■ 巻 頭 言
医療人としての薬剤師へさらなる脱皮のすすめ 福岡市薬剤師会 副会長 長谷川宏明

医薬分業は確実に進展しており、また今年10月からは在宅医療の一環として在宅服薬指導料も新設され、薬剤師も医療の中に組み入れられようとしている。

医療の中での薬剤師は薬の専門家として各薬剤の特性に習熟するだけでなく、薬物療法全般にわたるアドバイザーとしての知識も要求される。また医療とは何なのかについての確固たる信念も要求される。

さらに、薬の番人として治療に不適切な薬剤を排除していくことも、薬に対する患者や一般人の誤った認識を取り除く努力も必要である。この姿勢は医療用の医薬品に限らず、OTC薬を始め健康食品にも及ぶものでなければならない。

薬剤についてより高度な知識を持つには、製薬メーカーが提供するパンフレットやインタビューフォームだけを参考にするだけでは不十分である。

医療用医薬品のほとんどの情報は開発段階に行われる各種試験によって得られており、行われた基礎薬理試験、安全性試験、フェーズIからフェーズVまでの臨床試験、特に臨床薬理試験、二重盲験比較試験のデータを読み、さらに評価しそれらを総合して、その薬剤のプロフィールをしっかりつかむことで高度な知識は得られる。いくつかの例を示してみよう。最初の例として最近発売された2種のニューキノロン剤の場合スバルフロキサシンは抗菌力が強くなっており、従来のニューキノロンでは有効ではなかった菌に対しても抗菌力を持つようになっている。パンフレットなどではこの点を非常に強調しているが、薬物動態のデータを見ると吸収はあまり良くない(200mg単回投与時Cmax=0.58ug/ml)。

フレロキサシンの場合は抗菌力ではオフロキサシンと同程度でスバルフロキサシンよりかなり弱いが、吸収はニューキノロン剤の中ではオフロキサシンに次いでよく(200mg単回投与時Cmax=2.92ug/ml)スバルフロキサシンの約5倍の血中濃度が得られていることから、パンフレットでは組織内濃度が高くなることを強調したものとなっている。

それでは臨床的に使用する場合にどう考えて使えばよいのかとなるが、スバルフロキサシンとフレロキサシンの抗菌力の差は2−3倍、特殊な菌では5倍くらいになっているが、最高血中濃度ではフレロキサシンが5倍の濃度となっており、2割は通常菌による外来感染症の治療では差はないと考えられる。

しかし基礎から臨床までのデータを詳細に比較して行くと、動物でのNSAIDとの併用試験では若干の差があり、嫌気性菌のバクテロイデスフラジリスに対する抗菌力に差があり(腸内細菌に対する影響度が違ってくる)、排泄経路も異なる等患者に影響を与える可能性のある事項で差が見つかる。

別の例として、非ステロイド系消炎鎮痛剤(NSAID)では消化器障害が副作用として重要となるため消化器障害を予測するための動物試験が行われ、試験動物の50%に潰瘍ができる量をUD5。として示されている。メーカーはこのUD5。を地割と比較して安全性が高いこを宣伝している場合があるが、この場合は前提として臨床投与量が同一でなければならない。臨床用童の比をUD盟の比に合わせてみるとまったく異なる結果となる場合もある。A剤が発売になった時B剤に比べUD5。が5倍大きいので安全であるとあったが、臨床用量はB剤は1日量60mg、A剤は600mgで用量は10倍であり、UD盟では5倍でも用量は10倍であれば、単純に計算するとA剤の方が逆に安全性では劣る結果となり、決してより安全とは言えない。

これと類似することは薬理試験でもよくあり、2倍強いとか3倍強いなどと言っていても臨床用量との対応で見ると大差ないのではという場合も多く、やはり試験された資料をしっかり読み取って、その薬剤の特性をつかんでおかないと薬物療法への適切なアドバイスはできない。

