■ 巻 頭 言
会報第50号によせて 福岡市薬剤師会 会長 三津家正友

秋ようやく老いて、秋探し。それを感じる間もなく、街には、早々と歳末のどよめきが聞こえる頃となりました。

会員の皆様方には、薬剤師生涯教育の研修会、処方せん応需のための協議や説明会、各区で開催された健康フェア、薬草観察会、そして各支部対抗ソフトボール大会等への参加で、休むひまもなく次々と行事に追われ、ひたすらご健闘されました。市薬へのご協力、心から感謝申し上げます。

さて、「市薬会報」は今回五十号発刊の節目を迎えまして、会員の皆様と共に限りない祝福をしたいと思っております。

顧みますれば、昭和53年、当時の藤野義彦市薬全長により、始めて福岡市薬剤師会の会報誌が発刊されました。

それ以来、会員相互の融和を求めるサロンとして、また、情報交換、伝達の場として、多彩なエピソードを含みながらも、極めて有意義に活用された会報です。

会員諸兄からは、常に活発な意見が出され、その外にもエッセイ、旅行記、写真等バラエティーに富んでいます。また、編集に当たられた委員の方々の弛まぬ努力の積み重ねで、各界にわたる会員外の原稿も集められ、会報としての重みも出てきました。

その結果、今では会員はもとより、広く対外的にも「読まれる会報」、「楽しく待たれる会報」として発展しています。

いまここに、会報五十回目の節目に当って、多くの先達より発行され続けた会報の意義を再認識するとともに、それを糧として、さらに努力と工夫を重ね、今後の発展を計らねばなりません。

今後「市薬会報」の道しるべとして考えられますことは、

@先達の志を受けついで、福岡市薬剤師会の品位ある会報として

A会員相互の親睦をはかる場として

B情報を、正確に且つ迅速に伝える場とし て

C上部団体(日本薬剤師会、福岡県薬剤師会)及び行政当局からの指導、指示等の告知板として

D身近な団体(福岡市医師会、福岡市歯科医師会等)の皆様との親睦の場として

E最後に最も大切な事は 福岡市薬剤師会の進む方向を示すと共に、対外的に薬剤師会の活動をアピールする会報です。

以上会報発刊五十回目を迎えて、会報の編集を指示された歴代会長と、その編集に当られた役員、委員の諸兄に更に敬意を表しつつ会員の皆様方と共に、会報の更なる継続、発展、充実を祈念する所です。

<私と薬> 価値観の変化 福岡市歯科医師会 会長 中富憲次郎

福岡市薬剤師会会報への投稿指名をいただき、送っていただいた7月号、9月号の「私と葉」の欄を読んでお引き受けしたことを後悔しました。それは元新聞社の方や、薬剤師さんと専門家の方が書かれており格調高いものだったからです。

といって、やさしくも逃げられないように仕掛けられた木原理事の依頼文。最近よく御一緒になり、一昨日も私共が担当した十大市歯科役員連絡協議会に御多忙のなか来賓として御出席いただいた、やさしくも標とした三津家会長のお顔、三師会の折、原稿締切日をおたずねしたのに答えて下さったあと、どうかよろしくお願いしますと、やさしく念を押された戸田専務のお言葉等思い浮かべ乍ら、やさしさに追いっめられた気持ちでペンを執っています。課題の「私と薬」を少しでもやわらかく受とめようと「私とくすり」「わたしと薬」「わたしとくすり」と書き直して眺めてみたりしましたがやはり難かしいテーマです。そしてそれは自分が薬のことについてあまり何も知らないことの為だと気づきました。

薬草というように草を使って苦痛を和らげたことから、草冠に楽と書くのだろうかとか、薬といっても毒薬、麻薬等もある訳で、クスリを逆さにするとリスクになるのも面白いなあ等とつまらぬことを考えました。書き悩むと横道にそれるもので、皆さんから叱られそうな、やくざ医師、とか逆の薬坐医師とか落書きしながら、木原先生の出版記念会の時のことを想い出しました。

縣薬の荒巻会長の御挨拶のなかに、新聞が薬剤師を薬剤士と書くので再三抗議、やっと最近間違わなくなったというお話がありました。単なるミスプリントの訂正申し入れでなく、存在軽視と受けとめられての抗議であったと忠いました。古来、薬師如来といえば、生物全ての病気を救う仏として大変高い地位にあったとされており、、薬士如来とは間違っても書かないのに、薬剤士と書く誤まりは何故か少なくないように思います。

昭和30年後半だったと思いますが、九大医学部放射線教室の教授で、診療エックス線技師学校の校長でもあった、故入江英雄先生が卒業式の挨拶のなかで、エックス線技師(現在は放射線技師)の資格が法制化される時、関係者から技士でなく技師にという強い要請があったという話をされました。もう30数年前のことですが、師と士では格がちがうのかなあと妙に心に残っていましたのが想い起こされて、手許の辞書で調べてみました。「士」は特別の資格を持った人としてあり例として、学士、博士、弁護士等があげられており「師」は特別の技術者として、医師、薬剤師、仏師、絵師等があげられています。九州大学の職員録をみますと、調理師、ボイラー技師、作業療法士等があり、他に「工」や「手」等もあり、職種の区分の仕方等判りません。こちらの興味が募って休日に書店に出掛けましたが、それが判る本を探すことは出来ませんでした。そして薬の本が並んだコーナーをみて、やっと興味の中心が薬になりました。それは一般向けの本が沢山並んでおりその表題を異様に感じたからです。

「知っておきたい薬の知識」はいいとして、「薬の選び方便覧」「あなたがのむ病院の薬一読むホームドクター」「医者からもらった薬がわかる本」「薬局で買う薬がわかる本」「副作用・予知と対策一薬害からからだを守る」など、どうしてこんな本が出るのだろうと思いました。然も、この中には百万部突破と帯紙のつけてある超ベストセラーもあり、ここまで一般の方が、薬に対して自己防衛の為の知識を求めているのかと驚きました。

えてみますと、サリドマイド、スモン、四頭筋短縮等の薬禍による悲惨な告発、私が持っている本でも、1970年地元新聞社が発行した「一億の生命は誰が守るのか−医療地獄ニッポン」とか、医師の内部告発による「医師よ璃るなかれ一稼ぎまくる白衣の商魂」といった過激なタイトルの本が出版されるような医療不信の時代があり、薬も加害者祝されたものでした。

かつて医者に診てもらったが、薬もくれない、注射もしてくれないと不満を云った時代から、医師に診てもらい薬をもらっても、その薬を自分でチェックして納得の上でのむとか、場合によってはのまずに様子をみるといった患者さんもいる時代になりました。

木原先生の「くすりの話」の本の中に述べてありますように、医薬分業が正しく機能することによって問題が解消するということであれば、分業率が高まるにつれて薬剤師さんの責任も大きくなってゆくと思います。三津家会長が9月号の巻頭言で述べておられるように、その為の対応が急ぎ確立されねばならないと患います。医薬分業が患者さんの為に進められる以上、薬に不安を感じている多くの国民が理解し、支持すると思います。

そして薬を販売する薬局、薬剤師さんから薬の専門家として薬の知識を売る薬剤師さんという本来の姿が定着し、医薬分業のもと、医師も患者さんも安心して薬を活用することが出来るようになると思います。

最後に、会員皆様の益々の御精進と、貴会の御発展を心からお祈り申し上げます。

<私と薬> 人を愛した「上代 たの氏」
世界平和アピール七人委員会創設
島根県薬剤師全 日薬代議員 筒井英雄

今年の夏薬事日報で、木原三千代先生の「読んで安心、くすりの話」という本が、出版されたことを知りました。

本を書くということは、篤学な方でないと出来ないことであります。しかも、著者は開局薬剤師であり、その著作が、地域の方々の健康と薬の知識に役立ち喜ばれているということは、とてもすばらしいことです。

さっそく電話して、一冊送っていただくようお願いしました。その際、自己紹介の意味で「私も目薬代議員をやっておりますが、福岡には同級生で、目薬代議員として大変熱心に活躍している脇園君がいます」と申し上げました。

後日、福岡市薬会報が同封され、「私と薬」のコーナーに、島根の自慢話等を織り混ぜて寄稿してほしいとのご依頼文が参りました。

そのタイミングたるや、実に見事なもので感じ入ってしまいました。木原先生は、恐らく感性豊で実行力のある先生でしょう。そして、市薬会報に対しては、大変な情熱をお持ちの方だと感じました。

島根で、薬に関することで自慢できるものは、日本でただ2ヵ所、長野と島根の大根島にある「薬用人参栽培」くらいなものです。分業も遅々として進んでおらず、薬用人参については、いまさら申し述べるまでもありません。

そこで、「私とかかわりも深く、世界にも通用して島根の自慢になる“上代たの”という人物がおりますので、そのことを書きましょうか」とお手紙を差し上げたところ、大いに興味を持っていただき、是非に、ということでございました。そういういきさつで、上代たののことをご紹介いたします。

上代たのは、明治19年上代家の次女として島根で生まれました。その長女が私の祖母でございますので、たのは、私にとって大叔母に当たります。祖母の縁は、上代家と私の筒井家が、代々庄屋をやっていたためと思われます。

たのは、昭和57年97才で亡くなるまで生涯を通じ、英文学者として、また教育者として、さらに、平和運動家として数々の業績を残しました。特に、皆様方の記憶にも残っていることと思いますが、昭和30年には「世界平和アピール七人委員会」を創設しました。そのときのメンバーは、湯川秀樹、茅誠司、前田多門、下中弥三郎、平塚らいてう、植村環、そして上代たのの七人でした。

昭和30年の世相は、朝鮮戦争の影響もあって、米国とソ連の軍拡競争が激しく、水爆やミサイルの開発があいついで行われました。

また、再軍備したドイツのNATO加盟、ソ連と東欧8ヶ国によるワルシャワ条約成立など、東西の対立がきびしくなった年でもあります。 そして、前年の昭和29年には、ビキニ環礁での核爆発実験により、第五福竜丸が被爆しています。

このような世相のもとにあって、「世界平和アピール七人委員会」の名による、核廃絶、戦争の防止、人類のための平和を求めて、全世界へ向けてのアピールがなされたのです。

たのは、物事に熱中することは大変なもので、いくつもエピソードが残っています。幼少のころ、近くの川で水遊びをしては、赤い腰巻きが流されているのにも気がつかなかったとか。小学校時代は、遊びに熱中するあまり、弁当箱を無くすこと数限りなしであったとか。長じて松江の女学校では、冬の寒さのあまり、股火鉢で暖をとり勉強していて、袴の裾に火がつき燃え上がるまで気かっかなかったとか、いろいろ聞かされております。

それでも勉軌ま良くできたようで、小学校は3年と4年の授業を一緒にやり、一年早く卒業し、女学校時代は数学の成績が非常に優れていたそうです。今なら数学者の道に進んだかもしれませんが、当時の帝国大学は女人禁制であったため、日本女子大学へ入学しました。そして、夷文学者としての道を進むことになりますが、明治40年、学生時代に出会った一人の人物、新渡戸稲造との巡り合いとその教えによって、たのの進むべき道が決まったようです。

新渡戸稲造(1862〜1933)は、札幌農学校のクラーク博士の弟子で、宗教家であり、教育家。米国滞在中に英文で「武士道」という本を書き、米国民に日本人の考え方を説いて、深い感銘を与えた人です。また、国際連盟事務次長も務めています。

たのは、明治43年日本女子大学英文学部卒業後、母校に残って後進の指導に当たり、大正6年に同大学の教授になりました。この間には、ニューヨーク州ウエルズ・カレッジ、ミシガン大学大学院、ケンブリッジ大学で英文学を修めています。

大正12年には、昭和天皇の皇后陛下に英文学のご進講もいたしました。

その後、国内、国外にわたって大学関係諸団体、及び政府関係の役職を歴任するとともに、平和運動にも尽くしています。昭和31年には、イギリス・バーミンガム市で開かれた婦人国際平和自由連盟総会に、第二次大戦後初めて日本代表として出席しました。この年日本女子大学学長に就任し、昭和40年まで務めました。

昭和37年、たのを含め12人の発起人で「大学セミナーハウス」が多摩丘陵に創設されました。この目的は、異なる分野、異なる大学の人達が国立・私立を問わず、教授と学生が自由に触れ合い、より人間としての教養を豊にするためのものです。

この発起人の中に、石棺守三先生がおられます。たのは、石館先生とも親しくしていただいておりましたので、私はたのの紹介で石館先生にお会いしたことがあります。かつて石館会長時代に、島根県薬佐々木喜衛会長の代理として、目薬全国会長会に出席した折りわざわざ時間を作っていただいて、親しくお話することができました。今では懐かしい思い出です。

