何十年前だったか、人類初の宇宙飛行士ガガーリン少佐は「地球は青かった」と言った。そして、オゾンホールや湾岸戦争など、地球的規模での環境汚染が大きく問われるようになった昨年、宇宙に旅した毛利さんもまた「地球に国境線はなく、青かった」と言った。
まだ間に合う!今しなければならないことは、環境問題を一人ひとりが自分のこととして行動を起こすこと。そうすれば、青い地球を子孫に残せるはずであり、またそうすることが、この時代に生きた私達の責務であろう。そして、学校薬剤師は日頃行なっている調剤業務とは全く異なり、その環境問題に大きく関与する職務である。
規程によれば、学校薬剤師は学校環境衛生の維持および改善に関し、必要な指導と助言を行なうとある。学校医、学校歯科医と同じく、教育委員会に所属する特別職。先輩の先生方が、長い間無給のボランティアで引き受けて努力してこられたことが、今日の学校薬剤師へとっながってきた。
昨年6月、27年ぶりに改訂された「学校環境衛生の基準」は、より環境に優しいものになっている。学校が汚染源とならないように、また子ども達には環境問題を実際に学ばせるようにと改訂されている。
平成4年度、組織拡充のため学薬活動に参加してくれる会員さんを募ったところ、新たに51名もの皆さんのご協力が得られることになった。5割もの会員増は、まことに画期的なことだ。先日開催した新人研修会にも、ほとんど出席されており、予定していた時間をオーバーするくらいの、熱気あふれる研修会となった。
検査項目および測定方法も、改訂となった「基準」にのっとり、より実情に即したものに変更する。落下細菌に加えて落下真菌を、騒音レベルはコンピューターを使った、等価騒音レベルなど、新しい測定方法も取り入れていきたいと考えている。
従来、学薬はOTC薬局の経営者か、勤務者でも比較的出やすい薬剤師が引き受けるものと思われていた。しかし、思いがけない早さで医薬分業が進展してきた現在、OTC薬局も保険薬局であり、調剤薬局となっている。開局時間内に薬局を空けることは非常に困難になってきた。
そのため、今後はできるだけ手を省けるような(たとえば、飲料水検査のために試験センターに採水ビンを取りにくる)作業などは郵送にしたい。また、搬入についても土曜日の午後は会館を開けるなどして、できるかぎり分業に支障がないようにしなければならない。ただし、必要に応じて学校に出向くことと、校長や養護教諭とは十分なコミュニケーショ・ンをとることなどは、決して手を抜くことが許されない。これが学業の本分であるということは、言を持たない。
医薬分業とともに、社会にアピールできるもう一つの職能である学校薬剤師。地域の環境衛生に貢献できる大切な職能であることから、今後は市薬事業の大きな柱としていきたいと考えている。会員の皆さんには、更なるご支援とご協力をお願いしたい。
エイズ予防キャンペーン
“知れば、知るほど怖くない−エイズ”これが、私達の、エイズ予防キャンペーンのキャッチフレーズです。保健所や衛生局は、依頼があれば、市内のどこへでも、エイズを正しく知ってもらうために、出かけていきます。この出前講座は、昨年の10月以来、4ケ月で85回も行われました。今年は、従来の相談事業に加えて、専門カウンセラーによる相談も設けます。検査も、もっと受けやすくなります。今、皆でエイズのことを、地域でも、学校でも、職場でも考えよう、と私達は言っています。前車の轍を踏みたくありません。今ならまだ、HIV(エイズウイルス)が国内に拡がるのを防ぐことができます。あるいは、今しか防ぐことができないのかもしれません。
病気の歴史は、偏見・差別との闘いの歴史
バルセロナのオリンピックで、ジョンソン選手は素晴らしいプレイを見せてくれました。まさにマジックともいうべきものでした。流れる汗、ぶっつかりあう肉体、まさにHIVは、日常生活(それ以上の接触でさえも)では感染しないということを世界に示しました。エイズに対する偏見・差別を払拭する点で大きな効果を示しました。自らHIV感染者と表明した彼の勇気が高く評価されている所以です。
HIV感染者の大きな悩みは、生命が危ないことへの恐怖と、感染者であると知られてしまった時の社会からの孤立へのおそれである、といわれています。自らをHIV感染者と表明することは決して、容易なことではありません。偏見・差別と闘う強い意思がいります。誰にでもできることではないでしょう。幸い、最近アメリカではエイズ発病者であっても職場を保障する企業が徐々に生まれているといいます。(毎日新聞、5・2・18)もちろん、日本でも、東京商工会議所は、その「職場とエイズ−企業のエイズ対策の手引き」の中で、偏見と差別除去についてもいくつか、述べています。例えば、
○エイズ予防法や憲法の精神からエイズ感染者に対する雇用上の差別を行ってはならない。
○雇用上の処遇は心臓病や糖尿病などの病気と同様にする。
○採用前、採用後の健康診断でエイズ検査を行うことには問題がある。
○職場でエイズ啓発教育を行う必要がある。
などです。
HIVと治療
これまで、HIVに感染すると10年間で50%が発病し、発病すれば2年でほとんどの患者さんは死亡するといわれていました。最近、治療薬の開発のおかげで、エイズの発症や進行が遅らせられるようになってきています。また対症療法も改善され、最も新しいところでは発症2年後の死亡率は50%に減少したとされています。
最近の治療情報については、Newton12(12)1992の根岸昌功、東京都立駒込病院医長のインタビュー記事をそのまま引用させていただくことにします。
Newton−HlV感染者の方が病院にきた場合、先生はどのような治療を行っていますか。
根岸−まずその人の免疫の能力を調べます。いちばんの指標となるのはHIVの標的となるヘルパーT細胞の数です。これがある程度まで下がってきた場合にはAZTないしddIといった薬剤を使って、それ以上ウイルスがふえないための治療をはじめます。この値がさらに下がってきますと日和見感染をおこす危険性が出てきます。日和見感染の中で大きな位置を占めているのがカリニ肺炎です。これにはペンタミジンという薬剤の吸入療法がとても効果的です。私たちの病院でこの療法をやっていてカリニ肺炎をおこした例は皆無です。
Newton−エイズが発病するのをできるだけおさえるわけですね。残念なことに発病してしまったあとはどうされるのですか。
根岸−あらわれてくる日和見感染やエイズ脳症、悪性腫瘍などによって治療法がことなります。カリニ肺炎には先はどのような治療法もありますが、日本人患者に多いサイトメガロウイルスの感染に対しては毒性の強い薬剤を使わなくてはならないケースもあります。現在エイズ治療薬としては、AZTとddIを使っています。最近アメリカでddCも認可になりました。将来これも使えるようになるでしょう。ただしこれらの薬剤はどれも逆転写酵素阻害剤という仲間に属します。できればほかの方法で、HIVに効果をもたらす薬剤が登場するとありがたいのです。
HIVとともに生きる
このように、HIV感染症に対して、治ゆは不可能でも、その発症や進行を遅らせることが可能になってきました。そのためアメリカではHIV感染症は、慢性疾患として取り扱われ始めているといいます。アメリカで、HIV感染状況、関連機関をつぶさに視察してきたケースワーカーの矢永由里子氏によれば、HIV感染者にはいまだ社会の根強い偏見があり、感染者は住宅問題、医療費、生活費の問題をかかえているといいます。HIVとともに生きるとは、慢性疾患としてのエイズウイルスと共存するとの意の他に、地域、学校、職場で、偏見・差別なくHIV感染者とともに生きていく意です。