開発段階での臨床試験は多くの領域で試験のガイドラインが示されるようになって、かなり信頼できるデータが多くなったし、安全性試験も基準が定められてメーカー間の差はなくなっているが、薬理試験では、標準化が困難なこともあって標準化はされていない。このため行われた試験の種類を見ると当然行われる試験が欠落している場合もあり、こうした場合はその薬剤の有効性に疑問を感じることもある。

医療人としての薬剤師は高度な薬剤についての知識が要求されると同時に治療についての知識も要求される。さらに薬剤や治療に対して厳格な姿勢が必要である。真に患者のための薬剤・治療のみを考えるべきであり、そこに経済性や妥協などは介入させない強い意志があって初めて真の医療人になりえるものである。時代は薬剤師に真の医療人になることを求め始めている、できるだけ早くさらなる脱皮をして頂くことを希望したい。

<私と薬> 句読点がない・・・ 福岡県薬剤師会 副会長 梶原敬史

人間にとって深刻な問題として「二日酔」がある。これは病気ではなく、まして蔓延するものではないので卓効ある「クスリ」もないわけである。

しかし薬局店頑には、気休めのためか、二日酔に効く、あるいは予防のための「クスリ」を希望、購入する客が毎日少なからずいる事実は、誰もが翌朝経験する、自分に訓戒を垂れる儀式−悔悟、悔恨、俄悔、自己嫌悪、軽蔑などなど−のあとであり、同時にそれは人類にとっていつまでも悩ましく、あるいは最大の厄介な事柄であろうかと思う。

ここで断っておくがこの永遠の謎である「二日酔」を解明すべく大論文を書こうというわけではない。

古今東西に共通する「二日酔」の治療法として「迎え酒」というのがある。この迎え酒を英語では「Hair of the dog」(犬の毛)というそうだが、これは「われわれを噛んだ犬の毛」(16世紀の詩人、劇作家であるジョン・ヘイウッドの文章にあるのが初出典)というのがあり、「われわれを噛んだ犬」を前夜の酒と見、その「毛」を前夜の飲み残しの酒としてこれで「迎え酒」をやれば二日酔がなおるとすすめたそうである。真偽のほどはさだかでないが作家の丸谷才一は当時の医学書にちゃんと書いてあると真面目に言っている。これを同じように中世のイギリスでは狂犬に噛まれたとき狂犬の「毛」を焼いて水と一緒に飲めば狂犬病にかからなくてもすむという俗説があったらしい。毒をもって毒を制す、いわばワクチンの原始的な段階である。ご存知のように狂犬病は狂犬病ウイルスによる急性神経感染症であり、犬、キツネ、狼、スカンクなどの種々哺乳類が媒介し、唆傷によりヒトに伝播される。飛抹感染もある。国内にウイルス保有動物は存在せず約25年間発生していないが、症状としては激しい頭痛、極度の食欲不振、むやみに水分を欲するが水を飲み込むことは出来ない(恐水発作)。興奮、発熱、痙攣、垂誕など、死に至るという。

医学の未開時代にはこの狂犬病と二日酔の話が結びつき、真剣に研究がなされていたという話が残っている。

しかし、これは現代医学からは全く信じられないことだが、当時のイギリス人は二日酔を狂犬病のようなものとして毛嫌いしながら解決の糸口を探った図は滑稽だ。

だが二日酔になるほど飲まなくてもと、翌朝自責の念にさいなまれる姿は人生にとっては瞬間的な出来事でもある。時には酒場の「止まり木」に腰掛けた自分の姿を思い浮かべながら、時間を忘れ、羽目を外し、今宵に賭ける(恰好いいことだが)のも一興だと考えたりする問は、「二日酔」は狂犬病と同じでなくとも親類づき合いをさせても構わないと思われる。

