■ 巻 頭 言
会営薬局について (社)福岡市薬剤師会 会長 三津家正友

福岡市薬剤師会では9月1日現在903名の会員数に達し、なお新しく入会される方が続いております。

先の第2次医療法(6月)の改正に於て吾々薬剤師は医療担当者の一員として、医薬分業を思考しつつ行動するように求められています。

そこではいわゆる「良質でかつ適正な医療供給体制作り」の一環として薬剤師の職能が充分発揮されるべきと考えます。

昨今、福岡市内における官公立の大型病院と称される施設や、私立の病院や診療所に於いても、その理由は多岐にわたるようですが、処方せんを院外に出したいとの兆しが散見されます。

われわれ福岡市薬の会員としては、同種同効薬や多種多様の薬品の品数には多少気になる所ですが、当該施設の内部との話合いがつけば、患者の受益を考慮しつつ「良質で適正な医療供給体制」の枠組の中でこれに応えなければなりません。

個々の具体的な事例は後日にゆずるとして福岡市薬では、国立福岡中央病院におきまして厚生省の指導を待つつ「FAX」を利用して処方せんを応需する面分業を試行してきた所です。

そこでは受入薬局の会員諸兄の非常な努力により一応の成功が認められております。

今後はそれらのノウハウを生かして面分業を目標として、処方せん応需においては先達とされる、調剤専門の薬局や、一般大衆薬(OTC)主眼としつつも処方せん応需についても特に努力を続け、成功されている薬局の会員諸兄を遣先案内とし、リーダーとして450軒の保険薬局は勿論、その他の薬局を含む、650軒の全会員薬局が同じ歩調で医療人としての薬剤師の途を進まねばなりません。

その為には会員相互の組織の強化と研鋸が必要であります。

その研鎖の一助として、例えば吾々の先達により先行取得されております。福岡市中央区百道の会有地については、(新設の国立病院隣接地、ツインドーム前)

(1) 地域住民の方々に対してのモデル薬局として「基準薬局」の構想をふまえてのサービス
(2) 面分業推進のための支援センターとしての研修の場
(3) 稀少薬品等を含む「薬品の備蓄センター」としての役割
(4) 会員はじめ地域住民の方々への「医薬品情報」の収集と提供
(5) 休日及び夜間の処方せん調剤と一般大衆薬の提供

等を目的として、今後会員諸兄の意見を某的し、且つ薬業界の将来を見つめながら、また、厚生省、福岡県薬務課、福岡市衛生局等行政の協力や指導を得ながらその準備を進めたいと考えます。

今後医療環境の変革は次々と行われ、その中での医薬分業の進展は医療人としての福岡市薬会員の自覚と相互研鱒によって得られるものであります。会員諸兄の自愛を祈念して。

<私と薬> 薬局製剤とアマチュア無線 東京都板橋区 中島薬局 中島泰男

三つ子の魂百迄とは、子供の頃の志を老いてもなお燃やし続ける例え。

私には昭和の一桁の頃、S製薬の平社員の父親が持ち帰ったS薬報を読んで、葉の魔法のような威力に魂を奪われ、あこがれていた会社の工場に、たまたま連れて行かれた思い出があります。

一番偉い工場長に対等の口をきき、肩で風を切って歩いている人を見て「あの人どういう人なの」と父に聞いたら「手の届かない偉い薬剤師で技師長だよ」と答えてくれたのを、70才になった今でも覚えているのです。

実際その頃の薬剤師の権威は大変なもので、何しろ養成専門学校(現大学)が10校も無く卒業生が700人にも足りない時代でした。

子供の私はその時代から薬剤師にあこがれてしまい、いらい化学薬学を学ぶ事に無上の幸福を感じるようになってしまったのです。

その頃、子供に高等専門教育を授ける親は少なく、中等教育(現在の高校)止まりで就職し、家計の助けを期待する親が大部分。

我が家もその例に洩れずでしたので予備校にも通えず、独学で一浪して千葉薬専(現千葉大)に合格。

薬学を学べる喜びに飛び上がったものでした。 薬学といっても本当のねらいは製薬製剤にあったので、学問は興味深々として尽きないものでした。

対米戦争となり、繰上卒業即日入営で陸軍の初年兵。地獄の思いの数カ月、新兵教育を終わって薬剤部の試験を突破、軍医学校を経て満州関東軍の薬剤官旅順水師宮の病院で将校となり、製剤も手がけるようになって、長年の念願にやっと手が届いたのが23才の春浅い頃でした。

敗残の復員後、口しのぎに小さい化学商事会社に管理薬剤師として身を置き、主に闇商売に明けくれして、物が出廻って釆た頃、見切りをつけて、戦火に残った我が家を処分、現在地に開業という経歴になった訳です。

薬局もバラックに毛が生えた程度のものとは言え、薬局製剤の存在を知った時、よしこれで行こう、これこそ吾が生きる路。わが命をかける路と思いつめ、いらいその路一筋、重点を製剤に向けて驀進した40年余りでした。

従って私の人生は薬局製剤と共にありとも言えるのです。

製剤品目が局方のものと国民医薬品集という時代、アミノピリン解熱剤1日量0.6分3という具合で、今からみると、恐ろしくなる処方も多く、切れ味のよいものが数多く収穫されていました。

その後、変遷を重ねて現在の姿になるのですが、自分の推める薬は自分が造ったもの、との信念は益々強くなりました。

それはメーカーが新製品を発売し、強力なキャンペーンを展開し、プロパーを動員してのPRで協力推売して固定客作りに精出した結果が、一片の挨拶もなく、経済的理由のもと、製造を中止したり、会社が倒産する事もあって、努力が空しくなる苦い思いをしたからでした。

製剤に取組んでから今迄というもの、常に未知のものへのささやかなチャレンジの連続でした。

特に外用薬では、業務指針解説の製法を改良し、主薬の粒子の超微粒子化を開発し、基剤の改良を数カ月かけて果たし、効果の倍増と安定度の増強、使用感の向上に情熱を傾けましたが、成功した時の幸福感は表現する言葉が見当たらない位です。

局方の製剤総則に、最終製品が規格に合えば、製造の方法等、問う所ではない、と明記されていますし、軟膏は気候気温の状況に応じて成分比を変えても差支えない、とも明記されています。

親水基剤製剤は、主成分をそれぞれの相に溶かして乳化すれば、一流品に劣らぬ製品が出来ます。夏の暑い時、2台のガスレンジの上で溶解加温している時、全身水をあびたような汗ですが、心頭滅却していますから、涼しくはないけどいっこうに暑さは感じないのです。

製造が面白く、楽しくてたまらないのは、50数年前に短波無線実験局の免許をとり、アマチュア無線局を開設した時に発しています。

現在120万を数えるアマチュア局も、当時は僅か200足らず。

従って無線機は全部自作で、ラジオの部品を使って改造したのでした。全くの機器実験で、10W足らずの高周波電力で、遠く南太平洋との交信は夢のようでした。

鉱物標本屋にたのんで、水晶をRカットに切ってもらい、1カ月もかけてカーボランダムで研磨し、割当周波数に合ったものを作りあげた喜びは格別でした。

旅順の陸軍病院の将校宿舎で、部品を家から取り寄せ、組立てた短波受信機で、VOA放送をこっそり聞いている所を隊長に見つかり、その後、毎日のように隊長と2人で聞いたのも懐かしい思い出となりました。実は、大本営発表と全く違う戦況を知って、暗然としたものでした。

アマチュア無線は、戦後再び試験を受け直し、米軍払い下げの真空管など豊富に使っての再開でしたが、今は機器はメーカー品となり、自作はビームアンテナぐらいとなりました。

気が向くと、ハワイで買ったエレキイパドルを操作して、ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカなどと交信を楽しんでいます。

人の本能には創造の欲望というのがあって、結果の反響が素晴らしかった時の幸福感は無上のもの。

残り少ない私の人生、貧りつづける事でしょう。

<私と薬> 北の空からコンニチワ 青森県薬剤師会 葛西昭雄

縁は異なもの味なもの、木原三千代先生と「読んで安心くすりの話」のご本のおかげで有り難いご縁が出来ました。

このご本の記事が薬事日報に出ていたものですから、欲しくて福岡の県薬事事務所に入手方法をお願いいたしましたところ、直接木原先生から送って頂きました。

代金を送金したり、受け取った旨のお手紙を頂いたり、そんなこんなで2〜3度位もお手紙をやりとりいたしましたでしょうか。

南と北の端のこと、お互いお会いする機会もないこと、とは思いますが・・・。ということで一応は一期一会のご縁が途切れたものと思っておりました。

ところが、8月の20日過ぎ、またも先生からの封書が私の所に届いたのです。開けてみましたら、立派な「市薬会報7月号」と中に一通のお手紙が・‥。

なんと原稿のご依頼だったのです。びっくりしました。しかも、会報の目玉とも言うべき「私と薬」のコーナーとか。見ず知らずの人間の記事を読んで会員の皆さん、きっとびっくりなさるだろう。そう恩いました。

でも、せっかく頂いたご縁を大切にしたい。 そう恩いました。責任は木原先生に取って頂いて、ともかく書いてみる気になりました。

でも福岡市薬剤師会ってすごいんですね。会員が合計903名(6/18現在)とか。本県の会員は820名位。県が束になってかかっても一つの市の薬剤師会より会員が少ないのですから驚きです。県民所得が全国の下から数えて2〜3番目の県なのですから“むべなるかな”ですね。

頂いた会報を拝見してやはり医薬分業の記事がかなり目につきますが、本県でもいろいろと動きが出て参りました。

八戸市の労災病院が今年から院外処方箋を発行することになりましたが、八戸市には薬剤師会宮の調剤薬局が2店運営されています。

研修センター的な性格も兼ねていますし、そこが核になって備蓄センター的な役割も担いながら面分業に向けてわりとスムーズに進行中のようです。

もともとこの地域は総体的に分業に熱心な先生方が多く、先進地の視察などにも積極的に取り組み、こうして積み重ねられた実績が評価されて労災病院の院外処方箋の発行につながったものと思われます。

しかし、一方では他地域から調剤薬局が進出してきた例もあります。ある市の私立病院が院外処方箋を発行することになり、市内の薬剤師会が対応策を練っている間に、東京から調剤薬局が進出、門前薬局として9月1日から営業を始めることになっています。

希望者には自由に内部を見学させるということで、見学した方の話によりますと、受け付けた処方箋はコンピュータで処理され、薬袋の記入から、薬品の配合等、ほとんどオートマチックに流れていくシステムになっているようです。一言でいって「度肝を抜かれるような」設備だといっていました。

幸い、地元の薬剤師会とは全面的な協調関係を保ち、備蓄センターの役割をしてくれるとともに処方箋の面への広がりへの協力もしてくれるということになっているらしいです。

一度にすべての保険薬局に1,000品目近い薬品を備蓄しろといっても、現実的にはかなり無理な面もあることと思われますので、こうしたやり方も一つの方法なのかな、とも思ったりしています。