HIVは知れば知るほど、正しく理解すればするほど、こわくない、ということを、もう一度、くり返させていただきたい。
幼いころ、家にあった薬箱をのぞき見るのが、なぜかおもしろかった。きれいな表示の瓶や箱の中に、いろんな色の錠剤やカプセルがあって、子供ながらに好奇心をかきたてられたのだろう。もちろん、薬をひっくり返して親に叱られたような思い出はいっぱいある。「小児の手の届かない所に保管してください」と注意されても、狭い日本の住宅事情では、腕白な子供の手の届かない場所などなかったようだ。
小学生にもなると、すり傷や虫刺されの手当ては自分でするように言われた。お墨付きが出た訳だ。オキシドールをしみこませた脱脂綿を傷口へ当てると、しゅわしゅわと白い泡がたっのが、理科の実験のようで楽しかった。きれいな綿でふき取った後に、赤チン(マーキュロクロム液)か黄チン(アクリノール液)を塗ればできあがり。たいした傷でもないのに、大きなガーゼを紙テープで貼り付け、それがかっこいいような気分になったものだ。
自分が初めて薬の恐ろしさを感じたのは、小学校3年生で友人の死に遭遇した時だった。クラスで一番のひょうきん者だった彼は、寒さの近づいた季節に、かぜをひいて学校を欠席し、そのまま帰らぬ人となった。「かぜ薬と間違えて、おうちにあった眠り薬を飲んでしまったんだよ」と学校で教えられた。近くの寺で開かれた告別式で、クラスを代表して弔辞を読んだ。学芸会を前に、みんなで阿蘇山の模型を作った様子などを話したように覚えている。当時はお年寄りが亡くなることは自然に理解できても、同じ年齢の友人にまで死が訪れるのは、すごく不思議なことに思えた。ただ、我が家の薬箱では見たこともない薬によって、彼の姿が消えてしまったことが怖かった。
薬箱に入っているいろいろな常備薬は、内服であれ外用であれ、年に1度通って来る富山の薬売りの人たちが持って来たものが多かったように思う。まだ自転車につづらを乗せて、家々を回っていた時代のこと。東北地方の農村に育った妻は、薬売りのおじさんが来るのを、いつも心待ちにしていたという。薬の名前が書かれた宣伝用のゴム風船をつまんだり、ひねったりしながら、子供相手にペンギンやヒヨコなどの人形を作ってくれる「名人芸」が楽しみだったからだ。
薬売りの人たちの足は、つづらを乗せた自転車から、いつしか大きな箱を積んだライトバンに代わり、そんな芸も見ることができなくなった。私たちも転勤族に加わったため、薬売りの人たちとの線が切れてしまった。今では、会社の健康保険組合から年に1回送られてくる常備薬の補充申し込み書が、その役割を担っている。
便秘薬とか、ビタミン剤とか、薬箱の中でも使う機会の多い薬は、家庭によって異なっているだろう。春先には花粉症対策の目薬と鼻炎カプセルの存在が、どんと幅を利かすこともあるようだ。そんな各家庭のちょっとした弱みを、自然と包み込んでいるのが薬箱でもある。
わが家には、小さいながら木製のしゃれた薬箱が置いてある。「これどうしたんだっけ」「結婚のお祝いにもらったのよ」。改めて考えたら、結婚祝いにもらった品の中でも、いっもテーブルの上にある白いポットの次に、この薬箱が活躍しているように思えた。新家庭への贈り物に薬箱とは考えたもの。またいつかどこかで、子供たちに不思議な世界を開いてくれるような気がする。
福岡地区勤務薬剤師会会長の豊福先生が、市薬ジャーナル第51号の「巻頭言」で、福岡地区勤務薬剤師会について書いておられましたが、その中で調剤薬局部門から小生を新たに理事として入れたということが書いてあります。そこで、その辺のいきさつ等を書いてほしいと依頼がありましたので葦を取りました。
豊福先生の文章にありますように、昨年6月、「福岡市薬剤師会勤務部会」が「福岡地区勤務薬剤師会」と名称変更され、それに伴って今まで私ども調剤薬局部門の会員も準会員から正会員扱いにしていただきました。その折、会長の豊福先生から「調剤薬局部門の会員数も、かなりの人数になったので、調剤薬局部門から新たに理事に入ってもらうことにした。ついては理事を引き受けてほしい」と、電話をいただきました。その時、私よりも理事としてふさわしい先輩の先生方が、多数おられるのにと恩いましたが、何か一つでも私でお役に立つことがあればと考え直してお引き受けしました。
この様ないきさつで理事に就任しましたが、初めて理事会に出席した時、会長はじめ理事の先生方の熱意とパワーに圧倒されてしまいました。先生方は、真剣に会員のことを思い、会員の研修、相互の親睦、これからの薬剤師のあり方等について、活発に意見を述べられます。また、会の事業活動を通じて、一人ひとりの会員が、一歩でも二歩でも薬剤師としての資質向上に役立ててほしいと頑張っておられるのを見て、感服いたしております。いつも感心ばかりして、他の理事の先生方の足手まといになっているだけで、大変申し訳ないと思っていますが、私にとって非常に良い勉強の場となっております。
さる1月23日、今年初めての「福岡地区勤務薬剤師会」の講演会が開催されました。講師のKBCテレビ製作局製作部長の湯川茂光先生は、講演の中で「人と接することで、新たな人生のエネルギーとする」という意味のことをいわれました。私も全く同感で、理事の先生方のエネルギーを吸収し、自分のパワーアップを計りたいと思っております。そのうちに、少しでも皆様のお役に立てるようになればと考えております。
保険薬局に勤務しておられる薬剤師の皆様のご入会をお待ちしております。
薬局を開設した時は、調剤も一般薬(OTC)も取り扱う薬局と、その中での薬剤師の本来あるべき姿を夢見ていた。しかし、処方せん発行側とマンツーマンのスタイルでないと経営的に成り立たない調剤(薬局)は、いろんな意味でかなりの努力が必要で、とても無理であると悟り、OTC販売のみの薬局として専念することになった。とは言え、「これでも、プライマリーケアには十分責献出来るのだ。」と自分なりに勝手に納得していたのである。こうして、煮えきれない気持ちで10数年が過ぎ去った。
ところがである、突然、昨年8月に「九大病院が外来処方を院外に発行するので、その説明を行う。」という市薬からの知らせが届いた。
開局薬剤師としての職能と、その役割が問われ、今こそ薬剤師相互の協力が必要なのだと感じた。おおげさかも知れないが、「今、時代が変わろうとしているのだ。これから薬剤師の真の職能が発揮出来、医薬分業の幕開けが始まったのだ!」などと思った。九大の院外処方せんは、その年の9月1日より、指定の応需薬局に対し100%発行されると言うことであったため、「善は急げ」と、きっそく九大病院の院外処方せん応需薬局の指定を受けた。
そして更に、保険薬局の申請を行い、FAXを設置し、その他の備品(医薬品棚、調剤用天秤、九大病院に準じた薬袋作成等々…。)を取付けるなどして、後は九大の院外処方せんを待つばかりとなった。ところが、事情がどう変わったのかは、詳しくは知らないが、9月1日からは、特定の調剤薬局に対して、試験的に20%の院外処方せんを発行した後、9月14日より全指定薬局に対して、40%、10月より100%発行するとの知らせが届いた。9月14日から院外処方せんが日に1〜2枚位(せめて週に1〜2枚)は発行されるのではと期待していたが(当初の市薬の説明ではもっと多かった)、9月の下旬に1枚10月に2枚(内1枚は知人の処方せん)、12月に1枚(知人の処方せん)のわずか4枚FAXが届いただけであった。