人間には節度のないことが多いし、人生に節目や句読点もないことがある。

模範書簡文にも句読点がない、とくに結婚式や披露宴の案内状の文章には句読点が打たれていないことを知ったのは大分以前のことだが直接に痛醇がないので意に介さなかった。

が、紫式部が書いた「源氏物語」の原文には句読点がないことをあらためて知った。後の時代の人が読みやすいように親切心で句読点を打ち、また注釈するための符号をつけたという。そして近代になって小説や論説に筆者自身がその論理を読者によく理解してもらいたいための句読点を打ち、また話し言葉のようなリズム感(強弱、抑揚など)をもたせた。作家の吉川英治は彼自身が若い頃印刷工であった経験上、その校正は句読点の挿入、脱落をふくめて厳しいものがあったという。

どうも二日酔の原因である、節度のない酒の飲み方を批判しているようだが、やはり酒が飲める時が花よと俗っぽい話で終わらせて頂くことになった。

(H6.3.10記)

県薬ニュース速報

 3月27日(日)県薬代議員会の役員選挙で次の先生方が選出されました。これから2年間、県薬の舵取りをして行かれることになります。ご活躍を期待します!!

   会 長 梶原敬史

   副会長 倉田憲治、大神信勝、宮埼和人、野田浩司(病薬)、学薬会長(未定)

   監 事 三津家正友、古賀武

<私と薬> 心の薬 西日本新聞文化部 記者 野中貴子

「お滝ば浴びに行くよ。早う水着ば用意せんね」

「行きとうなか。今、風邪ひいたらどがんすると。熱出したら大変やろうもん」

高校三年の一月。それも深夜に突然、母が山奥の滝を浴びに行くと言い出しました。ちょうど大学受験の一カ月前で、合格祈願と受験期間中の安全のため、身を清める必要があるというのです。

佐賀県伊万里市の高校から、東京の大学だけ四校を受験。初めての上京のうえ、たった一人で新幹線に乗り込むとあって(飛行機は地に足がついていないから家族に反対された)、私よりも家族の方が「途中で財布を落とさんやろうか」「東京の電車にちゃんと乗りきるとやろうか」「問題用紙ば見て、今まで勉強したこと全部忘れたらどがんしゅうか」など、心配は尽きなかったようです。

あげくの果て、父が「東京は、まちを歩くだけで後ろから包丁で刺される恐ろしい所だ」と真剣な表情で語りかけます。両親とも、私と同じ高校から東京の大学に進学、都会生活を四年間経験しているため、この言妻には妙に説得力がありました。一方、海を渡ることがスゴイことだと思っている祖母は「東京の人と結婚したらダメよ。実家は近かほうがよかけん、九州の人と。山口やったらなんとかなるばってん」

まあ、私が交通事故(急な坂道を自転車に乗って猛スピードで下っている時、上ってきた原付バイクと正面衝突。ジェットコースター気分で調子にのっていた私が悪かった。全身打撲です。高校では、全生徒を集めて緊急の交通安全教室が開かれました)で十二月いっぱい入院生活を送ったこともあり、心配だったのでしょう。しかし、深夜の滝は勘弁してほしい。真冬の滝で風邪ひいたら、受験どころじゃあありません。

「絶対、滝には行かんけんね」

「滝じゃなくて、“お滝”。ありがたく思いんしゃい。貴ちゃんのためよ」

何が私のためなんだ、とぶつぶつ文句を言っているうちに、とうとう、車で一時間半、脊振山付近の山奥に連れられていきました。結局、母が滝を浴び、私は真っ暗な待合室で留守番することに。電気なし、扉なし、ついでに人もいない。あるのは、風に吹かれた樹木のカサカサ音と、足元に流れる冷たい山水だけ。

恐怖です。お化け屋敷でさえ目を閉じて、父の腕にしがみついて進むのに、なんでこんな場所にいなきゃいけないんだろう。

私は、自分を勇気づけるために歌いました。

「僕等はみんな生きている。生きているから歌うんだ・・・」それから三十分、母は唇を真っ青にして戻ってきました。帰りの車の中で「これで貴ちゃんは合格」と母は上機嫌です。