今年の私どもの薬剤師会支部総会で、来賓の医師会の先生からご挨拶を頂きましたが、医薬分業について今までとは少し違って積極的に突っ込んだ見解を示されました。

ともかく、医薬分業は、もはや後戻りのできない大きな一つの流れとして、流れ始めたような気がいたします。

さらに、医療法の改正で薬剤師の位置づけが明文化されたことも相まって、薬剤師としての私どもの責任は今までにもましてその重みを加えて参りました。腹をくくってかからねばと思っています。

なかでも小さな薬局を経営している私にとって、やはり医薬分業は大きな試練です。

薬品備蓄、薬剤師の複数化、薬歴管理、投薬指導、医薬品の相互作用、多科受診による重複投与のチェック等、いろいろな問題が山積みしています。

いっぺんにすべてを完璧に解決することは困難としても、患者に迷惑をかけないように、医師の信頼に応えられるように、努力しなければと患っている次第です。

初対面から固いご挨拶になって申し訳ありませんでした。

木原先生からは津軽の自慢話でも、というお誘いでしたが、たいした自慢とてあるわけなく、こんな話題でお目を汚したことをお詫び申し上げる次第です。

先生方のご健勝とご発展をお祈りしつつ・・・。

随 想 「高圧剤と降圧剤」 九州女子短大 教授 竹井広大

大相撲のテレビ見ながら焼酎飲んでたら、市薬会報の編集長から突然の電話「予定していた原稿が事情あって掲載見送りとなり誌面に空白が生じた。急遽穴埋め原稿が欲しいのだが、24時間以内に雑文を文句言わずに書いてくれそうなのは元記者のお前さんくらいしか思い浮かばない」とおっしゃる。なにしろ毒舌毒筆で有名で、エリツィンも一目置くだろうという人だから、断ったら後が怖い。ホイホイと作り笑顔でお受けして大急ぎでワープロをたたいた次第であります。

さて本題に入ります。この夏、東京のテレビ局がアナウンサーの卵を養成するゼミを公募したところ、何千人という大学生が応募して十数人が選ばれた。その中で将来ニュースキャスターになりたいという男女学生数人に常識テストとして、JFK、PKF、金日成、ビザなし渡航、従軍慰安婦・‥などを質問した。満足に答えられた者はなく、金日成は韓国大統領、ビザなし渡航はイラン人の不法就労、従軍慰安婦は第2次大戦中の従軍看護婦・・・という答えもあり、テレビ局の偉い人たちは愕然とした。

この話は月刊誌「新聞研究」最近号に載っていたものです。私も似たような話を友人から聞きました。それはテレビ局ではなくて広告関係の会社の入社試験ですが、PKOとは何かという問題に「中年サラリーマンの代表的なストレス解消法」と答えた青年がいたそうです。Pはパチンコ、Kはカラオケ、Oはオカマバーだというのです。この青年その他の成績が優秀だったこともあって「よくもまあここまでこじつけたもんだ」と創造性が買われてめでたく採用になったそうです。

さて再びアナウンサーの話ですが、以前テレビを聴いていたら、若い女性アナウンサーが展覧会のお知らせで「近代絵画のバクテたちの作品を一望に集め・・・」と放送しました。バクテとはパテいったいなんのことじゃ?・・・一瞬首をひねってから苦笑しました。なんと、バクテとは旗手(きしゅ)のことだったのです。アナウンサーは放送技術主体(NHKは別格)のテストで採用されるのが相場です。彼ら彼女らは放送記者が書いた原稿をディレクターから与えられて棒読みするのが仕事ですから、事前の不勉強がポロを出すことがあります。女丈夫をオンナジョウプと呼んだりするのはまだいいほうで、「猛暑の甲子園球場は水銀灯(柱の読み違い)がウナギ上り」とやらかしたり、「鶴の飛来地で有名なデミズ(出水)」と平気で読んだ例もあります。

ところでテレビのような電波メディアの場合は、アナウンスミスの証拠が残らないので救われますが、新聞のような活字メディアの場合ですと記事のミスは読者から即座にクレームがきます。例えば専門家に寄稿してもらった薬剤関係の原稿で「持効性のある薬」という記述を、担当記者が確認せず勝手に「特効性のある薬」と直した例があるのですが、これなどは健康と直結する問題だけに専門家筋から厳しいクレームがっきました。最近は新聞社もワープロ原稿ですので、手書き原稿時代にはなかったミスも出ています。その代表的なのが「高圧剤」事件です。「降圧剤」のつもりが、ワープロでコウアツとやると最初は「高圧」の文字が出ます。そのまま原稿になって、デスク、整理部、校閲部とすべてのチェック部門をくぐり抜けて大きく社会面に出てしまったわけですが、どこの新聞社でも今ワープロミスが問題になっています。

反対に、ワープロではありえないミス(誤植)が、活字印刷時代にはいろいろありました。以前、新聞社の制作部門には膨大な数の活字が棚に並んでいて、ベテラン技術者が機械のような速さで棚から活字をっまみ出して植字するのですが、似たような字が同じ列の棚に集中しているため、思いがけない誤植をやらかします。伝説的に語り継がれている実例に「明治犬帝」事件があります。ある新聞社で「明治大帝」の「大」が犬」になっていたのに校正の段階でも気づかず発刊されてしまったのですが、不敬罪という古い法律がまだあった戦前のことですから天下の一大事です。責任をとって編集局長が切腹事件(未遂)を起こしたと、私の駆け出し時代に先輩記者から聞かされたものです。そして先輩は「後世(校正)恐るべし」としゃれをつけ加えるのでした。

戦後の事ですが、「天皇陛下」が「天皇階下」になって紙面に出たことがあります。もう民主主義の時代でしたから「訂正・お詫び」で一件落着したようです。このように昔から新聞と誤植は緑が切れない関係にありますが、時には思わず吹き出すような誤植もあります。敗戦後間もなく、占領軍の高級将校たちが地域の日本婦人代表たちと婦人参政権について「股を交えて」懇談したという記事が出て問題になりました。もちろん「膝」が「股」になってしまった単純な誤植事件ですが、女性に優しい占領軍とアメリカ人に弱い日本女性をおちょくった意図的誤植ではなかったか、という複雑な説も流れたそうです。

もう一つ、学窓を巣立って社会人となる女子学生を対象に化粧品会社が主催して「お嬢様の股のお手入れ講習会」が開かれた、という誤植事件がありました。「肌」と「股」という活字は活字棚の同じ場所に並んでいますが、ベテラン植字係の老眼鏡が合わなくなっていたためのミスだったようです。

このようなロマンチック(?)な誤植はワープロ時代では出そうもありません。ハイテクは人の遊び心やゆとりを追い出していくようです。じつはこのお話は、私が女子大と短大で講義している「マスコミ概論」からの抜粋です。もちろん、教室ではアカデミックな格調高い内容と表現を心掛けておりますので何卒ご安心を。

(了)

今号の“私と薬”には「くすりの話」の本が、薬事日報とファームウイークに紹介されたことでお手紙をくださった、お二人の先生方に投稿をお願いしました。

中島先生はコールサイン・JA1HA、アマチュア無線の草分けのような大先輩。『店頭余分』を15年間も執筆なさっています。「あなたの趣味が、アマチュア無線というのが中々いい」と書いてこられました。

寄せられた原稿と一緒に同封されていた週刊誌の紹介によれば、中島先生は“水虫博士”だとか。なるほど、薬局製剤に命をかけるとおっしゃるはずです。そして、送ってくださった無線機とアンテナの写真を見て息子が言った言葉。

「お金持ち−!」。これも薬局製剤のたまものでしょうか。

そして、遠く青森からご寄稿くださった葛西先生は、五所川原支部長をなさっています。くださったお手紙のワープロ文字を見て、これはかなり書き慣れていらっしゃるなと、ピーンときたわけです。長年、原稿依頼をし続けていると、その辺りの読みだけは鋭くなります。

そして、狙いたがわず送ってくださったのが「北の国からコンニチワ」。さすが支部長先生。こちらの狙いよりも数段上の原稿を頂き、編集者としては感謝の念にたえません。

(木原)

<会員の広場> ドイツ薬局の誕生とその歴史的背景 欧米薬局レポート その1 千代吉塚部会 荒巻薬局 荒巻滋

1−1.

確か高校2年生のときだった。世界史の授業中、先生がこんな話しをされた。「最近羽振りのいい××協同組合(通称×協)がね、団体でギリシアに旅行に行ってからね、パルテノン神殿ば見学してからよ、何て言ったと思うね。事もあろうによ、『ギリシアはまだ戦災復興がすんでいませんね。』げな。ああはずかしか。日本はとっくの昔にすませたて得意がっとったらしいよ。」教室の中は爆笑の渦と化した。

誰が聞いても苦笑する当時ならではの話しだが、歴史を知らないとは本当に悲しいことである。歴史を多少なりとも知っている人であれば当然見えるものが知らないばかりに何も見えない。ほんの少しの差が無限大の差となるわけである。 欧米の薬局の現実を語る前にその歴史について多少なりとも述べておかねばパルテノン神殿の二の舞えを踏みかねないと考えたので、今回はまず世界で最初に薬局制度が作られ、薬剤師が1つの職業団体として人々から認められるに至ったドイツの薬局の歴史と時代背景について若干説明させていただきたい。

1−2

ドイツの先住民は西ヨーロッパに鉄器文化をひろめたケルト人であったが、ローマ帝国の勢力が強大になると当然の事ながらローマの支配を受けるようになる。そして本格的なゲルマン民族の大移動を前に、ライン川下流に移り住んだゲルマン系部族の総称をフランク族と呼ぶようになったのがAD3世紀中頃で、これが後のフランク王国の前身となる。

ゲルマン諸部族のなかでも特にフランク族が強大となった理由として、第一には他のゲルマン系諸部族と違い一か所に定住したということ。第二にはキリスト教に改宗することによりローマ人との大きな対立を起こさず、同時にヨーロッパにおける旧勢力の後ろだてを得ることに成功したということなどがあげられる。

フランク王国はカール大帝のころ(9世紀初頭)最盛期をむかえるが、大帝の没後ゲルマン社会の旧習に従いその領土は3人の息子に分与される。大帝の孫の代になると、それぞれ東フランク・西フランク・イタリアとなり、現在のドイツ・フランス・イタリアを生む母胎となった。

カール大帝の理念を受け継ぎ、キリスト教を中心とする旧ローマの体制に憧れていた東フランク王国のオットー1世は、イタリアの政変に乗じて遠征しイタリア王となり、後にローマ法王を政敵から助けて法王よりローマ皇帝の冠を授けられる(AD962)。ここに神聖ローマ帝国が誕生する。神聖ローマ皇帝は法王と並んでヨーロッパの二大勢力となり、その勢力は北はドイツから南はシシリー島にまでおよんだがその基盤は極めて脆弱なもので、内部での政争が後をたたなかった。しかし当時のヨーロッパにあって、他の国王とくらべ皇帝の権力は絶大でパインリヒ4世はなんと法王に廃位をせまるほどであったが逆に破門され、凍て付くような寒さのなか三昼夜立ちつくして法王に破門の解除を乞い求めたカノッサの屈辱(AD1077)はあまりにも有名である。法王と皇帝の関係を日本の歴史に見るならば天皇と征夷大将軍のようなものであったろう。