たのは、昭和39年勲三等宝冠章、昭和56年東京都名誉都民、昭和57年亡くなったとき、従四位・勲二等瑞宝章を授けられました。

たのの生涯は、一生、研究と教育、そして人類の平和に没頭したため独身で通し、そのため日本女子大学学葬の際には、私が喪主役を務め、墓碑も筒井家墓地に建てました。

墓碑には、「国を愛し、人を愛し、郷里を愛す」と刻まれています。

 注 七人委員会創設時のメンバーについて
 上代 たの  日本女子大学教授
        日本婦人平和協会会長
 下中弥三郎  世界連邦建設同盟理事長
 前田 多門  ユネスコ日本委員会理事長
 茅  誠司  元東大総長
 湯川 秀樹  京大教授、ノーベル賞受賞
 平塚らいてう 日本婦人団体連合会全長
 植村  環  日本YMCA会長

余 滴

○昭和53年「市薬会報」の発刊が決まれば初刊の祝辞が必要となる。当時福岡県衛生部薬務課長岩橋孝先生(故人)にお願いする事になる。訪問して依頼すれば当時の藤野義彦会長と長崎で同級生との事で、すぐOKが出る。然しながら話はそれから。再三再四ではない再七再八通いつめて原稿下された。 

岩橋課長曰く、「一寸おそくなってごめん。しかし今、あちこちで会報の発行が流行っとるが、大体3号か4号ぐらいで尻切れトンボが普通やもんね。ずっと続けるつもりね。」

ハイ「有難うございます。」

○「市薬会報」の権威を保つためにはエライ人に投稿してもらうがいいと先輩にさとされて、九州大学医学部付属病院薬剤部長の堀岡先生にお願いしようかと言う事になる。

一番手っとり早い方法として当時副薬剤部長の金枝正己先生(現恵愛団薬局長)に頼みに行く。「ハイ、私が堀岡先生に申し上げてお願いしてみます。一寸まって下さい。」

2・3日して金枝先生曰く「堀岡先生はですね、大変お忙しいですから「市薬会報」の原稿は当分だめですね。ハイ」。それから掘岡先生のお忙しくない日を持ち続けたが、その日は訪れすしてご退官になってしまった。

(家)

<会員の広場> 薬局今昔
江戸末期、明治、大正
福岡市薬剤師会 顧問 富永泰資

私は時代劇を見るのが大好きだ。物語が非常に明快、更に勧善懲悪を主題に据え、そのストーリーは武家と商人、一般庶民が夫々の時代の主人であり、また、時代の姿を映し出し、見る者に同情と憤りと痛快さを与えてくれ、現代社会の見えざる面を見させてくれる。 何度見ても見飽きることがない。これは人が生まれ持っている勧善懲悪の精神からではないだろうか。

さて本文に入ってみよう。この時代劇に出てくる職業の中で立派な店がまえをしているのは酒屋、呉服屋、貿易商、それに薬種問屋(唐物屋とかいう)。この他に武士と医師が出てくるがこれは別格である。この構造は現在も変わってはいない様である。私は今回原稿用紙が参ったので曽祖父、祖父、父の日記、話を元に表記のことを書いてみたい。

先年長男が店舗改築をした際、倉庫の奥に置いてあった木箱を開けて見た。その中には曽祖父の嘉永2年から明治初期まで約30年間の日記が入っていた。しかしミミズ様の文字のため理解できる様には読めない。幸い従兄弟に古文書研究家がいるため、彼に解読を願い、その大要を知ることが出来た。

わが家が、今日薬局をやってこれたのは、この時代に始まっている。当時戸数2〜30戸、人口100前後の部落を中心に、周辺数100人の村落での生活。しかしそれでも医師は2人おられた様である。

長崎にロシヤ船が来たといえば、幕府の命により黒田の殿様が海陸から防備に往来をする。その都度橋の修復、道路の改修を命ぜられる、海岸線は船と漁民が徴発され、長崎までの使役にかり立てられる等々、テレビの時代劇そのままが詳しく記されている。

その他身近な出来事、ホウキ星の接近に住民があわてたこと等々、生々しく非科学的な表現で書かれており面白い。さて本論に入ってみよう。

唐物屋というのはいわゆる字の如し唐の物(中国の物)一陶器、織物、菓子、薬草等々を取り扱う店であり、当時の文化的商品の販売店なり。

仕入れは唐人町、博多の津(港)まで、1日又は1泊2日にて姪浜を通って行っていた様子。現在は車で1〜2時間、終戦後自分で経験したのは、自転車の後の荷台に山の如く荷を積んで、砂利道を半日又は1日がかりで往復した事を思い出す。

近くに2人の医師がおられたため、薬を持参したり、来訪受けては話がはずむ、それにしても、この時代、この田舎でも既に種痘がされていることが記され、驚いている。

現在の様に救急車はなく、病人が出ると医師を呼びに走るか、戸板に乗せて医師宅まで走るか、村民総出の様子が記されている

又、明治初期その医師が死亡されるや、黒田の城から、足軽と思われる人がこれを擔って、羽織袴の武士1人が付添って、博多まで葬送したる様子も記されている。テレビ時代劇そのままに医師の存在の大きいこと、住民の医師への思いの大きいこと、現在とかわることまなを知る。

さて下って明治22年の薬律公布の時に移ってみよう。曽祖父は薬律公布を知るや薬草取扱いの経緯から、早速県庁に祖父の薬種商免許を申請した様なり、別掲の如く祖父は薬種商免許福岡県第一号を得ている様なり。既に黒船騒動も30年を経過し、世情は近代文化の流入はげしく、医薬業界も西洋医学がその主流となって来たものと想像出来る。

これに伴って薬品も洋薬が優先されたため、医薬分業を目標としての薬局が求めれたるも、まだ薬剤師なるもの僅少、これを補うため過途的に、薬種商なる許可制度が出来たものと考えられる。これにそって、わが家では上記の如く薬種商の許可を得、将来は薬局へとの途をとったものと思われる。

本来小地域のこととて、農業を第一とし、酒造、質、唐物屋を兼業。これが明治22年前後に大変貌をし、明治の後期に父は熊本薬学校に行くこととなる。当時14万とか。家では、医院使用薬の、重曹、健末、苦味チンキ等々仕入れ、商に見られ、漢方、生薬の姿が消えつつあることがわかる。

私は、大正10年生まれ。大正末期のことを朧気ながら思い出すに、この時は店は父の手に移り、取扱い商品も以前にも増し多種多様の様相。

一番記憶に残っているのは、ビール(当時門司に工場があったサクラビール)セメント・コールタール・クレオソート・ペンキ等の塗料及び染料、更には焼酎にブドウ酒をブレンドした酒類、家庭用の食酢(サク酸酢)の製造販売と手を広げ、そのため店員3人をおき、遠隔地の医院への薬品の配達を主体とするも、それだけでは需要不足。為に上記ビール、食酢等を山間僻地の商店、飲食店、料理店等に販売していたようなり。

この頃にはわが田舎にも、軌道車なる蒸気車が今川橋まで走り、市内は電車が走り唯一の交通機関なり。小生はこれを利用し博多に行くことを楽しみにしていたのだ。

父の話では大阪にて修業中、薬品販売店が上記の如く薬品の外に各種商品を扱い得る事を知り、この田舎では薬販売では食えないがため早速実行したる由。

父の言を借りると、「薬剤師は医師に次ぐ資格なれど、医師とは違い反面商人なり。商人なれば何でも取扱えるが薬は薬剤師でなければ扱い得ない。これが我店の強味なり」という。

薬を基礎に、商店としてどんなにでも大きく発展出来る、との意気込みであった様に思う。小生成人してからはよく話していたものである。この大正末期より昭和初期にかけては大凶慌の時代となるが、これは昭和編に移したいと思う。

<会員の広場> 温故知新 福岡県薬剤師会 副会長 古賀隆

市薬会報が11月号で通算50号を迎えるそうです。今回記念特集号を発行するにあたって、原稿の依頼を受けたので、市薬会報の発刊に携わった1人として思いつくまま、その一端を書いてみようと患う。

昭和53年のことであります。その年福岡市薬会長に藤野義彦先生が選出されました。私は藤野会長の指名を受けて専務理事を務めることになりました。

その当時、市薬は末だ自前の会館を持っておりませんで、住吉の県薬会蛇(当時まだ木造)の一隅に同居しておりました。藤野会長は実に精力的に事業を推進され、懸案であった定款改正、支部制の施行、会館建設の着手等積極的に取組んでいかれました。その中で会員の増加、支部制の実施を考える時に、情報の確実な伝達、会員との意志の疎通、会員の交流の場として、広報活動の拡大は絶対必要な事として市薬会報を発行することとなり、記念すべき第1号が昭和53年7月1日に発刊されたのです。その時の苦労話は広報を担当した三津家先生が、平成4年3月号に「会報編集の思い出」として書いておられます。

実はこの第1号が手元に残っていないものかと、この機会に古い資料を引っ張り出して探してみたのですが、残念乍ら見つかりませんでした。それでも古い会報綴りの中から第3号から第8号までと、その後の幾つかが見つかりました。14年前の新聞4頁タイプの会報に対面して懐かしい当時の様々な情景が思い出されます。

その後、冨永泰資会長の時代に、速報性と更にきめ細かな情報伝達を目的に、会報とは別に、毎月広報紙が発行されることになります。これも時の専務、堀江先生はH3年3月号特集「会報について」に記載されております。

昭和61年に私が市薬会長に選出されました。その時私には、いくつかの大きな課題が待っておりました。ひとつには、西鉄急行電車の高架事業に伴う市薬用地の一部を福岡市に譲渡する問題。これは会館の取壊しと再建設を迫られるもので、慎重に対応しなければならない大きな問題でした。もうひとつは立派な試験センターを有し乍ら、これは法的に承認されたものではありませんでした。これを何とか法的承認施設として活用したい、と言うことです。幾多の屈折はありましたが関係各位の協力を得てお蔭で「水道法第34条の2の第2項」の厚生大臣指定機関、「試験センター」の認可を受けることが出来ました。更に市薬会館も私の任期中に無事、新会館の建設完成を見るに至りました。

この間、市薬会報も年々充実したものとなり、担当者も藤原先生、城戸先生から木原先生にと移ってまいります。市薬会報と広報と2本立であったのも、広報誌はS63年5月30日発行27号を以て最終号とし、再び市薬会報だけにいたしました。そして年6回奇数月に発行する市薬会報が定着し、今日に至っております。私の会長在任中の最終号が第34号(H2.3.31)であります。表紙の写真が九州造形短期大卒業式当日のスナップで、私の退任号に相応しい表紙だったと患います。そして三津家会長就任の第1号が第35号(H2.5.31)になり、表紙の写真が「鯉のぼり」で、これも三津家会長誕生の前途を祝するにふさわしいものでした。

余分なことをいろいろ書きましたが、市薬会報は会員の身近な情報を伝え、市薬の動きを知り、会員が自由に発言できる場でもあり大切な市薬会員の機関誌であります。

そして時がたてば、時代が過ぎれば、市薬会報はそのまま福岡市薬の年史となる重要で貴重な資料であります。そこに書かれている様々な事柄は、その時代を反映し、新しい会員が先達の歩みを知る温故の古里でもあります。

編集に携わる先生方の御苦労に感謝しつつ、更に親しみ、愛される会報作りに励んでいただきたいと念じてやみません。

<会員の広場> 英会話の勧め 清水貞知

英会話は楽しい

今月号の本誌に珍しく英会話の紹介文が載っていた。

今時、銀行の窓口嬢から派出所のお巡りさんまで、簡単な英会話の勉強を強いられる時代、店頭の薬剤師さんが英会話の一つくらいこなせなくては話になるまい。

私事で恐縮だが、私が英会話教室に通い始めたのは6年前、もう齢76才過ぎてからだった。年取ってからの語学勉強はものにならないと云われているが、それは本人の心掛け次第だ。

学校の教師でない限り、我々老人には若い女の子と直接言葉を交わす機会など先ず無い。

だがこの教室だと受講者の大部分が女子大生やOL、それに講師が大抵あちらの留学生、それも女子が多いので結構ギャル達と冗談云ったりして楽しんでいる。日本語ではあからさまに云えぬ冗談でも英語で言えば角も立たぬし、質問しても素直に返事が返って来るから不思議だ。

How old are you?

と尋ねれば、

I'm 23 years old.