そして、横浜市の親類宅に泊まりながら、最初の受験日、二月一日となりました。すべり止めだったので気楽に受験したのですが、遠く離れた実家では、母がお百度参りするわ、祖母が「亡くなったじいちゃんに助けてもらわんぎいかん」と仏壇に拝むわ、商売ははったらかしで一日中、神頼みに励んだ、と後日聞きました。

受験は順調に進み、すべり止めだけではなく、二月中旬には第一志望の短大合格が決まりました。同月下旬に受験した第三志望の短大は、東京見物のつもりで臨み、回答用紙はほぼ白紙で提出、結果を待たずに実家へ戻りました。

結果といっても、白紙だから当然、不合格です。でも、第一志望に合格したから、結果なんてどうでもいいこと。もう、頑の中は遊ぶことでいっぱいです。

それから約一週間後、受験勉強から解放され、気が狂ったように遊びほうけている私に、母が速達の茶封筒を恐る恐る差し出しました。

第三志望校の合否通知です。

「貴ちゃんには悪かって思うたけど、開けたとよ。もし、落ちとったら、貴ちゃん、かわいそうかろ。そしたら、慰めてやろうと思うてね」

「あっ、そう」

「ばってん、貴ちゃん、何番か分からんやった」

母は、今にも泣きそうです。通知をよく見ると、合格者の受験番号だけがずらりと書いてあります。

「何番でもよかとよ。行きたか大学に合格したけん。通知は捨てとって」

「落ちたとね。あがん、お参りしたとに…」

その向こうで、祖母はおろおろしながら「ほんとに、落ちたとね。行かれる大学はあるとね」

母も祖母も、受験のシステムが根本的に理解できていなかったようです。父は相変わらず、「東京に行ったら道端で殺される」と言っています。二つ年下の弟は「姉ちゃん、東京に行ったら、おニャンコ(当時、男子高校生らに人気のあったアイドルグループ)のサインばもろうてきてね」とウキウキです。

私の受験が病気のウイルスなら、“お滝”も、お百度参りも、包丁で刺されるも、おニャンコのサインも、家族にとって、それぞれが心の薬。大学受験から約十年たった今、それが、少しずつ分かってきました。

市薬会報に「私と薬」がスタートしたのは、平成3年5月31日の第41号。第1回目は高山博光市議の「私と某薬剤師の25年」と題して、奥様のことをお書きになったものでした。テーマの「薬」については、薬品、薬局、薬剤師会、薬剤師などクスリと名のつくものでしたら何でもということで、会員以外の方を原則にお願いしています。

今回は、次期県薬会長の最有力候補といわれている八幡の梶原先生にお願いをしました。県薬会報の視点で竪いものばかり書いておられますので、市薬ジャーナルには随筆を書いていただきました。肩書きの「副」と最後の(H6.3.10記)は3月27日の県薬会長選挙の日に校正させていただくつもりです。なにしろ市薬ジャーナルの発行日は、3月31日なのですもの。

西日本新聞の野中記者は、一昨年本社から山口支局に転勤していましたので、九山学会の時には湯田温泉で会ったりしました。先日、西日本新聞の「記者手帳」を読んでいたら、あるじゃありませんか、見慣れた(貴)のサインが。あれっ、タカちゃん帰っているのかなと、早速電話をしましたよ「お帰りなさい、私と薬に書いてくれない?って」。

原稿依頼はすべからく、この厚かましさと押しの一手です。

<会員の広場> 中国語との出会い 西支部 姪浜部会 中野薬局 中野勝郎

私が第一薬科大学に入学した昭和38年、大学は創立4年目で、やっと4学年揃ったばかりで学生達は、この大学の伝統は自分達の手で築くのだと希望に燃えていた。薬用植物学の授業の時、台湾の薬用植物や風景をスライドで見ているうち矢も楯もたまらず、どうしても現地で植物がみたくなり、所属していたワンダーフォーゲル部の部員4人で春休みは台湾合宿と決め、計画を立てました。

