■ 巻 頭 言
勤務薬剤師会とは 福岡地区勤務薬剤師会 会長 豊福和登

新年明けましておめでとうございます。

先の医療法改正により〔薬剤師は医療の担い手〕と明記され、その法的責任の重大さを忘れる事は出来ません。今年はその責任を十二分に遂行する為の自己研讃と協調とを必要とする一番苦しい年だと思います。

【福岡地区勤務薬剤師会】の名称を初めて耳にされる先生方も多数いらっしゃるかと思います。旧名称は【福岡市薬剤師会勤務部会】と呼称していましたので先生方は市薬の職種部会かと思ってられたでしょうが、実は違うのです。昭和57年の市薬会報に「勤務部会の実像」と題して吉本喜四郎先生(元市薬副会長)が寄稿されています。一読頂くと全員の職種の複雑な絡みがお解りになると思います。時は経ち医療行政の急激な変化に対応出来るような組織にすっきりさせようと今回の組織改革に踏み切った次第です。

市薬においても定款改正の作業が合澤常務理事を中心に進められていますので、私共も長年誤解されていた勤務部会の全容を明確にするため、長谷川先生(現市薬副会長:現勤務薬剤師会副会長)を中心に勤務部会の定款改正の原案作成作業をして頂だき、平成4年6月13日総会にて可決しましたので、市薬定款改正の中に協力関係団体としての関わりを明記して頂くよう作業を急いだのです。

発会年月日は昭和26年8月11日であり、県病薬の発足(昭和31年8月11日)より5年前です。当時は、病院勤務薬剤師と行政勤務薬剤師の相互親睦を目的として設立され、その後県病薬の福岡支部の働きを果たしていました。しかし、時代の移り代わりで我々以外の薬局勤務薬剤師の若い先生方の入会希望が増え、昭和51年に〔準会員制度〕を設けたのです。そして、昨年名称を〔福岡地区勤務薬剤師会〕と改め、全ての会員を〔正会員〕と改正しました。

平成4年9月17日現在会員数は486名を数えます。この機会に面目一新を計り、会のより活性化を目指しています。調剤薬局部門の会員も58名を数え、新理事に副島先生(薬局白十字)に参加して頂き、お互いの目的である〔患者さんに信頼される薬剤師〕を目指し研讃・努力・協調を培って行くために知恵を出して頂いています。より多くの賛同者を求めていますので入会(年会費:3000円)をお 待ちしています。

 

 定款一部抜粋

 目 的

第三条
本会は会員の学術及び職能の向上に努め、関係団体と協力し福岡地区における医療・公衆衛生福祉の増進に寄与すると共に会員相互の親睦を図ることを目的とする。
第五条
本会の会員は福岡市の周辺地区(大野城市・春日市・太宰府市・筑紫野市・宗像市・糸島郡・柏屋郡・宗像郡・筑紫郡)の病院・診療所・官公庁・薬局などに勤務する薬剤師で本会の主旨に賛同するものを会員とする。
 付 則

3.関係団体
 (1) 本会は社団法人日本病院薬剤師会・福岡県病院薬剤師会・社団法人福岡市薬剤師会を
  関係団体として協力する。
 (2) 本会は福岡県病院薬剤師会と緊密な連携を保ち、福岡地区支部としての事業協力を行
  う。
 (3) 本会は社団法人福岡市薬剤師会が行う下記事業について協力する
  a)学術委員会が行う事業及び学術に関する事項
  b)急患委員会が行う急患診療業務及びこれに関する研修・研究事業
  c)その他本会理事会が必要と認めた事業


以上が〔福岡埴区勤務薬剤師会〕の概要であります。魅力ある底辺の広い会に育て上げたいと、目下のところ理事の先生方には試行錯誤しながら活動をして頂いています。

会の紹介の機会を下さった木原先生にお礼申し上げます。

(福岡市薬剤師会監事)

<フォーラム> 医療法改正と薬剤師 福岡市薬剤師会 常務理事 中島英之

我々を囲む医療の環境は、今、大きく変ろうとしている。医療改革の大きな津波が押し寄せてきている。大きな津波とは、薬価の算定方式の見直し、流通改革、独禁法の厳密運用による再販制度廃止?医療費の定額制導入による医療費激減?世界的な医の倫理の重視、インフォームドコンセントの実施、患者が知る権利を主張・医療の公開、チーム医療の進展から24時間業務の問題、病院薬局では外来患者の調剤中心から病棟業務の推進、在宅老人対策への参加、大店法の改正など、挙げればきりがない。その津波を乗り越えるだけの強固な足腰を作っておかなければ、その津波が去った後の状況が気になるところである。

医療法は、昭和23年に制定された。昭和23年といえば、戦後間もないころで、街には、傷痍軍人や進駐軍の姿が多く見られ、道はデコポコ、ビルディングはほとんどないし、病院はバラック建て、食料不足で、バナナのたたき売りに人が群がっていた時代である。そして24年には、新学校制度で男女共学がスタートし、日本で初めて私鉄ストライキが行なわれた年でもあった。このような時代であったので、その医療法の内容も、医療機関の量的整備や、医療水準の確保を図る施設基準等についてであった。その後、昭和60年に、人口の高齢化、医療技術の進歩、急性疾患より慢性疾患が多くなった疾病構造の変化に即応した医療機関の質的整備への第一次改正が行なわれたが、いわゆるマイナーチェンジと言えるもので、抜本的な改正は今回が初めてである。実に44年ぶりであった。この経緯については、県薬会報Vol.5 No.71992に倉田憲治専務理事が詳しく述べられている由で参照していただきたい。

今回の改正のポイントは数点あるが(資料1)、最大のポイントは、「薬剤師が、医療の担い手に、医師、歯科医師と同列で明記された。」ことである。(資料2 第1条の2、第1条の4)このことの意義と薬剤師の責任、義務について考えてみたい。まず、44年間もなぜ、薬剤師が医療の担い手(いわゆる医療人)ではないのか?を考えて見るとわかりやすい。

医療法には、医療提供施設としては、病院、診療所だけが規定されている。薬局は、利益を追求する施設であって、医療やリハビリテーションするところではなかったので、医療提供施設ではない。このような判断になっている。薬局は広告、宣伝できるが、病院、診療所には厳しい制約がある。又、税法上でも、薬局は商法の適用を受ける。これらを考えれば明白だと思う。将来、改正を期待するポイントである。このような考え方から、病院、診療所の管理者である医師、歯科医師が医療の担い手ということであった。それ以外の薬剤師を含む医療従事者は、医師、歯科医師の指示に従って業務するのだから、医療の担い手ではない、という論理である。

しかし、チーム医療といわれる今日、医療の担い手は、本当に、医師、歯科医師だけなのだろうか?と疑問は残った。薬剤師にとって、薬剤師法第19条(資料3)の調剤権は、薬如師のみに与えられた権利で、医師、歯科医師の管理下にあるものではなく、独立した業務である。看護婦も診療上の業務は医師、歯科医師の指示のもとにあるが、患者への療養上の世話は独立した業務である、という主張が認められて、薬剤師、看護婦が医師、歯科医師と同列で診療の担い手に明記されたわけである。しかし、臨床検査技師や放射線技師は、医師、歯科医師の指示の元でのみ業務を行うということで、今回の改正でも見送られた。

薬剤師法第1条(資料3)によると、薬剤師の任務は、調剤、医薬品の供給、その他薬事衛生をつかさどる、の3点である。しかし、薬剤師に与えられた業瘍独占の権利は、第19条の調剤権のみである。第19条の権利は、第21条の義務につながってくる。医師、歯科医師が受診に来院した患者の診療を拒めないのと同様に、「薬剤師は、正当な理由がなければ、調剤を拒んではならない。」と明記されている。権利が与えられれば、義務、責任が生じるのは当然の理である。薬剤師は、医療の担い手として仲間入りした以上、この意味を深く肝に命じなければならない。厚生省の役人の中には、「常習的に調剤を拒む薬剤師は薬剤師として適確であろうか?」さらに進んで、「調剤拒否する薬剤師が管理する薬局は、存在する必要があるのか?」と非常にきびしく指摘される人が、多数おられる。我々は、このきびしい指摘の意味と共に、薬局、薬剤師の将来を見すえて、真剣に考えてみたいところである。

薬剤師法第24条の疑義照会の条文も、さらに大きな意味を持つようになった。従来は、処方せんに従って、忠実にまちがいなく調剤して、まちがいなく患者が服用しておれば、薬が原因で、患者に医療事故が発生した時も、その責任は処方医に課せられていた。しかし、今回からは、薬剤師は、医師、歯科医師と同列の担い手になったのだから、もし、その医療事故の原因が、投与量のミスや患者のアレルギー歴、副作用歴など、薬剤師が当然知っておくべき内容で疑義照会すれば、その事故が防止できるものであれば、薬剤師もきびしく責任を問われることは、当然考えられる。薬剤師は、処方せんの中の疑義を発見できる実力をつけなければならない。そのためには、薬剤師会も取り組んでいる研修の充実が不可欠になる。

研修の必要性は(資料2)第1条4の3でもとりあげられた。又、アレルギー歴、副作用歴の件では、言うまでもなく、薬歴を完備して、適確に利用できるように準備しておかなくてはいけない。今回の改正でも(資料1)、(資料2)第1条4の2のように、「薬剤師は医療提供施設間の情報の受け手」と明記され、薬歴を充実させる必要性はより明白になった。

医療法改正の2番目のポイントは、医療施設機能の体系化がなされたことである。「特定機能病院」とは、高度の医療のための人員、設備を備えた病院で、薬剤師の配置が明記され、医薬品情報管理室の配置について省令で規程が予定されている。診療の体系は、一般の病院、診療所からの紹介に基づく受診が基本になる。大学病院本院、国立ガンセンター、国立循環器病センターなどが該当する。「療養型病床群」とは、病院の中に、長期入院患者の生活面を配慮して、看護補助者などの人員や機能訓練室などの設備を備えた病床群を設けることである。

医療法改正の3番目のポイントは、医療に関する正確で適切な情報を、患者が容易に入手できるように条件が整備されたことである。院外処方せんを発行する時は、その旨を院内表示することなどが、これにあたる。

次に、医療法改正の大切なポイントは、インフォームドコンセントに関することである。インフォームドコンセントの重要性については、今さら論を待たないが、患者の病態や病気によって、いろいろなケースが考えられるので、条文でその条件を規制することは、難しいことから、附則の形で盛り込まれた。(資料1、2)附則第2条に明白に記載されている。後半の部分の、医療の担い手を薬剤師、医療を提供を調剤、医療を受ける者を患者、適切な説明を服薬指導に置きかえてみれば、大変わかりやすい。すなはち「薬剤師が調剤するに当たり、適切な服薬指導を行い、患者の理解を得るよう配慮することに関し検討を加え、その結果に基づいて必要な措置をこうずるものとする。」薬剤師の日常の業務の指針が明快に示されている。

結論として、薬剤師は日頃の研修を重ね、患者の心理を理解して、服薬指導を充実したものとし、患者から得られる情報を、医師、歯科医師にフィードバックすべきポイントについては、ある場合は疑義照会として、ある場合は処方設計への参加としていくことが、国民に対して、「薬剤師は医療の担い手である。」という真のコンセンサスを得ることになると思う。

薬剤師国家試験出題見直しの記事(資料4)が、先日の朝日新聞夕刊に掲載されていた、この内容こそが、薬剤師の進むべき道を示唆している。

 

〈資 料1〉

  医療法改正のポイント(薬剤師関係)

1.医療のめざすべき方向の明示
 −医療提供の理念規程を整備
 ・医療の担い手に、医師、歯科医師と同列で薬剤師を明記
 ・医療提供施設間の連係の情報の受け手に薬剤師を明記

2.医療施設機能の体系化
 (1) 特定機能病院
  ・薬剤師の配置を明記
  ・医薬品情報管理室(仮称)を省令での規定を検討予定
 (2) 療養型病床群

3.医療に関する適切な情報提供
 ・処方せん発行の有無等

附則にインフォームドコンセントが記載

薬剤師も医療の担い手として、医療を受ける者との信頼関係を築くため説明を行い理解を得るよう求められている

(厚生省 池谷壮一)

 

〈資 料2〉

  修正条文(薬剤師関係)

第1条の2

 医療は生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、蓋剋塵、看護婦その他医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かっ適切なものでなければならない。

第1条の4

 医師、歯科医師、蓋剋塾、看護婦その他医療の担い手は、第1条の2に規定する理念に基づき、医療を受ける者に対し、良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならない。

第1条4の2

 医療提供施設において診療に従事する医師、歯科医師は、医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連係に資するため、必要に応じ、医療を受ける者を他の医療提供施設に紹介し、その診療に必要な限度において医療を受ける者の診療又は調剤に関する情報をその他の医療提供施設において診療又は調剤に従事する医師、歯科医師又は薬剤師に提供し、及びその他必要な処置を講ずるよう努めなければならない。

第1条4の3

 医療提供施設の開設者及び管理者は、医療技術の普及及び医療の効率的な提供に資するため、当該医療提供施設の建物または設備を、当該医療提供施設に勤務しない医師、歯科医師、薬剤師、看護婦その他の医療の担い手の診療、研究または研修のために利用させるよう配慮しなければならない。