などと真面目な答えが返って来るから恩わず笑ってしまう。まともにそんな事聞こうものならほっべた叩かれる処だ。

それはさて置き、今や国際化時代とやら猫も杓子も英語、英語だ。

事実、TVのNews観ていても大抵の場合、外国首脳の演説は国の如何を問わず英語だ。

英語さえ或る程度masterして置けば便利な事は確かだ。私も在職中、仕事の上では代表的な雑誌The Joumal of American Medical AsociationとかThe Nature

その他薬学関係の雑誌等には目を通していた。だが英会話と云うのは若い頃、一時外地で外人の女の子と付き合っていた事があるので、片言位は喋れても、全く駄目だ。特に日本語の変化と同様に英語の表現も今時随分変っているし、新語も氾濫している。だから私には日常会話よりもどちらかと云えば

ThatcherやBushの演説の方がまだわかり易い。だからTV、外国物映画の台詞は苦手だ。

日本人の英語は読む英語

我々の時代の英語は全て読む英語、文法第一主義だから、会話としては通用しない。

何か喋ろうとしても直ぐ「アッこれは現在形か過去形か、単数か複数か?」等と下らぬ事に思いあぐね、つい戸惑ってしまう。

その点になると子どもは素直で言葉そのものを丸飲みにしてしまうので、上達も速い。

年の事を云えば、年取ってからの英語の勉強は無理だと云われている。特に単語がおぼえ難く、又すぐ忘れると云う。それは単語をいちいち和訳して覚えようとするからで、直接その内容を掴むように心掛けたら、左程苦にはならない。それにはbio−,COn−,in−,im−,ir−,re−,・・等の接頭辞や、−bly,−ness,−less,−tic,−al,−tion−,−sion− ・・等の接尾辞の意味を把握しておれば凡その見当は着く。又生意気云うようだが出来るだけ英和辞典を使わず英英辞典に馴染むように努力した方がいい。

それに語学の勉強は最上のボケ防止でもある。

講師にも癖あり

講師は大抵の場合American女子留学生だが、中にはAustrarianもいる。USと後者では同じ英語ながらかなり違う点もある。

又一口にUSと云っても広い国、東と西では一寸違うなと感じる事もある。特に自分に取って難物はNew York靴り、やたらとRの発音が耳に障る、例えば  20をTwenty 30をThirty

と日本人流に発音しても駄目だ、前者は寧ろツエニィ、後者はテリと云った方が早い。  今夕(10月18日)のKBCのTV番組<巨泉の使えない英語、間違いだらけの受験英語?笑って遊ぶ英会話>でwater,Vanilla,の例が出て沸かせていたが、日本人流にウオーター、バニラと云ってもダメ。前者はワダーよりもワラーに近く、後者はaccentをニに置いてバニーラと発音しないと通じない。

又私の苦労した言葉にworkとwalkがある。我々は前者をワーク後者をウオークと教えられたが、彼等の発音では全く逆に聞こえる。

兎に角トツ国の言葉は難しい。中でも日本語くらい難解な言葉は無いと云う。

それよりもTVに出演する米報道員や米講師達の日本語の立派さには感服する。東北靴りの大臣の演説より余程流暢だし標準的な日本語だ。

語学の勉強は継続

会話教室に通い始めて6年になるが、感じる事は何れも長続きしない事である。最初1Classに10人入って来れば、1月経てば1/3、3月で半数は欠げて行く。半年続く人なら大抵大丈夫だ。

所詮英会話と云っても、人の言葉、馴れ以外に上達する道はない。最上の勉強方はその地に住み、それらの人々?の問で生活する事だが、万人に叶えられる事では無い。

それでやむを得ず、TVか教室と云う事になるが、それも直接それら外人に接しなければ意味が無い。と云う事は幾らか頭で知っていても、イザ相手に出会って言葉にしようと思っても、仲々口を突いて出て来ないと云う事だ。

Thank you.と云われて

you are walcome.

と直ぐ出て来るか。知ってはいても中々口から出て来ないと云うのが正直な処だ。馴れてしまえば何でも無い事なのに、どうかすると

No thank you.

なんてトンでもない事云いかねない。

英会話で見直される薬剤師

これを機会に薬剤師の皆さん、英会話の勉強を始めて見てはいかが?

これから外国人のお客さんも来る事だろうし、仕事の上でも必要な機会は多いだろう。又近所に住む外国人達から「あそこの薬局へ行けば話が通じる」となれば、最高の顧客にもなろうし、近所の人達からも改めて見直されるだろう。

だが、自分の浅い経験から云えば、彼らとて病名の学術用語は余り知らない。例えば心筋梗塞なども

Cardiacinfarction等と云っても概ね通ぜず

Heart attach.

でなければ駄目、又痛みの表現にもいろんな言葉があるし、事実痛みの最中には誰だって自分の使い馴れた言葉しか出て来ないだろう。こんな時こそお役に立つのが近くの薬剤師さんだ。

痛みの表現には日本語でも「ヒリヒリ、チクチク、キリキリ、ズキズキ‥・」等沢山あるが、英語ではもっとあるそうだ。

擦りむいた所が末だとリヒリするのは

The scrach still smarts.

又チクチクするにはシャツを着てチクチクするのと腸等が痛んでチクチクするとでは自ずから表現が異なるが

prick;plickle;tingle;

be irritated;

等があるが夫々nuanceは異なっている。

日本語では便利な擬声語(onomatopoeicword)があるが、彼等はどちらかと云えば具体的な状態表現方を用いるようだ。従って痛みの表現は日本語より遥かに多いとか。

曲がりなりにもそれらを会得しておれば、場合によっては医者のこよなき手助けにもなろうと云うものだし、近所の人達からも見直される事必定。

で、薬剤師さん達も勉強、勉強でさぞかし忙しいだろうが、この際、一寸頑の体操の意味からも英会話を手掛けてみてはいかが?

又英語に限らず外国語の勉掛ま最上のボケ防止にもなる。

<会員の広場> 目の成人病 城南支部 別府部会 大隈調剤薬局 大隈治人

早いもので開局して三年半が過ぎようとしています。この三年半の間には色々な事があったので瞬時の出来事のような気がします。以前は外廻りの仕事が長かったので1日中家の中で働くのは苦痛ではないかと患っていたんですが、最近は慣れてきました。12時半から2時までは昼休み。気分転換と軽い運動を兼ねて、家が近くなので自宅まで帰ることにしています。時々うたた寝をして2時を過ぎてしまい心臓に悪いのではないかと思われる位のスピードで薬局まで走り、なんとか間に合った事が何回かありました。1人で働いているので雑用もあり結構忙しい毎日です。国立中央病院の処方せんが回ってきた時は処方の内容にもよりますが大変です。最初はめんどくさいなと思う気持ちが強かったのですが、実際処方せんを受けてみると、色々と勉強になることも多い事が判りました。

私の薬局にはわりと目薬の処方せんが多いので、気になる目の障害の一つについて簡単に述べてみたいと思います。近年高齢化が進み老齢人口も急速に増えております。2020年には4人に1人が65才以上の老人で占められると言われています。加齢と共に体の衰えを感じるのは誰でも経験することですが、事実色々な障害が起きてきます。目も例外ではなく年を重ねると共に衰えてくるものです。体の事は何も異常がなくても定期的に検査を受ける人は、けっこう多いんじゃないかと思われますが、目の検査は異常を感じて初めて受ける人が、殆んどではないでしょうか。

目の成人病と言われるものの一つに緑内障があります。昔は青そこひ、と呼ばれていたのでご記憶の方もあると思います。この病気は眼球の圧力が高くなり、この為視神経が圧迫されて障害を受け、視力が落ちたり視野が狭くなったりする病気です。障害が進むと失明することもあります。なぜこの眼球の圧力が高くなるかと言うと、眼球には房水と呼ばれる液体があり、これによって眼球の固さ、すなわち眼圧が保たれています。房水は眼球内で作られ、目の外へと流れますがこの流れがスムーズにいかなくなると、房水が目の中にたまりすぎ眼圧が上がるわけです。眼圧は正常10〜20ミリ水銀柱の範囲です。わが国では緑内障の治療を受けている人はまだ少なく7〜8割近くの人が未治療だと言われています。悪くなってから治療しても手遅れの場合もあります。中高年に多い病気ですので中年過ぎたら一度近くの病院で眼圧、眼底、視野、の検査を受けてみてはいかがでしょうか。

<会員の広場> 薬事放談 城南支部 友泉部会 アップル薬局 浦本光憲

市薬会報が今月号で50回を迎えるそうですが、広報委員の方々を始め、多くの方のご苦労があった事と推察いたします。その記念すべき50号に投稿できる事は身に余る光栄と考えます。さて、予めお断り申し上げますが、これから先の内容は表題の通り、思うままを無責任に書きなぐったもので、諸先輩、特に薬剤師会活動に粉骨砕身なさっておられる方々がご覧になれば「くちばしの黄色い門外漢が何をほざく」とお思いになるでしょう。

実は私は薬剤師ではないのです。妻(薬剤師)と二人でOTC中心の店を8年前に開局しました。薬剤師会定款に定めるところの賛助会員です。その門外漢が生かじりのまま、近頃考えた事を書いてみたいと思います。今回投稿するきっかけになったのは、主に2つの事件があったからです。1つは当友泉部会の地区内に出店が相次いだ為、部会で何度も話し合いを持ちましたが、いまひとつ、すっきりとした形にならない事。非常に単純で難しい疑問ですが、薬局も他業種同様に競争原理が働くものなのか。本来あるべき姿は何なのか。どうして薬局はOTCの店と調剤薬局があるのか。 何を今さらとお笑いでしょうが、私ばかりか、おそらく貴(店)のお客さんも説明できる方は何人いらっしゃるでしょうか。

もう1つは義兄を亡くした事です。2年前、享年41才、心筋梗塞による突然死でした。自分が薬局を営んでいながら近くに住んでいた義兄の死に対して何の防波堤にもなれなかった事は、失望以上に大きな宿題を背負う事になりました。自分の仕事は何なのか、大げさに捉えれば医療とは何なのか。医療とは「医学の社会的適用である」とある高名な医師会の元会長がおっしゃったそうです。社会的通用とは何でしょう。医療技術をマニュアルにのっとって、高度な判断力を駆使し実践する事でしょうか。実践する理由、過程、結果に必須な、あるべき姿があると言っているのでしょうか。

ところで「医は仁術にして算術にあらず」とも言われますが、医療は行なう者にとってひとつの経済行為に他なりません。もち論、それだけが目的でないのは言うまでもありません。しかし乍ら人間の心に欲があるのも事実。 薬剤師会の目的のひとつに「薬剤師の地位の向上」がありますが、では薬剤師の地位とは何でしょう。社会的地位を指すのでしょうが、何を基準にするのでしょうか。

高学歴、高収入の事ですか。それとも畏敬の念をもって崇め奉られる事でしょうか。「否」と言い切れる自信を持って、こうだと説明して下さる方はいませんか。

最近インフォームド・コンセント(lnformedconsent)が盛んに叫ばれています。直訳すれば、患者によく説明をして同意を得る事なのでしょうが、むしろ、患者の医療を受ける目的を、それを行なう医師、薬剤師が共有し、それを同一レベルで具体化して、逆に患者の意志に対して、医療を行なう者が、同意をする事ではないでしょうか。その行為に対して社会的責任を負い、価値感やイデオロギー社会情勢の変化を超えて、普遍性を持った、真撃な気持ち、態度、言い替えれば信念が医学の社会的適用を生み、引いては地位の向上につながるのではないでしょうか。

さて、どうすればそうなれるのか、私には解かりません。しかしこの追究と欲(煩悩)との狭間で揺れうごめくうちは、出店問題が持ち上がった時や、マンツーマンか面分業かと云った時にこれだと言える基準や了解が得られないのです。そればかりか、政府の政策や社会情勢や他国の外圧で分業が一人歩きしないかとおせっかいな心配をしてしまうのです。さらにもうひとつ、おせっかいをやかせてもらえば、この状況が一般市民から見て解かり辛い、それこそUnformed consentになりはしないかと考えてしまうのです。

また、ひとつ宿題がふえました。

<会員の広場> 開局20年目雑感 早良支部 薬局委員 本村精也

会報発刊50号おめでとうございます。

私共の薬局も今年で20周年を迎えました。大通りから横丁へ30m入った、全く目だたない街の片隅での開局であった。

今思えば、よくぞ持ちこたえてくれたと思う。食べて行くだけが精一杯で、遊びも知らず、仲間も少なく、途中薬剤師会より支部部会活動へのお誘いも何度かあったが、時間的余裕がない事を理由に断わり通した。

6年前、部会長先生(江頑)と20年来の悪友(清水)が突然来店した。お歴々がお揃いでお越しとは、何か含むものがあるな、と思ったが、知らんぶりを決め込んだ。話が切り出せないらしく、お茶をがぶがぶ、世間話をしている。

我慢比べが終わり、急に改まって、「来年の薬局要員にアンタが決まった」と云う。いつもの手である。

「何をいうか!俺は何も聞いとらん、それに有馬大先生という人が薬局委員で居るではないか。」

「それそれ、それたい、大先生が余りにも多くアッチコッチの役を引き受けすぎて、商売ばせん、ち言うて、奥方から離縁状の出たことですたい。全部の役を引くちゅうこつで折合いのついたとです。」