反共国家の最先端をいく台湾に入国するには現地で我々の身元(思想、行動等)を引き受けてもらう公的な機関が必要とのこと。九大の西岡五夫教授にお願いして、当時、我が大学と同時期に創立された台北医学院大学への紹介状をいただき「日本台湾薬学生交流団」として台湾の入国許可が取れ、ようやく出発にこぎつけました。訪台するメンバーは男子学生3名、女子学生1名。同級の台湾学生から、にわか仕込みの中国語の特訓を受け、交通費は学割を使い、博多から沖縄まで汽車と船、沖縄から台北まで飛行機で往復約18,000円でした。1ドル360円の時代です。

不安な気持ちで台北の松山空港に着いたところ台北医学院薬学系の学生が多数出迎えてくれました。2週間の予定で台北、台中、台南、高雄の各医学院を訪問、薬草採取、研究室見学等を通じて学生間の交流をはかりました。薬草採集の際、台湾の学生達が、採った植物を頭上にかかげ、その場で生薬名、成分、薬効などをラテン語でスラスラというのは驚きでした。心配していた言葉の方は教授や一般人(30才以上)は日本語が通じるのですが、薬学生達には私達のにわか仕込みの、しかも棒読みの中国語は通じない。彼等の英語は私に通じない。通訳をまじえてもっぱら筆談です。相手に通じる中国語の発音、アクセントの複雑さがやっとわかりかけ、よし!マスターしてやろう!請問、這是甚魔?…発音、アクセント等ひとつひとつメモにとり、宿舎に帰ると通訳に横で聞いてもらいながら4人で暗記、そして夜食を食べに街に出る。覚えた中国語を使って中華料理を次々にオーダーしてみる。

台湾料理(海鮮料理で日本人の口に合う)北京、上海料理と進み、蛇料理、犬猫料理で有名な広東料理ではコックさんが日本語で説明してくれる。犬は若いほど(猫は年とっているほど)うまいらしい。ヘビ料理(毒の強いほどおいしい)は、ほとんどスープ(湯)にしたもので、目の前でコブラ、青大将、シマヘビの皮をむいてスープにしてくれます。日本から同行の女子学生が悲鳴を上げたのは言うまでもありません。現地の学生達は男女共おいしそうに口から蛇の小骨を出しながら暑気あたりの予防に盛んにおかわりします。学生間の交流も回を重ねていくうちに会話も少しずつ通じるようになり、親しくなった学生の家庭へ招かれたり、一緒に夜店をひやかし品物を値切ったり楽しい毎日が続きました。台湾人は非常に楽天的で陽気です。賑やか好きなところ、約束時間にルーズなところ等は博多の者とよく似ています。