第22条の2

 特定機能病院は、第21条第1項(第1号、第1号の2及び第14号を除く。)に定めるもののほか、厚生省令の定めるところにより、次に掲げる人員及び施設を有し、かつ、記録を備えて置かなければならない。
一 厚生省令で定める員数の医師、歯科医師、薬剤師、看護婦その他の従事者
二〜 省略
六 その他厚生省令で定める施設(医療品情報管理室を予定)

附則第2条(検討等)

 政府は、医師、歯科医師、薬剤師、看護婦その他の医療の担い手を医療を受けるものとの信頼関係をより促進するため、医療の担い手が、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう配慮することに関して検討を加え、その結果に基づいて必要な措置をこうずるものとする。

(厚生省 池谷壮一)

 

〈資 料3〉

  薬剤師法

昭和35.8.10
法1.4.6
施行 昭和36.2.1

第1章 総則

(薬剤師の任務)
第1条 薬剤師は、調剤、医薬品の供給その他薬事衛生をつかさどることによって、公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。

(調剤)
第19条 薬剤師でない者は、販売又は授与の目的で調剤してはならない。ただし、医師若しくは歯科医師が次に掲げる場合において自己の処方せんにより自ら調剤するとき、又は獣医師が自己の処方せんにより自ら調剤するときは、この限りではない。
1 患者又は現にその看護に当たっている者が特にその医師又は歯科医師から薬剤の交付を受けることを希望する旨を申し出た場合
2 医師法(昭和23年法律第201号)第22粂各号の場合又は歯科医師法(昭和23年法律第202号)第21条各号の場合
〔処方せん〕−医師22、歯師21、附則一法29、31(2)

(名称の使用制限)
第21条 薬剤師でなければ、薬剤師又はこれにまざらわしい名称を用いてはならない。
附則一法32

(調剤の求めに応ずる義務)
第21条 調剤に従事する薬剤師は、調剤の求めがあった場合には、正当な理由がなければ、これを拒んではならない。

(調剤の場所)
第22条 薬剤師は、薬局以外の場所で、販売又は授与の目的で調剤してはならない。ただし、病院若しくは診療所又は家畜診療施設の調剤所において、その病院若しくは診療所又は家畜診療施設で診療に従事する医師著しくは歯科医師又は獣医師の処方せんによって調剤する場合及び厚生省令で別段の定めをした場合は、この限りでない。 「薬局」−薬事二X「厚生省令」−規則13附則−法30(2)

(処方せんによる調剤)
第23条 薬剤師は、医師、歯科医師又は獣医師の処方せんによらなければ、販売又は授与の目的で調剤してはならない。
2 薬剤師は、処方せんに記載された医薬品につき、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師の同意を得た場合を除くほか、これを変更して調剤してはならない。
「処方せん」の記載事項−医師規則21、歯医規則20 附則−法30(2)

(処方せん中の疑義)
第24集 薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない。
附則−法31(3)

〈資 料4〉

  

<私と薬> 「課長の椅子」とくすり 福岡市教育委員会 学校保健課課長 大田秋

学生時代は化学が専攻で、発癌物質の研究をしていた。薬品を使用するのは当然のことで、青酸ガスなど猛毒とされるようなものも扱っていたため薬品に対しては割合クールな態度が身についていた。市販のくすりについても「気休めで効きやせん」という考え方を底流に持っていたようで、例えばドリンク剤にしても効かないと思って飲むので当然効果も無い。そうはいいながらも常用していたくすりがあった。暴飲また暴飲のあとは胃の部分に手を当てて背中をまるくしていたが、このような時には市販の粉末胃腸薬をよくのんでいた。このくすりは一時的に痛みを和らげる効果があるような気がして服用していたが、本当に効果があったかどうかは疑わしい。そのような状態が学生時代から40才台後半まで続いた。

ある時、いっしょにプレーしていたゴルフの先輩が、「痛い痛いと言っている間はよいが、けいれんが来るようになるともういかん、とうとう胃を切るハメになった」と話していたのを妙に記憶していた。それからものの半年も経ったころ、自分にそのような状態がやってきた。いくら酒でごまかそうとしてもくすりをのんでも痛みが消えない。すべての体力と思考力がこの痛みと格蹄し、もはやこの世の中にそれ以外のものは見ても見えず聞いても聞こえずである。「もしこの痛みさえなければ、信長、家康なにするものぞ、刻苦勉励必ずや一業を成さんものを」という心境である。そのうち大量の吐血もあり、何とかしなければと思っていたある日、所用で庁舎を出て10歩ほど行ったところで「これは危ない」と直感した。部屋にいそいでもどり、自席に座ったとたん昏倒してしまった。

気がついてみるとみんなが私を見おろしている。つまり自分は床に寝ている。意識ははっきりしており、みっともないので何とか椅子に座りなおしたが、周囲の目が自分に集まっている。その日は「しめた。課長のポストが一つあいた」と考えているようにも見える。間もなく寝台に乗せられ、廊下を走り、エレベーターで降りて庁舎玄関先に着くと救急車が待っている。「どこへ」「○○病院へ」という短い会話が聞こえたあと、救急車は「ピーポーピーポという音とともに猛スピードで走り続けた。いや、そんな気がした。しかし実際には「ピーポー」と一声鳴いたらもう着いた。それもそのはずで、○○病院と庁舎はピッチングウエッジでハーフショット距離である。おそらくこれは、救急車利用最短距離としてギネスブックものであろう。

病院ではすぐに医師による問診などがあったが緊急の手術や輸血が必要ということでもなく、ゆっくりしている。そのうちに子供を連れてうちのかみさんがやって来たが驚く様子でもなく「そうなるだろうと思ってました」と、かわいくないことをぬかしおる。内視鏡その他による診察の結果は相当にひどい状態であるが、注射、点滴をやりながら様子をみたうえで手術することになるような話だったので、やむなしとあきらめていた。ところがである。入院2日目には悪魔のごとく全身をしぼりつけていたあの痛みが雲散霧消している。主治医も「おや?これなら手術しなくても…」という内視鏡による診断である。

優等生患者だったためか、名医とくすりのおかげか、手術することなく約2ヶ月で退院。その後もくすりは続けて服用しているが、「きのうはビール、きょうは酒」と生活ぶりは以前とほとんど変わらない。しかし胃の痛みを感じたことは入院2日目以後ただの一度も無い。この痛みがなくなったら「刻苦勉励して何をかなさん…」などというむつかしいことも忘れてしまった。

胃に穴があくほどの出血性胃潰瘍がくすりだけで治るなんて今でも信じられないような気がする。くすりもどんどん進展しているらしい。そういえば、最近ドリンク剤はよく効くようである。

<会員の広場> 薬局今昔
昭和10年前後
福岡市薬剤師会 顧問 富永泰資

あけましてお目出とうございます。昨年は九大病院外来処方箋発行という変化が生じ、県市薬局界に不安と動揺と又喜びと期待という二面が現われ、市薬役員各位には大変な年であったろうと存じますが、今年はこれを更に発展定着させる為に更なるご努力を強く期待いたします。さて薬局今昔昭和編に移ります。

明治の苦難を経た大正時代は文明開化の世相の中、薬業界もその余光に預り輸入制度の不馴れな中にも薬剤師という制度が確立され、形の上では文明の仲間意識を持った時代ではなかったかと思われる。

武田、塩野義、田辺等の大新薬メーカーが、又一方富山を中心とする売薬メーカーも大阪、東京更には地方にも数多く出現し埋もれた古薬、あるいは新売調合の売薬といわれるものが数多く出てきたが、医師も少なく又患者は薬局で薬が買える認識が不徹底のため、苦労して取得した薬剤師免許は制度の不備と相侯って、十分に活用出来ず、先号に記したように関連商品を中心とする多品種販売により、そ の活路を見出し努力していたと思われる。

文明開化の時代の波は少しはこの様な薬局にも好結果をもたらした様に患われる。しかし当地方は福岡市より約2〜30kmの片田舎。人口千人にも満たぬ地。交通は不便商品運搬は人の背、馬の背の時代から車力、馬車と大量輸送用具に変化し、遂に大正末期に子供の走る早さと殆ど変らず、又傾斜10度の坂道では乗客が後押しをせねばならぬ蒸気汽車が今川橋まで開通し時間はかかっても大量輸送が出来、片田舎にも文明開化の余恵を受けられる時代に感謝していたものの様子。それが昭和の声を聞くと筑肥線が開通し前の汽車と雲泥の差であるスピード・力、さらには輸送量・文明の有難さに驚きと感謝を持ったことであろう。

小生は大正10年生。この頃前記取扱商品にあったビール等の重量商品があるため、また時代の急速な変化のためか現在地移転。店員3〜4人をおき自転車にリヤカーをつけての外商配達が主営業という状況。店小売りは薬のクの字は1日数人。他は現在の部外品化粧品それにしても客数は10〜20人、これでは小売での営業が出来よう筈がない。それで前記の如く酒屋がまだ知らぬ、一般はクスリと思っているビールに主力を置き、関連の缶詰・清涼飲料水等を取扱い、遠隔の医家に隔日に配達する医薬品と共に料飲店、酒屋等に配達の毎日となる。

しかしこれ等はあくまでも副業的なもので、本業の薬局を忘れていたのではない。医家への局方品の配達は勿論、各山間僻地の売薬雑貨店(現在はそんな許可はないが終戦前まではたしかに3号業者?としてあった)に売薬の配達もしていた。又自家製剤もカゼ・セキ、胃腸薬、下痢止め、傷薬、吸出し等々10数種製造。これが自家製の食酢と共に薬局経営の大黒柱であった様に記憶する。

4人店員を雇っての経営なるが故に大変であったと思う。そのためには現在では考えられないだろうが、昔の映画によくでていた大阪の商家のデッチさんと同様、1日中自転車に重い荷を積み10数Kmの山坂を走ってきて、夜は子供まで加わり10時頃まで製剤の分包、包装をするのが毎日の日課。また店番は客数が少ないため、終日接客片手に分包、包装等々大忙しの毎日。これ程にせねばこの地での薬局は成り立たなかった様だ。昭和に入ると文明開化の好景気は次第に下降線をたどり大恐慌となる。

私がこの頃最も印象深いのは、父に連れられ盆正月前に博多に行ったことである。昔は仕入れの支払いは盆正月年2回、(これは店頭売掛の集金も同じで共に夜中までも走りまわっての仕事)の博多行き、汽車が走る様になっても博多に出るのは珍らしい。コースが常に同じ博多駅−中洲−峰松ハカタ薬局(玉屋前)−精々堂薬局−川口屋−梁井−井上善商店その他瓜生化粧品店、白水塗料店、鏡川商店(ビール)と中洲から呉服町間をまわり博多駅へ歩いてまわる。少くとも呉服町から駅までは電車に乗せてくれてもと思うが全くなく歩いてばかり。中食は現在もある千里十里でとり、時には精々堂で頂くこともあった様に記憶する。しかし帰りの汽車では必ず子供の私まで重曹、健末等の落しても割れない薬品が持たされて、行きは良い良い帰りは怖いのたとえの通りであった。

私は昭和8年春、名島海岸にて水上飛行機に乗り室見川往復を楽しんだことがある。この時の博多湾は現在の南方サンゴの海の如く透明で青く綺麗で非常に印象深く脳裡に残っており今日では想像もつかまい。これは先に書いたサクラビールの招待会で、参加者皆初めての飛行機で恐らく上にいる間中顔面蒼白ではなかったかと思われる。サクラビールは門司に工場があり新飲料水のため売込が盛んで、それだけにサービスも招待から景品まで盛沢山であった。特に景品は王冠の裏に1銭、5銭、10銭等の印刷があり、現金との交換である。その整理も夜の仕事の一つでワイワィ、ガヤガヤやったものだ。

次に軟膏製剤。倉庫の軒下に七輪に木炭を熱源とし、大鉄鍋(薬2万cc)に蜜蝋、松脂を熔かし白煙が止むまで数日間撹絆しながらたくわけであるがこれがきまって真夏の暑い時。何故冬に造らぬかと思っていたらまず冬は冷えが早く厳しいために翌日熔けるまでに時間と燃料が多く要る。即ち経費節約と製造日数節減のためである。しかし側で撹拌している者は暑くてたまったものではない。この時は必ず父が別の仕事をしながら近くに居る。また唐米袋を切り開き水に濡らして近くにおいてある。蜜蝋に引火した時のためだ。現在の規制ではとても考えられない状況の下での自家製剤製造である。

この軟膏の容器は何と思われるか。蛤の貝殻である。2千貝、3千貝と云ってもわからないであろう。藁カマス1俵にはいる貝の大きさのことだ。即ち一俵にて千個入る貝は3千個入る貝より大きく、軟膏の量も3g位多いと云うことである。吸出しは3千貝、傷薬は2銭貝と決っていた様だ。之は全て宮崎から送られてくる。貝殻ほど軟膏容器に便利なものはないと思う。ガーゼを薬にのべる際に軟膏ベラがいらない。貝のフタの尖った方で薬を薄く伸べることが出来る。