以後、1枚の処方せん(FAX)も九大からは送られてこない。患者さんに対する対応その他で、何か不備があったのではと、思い悩んだりもしたが、とりたてて思いあたらない…?聞くところによると、院外処方せんは、門前薬局にほとんど(90%位と聞く)流れているとか?もちろん、薬局の選択権は基本的には、患者さんにあるわけだが、発行側にもある程度は指定の応需薬局の利用を勧める位のことはしてもらいたい(あるいは、患者さんの居住地に最も近い薬局を指定することは出来ないのだろうか?)。何のために指定申請をし、九大の調剤実習を受けたのかわからない。ただ単に処方せんを院外に出せば良いと言うものではないのではなかろうか。
また、処方せんが1枚もこない現状で、現在、毎月開催されている処方検討会に出席するのは、どうにも気乗りのしないものになっている(実際に検討会を行って下さっている先生方のご苦労には、感謝してはいますが)。市薬によれば、門前薬局は現在院外処方せん応需に対して、パンク寸前で対応しきれない状態になっているので、直きに他の指定薬局にも均等に、処方せんが流れていくとの説明がなされていたと思う。それにしても、これは弱肉強食の野生の世界で、弱者が残り物のライオンの餌を食いあさる様そのものの構図をみているようである。
この様な気持ちをいだいているのは、私だけなのだろうか?べつに営利目的で応需薬局の指定を受けたっもりではないが、この様な現状ではOTC販売のみの薬局に専念していた時以上に、とても煮えきれないものがある。今は、本来あるべき医薬分業を夢見つつ「絶対来ないかも知れない処方せん」をただひたする待つ今日この頃である。
平成4年9月14日に九大病院の院外処方せんが発行され始めまして、早いものでもう半年の月日が流れています。薬剤部の先生方の御指導をいただきながら何とかここまでやってこれた、というのが実感です。処方せん発行率は少しづっ伸びており、2月の平均発行率は約40%で、その内訳を申しますと過半数が恵愛団薬局で、残りが福岡・筑紫・糸島・柏屋・宗像地区の122件の応需薬局となっております。
院外処方せん受付窓口(通称13番窓口)には6名の美人スタッフ(1月号の市薬ジャーナルでご紹介いただきました通り、薬剤師4名事務2名)が従事しており、終始明るい雰囲気が漂っています。ところで13番窓口には6名もスタッフがいるなんて、一体どんなことをやっているのだろう、と疑問を抱く会員の方も少なくないと思います。そこでこの紙面をお借りして私達の日頃の業務を紹介いたしましょう。流れとしては
受付>処方チェック>コンピューター入力・支援情報の作成>FAX送信
となります。
1.受付
診察を終えた患者さんは、5番窓口で院内投薬か院外投薬かを決めます。院外処方が決定したら次に13番窓口で薬局を決めます。受付では、「どちらの薬局にされますか?」と薬局の地区別一覧表や地図を片手に患者の希望にそう薬局を選ぶわけです。13番窓口の〔顔〕ですのでやさしく、ていねいにをモットーにしております。また薬剤によっては院外に出せない場合があり、ただ単に薬局を選ぶだけというわけにはいかないので細心の注意を払っております。
2.処方のチェック
処方せんの控を見て内容をチェックする作業です。いわば13番窓口の〔心臓部〕といえましょうか。薬剤の規格・用法・用量・相互作用・長期投与の不可など疑義が生じた場合には但ちに担当の医師に問合わせをします。その他に、コンピューター入力するために、用法にコード番号をつける作業もしています。
3.コンピューター入力=支援情報の作成
九大病院が国立中央病院や国立南病院と違うところは、控の処方せんだけでなく支援情報もFAXで送信している。ということだと思います。正確な処方を解する手段として、応需薬局にとってはとてもありがたいことではないでしょうか。ここでは若い2人が頑張っており、13番窓口の〔華〕といえましょう。
4.FAX送信
処方せんの控とコンピューター入力された支援情報を再度チェックして、FAX送信する作業です。13番窓口の〔手・足〕であります。
以上が13番窓口の業務内容ですが、ご理解いただけましたか?
思いおこしますに、初めの頃は私達も要領が悪くミスも多くありました。また薬局からも初歩的すぎる質問や調剤拒否まがいの電話を受けたりし、「あれでよく応需薬局を引き受けたものだ。」と首をかしげたものです。さすがに今ではそういうことはなくなりましたが。
最近では院外処方せん発行を理解している患者さんも少しづつ増えています。(丁度発行率と比例しているようでもあります。)ところで次のA・B両患者さんの会話の内容を考えてみてください。
患者A:前と同じ○薬局でお願いします。薬は揃ってなかったけど、親切に配達して頂いて助かりました。だから今回も○薬局で。
患者B:前の×薬局は止めときます。薬も揃ってなくてね。何とか配達はしていただいたけど。今回は△薬局で。
2件の薬局は、薬が揃わなかったので配達をしたことに変わりはありませんが、患者さんの反応は違っていました。確かに九大病院で扱っている約1500種類もの薬剤を在庫している薬局は皆無に等しいでしょう。新患や2回目以降でも処方が変更になった場合は、慌てて用意している薬局がほとんどだと思います。先程のA・B両患者さんに詳しく尋ねてみると、○薬局の薬剤師は薬の知識も豊富でいろいろ教えてくれる。それに物腰もやわらかで好感がもてる。それに反して、×薬局は薬剤師が不親切だし店の雰囲気も悪かった、とのことでした。要は薬の在庫云々よりも、薬局側と患者側の相互の信頼関係ができているか否かの違いのようです。
医療法改正に伴い薬剤師の責任がますます重要視されようとしている現在、地域における保険薬局は、患者さんから心より頼られる〔かかりつけ薬局〕としての自覚をもつべきだと思います。そのためには薬歴管理と服薬指導を徹底し、処方せん応需体制の一層の確立をはからなければならないと思います。
先日の処方検討会で発表された、ふじの薬局の先生が「九大の院外処方せんについては全くの赤字ですが、今は過渡期ですのでこれを乗り越えて、前向きに頑張って行きたい。」と詣されていたことが印象的でした。そういう状況の中で私達13番窓口一同も、患者さんと薬局の橋渡し役として、微力ながらもお役に立つよう精一杯頑張って行きたいと思います。院外処方せんが広域に拡散することを願いながら……。
かつて私達の調剤業務は、調剤室の中で医薬品を管理し、処方せんの用量をチェックし、薬をとり、数える、分包するなど調剤する時、処方せんに基づいて正確に、早く、手際よく処理する、というような「薬」を中心としたものでした。しかし現在では調剤報酬の中に、少しずつ服薬指導、薬歴など含めた技術料が認められて、この事などから判断してこれらの調剤は単に薬を調製する行為のみでなく、薬剤師が薬歴、患者情報を管理し患者さんに安心して、かつきちんと服用していただく為の指導など含めた「患者」を中心とした調剤に変わってきています。
これらの事を実践する為には、まず患者情報をとり、分析し、よりよい服薬指導をする事が大変大事だと実感しています。そこで今回は未熟ではありますが私の勤務している薬局での業務をもとに触れたいと思います。
情報収集は薬剤師自ら患者さんに直接話をして収集する事が大事です。患者さんの中には自ら話し出す人、なかなかしゃべらない人、ぜんぜんしゃべらない人と様々ですが、個人情報をとるとき尋問形式でのものは、患者さんが心をひらいて対応してくれません。
聞きやすい雰囲気づくりをし、話す時は必ず相手の目を見るように心掛け日頃の会話や服薬指導の際や処方せんによる情報(年令、保険、その他)なども参考にしています。患者情報の中でも特に大切な薬物アレルギーの有無、併用薬チェックについて触れてみたいと思います。