台湾の公用語は北京語。街では人々は台湾ぴんまんご語(関南語)、福建語で生活しています。都市から地方に行くと北京語は通じない。

台湾に来て数日過ごした後、私達が台湾の人々に接する時に披等にあるパターンがあることに気づきました。第一のタイプは「日本無視型」の人達でアメリカ志向型。英語を中国語以上に流暢に話し、米国留学経験組のエリート達が代表的。第二のタイプは「日本蔑視型」。過去の日本の台湾支配に対する怨念を抱き続けており日本人とみると攻撃的な態度をとる。戦後、国民党蒋介石総統と共に台湾に渡って来た外省人に多いようです。第三のタイプは「日本憧憬型」。このタイプの人々は仕事などを通じて日本と何らかのかかわりを持っていたり、日本時代、高等教育を受けた人や第2次大戦後の日本の目をみはる経済復興や文化に多少なりとも憧れを持つ人達。田舎に行くと、このタイプの人が多くなります。原住民で高地人(高砂族)の人々は日本人とわかると日本語が話したいらしく、とても親切で、ごちそうしてくれたり、いろいろ案内してくれたりします。しかし、私達に同行の学生達が間に割って入り、彼等を相手にしないように私達に忠告する(台湾では山地人はワンランク下にみられる)単なる旅行者でしかない私にも平地人(学生達)と高砂族との間の冷やかな空気が感じ取れます。三角台中の山奥で植物採集した時のことです。近くにホテル、旅館はないし、高砂族の陳さんという方が自分の家に泊まってくれと云うので2日間ほどお世話になりました。高床式の農家で中は広く、竹製の簡易ベッドが私達の為に並べられている。風呂は日本式五右衛門風呂。夜は豚や山羊、鳩の丸焼きなど山地料理を堪能、近くから一族が集まり歓迎パーティーをしてくれました。アルコールの飲めない私に代わって他の3人が地酒の粟酒(純度70度)を飲んでくれる。台湾に入国した時、バカ、支那、日本の軍歌は絶対に口にしてはならないと云われたが、ここでは一緒に日本のナツメロ、軍歌を歌っても誰もとがめる人はいない。そして山地族の娘達はそろって美人で歌がうまく、山地の民謡をタイヤル語(マレー語に近い?)で歌ってくれますが、そのメロディーは九州の民謡「刈り干し切り唄」にそっくりでした。

酔いがまわると流暢な日本語で「私が生まれた時、お父さんお母さんが名前をつけてくれました。山の名前です。そしたら日本人が来て私は日本の名前になりました。今度は中国人が来て中国語の名前をつけました。私、名前たくさんある。私、忙しいよ」

田舎のトイレは開放的で身体をかくす申し訳け程度のドアがある。音は四方に聞こえる。下の方からは豚のなき声も聞こえる。

まさに台湾の自然、台湾の人々の大らかさ、達しさは私をますます台湾に魅きつけるのです。

日本が台湾に残した遺産で唯一、感謝されているのは教育制度に尽きると云えます。現在の台湾、韓国の発展は、この日本式教育制度を受け継ぎ、生かしたものと云えるでしょう。当時、私を案内してくれた台北医学院のリン学生、林英任さんは卒業後、製薬全社の研究室に勤務していましたが、日本の大学で研究を続けたいとの相談を受け、母校の薬大、微生物学教室の細井教授にお願いしたところ、心よく引き受けてくれて私が身元引き受け人となり、林さんは日本で研究を続けることができました。台湾への橋渡しをして下さった西岡教授や細井教授には大変お世話になりました。

大学を卒業して2年ほど就職したものの、臨床的な東洋医学を勉強したくなり、再度、滞在ビザをとり、台湾へ行きました。その後、薬局を開業し、平凡な生活が続き鍼灸専門学校へ進学した頃、中国大陸とも国交が回復し、広州や上海等へも旅行できるようになり忘れかけていた中国語の勉強を再び始めました。

ここで中国語(北京語)について簡単にふれておきます。中国大陸でも台湾でも北京語が標準語として教育が行われており、公式の場で使われています。ただ台湾で使われている北京語の漢字は日本で普通使っている当用漢字とは異なり、戦後使われなくなった繁体字をそのまま使っています。一方、中国大陸では簡体字といって、簡略化した独自の文字で北京語表記に使用しています。

今、世界の四分の一の人達が中国語圏で生活しており、来年は福岡市でユニバーシアードが開催されます。アジアへの玄関口である福岡市の役割はますます広がるでしょう。

<会員の広場> ボーリング大会に参加して 早良支部 西新部会 マルエー薬局 富田郁美

 先日(1月30日)初めて市薬主催のポーリング大会に、出席させていただき盛会なのに、驚かされました。120名も参加者があったとのこと、私たちが、若い頃、そう20年前ですが、1時間待ち、2時間持ちが普通で、ポーリング場が盛んなあの頃、一生懸命プレーした事を懐かしく想い出しました。本当に久しぶりで10年目位だったのではないでしょうか。コンピュータが、点数の計算は自動的にやってくれて、投げている人の動作まで写し出され、時代の流れを感じながら、挑戦致しましたが、やはり練習不足と体力減退を味わい、点数はさっぱりですが、楽しい一時でした。