神聖ローマ帝国最南端のシシリー島はもともとヨーロッパやアラビアの人々が入り乱れた地域で、12世紀末に航海術にたけたノルマン人が入って来るまではサラセン人の支配下にあった。当時のシシリー島は東西の文物が入り乱れ、独特な文化が花開いた所である。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世はこの時代を生きたシシリーの王であり、彼の母がノルマン人であったこと、ひどいアラビアかぶれで当時の先進地アラビアの本を読みふけったことなど、一般に我々が想像するドイツの王とは大きく趣を異にしている。

この頃アラビアの科学は、古代から数えて何回目かの隆盛期を迎えており、多くの発明・発見がなされている。11世紀にアヴィケンナが著した「医学正伝」は実に17世紀中頃まで西ヨーロッパの医学校で用いられたし、身近なところでは、今日我々がよく使うアルコールやコットンなども当時生まれたアラビア語である。

ドイツ人は、ギリシア・ローマの流れを受け継ぐ西ヨーロッパの文化に対しては畏敬の念を持ちつつ、東ヨーロッパおよびその周辺に対しては倣慢であるという、我々にもどこか身に覚えのある気質の持ち主であると聞いているが、薬局や薬剤師という発想そのものも、もしかしたらヨーロッパのオリジナルなのではなく、もとはといえばアラビアにあったものなのかもしれない。

イスラム教世界では絵画が禁じられたためか習字が異常に発達したのだそうだが、あの合理的なドイツ人が装飾過多のドイツ文字をもちいるのもアラビア文字の影響では、などというのは考え過ぎであろうか。

1−3

一般にヨーロッパでは医薬のルーツをギリシアのヒポクラテスやローマのガレンにおいている。俗に「物の時代、心の時代」などといわれるが、中世ヨーロッパはまさに心の時代であって、古代のすぐれた科学技術の多くは忘れ去られていた。当然のことながら医薬もその例外ではなかった。

ゲルマン人がヨーロッパへ流入する事によりこの傾向はますます強くなるのだが、一見皮肉なことにヨーロッパの古典医薬は心の時代の中心であるはずの修道院の中で引き継がれてゆくことになる。古くは修道院内の薬品保管庫をアポテーケと呼んだそうである。これが今日の薬局(Apotheke)の語源となっている。やがて、12世紀頃になると薬の知識の体系化が求められるようになってくる。 アラビアで非常に科学・薬学(錬金術)が発達したことは1−2で述べたとうりであるがヨーロッパからも多数の人材がアラビアへ留学している。ギリシアなどの古典がアラビア語の書物を通じてヨーロッパの知識者層に広がった例も多いそうである。

アラビアでは香料の取り引きが盛んで、それにたずさわる人々は高度の秤量技術を持っていたという。香料を商う者がその高度な秤量技術をもって薬の取り引きを始めることも珍しくはなかった。後のルネッサンス期においてレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだことで有名なメディチ家も香料や薬品を商って莫大な富を得ていたそうだ。

ダ・ヴィンチは、当時有識者のサロンと化していた薬局へ絵の具を買いに行くうちに、医師や科学者と知り合い、それが後の数々の発明・発見の遠因となったのだ、という説もある。おそらく当時、極彩色の絵の具は非常に高価なハイテク物質だったのであろう。

ヨーロッパではギルドという職業保護団体が生まれるが、やがてその中に薬の管理者の団体として薬剤師というグループ意識がめばえてくる。そして、薬をあつかうのに町の許可が必要なところもでてくる。

これらの流れの中から現在の薬局・薬剤師の原形ができあがってきたのではないかと考えられているムそしてついにAD1241、フリードリヒ2世により薬局・薬剤師制度が定められる。その後の大きな流れについては1−3−aを御覧いただきたいと思う。

日本と違い階級制の厳しいヨーロッパにおいて「その地位は常に町で5本の指に入る」と人々に認められるようになるということは並大抵ではなかっただろう。日本人が想像する町内の顔役的イメージとはずいぶん違うわけである。ドイツの薬剤師試験に芸術やユーモアの科目が設けられていたという史実からもそれを伺い知ることができる。

 13世紀のヨーロッパにおいて薬剤師が信頼された理由としては、
・高度な秤量技術 ・品質管理
・薬の共通規格、薬局方を作成
・処方内容の公開
・毒薬・毒物の管理
・安定供給のため価格を公定
などが考えられている。

一般にはフリードリヒ2世の薬局・薬剤師制度により薬局や薬剤師が誕生したかのように考えられがちであるが、実際にはすでにその社会的地位とその使命とを皇帝に課せられるのを待つばかりとなった極めて高度かつ人々に信頼され得る有識者集団があったということを決して忘れてはならない。

<会員の広場> バングラディシュのこと 福岡市薬剤師会 常務理事 会澤英夫

○ダッカにて

しゃれた、清潔なシンガポールより、ダッカに到着してしまいました。うす暗く、設備が悪いので仕方ないにしても、空港をとりまく多くの人達です。外国のVIPでも来るのかと思いましたが、そうでもなさそうです。空港の建物を出ると人をかき分けて歩かねばならない程です。その上ややみすぼらしく、悲しげな様子の子供や婦人達が私達にまとわりつき手を差し出します。お金をやる事は出来ないし(出来ない訳ではないのですが、後が大変になりそうですし、又感覚的にいけない事のように思います。)それではと邪険に振り払うか無視する事(これしか仕方ないのですが)も出来なくて、恐らく私達の方が情けない、困った顔をしていたと思います、何の目的でこのように沢山の人達がここに居るのか、同行したラフマンさん(在日8年のバングラデイシュの人)に聞いてもはっきりしません。

その後都市でも地方でもよくこのような後景を見かけましたが、結局よく判りませんでした。ゆったりとした時間が流れる南の国の風景かも知れないと恩いましたが、時間に追われた忙しい毎日を送っている私にとって、理解出来ない異様なものを見るようでした。私にとってはこの国を批判したり、見下げたりするつもりはありませんが、見たまま、感じたままを述べてみますと、そのような調子になりそうで心配です。

市内は人も多いのですが、リキシャ(むかし日本でリンククと呼び、自転車で人力車を引く乗物)やベビータクシー(三輪車でホロをかけた二人乗りの自転車)、屋根の上まで人の乗っているバス、車、これらが広い道路一杯に、それぞれクラクションを音量一杯に鳴らしながら走り回っています。ホコリと排気ガスが漂い、ハチの巣をつついたような騒がしさです。のんびり時間のある国のように思いますが、乗物に関する限り、全く違っています。兎角ものすごい勢いで走ります。私はベビータクシーが一番面白く、リキシャには2回しか乗りませんでした。リキシャの人も何故か腰を浮かし必死にこいでいるのです。シャツが汗で肌にはりつき、その上みんなやせこけているように見えます。これに乗るにはちょっと気の毒で、うしろめたい気がします。

ベビータクシーは30−50タカ(公式レートで1タカ31円です)。リキシャには5〜10タカ払っていましたが、これは乗る前に交渉して値段を決めます。ラフマンさんが決めてくれましたが、私達だけではどの位になるのか判りません。私達と別れてバングラディシュを回った2人の学生さんの話によると下る時、最初に決めた値段と違うので、必ずケンカになったそうです。他の事ではのんびりしているのに(例えばダッカからチックゴンへの飛行機は3時間以上遅れても何の案内もありませんし、乗客も特に不平を言う事もありませんでした)。狂ったように走り回るこれらの乗物については、面白く又、哀しく思ってしまいました。リキシャの人の平均寿命は他の人(この国の平均寿命は男女とも51才です。)より低いとの事でした。1日中ラッシュのようですが、夕方になると大ラッシュです。これを見ただけで私は満足に思ったりしています。

○バングラディシュの人達

この国の人達は、とても議論好きです。話や演説がとても上手です。ベンガル語ですからさっぱり判りませんが、迫力を感じます。ある日、カラムディ村(私達が診療所を作ろうとしている村)の中学校の校庭の草の上で話し合いが行われたのですが、暗くなり顔が見えなくなっても続けられるのには閉口しました。多くの人がヒゲを生やしていますのでなお立派に見えます。(中学生でもヒゲを生やしています。)而し聞くところによるといわゆる議論だおれなる事も多いとの事でした。私達はどこでも多くの人にとりまかれ、歩く時は一個連帯をひきつれていました。珍しいのか、好奇心が旺盛なのか、暇なのか、歓迎してくれているのは有難いのですが、これには少しまいってしまいました。

これ程多くの人に注目され、大切にされることは私の一生のうちではそうないだろうと思いましたが、一日中プライバシーのない(寝る時も窓から沢山の人がのぞいています。)状態で、最後はむしろ腹立たしく恩いました。又この国の人はとてもおしゃれです。白いものを着ている人が多いのですが、清潔でサッパリしています。女の人(又は女の子)は年令はよく判りませんが、目鼻だちがはっきりして、原色のきれいな衣服が多かったようです。ある日、この地方の実力者である、イディリスさんの家に招かれ昼前から夕方までいましたが、二人の娘さん(12才〜15才)が三度も着がえられたそうで、後で聞いておどろきました。(私はそのような事に気がつきません。)

この村では風呂はないので、井戸で身体を洗っていたのですが、私が頑から水をかけ、ふいた時、目の前にくしが差し出されました。(前述のように身体を洗う時も見物人で一杯です。)私は手を振って断りました。残念ながらクシを使う程、私の頑には髪の毛がなかったからです。恐らく彼らはいっもくしを身に付けているようです。時々髪の手入れをしている姿を見かけました。私達の方がむしろ汗臭く、汚れた格好をしていたと恩っています。

○“怒れるラフマン”さんのこと

ラフマンさんは現在37才で在日8年。家族と東区に住み、高校の先生をしています。私達の活動もラフマンさんとの結びつきから始まりました。イディリスさんの教え子であるラフマンさん達の国造り、村造りの情熱には心を打たれました。ラフマンさんは15才で友人と小学校を作り、独立戦争(パキスタンよりの)では銃を取り参加したそうです。ラフマンさんは、普段は少し恥ずかしがり屋の温厚な感じですが、この国では、空港でも、ホテルでも、村でも怒ってばかりいました。私は“怒れるラフマン”とからかっていたのですが、内心はこの国を、この人達を何とかしなければという“いらだち”だと思って見ていました。乏しい国費で日本に留学した彼は、大きな理想を負っているようです。私達がバングラディシュを非難したりすると少し苦しそうですが弁護します。

而し、この国の人に対してはやはり厳しくならざるを得ないようです。旅行前、私はラフマンさんに、何語をしゃべるのか、何人(人種)であるのかを聞いたのですが、彼はバングラディシュ人で、バングラディシュ語をしゃべると当然の如く断言しました。(本当はベンガル人でベンガル語を話すと言うのが一般的です)。彼の姿を見て、そのように話した意味が判りました。私は50年間(今はまだ49才)私と私の家族の事のみを考えて生きてきました。勿論、生活の向上が労働の意欲につながるし、経済的発展につながると考えています。経済的発展は失うものであるかもしれませんが、得るものも大きいと思っています。而し、ラフマンさん達を見ていると何だか少し恥ずかしかったり、羨ましく思ってしまいました。そして私も又、その何かを求めてバングラディシュまで来てしまいました。