薬物アレルギーチェック=「薬物アレルギーはありませんか?」と質問しても何の事かピンとこなくてこちらの希望とする答えがかえってこない場合が多いので具体的に「今までにのみぐすりや注射などでじんましんなどでた事はありませんか?」と言うようにきいています。
例えばペニシリンアレルギーの方に、ペニシリン系の薬がでていた場合、まず処方医にその事を伝えているかどうか尋ね、伝えていない場合は必ず処方医に連絡して指示をあおぐ必要があります。そして薬歴カルテに必要事項を記載し「できれば赤など目立っもので書いた方が見落としが少ない)患者さんにはいろいろな診療科に受診する場合の注意点を指導しています。
併用薬チェック=複数医療機関での受診と併用薬の有無を尋ねる事は薬の安全性やコンプライアンスをあげる為の重要なポイントになります。「現在地の病院でお薬をのんでいらっしゃいませんか?」と尋ねる様にしていますが患者さんは今受診しているDrに対して、他の医療機関に行っている事を話したら怒られないだろうか、申し訳ない、診療科が違えば薬は関係ないだろうという判断で、他の医療機関に通院している事を伝えていない場合が多いようです。
こちらで明らかに関係がないと判断できれば併用はよいですよと言えますが、不明な点が多いと調べる必要がでてきます。一番いいのは他院の薬を持ってきている場合ですぐに鑑別できますがそれ以外の時は、相手処方医に問い合わせの電話をする場合があります。相手Drが処方せん発行医であれば割と簡単に処方薬の内容を教えていただけますが、処方せん未発行医の場合であると、薬局における併用薬チェックの業務をまだ理解してくれず「どうしてそのような事を聞くのか!」と何度か怒られた事もありました。
このような場Drの感情を和らげる為、まずこちらの処方を明らかにして「そちらの薬といっしょにのんでよいでしょうか」と尋ねるようにしています。しかしこちらの処方を明らかにする場合でも、処方医によっては詳しい薬剤名まで公開する事を好まない場合もあるので例えばペニシリン系、消炎鎮痛剤等と連絡するようにしています。
併用薬名を鑑別し重複、相互作用をチェックし、併用の可否で問題ありと判断した時はDrに情報フィードバックし指示を仰ぎ、患者さんに併科受診の際その旨を伝えるか、薬を持参するなどの適切なアドバイスが大事になってきます。
以上業務の一部でありますが、薬剤師の地道な仕事の積み重ねによる患者本位の調剤というものが負担金の割高、二度手間というデメリット以上のメリットになり、患者さんに喜ばれ、国民に納得されるような医薬分業を創りだすものと確信しています。
もう三年ほどになるだろうか、いつの頃からか、右の耳の聴こえが悪くなった。なにげなく左をふさいでテレビを見たら、音は聞こえてもセリフがわからないのに気がついたのである。気にしていたら、だんだん聴力が落ちて、目覚し時計のベルも右の耳ではかすかにしか聞こえない。耳鼻科に診てもらったが、年から云ってもこんなものかもしれませんよ、で片づいて、本人としては納得いかないながら諦めていた。耳の病気もしないのに、この年で(…?)遠くなるなんて。じゃあ左の耳も…と思ったりした。
もう一度別の耳鼻科に、と思いながら、痛くもかゆくもないのでつい一年余も経って、このほど小学校で保健委員会があり、校医の耳鼻科の先生にお会いした機会に、ついて行って診てもらった。
「おそろしく見にくい耳だ。」とぼやきながら、ファイバースコープを入れて見て下さって、「ある、ある。」と、少し痛かったが取って下さったのが、厚い耳あか。「あ、落ちた。拾って見せてあげなさい。」鼓膜にはりついていたらしい。乾いた耳なのだけれど、多分耳かきで傷つけたか何かで、分泌物が出たものではないか。そう云えば最近耳かきに耳あかがついて来なかった。お風呂で暖めるたびに奥にはりついていったに違いない。
ともかく、聴力は完全に戻り、世の中の音がステレオで聴こえる。ついでに、ひどかった耳鳴りがなくなった。
うららかな春とともに私の耳にも春が来て、こういうこともあると、耳が遠くなったと諦めてはいけないと申し上げたくて、恥しいお話を一席。
4月9日20:50ストックホルム国際空港到着。暗闇のハイウェーを約1時間の後ホテルにたどりつく。今日こそ早く寝ようと思っていたところ某氏よりおさそいがかかり、3人で夜の町へくりだすこととなる。旅の初めからこんなに無理をして体力が続くのだろうかと心配であったが、ストックホルムはかねてよりあこがれていた都市だったので、気力での市街探訪参加であった。
ホテルロビーで待ち合わせ。「一番すきな所を教えてくれ」とボーイにたずねる。彼は観光地図に印をつけたくれた。BERNSと書いてある。タクシーに乗り込みBERNSをめざす。よしこれでやっとビールにありつける。
ところがである。我々3人はストックホルムの町のまんなかでタクシーから放り出されてしまった。しかたない。歩くか。それから10分も歩いただろうか。運よく交差点で客持ちのタクシーをみつけた。再びタクシーに乗り込む。カーラジオからはアラビアンポップスが、がんがん流れてくる。この人はどうもアラビア人の出稼ぎ労働者らしい。アラビア人がスウェーデンで問題をおこすと、直ちに本国に送り返されると聞いていたので安心したものの、メーターが倒されていないのに気付き、またか、の不安がよぎる。
その時にぷい音とともに衝撃を感じた。我々を乗せたベンツのタクシーにボルボのリムジンがぶつかったのだ。日本ではまず見ることのできぬ両横綱の対決は、どうやら引き分けに終わったようだ。
やっとのことでBERNS到着。ストックホルムの若者に今最も人気のあるナイトクラブだ。店に入ってコートを預ける。北欧では店に入る時必ずコートをあずけ、その手数料を払うシステムになっているようだ。コートを脱ごうとすると、横に常連客らしい大男が立ちはだかる。しきりと英語で話しかけて来る。よほど日本人が珍しいのだろう。
案内されて席に着く。店内は若者でごった返している。北欧のイメージではないのだが黒人の若者も多い。人口一人当りの移民受入れ数ヨーロッパーの国ならではの光景だ。
午前0時。それまでは小さく控え目だったラテンのBGMが徐々にボリュームをあげてゆく。突然、高さ10m程はある正面の壁が動き出した。壁の向こう側に現れたのはドーム型のナイトクラブ。男性客は皆ブラックタイ、女性客は皆イブニングドレスでラフな雰囲気のこちら側とは全く対照的。このミスマッチがなんとも不思議な雰囲気をかもしだしている。天井に吸い込まれてしまった壁の下がディスコのフロアとなる。学生時代、天才建築家一安藤忠雄氏設計のクラブが軒を連ねる神戸北野町あたりを夜な夜なはいかいし、この手の驚きには完全に不感症となってしまっていた私だが、これにはさすがに度胆を抜かれてしまった。
私達3人の左横に座ったのは、20才そこそこのストックホルム美人5人組。「TOKIOから来たのか」とたずねるので、「福岡から来た。日本は4つの大きな島からできている。そのうち最も南の島、九州の福岡から来た」と必死で我が郷里をアピールするのだが、彼女が知っている日本の都市は悲しい事に東京だけ。「僕はボルボを使っているのでスウェーデンからの情報誌が毎月届く。ストックホルムはとても興味ある町で、今度の旅を以前からすごく楽しみにしていた」と説明すると、「なんでボルボなんかのってるの。私の友達は皆日本車よ」と不思議がる。知ってる地名は東京だけ、しかし友達は皆日本車。どうやら日本はただの物売りとしか思われていないらしい。