この貝で忘れられないことがある。3千貝の○○と書いた箱から店員が貝カラを取り出しては合体させているが中々合はず苦労している。何故かと思ったら、貝の片方が割れて片方が残っているその残った物を合わせているのであるが、色・模様・形は寸分ちがわぬ様に見えても本来の対の貝殻の様には合体しない。成人して○○の意味することが分り、簡にして明なる言葉だとつくづく関心した。

さて薬剤師の仕事は如何に。医薬分業が目的の制度であるが医師も薬剤師も患者も現代と殆ど変わらぬ状態で、患者は医師より薬を貰い薬剤師は売薬雑品販売の形態であったが、時たま九大病院からの処方箋が来ていた様である。しかも二回目以降は処方箋なしで投薬をしていた。この事は交通の便悪いがために次の様な使方が許されていたのではないか。すなわち最初の処方箋を処方録に書き止めその横に投薬日時を記入された処方録なるものがあるが、現在はゆるされていない。その処方録には劇薬は勿論毒薬、麻薬までも処方されており調剤投薬していた様子。特に麻薬においては現在では考えられない雑な取扱いであった様だ。

不景気が続いた昭和十年頃、麻薬を求めてうろつく不労者が年3〜4回は来店する。店頭にウズクまり、寝ころび来客の邪魔をする。あるいは近所の銀行等の外壁の片隅に、何日もウズクまり麻薬をネダる。その都度、近所は不安と同情にて落着かず警察に処理を頼むことになる。しかもその様な人々は大学は出たけれど職につけぬインテリが多かったのではないかと思われる。

この様な状況の中でもこの片田舎で薬局をやって行かねばならずそのためには町外からの人集めをせねばならない。さいわい駅が出来ていたがためにこれを中心とした集客策としてく第一に道路、農業倉庫、野菜市場等農家対象の施策実行のため、父は奔走していた様だ。わが街はその時代と余り変ってはいないが21世紀には如何変貌するやら楽しみである。

<会員の広場> 「さわやかライフくすりのセミナー」発表をおえて 南支部 井尻部会 菊水薬局 大久保傲住

「10月28日は空いてますか」戸田専務理事から電話があったのが8月末だった。勿論2カ月も先の話だから予定等はあるはずがない。「空いてますよ」軽く返事したのがいけなかった。「実は健康講演会の講師をお願いします。詳細は追って連絡しますが、一応話して頂く内容のパンフレットを送ります」と至上命令ともとれる電話だった。更に二三日すると三津家会長直々に「講師を受けていただいて有難う、宜敷くお願いしますね」とこちらは断る隙を与えない電話である。

このようにして「さわやかライフくすりのセミナー」の講師を受ける事になった。考えてみると福岡市薬剤師会々員にはセミナーの講師にふさわしい方が多数おいでのはずである。何で私に白羽の矢?が当ったのか見当もつかなかった。主催者側の福岡県業務課岡原先生から実施要領を聞かされて更に不安は募った。この「さわやかライフくすりのセミナー」は福岡県が昨年から始めた事業で、すでに県下21保健所で36回、北九州市で2回、大牟田で2回開催されてこれまでは小規模な講演だったそうである。しかし福岡市は例外で全席を対象に開催することになり、10月28日(水)福岡市役所15階講堂で開催すると云うことであった。そして講演会は福岡市医師会理事樋口正士先生の「在宅医療のあり方」と私の「薬の正しい使い方」である。出席者300名を予定した大規模な講演会だそうである。あの時断っておけばと思ったが後の祭りだった。

しかし18年間の薬局経営を通して地域の皆さんとお付き合いし、現在の私があるのは地域の皆さんのお陰だと考えると、この際その御恩に報いるといえば大袈裟であるが、私に出来る事があれば役に立たせていただこうと善意に解釈して講演を引き受けようと決心した。そう決心するとそれまでの心の葛藤も消え講演会の準備も思いの外スムーズに進んだ。岡原先生は再三私の店を訪問し、他地区での講演会の様子等情報の提供を頂いた。また友人知人からのアドバイスも頂いた。

「いよいよ講演会案内のチラシができました」戸田専務理事からの電話である。折角の機会なので地域の方もお誘いしようと「200枚程下さい」とチラシを頂く。老人会会長のYさんに「私が話す講演会のチラシです、会員の皆様お誘い下さい」と20枚程渡してみる。商店街の皆さんは「先生が話をされる講演会ならチラシを店頭に置いときましょう」と思いもかけない方から声がかかり、感謝感激である。また老人会の会員さんからは「講演会には友達を2、3人連れていきます」との声がかかる。

思いもかけず地域の皆様の温かい励ましに感謝の念で一杯になる。

いよいよ講演会の当日「岡原先生、私の近所の方も10名か20名出席してもらえそうです」と言うと「人を集めるのがこれ程大変とは思いませんでした」と言う返事がかえってきた。しかしその心配も定刻の13時が近づくと取り越し苦労だったとばかりに沢山の方々が会場に入ってくる。会場はほぼ満席である。

演者の紹介のあと演壇に向う。老人会の会長さんのYさんは会場の中央の席、Nさんは友達2〜3名で前列、更にTさんも、近所の顔見知りの方があちらこちらに見える。皆さん温かい支援のまなざしが私をみつめる、有難うございますと心で感謝しつつ講演にはいった。

薬局経営18年。今回の講演の大任も地元の皆さんの温かい御支援で無事終ることができた。これからも心を新にして地元に根付いた薬局経営を続けていきたいと思う。

<会員の広場> 風神さんの御利益? 中央支部 六本松部会 昌徳望薬局 樋口昌嗣

昨年の5月に開局7周年を期して、シャッターと看板を風神さんが慢性疾患や成人病を吹き飛ばしている絵に描きかえ、心機一転しました。

さて、風神さんの御利益は?

8月2日から3日にかけて1泊2日、家族で壱岐の島へ出掛けました。ジェットフォイル“ヴィーナス”で約1時間。歌の文句じゃありませんが、壱岐は良い良い帰りは恐い……。まさに行きは晴天に恵まれ快適な船旅だったのですが、翌3日は忘れもしない台風9号の影響で昼過ぎから波が高くなり、夕方5時40分発の“ヴィーナス”の出航が不安になり始めました。

波が高いにもかかわらず定刻を10分遅れで出航した“ヴィーナス”は、郷ノ浦湾を出るまでは波もさ程でもなかったのですが……。一度玄界灘に出るやいなやその波の高さたるや口で言い表わせない程時化て、時速70〜80kmで走るジェットフォイルとぶつかる時の衝撃音は船体に亀裂が入る程の凄まじさでした。それが何度となく繰り返され、恐怖の1時間が続き生きた心地はせずに、何度もう駄目かもしれないと思ったかしれません。

子供達もぐったりで、まだかまだかと祈るような気持ちで時計を見ても針は一向に進まず、この旅行を計画した責任を痛切に感じました。

どんよりとした灰色の空、時化の大海原に一隻も行き交う船はなく不安は募るばかり。ようやく西ノ浦の灯台が見え始め、ほっとした矢先、又、ドーンというもの凄い音。

博多湾に入ると嘘のように波も静かで、揺れもなく、「もうご心配いりませんから、ご安心下さい」とのアナウンス。恐らく係員も冷や冷やではなかったのかな。

子供達はもう2度と船には乗らないと言うし、父親の権威は失墜してしまいました。

因みに、4日の日は欠航だったそうです。

9月3日から3泊4日、某メーカーからの招待で、“台湾グルメ旅行”に参加しました。この時も丁度台風15、16号が発生し、日本を出発する2〜3日前に、16号はグアム島の方へ行き被害をもたらしました。

15号が台湾付近に停滞し、その動きが気になりながらの出発でしたが、キャセイパシフィック航空の空の旅は全く揺れもなく快適でした。

台湾の空港待合室のテレビのニュースが、明日の昼頃15号が花蓮に上陸することを報じていました。私達の予定では、今日故宮博物院、中正紀念堂などの市内観光をして、明日オプションで花蓮・タロコ観光に行くようになっていましたので、一瞬不安がよぎりました。

案の定、夜半から朝方にかけては風が強くなり、ビュー、ビューという音で目が覚め、時計に目をやると5時半。それから7時の出発まで行くべきか、行かざるべきか思案。とうとう8月の壱岐での恐い経験を生かしてキャンセル。夫婦連れら半数以上の人がキャンセルし、参加した人達は口々に「飛行機が揺れて恐かった」と語り、タラップから降りる時は強風で吹き飛ばされそうになり、その後すぐ空港は閉鎖され、辛うじて列車で5〜6時間かけて帰ってきたそうです。

私達は最北端に近い基隆(キールン)と野柳自然公園の観光に出掛けましたが、台風の影響で大時化、そして蒸し暑いのには甚だ閉口してしまいました。

翌日は台風一過で晴天になったものの、夕方からは雨。鳥来観光を終えて、台北市内に少林寺拳法を見せて漢方薬を売る店があると聞いて出掛けました。少林寺拳法で鍛えた男達が、素手で瓶を割ったり、拳で釘を打ったりなどのショーを見せた後、熟した鎖を握り火傷した手に、その製薬会社の白い軟膏を塗ると、たちまち15分できれいに治ると。今だに昔の日本のガマの抽売りまがいの商売が行 われているのにはビックリ。お値段の方も少々割高だったようです。

グルメ旅行どころか、雨風の多いまさに“台湾台風旅行”でした。

12月12、13日、学校の週5日制に伴い第2土曜日を休業し、家族でレオマワールドと“こんぴらさん”に行きました。中学校の修学旅行以来、実に31年振りの“こんぴらさん”参り。786の石段が日頃の運動不足解消には持って来いでした。讃岐富士を眺めながら、一路宇多津のゴールドタワーへ。よく晴れた日は、展望台から瀬戸大橋が一望出来るそうですが、今日は折からのもの凄い季節風で雷がかかり、はっきりと見えずがっかりしました。

楽しかった旅も終わりに近づき帰途に就くため坂出へ。駅についてビックリ。3時から強風のため、瀬戸大橋が不通。3〜4時間待っても開通する見込みはなく、駅は乗客と駅員のやりとりでパニック状態です。

昨年は何と風に縁のある年だったのでしょう。まさに“二度あることは三度ある”です。さては、これも風神さんの御利益か?とうとう帰ることが出来ず、坂出で1泊することになり、2泊3日の旅行となってしまいました。14日の昼過ぎに店を開けると、お客さまからは、「今朝も行ったのに」と苦情のお電話が鳴りばなし……。それで、23日は祭日返上で仕事する破目になってしまいました。

ところが、昨年ほど“風邪ぐすり”の売れた年もなかったようです。「よく効いた」と言って、1人で10個も買って行かれるなど。これも風神さんの御利益か?

さてさて酉年はどんな御利益が……。

<会員の広場> 6匹の天使 城南支部 別府部会 サカタ薬局 坂田博子

1日の開局後の楽しみ、先生方はビールですか?それとも習い事やショッピング?又はテレビのスポーツニュースかな?

人それぞれでしょうが、私もあるんです。それは、白衣からズボンに着がえ、2階へ上がって遊ぶこと。お相手は12の瞳の子犬ちゃん達。ムツゴロウさんよろしく目の高さ床から15cmの姿勢です。段ボールで作った畳3枚分の広さのサークルの中、保母さんになりきり、やんちゃな6匹相手に大奮闘。飛び跳ねる、顔をなめる、かみつく、髪を引っぼる、足をかじる、よじ登る、前から後ろから、斜めから横から、キャンキャン、クンクン、ウーウ一、同時に6匹相手は至難の技となる。でもあー、一番幸せな時を過ごしてます。

子犬の大きさは両手にのる位の1000gほど。柔らかくて暖かい、又甘すっぱい香りの元気な6匹です。家に犬がいたら、一度はその子供が見たいと思われませんか?