「じゃあ俺の店はどうなってもよかと云うとですか。」

「そうじゃなかと、例え、役を引き受けてくれても、ナーンもせんでよかと。名前だけたい、名前だけ貸してくれればよか、市薬から呼び出しが来ても、知ら−んぶりしときなっせ、ネ清水くん。」

「ソ、何もせんで良かばってん薬局委員会は夜、会合のありよるごたる。」すると、ウチのカミさんが調剤室から顔を出して、

「夜だけですか、夜だけで良かったら、ナーンも出来んでしょうが使うてやって下さい。365日朝から晩まで顔つき合わせて、私はうんざりしとったとです。」

「ワー理解のある!これで決まった。考えの変わらん内はよ帰ろ。」と二人は腰を浮した。

「何があってもおれは知らんぞ、責任はおまえにあるとぞ。」とタンカを切った。

近頃のウチのカミさん、

「アンタこの頃、喜々として、夜になるとソワソワ落ち着かんネ。」

「今晩は早良区の運営委員会たい。なるべく早く帰って来る。はよ寝とれ。」

「今晩は支部総会たい。」

「今晩は薬局委員会たい。」

「今晩は代議員会たい。」

「今晩は部会たい。」

「アンタ!役はいくつ引き受けたと。」

「さあ、4つか5つやろ。」

「何でそう云うことになったとですか。」

「わからん。天の声たい。」

「天の声ちゃあ、南島さんネ!清水さんネ!」

「そこいらたい。」

「薬局を出たら最後、朝の3時、4時とは何ごとね。」

「俺は、新参ものの下っぱたい。下っぱは上の人に、何事も、『はいはい』と云って、ついていかにゃあならんとたい。」

「私しゃ、たまらんよ、夜中まで起きて待って、次の日は昼まで寝られて、起きて来りゃあ酒の臭いばぷんぷんさせて、人前には出されん。」

「お前ヤー、忘れたか、会に引っぼり出した時の事を、責任はお前にあるとゾ一。」

「そうサァ、アンタ朝帰りばかりで、仕事は何時しよっとネ、OTC薬局はつらかネ一。」

「そう云えば、OTC薬局ちゃあ何の略やったかネ。」

「アンタ今頃何ぼ寝ボケよっと、(0)はオキャク、(T)は時々、(C)は来るたい、FUSAKOさんに聞いてごらん。」

「そうか、納得。」

「丁度良かとき来た問屋の兄ちゃん。今、景気はドーネ。」

「そうですネー、先月よりは少しはましみたいですねぇ。」

「お前や、先月もソー云よったぞ。」

「そう云やあ、先々月より先月の方が良かったですねぇ。他所の薬局は処方せんが来て、忙しい、忙しい、と云よってですよ。」

国立中央病院、九大病院、国立南病院、と大型病院の処方せん発行が相次いでいる中、指をくわえて、ながめているOTC薬局もあると思う。積極的に参加しても、週1〜2枚しか舞い込まない薬局も数多くあると聞く。

それでも、全面分業の過渡期として、あきらめないで、頑張るしかない。そう云う薬局の明るい未来の為、働いている、OTCの薬局委員がいる事を忘れないでほしい。

〔フレッシュさん紹介〕 ただ今奮闘中?! 松尾内科病院勤務 野村徳子

原稿の依頼を受けて?慌てて2・3ヶ月分の「フレッシュさん紹介」のコーナーに目を通しました。私が見た月の会報が偶然そうだったのかもしれませんが、フレッシュさんはフレッシュさんでも「薬局開局」という意味でのフレッシュさんであって私にとってはベテランの先輩方ばかりでした。

このようなコーナーにまだ働きはじめて2年目、そして薬剤師会に所属して数ヶ月という未熟な私が登場することは畏れ多いように思えますが近況報告を、ということですので少しだけ書かせて頂きます。卒業して最初は病院で臨床薬剤師としての勉強をしてみたいと思い現在勤務している西区の松尾内科病院に入りました。

病院内では、「薬剤師も投薬することだけでなく直に患者に接しないとわからない」という院長の意向により、薬剤師も回診に行き一緒に投薬計画をたてたり、また変わった症例があれば診療室によばれて説明を受けたりと、いろいろ勉強させて頂いてます。

また、現在の薬局の先輩の薦めもあって急患センターの会員にもなりました。こちらでは各科の急性期の処方例を身近に見ながら、ただ今、奮闘中といったところです?!

これからまだまだ、臨床薬剤師として勉強していきたいと思っています。薬剤師会の諸先輩方、今後ともよろしくお願い致します。

  

お詫び

先月号(9月号)に誤字が沢山ありました事、お許し下さい。折しも「高圧剤と降圧剤」の竹井先生の随想、身にしみて感じ、反省しております。広報の社会性とその責任の重さも。

「薬草さん、初めまして」の文中。「展望台に唯1人直接合流されるという松島先生、・・・中略、もう登山は充分という暗い、汗びっしょりの姿で・・・」これは「暗い→くらい」に訂正致します。比較の意のくらいです。松島先生は皆さま、ご存知の通り、決して、暗い先生ではありません。ここで訂正をお願いし、松島先生にお詫び致します。

それにもう1件。薬草名中「マルデ→ヌルデ」「サツロチイバフ→サルトリイバラ」に。冷川先生から「何か、全然知らん名前が載っていた。」とご指摘して頂き、すぐ会報を見て、舌をかみそうになりました。

(坂田)

■■トピックス■■ 市薬学術委員会

欠食は危ない!

薬物の吸収量や吸収速度は投与前後に摂取される食事や時好品によって影響される。食事の影響によるカプトプリルの血中濃度の変化および降圧効果についての実験報告によると、胃内にカプトプリルが食物と同時に存在する場合(食前15分から食間まで)は、存在しない場合(長時間空腹状態)に比較して、AUC(血中濃度曲線下面積)やCmax(最高血中濃度)が25〜80%低下する。一方、血圧、血祭中のアンジオテンシン変換酵素阻害活性、アンジオテンシンU濃度については、臨床上、食事の影響は認められていない。結論として、空腹時と食後のCmaxの変動から考え、又、患者さんの服薬不履行(ノンコンプライアンス)を避けるためには、食後服用が良く、カプトプリル濃度の急激な上昇に伴う急激でかつ過度の血圧低下を避けるためにも朝食をきっちりと摂って、食後に服用することが望ましい。

病院薬学 Vol.18.No.4(1992)

胃粘膜を荒さない鎮痛剤

非ステロイド抗炎症剤(NSAID)は、副作用として、胃あるいは十二指腸にびらん、潰瘍を惹起させることが知られている。その副作用の軽減のため、(1)投与経路を変える(坐剤、注射剤又は経皮吸収剤)。(2)剤型変更をする(腸溶製剤や徐放製剤)。(3)プロドラッグ化など、いろいろの工夫がなされている。

坐剤の場合は、内服と同率の胃粘膜に対する副作用が発表されている。これは、坐剤が安全であるという観念から投与量を増大させ、間接的に胃粘膜のプロスタグランジンの生合成阻害をもたらしたためと思われる。

徐放製剤の場合は、そのまま排泄されたり、胆汁の逆流や制酸剤の併用などで胃内で溶解したりし、胃壁に曝される。

ロキソニン投与では90%が、ミリンダシンでは78%が病変を発見しなかった。以上のように、NSAIDの胃粘膜荒廃を回避する方法としては、経口剤としてはプロドラッグの使用、坐剤の場合は使用量を低減することが望ましい。

もう注射は痛くない!

注射は薬物投与や採血のために行われる処置ですが、痛みを伴うので、患者さんに嫌がられます。特に小児においては実施が困難になることもめずらしくない。最近、注射に限らず、水いぼの除去など、痛みを伴う処置を行う場合、事前に皮膚の表面に塗るだけで麻酔効果が得られる、局所麻酔軟膏が外国で開発された。まだ国内では市販されておらず、さらに使用される原料のなかに、国内では入手困難なものが含まれているため原料を購入して調整することもできない。そこで、国内で容易に入手出来る原料を用いて、同等の効力を持つ局所麻酔軟膏の調製を試みた。リドカインとテトラカインの共融混合物とTweerとメチルセルロースを組みあわせて調製した。

滋賀医科大学医学部附属病院薬剤部
星野伸夫
Vol.28.No.8 1892JJSNP

 

 

[広報]

早良区健康フェスティバル

日 時
平成4年10月13日
出動者
青柳・有馬・糸岐・岩佐・江頑・斉藤・清水・冨田・冨永・南島・西岡・橋口・平井・松尾・丸木・本川・本村=以上17名

※「クスリと健康相談」の内容
(1) クスリと健康相談コーナー(出勤者全員)
(2) 民間薬実物解説付き展示(約30種)
   クチナシ実・霊芝・梅寄生・決明子・シソ実・ハトムギ・夏枯革・スギナ・クコ子
   クコ葉・キランソウ・バツカ葉・センプリ・タラノキ・ホコウェイ根・南蛮毛
   ナンテン実・接骨木・女貞子・マタタビ・延命革・ビワ葉・カキの葉・ベニバナ
   山薬・ヨモギ・オオバコ・連銭草・ドクダミ・ゲンノショウコ・柿蒂
(3) 漢方薬コーナー
   漢方生薬実物による漢方処方の図示展開
   ☆「ボケの漢方」 黄連解毒湯
            当帰芍薬散
   ☆「女性の漢方」 桂枝茯苓丸
            加味逍遥散
            桃核承気湯
   ☆ビデオ上映 「ボケの漢方」・「女性の漢方」
(4)「シンナー乱用防止」
   I.シンナー防止パンフレット配布
   U.シンナー防止パネル、ポスター展示
   V.シンナー防止のビデオ上映
     題「やめようシンナー・薬剤師からのお願い」
(5) パネル展示
   *「クスリ」と「健康食品」のちがい
   *「民間薬」と「漢方薬」のちがい
   *「現代医療」と「漢方治療」の比較
   *「薬局」と「薬店」のちがい
   *「生薬カラーパネル」の展示
(6)健康茶の試飲コーナー
   ☆「玄革とハトムギ」=美容
   ☆「十薬と決明子」=健胃腸
(7)アンケート調査
   I.「クスリ」についての啓蒙
   U.薬局薬剤師の職能アピール
   V.面分業・処方せん調剤アピール

団結力です。17名

早良支部団結力の見せどころ。運営委員が清水支部長の指揮のもとに、前日から準備。

当日は多くの会員先生方の出動ご協力をいただき、今年も素晴らしい健康展を開くことが出来ました。

例年通り、薬草展示コーナー、相談コーナー、薬草試飲コーナーと相変わらずの人気でした。

今年は、今子ども達に急増しているシンナー乱用問題をテーマに加え、手作りパネル(清水先生作)、ビデオ放映を試みました。

来客年齢層が50〜60歳台に集中しているせいか、シンナーについて関心を示される方は少なかったようです。

又、アンケート調査では、薬局・薬店の区別がつかない保健所勤務の方がおられたのには、がっかりさせられました。

大きな課題を、目の前につきつけられた気がします。

(西岡記)

中央区健康フェア'92

日 時
10月2日(金)9:00〜16:30
会 場
中央保健所
(内容)
・講演:健康のための運動
  (福岡大学体育学部教授進藤宗洋先生)
・検診コーナー
・相談展示コーナー
・健康朝食

報告者 光安龍彦

上記の内容で中央健康フェアーが行われました。我が、中央区薬剤師会では相談展示コーナーの一角に「薬の相談コーナー」を設置し、医療用医薬品、OTC、漢方薬、民間薬等の種々の質問、相談をうけ、健康に対して強い関心が年々高まってるのを実感します。当コーナーへ束られた方は約210名で、皆さんが特製のお茶、美人茶(ハトムギ、ジュウヤク、ハブ茶)、胃腸茶(ゲンノショウコ、ヨモギ、ジュウヤク)を試飲され、ほとんどの方が何らかの健康茶等をのんでいるか、又はのんだことがある人が多く、こういう民間茶あるいは薬草茶の需要が多いのにはびっくりしました。単価は安いが、品揃いしだいでは結構売上げを期待できるのではと思わずソロバンをはじいてしまった。

中央支部より4人の会員の先生に出席していただきご苦労様でした。

追記 ここ中央保健所は現在建直し中で、仮保健所で健康フェアーは実施されましたが、
 平成6年12月には新しい保健所が出来上がり、区民の皆様の健康のセンターとなります。
 下記にその概要をご案内いたします。