話しに夢中になっていると、同行の1人が太った大柄な男にしつこく話しかけられている。どうやら彼はゲイらしい。ゲイに声をかけられるなんて初めての経験。対応に困りはてた我々はなんとも不愉快な気分となり、とうとうこの店を後にした。
ホテルのBarで飲み直し。明日はまた早朝よりハードな1日が始まる。部屋に帰って寝るとするか。
3−24月10日午前7:30起床。市内観光へとでかける。ストックホルムは世界で最も自然との調和がとれた都市の1つだそうで、ちょっと町外れまで来ると、鹿や野生の小動物達がうろうろしている。スウェーデン人は車のトランクに、誤ってトナカイをひいた時に息の根を止めて楽にしてやるためのハンマーを積んでいるときいていたが、この光景を見るまではただの作り話しだとおもっていた。
ストックホルムは沢山の島や入江に橋をかけてできた水上都市だ。それらの橋のいくつかは、北欧人の愛するヨットがその下を楽に通過できるようわざと高くつくってあるpその昔デンマークからバルト海を封されて外海への道を失ったスウェーデンは、ストックホルムに接するメーラレン湖と外海とを60cmの海面差をのりこえ運河でつなぎ、これを克服した。
ストックホルムで最も美しい建造物、シティーホール(3−2−a)へむかう。ここはノーベル賞授賞式の晩餐会が行われることで有名だ。何年に行われた晩餐会に出された料理を食べたいと前もって予約しておけば、それにありつくことができる。北欧民族の建物にふさわしく陸と海との両方に玄関をもち、その内部もスウェーデンに古くから伝わる建築様式にもとずいてつくられている。
ノーベル賞授賞式の晩餐会が行われる青の間の正面階段は、実際にイブニングドレスを着た美女を歩かせ、その姿が最も美しくみえるように1段の高さ奥行きを計算したといわれている(3−2−b)。なかでも私のお気に入りは晩餐会後の舞踏会場となる黄金の間だ(3−2−C)。北欧の冷たく澄んだ空気の中で輝くその美しさは他にたとえることのできないものである。
大廊下の天井近くには数メートルおきに立派な胸像がかざられている。歴代の国王の像かと思いきや、以外にもシティーホール建築にたずさわった大工の棟梁達の像なのだそうだ。応接室には、ひざまずいて丸くなった男の背中に立っている神様の像がある。本来は深い宗教的意味を持つものなのだそうだが、ストックホルム市民の間ではもっぱら「重税に苦しめられる我々をあらわしている」と皮肉を込めて言われている。
同じ階に、スウェーデンの対デンマーク戦勝記念として作られた仕掛け時計がある。この両国は過去において何度も戦争を繰り返しているにもかかわらず親密で、その関係はちょうど東京都と大阪みたいなものだろうか。
シティーホール見学を終え海辺の小さなレストランへ。すべてのテーブルにスウェーデン国旗と日の丸を立て、郷土料理でもてなしてくれる。この国の料理は非常に塩辛い。食物があまり手に人らぬ冬の問保存をきかすためだろうか。そのせいもあってかスウェーデンは昔から世界で最もビールを飲んだ国の一つに数えられている。シティーホール建設時にも工事にたずさわる工夫達のため湖の対岸のビール工場より毎日毎日大量のビールが船ではこぼれてきたそうだ。
意外にもスウェーデンは禁酒法の歴史を持つ国である。その昔、宮殿でパーティーが開かれる時もテーブルに酒の用意はなく、各自がホールの片隅に設けられたBarへ行き、現金と引換えに好みの酒を求めた。驚くことに国王自ら現金で酒を買ったと聞いている。本当にこの国の人の発想はかわっている。現在でも酒にかかる税は、ただでも高税のこの国においてもなおきわだっているらしい。
昼食の後、旧市街へ。建築物と人と乗り物の重さに耐えかねて刻一刻と地盤が沈下してゆくというのが我々日本人の常識である。だがここでは違う。氷河期にさんざん上から押さえつけられていた土地は、現在も休むことなく隆起し続けている。家がこのために傾いてしまうぐらいであるから相当なものだ。当然その地盤は非常に堅く、これをくだくためにノーベルのダイナマイトは発明されたのだそうだ。現在この国は北欧一の工業国で、身近なところでは立体交差や電気掃除機もスウェーデン人の発明だ。
日本の伝統ある街の多くがそうであるようにストックホルム旧市街も多くの規制を受けており、壁の塗り替えーっするにも所有者の意志ではままならぬそうである。昔は街のほうぼうに関所がありそれを鍵で開けて入ったそうで、その一角にある世界で最も古いといわれる国立銀行に向かって思わず私は手をあわせた。
王宮前では衛兵の交替式が行われていた。スウェーデンは徴兵制のある国で、20才前後の青年達が見るからに着慣れぬ軍服を着てさっそうと行進する姿はなんともユーモラスだ。バルト海沿岸をことごとく征服してアルプスのふもとまで攻め入りスイスが永世中立国となるきっかけをつくったかつての強国スウェーデン・グスタフ朝の軍隊とはとても思えない。
門番の兵隊が直径約3mのペンキで描かれた円の真ん中に立っている。決してあの円の中に立ち入るなとガイドから忠告された。円の中に入ろうものなら、直ちに銃剣で刺し殺されるのだそうだ。ほろ酔い気分でからかおうものなら、やさしい笑顔の兵隊は、鬼と化して情け容赦なく毒針\かかってくるにちがいない。平和主義者であり、物事をじっくりと合理的に判断し、こうだと決めた事は信念をもって行動にうつす、スウェーデン気質を連想する。王宮前を後にしてスウェーデン全国薬局公社へ向かう。(つづく)
私は、平成5年度の学校薬剤師として中央区当仁小学校を担当するように、福岡市学校薬剤師会から福岡市教育委員会へ推薦していただくことになりました。当仁小学校には、この春2年生になる長男が通っています。
現在私は薬局で働いており、父母会などの活動になかなか参加することができません。日頃、それでもなにか学校に通う子供たちの役に立つことがしたいものだと考えておりました。ですから、市薬会報に載った学校薬剤師の募集を見た時、「これだ!」と思いました。薬剤師であることを活かして子供たちの健康と安全を支える役目ができるとすれば、私にとってこんなうれしいことはありません。
夏になれば子供たちが楽しみにしているプールの授業が始まります。その水泳プールの管理や学期ごとに子供たちの飲料水を採水検査するのが学校薬剤師の役割だとか。学校には月1〜2回出向くことになりそうですが、自分の都合のよい時間帯でよいとのことなので「私にもできる」と決心したわけです。
福岡市学校薬剤師会では「一人一校制」を目指しているのに、現状では希望者数が不足しているといいます。私はこれからの1年間、薬剤師だからこそできるこの役目を一生懸命やってみたいと患います。
○今号に『エイズとくすり」を寄稿してくださったのは、福岡市参与の西岡先生です。「エイズの予防は緊急の課題となっています。このたび貴会報に貢をいただき、PRさせていただくことに感謝しています」とのコメントを付けて送ってくださいました。
学校現場では、高校生にコンドームの使い方を試験管にかぶせて教えています。企業もエイズの講演会を開くなどして、独自に、また積極的にエイズ予防にかかわろうとしています。地域の保健医療を担う開局薬剤師としては、企業さんに負けてはいられません。「エイズなんて関係ないわ。行政がなさればいいんじゃないの!」ではなく、もっと積極的に取り組まなければならないのではないかと思います。
近所に住む救急隊員さんに「教育水準の高さから言って、日本はアメリカほどはならないいんじゃない?」って言ったら、「またまたぁ、自分がエイズに関係ない歳になったからって…」が、帰ってきました。関係ない歳ねぇ…!?