去年の12月10日、我家の犬に待望の赤ちゃんが生まれました。パパやママが家に来た頃の写真と比べるともうそっくり、そのまま。紛れもなくラサアブソ犬です。

今、出産、授乳、育児と初めて嬉しい経験をしています。といっても、ただ見守っているだけで、実に本能のなせることとはいえ、ママ犬には多々感心させられました。

まず「実にかいがいしく子犬の世話をする。」お産の時子犬を包んだ膜を破り、へその緒をかみ切り、体をなめてやる。6匹無事出産するとすぐ乳を飲ませ、子犬のそばを離れようとはせず、ただひたすら子犬を守る。パパも近づけない、凄い気迫である。が、1週間もたつと少しずつ子犬から離れては、ソファーの上で休憩したり、段ボールの箱で爪とぎをしたりし、そばにいる時間が次第に短くなる。子犬の成長につれて余計な世話はしない。マタニティブルーもなんのそのである。

今はもう40日目位、立派な子犬に育った。犬の妊娠期間は2カ月で人間のそれの1/5である。それだけ成長のスピードも早い。1日1日が貴重な時間である。

「ママの食欲は凄い」食べても食べてもまだまだもっととほしがる。普通の4〜5倍量はペロリとなる。が、憐れ、骨ゴツゴツでヒョロヒョロ、全然身についていない。全部お乳の方に取られているのだろう。1カ月で8〜10倍に増える子犬の体重を見れば歴然と納得いく。子犬の食欲はすさまじいのだ。

「お乳をやる時のママの目はやさしい」どこを見るでもなくじっと横たえてお乳を吸わせる。その時の澄んだ瞳は清らかで美しい。お母さんの目だ。ママになって良かったねと同じ女性として思う。

以前、伯母が話していたのを思い出す。庭の池の金魚が減って不思議に思っていたら、1匹の猫が池の渕の石によく来ているとか。ノラ猫でおなかが大きかったらしい。追っ払っても又来るし、ふぴんなので放っておいた。するとしばらくしたらピタリと来なくなった。どこかで産んだんだろうね。と心配そうにしていた。お産はみんな大事業なんですね。

パパ犬は子育てには参加せず、さりとて無関心でもない。部屋の片隅からそおっと、子犬を見てなさそうなふりして、実は見ている。私達、人間が子犬の世話で右往左往しているのもじっと見ている。が、子犬が近づいてくるとサッサと逃げてしまう。おもしろい。

やがて2ケ月に入る。子犬と別れる時が来る。もう親や兄弟、姉妹から離れても大丈夫だろう。幸せになれと念じて人に託そう。持参品はママの臭いのついたバスタオル1枚。それまでしっかり遊びの相手をしよう。

閉局の時間が待ち遠しい。

<会員の広場> デンマーク その形に圧倒される 欧米薬局レポート その2 千代吉塚部会 荒巻薬局 荒巻滋

2-1

4月8日午前9時成田空港集合。日本薬局協励会のメンバーに厚生省の磯部先生の御参加をいただき、ヨーロッパ薬業視察へと向かう。日本ではすでに春だというのに最初の目的地が北欧であるせいか全員真冬のいでたち。この視察旅行は当初91年春に行われる予定であったが、湾岸戦争のために1年間延期となったものである。したがって集まったのはこの目が来るのを待ちこがれた顔ばかり。VIPルームで結団式が行われた。

SAS984便に乗り込みコペンハーゲンへ向かう。飛行機がスウェーデン上空を通りかかった。「何だこれは…!」空から見たスカンジナビア半島はまるで海綿や軽石のようだ。陸地の面積と湖や入江の面積の割合はおそらく3:2ぐらい。1番大きな入江がバルト海、という形容がぴったりである。

「長崎の九十九島か瀬戸内みたいだ。」と話していると、知日派の白人男性が私の肩をパシッとたたき「Oh!Nagasaki,Kujukushima」とあいずちをうった。その昔、ノルマン人が航海術にたけていたというのもよく分かる。これで船の無い生活というのはとても考えられそうにない。

数時間の後、コペンハーゲン国際空港に到着。郊外は見渡す限り野原が続く。1時間、日本円でわずか¥100程度で乗馬が楽しめるそうである。その一角には女王がゴルフをする時に滞在するという宮殿ももうけられている。なんとのどかな風景であろうか。休暇をのんびりとヨットや土いじりで過ごすのがデンマーク人の夢だそうである。

市街に入るとおとぎ話の国にふさわしく、とてもかわいい町並みだ。しかし、男性同志の結婚が合法化されているという話しを聞くと、なんとも薄気味悪く感じてくるから不思議である。この町では歩道と車道の間に自転車専用道路が設けられている。ちょうど夕方のラッシュ時であったせいか、人も自転車も自動車も大変混雑していた。

バスがホテルに到着する。バスを降りて歩道に上がるには自転車専用道路を横切らねばならない。そこは当然の事ながら自転車の方が優先である。数年前、アメリカ人の観光客がやはりバスから降りる際、走って来た自転車と衝突して死亡するという事故も起きているそうだ。

時差ボケで体がだるい。「晩飯食ってシャワー浴びてビール飲んで寝るか。」そう思っていたところ、「約30分後にホテルロビー集合。デンマーク薬剤師会で行われるレセプションに向かう。」との達しがあった。ゆううつな気分になったのはおそらく私だけではあるまい。レセプションの最中、めまいがして倒れるのではなかろうか。

2-2

約30分の後、疲れも省みず全員集合。デンマーク薬剤師会に向かう。会事務所はオフィス街の一角にあった。入口を入ってすぐのところに受付があり、正面にアポテーケ(薬局)のシンボルである乳鉢と乳棒が、その横には昔実際に使われたであろう持ち運び可能な木製の薬棚とその中に整然と並べられた薬ビンが、デンマークのアポテーカー(薬剤師)の伝統を誇るがごとく飾られていた。

美しいヨーロッパ調の中庭に案内された後細い地下廊下を通り小さなドアを開ける。私は思わず息をのんだ。これが本当に薬剤師会の事務所なのだろうか。おそらく直径10数メートルはある真っ白なドームにらせん階段。手すりには見事な装飾がほどこされている。何か所かある踊り場に、さりげなく置かれた装飾品も実にすばらしい(2−2−a)。このまま昇り続けると天国へ通じているのではなかろうか。そんな事を考えているうちに執務室とホールがある最上階に着いていた。

ずらりと並ぶシャンパングラスがきらきら光っている。デンマーク王国薬剤師会専務理事より御挨拶をいただく。この美しいロココ調の建物は18世紀に建てられたもので、現在数カ所残る王室の迎賓館の一つだそうである。「今回日本の薬剤師の方々をお招きしてのレセプションも、申請書を王室に提出しその許可を得ることができて初めて可能となったものです。」との説明があった。続いて会長の御挨拶をいただく。そして乾杯。

この建物ができた当時このホールでは、毎夜のように舞踏会が行われ、そこで美しく着飾った多くの若い紳士淑女達が、いつ暮れるとも明けるとも知れぬ北欧の白夜のなか、愛を語り明かしたことだろう。そして先の大戦では権謀術数な帝国主義者達のかけひきの舞台となることもたびたびであったろう。イメージをふくらませシャンパングラスを傾けるうち、時差ボケは完全にふっとんでしまっていた。

幸運な事に通訳も含めて3〜4人のグループで会長と約10分もの間、話しをする事ができた。会長は、コペンハーゲン市内に365日営業24時間体制の薬局を経営し、そのかたわら会の激務をこなしているたくましい女性である(2−2−b)。おもにデンマークの国民性について我々に説明してくれた。

デンマークは職種によって人を判断する事の全くない所だそうで、どのような職につこうと平均税率が50%と非常にたかく、税引後の収入の差はあまりないそうである。メンバーの1人が医師との収入の差についてたずねた。すると「収入の差は全く言ってよいはど無いが、薬剤師はいろいろなものを薬局の必要経費としておとす事ができる。ところが医師にはこれが認められていないので結果として薬剤師のほうがよいようだ。」と言う回答を得た。医師の免許を持ちながらバスの運転手をしている人もたまにいるそうで、当然の事ながら税引き後の収入は医師もバスの運転手もさほどかわらないそうである。

製薬会社と医師・薬剤師の関係について昨年おとづれたアメリカを例にとりながら質問した。すると、治験段階では当然のことながらメーカーが直接医師をたずねるが、それ以外ではアメリカ同様、薬も情報も薬剤師が管理しており、薬剤師を経由してでなければ医師に渡ることはほとんど無いという事であった。またこの国では、薬剤師会が自らDKAと言う製薬会社を経営しているという特殊な事情もある。

レセプションの後、隣の部屋にある執務室を専務理事直々に案内してもらった(2−2−C)。照明は微妙に抑えられ、数歩おきのテーブルの上に5〜6個づつさりげなく置かれたガラスの燭台はおそらくスウェーデン製であろうか。我々を迎えるためになされた心にくい演出に頭が下がった。ヨーロッパの薬局や薬剤師の現状を見聞きする以前に、完全に圧倒されてしまった一夜であった。

2-3

4月9日、昨夜のショック療法が効を奏したのか、第1日目からいたって気分爽快。ホテルを出発してデンマーク薬剤師学校へと向かう。そして校長よりこの国の薬局事情に関するレクチャーを受けた。その内容について以下に記す。

1)薬事法関係
・医師が経済を考えて処方することは禁じられている。
・医薬品は政治活動の影響を受けない。
・薬剤師の資格は一代限り。70才で自動返還。当然売買はできない。また、50才までに資格をとらなければならないとされている。
・薬局開設の際、その場所は政府が決定しており、総薬局数も政府がコントロールしている。4千人から6万人に対して1薬局の割合で設けられている。
・5〜6の薬局グループが作られ、通常そのうち規模の大きい2薬局をマザーファーマシー、3−4の比較的規模の小さい薬局をアシスタントファーマシーと呼ぶ。マザーファーマシーにはアシスタントファーマシーを監視する義務がかせられている。
・大きなファーマシーが得た利益は政府を介して小さなファーマシーへと還元される。
・価格維持
・いかなる医薬品も健康福祉推進のため以外に用いてはならない。利益追求のためは許されない。
2)マネージメント及び責任体制
・薬以外のものも医療に関係したものに限り販売する事ができる。
・相互作用の調査などを行っている。
・要処方せん薬販売に当たっては必ずダブルチェックが行われる。これは薬剤師でなく調剤師が行ってもよい。
・OTCはよいものをえらぶこと。使い方を詳しく説明し、必ず説明書(詳しくは薬局見学の頃で御説明申し上げる)を付ける事。
・医師は電話で薬を処方することができる。
・10年程前までは薬局で製剤されていたのだが、現在では情報活動が主な業務となりつつある。(以前は個々の薬局で行っていた製剤業務を現在ではDKAで行っている。)
・こと薬に関しては、薬剤師が最も信頼されている。
・デンマークではテクニシャンとアシスタントは同一である。
・薬局開設者が変わる時は、前任者より設備在庫を買い取らねばならない。
・通常、医療はファミリードクター(ホームドクター)で行われるのであるが、難病となると大病院に移り、この間のみ病院内の薬局で薬をもらう事になる。再びファミリードクターのもとにもどりたいときは、患者の意思でこれを選ぶことができる。(ヨーロッパでは院内薬局といえども経済的には病院から独立している場合が多いと聞いている)

 

3)調剤師学校の活動について
・学内に設けられた模擬薬局で、ロールプレイニングをおこない、それをビデオで撮影して、接客および薬局業務のトレーニングを行っている。
・学校の授業料は生徒個人からではなく、雇用主の薬局から支払われている。売り上げの多い薬局ほど沢山支払わなければならない。
・薬剤師にもテクニシャンにも卒後教育が課せられている。(とても学生とは思えぬ年齢の人達が卒後教育を受けるために沢山この学校へ来ていた。)

レクチャーの後、とても学生食堂とは思えぬカフェテリアで昼食をすませ、校内を見学してまわった。北欧らしく天窓をあちこちに設け太陽の光を大切にした作りで、4月にしてはとても暑い。私が学生時代を過ごした日本の薬学部と違うところといえば、研究室がないくらいのものであろうか。模擬薬局(ディスプレからして町の薬局となんらかわらない:2−3−a)などの設備や、先達国の薬剤師が避けて通る事のできないコンピューター操作技術の取得が生徒達に課せられている事などから(コンピューター教室、実験室と同等かそれ以上のスペースがさかれている:2−3−b)、その教育内容がひじょうにより実践的であることは容易に推測することができる。

廊下に絵ハガキのように美しい封筒が沢山かざられていた(2−3−C)。デンマークの処方せんは3枚つづりとなっている。そのうち1枚を薬の記録として患者さんに手渡すのだが、そのときに用いる封筒だそうである。どこの薬局も思い思いの封筒を用意しそのデザインを競っているそうである。

校内見学後、コペンハーゲン近郊の城や王室の教会を経由して、次の見学先Naerum−Apotekへと向かった。

2-4

NaerumApotek(2−4−a)は小さなショッピングセンターに付随する一戸建ての薬局である。在庫医薬品薬約12,000アイテム。処方せん受付け枚数1日約500枚。

駐車場に車椅子のサインは最近日本でもよく見かけるようになった。身障者が優先的に店舗により近い場所に駐車できるようにとの配慮である。ここデンマークでは身障者にある種の発信機が配布されており、店舗から一番近い所にもうけられた身障者優先の駐車スペースから店舗に向けて発信すると、中から従業員が出てきて応対するというしくみになっている。この薬局ではショーウインドウの上部に受信機が備えられていた。

患者の処方せんに応じて、日本の薬局ではPTP包装の医薬品を必要錠数のみバラして渡し、アメリカの薬局ではバラ錠をカウントしペットボトルに移して渡す。これに対してヨーロッパでは包装のまま渡す。例えて言うならば、要指示薬を指示書持参の方に販売するようなもので、要処方せん薬を処方せん持参の方に販売するというのが通常ヨーロッパ流のやり方である。算定もフィーではなくマージンで、薬価差が薬局の収入となる。

包装の単位はNl,N2,N3の3段階が用意されている。薬の性格や使用目的により同じNlでも10錠のものあり20錠のものありとまちまちである。当然のことながら、添付文書も入ったままわたされる。

デンマーク薬剤師全では現在の添付文書のシステムを非合理的なものだと考えているそうである。わかりずらい小さな文字に長い文章。はたして本当に、患者さんがこんなものを読むのであろうか。そしてすべての包装に必要となる添付文章は、単に金と資源の無駄使いであるというのがデンマーク薬剤師会の見解だそうである。そこで登場したのがインフォメーションスリップ(情報シート:2−4−b)で、薬の説明が実に簡潔にまとめられている。初めて販売する時のみ付ければよく、患者はこれを家に持ち帰り個人用医薬品集を作るわけである。