福岡市ご自慢の「健康づくりセンター」

○ 建築計画概要
 1) 建設地中央区舞鶴2丁目103−2
 2) 入居施設
   (1) 健康づくりセンター ・・・衛生局
   (2) 中央保健所     ・・・ 〃 
   (3) 消費生活センター  ・・・市民局
   (4) 婦人会館      ・・・教育委員会
 3) 構造・規模地下2階・地上10階
 4) 建物高さ51.45m
 5) 開館予定 平成6年12月上旬
○ 建物の特徴
  ・テーマは”豊かな生活文化の創造拠点"。
   爽やかで、明るく健康的なイメージを建物外観のカーテンウォールで表現すると
   ともに4施設が互いに連携し合って、健康や生活文化活動を展開します。
  ・総合設計制度の適用を受け都市のゆとりとやすらぎのため、敷地の32%を公開空地
   とし植栽を十分に(公開空地の41%)施した、憩いの広場を演出しています。
○ 施設構成

博多区健康フェスティバル

日 時
平成4年10月20日
会 場
博多保健所
出動者
山口、鶴原、蔵本、森川、井上、荒巻

昨年は山王公園で行なわれたのですが、今年は再び博多保健所へ里帰りすることができました。交通の便が非常によい市街士酎こ位置するせいか一日中来場者でごったがえしました。展示内容は例年どおり薬草中心で、いわゆる健康茶の試飲などをおこないました。

このイベントに参加させていただくのは今年で3回目になるのですが、いっものことながら、薬草マニアのひまつぶしを手伝っているうちに終わってしまったというのが実感です。 毎年、なぜこのような内容のことをやっているのか全く理解できません。

誤飲で事故が起こる可能性は一般の食物とさほどかわらないでしょう。また、漢方のある派のように、博物学的に高度に体系化されかつそれを数千年にもわたる実践において証明し続けたものでもありません。

そもそもそれらの多くは、薬局も薬剤師もなく、西欧において薬剤師が管理していることを前提として発達した医薬品が日本に入って来る前に、地理的・経済的あるいは、なんらかの理由で中国伝来の医薬を手にする事ができないか、そうまでする必要が無いと判断された時に用いられたものではないでしょうか。

いずれにしましても、物質としても情報としても、人々が一般生活において使用するにあたり、わざわざ我々薬剤師が管理せねばならないような物ではないと思います。

薬剤師の職能を地域住民にアピールできるよい機会にこのような事をやっているというのは毎年の事ながら非常に残念です。 「薬剤師て、だいたい何んする人かいな。」当日来場されたお客様の薬剤師像は、ますますややこしく不明確なものとなったことでしょう。だからといって、何をしたらよいかと聞かれたら回答に窮する私です。

誤解があるといけないので断っておきますが、私は薬草をバカにしているわけではありません。研究対象としてその学問的価値は非常に高いものでしょうし、また現在我々が用いている医薬品の多くがそれらの研究の結果今日あるということもよく認識しています。

(荒巻 滋)

城南区健康展について

日 時
平成4年10月15日(木)AM9:00〜PM3:00
場 所
城南保健所

「あなたのからだ元気ですか」の呼びかけのもと、今年も城南区健康展が開催されました。 多数の来場者を迎え、改めて、健康に対する関心の深さを感じました。

主な、事業内容は、各種検診(ガン検診、ミニドック)や講演会、栄養・食品衛生・在宅ケアーの各種相談など、健康に役立つコーナーが盛りだくさんでした。

薬剤師会では、生薬標本と民間薬の展示、医薬分業のパネル、健康茶の試飲コーナー、クスリなんでも相談コーナーを設けました。

健康茶の試飲コーナーは毎年、好評で200名以上の試飲がありました。特に、今回は、ドクダミ、ハトムギ、ヨモギ、ハブ茶でブレンドした“美人茶”と銘打った健康茶が御婦人方に大変な人気でした。

クスリなんでも相談コーナーでは、漢方や民間薬の質問をはじめ、幅広い医薬品の相談がありました。

例えば、(1)一般OTC薬品の有効期限について、(2)医療用医薬品と民間薬の併用の良否について、(3)各種疾患(アトピー性皮膚炎、喘息、腰痛、高血圧、低血圧など)に対する漢方について、(4)民間薬の効能について、(5)医薬品の長期服用について、等々、多数の相談がありました。今更ながら、地域における薬の専門家として、一層の研鍵と自覚の必要性を痛感致しました。

今年も、健康展にご協力頂く会員の先生方が増員され、また、これは先生方のふれあいにも一役買ってくれて、大変善しく恩いました。一重に、栗田支部長のご指導よろしく、若い先生方の参加に感謝致します。今回、出動していただきました先生方は、次の通りです。

栗田、合澤、小林、前田、中山、藤田、白水、後藤、坂田、浦本、松岡、満生、川井田各先生方です。ありがとうございました。

城南支部薬局委員
松島照幸

広報は何しにきたのかな?
−福岡市薬草観察ハイキングに協力参加して−

日 時
10月25日(日)午前10時
場 所
油山
場 所
冷川県薬常務理事、中島常務理事、國武理事、中野(達)、森川、戸田、松島、本村・中野(勝)、吉田各薬局委員、篠崎、大庭、有馬、本村夫人、坂田、橋口広報委員 計16名

車から降り立っと、う〜っ風が身にしみる秋たけなわの10月25日、今日が本番、薬草観察会です。

希望者が多く、抽選で100名にしぼっての市民の皆さん(皆、熱心な方ばかり!)を、5班に分け、各々を、冷川先生ほか、薬草にくわしい先生方が引率、説明をしながら山を登って行きます。

実は、私は植物オンチで、ひたすら一般市民を装い、先生の言葉に耳を傾けます。

約50種の薬草を教えて頂いたのですが、いくつか、しっかり頭にきざみ込まれたものがありました。

「これは、ジャノヒゲといい、咳止めに用います」

「へえ、これがジャノヒゲ・・・」ここで本を開くと、‥・「あァ、麦門冬!」

さながら、初めてウォーター=水というのが解った時のヘレン・ケラーよろしく、私の頭の中で、ジャノヒゲ=麦門冬という図式が、出来上がったのです。そうか、これが、あの表門冬なのだ!

他にも、オケラ=白求 ホオノキ=厚朴など、今日初めて命を与えられ生き生きとしたものになった漢方生薬があります。不勉強を恥じるばかりです。

事前に、有馬先生がまとめられた「油山の薬草」という小冊子を頂き、繰ってみると、非常に解りにくかったので、後で探しやすいようにと、50音順に並べ直して持って行ったら、何と、これは観察ハイキングで見かける順に並べて下さっていたとの事、後で聞き、準備は、さぞや大変だったろうと、頭の下がる思いをしました。

一気に登れば、かなりきつい道も、薬草一つ一つに立ち止まりながらなので、何の疲れも感じず、頂上へ。あと、市民の皆さんはお弁当。(私たちは、後のバーベキューをひたすら楽しみに、時間待ち)

最後に薬草あてクイズ(クズ、イタドリ、ヤマノイモ、ゲンノショウコ、サルトリイバラ)正解者が多数いたのには驚かされました。抽選で、各班1人ずっに賞品(コンニャク)を。

その後、解散となり、私たちは2時半、やっとお昼にありつきました。皆、森川夫人の準備されたバーベキュー、おにぎり等に飛びつき、「おいしい、おいしい」を連発。薬局委員会の下部組織で、バーベキュー委員会を作ろうという珍案もささやかれ始めたころ、私たち広報も、片隅で(?)おいしさを噛みしめていましたら、「ところで、広報は、何をしに来たのかな?」という、するどい一声。

今日の原稿を誰に依頼しょうかナ、と、物色中だったのですが、やっぱり自分で書く他ないと悟り、この原稿となった次第です。

(橋口記)

  

【学薬のページ】 口は禍の素 福岡市学校薬剤師会 副会長 吉田斌

ひょんな事から四月の総会で副会長に選ばれた。パーティーの席で大ぼらをふいたら引っ込みがつかなくなった。酒がさめて、私も学薬だったな、と思い出した。思いなおして、さて寝て暮らしても2年、動き回っても2年、副で出来ることなどしれていると考えながら、(学校と学校薬剤師)と(「学校環境衛生の基準」解説)を取り出して読みなおしから始めている。市学薬は組織的に大変ユニークであると考えている。それでも理事の頃は、竹尾啓二、野口先生の指導のもとに、年間計画1人2校制等とはしゃいで、プールなどには2,3人でグループを組み、回ったことを思い出した。 区での勉強会も会費制で何度か計画した。先輩がいないと新人は育たない。こんな勉強は学校では習わないのである。

さて医療法の一部改正に伴って、地域医療に参画する薬剤師、学校薬剤師の職能をいかに生かすかが問題になっている。責任ある学校薬剤師になる為には、1人1校制にする必要性がある。会員は1人でも多く仲間を増やし、新人を指導して欲しい。1日も早くしっかりした組織体をつくる必要がある。1人ひとりが少しづつ無理をして、少しづつ努力して、社会的責任をほんの少し自覚して、楽しい会にしたいものだと患っている。よき思い出づくりの為の2年間にしたいと思っている。会員の皆様の協力をお願いする。

私は学業の専務理事になったっもりで、決して逃げない。決して弱音をはかない2年間にすることを会員の皆様にお誓いする。どうか知恵と協力をお願いする。そして2年間たったらばっさり首を切って欲しい。平会員か理事になって、せっせとワラジ作りにはげみたい。

あと500日前後で目薬の総会が北九州である。我々学薬は何を調査し、発表すれば良いのか悩み多い日々である。かさねて会員個々の御協力をお願いする。

(福市学薬より掲載)

 

平成4年度 福岡市学校保健大会

主 催
福岡市学校保健会福岡市教育委員会
後 援
福岡市PTA協議会
期 日
平成4年12月3日(木)
日 程
会 場
福岡市役所行政課15階講堂
参加者
校長、教頭、保健主事、養護教論、教職員、学校医学校歯科医、学校薬剤師、PTA、その他学校保健関係者
特別講演
演題 「AIDSの現状とその対策」
講師 九州大学医学部 教授 相木征三郎
研究発表・活動報告と協議
  
   
座長 花畑中学校 校長 桑江良和

(1)「長期未使用時における飲料水検査について」
     福岡市学校薬剤師会 副会長 木原三千代
(2)「みんな元気に」
   −楽しい学校生活をおくる子どもたちのための養護教諭としてできること−
     今津養護学校 養護教論 名倉裕子
(3)「子どもたちの安全と健康を願って」
     高取小学校父母教師会 副会長 萩尾憲子

〔研究発表〕

「長期未使用時の飲料水検査について」

福岡市学校薬剤師全 ○木原三千代  吉田   斌
竹尾 禎二  中野 勝郎
有馬  純  野田 靖夫
藤野 久枝  橋口扶佐子
山手 嘉子  小松 秀美
内田 文子  吉村きく子

1.はじめに

学校においては、当然のことながら多数の児童生徒が共同生活を営み、かつ学習活動に終始して一日の大半を過ごしている。したがって、児童生徒の生活環境の大部分をしめる学校環境の衛生的な適否は、学習能力の向上、伝染病その他の疾病の予防、健康のム保持・促進などにおよぼす影響が大きい。

なかでも飲料水については、近年、安全でより美味しい水をとの指向はかなり高くなってきている。そこで今年度、福岡市学校薬剤師全では研究テーマの一つとして、「長期未使用時における飲料水検査」を企画し、平成4年8月31日それを実施した。

2.飲料水の管理について

福岡市立学校における飲料水は、そのおよそ70%が「簡易専用水道」により給水されている。そのため水道法により、簡易専用水道の管理が義務付けられており、受水槽から排水に到るまでが各学校の自己管理 とされている。

(1)簡易専用水道とは市町村などの水道事業から供給を受ける水のみを水源とし、一旦受水槽に貯め、それを建築物内の各場所に給水するもので、昭和53年6月に水道法が改正施行された。

当初、受水槽の容量は20Iがを越えるものであったが、昭和61年11月より10m3がを超えるものに適用範囲が拡大された。10m3以下については現在のところはまだ通用されていないが、いずれ適用されてくるものと思われる。

(2)学校保健法による飲料水の管理基準基準では、水道法を基にして検査項目が次のように定められている。

   ア.遊離残留塩素
   イ.外観・臭気・味
   ウ.水素イオン濃度
   工.一般細菌・大腸菌群
   オ.亜硝酸性窒素および硝酸性窒素
   カ.塩素イオン
   キ.有機物等(過マンガン酸カリウム消費量)

これらの検査は福岡市教育委員会の依頼により、学期毎に年3回福岡市薬剤師全の試験センターで行っている。なお、福岡市薬剤師会ではこれらの項目以外にも、より一層の安全性を期すため、福岡市教育委員会との協議でアンモニア性窒素、重金属、満度、硬度、全鉄イオンについても検査している。