○朝日新聞の米山記者が、東京本社の科学部に帰りました。「朝日新聞の記者が、外部の刊行物に署名入りで書くときは、上司の許可がいるんですよ」と言いながらも、許可をもらって書いてくれた米山さん。「福岡市での最後にいい思い出になりました」を残してくれて。
かくして、市薬ジャーナル3月号は、始めて朝日新聞東京本社に送ることになりました。
(SAN)
本日は小雪のちらつく寒いなか、お集まりいただきありがとうございます。
今回の座談会は、1月専務理事に就任された合澤先生からのお申し出により、広報委員会で企画致しました。
合澤尊者理事によれば各支部長さんからのご意見を伺う機会はかなりあるが、一般の会員さんからは滅多に伺えない。そこでこのような機会に、直接会員さんの忌憚のないご意見を伺い、また執行部の方針も伝えていきたいとのことでございます。
それでは、まず、薬剤師会で行っている事業についてということで、FAX分業の財政的な措置についてから伺ってまいりたいと存じます。東区の加藤先生からお願いします。
血清コレステロール値の増加で虚血性心疾患の羅患率、死亡率が増加し、特に糖尿病では、明らかに危険度は増しており、血清コレステロール濃度をできるだけ低下させることで死亡率を低下させてきた。しかし、逆に血清コレステロール値の低下により癌、脳出血、事故・外傷・自殺が増加していると言われる。血清コレステロール濃度値が160〜199mg/dlを最低値として、低くても高くても、総死亡率は高くなっており、160〜199mg/dl範囲の目標値を一つの目安として治療すべきであろう。
PTM Vol.6.4(3)FEB.,1993
睡眠障害の客観的所見はポリグラフイーを参照下さい。翠症うつ病の場合、抗うつ剤の投与がファーストチョイスであるが、抗うつ剤の作用発現は一般に遅く睡眠障害の改善には睡眠薬の併用が必要である。うつ病性不眠の症例にたいしては徐波睡眠の減少を改善させる睡眠薬を使用することが合理的である。従来、知られているベンゾジアゼピン系睡眠薬は、徐波睡眠を増加させる作用は認められないので、薬剤としては徐披睡眠を増加させる作用を有するゾビクロン(アモバン)を使用すると良い。通常ゾピクロン7.5mgを就寝前に服用させ、睡眠障害が改善すれば中止とする。
PTM Vol.6.4(3)FEB.,1993
香料は、化粧品接触皮膚炎患者の2%、色素の中のY−204は2%、ヘアダイの中のPPD、PTD・2HCLは8%、基剤のlanolin alcoholは2%という陽性率を示している。最近、化粧品による接触皮膚炎の原因としては、美溶液や保湿液と枝毛防止製品とアイライナーやマスカラーなどの液状眉目製品に含まれる揮発成分が、強い刺激反応を示している。
急患センター出動者懇親会が行なわれ委員として初めての参加であった。
成澤先生の司会で進められ、三津家会長中島急患委員長のあいさつに続き、松枝副会長の乾杯の音頭ではじまりました。
盃を重ねるにつれセンターでは厳しい目で勤務されている先生方も緊張がほぐれ和やかな雰囲気につつまれて、各テーブルで談笑の輪が出来ていました。
日頃先生方とお話しする機会の少ない私ですが、趣味、薬品の情報等を得ることができ充実した2時間余を過ごせたことを嬉しく思います。
※急患センター出勤者懇親会は、今回で何回目になるのかは聞きもらしましたが、私が急患委員をしていた頃に始まったように記憶していますので、そろそろ10周年になるのじゃないかと思います。
この報告を書いて下さった井上先生は、17ページの座談会に写真入りで紹介しております。ぜひ、17ページをご覧になって「あー、こういう先生かぁ」と思いながらお読み下さい。文章には顔写真がある方が、ずっと親しみを増すように思いますので。
議 事
1.会長あいさつ
昨年11月28日の第27回臨時代議員会において、執行部より提案した議案のうち、二つの議案について否決されたことは、失敗ではなく、説明不足であったと思っております。まったく私の不手際でした。
2.会務報告
3.委員会報告
(1) 組織委員会 合澤常務理事
・経費節減の意味もあることから、新春ポーリング大会の中止を決めた。
・選挙規定については、山口理事を中心に進めている。
・会営薬局については、市薬初めての収益事業であり、定かんにどううたうかを検討
しなければならない。
・C会員の会員資格について
4.副会長の職務分担について
細井副会長:事業、会計
松枝副会長:総務
長谷川副会長:分業
5.協議事項
(1) 九大病院処方せん応需、今後の方針について派道職員および請求事務などの作業は
市薬で受けもつ。
(2) 1月11日(月)にスタートした国立南福岡病院の今後について
議 事
1.会長あいさつ
4月の代議員会・総会をひかえ、また広域病院からの分業推進のため、再度理事会を開くことになるがよろしくお願いする。戸田専務理事が退任されることになり、かわって台澤常務理事に専務職をお引き受け願った。
2.新理事の紹介
合澤専務理事
山口常務理事:組織担当
松 島 理事:組織担当
藤 田 理事:社保・分業推進担当
戸田専務理事:退任のあいさつ
3.協議事項
(1) 九大処方せん応需について
(2) 特別委員会「分業推進プロジェクトチーム」(仮称)について
福大病院担当として、瀬尾委員を加える。
・常置委員会の社保委員会は処方せん応需後のフォローを担当する。
(3) 会営薬局について
国、県、市より各1,000万円 計3,000万円が2月末に確定する予定委
員会については、従来通り細井副会長、合渾専務理事、各常務理事で構
成し、必要に応じて各支部長に参画してもらう。
(4) 南福岡病院の院外処方せん発行率は、1月29日現在11.7%、281枚発行
議 事
1.会長あいさつ
2.会務報告
合澤専務理事より報告
3.委員会報告
(1) 組織委員会より選挙規定について報告 山口常務理事
(2) 広報委員会
特集の座談会を23日、東区加藤、博多区蔵元、中央区大石、城南区浦本、南区
井上の各氏により実施した。
4.協議事項
(1) 分業対策について
FAX分業については、かなりの費用負担があることから、今後はより慎重に
あたる必要がある。
(2) 会営薬局について
国、県、市ともに補助金がついたことから、委員会を建築委員会と運営委員会
に分けて対応したい。
(3) 平成5年度予算について
2月16日の支部長会には、2,500万円の歳出増、見込額が計上されたが、会宮薬
局運営費を加味して3,800万円アップの予算で協議された。
(4) 県薬代議員数について
南支部に1名増員され、県薬代議員数は29名から30名になった。
議 事
1.会長あいさつ
11日から、国立南病院の院外処方せん応需がスタートしております。南の大庭支部長、中島常務理事にはことの他お骨折りいただき感謝申し上げます。戸田専務理事の辞意が固いことから、今までも何かとご尽力いただいておりました台澤常務理事に専務理事をお引き受け願いたく思っております。支部長先生方にもご 了承いただきますようお願い申し上げます。
2.各委員長より委員会報告
3.協議事項
(1) 九大病院院外処方せん応需の今後について
事業は県薬、実務は市薬で引き受け、県薬が示した応需者300円負担で進みたい。
(2) 国立南病院処方せん応需の今後について
スタート時点でのトラブルは少し散見されたが、まずまずだと思われる。今後は
処方せん枚数がのびていくように努力する。
(3) 会営薬局について