倣慢ではありますが、彼らにしてあげれる事は沢山あるように思います。そして、それをはぐくみ、型のあるものにしていく事は彼らの仕事です。援助とは、そのようなものだと思います。

激増する人口問題、サイクロン等の天災、教育、医療、多くの困難があります。世界各国からの多くの国際援助のもとに、一歩一歩それ等を克服する事を祈っています。そして私もその一ケの小さな根っ子として、そこに居る事を嬉しく思っています。(おわり)

<会員の広場> ターニングポイント 福岡市薬剤師会 監事 藤原良春

秋分の日、週間現代を買ってきて渡辺淳一氏の連載エッセイを読んだ。このエッセイは毎号楽しみにして読んでいるもので、今回の表題は「ターニングポイント」であった。

今年の秋の訪れは突然であった。の書き出しで始まり、数日前までの暑さが異様であっただけに、いまの涼しさがまた異常に思えること。おかげで、人々はある日、突然、季節が季節どおりの顔を見せたときに驚き狼視すること。

この種の戸惑いは季節にかぎらず、現実の生活のさまざまな面でも体験する。として、たとえば、年齢をとったと感じるとき。

二十代や三十代のころは、明け方まで酒を飲んでもさして疲れず、徹夜も平気であったが、四十代に入ったある日突然、深酒で醒めず、徹夜で朦朧として、翌日、仕事にならない自分を発見して、愕然とすること。

季節があるとき、突然、夏から秋に変わるように、人間はあるとき突然、自らの年齢を実感する。この実感し、変革する一瞬を「ターニングポイント」と呼んでいる。

これらの例は無数にあるが、共通していることは、ともに突然、ターニングポイントが現れたように見えて、その実、振り返ってみると、ターニングする可能性はかなり以前からあったが、その実態を見失っていただけのことで、気がついたときには、すでに手遅れというわけである。と述べている。 このエッセイを読みながら、前日に開かれた理事・監事会のことが浮かび、さらには、昭和54年にも同じ風景があったなあ、と思い起こしていた。

いま、市薬の執行部は臨時代議員会を前にして、九大病院の処方せん応需問題や、会営薬局問題で悪戦苦闘している。理事者の顔を見ると、連日の交渉事や会議で疲労感を漂わせていた。

こういうときは、とかく、イライラが高じて怒りっぽくなり、議論も空回りしがちである。そして、思わぬミスを起こしかねない。

理事者に対する同情と励ましの思い、それに岡目八目で、ついつい口を出してしまったが、こういうときこそ、冷静で、かつ勇気ある決断を望みたい。

どの問題も出口は見えている。どの道を選択して決断するのか、市薬にとっていまがまさに「ターニングポイント」である。

振り返って考えてみると、市薬会館の建設を目ざして開かれた昭和54年3月9日の理事会も、一つのターニングポイントであった。

フクニチとの共有地買収に関する経過は、フクニチの三転、四転する態度に振り回され「会議は踊る」状況であった。しかしながら、そのつど示された当時の会長藤野先生の決断とリーダーショップは、実に見事であった。

そして、買収の最終的な決着を見たのは、4ケ月後の6月25日。さらに会館建設という難題に直面していくのであるが、この事業に参加した一人として、いま、当時のことが懐しく思い出される。

■■トピックス■■ 市薬学術委員会

高齢者の収縮期高血圧は下げた方がいいか!

血圧の収縮期圧は加齢とともに上昇し、拡張期圧は60歳以上では逆に低下し、脈圧は増大する。この現象は加齢による大動脈の伸展性の低下によって起こる。

従来、収縮期高血圧は心血管疾患の危険因子にならないので、高齢者の血圧は下げる必要はないと思われていたが、最近、この型の高血圧がすくなくとも脳血管障害の危険因子になることが報告されている。191名(平均80歳の女性)を10年間の追跡調査した結果、収縮期高血圧を示す群れの脳血管障害の発症率は正常血圧群に比べ有意に高かった。また、収縮期高血圧治療の有用性を平均72歳4,736名を対象に、治療群とプラセポ群に分け、4、5年観察した結果、脳血管障害の累積発症率は治療群で5.2/100人、プラセボ群では9.2/100人。心疾患では治療群の方が25%低かった。

老年者では過度の降圧はかえって予後を悪くする可能性があるため、老年者の血圧値を今後、どこまで下げるのがよいのか、又、どのような降圧剤を使用するのが良いか、残された問題点も多い。

医学のあゆみ Vol.162 No.3

1992.7.18

外来診療における経口セフェム系抗生物質の選択

数年前より、セフェム剤の開発が盛んで、ペニシリン剤に変わろうとしている。 以上、表をごらんになれば、一目瞭然医師の問い合わせに照会しされたらいかが!

β−ラクタム剤(ペニシリン系およびセフェム系)はその作用機序の面からも最も安全性の高い薬剤である。とくに経口セフェム系抗生物質は副作用の発現頻度も低く、今日外来診療においても最も繁用されている。主な副作用は下痢、腹痛、発疹、肝機能障害、好酸球増多。下痢の頻度の高い薬剤としては、ABPC、合成ペニシリンとβ−ラククマーゼ阻害剤の合剤。腹痛の多い薬剤としては、マクロライド、テトラサイクリン。

又、乳幼児は成人に比べ腸内細菌叢の影響を受けやすくその結果としての下痢、菌交代、出血傾向の頻度が乳幼児ほど高率である。

PTM Vol.5,10(3)AUG.,1992

シメチジン、ラニチジン服用中の飲酒は酔いやすい

アルコールと薬剤の相互作用については、抗癌剤のカルモフールや経口糖尿病剤のクロルプロハマイド、1−methyl−tetrazole−5−thiol基を有するセフェム系抗生物質は、アルデヒド脱水素酵素を阻害することより血中のアルデヒド濃度を増加させ、その結果ジスルフイラム様作用(少量のアルコールで二日酔いを起こす)を呈することは良く知られて いる。

最近、H2受容体括抗剤のシメチジンとラニチジンは、胃のアルコール脱水素酵素活性を阻害することにより、飲酒時の血中アルコール濃度を上昇させることが報告されている。

一方、ファモチジンについては、活性阻害は認められていない。したがって、シメチジンおよびラニチジン服用時の飲酒は退けるほ うが望ましい。

表1では、生体内実験の結果です。アルコール脱水素酵素はアルコールを可逆的に脱水素してアルデヒドと過酸化水素に変えるが、シメチジンは更に、P−450依存性アルコール酸 化系を阻害することなどが考えられる。又、ラニチジンの服用によりアルコールのfirst−pass −metabolismは1/2に抑制される。宴会幹事のみなさん悪用しないように!

医学のあゆみ Vol162 No.3 1992.7.18

○どなた様か、差し出人の名前がなくてわかりませんが、英会話の連載を見て、医療英会話の資料を送って下さいました。大変、参考になりました。ありがとうございました。
こういうことは初めてなもので、ありがたくて、うれしくて、感激してしまいました。
送って下さった先生、紙面を借りてお礼を申し上げます。

(橋口記)

第3回 CRC杯MPSテニス大会の御案内

  日  時:10月25日(日)9:00〜17:00
  場  所:ディノクラブ(福岡市東区松島5-3-1)
  参加資格:医療従事者(約60名)
  試合形式:ダブルス 団体リーグ戦(組み合わせは当日抽選)
       ダブルス トーナメント戦(任意のペア)
  イベント:バーベキュー大会
       スポーツ障害予防のストレッチ指導など
  参加費用:1,000円
  問い合せ:福岡市南区長丘2-1-4 TEL(092)511−3529
       (株)シー・アール・シー内
         MPSテニス大会実行委員会事務局

[広報]

【支部だより】 5才になった早良支部 早良支部 支部長 清水達三

早良支部の発足は約5年前に区制に従って西支部より分区され誕生しました。現在会員薬局数は72会員店を有し、今後も調剤薬局の増加が見込まれます。本年度は過去3部会だった部会を分割し、5部会にして別表のようになりました。部会分割については支部発足当時より考えられていたのですが、今年になってやっと市薬代議員会に提出し承認されました。

(資料 別表1、2)

さて、早良支部の状況ですが、初代支部長の南島先生が支部活動をスムーズに行うために努力されて支部運営委員会の制度を導入し、以来支部の活動は運営委員会によって企画され実行されております。また支部規約も制定され各種委員会制皮も出来て、地域医療計画や健康フェアーや分業問題等にも活発な活動をしております。

「過去の活動としては医薬品の不当な乱売や不適当販売に対して、支部及び部会が一致団結し適正運動をした結果非常に安定した販売体制が守られるようになりました。しかし最近は調剤薬局の間で事件が頻発しはじめ、時代の変わりと対応に苦慮しております。

例えば、面分業がおこなわれている地区の真申に割り込み調剤薬局が出現し阻止出来なかった事、既存保健薬局の真横に調剤薬局を不正な手段で建てたり、今後も調剤薬局の問題が多くなって来そうです。

時代の流れとしては薬剤師会も女性の活躍が目立ちはじめた事です。わが早良支部でも5部会中3部会が活発な女性部会長に引き受けていただき、支部運営委員会の中でも目覚ましい活躍をしていただいております。その内に女性の支部長や過半数の女性会員に乗っ取られそうです。

次に分業問題については、先の国立病院処方せん応需の時は支那部会をあげて応需薬局を押し進め、一応地域的にも万遍なく配する事ができました。

しかし早良区には大型調剤薬局が少なく、処方せんが発行され始めた頃は、医薬品を揃える為に中央区や博多区まで走り廻り、それは大混乱でした。

支部社保委員会は、なんとか支部内で医薬品を揃える事ができるようにと支部内の備蓄薬品リストをキメ細かにかっ頻繁.に作成配布する事で一応落ち着きを取り戻しました。また慣れもでてきて、今ではどこの応需薬局でも無難にこなしています。

しかし早良区内の薬局では大型備蓄薬局の少ない事から備蓄センターの根強い要望があります。それが赤字が出るのがわかっていても、確実で一度に全部の医薬品が揃う備蓄センターがほしいという要望が多いのです。

そしてこの度突如としておこった九大附属病院の院外処方応需問題ですが、規模の大きさと準備期問の短さに、応需を望んでいた多くの薬局は受け入れ態勢が間に合わず、降りていかざるを得ませんでした。

早良支部としても応需薬局促進が出来る状況にはなれませんでした。それにしても準備期間の短かさからか状況が日毎に変わり、全面分業からトーンダウンして行きました。

社保担当の理事や委員の先生方も毎日毎日本当に大変でしょうが、成功するように頑張って下さい。第1次応需薬局には先発隊として大変ですが、続く第2次応需応募の薬局のためにも頑張って下さい。そして次はもっと多くの薬局が応需できるようにして本当の面分業になるように要望致します。