またこの国では電話による処方が認められている。本当に医師からの電話なのかどうか、業務上混乱をきたすことはないのだろうかとたずねたところ、デンマークでは地域ごとに医師と薬剤師のコミニュケーションがひじょうによくとれており、その心配はまずないということであった。互いにファーストネームで呼び合うほど親しく、声だけで本人かどうかすぐに確認できるそうである。

れでも数年前、向精神薬の乱用者が数軒の薬局から、にせ電話で同時に薬を受け取るという事件がおこっている。現在では、医師から電話やファックスで処方を受けた後、薬局から再び電話をいれてその真為を確かめるようにしているそうである。処方内容は薬局内処方せんに記録され、以後1年間の保管が義務づけられている。デンマークの薬剤師はこの電話による処方のシステムを、まるで医師の秘書みたいだとひどく嫌っているそうである。

ヨーロッパの薬局は表から見えない奥の方に製剤室やDI室が設けられている場合が多い。この薬局では受付から奥までベルトコンベアで処方せんが運ばれて来る。従業員は一番奥の落ち着いた場所で業務を行う事ができる。薬品棚(2−4−c)は右上がりに作られており、確実に古い方から取り出せるようになっているなど、ひじょうに合理的である。ただ、薬の保管場所には何の間仕切りもなく、薬局スタッフ以外の人でも入って行けそうで、その保管状態はかなり無防備であるという気がした(2−4−d)。休憩室でワインをふるまわれた後、我々一行はコペンハーゲン国際空港に向かった。

 

2-5

空港で時間をつぶそうと売店に入る。ビニール袋におさまったポルノグラフィーがずらりと並んでいる。棚の上に「袋を破らないで下さい。」と日本語の表示がある。当然の事ながら英語の表示もあるだろうとまわりを捜すのだがいっこうにそれらしきものはみつからない。袋を破ってまで立ち読みするのは日本人ぐらいのものなのであろう。何とはずかしいことか。飛行機に乗り込む。あいにくの天候で霧が濃く、100m先も見えないような状態。これで飛行機は飛ぶのであろうか。デンマークは一番高いところでも標高180mしかなく、空港を作るのには絶好の立地だそうだ。ヨーロッパで一番の離着陸数を誇り、事実上ヨーロッパの空路の中心となっている。コペンハーゲンがECの中心をめざそうとしていたのにはそのような背景があったのかと一人納得した。

気が付くと独特のなまりがあるスェーデン語のアナウンスが始まり、私の心配をよそに我々を乗せたSAS424便は次の訪問国をめざして飛び立とうとしていた。

続 く

くすり箱 今や日本中がマサコ様フィーバー。

 日頃から、ワイドショー的番組を苦々しく思っている身でさえ、ニュースには目をくぎ付けにされそうです。
 ところで、ヒラリー夫人にしろ、雅子様にしろ、時代は変わっていくものだなァと感慨深いものがあります。
 学年運動華やかなりし頃、又、ウーマンリブの時代を経て、今や、さりげなく、気負いなく、女性か社会で活躍している。
 男性も変わってきています。食事当番があったり、育児当番があったり。私も、もう少し若ければ、そういう男性に・・・?

P.S. 別の感想を聞きました。「可哀想に、自由を手離した・・・」
  この声も時代を反映していますよね。まずは おめでとうございます。

(FUSAKO)

【特集・座談会】 地区薬剤師会長に聞く

日 時
平成4年12月22日(水)午後7時
場 所
市薬会館会議室
出席者
高杉博多区薬剤師会長
清水早良区薬剤師会長
吉田西区薬剤師会長
大庭南区薬剤師全長
広報委員会
 木原常務理事、樋口、坂田、橋口、荒巻各委員
司 会
樋口昌嗣

 本日は、年末のお忙しいなかお集まり頂きありがとうございます。
 広報委員会では、新年号の特集として“座談会”を企画致しました。各地区薬剤師会の活動状況や、市薬執行部への要望、また広報活動についてのご意見などについて、一時間の予定でお話を伺っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
 まず、博多支部の高杉先生からお願い致します。

高杉:
博多支部は会員数119名で10部会。理事制をとっています。役員会はおよそ1ヶ月に1回。部会長および理事で構成されていて、今年は11回開催しています。“組織力なくして、動員力なし”をスローガンに。情報伝達を徹底するようにしています。そして、できるだけ会員への政治力をもって薬剤師会を認知させるように務めています。
支部年会費は6,000円で、入会金はとっていません。役員交通費は3,000円
 
橋口:
部会員さんからの声をすい上げるのはどのようになさっていますか?
 
高杉:
部会を年2回以上開催してもらい、一人あたり2,000円を補助しています。そして会の実態をわかってもらうために部会長は交替制にしている。
 
司会:
ありがとうございました。次いで早良支部の清水先生にお願いします。
 
清水:
早良は支部制をとっていて、A会員数は75人で5部会になっています。西新地区と南部地区では対照的な薬局形態をしています。運営委員会は、部会長、代議員、市薬各委員等で構成されていて、年5〜6回開催しています。支部入会金5万円、年会費は1万円で交通費は5,000円です。市薬会館は遠いので西新かいわいで開催しています。部会には2万円の補助をしていますが、会の方を向いてくれない会員が多いのが悩みです。また市薬が推進している広域病院からの面分業には大変苦労しています。恵愛 団薬局のような大型調剤薬局がないため、備蓄をどうしたらよいのか、支部としてどう対応すればよいのか困っているのが現状です。そのため社保委員を中心にして支部だけの備蓄リストを作成していて、会員さんに大変喜ばれています。
 
木原:
支部での備蓄リスト作成はいいですね。
 
司会:
早良支部は市議選挙等でよく言われますが、海辺の百道から山間部の入部までかなり状況が違うそうですね。広範囲で5部会になられたのは今年からですね。ありがとうございました。それで は西支部の吉田先生。
 
吉田:
西支部は昔の姪浜部会で、A会員40人で3部会に分かれています。部会毎に基幹薬局を作りたいと思うのですが、なかなか引き受け手がなく作れないでいます。
部分連絡会をしようにも、なにしろ3部会ですので、会議の形態にならず部会活動としては、せめて忘年会ぐらいはやって会員同士の親睦を深めて欲しいと思っています。
三師会開催については、歯科医師会が旧西区のままで、三分割されていないため実施できないでいます。しかしそれぞれの医師会、歯科医師会とは交流しています。
 
木原:
早良の三師会はどうなさっていますか。
 
清水:
早良は大変遅れておりまして、時々お会いする程度です。
 
吉田:
西支部では部会入会金はとってなくて、支部入会金として払ってもらっています。会員数は40人ですが、多店舗展開されている薬局が多いので、実質会員数となるとかなり少なくなります。
 
高杉:
三師会については、博多支部は、学術面では在宅医療やアスピリンアレルギー喘息などのテーマを毎回決めて話し合っております。また、レクリェーションとして、ソフトボール、マージャン、 ゴルフ大会などを行っています。会費は1人1万円で、各10名づつ30名で開催しています。
 
司会:
では南区の大庭先生。
 
大庭:
南区はベッドタウンとして急速に人口が増えてきました。
保健所を中心とした地域医療活動においては南区方式として注目を集めています。私が支部長を引き受けた3年前は規約もなく市薬に準ずる形式で進めてまいりました。支部入会金は10万円、年会費は6,000円で、出動費は時間により2,000円から4,000円になっています。現在までに3人の退会があり、14人の入会があって73名。南区は薬局にとって魅力ある地域と思われます。
三師会については、副会長・岩佐先生、専務理事・中島先生、常務理事・吉田先生というメンバーで出席しており、名簿の交換を致しました。名簿には調剤を受けている薬局に○印をつけまして実務委員として岩佐先生になって頂きました。また皆さんご承知のとおり、来年南病院からの面分業がスタートしますが、備蓄リストもだいたいでき上がっております。健康フェアの出動者も3人から6人に増え、組織としても充実してきたと思っています。
 
吉田:
健康フェアについては、西区の場合は、健康づくり推進委員会というのがあって保健所、区民センター、区役所の三位一体で実施しています。在宅医療について、オンライン化していこうとし ています。
 
高杉:
在宅医療は、保健所に登録しておこなわなければなりませんが、博多では、私が登録されています。電話があったら近所の薬局を紹介するようにしています。
 
吉田:
これは市薬の対応が遅れていると思うのですが、もっと保健所と突っ込んだ形の事業を進めて欲しい。百道に在宅医療支援センターを作るとうたってありますが、一度でも福祉事務所に行かれたことがあるのでしょうか。実際は何もお解りになっていないのではないかと思います。
 
木原:
在宅医療に高杉先生が登録されているということは今日初めて知りましたが、各支部長さんは皆さん登録されているのでしょうか。
 
清水:
私も初めて聞きました。
 
吉田:
“かかりつけ薬局”をネットワーク化しなければ、支部長だけが登録されても意味がないと思う。
 
清水:
在宅医療は保健所でも、今一ばんメインな事業として展開されているので薬剤師会もこれに乗り遅れないようにして欲しいと患います。
 
司会:
ではここで、支部長先生から市薬に対する要望ということで伺っていきたいと思います。
 
吉田:
薬の服み方や、薬歴簿について、もっとかみくだいた形のビデオを作って職能アピールをして欲しい。
エイズについても、薬剤師会としてどのようにかかわって行くのか検討されているのでしょうか。
 
大庭:
南病院との懇談会に出ても、ドクターから他の物を売りつけるのではないかとか、間違いなく投薬してくれるのだろうかなど意見が出され、情けない思いをします。医療人としてのPRが必要です。
 
吉田:
OTC薬局は毎日400点業務をやっているようなものですから、その薬業人の部分をもっとPRしてもらいたいと思います。
 
大庭:
ところで学薬の組織作りはどうなっていますか。
 
吉田:
学薬会員さんを増やすようにしています。1人1校制は教育委員会の方針でもあります。また行政に職能をアピールするには、薬剤師会よりも保健所か学業経由でもっていった方がよいのです。
 
司会:
これからの広報活動はぜひとも外に向かったものにしていかなければならないと思います。学薬についても父兄には全く知られていないですね。
 
大庭:
ことあるごとに指摘を受けると「組織が悪い」とあたかも支部長の運営に問題があるような発言がありますが、執行部には、組織についてのしっかりした考えを持ってもらいたいですね。
 
吉田:
表彰についても、市薬の理事歴だけが評価されて一番大変な部会長さんの仕事が評価されないのはおかしい。
 
大庭:
頭数だけをそろえたような理事会ではムダが多いので、例えば南病院間題については、合澤さんと小野さんと三役ぐらいのメンバーで進めていかれてはどうかと思います。
 
高杉:
市薬会員800人を市薬だけで運営していくのには無理がありますので、市薬でやることと、各支部でやることを明確に分けてやっていかないと、お金がいくらあっても足りませんよ。ムダが多すぎます。コートハウスの問題にしても、今は建てるべきではない。激動する2年後を考えるとどう変わるかとても不安であるとの意見が大半を占めている状況です。
 
大庭:
広報についても、情報を外にもらさないために会員に何もしらせないのは困ります。また、会長の考えがはっきりと打ち出された会報にしてもらいたいと思います。
 
高杉:
以前やっていたように、会報と広報を分けて発行してはどうですか。いづれにしても、執行部にはもっとしっかりとした指導力でもって対処していって欲しいものです。
 
吉田:
事務局については、ぜひとも体制の強化が必要だと思われます。
 
司会:
本日は貴重なお時間を30分もオーバーするくらいに熱心なご意見を頂きありがとうございました。広報委員会としても今日のご意見を肝に命じて頑張っていきたいと思います。

 

 

いまいづみ日記

○“づ”にこだわっての「いまいづみ日記」です。「“ず”と濁るより“づ”の持つ弾けるような可愛さが好きだ」とおしゃった市医師会理事がいらっしゃいましたが、言われてみると確かにそうですね。
○今号の「私と薬」にご登場願ったのは、教育委員会・学校保健課長の大田先生です。山崎係長も「こちらに来るまでは分析ばかりしておりました」と言っておられましたが、やはり大田課長も化学を専攻なさっていたのですね。
 そして田北祥子医師と、さすがに学校保健課は理系ぞろい。
○FUSAKOさんが、みごと英検2級に合格しました。おめでとう!!大学受験なみの勉強をしたそうですよ。会員さんから「FUSAKOさんの英会話をファイルしたいので、抱き合わせでなく、表裏のページに編集して欲しい」と電話があったと嬉しそう。
 私の所にも、まさおか薬局の薬剤師さんから「以前の会報に、ドリンク剤の糖分テストが載っていたのですが、何号だったか教えてください」と問い合わせがありました。コピーして送りましょうかと言うと、ファイルしてあるから、何号かが分かればいいとのこと。
 本当に嬉しい会員さんからのリアクション。編集者冥利につきます。
○1月4日、薬業年賀会で吉田西区薬剤師会長に全いました。「この前の座談会で私が言いたかったとは、県薬会報1月号に荒巻会長が書いてあったろうが、あれたい。あれば書いとっていっとってくれんね」ですって。今号の特集座談会「地区薬剤師会長に聞く」をお読みになる前に、ぜひ県薬会報をお読みください。
 地区薬剤師会長あっての市薬ですが、座談会で出たのは、まさに“中間管理職の悩み”。市薬執行部は、ああしてくれ、こうしてくれと言ってくるが、会員さんにはそれでは困ると言われるとか。
 板挟みになってとってもつらそうな様子が見え隠れ。