1階、2階の平面図を提示し、補助金もおりる見込みが大きいことを説明
議 事
1.会長あいさつ
支部長先生方にご心配いただきました専務理事の件についてきましては、1月29日の理事会時より台澤先生にお引き受けいただいております。今日は執行部で試算いたしました予算について、大幅な会費値上げもあることからぜひ支部長先生方にご協議いただきたく思っております。
2.分業対策について
3.会営薬局について
補正予算に組み込まれることになったので来年度末には確実に降付される。
4.予算について
九大を除く各広域病院からのFAX分業に要する経費を提示し、会営薬局借入金(案)4,000万円とともに協議された。
1.「処方と調剤に関する申し合わせ」の初校について
2.出勤者懇談会の参加者について
3.出勤者一覧表の訂正
患者数が多くなっており、1月30日(土)より当分の間、土曜準夜と日曜日勤、準夜を1人増員してあたる。
4.年末・年始の患者数
前年比40%UP
5.新規出勤者説明会
1月14日 4人(正嶋、富田、今村、山本)
1.3−5月の出勤者表作成
2.出勤者の会員資格について
C会員の4人について、A〜B会員への変更をお原いする。
3.出勤者懇親会の役割分担について
4.「処方と調剤に関する申し合せ」の校正
5.福岡市医師会報への原稿依頼にらいて
「急患センターの現状について」成澤理事が執筆の予定
1.漢方研修会の割当て分担および打ち合わせ
2.来年度の薬局委員会活動方針について
(1) 基準薬局育成の件
平成5年度は基準薬局更新の年にあたるため、基準薬局認定の19項目について
再確認する。
(2) 各種研修会の実施
・九大処方検討会など増えたので、2〜3ヶ月に1回の割りで実施する。
・漢方研修会のテーマとして、肥満と便秘、成人病、不定愁訴などを予定
・その他の研修会として、外国の薬剤師の現況など
(3) 薬局製剤活用の件
(4) 動在宅医療の問題、介護用品取り扱いの件
(5) 健康フェアの件
在宅ケアに取り組みたい。
1.年初めの委員会のため、会長にご出席いただき、ごあいさつをお願いした。
2.1月号の編集について
1.「市薬ジャーナル」1月号の反省表紙にも年号をいれた方がよい。
2.3月号の編集について
合澤専務理事の提案により、3月号の特集として「座談会・執行部に望む」を取り上げる。2月23日(水)午後7時30分に実施する。人選については合澤渾専務理事にお願いする。
「学校薬剤師ってどんなことをするのですか」とよく聞かれます。
水泳プールの管理と飲料水の管理についてはご存じの方も多いようですが、その他に教室等の空気・騒音状況・食器洗浄状況・照度などがあります。これらの検査項目は、学校環境衛生の基準にある定期環境衛生検査の一部です。
福岡市学校薬剤師会で受けている学校給食センターの職場環境検査は、学期ごとに1回、年3回実施しています。給食センターは、中央区・那の津、東区・箱崎、南区・柳瀬、西区・有田の4カ所にあり、次のように検査項目に応じた人数のスタッフで検査しています。
今回の検査は3学期ですから、騒音検査がありません。そのため各センター3名でやっておりますが、騒音がはいる1学期・2学期には、5〜6名で出勤しています。
ちなみに、平成4年度の契約料は112万円。さて、平成5年度の契約料は?赤い鉢巻きこそしておりませんが、ただ今交渉中です。
はてさて、いくらアップできるかしら?
平成5年度には51名の新入会者を迎え、次のような146名の学校薬剤師で、250校を担当して行くことになりました。
昨年度は組織拡充のため、そして、できるだけ学校住所地の薬剤師に担当してもらうために“一人一校制”を進めて参りました。そのためにまず、城南区の学校が早良区に、南区が城南区になどと、かなり入り乱れていた学校の整理から手をつけました。学校をそれぞれの区に戻し、学薬さんには住所地か勤務地に近い学校でお願いをしております。
しかし、一人一校になっていないじゃないかと言われそうですが、福岡市立校の中には、小呂島や玄海島のように一日がかりの僻地校もあります。そのような所は、役員の先生方に無理にお願いをしているのが実情です。
なお本年度も、学薬活動に協力してくださる方に、入会のお願いは続けていきます。ぜひご参加ください。
3年前、商組の福岡地区の責任者になり、ある所にあいさつに行った折、“おめでとう”より“ご愁傷様です”と云った方が適当ですネと云われた事があります。“全くです”と一緒に笑いましたが、現在の心境もそれに近いものです。限りなくゼロ(問題が起る前の状態)に近づける商組の活動の一つ(調停事業)に比して、この仕事は、前途に薬剤師としてのほのかな希望が見えると云う想いがあり、この事を支えに努力してみたいと考えています。
御周知のように昨年の医療法改正により、むしろ私達にとって突然、医療の担い手と云う事になり、薬剤師会も、恐らく個々の薬剤師も、少々とまどっている状態ではないかと思っています。何故このような社会の情勢になって来たか、社会的責任と義務が定義づけられ、私達の大切な経済的な問題はどのようになるのか、地域医療、特に在宅医療問題、医薬分業等に医療人として、どのように参加していくのが最善であるのか、充分考え検討してみる必要があります。
数年前に始まった広域病院の医薬分業に薬剤師会として少々あわて気味に対応し、やや混乱した状態が現在まで続いていますが、一方、徐々にその方向に進んでいる事もまざれのない事実です。強い外的がなければ動き出さない体質は私達薬剤師だけのものではないかも知れませんが、天が与えた好機として、積極的にとり組んでいく覚悟が必要です。現在でも福岡市薬剤師会の会員の皆さんは、院外処方せんの応需、研修会、委員会の活動等に於いて、恐らく今までにない努力と研錆を続けておられる事と思います。他地区の薬剤師会に比しても、会員の皆さんは、充分社会的批判に耐えるものだと思います。又、この会員のあるおかげで、まがりなりにもここまで来る事が出来たと思っています。薬剤師会としては少々問題があるとしても、会員の皆さんは誇りを持たれて良いと思います。あと一息か二息、汗と涙を流さねばなりません。
これが、後に続く薬剤師に対する、丁度この時代に行き合せた私達の義務ではないかと考えています。
私はどちらかと云えば直ぐ熱くなる人間のようです。情熱があると云うより、少々馬鹿の部類だと思っています。現在の薬剤師会の専務理事の職責を考えますと、“にっこり笑って人を斬る”ような冷静、沈着、状況の把握、将来への見通し等の出来る人が適当でないかと考えています。又そのような人は沢山おられると思いますが、現在に於いては少しだけ馬鹿な要素が必要ではないかと考えられたのだろうと云う事だと思っています。私はこの馬鹿の要素を武器にこの難局に立ち向っていくつもりです。精一杯努力してみます。一生懸命やれば良いなどと甘い状況ではない事は充分認識してはおりますが、これしかありませんのでお許し願います。頑痕っている人は他に対して攻撃的であったり、反省が少ない等の欠点はあるようですが、せめて反省だけは猿なみにしていくつもりです。とりあえず、どうぞよろしくお願い致します。