九大病院処方せん応需は今が渦中ですが、そのうち近隣の大型病院の分業もいっ起こるかも知れません。その時には参加できる様に準備しておかなくてはなりません。

今早良支部の悩みは薬剤師会無関心派の会員先生になんとか関心を持ってもらい、積極的に事業に参加してもらいたい事です。それには支部役員ももっと努力して会員の掘り起こしをしなければなりません。

無関心派の会員の中にも本当は何から参加していいのか迷っている方もいるはずです。支部対抗ソフトボール大会や薬草観察会、健康フェアー等の行事や学校薬剤師会、急患センター出動等にも参加しやすいものから入って来てほしいものです。

また、部会長は部会内の全員さんの状況をよく把握して薬剤師全をよく理解してもらえるように努力しなければならないと思います。

最後に私は今年5月に早良支部長を引き受けてまだかけだしですが、今まだ支部の立場が理解できません。県薬に対しての立場と市薬に対しての立場と両方共です。

また市薬から交付されている援助金で支部はどれくらいの仕事を要望されているのか、支部とは単なる連絡網なのか、また市内七区の支部は呼称もまちまちであったりして私にはまだ判からない事ばかりです。たよりない支部長で申し訳ありませんが今後も頑張りますのでよろしく。

※ 学校薬剤師会への入会希望者は支部長ま で申し込み下さい。

5月12日 早良支部総会(於 喜水亭)
5月18日 原北・原両部会台同総会(於 みよしの鮨)
5月22日 早良部会総会(於 てら岡)
5月27日 西新・藤崎部会合同総会
7月6日 早良支部運営委員会(於 福寿飯店)

九大問題に質問集中
=平成4年度第一回部会連絡協議会=

日 時
8月22日(土)午後5時
場 所
セントラルホテル福岡
出席者
三津家会長、細井、松枝各副会長、戸田専務理事、中島、篠崎、木原各常務理事、市花、城戸、成沢、鶴原、山口、国武各理事、豊福監事、坂田広報委員
   
東支部
松井昌也、吉村きく子、入江理裕、篠崎正十郎
博多支部
高杉正典、水田雅章、増井冨佐子、向井美佐子、林フサ子、槇野徹、山本幸男、田中伸一
中央支部
光安寵彦、平島久美夫、梅末芳彦、西森基泰
城南支部
栗田邦彦、松島照幸、浦本光憲
早良支部
清水達三、本村精也、西岡啓子、橋口扶佐子、青柳豊子
西 支 部
吉田斌、占部吉幸、佐藤衛二、岩穴口泰男
南 支 部
大庭秀臣、岩佐周一郎、深見俊彦、石田和長
1.会長のあいさつ

平成4年度第1回目の部会連絡協議会です。まず、薬業界のおかれている状況をご説明申し上げます。大型病院、個人病院等から、院外処方せん発行の動きが多く見られ、薬剤師会としてもその対応をしっかりとしていかなければなりません。9月発行予定の九大病院からの院外処方せんの応需については、有志100店舗には、まず先発隊として犠牲的に受けてもらうものです。決して個々の薬局について選別したわけではありません。 九大病院側の研修受け入れ体制次第では、11月にでも第2次の指定薬局を受けつけるつもりであります。

2.委員会報告 各委員長より報告

3.九大病院院外処方せん応需について

今回、申し込んだ薬局ははどのような基準で選別したのか。 二人薬剤師の店舗を優先したとのことであるが、現に両区では一人薬剤師でも許可になっているところもあるようだが、東区では許可になっていない。おかしいのではないか等、支部長よりこのような質問が集中した。 会長からは、今回指定を受けられなかった薬局については、その理由を個々にご説明申し上げて、ご理解を頂くようにするとの答弁があった。

4.会有地の検討について

会有地の問題については、今までも執行部としては種々検討を重ねてきたが、今回薬務課より、モデル薬局構想の申し出があり、急ぎ部会連絡協議会でご協議お願いすることとなった。これは県薬務謀、もしくは市衛生局より補助金がつく可能性があるということでもあり、ぜひ前向きのご検討をお願いしたいとの説明があり、協議された。

【学薬のページ】 市学薬会長就任あいさつ 福岡市学校薬剤師会 会長 三津家正友

昭和31年6月29日楠田会館において、福岡市学校薬剤師会発会式並びに辞令交付式が行われました。

役員には会長に友納英一、副会長に矢野憲太郎、柴田伊津郎の詣先生が選ばれ、小学校担当者50名、中学校担当者23名、合計73名の会員が、無報酬ながら学校保健活動に対する意欲と使命感に燃えてのスタートでした。この年の市薬会員数は200名。つまり3人に一人が学校薬剤師になっています。

その後36年たった現在多くの先生が引退され、或は亡くなられて、当初の会員で今も現役でいるのは土肥善衛、松尾英黙、細井轍一の諸先生、それに私を入れて4名になってしまいました。

その最も古い会員の一人である私に学薬全長のお鉢が回ってきたのは、何かの因縁のような気もしますが、私としては「原点に帰れ」という意味だと受け止めています。またそれは、市薬会長としての責務だとも考えています。

なぜなら、学校薬剤師の誕生とその組織作りに当っては薬剤師会挙げての努力と活動があったからです。

ここに古い話を持ち出したのは、現在学校数250校、会員数100名、36年前に比べると、学校側で3.4倍、これに対し会員数は1.4倍にしか増えていません。このことをよく認識して頂きたいと思っているからです。

さて、現在私達がおかれている状況は、医薬分業の進展とともに時間的制約を受け、十分な学業活動が困難になりつつあります。

一方、学薬活動は学校内における環境衛生管理はもちろんのこと、学校を囲む地域を含めての水や大気汚染問題、或は、薬物乱用問題等幅広い活動が要求されています。

学校薬剤師による学校保健活動は、たとえそこに困難な問題があっても、公衆衛生活動の一環として、今後とも積極的に進めて行かねばなりません。薬剤師職能を発揮して地域に奉仕する。そしてそのことを対外的にアピールする。その結果が薬剤師の地位の向上につながってくるからです。

そのためには、ただ単に学薬内の問題としてではなく、市薬全体の問題として取り組んで行く必要があります。

市学業は、両副会長をはじめとして、若い理事の方々が張り切って仕事を始めています。会員の方々にご協力をお願いして、ごあいさつといたします。

(福市学薬より 転載)

一石三鳥会館

さる8月6日(木)、市薬全館において福岡市学校保健会第2回理事会が開催された。この会は、「学校における保健衛生の研究並びに普及進展および健康教育の振興をはかり、児童生徒の健康増進に寄与することを目的」とし、理事会は下記のようなメンバー45名で構成されている。

なお予算額およそ360万円をもって、次のような事業を行っている。

(1)福岡市学校保健大会の開催
(2)福岡市保健優良学校・よい歯の学校の審査
(3)第10期う歯半減推進校の設置・活動助成及び協議会の開催(7校)
(4)大会協議会への派遣
   (1)十三大都市学校保健協議会
   (2)全国学校保健研究大会
   (3)九州地区学校保健研究協議大会
(5)学校保健研究指定校の設置及び研究助成(6校)
(6)学校保健だより第25号の発行(上記指定校の実践報告)
(7)各部会における調査研究

市学薬の会長・副会長は、市学校保健会の理事に自動的に任命されることになっている。 どういう組織なのかもよく分からないままで、6月25日、城山ホテルでの第1回理事会に出席した。昨年度の開催場所はすべて城山ホテルであったが、8月6日第2回理事会は市薬会館4F講堂で開催された。

出席なさっていた市医師会の山本理事は、村山副会長をして市医師会きっての毒舌家と言わしめるほどです。市薬会報5月号に戸田専務理事が「KIHARA大語録」という、涙が出るくらい嬉しい投稿をしてくれましたが、市学校保健理事会で山本理事の口から出てきた「YAMAMOTO語録」も中々のものでした。

以下YAMAMOTO語録の数々

「市薬会館には初めて来ましたが、外から見るより、中はなかなか立派ですなぁ」

中は、とあえておっしゃる辺りはさすがです。

「エレベーターはないんですか」

環境問題を第一に地球に優しく、省エネルギー。なおかっ足で階段を昇ることで、タダで健康づくりができる、一石三烏とも言える素晴らしい会館でしょうが。

「コーヒー代は、もちろん薬剤師全が持つんでしょうな」

戸田専務理事は「セントラルホテルからコーヒーを出前させましょう」と言ってくださったが、学校保健課の山崎係長は学校保健会に予算がありますのでとお断りになった。どちらがお払いになったのかは、まだ確認してない。

何はともあれ、いろんな先生方との出会いがあった学校保健会でした。

(文責 木原)

「地球にやさしくなった環境衛生基準」

文部省では6月1日「学校環境衛生の基準」を28年ぶりに全面改訂し、さる7月9日、10日神戸で開催された−全国学校薬剤師講習会−において発表されました。

改定された主な点は、多様化社会の実態に即し、校内環境の向上をキメ細かくうたってあることです。まず、水・空気・照明・音については新指針が提示されました。そして特筆すべきは、地域に対して学校が公害源にならないようにし、また自ら責任を持つという環境教育の浸透をも願って「排水の管理」が新設されたことです。

例えば、新聞紙面などでよく問題にされている腰洗い槽の残留塩素濃度は、かなり高濃度です。現在はほとんどの学校でそのまま排水されていますが、いずれ薄めた上で流すなどの規制がされるのではないかと思われます。

そして同じく6月、福岡市からも表紙裏に掲載したような環境宣言が発表されました。

医療担当記者との懇談会

日 時
9月3日(木)午後7時
場 所
「お花」
出席者
三津家会長、合澤、木原各常務理事、坂田、橋口、荒巻各広報委員
   
朝日新聞  社会部 米山正寛
読売新聞  社会部 藤野博史
西日本新聞 文化部 島村史孝
      社会部 橋本洋

広報委員会では、市薬執行部より三津家会長、合澤常務理事にご出席頂き、上記のようにマスコミさんとの懇談会を開催した。

全長は「マスコミさんとの懇談会は市薬といたしましても初めてのことです。日頃からお世話になっている記者さんに、薬剤師職能につきまして、より一層のご理解を頂きたくてご案内申し上げました」とご挨拶された。

二時間余りの懇談会は、あっという間に終り、閉会のあいさつをする私に、朝日の米山記者は「薬剤師会も医師会と対等にならなければいけません。医師、薬剤師、看護婦さんが対等にならなければ日本の医療はよくなりませんね。およばずながら応援しますよ」と、心強い言葉をくれた。

そして一週間後、橋口さんが学校薬剤師として西日本新聞夕刊の『われらリーダー』欄に登場することになった。「吉田先生に援けてもらって取材は無事に終りました」と電話をもらい、「ご苦労さま」と切ったとたんに、今度は朝日の米山記者から電話が入った。

