブロックを代表し、きびしく?執行部を追求する小野代議員。

[編集後記]

○市薬会報の編集を引き受けて、早いもので4回目の春。できあがった会報を見るのが恐わくて恐わくて、一人で取りに行けなかったのが嘘のようです。

○今号の特集は「会報について」、勤務評定されるつもりで企画しました。貴重なご意見をたくさんお寄せ頂きまして、本当にありがとうございました。
 市薬会報はローカル誌、お知らせや生涯教育などのほとんどは、厚かましく県薬会報こおんぶにだっこ。できるだけ会員さんの“ひろば”になるようにと編集してきました。

○中でもいちばん大変なのが原稿依頼。5人、6人と何人電話しても空振りばかり。「できなーい、やめた」と何度思ったことか。ところがです、フレッシュさん紹介の山本さんのように一度は断ったけれど、思い切って書きましたと原稿を届けてくれる人がある。すると、さっき泣いたカラスがすぐ笑うわけですよ。

○市薬の広報担当理事に多大な影響を及ぼした、福岡市医師会広報担当の山本理事は、急患診療センターの責任者も兼務されています。じゃなくて、いました。大熊会長のもと新執行部では何を担当なさるのでしょう? 文章のはしばしに垣間見る行政との折衝のうまさと、行政を見る目の皮肉っぽさに、広報担当かくあるべきやと、思わず納得。

○西日本新聞社を二月に退職され、聞き書きシリーズ・すんまっせんの署名を、三月からは元記者にしようかなと言われていた竹井記者。「あなたの書く編集後記は、佐藤愛子さんに似ている」と、佐藤愛子エッセイ集“女の怒り方”をくださった。息子とフィクションじゃ、ノンフィクションじゃと言い合っているサマは確かにそっくり。

○福岡大学から非常勤講師を委嘱された。担当科目は薬学概論のなかの一コマ=開局薬剤師の役割=、できるだろうか。
“非常勤主婦”の方だったら、自身あるんだけどなあ。

(木原)

平成4年3月31日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人  三津家 正 友
編集入  木 原 三千代
印刷所  (有)興英社印刷