(SAN)

■■トピックス■■ 市薬学術委員会

遅老長寿の虎の巻 −老化と痴呆を防ぐためのライフスタイル−

1.生体の適応現象を利用(自然の適応現象を利用すると人の機能も、かなり迅速に目的に適応変化できる。)

 脳神経細胞では、樹状突起が発芽し隣の神経と新しいシナプスを形成するとき、そのシナプスが必要となるような反復刺激を加えると、ある種の情報物質が神経細胞の核に送られ、遺伝子情報の発現を変え、神経突起の生長が起こる。記憶や動作の修練、リハビリなどはこの原理を応用する。

1) 運動を継続すると、血管は柔らかくなり弾性を増すような変化が起こり動脈硬化とは逆向きの血管の適応となる。又、動脈硬化が原因で内皮細胞が障害され血栓が出来るが、その防止にもなる。

2) 深呼吸を続けると、延髄の血管運動中枢は抑制され、血圧は低下する。

2.ぼけを防ぐ

最近は脳細胞の活動状況を微細な部分まで画像で検査することが可能になった。それによると、若い年代ですら、気がっくほどの障害をもたらさない微小な血栓が、どんどん出来ている。“ぼけ”はそこまで来ている。

1) 日本人は、"ぼけ"の少ない人種である。
記憶を司る神経はコリン作動性でアセチルコリンが必須である。日本人はコリンからアセチルコリンを合成するコリンアセチラーゼが多い人種である。

2) 大豆は"ぼけ"を防止する?
動脈硬化症は血液中のコレステロール値とよい相関関係があるので、コレステロールを含む食品を避けるあまり、肉を全く食べないと、良質の蛋白質が不足する。大豆はその蛋白質が良質(アミノ酸組成がよい)である上、コレステロールはなくレシチンが多い。神経はアセチルコリン原料のコリンが不足すると、レシチン分子中に含まれるコリンを取るため自らの形質膜のレシチンをも分解して、コリンを強引に供給する。

3) 脳に刺激を与える。
脳の血管の閉塞(脳梗塞)が起こると、脳障害が起こる。又、神経は、死にやすい。故に、出来るだけ多くの刺激を送り神経を働かせる。本は単純に読むだけではなく、記憶するような無理強いが必要である。

4) “ツボ”を刺激する。
筋肉や腱には紡錘があって筋肉にかかる負荷や緊張の情報を脳に送る。この神経は深部感覚を伝える神経といわれ、これで鍼を刺激すると特有の感覚“得気”が感じられ
る。

5) 一日に一度は心地よい汗をたっぷりかく
(1)耳をつまみ、叩く。(2)首の後ろや肩(首の付け根)を叩いたり揉んだりしてうっ血をとる。(3)なるべく多くの筋肉をストレッチ運動でゆっくり何度も伸ばす。(4)ジョギングや速歩をやる。
 運動は筋肉や神経細胞からカリウムイオンを流出させるので、運動後は特にカリウムの補充(バナナなど)、塩類の補充をする。

3.外敵より護る。

1) 緑茶を飲もう
緑茶には乾燥重量で10%のカテキン類が含まれる。カテキンの薬効は発ガン予防、血中コレステロール低下、血糖降下、血小板凝集阻害、抗菌作用、坑ウイルス作用、坑アレルギー作用である。カテキンは成人病の元凶である活性酸素を消去する作用が大きい。

4.終わりに

くよくよせず、自然に生きることが大切である
 元徳島大学教授(薬理学)石田行雄先生の「不老不死と薬」築地書店が出版された。

クレコンレポートVo16.1992

褥瘡局所外用療法

創傷治療にはいくつかのステップがある(表1)。1つの外用剤で、全てのステップに有効なものは無い。又、深達度によるグレード(表2)があり、双方を加味して症状に応じた最も適切な局所外用剤を選択することが合理的である。ただ漫然と外用療法に頼ることなく、外科的デブリードメントを含めた外科的治療も選択肢に入れていくこと。

局所外用剤の説明

1)創傷保護剤:創面を被覆材で保護し湿潤環境を作る。創傷治癒を促進し、捧痛の緩和が目的で創傷ドレッシング材が用いられる。不透明なので創面を観察しにくい。

2)線維素溶解酵素剤:一定以下の壊死組織の除去にフイブリノリジン、デオキシリボヌクレアーゼなどによる化学的デブリードメントを行う。軟膏基剤のものが使いやすい。創周囲の健康な皮膚面には使用しないよう留意する。最近では、粉末製剤を生食で溶解したのちガーゼに浸し込ませ、梅瘡面に当てる局所療法が行われている。

3)抗菌剤:硫酸ゲンタマイシン軟膏や硫酸フラジオマイシンガーゼが、熱傷などではスルファジアジン銀が繁用されるが、菌交代現象や接触感作などの問題に留意する。
 消毒剤:ポビドンヨードが最適と考えられるが、ヨード過敏症を惹起することもあり、その場合はクロールへキシジンなどを用いる。一般的に、皮膚バリア機能の欠損した浪瘍面に外用すると刺激や感作を起こしやすいので、憎悪傾向がみられるときは外用を中止しパッチテストでチェックする。
 滲出液を吸収する場合は高分子吸水性ポリマー顆粒を散布する。院内製剤「イソジンシュガー」の白糖も同様の作用を有すると考えられている。

4)肉芽形成促進剤:幼牛血液抽出物の外用剤や塩化リゾチーム軟膏、アルミニウムクロロヒドロキシアラントイネート粉末が繁用される。

5)表皮形成促進剤:凍結乾燥豚真皮などの生体包帯を用いる。

動物インスリンからヒトインスリンへの切替えの実際

1978年にヒトインスリンの合成が可能になり、1983年頃から合成または半合成ヒトインスリン製剤として市場登場するようになった。従来ブタやウシインスリン製剤を使用していた糖尿病患者は次第に切替えられ、動物由来のインスリンは将来、消失すると思われる。

1表に動物由来インスリン製剤に相応するヒト由来インスリン製剤を示す。が原則的にはこれに従って変更するが、原則通りスムーズに問題なく変更し得た例はあまり多くない。ヒト由来インスリンは動物由来インスリンに比べ、親水性が強いため吸収が速く、その発現から減弱に至る時間がやや速やかである。そのため、従来の1日1回法でコントロールし得る症例は稀で、少なくとも1日2回投与が必要といえる。又ヒト由来インスリン製剤は、動物に比べ、抗原性が少なく、抗体産性が低い特徴がある。インスリン製剤を変更する際にはヒトインスリンの吸収特性が動物インスリンと異なる点に留意し、改めて患者に低血糖症のこと、その対処の仕方を指導する必要がある。

   

   

平成4年9月号トピックスに掲載しましたシメチジン、ラニジン服用中の飲酒は酔いやすい』。シメチジンとファモチジンによりアルコールの血中濃度が上がるのは、アルコールの初回通過効果が抑制されたことに起因すると報されている。

Vol.28,No.121992JJSHP

   

※毎回トピックスを書いてくだきっているのは、市薬学術担当理事で、子ども病院薬剤部長の市花先生です。先生は福大の4回生ですから、私より2級下の後輩です。編集者が先輩であることをよいことに、さんざん先輩風を吹かせながらの原稿依頼です。
 だけど、KIHARA大語録よろしく「あんた、私の後輩ちゅうことば忘れとらんめえね」などとは決して申しておりませんので、誤解なきよう!!

お詫びと訂正

○市歯科医師会の中富会長に年賀状を差し上げるのに、ついウッカリ住所を書かずに投函してしまいまいました。年開けに、付箋をつけて戻ってきましたので、二年越しの大ドジをお詫びして、再度賀詞を申しました。
 すると「貴女が、住所を書き忘れたとあってホッとしました」とのお許しの文面とともに「会報50号・私と薬の文中、凛としてが、慄としてになっておりましたので訂正お原いします」とありました。先生のご指摘があるまで全く気づかず、慌てて辞書を引き国語力のなさがっくづく恥ずかしくなりました。
 また、42ページ=おめでとうございます=の木村英樹先生のお名前が秀樹になっております。ここにお詫びして訂正致します。
○ついでにもう一ヶ所。せんえつですが市薬ジャーナルではなくて、県薬会報1月号の40ページです。ミュージカルのご案内『サラリーマンの金メダル』の中、福岡市での公演日時が間違っております。平成5年2月28日(木)となっていますが、2月25日(木)です。
 じつは、薬業年賀会で小倉薬剤師会の小田専務理事から、市薬ジャーナルにも掲載してほしいと頼まれたのです。前売りチケット(4,800円)をたくさん引き受けているそうですから、必要なひとは093−521−2408・小田さんまで連絡してください。

[広報]

【支部だより】 城南支部研修会

日 時
平成4年12月16日(水)午後7時
場 所
城南市民センター 2F
講 師
城南区東油山 つのだ泌尿器科医院 角田和之先生
演 題
前立腺疾患の治療について
前立腺周囲の解剖学的所見
肥大症と癌の鑑別
従来の摘出術とTUR−P手術
持続的導尿法
薬物療法について

あと質疑応答にこたえていただきました。とにかく一年前より企画してやっと実現した研修会です。11月初旬の予定が市薬の研修会とかさなり一カ月くりのべて。

城南支部35名のうち24名の出席。

支部内の医師84名のうちから講師としてお願いして、年間5回くら<い研修会を開催したいと考えています。となりの支部の先生がたにも是非参加していただきたいとおねがいします。

一月は三師会をひらきたい。2、3月とまた研修会を予定しています。

(支部長 栗田邦彦)

博多区三師会

日 時
平成4年11月25日
場 所
ホテルステーションプラザ
[薬剤師会出席者 8名]
 高杉 山口 鶴原 藤田 蔵元 向井 森川 荒巻

主催者は毎年順送りで、今回は我々薬剤師会が当番となり、山口先生の司会で会は進められた。

口の字型に設けられた会場に医・歯・薬と交互に座り、各会会長挨拶の後自己紹介が行われ乾杯となる。

アルコールが入り緊張がほぐれたころ、医師会・歯科医師会の医療事故担当の理事により、最近起こった医療訴訟問題について、事例説明が行われた。事例中には医薬品によるものもあり、薬の専門家を自称しておきながら日頃全く聞くことのできない最前線の情報に接する事ができ非常に有益であった。

それから約1時間、杯を交わすごとに話しははずみ、三師会対抗ソフトボール大会・ゴルフ大会・マージャン大会などの提案があいつぎ、和気あいあいのうちに終了した。

(荒巻 滋)

飲み付き合いを大切に
=荒巻善之助先生藍綬褒賞受賞祝賀会=

西鉄グランドホテルで催された祝賀会に出席した。荒巻先生は余り派手にならないようにとおっしゃっていたらしいが、発起人の先生方が現役の県薬会長ともあろう方が、それではあんまりだと言うわけで決まった「鳳凰の間」とか。さしもの広い会場がおおぜいのお客さまで埋まっている。さすが現役会長、各界からお祝いにみえられたお客さま、240名あまり。

それより10日ほど前、八幡の千草ホテルで催された北九州市薬会長・末宗成二先生の祝賀会にも出席した。国会開催中のため、石井道子参議の祝辞はVTRで準備されていた。司会の小野春雄先生はタキシード姿。県薬代議員会では毎回、荒巻会長に執拗な質問をなさることで名を馳せておられるが、なかなかよくお似合い。

ステージは、スペースワールドのキャラクター登場あり、吉富太鼓の競演ありで飽きさせない演出。北九州の先生から「来月の福岡の方が会費が2,000円高いっちゃけん、高いだけのことはするっちゃろうね」と言われ、患わず「北九州には負けませんから」と言ってしまった。

べつに、西鉄さんに身内がいるわけでもなく、グランドホテルに肩入れするつもりはさらさらないが、「鳳凰の間」はさすがに負けてない。なにせ、荒巻県薬会長は博多支部の千代吉塚部会、そこはそれ身びいきのひいき目というもの?