3.データー採取

今回、「長期未使用時における飲料水検査」を実施するにあたっては、福岡市学校薬剤師会の理事12名で、無作為に各区毎およそ5校を抽出し、もっとも問題となる残留塩素について調査した。

まず、採水場所としては「ひんばんに使う蛇口」と「めったに使わない蛇口」の2ヵ所を選んだ。検査項目は採水現場での遊離残留塩素の測定、および持ち帰っての一般細菌・大腸菌群の検査とした。ただし大腸菌群については、検出の可能性がまず考えられないことから、一般細菌のみとした。

その後、毎学期に一回の検査が義務付けられている飲料水の定期検査を7〜10日後に行なったことから、そのデークーを並記するとともに、生徒数および受水槽の容量数から次のように考察した。

4.まとめ

調査対象校34校のうち、5分間放水後の遊離残留塩素が0ppmの学校は14校で、41%と高率であった。残留塩素が0ppmの水を飲用に供するということは、かなりの危険性を含んでいることを示唆している。そして、今回同時に検査した一般細菌のコロニー数が0であったことは、幸であった。

このことから、特に日・祭日、長期休み開けの使用に際しては、日常点検における残留塩素の測定、および換水の必要性を強く感じた。なお、その7〜10日後に採水した定期検査では、残留塩素が0ppmの学校 は2校だけであり、受水槽の水がほとんど入れ替わったものと思われる。

また、今回調査したかぎりでは、残留塩素についての生徒数と受水槽との相関関係は認められなかった。しかし、生徒数に比して受水槽が大きすぎたり、逆に小さかったりと、かなりアンバランスなところもあ ることから、今後この点についても詳しく調査していきたいと患う。

会議報告

第26回社団法人 福岡市薬剤師会
臨時代議員会並びに第54回総会

日 時
平成4年9月26日(土)午後3時
場 所
福岡市薬剤師会館講堂(4F)
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、戸田専務理事、合澤、中島、小野、篠崎、木原各常務理事、城戸、成澤、鶴原、山口、国武各理事、藤原監事、坂田広報委員
代議員

東 支 部 松井呂也、馬場正佳
博多支部 高杉正典、深江輝夫、向井光佐子、冷川襄、林ふさ子、森川公雄、河辺利也、
     蔵元良行、山本幸男、吉田徹、磯田秀幸、田中伸一
中央支部 光安龍彦、平島公彦、副島恒夫、勢島充、樋口昌嗣、戸田重雄、遠藤誉理男、
     平島久美夫、山手陽一
早良支部 清水達三、野田靖夫、本村精也、橋口扶佐子、南島敏彦、有馬純
城南支部 栗田邦彦、笹野祐二
西 支 部 吉田斌、佐藤衛二、占部吉幸、冨永泰資
南 支 部 大庭秀臣、木村英樹、石田和長、岩佐周一郎、吉田邦夫、小村正治
勤  務 唐沢博順、仲尾次広子
顧  問 藤野義彦、冨永泰資、古賀隆、荒巻菩之助

出席代議員数62名中37名、よってこの代議員会は成立する
司会 小野理事

代議員会

1.開 会
1.会長演述 三津家会長(市薬会報9月号巻頭言参照)
1.議事
    議長  木村英樹代議員
    副議長 山手陽一代議員
    議事録著名人 光安龍彦代議員、吉田邦夫代議員

議案第1号  シーサイドももちコートハウス利用の件

執行部より細井副会長が議案第1号の提案についてその主たる目的、経過報告、その必要性について、又中島常務理事よりコートハウスの施設設備等について説明なされ、審議が進められた。

緊急動議

早良支部 南島代議員より九大処方せんの負担金に関して、市薬の事業の一環として、補助をお願いしたい。

 

【第5回理事・監事会】

日 時
9月22日(火)午後7時
場 所
市薬第一会議室
出席者
三津家会長、細井、松枝各副会長、戸田専務理事、合澤、中島、小野、篠崎、木原各常務理事、鶴原、山口、國武、成澤、市花、城戸各理事、藤原、豊福監事

1.会長あいさつ

2.会務報告

3.委員会報告

4.学薬、勤務薬剤師会、女子薬、商組報告

5.協議事項
   (1) 九大病院院外処方せん応需について
   (2) 会有地利用策定について
   (3) その他

 

【第6回理事・監事会】

日 時
10月20日(火)午後7時
場 所
市薬第一会議室
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、戸田専務理事、合澤、中島、篠崎、木原各理事、鶴原、山口、國武、成澤、市花、城戸各理事、藤原、豊福監事

1.会長あいさつ

2.会務報告

3.委員会報告

4.学薬、勤務薬剤師会、女子薬、商組報告

5.協議事項
   (1) 九大病院院外処方せん応需について
   (2) 会有地利用策定について
   (3) 南福岡病院の処方せん応需について
   (4) 会費検討について

 

※ 以上第5回、第6回理事会における協議内容については、都合で項目のみの報告とさせていただいていますが、決して広報委員が手を抜いたわけではありません。何とぞご了承くださいませ。

 

【第6回学薬理事会】

日 時
10月27日(火)午後7時
場 所
第一会議室
出席者
三津家会長、吉田、木原各副会長、細井、竹尾、有馬、中野、山手、小松、吉村、深見、橋口各理事、野田、内田各監事

1.会長あいさつ
入会金については、自覚を促す意味からも徴収していきたい。入会時ではなく、報酬の中から2万円を徴収する。夏休みの開放プールの検査をしていない会員がいるが、報酬のあるなしに関係なく、二回は必ず行って欲しい。その他諸々の事を伝えるために支部毎のきめ細かな研修会が必要だと思う。

2.報告
 ア.日本薬剤師会学術大会(第25回)
   テ−マ 「医療をやさしく支える薬剤師」 出席者 三津家会長
 ◎学校薬剤師分科会
   日 時:9月13日(日)9:30〜12:30
   会 場:富山県民会館 キャッスル(8F)
   出席者:280名
   (1) あいさつ  目薬副会長 境野  学薬部会長 松尾(日学薬会長)
       日薬における日学薬の4つの事業について報告(1)ブロック会議
       (2)全国一斉調査(3)環境衛生研究会(4)ラジオによる学薬アワー
   (2) 報告、飲料水の全国一斉調査について
   (3) 特別講演 冨山医薬大 狐塚寛
       「学校薬剤師と環境教育について」
       (1) 環境問題の考え方の変化
       (2) 環境倫理について
       (3) 廃棄物と市民運動について
          廃棄物の行方についてリサイクルを含めて
          市民+生徒の中で学校薬剤師が如何に貢献するか。
   (4) 会員発表
       (1) 都市における学校現況 東京 岡本
          細菌、二酸化窒素、ホルムアルデヒド、
          ダニとアレルゲン量についての研究
       (2) 交通騒音と学校   冨山 飯野
       (3) スギ花粉の調査
          地方医療情報システムとネットワークを組む
       (4) 幼稚園における食生活の環境 冨山 石塚
       (5) 高校生に対する性教育 東京 福島
          (エイズ問題の中で)
       (6) 薬物乱用防止啓発活動 長野 池田
       (7) 学校職員に対する薬に関するアンケート結果について 岐阜 橋本
       (8) 服薬相談と学校薬剤師の役割 福岡 岡野
          学校の保健室を通して、薬の保管、使用についての指導
 イ.九州山口薬学大会
   出席者 三津家会長、吉田、木原各副会長、山手、小松、竹尾、橋口各理事
       野口県学薬副会長
 ウ.県学薬研修会について
     報告吉田副会長
   「学校環境衛生の基準」が改訂なったことから、出席者が多く盛会であったが、
   福岡市薬からの出席者が少なかった。今後共このような研修会には、多くの会
   員の出席をお願いしたい。

3.協議事項
 ア.2学期給食センター調査について
   11月25日を予定し、勧奨検便は14日迄に行う。
 イ.市学校保健大会発表について

委員会報告

【急患委員会】

日 時
9月4日(金)午後7時
場 所
市薬第一会議室
出席者
中島常務理事、成澤、市花各理事、馬場、中島、小松、竹尾、井上、打越、真鍋各委員

(1) 8月11日(火)の専門医会とパラメディカルの懇談会の報告
(2) 会長、専務理事から要望があった事務費補助の名目での出動費から500円徴収の件について
(3) 薬局業務手引」改訂版編集の業務分担について

 

【薬局委員会】

日 時
9月10日(木)午後9時
場 所
市薬第一会議室
出席者
中島常務理事、國武理事、本村、吉田、戸田、中野達也、中野勝郎各委員、鶴原理事、向井、笹野各情報委員

§ 漢方研修会
司 会・座長 中島常務理事
演 題 「皮膚疾患について」
講 師 大杉製薬(株)学術部次長 岡武重先生
受講者 126人

§ 薬局委員会
(1) 9月15日(火)の薬草観察下見の打ち合わせ
(2) 薬務課主催の「くすりと健康フェア」協力の件
    天神地下街イベントコーナー出動割当
    10月20日 中野達也、松島
      21日 図式、戸田
      22日 中野勝邸、森川
    なお吉田、中島は随時出動とする
(3) 各区保健所での「健康フェア」の打ち合わせ

日 時
9月15日(祭)午後9時
場 所
油山
出席者
中島常務理事、國武理事、本村、吉田、松島、中野勝郎、中野達也、戸田、森川各委員、坂田広報委員、冷川県薬常務理事

(1) 「薬草観察ハイキング」の下見
(2) 当日の役割分担について
    パンフレット、名札作り
    100人の参加者を5班に分けて、それぞれ委員が2人づつ担当するなど、
   詳細にわたって確認する。
(3) 「健康フェア」の打ち合わせ
   市薬としての統一テーマは作らず、各区にまかせる
(4) 薬局研修会の反省
(5) 次回漢方研修会について
    11月25日(水)「生薬の五味互性について」カネボウへ依頼の予定

日 時
10月4日(日)
場 所
油山市民の森
出席者
國武理事、松島、本村、中野勝郎、森川各委員、冷川県薬常務理事、大庭、篠崎正十郎

(1) 薬草観察の下見
    9月15日の第1回目のコースにはトイレがないことから、
    桧原、相原方面からのコースに決定
(2) 各区健康フェアの件で情報交換

日 時
10月17日(土)午後6時
場 所
市薬第一会議室
出席者
中島常務理事、國武理事、吉田、松島、中野勝都、中野達也、戸田、森川各委員、冷川県薬常務理事、大庭、有馬、松田、浜地(市役所)

(1) 午後2時から油山市民の森で最終チェック
   約50種類の薬草が認められた。
(2) 10月25日(日)の観察会について、詳細に決定
   名札と薬草小冊子を作成
   あいさつは松枝副会長
   クイズの賞品は「コンニャク」とする

日 時
10月25日(日)午前9時
場 所
油山市民の森
出席者
松枝副会長、中島常務理事、國武理事、吉田、松島、中野勝即、中野達也、戸田、森川、本村各委員、坂田、橋口各広報委員、冷川県薬常務理事、大庭、篠崎、有馬

市役所  恒吉、松田、浜地他
福岡市民 100人

イベント終了後、反省会をかねてキャンプ場でバーベキューパーティー。ご苦労さまでした。

 

【広報委員会】

日 時
10月30日(金)午後7時30分
場 所
市薬第一会議室
出席者
戸田専務理事、木原常務理事、樋口、坂田、橋口、荒巻各委員

(1) 9月号の反省と11月号の編集について
   ・掲載見送りになった会員の原稿について、戸田専務理事より説明。
   ・11月号の企画として、50号を記念して会報のネーミングを変更する件について、
    会員にFAXを使ってアンケートをお願いする。  
   ・記念号であるので、顧問の先生方にお願いすることとした。
(2) 会報のレタリング、表紙写真などについて検討。

研修会報告

【薬局委員会】

日 時
平成4年8月27日(木) 午後7時より
場 所
福岡市薬剤師会館・講堂(4F)
演 題
(1)「最近の薬務行政について」
  講師 福岡県業務課監視係長 上和田幸子先生
(2)「妊娠の原理と妊娠検査薬」
  講師 久光製薬(株)鳥栖研究所主任研究員 下園雄治先生
受講者
140名

この日の受講者はなんと140名!会場狭し!上和田係長より(1)の演題に沿って、先ず一般検査薬の広告、販売上の留意点を説明された。特に診断薬ではなく、あくまでも検査薬であること。そして高齢化社会に於けるセルフチュックの体制づくりの一環として認識してほしい、と。

次に医療用医薬品の、承認以外の用途での販売に対する、7月の立入検査の報告。(フロセミドをダイエットやアルコール排泄促進剤として販売されていた。)薬剤師の管理力を問われた。この時、会場は静けさも一層、上和田係長の声が響く。