赤ひげ的な薬剤師の仕事を紹介したいとデスクに相談すると「薬剤師は、紙切れを見て薬を作るだけじゃないか」と言われたそうだ。それにもかかわらず「頑張っている薬剤師さんを九州各県で一人づつぐらい紹介したいので、お知恵を貸してくださいませんか」と訪ねてきてくれた。いろいろと検討した結果、「10月の九山学会に来ませんか。九州各県の薬剤師の情報が集まりますよ」ということになった。

実際に朝日の紙面に掲載されるかどうかは分からないが、一人でも薬剤師を見てくれる記者さんがいるのが嬉しい。

(木原)

新聞はしっかり読もう 広報委員 坂田博子

去る9月3日、午後7時。新聞記者さん方と市薬広報委員の顔合せという事で会合に出席する。社会への薬剤師との懸け橋となってくださる方々なのだと力が入る。研修会等では遅刻魔の私もさすが、この時ばかりは30分も前に到着してしまった。でも幸いなことに三津家会長は既に、また合澤先生とは玄関で一緒になり、気持ちが柔ぐ、順次、橋口先生、木原先生、荒巻先生と来られ、もう「鬼に金棒」という心境になる。他方、記者の方々は、多忙な仕事の合い問を縫って釆席される。三津家会長の挨拶に始まって、以後、名刺交換。木原先生にお願いしていた真新しい名刺を頂き、私も恥ずかしながら、参加する。来席された4人の記者さん、各々、優しく個性的で印象深い。ここでちょっと私なりにご紹介してみます。

先ず、西日本新聞の島村史孝記者。渋味があり、穏やかそうな方。翌日(4日)の朝刊「デスク日記」に「史」とサインが書かれてあり、ご自分の大腸の定期検診の様子が述べられてあった。異常がなくて良かったですね。同じ西日本の橋本洋記者。社会部に在籍6年間。事件記者の世界から、この9月に医療担当に異動して来られたばかりのフレッシュ?さん。「今から勉強していきます。ところで市薬の会員数は何名?」と矢つぎぼやに質問を浴びた。まだ、大学生の名残りが見られる頼もしい方です。

朝日新聞の米山正寛記者。お若いのに落ち着いた、目の奥に何か力を感じる方です。この6月に女の子が生まれた、優しいお父さん。質問が始まったら、納得のいく回答が返ってくるまで突き詰めていくタイプ。コロンボ刑事を急に思い出しました。性格がピックシ。最後に、読売新聞の藤野博史記者。この方を知らない方はいないでしょう。会報、去年の7月号に「私と薬」で寄稿頂いた『朝焼けの50円玉』の方です。写真も載っています。名刺を差し出した時、ご自分に暗示をかける様に、一度で名前を覚えてしまわれるという特技を披露され、心優しい方だと再認識しました。4人の方々を思い閃いたこと。新聞をしっかり読もう!

何れの方も「人の健康」に携わり、医療に対して熟き志を感じる方ばかり、今回は九大院外処方せん、面分業等についての話までに展開せずに終ったが、それでも市薬の学薬の活動の一端を理解して頂けたし、今後に大いに期待できると思う。今までの木原先生や他の多くの先生方が、コツコツと培ってこられた記者さん達と市薬のバイパス、もっと太く堅固なものにしていく責任を感じた。時は正に、面分業に向けて、産みの苦しみを全員肌で感じている時である。散会の折、記者さんが「薬剤師の皆さん頑張って下さい、応援しています。」とはっきり言って下さった言葉がとても嬉しく、耳から離れない。

ギョーザ屋さんの話にホッ! 広報委員 荒巻滋

新聞記者の方々との懇談会の案内をいただいたものの、立直なところさぞや堅苦しい全だろうと内心不安でした。「季節の料理でも食べに行くつもりで、まあ気軽に出かけてみるか。」と会に参加させていただいたのですが、経験豊富な記者の方々から、いろいろと素晴らしい含蓄のあるお話をうかがう事ができ、非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。

どの方のお話をうかがいましても、私のような者が申すのはおかしな話なのですが、しっかりと根のはった物の考え方をしておられ、物事の背景をしっかりととらえようと常日頃から心がけておられるという事が言葉のはしばしから伝わってまいります。したがって言葉の一つ一つに重みがあり、すごい迫力を感じます。

不特定多数の人々に情報を伝えるお仕事がいかに大変なものなのか、伝わって来るものがあるような気がいたします。

そのような中にありまして、私の様な浅学非才の未熟者は、酒を飲むのも恐ろしく、言葉を交わすのも気恥ずかしい二時間半でした。

記者の方の中に私のすぐ近所の方がおられたのは、とても嬉しかったです。昔なつかしいギョーザ屋さんの話が出て、何となくほっといたしました。近所のギョーザ屋さんの話をするのには、何の準備も必要ありませんが、薬剤師の職能に関する質問もかなりなされていたようで、もっとしっかり勉強してからでなければこのような会へは出席できないなあと感じております。

この会をお世話いただきました先生方、どうも有難うございました。

するどいツッコミ 広報委員 橋口扶佐子

市薬としても初めてのマスコミ関係者との懇談会という、重要な会合に列席させて頂いて責任の重大さを痛感しています。

朝日、読売、西日本各社の社会記者の方々というと、聞くからに壮々たるメンバーで、どのように話をすれば良いのか、坂田先生からも、何か資料を持って生きましょうかと、電話があったり、事前の緊張が相当なものでした。しかし、お会いしてみると、さすが、記者さん、話を引き出すのがうまく、有意義な話し合いの場を持てたと思います。

たまたま私の名刺から、学校薬剤師とは、という質問が出たので、知っている限りの最新情報をお話しましたが、記者の方々も学薬についてあまりご存じでなく、学薬のマイナーさを感じました。これからも、もっと積極的に活動しなければならないし、また機会があればアピールしていきたいと思います。

また、朝日の米山記者は、最近パパになられたそうですが、市販の紙オムツでは何が一番良いのですかと聞かれ、ウッと詰まってしまいました。考えてみると、医療の最前線の方にばかり目が向いて、身近な生活の周りでの情報も求められているということを忘れ、軽視しがちである事を、再認識させられました。 後で商品テストの資料を送るという事で、このツッコミを切りぬけました。

色々な分野での質問を受けましたが、それぞれの問題が余りに奥が深く(面分業について・軽医療の現場で何が求められているか・学薬とは?・学薬の主な仕事は?最近のもっぱらの話題である腰洗槽について・・・etc.)軽率に私個人の意見を述べられない問題の上に、時間も限られており、充分に納得してもらえる説明が出来たかどうか、薬局最前線を知ってもらえたかどうか、もどかしい思いです。

最後に米山記者の「仕事の上では、医師も薬剤師も、対等に話せる時代が来なければうそですね。書きますよ。」と言われた言葉が、たいへん心強く響きました。

薬草さん、初めまして
=福岡市薬草観察ハイキングの下見=

日 時
9月15日(日)午前9時市薬に集合
場 所
油山(片江展望台〜妙見鼻)
演 題
冷川県薬常務理事、中島常務理事、國武理事、本村・吉田・松島・中野(勝)・戸田・森川・中島(達)各薬局委員、坂田広報委員、根津氏、本村夫人
県薬務課 上和田係長、市衛生局 浜地氏
   
15名

快晴、気温28℃と、やや登山日和の9月15日。10月25日の福岡市薬草観察ハイキングの下見に参加した。ベテランの先生ばかりです。初参加は中島先生と上和田係長と私の3人のみ。上和田係長はご自分から希望されての参加で、ジーパンにウエストポーチに帽子と軽快な服装でさっそうと来られた。

展望台に唯1人直接合流されるという松島先生。なかなか見えない。しばらくすると、西油山駐車場の方に行かれていたらしく、もう登山は十分という暗い、汗びっしょりの姿で来られた。先生方、心配されてありました。

全員揃ったところで10時30分、冷川先生の説明を聞きながらゆっくりスタート。

いきなり、ナンバンギセルが道の斜面にピンクの花も鮮やかに咲いている。カメラのシャッターの雨がふる。一度見たら忘れられない名前。「別名をを思い草とも言うんですよ。」と教えて頂いた。続いてアリタソウ、ヨモギ、ツユクサ、オオバコ、とメモをとるのも忙しい。持参した「福岡県の植物」をめくりながら、写真と実物を見比べる。山いもを見つけた。「ムカゴは食べられるんですよ。」と本村先生の奥様。2〜3個ちぎって口に入れる。シャキッと美味しい。歩けば、右に左に薬草が一杯。山登りさながらの急な斜面も気にならない。上和田係長が「このすてきな香りは何ですか?」と歩きながら尋ねられてあったが、あたり一面、緑っぽい香りがする。参加して良かったなあ、と実感した。

ちょっと道に迷ったりしたが、妙見鼻にて、待望の食事をとる。喉の乾きもいえ、お弁当の美味しいこと。後、その場で薬局委員の打合せが始まり、熱心な討論が続く。今年は市薬の薬草観察会は企画されていない。40日後の福岡市薬草観察ハイキングのみである。

下りは足がすべりそうで用心深くおりて行く。初参加の中島先生は「ひざがガクガクしてきた。」と言われながら、右に左に舞うが如く、サーと下っていかれた。私も明日の足が心配になる。それでもオケラのつぼみを沢山見つけた。これから白い花を咲かせるという。ハイキングまでもってくれればと、楽しみができたと思いきや、横から「たぶん、もたないでしょう」と冷静な冷川先生の言葉。自然は季節に正直なんですね。

展望台までおりてきて、午後2時30分解散となる。ところが、その後、口がカラカラで話そうにも舌が回らない。「トイレが無い!」というので、汗もかいたのに、お茶も軽く1杯しか飲まなかったのです。中島先生。25日の日はトイレをお願いします。

今日は薬草の素顔と薬局委員の先生方のご苦労を知りました。そしてお土産はスカートの裾についたイノコズチ。お世話になりました。

観察された薬草
ナンバンギセル、アリタソウ、ヨモギ、ツユクサ、オオバコ、アカメガシワ、イノコズチ、クズ、ヤマノイモ、センニンソウ、ヒヨドリバナ、マルデ、ダイコンソウ、キンミズヒキ、アオツヅラフジ、ゴンズイ、オトコエシ、オミナエシ、クサギ、ホオノキ、ミズヒキ、オトギリソウ、サツロチイパフ、ヤマアザミ、ノブドウ、コウポク、タラノキ、イタドリ、アケビ、スイラン、オニドコロ、スイカズラ、ネムノキ、ゲンノショウコ、アキノタムラソウ、オケラ
写真は本村先生より提供して頂きました。

(坂田記)

研修会報告

〔薬局研修会〕

日 時
平成4年7月9日(木)午後7時より
場 所
福岡市薬剤師会・講堂
演 題
より信頼される薬剤師の為に接客「接遇」マナー
講 師
ホテルニューオータニ博多 宿泊部長 岡田実氏
出席者数
129名

講師の接遇、20数年の豊富な経験から、接遇の原点を伺いました。接遇の原点、それは先ずは挨拶の声かけから始まり、いかにお客様の心のすき間をうめて快適にしてあげられるか、と心のサービスを実行する事。そして様々な体験を話され、その中、「病気の折、薬局に行ってやさしく声をかけられて8割方は治ってしまった」と。又、明日からすぐに出来るサービスの3ヵ条として、