北九州の小野先生のようなタキシード姿こそなかったが、発起人の先生方は皆さん略礼服で、胸にはピンクのカーネーション、とてもきれいに見える。司会をなさった県薬の倉田専務理事にはタキシードを着せてみたかったなァ。きっと小野先生にも負けないくらいお似合いだと思う。

発起人代表の古賀隆先生は「清廉潔白を身上とされ、頭脳まことに明晰、包容力豊かな幅広い人間性をお持ちであり、とくに業務については、常に先を見て現在を動く。また、反面飲み付き合いを大切にされる」とお祝いの言葉を述べられた。

このようなとき参会者は、頭脳明噺はいいとしても「フ−ン!清廉潔白ねェ…‥・、包容力豊ねェ…?」などとおよそ不遜な気持ちで聞いているものだが、それにもまして良かったのが、荒巻会長の謝辞。事もあろうに当事者もそのような思いで聞いておられたらしい。 「このようなお席では美辞麗句、お褒めの言葉ばかりで、悪口を言う人は滅多にありません。しかし、古賀さんの言葉の中に「飲み付き合いを大切にされ」とありましたが、この一句だけは今後とも大切にしていきたい」と、いかにも皮肉っぽい。県薬代議員会では、いつも物事を斜めから見たような皮肉っぽさで、それでもって核心にふれる答弁をなさる会長。いかにも荒巻先生らしい。

会が終わって、お帰りになるお客さま何人かに「市薬ジャーナル」を差し上げた。県薬会長のお祝いなのに、厚かましいかなと少し気が引けたが、しっかり自慢して廻った。市薬事業費の中でも一ばんの金食い虫だが、市薬をアピールする手段としては、会報が最高のものだと自負している。それだからこそ、経費節減を叫ばれる中にあっても、会員さんはこれだけの予算を認めて下さっているのだとも思う。

会報の出来ばえを褒められるよりも、全員さんの総意がここに込められていることが褒められるような会報でありたい。

(文責・木原)

灰色の研修会
=行政と若手薬剤師の懇談会=

日 時
平成4年12月12日(土)午後2時
場 所
県薬会館講堂
参加者
 合澤英夫、小野信昭、吉田斌、清水達三、占部吉幸、南島敏彦、馬場正佳、坂田博子、橋口扶佐子、向井光佐子、水田雅章、石井雅明、真崎悟好、木原三千代、冷川宴、光安龍彦、藤田彰、正岡民次、大久保倣住、宮崎和人
他に県下各支部より多数
県 薬
荒巻会長、倉田専務理事
県薬務課
上和田幸子、今地政美
講 師
渡辺日薬専務理事

県薬の宮崎常務理事から、珍しく電話をもらった。「若手薬剤師の懇談会をするので、市薬から若い女性を何人か連れてきてもらえんやろうか。会費が15,000円やけど」と、何だか申し分けなさそうに言う。若い女性という言い方にはちょっと引っかかったが、三人の委員さんに声をかけることにした。行ってくれるかなと思いながら、まず一ばん若い情報委員の向井さんを誘った。「ぜひ連れていってください」と快い返事。そして広報委員の坂田さん、橋口さんも出席してくれることになった。

今までは、女子薬剤師は理事にしろ委員にしろどちらかといえばお客さん扱い。余り仕事はさせてもらえなかったように思う。もちろん、こちらにも「お手伝いぐらいなら…」と甘えがあったのは否めない。しかし、古賀前市薬会長は「今からは、女性も市薬組織の中枢に入って頑張らなければいけない」と、広報を担当させた私を手取り足取りで育ててくださった。今度は私がお返しをする番だと思っている。

広報委員は、月一回ぐらい出てもらえばいいからと、むりやり押し付けたその口先も乾かぬうちに、やれ代議員会じゃ、薬祖神祭じゃと引っ張りだす。挙げ句のはてが、決して安くはない有料の研修会。申し訳ないと思いつつも、機会あるごとに名刺を持っておいでと言う。今回の研修会も渡辺日薬専務理事の講義はさておき、懇親会場の=中洲しっとう屋=では、「市薬ジャーナル、しっとおや?」とばかりに積極的にアピールし、かなりの名刺交換をしたらしい。久留米、飯塚、甘木支部などからぜひ送ってくれと頼まれていた。「福岡支部はすごいですね。女性が4人も出席してますね」との声もあった。

それにしても、若い人ならよく知っているはずの懇親会場。研修会が終わって、移動するのに誰も場所を知らず県薬会館のロビーでウロウロ。これでは、とても若手薬剤師と言えないのじゃないかなァ。

お誘いを受けたとき、今回の研修会が宮崎常務理事の個人的な催しなのか、県薬の事業なのかはっきりしていないため倉田県薬専務理事に尋ねた。「完全に宮崎さんの個人的な集まりとまでは言えませんが、だからといって県薬とも言えませんね。しいて言えば“灰色”でしょうか」と。

小倉支部の小田さんが「県薬の事業としてもらわないと支部では扱いに困る。交通費すら出せない」と言っていたが、全く同感。県薬には支部連絡協議会があるが、出席者は支部長だけであり、このような若い薬剤師の交流の場はない。今後はぜひ、県薬の事業としてもらいたいものだ。

ところで、九大のFAX分業。事業は県薬がなさり、実務は市薬が担当するとか。初めから予想された経費の赤字問題はどちらが責任を取るのか。何ともすっきりしないが、これこそまさに“灰色”事業ではあるまいか。どんな色とも相性がいいと言われる“グレー”だが、こと事業に関してはどちらさんとも相性が悪いようだ。

(文責 木原)

第27回(総会通算第55回)
臨時代議員会

日 時
平成4年11月28日(土)午後3時
会 場
福岡市薬剤師会館講堂所
出席者
67名
代議員
67名中、出席代議員 46名
役 員

  会 長
 三津家正友
  副会長
 細井徹一、松枝茂雄、長谷川宏明
  専 務
 戸田昭洋
  常 務
 合澤英夫、中島英之、小野信昭、篠崎正幸、木原三千代、城戸嘉寿子
  理 事
 市花晃、鶴原潔、山口利英、国武靖夫
  監 事
 藤原良春、豊福和登
代議員

  東  
 松井昌也、馬場正仕、入江理裕、藤野哲朗、吉村順二
  博 多
 高杉正典、深江時夫、向井光佐子、冷川襄、岸田秀明、槇野徹、河辺利也
 蔵元良行、山本幸男、吉田徹、磯田秀幸、田中伸一
  中 央
 光安龍彦、副島恒夫、樋口昌嗣、戸田重雄、山手陽一、西森基泰
 遠藤誉理男、平島久美夫
  早 良
 清水達三、野田靖夫、冨永昇蔵、松尾英鷹、橋口扶佐子、南島敏彦
  城 南
 栗田邦彦、小林智、浦野満津代
  西  
 吉田斌、中野勝部、占部吉事
  南  
 大庭秀臣、木村英樹、石田和長、岩佐周一郎、吉田邦夫、小林正治
  勤 務
 四宮国昭、中尾泰正、井口裕昭
  一 般
 藤野義彦、古賀隆、坂田博子、小松秀美
   

 
司 会
 市花理事
会長演述
 三津家市薬会長
議 事

  議 長
 木村英樹
  副議長
 山手陽一
  議事録著名人
 松井昌也、中野勝郎

 

議案第1号 分業推進特別会費の件

FAX分業をしていくのであれば、九大、国立中央、国立南等の各病院の処方箋応需者より1枚につき200円の負担をお願いしたい。(期間は「かかりつけ薬局」に対する住民の認識が定着するまでとする。)

 九大・・・平成4年9月診療分より
 国立中央、国立南・・・平成5年1月〃

執行部説明 合澤常務理事

議案第2号 コートハウス(会有地及び建物)を分業推進支援センターとして建替え利用する件

1.総額49,456,750円

2.平成5年8月頃着工予定

3.規模および設計内容
 木造二階建
 面積67坪(1階36坪、2階31坪)

執行部説明 中島常務理事

議案第3号 会費値上げの件

1.不足分
 分業推進支援センター借入金返済 600万円
 分業推進特別会費補助分     300万円
 事務費及び機器類補充費     500万円
          計     1,400万円

2.会費値上げ案(内訳)
 ・A会員    10,000円×550名=550万円
 ・B会員    3,500円×250名=87.5万円
 ・保険薬局会費
         10,000円×420名=420万円
 ・保険調剤特別会費
         1円×360万枚= 360万円
          計    1,417.5万円

執行部説明 細井副会長

 慎重審議の結果、執行部より提案された議案第1号と第3号については、出席代議員の過半数の賛成を得られず否決され、第2号議案にういてのみかろうじて承認された。

会議報告

【支部長会】

日 時
平成4年11月12日(木)午後7時
場 所
市薬会館
出席者
三津家会長、細井副会長、戸田専務理事、合澤、中島、小野、篠崎、木原各常務理事、山口理事、松井、高杉、光安、栗田、清水、吉田、大庭各支部長

議 事
1.11月28日開催予定の第27回臨時代議員会の提出議案につき執行部からの説明
(1) 分業推進特別会費の件
(2) コートハウスの件
(3) 会費値上げの件

 

【第7回理事・監事会】

日 時
平成4年11月17日(火)午後7時
場 所
市薬会館
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、戸田専務理事、合澤、中島、小野、篠崎、木原各常務理事、鶴原、山口、国武、成澤、市花、城戸各理事、藤原、豊福各監事

議 事
1.会長あいさつ
2.会務報告 戸田専務理事
3.委員会報告
   学術委員会篠崎常務理事より、今回の薬局実施研修会には11名の非会員の参加があり、
  うち6名は未就業者であった。
   このことは今回の研修会実施にあたっては、市政だよりや新聞紙面に案内を転載した成
  果だと思われると報告された。
4.学薬、地区勤務薬剤師会、女子薬、商組各担当者より報告
5.協議事項
  11月28日開催予定の第27回臨時代議員会にむけ、先日の支部長会での会議状況を勘案し、
  最終的な詰めを協議した。

 

【第8回理事・監事会】

日 時
平成4年12月9日(火)午後6時30分
場 所
「一条」
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、戸田専務理事、合澤、中島、小野、篠崎、木原各常務理事、鶴原、山口、国武、成澤、市花、木戸各理事、藤原、豊福各監事

議 事
1.会長あいさつ 三津家全長
2.会務報告   戸田専務理事
3.委員会報告  各委員長
4.学業、地区勤務薬剤師会、女子薬、商組報告、各担当者より報告
5.協議事項
 ・平成5年度の事業計画について
 ・本年度の経費節約について
 ・その他

委員会報告

【国立南病院打合わせ会】

日 時
平成4年12月1日(火)午後7時
場 所
市薬会館
出席者
中島常務理事、大庭支部長、岩佐副支部長
国立南病院 内科医長 十川先生

議 事
1.12月15日開催の講習会について十川内科医長と打ち合わせ、議事内容および資料の受理とお願い事項について

【広報委員会】

日 時
平成4年12月8日(火)午後7時30分
場 所
市薬全館
出席者
木原常務理事、樋口、坂田、橋口、荒巻各委員

議 事
1.11月号の反省
2.新年1月号の編集について
  特集記事として「新春座談会」を企画
    =地区薬剤師会長に聞く=
  各支部長さんと広報委員で座談会をする
(1) 日時12月22日(火)午後7時
(2) 場所 市薬会館会議室
(3) テーマ
   ・各地区の特長について
   ・どのように支部運営をなさっているか
   ・市薬執行部に望むこと
   ・市薬広報に望むこと

【急患委員会】

日 時
平成4年12月12日(土)午後3時
場 所
市薬会館
出席者
中島常務理事、成澤、市花各理事、北島、小松、打越、真鍋、馬場、竹尾、井上各委員

議 事
1.「処方と調剤に関する申し合わせ」編集について
 ・薬剤師だけでなく、医師、看護婦など医療スタッフにも見てもらえるよう標題を
  上記に改める。
 ・発行部数500〜600部

【組織委員会】

日 時
平成4年12月25日(金)午後7時
場 所
「千太」
出席者
合澤常務理事、山口理事、糸岐(早良)、深見(南)、迫田(中央)、蔵元(博多)、吉村(東)

1.ポーリング大会について会場の都合で、日程上どうしても無理であることと経費節減を勘察し、中止するこ とにする
2.定款改正および選挙規定作成について年度内のスケジュールを決定した

【薬局委員会】

日 時
平成4年11月25日(水)午後7時
場 所
市薬会館
出席者
中島常務理事、園武理事、吉田、松島、中野勝郎、中野達郎、戸田、森川、本村各委員

1.漢方研修会の反省
 いつもの研修会に比し、出席者が少なかった
2.次回以後の研修会の予定について

研修会報告 第3回(平成4年度)薬局実務研修会報告 福岡市薬剤師会 副会長 長谷川宏明

平成4年度の薬局実務研修会は、平成4年10月24日、25日と11月24日、25日の4日間で前2回と同様の内容で行った。

テキストを作ってからすでに約2年を経過しており、かなり変更しなければならない記述もあり、7月より各講師に検討作業にかかってもらい10月21日に原稿を持ち寄って受講者分の配布資料を作成した。各講師共かなりの量となって全員(10名)で作業して6時間以上必要であった。

今回の受講者は会員および会員が所属する薬局の勤務者27名、会員外11名、前回の未終了者2名計40名であった。

今回は福岡市の広報に研修会の案内を載せてもらったこともあって、会員外の受講者が11名と多かったのが前2回とは異なっている。 これら11名の先生のほとんどは、現在実務をはなれておられ、再勉強の目的で受講された方々で、希望される方は社保委員会の方で実務実習等を含めフォローして頂けることになっている。

新人研修をかねての受講は今回もほとんど無かったことは残念である。入局して6カ月たっている時期にまとまった知識を得ることは非常に有意義であると考えられるのでぜひ参加して頂きたい。