木原先生もそろそろオトシだし、スペアの人達も練習しとかんと、という口の悪い先生に頼まれて、ちょっと古い話になりますが、10月、福岡市消費生活センター主催くらしの1日セミナーで「くすりの正しい知識と使い方」という講演をしました。出席者はお年の方から若いお母さんまで幅広い年齢層の方、約50名 ほどでした。少し歴史にもふれて、漢方薬と西洋薬の違い、薬の服用方法の正しい知識やくふう、また、今話題の面分業、院外処方せんについて、かかりつけ薬局の役割など、少し欲張りなくらいの話をしました。町の薬局で安売りばかりしている店ではなく、日頃から、ちょっと相談に行ける、かかりつけの薬局を作っておくことを勧めておきました。
講演の内容を消費生活センターの情報誌にも載せて頂きました。
質問は、やはり民間薬に関してが多く、テレビや週刊誌でのセンセーショナルな取り扱い方に問題が多いと改めて感じました。
先日、急患センターの当番で出勤した時、大変な調剤ミスをしてしまった。幸い重大な事故にはならずにすんだが、薬が一度は患者の手に渡ってしまったのだから、穴があったら入りたい!「反省!」の日々を送っていたら、患者を取り違えて手術したという事件を耳にした。「初歩的なミスが重なって」とのコメントだが、慣れとは本当に恐ろしいものである。常に細心の注意と緊張を保ち続けなければいけないと、身につまされた。OTC薬局をやっている者にとっては、調剤は、日常的業務とはいえない。おかしいことをおかしいなと感じるカンがないのだ。そのぷんそれを補うためには、普通以上に注意深くあらねばならない。重大な事故が起ってからではおそい。面分業がうまく軌道に乗ってもし、皆さんの心に少しでも慣れによる気持の緩みが出てきたのだったら、初心に帰ろう。
恥を承知で、一言書かずにはいられませんでした。
(FUSAKO)
訃 報
勝野秀夫(享年85才)
博多支部・雑餉部会「かつの薬局」の勝野秀夫(スエオ)先生が、
3月2日心不全のため逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします
※このエイズ関係図書は、85回におよぶ出前講座で大々的なエイズ予防キャンペーンを展開中の福岡市衛生局から紹介されたものです。この中でも口で囲んである図書は、とくに薬剤師さんにお推めだそうです。「エイズ戦争」「エイズがよくわかる本上・下」「おそれずに人生を」の計4冊は、すでに市薬の清水文庫に購入済です。とく車こエイズのことがよくわかる本は、福大医学部の宮本先生が翻訳、加筆されたもの。子供向けに「あなたの体の中のHIVウィルスが……」との語り口調で書かれていますが、薬剤師の私が読んでも充分に読みごたえのある本です。清水文庫は、市薬2Fの図書室にありますので、ぜひ読んでみてください。
地域の保健医療、公衆衛生に大いに関わりを持つ開局薬剤師としては、エイズ予防キャンペーンに少しでもお手伝いできたらと思い、ここに紹介させていただきました。
1月4日 摘要連名刺交換会 12:00
7日 三役会 18:00
緑進会議新春の集い 12:00
8日 太田誠一新春の集い 14:00
9日 山崎妬新春の集い 13:00
医誠会新年の集い 18:80
1月11日 国保運営協議会 15:00
広報委員会 19:00
12日 理事会 19:00
学薬三役会 14:00
14日 支部長会議 19:00
18日 前福岡市長進藤一馬氏顕彰像除幕式 11:30(会長)
三役会 19:00
20日 学術委員会 18:30
22円 九大病院処方検討会(東・博多・早良) 19:00
第3回東区三師会 19:00(全長)
25日 第3回国民健康保険運営協議会 16:30(会長)
26日 急患委員会 19:00
28日 薬物療法研究会 19:00
組織委員会 19:00
28日 九大病院処方検討会(中央・城南・西・南) 19:00
29日 理事会 19:00
30日 アレルギー講習会 (於九大医学部) 14:00
山崎拓政経懇話会(於ホテルニューオータニ博多) 8:00
2月2日 急患委員会 19:00
4日 九大病院処方検討会(東・柏屋・宗像) 19:00
5日 三役会 18:00
8日 広報委員会 19:30
9日 組織委員会 19:00
10日 急患診療センター出動者懇親会 17:00
九大病院処方検討会(博多・早良) 19:00
15日 薬局委員会 19:00
16円 常務理事・支部長会 19:00
18日 九大病院処方検討会(南・城南・筑紫) 19:00
19日 ユニバーシアード福岡大会医事専門委員会 16:00
20日 漢方研究会 14:30
23日 大分市薬医薬分業視察 16:00
市薬会報3月号特集座談会 19:30
24日 組織委員会選挙規定検討会 19:00
25円 九大病院処方検討会(中央・西・糸島) 19:00
26日 理事監事会 19:00
○3月は入試、卒業式の季節である。2月までの寒さの中、じっと我慢で3月の春を迎える。新聞の合格発表や卒業式の写真は頑張ったればこその笑顔だろう。陰ながら拍手を送ります。
花、色とりどりの春の花も又同じ。冬日に絶えて菅でじっと待つ春。一斉に花を咲かせるその笑顔にもまた拍手です。
○去る2月23日の座談会に列席し、全員さんの率直な意見を聴かせて頂いた。約1時間半。あいにく録音テープがまわらず、広報皆で、緊張してメモを取ったのだが、終ってホット、ホットした。
温かい、否、熱いのです。市薬にとって前向きで、建設的な意見を伺えたんですよ!
嬉しいはがきの話を1つ。
広報で初対面の方には、名刺もさることながら、自己紹介は市薬ジャーナルをという気持ちが強い。ご要望があれば、すぐ送付している。そんな中、八女薬剤師会の金子先生から、送付のご丁寧なお礼のはがきをいただいた。「…学術的にも参考になりますので、会員にも見れるよう頼むつもりです。ありがとうございました。」次も是非、お送りします。と心で叫んでしまいました。
○今、「バブル崩壊」のあとを受けて「リストラ」の文字が新聞に雑誌にたくさん目につく。横文字に弱い私でも、リストラだけはすぐ覚えてしまった。事業の再構築、反省と合理化への実践、今を救うのはこれしかないと。
大胆にも我が薬局はとすぐ考えてしまう。人員削除?3名ではとても減らしようがない。と、パス。設備投資?ファックス、分包機、面分業には絶対欠かせないからこれもパス。パスばかり。元々、バブルのある所のリストラだから、考えること自体、空しい作業なのはわかっている。が、この時、改めて、ファックスや分包機がどんどん活躍する日を想った。今は攻をかぶるというところまではないが、チョッピリ寂しそうである。
(坂田)
○親子、家族ぐるみの受験戦争が終って、ホッとしている家庭も多いのではないでしょうか。(ウチがそうです)とにかく、春ですネ。我が家は今年は2回も卒業式に出席する機会があったのですが、陳腐な式で、面白くありませんでした。何故か、答は明白です。送辞、答辞、祝辞、どれをとってみても自分の言葉で言ってないからです。
「桜のつぼみがふくらむ頃……」で始まるそれは、たぶん全国各地で、同じように始まり、去年も、又、来年もそうなのでしょう。
マニュアル通りに書けば無難ですが、人を感動させることは出来ません。表現することの難しさを思います。
又の機会には、「楽しかった運動会、あんなに小さかった君も、今ではこんなに……」ではないのが聞きたい!
私たちも、皆様に楽しんで読んでいただける会報を目指します。
(橋口)
日 時 平成5年5月15日(土)午後1時半〜5時
場 所 福岡大学薬学部第3別館301教室
対象者 一般および薬学部卒業生
参加費 無 料
講 演
1.「これからのワクチン」 福岡大学薬学部助教授 見明史雄
2.「東洋医学と西洋医学の接点(基礎編)」 福岡大学薬学部非常勤講師 原敬二郎