(1)できる限りお客様のお名前で呼んで親しみある声かけをする。(2)お客様の希望を見越して行動をとる。(3)どうぞ、又起し下さい、とやさしい別れをする。と提案されて結ばれました。とにかく仕事に追われてじっくりと考えもしなかっただろう「接遇の原点」実行するのとしないのとでは大きな差を生じそうです。

(坂田記)

〔学術研修会〕

日 時
平成4年7月28日(火)午後7時より
場 所
福岡市薬剤師会講堂
演 題
「皮膚科領域におけるウイルス性皮膚疾患について」
講 師
九州大学医学部皮膚科 助教授 中山樹一郎先生
出席者数
135名

店頭にて接することの多い皮膚症状、その中、関心の高いウイルス性皮膚疾患について中山樹一郎先生に、解説して頂きました。帯状痕疹から単純性病疹、圧贅、ATLと、沢山の貴重なスライドを見ながら、迫力のある解説です。細菌性疾患に対する抗生物質のような存在のまだ弱いウイルス性疾患には免疫力をしっかりつける事の大切さを感じました。

(坂田記)

平成4年度 各区健康フェアー

会議報告

〔第231回理事、監事会〕

〔第2回支部長会〕

日 時
7月1日(水)午後7時
場 所
市薬会館第一会議室
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、戸田専務理事、合澤、中島、小野、篠崎、木原各常務理事、鶴原、山口、國武、成澤、市花、城戸各理事、豊福監事、松井(代理・入江)、高杉、光安、栗田、清水、吉田、大庭各支部長

1.会長あいさつ
 本日は、さる6月28日九大病院から院外処方せん発行についての協力要請があったことによる臨時の会議でございます。9月1日より発行とのことで、会員さんへの説明会の日程など、時間的にあまり余裕がございません。急なことでございますが、何卒よろしくご協議お願いします。

2.九大病院院外処方せん応需について
・備蓄センターについては、国立中央病院の場合と同様、作らないこととする。その分、卸に協力要請をしていく。
・会員説明会を13、14日の2回に分けて行つ

3.吉村剛太郎後援会入会について
 7月1日より選挙事務所につめるなど、市薬をあげて支援する。

4.その他
 九大病院院外処方せんを受ける薬局においては薬剤師の不在は認められない。

 

【第232回理事・監事会】

日 時
平成4年7月22日(水)午後7時
場 所
市薬会館
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、戸田専務理事、中島、篠崎、木原各常務理事、鶴原、山口、國武、成澤、市花、城戸各理事、藤原、豊福各監事

1.会長あいさつ

2.会務報告

3.委員会報告
 (1) 組織委員会
    計画について
 (2) 薬局委員会
    ・薬剤師(未就業)の掘り起こし
    ・薬局研修会 7月9日「接遇」129名出席
    ・薬草観察会 9月23日事前観察会(市薬主催)、
           10月17日名札付け、10月25日福岡市主催
     急患委員会
     業務手引書作成。出動規定作成。
     新規出動者研修会 7月9日。7名中5名出席
 (3) 社保委員会
    九大の研修会中なので、国立中央病院の研修会を延期して頂いている。
 (4) 学術委員会
    6月25日研修会、137名出席(研修カード提出者55名)
    8月末までにビデオのリスト作成
 (5) 広報委員会
    7月号の反省と9月号編集について
 (6) 情報管理
    ・6月22日VTRリスト、受講者カードについて説明
    ・薬価記載の入力
    ・備蓄薬品(糸島、宗像、粕屋)の入力
 (7) 試験センター
    県立高校、25校のプール検査
 (8) 学校薬剤師会
 (9) 勤務薬斉埴再会
    6月23日総会、会則を全会員に知らしめる。7月23日例会。
 (10)女子薬
    6月20日長尾立子氏を励ます会。出席者50名。
 (11)商組
    医薬品券の使用期限が8月31日までなので9月中に請求。

4.九大病院院外処方せん応需
  プロジェクト92で順次、事が運んでいる。

 

〔第3回支部長会〕

日 時
7月16日(木)午後7時
場 所
市薬会館第1会議室
出席者
三津家会長、細井、松枝各副会長、戸田専務理事、合澤、中島、小野、木原各常務理事、山口理事、松井(代理・入江)、高杉、光安、栗田、清水、吉田、大庭各支部長

1.会長あいさつ

2.九大病院院外処方せん応需体制について
 (1) この件は県薬の事業である
 (2) 県薬主導のもとに市薬は作業をやっていく、そのための臨時代議員会は開かない
 (3) オフコンの検討
 (4) 薬剤師としての処方せん応需九大院外処方せんの波及効果
 (5) 備蓄については卸に協力を申し入れる

委員会報告

【薬局委員会】

(1) 組織(支部・部会)の強化
   各支部の状況の把握と連絡
   ○各支部の支部規則、部会別の収集・把握
   ○組織強化の具体案の検討
   【検討委員】合澤(委員長)・占部(西)・吉村(東)・糸岐(早良)
(2) 会員相互の親睦
   ○ソフトボール大会・・10月18日(日)、予備日11月8日(日)
   ○ボーリング大会・・・1月17日(日)
   【担当委員】深見(南)・笹野(城南)
(3) 商組活動への支援・援助
   ○商組活動について必要ならば実務支援を行う。
   【担当委員】合澤(委員長)・深見(南)・糸岐(早良)
(4) 定款改定・選挙規定について
   ○定款改定→定款改定検討委員会をっくり検討する。
   【担当委員】合澤(委員長)・山口(組織)・蔵元(博多)・迫田(中央)
         松枝(副会長)
   ○選挙規定→市薬の選挙規定を新たに作成するために委員会をつくる。
    委員会の構成は組織委員会より合澤(委員長)・山口(組織)の二名が参加し、
    各支部より委員を選出してもらう。
   *委員会の招集は組織委員の担当者でこれまでの経過を総括し、一定の提案資料が
    できた時点で行う。
(5) 薬剤師の掘り起こしについて
   ○現状の薬剤師不足に対応するための方策について委員会としても検討をはじめる。
   【会議】組織委員会は隔月開催する。

(報告・文責 山口)

【学術委員会】

日 時
7月21日(火)午後7時
場 所
第1会議室
出席者
長谷川副会長、中島、篠崎各常務理事、成澤理事、梅津、真鍋各委員

1.7月28日(火)開催予定の学術研修会の打合せ
2.薬局実務研修会の打合せ会議予定
 日 程:10月24日(土)、25日(日)、11月7日(土)、8日(日)
3.歯科薬物療法研究会について
 日時、講師、演題等について協議
4.研修ビデオのリスト作成(8月末までに)

【急患委員会】

日 時
8月5日(水)午後7時
場 所
第1会議室
出席者
中島常務理事、成澤、市花各理事、馬場、小松、井上各委員

1.出勤者のグループ分け、再編成
2.9、10、11月分出勤者表の作成
3.新規出勤者説明会について
 日 時 7月9日(木)午後2時
 出席者 長谷川、山田、吉田、山崎、坂田
 次回は8月18日の予定
4.出動者名簿の作成
5.専門医会と急患パラメディカルとの懇談会の件
 8月11日(木)午後6時30分 平安閣において開催 成澤理事出席予定
6.「薬局業務手引」を『急患センター調剤申し合わせ』に変更するなど検討を加える。
7.県薬救急委員会 7月21日の報告

 

【広報委員会】

日 時
8月11日(火)午後7時30分
場 所
第1会議室
出席者
木原常務理事、坂田、橋口、樋口、荒巻各委員

1.7月号の反省と9月号の編集について
 ・特集には、九大病院間題を取り上げる
 ・マスコミさんから見た、薬剤師、医薬分業などをテーマに、医療担当記者との懇談会
  を企画する。

 

【薬局委員会】

日 時
8月21日(金)午後7時
場 所
第1会議室
出席者
中島常務理事、國武理事、小野(達)、中野(勝)、松島、本村、吉田、戸田、 森川各委員

1.8月27日開催予定の薬局研修会の役割分担について
 今回は講師が2人であることと、テキストの販売があることから、細かく分担を決めた。
2.漢方研修会について
 9月10日(木)に第1回目を開催予定とする。
3.各区健康フェアについて
 統一テーマとして分業問題を扱ってみてはなど、活発に協議された。
4.10月25日(目)福岡市薬草観察会のスケジュール作成

【薬局実務研修委員会】

日 時
8月25日(火)午後7時
場 所
第1会議室

1.薬局実務研修会について
 日時、会場、講演内容と講師などの打ち合わせ
2.受講案内は9月16日、次回の委員会の後とする
3.末所属薬剤師の掘りおこしのため、研修会案内を市政だより、新聞などへの掲載を考える。

 

【会有地検討委員会】

日 時
8月10日(月)午後7時
場 所
市薬第1会議室
出席者
三津家会長、細井副会長、戸田専務理事、合澤、小野、中島、篠崎各常務理事

「シーサイドももちコートハウス利用計画設定について」
備蓄センター、情報センターの機能を併せ持つ「調剤センター」をつくる方向で計画を進める。これは地域的に処方せん応需態勢の不備なところや、休日・夜間など他の薬局で対応しにくい調剤を行うことを目的とするものである。

日 時
8月24日(月)午後7時
場 所
市薬第1会議室
出席者
三津家会長、細井副会長、戸田専務理事、合澤、中島、篠崎、小野、木原各常務理事

「会有地利用計画策定のまとめについて」
(1) 県薬務課より申し出のあった補助金申請条件に添うべく見積書を、中島、篠崎両常務理事のご努力で作成し検討した。
(2) 会長は「先日、県からの補助金は県薬を対称といるので、市薬では無理だろうとの連絡があった。県が駄目なら市衛生局にお願いしてみる」と発言された。

【広報通信】 薬剤師はたった一人

ミニフォーラム・更年期新時代に誘われた。福岡市女性センターアミカスからの突然の電話に「私、申し込んだ覚えはないんですけどね」と戸惑いながらも、案内状を送ってもらうことになった。以前、西日本新聞に案内記事が出ていたのが記憶にはあったが、まったく寝耳に水のお誘いであった。

送られてきた案内状には、アミカスではなく東京都渋谷区マザーリング研究所とある。

「マザー?何かの間違いじゃないかしら。私はとっくに子育て卒業しているんだけどなぁ」と、差出人の名前マザーリングから、勝手に育児関係のDMかと勘違い。

しかし、よくよく読むと厚生省心身障害研究・分担研究課題『女性保健に関する研究』=今、女性が何を求め、何を感じているのかを知らなければ、女性のための医療は実現できない=とあった。DMどころかお国の、それも畏れ多い関係官庁・厚生省の研究機関からなのだ。まったくもって大反省!

なるほど、私に声がかかるはずだわ。テーマは育児問題ではなく更年期問題だもの。もしかしたら、昨年あたりから更年期への入学願書を準備しているのが、ばれてたのかな?