この研修は薬局実務を行う上での必要な知識を与える研修であり、この研修に実務実習が伴って初めて完全なものとなる。今回は再勉強の方のみをフォローして頂いたが、次回からは実習の受け入れ薬局を募り、希望者にはその薬局で実習してもらえるよう企画する予定である。

また、会員外への通知方法として市広報への掲載、大学同窓会への働きかけ等を考えており、リタイヤした薬剤師の受講を掘り起こし、実務実習も行うことで一貫した再教育ができれば、再就職にもつながり、より意義のある研修制度になると考えている。

この研修会は講師の先生方の大変な努力と協力によって実施できるものであり、特に今回4人の講師が転勤等で退任されたため新しい先生に講師を引き継いで頂いたが、変更資料作成、講義の準備等、大変なご苦労があったと思われるが、積極的に協力して頂き感謝しています。

この研修会は県庁業務課、県薬DI室、卸DI室等市薬組織外の先生方の協力もあって、充実したものとなっており、今後も年1回であれば実施可能であり、継続してゆく予定である。

しかし、テキスト内容がすでにかなりの変更が必要となっており、すくなくとも平成6年には改訂する必要があろう、変化の激しい時代でのテキストのありかた、また内容も含めての議論を今年度は始めなければならない。

この研修会の実施について、色々な評価や批判があり、ありがたく受けているが、中には講師の意欲をなくすようなものもあった。苦労の多いわりに、はたして市薬として必要としているのだろうかと思いにかられたこともあったが、今回38名の新受講者を得て救われる思いがしている。

現在の研修内容が完全とは思っていないし、改善・変更も行う必要もあるとは考えるが、多くの先生が企画からテキスト作り、研修実施までの講義内容の整備等の大変なご苦労を考えると、そう簡単にはやりましようとはいいだしにくい、市薬全体のコンセンサスの中で、意欲を持って仕事ができる日がくることを願っている。

 

〔薬局研修会〕

日 時
平成4年11月25日(水)午後7時より
場 所
福岡市薬剤師会館・講堂(4F)
演 題
「漢方生薬の薬味・美佐について」
講 師
カネボウ薬品(株)薬専学術部 課長 阿部通男先生
受講者
76名

 

〔学術研修会〕

日 時
平成4年11月11日(水)午後7時より
場 所
福岡市薬剤師会館・講堂(4F)
演 題
「末梢循環障害の病態と薬物療法」
講 師
九州大学医学部附属病院 第二外科 助教授 岡留健一郎先生
受講者
104名

【学薬のページ】 組織拡充を願って
= 一人一校制へ=

今年度、学校薬剤師会では「一人一校制」を目指しできるだけ住所地の薬剤師が担当できるよう、また、学薬組織の拡充をはかって、次頁のようなリーフレットを作りました。これを市薬研修会などで配り増員に努めた結果、新たに45名の皆さんのご協力を得られることになりました。

この中には、パートで調剤薬局に勤めていて、学薬を引き受けるために、“その他のB会員”に入会してくださった方もおられます。「せっかく薬剤師の免許を持って仕事をしているのなら、もう一歩踏み込んで薬剤師会にも入ってみない?」と誘ったのです。

このような人が一人でも増え、薬剤師会を見てくれるようになればと願います。

  東 区
永 田 静 香
入 江 理 裕
戸 田 晶 久
江 口 五十玲
堀   民 子
古 賀 悦 子
栗 岡 抹惟子

  早良区
山 本 洋 子
鶴 原 律 子
本 村 精 也
福 岡 英 樹
清 水 のり子

  西 区
木 下 洋 子
中 野 佐代子
川 原 裕 伸
吉 田   徹
吉 田 百合子
吉 田 清 子
佐 藤 愛 子
川 添 笑 子
仲 上 恵 子
大 内 土 郎

  中央区
川 上   繁
西 田 郁 子
下 瀬 和 俊
戸 田 重 雄
磯 本 昌 章
小 野 信 昭

  城南区
坂 田 博 子
合 澤 英 夫
松 島 照 幸
小 林   智
中 山 廣 子

  南 区
戸 田 昭 洋
中 島 英 之
吉 田 邦 夫
光 安 龍 彦

  博多区
伴   洋 子
山 崎 敬 一
加 藤 尚 子
増 井 富佐子
向 井 光佐子
木 原 摩利子
高 丘   章
冷 川 美登里

 

『学校薬剤師へのお誘い』

(1) 学校薬剤師って、なーに?
 学校薬剤師は、教育委員会に所属する「特別職」。学校医・学校歯科医・学校薬剤師がそれにあたります。

(2) どんな仕事をするのですか
 「学校環境衛生の維持および改善に関し、必要な指導と助言を行なう」となっています。
 実際には、学期ごとに行なう飲料水の採水(検査は薬剤師会の試験センターでします)をはじめ、プール水の検査、日学薬・県学薬で行なう調査などで、1カ月におよそ1〜2回学校に出向くことになります。この他にも給食センターの環境調査も引き受けています。
 えーっ!これは大変だと思われたでしょう?でもここで躊躇しないでください。給食センターの調査以外は、ほとんど時間の制約がないのです。学校長や養護の先生と相談しながら、ご自分の出やすい時間帯でやっていけます。

(3) 学校薬剤師の報酬について
 市立学校の規模により、また県立か国立かによっても違いがあります。
    市立学校の場合 年間の報酬 161,000円
    市学校薬剤師会 会費     24,150円
                  136,850円
    初回のみ入会金        20,000円
                  116,850円

 以上は、すでに福岡市薬剤師会の会員さんの場合です。
 会員でない場合は、まず福岡市薬剤師会の全員になってもらわねばなりません。そこで、12月の申し込み時に市薬に入会してもらうと、次のようになります。

    福岡市薬剤師会
            入会金   20,000円
            B会費   12,800円

以上のように申し込み時に32,800円が必要です。そして、平成5年4月には、さらに市薬B会費の36,800円が徴収されます。学薬の報酬は平成6年4月に支払われますから、116,850円の報酬を受け取る以前に、合計69,600円が必要です。
(4) 学校薬剤師へのお誘い
 このように、「それ位の報酬でやってられるか」とおっしゃるかもしれません。しかし、学校薬剤師はもともと先輩の先生方が、無報酬のボランティアで始められたものです。
 小・中学生のお子さんをおもちのお父さん、お母さん。大切なお子さんの環境衛生です。引き受けてくださいませんか。授業参観や父兄会など、学校に出かけられる機会は多いと思います。そのような時に、校と、ちょっと声をかけてくだされば良いのです。大切な子ども達の環境衛生への思いがあれば、そう難しいことではありません。ぜひご参加ください。

問い合わせ先 福岡市学校薬剤師会

    副会長 吉田斌 TEL891−5220
    副会長 木原三千代 TEL503−1331

【広報通信】 ついてくる責任

福岡市学校保健大会で、「子供たちには、おいしい水よりも安全な水を」と研究発表したら、NHKに取材されてしまった。年1回開催される、学校保健大会での研究発表は医師会、歯科医師会、薬剤師会、保健主事の輪番制。4年に1回廻ってきますが、運悪く今年は薬剤師会の当番。今春学薬の役員を引き受けたぽっかりにと、後悔することしきりでした。

保健大会の前日「明日、『長期未使用時の飲料水検査について』というテーマで発表されますね」と、市政クラブの探町記者から電話がありました。どうも教育委員会から渡された大会資料を読まれて、子ども達が飲む水ならニュースのネタになると思われたらしい。学校現場での貯水槽と子どもたちが水を飲んでる映像。それに加えて、薬剤師会の試験センターで実際に検査をしているところも取材したいとのこと。

さあ、それからが大変!以前、橋口さんが書いていたように、記者さんはおしなべて数字がお好きで、鋭い突っ込みをなさるもの。探町記者が記事を書き上げるまでに、かかってきた問い合わせの電話は、およそ10回。

学校薬剤師って、学校で使う薬を管理するんでしょう?塩素が無くなるというのは、化学反応を起こして殺菌効果が無くなることでしょうが、小学4年生が理解できるような言葉で書くには、何んと書けばいいですかね?などなど。

小学4年生だと「分解」でいいんじゃないですかと言いましたら、ニュースの時間にキャスターさんが「塩素が分解されて…」と原稿を読んでいましたので、おもわずクスッでした。

それにしても、やはりニュースはNHKですね。反響がすごい。定期検査時に、残留塩素「0」の報告があった学校については、学校保健課で再検査されたそうです。従来、飲料水検査の採水状況については、日時と天候だけだったものが、今回からは、より正確なデータを得られるように、加えて曜日と時間もチェックするように様式を変えました。

医薬分業にしろ、学校薬剤師活動にしろマスコミに取り上げられて注目を集めれば、それだけ責任もついてくることになります。広報委員会で企画しました先日の座談会でも、地区薬剤師会長さんから、対外アピールを期待する声が多く聞かれました。

会報の編集理事から、文字どおりの広報担当理事へ。心してかからねば……。

(木原)

【会員の移動】

“はじめまして”

 福岡市薬剤師会で実施している広域病院からのFAX分業の窓口スタッフをご紹介します。

国立福岡中央病院
 職 員  江 崎 呑 苗(福大 S48)
 パート  女 賀 信 子(九大 S42)

九大病院
 職 員  徳 永 邦 代(熊本 S46)
 職 員  高 見 直 子(第一 S56)
 パート  安 倍 昭 子(熊本 S38)
 パート  若 狭 セツ子(神戸女S42)

国立南福岡病院
 職 員  宮 内 規久子(福大 H1)
 パート  上 田 龍 子(長崎 S56)
 パート  都 竹 えり子(東邦 S50)

−−以上は薬剤師−−
 事務職員  福 永 由起子
 事務職員  高 野 実 子

会 務 日 誌 平成4年11月1日〜12月31日

11月5日 常務会 19:00
  6日 国立南病院検討会 19:00
     環境にやさしい都市宣言市民協議会 14:00
  8日 支部対抗親善ソフトボール大会
  9日 急患委員会 19:00
  10日 国立南福岡病院研修会 19:00
  11日 学術研修会 19:00
  12日 支部長会 19:00
  14日 県薬伝達研修会 14:00
  18日 国立南病院南区検討会 19:00
  25日 漢方研究会 19:00
     薬局委員会
     南福岡病院打合せ 15:00
  27日 福岡市地域保健医療計画策定検討委員会
     医療リハビリ部会 14:00
     常務会 19:00
  28日 第27回臨時代議員会 15:00
12月1日 環境にやさしい都市宣言市民協議会 14:00
  1日 三役会 18:00
  2日 九大処方検討会 19:00
     常務会 20:00
  4日 九大処方応需について県薬と打合せ 18:00
  7日 県薬荒巻善之助会長藍綬褒賞受賞祝賀会 18:00
  8日 九大処方検討会 19:00
     広報委員会 19:30
  9日 理事会 18:30
     厚生省による保険薬局集団指導 14:30
  10日 九大病院処方検討会 19:00
  11日 政治団体収支報告説明会 13:30
  12日 急患委員会 15:00
  15日 南病院医師説明会 19:00
     三役会 19:00
  19日 進藤前市長葬儀
  25日 組織委員会 19:00

第17代福岡市長 福岡市名誉市民 進藤一馬氏顕彰像 除幕式

日 時 平成5年1月18日午前11時30分
場 所 福岡市美術館(南玄関前広場)

 上記のように「進藤一馬氏顕彰像除幕式」が挙行され、三津家市薬会長と吉田西区薬剤師会長が列席された。

[編集後記]

○新年あけましておめでとうございます。このジャーナルが先生方のお手元に届く頃は、もうお屠蘇気分も抜けておられることと思います。
 酉年の“酉”は、お酒を盛る器の意味だそうです。酉年に託つけて随分お飲みになられたのではありませんか。ある薬局の先生が言っておられましたよ。「酒と○は2台(号)まで」と。
○今年は全員相互の親睦をはかるジャーナルから、酉年に因んで外へ羽ばたくジャーナルとして、福岡市民へ薬剤師職能、医薬分業が少しでもアピールできればと思っております。一人でも多くの会員の方々からご意見、ご寄稿をお待ち致しております。

(橋口)

○お屠蘇に雑煮、おせちずくめの3日間から早一か月。博多ではプリの雑煮が最もポピュラーで、他の地方でよく使われるかしわは用いられません。なぜかと申しますと、かしわは歌うので縁起が悪いとされているからです。古い博多の言葉で“破産”することを“歌う”と言うのです。
 この話、よくできているようですが、正月にがめ煮をたべるところをみると、おそらく後からだれかが考えたこじつけにちがいないでしょう。
 今年は酉年。“うたう”ではありませんが大変な不景気が予想されています。不景気も半分は人の心理・こじつけがつくるもの。くれぐれも、雑煮のかしわにはなりたくないものです。
 私は今年、3度目の年男。ひたすら“うたわぬとり”を心がけてゆきたいものだと思っております。

(荒巻 滋)

平成5年1月31日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人  三津家 正 友
編集入  木 原 三千代
広報委員 樋 口 昌 嗣
     坂 田 博 子
     橋 口 扶佐子
     荒 巻   滋
印刷所  (有)興英社印刷