そして、今仕事の柱となっている医薬分業に関する事業を述べられ、「福岡は分業率が25.6%と全国第4位、人口1,000人当りの処方せん枚数は第3位、薬局数1,872、又400点業務の病院数31となる。ここ1〜2年で医薬分業は更に進むであろう。面分業を成功させる為、会員の一層の研修を望みます。そして最後に薬務謀はこわい所ではなく愛される薬務謀であろうとしている。」と、優しいお声に会場はなごやかな雰囲気に包まれて時間となった。

坂田記

 

【薬局委員会】

日 時
平成4年9月10日(木)午後7時より
場 所
福岡市薬剤師会・講堂(4F)
演 題
「皮膚科疾患について」
講 師
大杉製薬(株)本社 学術部次長 岡武重先生
受講者
126名

 

【学術研修会】

日 時
平成4年9月25日(金)午後7時より
場 所
福岡市薬剤師会館・講堂(4F)
演 題
「プロスタグランディンの基礎と臨床」 −プロテスタグランディン関連製剤を中心として−
講 師
小野薬品工業(株)学術部 課長 加山直弘先生
受講者
103名

 

「貴・りえ」よりも大フィーバー
−第13回市薬ソフトボール大会−

11月8日(日)、折しも「童・りえ」フィーバーで沸く大相撲九州場所の初日、雲一つない秋晴れの下、第13回福岡市薬剤師会親睦ソフトボール大会が、7チーム参加のもと武田薬品のグラウンドで開催された。

三津家正友会長の挨拶の後、爆竹が鳴らされ、優勝旗返還、選手宣誓と続き、ルールの説明がなされ、全員でグラウンドを一周して、それぞれAパートとBパートに別れて熱戦を繰り広げた。

Aパートは三津家会長の、Bパートは松枝茂雄副会長の始球式で、それぞれ試合が開始された。

日頃、薬匙と乳棒しか持ったことのない先生方も、グローブとバットに持ちかえて猛ハッスル。

私も中央支部チームの選手の一員として参加した関係上、全試合を観戦することが出来ず、選手としてまた3塁の塁審(2試合)として目に触れた珍プレー、ファインプレーのみを書かせて頂くことをお許し願いたい。

先ず、Bパートで行われた早良・西支部チームと城南支部チームとの試合では、早良・西支部チームの紅一点の青柳豊子さんのプレーが素晴らしく華麗で、私の日を釘付けにした。

更に、城南支部チームの宮崎和人先生の回転しながらのファインプレー、打っては2本のホームランと大ハッスルに、「千円!千円!」の掛け声と共に大きな拍手が沸き起こり、観客を魅了した。

ハッスルしすぎて第1試合の途中に筋肉離れを起こされ、戦列を離れられたのが心残りだったが、その後もベンチから大きな声で応援され、ナインを優勝へと導かれた。

中央支部チームは、初戦で勤務薬剤師チームと対戦し、10対11で惜しくもサヨナラ負けを喫したが、試合内容もよく中央支部の三津家会長、松枝副会長も満足げであった。

更に、第2試合も城南支部チームと対戦し、10対10で迎えた7回裏、私の見事なエラーでサヨナラ負けをしてしまった。

昨年優勝の博多支部チームは、第2試合目東支部チームと対戦し、20対0の大差で放れ2戦2敗となり、2年連続優勝の夢は絶たれた。

いよいよ大会も大詰めを迎え、2勝した南支部チーム、勤務薬剤師チームと城南支部チームの問で、決勝進出をかけてジャンケンが行われ、勤務薬剤師チームと城南支部チームが決勝へ駒を進めた。

なお、3位決定戦は、ジャンケンで惜しくも放れた南支部チームと1勝1敗の東支部チームの間で行われた。

決勝戦は時間制限(50分間)なしの7回戦が行われ、城南支部チームが10対3で勝ち、優勝旗を手にした。

また、決勝戦で2本のホームランを放った城南支部チームの辛島朋行くんがMVPに輝いた。 更に、2試合連続サヨナラ負けを喫したが、最後の最後まで決勝進出チームを苦しめた、中央支部チームのエース辛島さんに敢闘賞が贈られ、親子受賞となった。 笑いと歓声に沸いた秋晴れの一日も肌寒さを感じ始めた頃、松枝副会長の閉会の挨拶があり、大フィーバーのうちに親睦ソフトボール大会は閉幕した。

対戦成績

勤務 11 − 10 中央
南  7 − 3 西
勤務 7 − 0 博多
南  9 − 6 東
城南 8 − 4 西
城南 10 − 9 中央
東  20 − 0 博多

三、四位決定戦

南  13 − 2 東

優勝戦

城南 10 − 3 勤務

ホームラン賞

南支部   福田  繁 3本
      森山健次郎 1本
      深見 俊彦 1本
      谷村 和生 1本
中央支部  古賀 英二 2本
西支部   平山 直樹 2本
      深町 泰三 1本
      逸木 智彦 1本
東支部   土器 秀明 1本
      黒崎 英康 1本
城南支部  出口 康弘 2本
      辛島 朋行 2本
      宮崎 和人 1本

(樋口)

ねむタイムにもかかわらず
“すこやかライフくすりセミナー”

さる10月28日(水)午後1時から福岡市役所15階講堂で、薬と健康の週間の一環として、“すこやかライフくすりのセミナー”が開催され、福岡県薬剤師会理事の大久保傲住先生が講師を務められました。

会場は200名程度の一般市民や関係者で満員となり、先生の講演を今か今かと待ち望み、 シーンと静まり返っていました。

私もよく公民館活動の一環である高齢者教室(老人大学講座)に招かれて、“薬の正しい使い方や基礎知識”についてお話させて頂く機会が多い為、先生の講演を拝聴するのを楽しみに出掛けた一人です。

司会者の紹介の後、壇上に立たれた先生はゆっくりとソフトな口調で、開局18年間の体験を織りまぜながら、漫画を描いたスライドを使って、約1時間“おくすりの正しい服用の仕方”について講演されました。

先生は冒頭に、医薬分業の意義と福岡県に於ける医薬分業の現状について話されました。

また、講演の中で、アメリカでは、患者さんが積極的に医師や薬剤師に、自分の飲んでいる薬のことを尋ねている。そして、患者さんの理解を得た上で医療が行われていると話されました。

とかく、わが国は患者さん不在の医療といわれており、この言葉が強く印象に残りました。

更に、薬の剤形と正しい服用の仕方については、坐薬を読んで字のごとく、きちんと正座して飲まれた患者さんや、食間に服用するお薬を、一口ご飯を食べては薬を飲むといったような患者さんがいたなどと、時折ジョークをまじえながら、退屈させることなく話を進められました。

なかでも、“老人とくすり”のお話は、参加者の殆どが中高年者だったこともあって、大いに役に立ったことだろうと思います。

先生は、ご自分のお父様の例を挙げながら、内科、眼科、整形外科と病院をはしごする時には、必ず自分が服用している薬をお医者さんに知らせるように注意を促されました。

ユニークな漫画を使われたスライドとわかりやすい丁寧な説明で、昼食後のねむタイムにもかかわらず、一人もコックリ、コックリすることがなく、真剣に聞き入ってあった姿が印象に残った。あっという間の1時間でした。

(樋口記)

「薬祖神祭」

日 時
平成4年10月23日(金)
場 所
福岡市博多区住吉神社境内

〈由 来〉薬祖神(神農さん)は古代中国の伝説上の帝王で、農耕を教え、一日百薬を食べ1薬草を発見し、中国の農業、医薬、音楽、占い、経済の祖神で、中国文化の源とされます。

一方、日本の薬祖神は大国主命、少彦名命であり、人々や家畜の病気の治療、獣や虫による害を払う呪文を教え、穀物の神様とされます。

薬祖神は奈良の三輪神社、大阪の少彦名神社、東京の五条大神社等が有名で、全国各地の神社に薬祖神として合祀されています。

少彦名神社(大阪)の大祭は、毎年11月22日、23日に、盛大に執り行なわれていますが、九州では、福岡住吉神社でしか行なわれていない、全国でも珍しい古代ゆかしい神事です。 神職の衣装を着た薬剤師が、神宮と一緒に神前で薬研(やげん)を使って薬を調合し、神前に奉納します。

薬剤師会への熱意
(薬祖神祭を終えて)
福岡県薬剤師会 薬局委員長 清田治秀

今回、初めて[薬祖神祭]に参加させて頂いた訳ですが、主賓は何といってもこの日薬事功労の県知事賞を受賞された先生方です。その中に、私が約10年前開業し薬剤師会にも入会させて頂いた当時の支部長だった有吉正行先生(宗像薬剤師会会長)がおられました。

「先生、受賞おめでとうございます」と言って声をかけると、私のような若造に「いやいやお世話になりましたなぁ」といって深々と頭を下げられるのです。私は一瞬妙な気分になってしまいました。

実は、10年前、薬剤師会の入会申し込みに行って私は先生から叱られているのです。

それは私が周りに誰も知人がいないという心細さから「必ず薬剤師会に入らないといけませんか?あまりメリットがないみたいだから県の会員だけになる訳にいきませんか?」という、今考えてもバカなことを当時は大まじめに、しかも軽い気持ちでお願いをしてしまったのです。

さあ大変!先生は顔色を変え「だから今時の薬剤師はケツの穴が細いと言うの!」から始まり「…目的を同じにする薬剤師が一致団結する為に薬剤師会に入会する。これは当然の事です!」の結論に至るまで延々と説教されました。

私は「大変な支部で開業してしまったなぁ…」と後悔しながら聞いたのをまだ昨日の事のように覚えています。その後、入会手続きをしに伺った時には「これからは若い先生に頑張ってもらわないといけません!」とにこやかに話されたのも覚えています。

そしてその後、奥様を亡くされ会長職をこなす日々は店を閉めてまでして奔走されていました。

その姿を見かね、先生のもとで支部のお手伝いをさせて頂いたのが始まりで現在に至っている訳です。先生はまだお元気とはいえ78才、もう立派な?おじいちゃん、そして孫みたいな私、その二人が[薬祖神祭]で主賓と主催側とに分かれて同席していたのは何かのいたずらでしょうか?

私が今回のように[薬祖神祭]に係わっているのは、元はと言えば先生から説教された“薬剤師会への熱意”であり、店を閉めてまでして奔走された“姿”にほかありません。あの時の出合いがなければ、私は会費を払うだけの一会員のままだったかも知れないのです。

私は現在に至るまで県薬、市薬、各地区薬の先生方に大変お世話になっています。その先生方は“薬剤師会への熱意”を持った先生ばかりです。ですから薬剤師会の為、奔走されている先生から何かを頼まれたら、できる限りお手伝いをさせて頂いています。今回のこの原稿も市薬のある先生お二人(坂田ざんと橋口さん)がニコッと微笑んで決めてしまったようなものです。

いま薬剤師会は色々な意味で大きな曲角にきています。分業、流通、生涯教育…それぞれに携わっている役員の先生方は日夜奔走されています。

今回、受賞された先生方が苦労されて築き上げた薬剤師会をさらに発展させる為皆様へ協力の要請があった時は尻込みせず、むげに断らず、応援して頂きたいものです。

また、協力以前の問題として各会報(目薬・県薬・市薬)等に良く目を通しておいてもらいたいものです。私も以前は正直に言ってあまり読んでいませんでした。しかし色々な役職の大変さを知るようになって目を通すようになりました。我々の手元に届く時は1冊の会報であっても大変な苦労や手間がかかってい るのです。

また、研修会等の案内もあります、時間や事情が許す限り出席して下さい。役員の先生方の準備等は大変なのです。その苦労を無駄にしないように、またそれは我々白身の為でもあると思うからです。

最後に、薬祖神祭を終えて、また色々なことを経験し多くの先生方にお世話になってしまった気がします。この誌面をお借りしてお礼申し上げます。本当に有難うございました。

【専務のデスクから】

「どおする!」 福岡市薬剤師会 専務理事 戸田昭洋

第26回臨時代議員会は去る9月26日(士)午後3時より市薬講堂において開催された。

議案通り、会有地シーサイドももちの建物を改築し、厚生省のいう、医薬分業推進支援センターに活用、その為の改築に時期、規模、設計内容、見積等については専門委員会を設け、十分、調査研究し成案を得たいので執行部にご一任の承認を願い、成案が出来た際には臨時代議員会を開催しその旨の承認を得ることで決議された。

又緊急動議で出された、分業推進特別会費に関しては継続審議となった。

代議員会が終わり飲みにいった。メーターがあがるにしたがって

「九大問題しかり、会有地を分業推進センターに活用する件にしても、資料不足で、なにか奥歯にもののはさまったような答弁ばかりだ」

「執行部はいったい何を考え、何をやろうとしているのか!」

「問題として重要なのは、会員のコンセンスを得ることだ。そしたら、執行部は世間でいう公開のルールにのっとって、その意思決定までのプロセスをもっと明確にする必要がある」

「明らかにされてないことが、問題なのだ!」

「会員からさまざまな異論が出るのをさけているのか、異論が出る方が正常であり、執行部の秘密主義では、異論のだしょうもない」

「どうして、そこまで神経質になるのか!」

「真実を言え、真実を!このままでは執行部と会員は対立してしまうゾ!」

「借金はどうするのか、今、ツケを払わないと、我々の子供の金を使うことになるゾ」

等々

もはや極限状態!!