オブザーバーとしての出席願いであることと、意見発表はできないが感想のアンケートなどで、ご指導ご助言をいただきたいと書き添えられていた。

フォーラムでは分担研究員からの話題提供の後、福岡市で活躍されている29人の女性オピニオンリーダーによる自由なセッションが展開された。オピニオンリーダーのなかには、TNC制作部次長の臼杵さんやリビング福岡編集長今里さんらの名前があり、他にも二、三、知った方が参加されていた。

私が出席したのは、シリーズ3回目「医師・病院・地域・職場その他の関係機関に希望したいこと」。とくに今回は最終回とあって、加藤福岡市助役はじめ西岡参与、坂本保健部長などのお顔もみえた。配られた資料の、第2回アンケートのまとめには医師・助産婦・保健婦・看護婦、その他として相談員、会社役員などとあったが薬剤師はなかった。

終わって加藤助役に、先生が助役になられてお目にかかることがなくなりましたと申し上げると「今月は三師会がありますよ。でもあれは会長、副会長だけでしたね」と。

そして、薬剤師の出席はたった一人なんですかと言う私に、梁井通子女性センター館長は「薬剤師さんも、もっともっと社会に発言してくださいよ」と言われた。今後ともこのような機会には、できるだけ出席していきたいと思う。

オピミオンリーダーからも、医師に相談する前にもっと気軽に相談できるところが欲しい、との意見がかなり出されていた。それこそ、薬局薬剤師の出番なのではなかろうかとアンケート用紙にしっかり書いた。

帰宅すると薬剤師の長男は友達と酒盛りの真っ最中。早速仲間に入れてもらい、挙げ句の果てには焼酎のお湯割り片手に「薬剤師はたった一人やった。後輩としてあんた達どう思うね」とさんざんの絡み酒。

はてさて、アカデミックなミニフォーラムと焼酎のお湯割りの因果関係は?

(木原)

 

西日本新聞の記者さんから、学校薬剤師を紹介する記事を書きたいと打診された時、とても私ごとき若輩者の出る幕ではないと、学薬会長に人選をお願いしたところ、「そりゃあ、若い人が出なさい」の一言。

まだまだ修業中の身ですので、副会長に、アドバイザーとして同席して頂いて、恐る恐る、インタビューを受けました。

恐い者知らずだと思いますが、学業の事をPRするたいへん良い機会だと思い、代表として出させて頂きました。

出来上った記事を読んで、橋本記者の文筆力にウ〜ンとうなってしまいました。とりとめのない話が、キチンとまとめられ、解りやすく学薬の仕事が紹介されていました。

たいへんりっぱに紹介されすぎてしまったので、ちょっと、プレッシャーがかかっています。

(橋口)

いまいづみ日記

○久々の高視聴率だと評判のNHKのドラマ「女は度胸」。いじめ役の達子さんが独特のイントネーションで発する「よしえー」は、巷でママを呼ぶときに「よしえー、水割りお願い」などと使われたりして、かなり流行っていました。ご存知でしたか。ただし、若い人の間でのことですけど。
 ところで、「われらリーダー」に橋口さんを紹介してくれた社会部の橋本記者は、つい3カ月ほど前は事件記者。県警の記者クラブに詰めていた身だとか。先日の懇談会の時「いつも、切ったはったの事件を追っかけている記者連中が、12時45分になるとズラーッとテレビの前に集まるのですよ」と。想像するだけでも吹き出しそうな話をしてくれた。
 この記事とてもよく書けていますが、気に入らないところが一つだけあるんです。
何ですって!
 =平均年齢50才を超える中にあって=ですって、許せませんよねぇ、野口先生(県学薬野口美智子副会長)。そりゃあ、いくら厚かましい私でも、平均年齢を下げる要因になっているとは申しませんよ、49才では。でもでも、あんまりです、女性が多い学校薬剤師会の組織を評して年令の話を書くなんて。
 それにしても、若い?女性リーダーの誕生はとても嬉しい。

○横溝正史やローマの休日のグレゴリーペックが、薬剤師だってこと知っていました?
これは“私と薬”に薬局製剤のことを書いてくださった、中島先生から教えてもらったことです。森鴎外や渡辺淳一などドクターの作家は多いのですが、横構正史が薬剤師とは知らなかったなあ。そして、あのハンサムなペックさんがお仲間だったなんて、ちょっとワクワクしませんか。

○広報委員会で今号に企画しました特集記事は、理事会で掲載見送りと決まりました。投稿してくださった会員さんには、編集責任者として心からお詫び申し上げます。
 そのため、急きょ投稿をお願いした竹井さんは、長年原稿用紙一枚○千円の仕事をしてこられた方。6枚ですから、本来ならば原稿料は○万円でしょうか。そこを厚かましくリポビタンゴールド10本でお願いしました。

(SAN)

荒巻顧問は代議員?

9月26日、臨時代議員会が開催された。執行部から提案された議案第1号『シーサイドももちコートハウス利用の件は、協議の末無事承認され「あーぁ、やっと終わった」と思ったのが、午後6時。

その後、南島代議員から出された九大問題に関する緊急動議は、1時間におよぶ大論戦。途中、見るみかねてか、荒巻顧間による県薬会長の立場からの発言があり、その扱いに苦慮された木村議長は「荒巻顧問の独りごとですが」と処された。

もしかしたら、荒巻代議員(?)だったのかしら。

代議員会での顧問からの発言など普通はある由もなく、じっと成り行きを見守られるのが顧問のお立場。また、発言こそなさいませんでしたが、藤野先生をはじめ、他の顧問の先生方もハラハラドキドキだったのではないでしょうか。,

そしてもう一人、代議員会で普通はみられない監事からの発言があった。「もし九大問題を市薬の事業とせず、あくまで県薬の事業だとされるのであれば、来年の会計監査の際、九大院外処方応需事業については委員会開催の費用をはじめ、これらに関するすべての費用は監事として認められませんが、それでもよろしいのですか」と藤原監事。

最初の採決では否が多く、その差わずか二票。定款によれば「議事は出席代議員の過半数で決す」とあり、途中退席された代議員もあることから再度代議員数を確認して、採決しなおすことになった。藤原監事の発言はその間になされたものである。結果、可否の数は引っ繰り返ることとなった。しかし可否の数は逆転したものの、結局、過半数を得られず継続審議となった。

それにしても、可否が逆転するような発言が監事からあるなんて前代未聞なのでは?

(木原)

【会員の移動】


訃 報

 冨安あやめ先生(享年81才)

 中央支部六本松部会「烏飼薬局」の富安あやめ先生が、
 7月26日心不全のため81才で逝去されました。
 謹んでご冥福をお祈りいたします

会 務 日 誌 (平成4年7月1日〜8月31日)

7月1日 臨時理事、支部長会議 19:00
  2日 早麻清蔵世話入会 13:00(会長)
     しげとみ吉之助総決起大会 13:00(二宮)
  6日 福岡市献血推進協議会 13:30(会長)
     組織委員会 19:00
     薬局委員会 19:00
  7日 薬業研修会 13:30
     学薬理事会 19:00
  8日 広報委員会 19:30
     九大病院処方せん応需説明会(県薬)      吉村、重富出陣式 10:00
  9日 薬局研修会 19:00
     九大病院薬剤部長青山教授訪問 13:30(会長)
  9〜10日 第39回全国学校薬剤師講習会 神戸(吉田、野口)
  10日 博多区役員会
  11日 福岡市医師会館竣工式典祝賀会 17:00(会長他4名)ホテル日航
     元厚生大臣林義郎来県 14:00(細井他5名)
  13日 九大病院院外処方せん応需説明会 19:00
  14日 九大病院院外処方せん応需説明会
  16日 緊急支部長会 19:00
  18日 第2回ブロック伝達研修会 14:00
  19日 拓山会 15:00
  20日 九大病院院外処方せん応需打合 16:00 会長、専務
  21日 学術委員会 19:00
  27日 支部長会 19:00
  28日 学術研修会 19:00
8月4日 平成4年度第1回国民健康保険運営協議会(会長)
  5日 福岡市福祉まちづくり推進大会(細井)
     急患委員会 19:00
  10日 会有地検討委員会 19:00
  11日 広報委員会 19:30
  20日 流通対策協議会 19:00
  21日 薬局委員会 19:00
  22日 部会連絡協議会 17:00
  24日 会有地検討委員会 19:00
  25日 薬局実務研修委員会 19:00
  27日 薬局研修会 19:00
  28日 福岡市健康週間実行委員会(会長)
     産業廃棄物改正法説明会(城戸)
  31日 福岡市老人保健連絡協議会(会長)

薬と健康の週間

すこやかライフくすりのセミナー
と き 平成4年10月28日(水)13:00〜(入場無料)
ところ 福岡市役所15階講堂

◆講演「薫の正しい使い方」
     福岡県薬剤師会理事 大久保傲住先生

   「在宅医療のあり方」
     樋口泌尿器科クリニック院長 樋口正士先生

※問合わせ先
    福岡県保健環境部薫務課 TEL:641−7537
    職岡市衛生局計画諌 TEL:711−4264

「このセミナーは昨年から始まった県の事業で、昨年は県下21保健所で36回、北九州で2回、大牟田で2回開催されています。今年は市衛生局との共催で開催され、大久保先生が講師を務められます。」

[編集後記]

○今回、市薬の広報委員となりました。「広報委員て何するとかいな。チラシかポスターでも作るとかいな。」という程度の認識しかもっていなかった私です。市薬会報の編集がその主な業務と聞いた時には驚きました。「いっも何も読まんでゴミ箱にポイしよったあれか。」これでゴミ箱ポイはできなくなってしまいました。

○これも何かの因果でしょう、もとポイすて組の私ですが、今後は一人でも多くの会員の方に目を通して頂けるように祈りながら、微力ながらも市薬会報の編集をお手伝いしてゆこうと思っております。御指導の程、宜しくお願いいたします。

(荒巻 滋)

○広報委員になって早4カ月が過ぎ、2回目の発行となりました。第1回目の広報委員会の時、右手に痛々しく包帯を巻いていたので、戸田専務から「どうされたんですか」と聞かれ、「はい、6月30日の木原先生の出版記念祝賀会の時、慣れないマイクを長時間持ち続け、小指を骨折しました」と冗談を言っていましたが、この広報の仕事は本当に骨が折れるんですね。打合せ、原稿の依頼、校正、写真撮影と・・・(私は本当に骨を折りましたが・・・)。この仕事を今まで一人でやってこられた、木原先生には頭の下がる思いです。

○35日間と固定が長すぎ、骨はつながったのですが、まだ、関節が自由に曲がらず、ペンも持ちづらく不自由を感じております。それで、広報委員の先生方の「足手まとい」どころか、「手手まとい」になりはしないかと心配しております。会員の先生方のご協力の程宜しくお願い申し上げます。

(樋口)

平成4年9月30日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人  三津家 正 友
編集入  木 原 三千代
広報委員 樋 口 昌 嗣
     坂 田 博 子
     橋 口 扶佐子
     荒 巻   滋
印刷所  (有)興英社印刷