こうすべきではなかったかもしれない、いやああすべきではなかったのか、アパートの部屋をいきつ戻りつしながら考える毎日

「もお帰ろう」

言いたいことは解っているつもり、腹も立とう、でも、いえないことは言えない。

ただ会長をはじめ執行部は会員の為、会のためを願って、考え行動している。

話は関連するが、

もはや色々な要素で、会の運営を抜本的に改革する時期が来た。

支部長先生を通じ具体的に問題を提起し漸次先生方にご意見をうかがっていくことになるが、会が先生方のためになにをなすかを問いたもうな、先生方が会のためになにを成し得るかを問うていただきたい。

執行部は先生方の英知より涌きたつ有意義なご意見を全員が全身を耳にして、待っております。

【広報通信】 見ても・聞いても・言わザル 福岡市薬剤師会 常務理事 木原三千代

『薬祖神祭』に参列した。この神事は従来筑紫二十日全で行なわれていたが、薬と健康の週間にちなみ、昨年から福岡県医薬品小売商業組合が主催するようになった。その時参列者に配られるのが、熊笹につけられた可愛い「張り子の虎」。これが二つになった。

ほんらい、市薬理事に参列資格はないが、マスコミさんも案内しているのでお手伝いをお願いしますということらしい。昨年は読売新聞だけだったが、今年は毎日新聞とテレビ局のFBS福岡もビデオカメラを持って取材に来ていた。

その時、初対面の毎日新聞・谷記者から「会報の先月号に=医療担当記者との懇談会=の記事がありましたね。デスクから、どうして毎日には案内がなかったんだと聞かれたんですよ」と言われた。一度もコンタクトを取ったことがないことから遠慮したと詫びながらも、会報がかなり読まれている様子に編集者としての責任を再認識。

そして、市薬会報11月号は記念すべき第50号にあたる。三津家会長が編集された第1号が、昭和53年7月。私が編集人となったのが10年後の63年7月。それから4年半で26回、厚さ5.5cmの会報を編集したことになる。

当時の古賀市薬会長から、広報を担当する理事にと指名されたのが会報との出会いであり、したこともない編集作業との悪戦苦闘の始まりだった。聞くところによると、「木原さんしか…」ではなく「でも」だったらしい。しかし、「でも」理事のわりには、広報は市薬のことは何でも知っていなければいけないからと、福岡市三師会をはじめ、いろんな所に連れていってくださった。=よかとぴあ、石井選挙、検査センター、会館建て替え=などの古賀会長時代の事業は、事ごとく5.5cmの中に詰め込まれている。

久々に投稿してくださった古賀顧問は、会報の表紙写真にまで思いを馳せてくださって いる。今にして思えば、よくぞしたい放題、書きたい放題の編集をさせてもらえたものだと本当に感謝している。

それにしても、最近の執行部はオフレコが多い。9月26日に開催された臨時代議員会でも、執行部から提示される資料が少ないために、代議員さんから「これでは、審議しようにも検討のしょうがないのではないか」と、かなりの不満が出ていた。たしかに、今月号の『専務のデスクから』に戸田専務理事が書いておられるように、情報を外部に漏らさないために、知らせないことが、結局は会員さんのためになるのか?

もちろん、執行部の理事としては理解できないことではない。それだけ、薬剤師が社会から注目を集めているということでもあろう。しかし、会報の編集者としてはこれで良いのだろうかと、惑う。

よく見て・よく聞き・言うのは会員サイドに立ってを、いま一度“自戒の念”にしたいのだが…。

市薬会報の名称変更について

先日お願いいたしましたFAXでの「名称変更について」のアンケートの結果、市薬会報は第50号を記念に「医薬ジャーナル」に変わりました。他にもいろいろ寄せられましたが、広報委員会で検討し、名称変更については理事会承認も得られました。

より会員のために、また外に向かっては、より薬剤師会をアピールする手段としての会報を目指す「市薬ジャーナル」。今後ますますのご支援をお願いします。

いまいづみ日記

○ハックション!風邪を引いた。名付けて“行監風邪”、とっても強力なウイルスでした。行政監察局から薬事に関する調査の協力依頼を受けたのです。
 さあ!たいへん。前夜は11時まで家族総動員で大掃除。そして当日は朝からソワソワ。その上、本番の1時間半はそれこそ緊張のしーっぱなし。疲れるはずです。
 でも、とっても丁重な調査でした。「院外処方せんを受け入れることでお困りのことや、行政に言いたいことなどありましたら遠慮なく」とのこと。えー!本当にいいのですかと、言わせてもらいましたよ。ホント、遠慮なく、目いっぱい。
 そして、国の出先機関である行政監察局が、医薬分業について調査をしていることは、とても意義あることに思えます。

(木原)

○表紙題字、いかがですか?なかなかモダンな変身で、何か薬剤師会が今にも発展しそうな、動きのある題字だと患います。
 広報委員になり、早や半年。しかも市薬の大切な時。無知な私にとってやはり、問題にぶつかってばかりで体のあちこち、打ち身だらけです。
 そういう折、「市薬の定款を見なきゃー」というお声を頂きました。それまで見もしなかった「定款」。そこには市薬会員の為、なすべき事柄が明確に謳ってありました。心強き支えです。そしてもう一つの支えは皆様のご指導、ご意見です。この支えがあってこそ、打ち身も傷を癒しながらやっていけるのではと思います。
 それと、定款を未だご覧になられていない先生がいらっしゃいましたら、この機会、是非、目を通されて下さい。市薬の会員名簿の1頁より載っています。

(坂田)

○木原先生の下働きのつもりで、首をつっこんだ広報の仕事でしたが、今、薬業界は大きな転換期。重大な決定を迫られる出来事が相次いでいます。私たち広報委員も自分の考えをキチンと持って行動しなければならなくなってきました。
 会員の皆様の意見を吸い上げ、自由な意見の交換の中から、それを糧として、薬剤師会が発展していくことが私たちの願いです。
 私たちが、ニコッと笑って原稿をお願いした折には、是非、ドンと胸をたたいて、引き受けて下さいネ。建設的なご意見をお待ちしています。

(橋口)

おめでとうございます

  藍綬褒賞       荒巻善之助先生 福岡県薬剤師会 会長
  薬事功労県知事表彰  大黒隆男 先生 (元)福岡市薬剤師会 理事
             金山一彦 先生 福岡県病院薬剤師会 副会長
             掘岡正義 先生 (元)福岡県病薬剤師会 会長
  九州山口薬学会長表彰 木村秀樹 先生 福岡県薬剤師会 理事
  県教育文化功労者表彰 堀江秀男 先生 福岡市学校薬剤師会 議長
  県学校保健会表彰   有田俊雄 先生
  市教育委員会表彰   松尾英熈 先生
  市学校保健会表彰   藤野嘉道 先生

【会員の移動】


訃 報

 松村定雄先生(享年91才)

 城南支部七隈部会「松村薬局」の松村定雄先生が、
 11月10日逝去されました。
 謹んでご冥福をお祈りいたします

会 務 日 誌 平成4年9月1日〜10月31日)

9月2日 第5回学薬理事会 19:00
  3日 各新聞社医療担当記者打合せ会 19:00(会長・合澤)
  4日 急患委員会 19:00
  5日 ビル管理業務打合 15:00
     学薬研修会 14:00 「シンナー乱用防止について」
  8日 平成4年度福岡市高齢者サービス総合調整推進会議(会長) 福岡国際ホール
     組織委員会 19:00
     広報委員会 19:00
  9日 常務理事打ち合わせ会 19:00
  10日 福岡地区地域保健医療対策協議会(専務) 自治会館 14:00
     漢方研究会 19:00
  11日 目薬学術大会(冨山市)
  15日 「油山」薬草観察下見
  16日 薬局実務研修委員会 19:00
  17日 金有地検討委員会 19:00
  24日 九大院外処方せん説明会 19:00
  25日 松田一夫先生慰労感謝の会(三津家・細井・松枝)
     薬物療法研究会 19:00
  26日 臨時代議員会 15:00
  30日 三師会 18:30 会長・副会長・専務理事
10月1日 南区、筑紫地区、両病院応需打合
  2日 中央区健康フェア92
  3日 九州・山口学術大会(山口市)
  4日 九州・山口学術大会(山口市)
     薬草観察下見(油山市民の森)
  8日 西区健康フェア
     会営薬局建設委員会 21:00
  13日 早良区健康フェスティバル
  14日 南区健康フェア
  15日 城南区健康フェア
     会営薬局建設委員会 19:00
  16日 東区健康展
  17日 薬局委員会
  19日 社保委員・南区代表打合会 19:00
  20日 博多区健康フェスティバル
     理事会 19:00
  21日 薬局実務研修委員会 15:00
  23日 薬事功労福岡県知事表彰(大黒隆男、金山一彦)
  24日 薬局実務研修会
  25日 薬局実務研修会
  25日 薬草観察ハイキング(油山市民の森)
  26日 福岡市健康フェア92「健康づくり発表会と講演の集い」 13:30 市役所講堂
  27日 第6回学薬理事会 19:00
  28日 すこやかライフくすりのセミナー 市役所講堂
  30日 広報委員会 19:30
  31日 第25回十大市歯科医師全役員連絡協議会懇親会 18:00(会長)

“りぶる”購読のおねがい

りぶるは自民党広報局から発行されている女性向けの月刊誌です。

石井道子参議院議員が自民党女性局長をされている関係で薬剤師への購読よびかけをしていらっしゃいます。

本年5月号には看護特集が組まれました。来年には薬剤師特集を組みたいという事で、そのために薬剤師の購読者の実績をあげたいのです。

ちなみに年間購読料は2,060円です。

ご協力頂ける方は福岡市薬剤師会、城戸宛ご連絡をお願い致します。

[編集後記]

○この50号が皆様のお手もとに届くころにはもう冬。一年があっという間に過ぎていって、我ながら忙しい毎日を送っているんだなァと思います。
 ところで我が家では、夏の終りごろから、6才の娘も混えて、終末期医療について、真剣な討論がなされています。
 発端は娘がコロギを捕まえて来たからで、残り物の野菜を良く食べ、良い声で鳴いて、皆を楽しませてくれました。
 しかし、秋の気配が濃くなってくると、皆の気持ちに迷いが生じてきました。最後は野に帰してやるべきか、家で飼っていた方が長生き出来るから良いか。
 迷っているうちに、野に帰すと、本当にすぐ昇天しそうなくらい寒くなってしまって、帰すに帰せなくなってしまいました。
 今でも時々鳴いて、延命記録を更新し続けています。…(11月6日永眠)

(橋口)

○10月、11月は行楽やスポーツの秋、市薬も薬草観察会、ソフトボール大会とアウトドアの行事が続きました。戸外の空気を一杯吸うってこんなにさわやかな事だったのかと、改めて感激したのです。幼い頃、田んぼや小川で日が暮れるまで遊んだ日々が懐かしい。
 それに抽山でのバーベキューの美味しかったこと!森川先生の奥様、ありがとうございました。あれほどの沢山の材料だったのに見事に全部消えてしまいました。来年は是非、ご参加下さい。
 中島先生、薬草観察会、お疲れ様でした。成功裏に終わって良かったですね。その成功の陰にトイレあり!な−んてことはないけど、トイレありがとうございました。

○「ウソーツ!」ということばは流石、口から出なかったものの、(だから余計に年を感じる)「貴花田と宮沢りえ」の発表には聞いてビックリ。広報の原稿も中断して娘達の見ているテレビ、新聞を覗く。「相撲も結婚も早く親を追い抜きたい。」あどけない顔の中、男らしさを見た。我家の長女も同じ位の年齢である。 青春真最中なのだろうと改めて患い横顔をながめた。再び原稿にもどる。

○薬局の有線放送、11月に入るやクリスマスソングが日増しに多くなり、いっの問にか、口ずさむ日々です。街にはツリーのイルミネーションの綺麗なこと。クリスマス、年末という言葉の響きは何かせわしなくなりますね。そして一年のうちで最も薬局の店頭も忙しく活気のある月、師走。会員の皆様のご健闘をお祈りしています。

(坂田)

平成4年11月30日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人  三津家 正 友
編集入  木 原 三千代
広報委員 樋 口 昌 嗣
     坂 田 博 子
     橋 口 扶佐子
     荒 巻   滋
印刷所  (有)興英社印刷