薬剤師会との係わり方も、病院薬剤師の時は薬についての学術的な面の勉強が主でしたが、開局薬剤師としては、学術プラス経営的な面を含まなくては意味がなく、内容も異なって来ています。現在、面分業を担っている、薬局の先生方、私共酉新部会では、日頃コミュニケーションする機会は少ないのですが、現時点では薬を互いに譲り合うことは、手持ちの薬があれば、皆さん非常に気持ちよく分けて下さり、感謝致しております。

勿論、私も皆さんのお役に立ちたいと努力致してますが一つの事柄が成立するプロセスでしょうが、皆さんも色々と薬が出て大変な労力を費やしていらっしゃると思います。この様に先生方は互いに助け合い、官公立の院外処方せんはどうにかスムースに受入れされていると思います。こちらの気遣いの欠けるとき、患者さんのクレームもありましたが、じっと見ているとミスというより、他で薬を貰う不安感のようです。早くなれていただくといいのですが・・・。

私、これは薬剤師会の施策のよい結果だと思います。4月から始まる国立中央病院の100%院外処方せん投薬には充分に答えられるのではないでしょうか。ただ在庫管理と調達に走り回ることがうまく出来るかは問題ですが・・・。

そういう意味で、薬剤師会の行事に出席して皆さんとコミュニケーションをとり、顔見知りになることは、同志として親しみがわき意義があるように感じました。先生方、沢山ご出席下さいませ。世の中不景気とか云われてますが、私共薬剤師は、本来の使命である薬のプロとして、調剤に、販売に情報を附加して手渡すことが、社会的に価値ある仕事として患者さん、一般の人に認められることではないでしょうか。開局薬剤師は定年がありません。死ぬまで現役で、皆さんと手を結び頑張って、薬という分野の仕事を独占出来れば幸いと、大きな希望をもっています。

<会員の広場> 学校薬剤師になって一年 東支部 名島部会 エトウ薬局勤務 堀民子

ちょうど一年ほど前に大学の同期の有馬さんに「A中学校にしたけど、いいかネ」という電話をもらいビックリしました。前に木原さんから学校薬剤師をしないかという話があったのですが、いま勤務中の調剤薬局の承諾を得なくてはいけないし、こういう仕事はもっと若い方に学校や地域のためバリバリやってもらったほうが良いのではというのが私の考えでしたのでそのままにしていたのです。しかし、色々と理由をつけて断るのもめんどうなので、なんとかなるさと引き受けました。

それから一年、また木原さん(高校では三年間同じクラス、大学では先輩、学薬では大先輩)から原稿の依頼があり、辞書を片手に書いているところです。

さて、四月の新人研修会で難しいことをいろいろと説明を受けましたが右から左へ、家に帰りつく頃にはほとんど忘れていました。

一学期、初めて飲料水の検査に行く前日に検査方法、資料を読み返し、PHや残留塩素の測定をリハーサルしました。そして少しばかり不安な気持ちで学校へ出かけたのです。保健室の水道栓をひねり約10分ほど待ち、水を取りオルトトリジン液を加える、しかし全く色が変わらないのです。20分、30分後、皆が水をよく使う休憩時問の後にもやったのですが結果は同じです。家に帰り残留塩素は0.1ppm未満と吟査表に記入して提出しても良いものかと問い合わせましたところ、もう一度行ってやり直していただけませんかとのこと。

掃除時間中の学校を上へ下へとかけまわり、なんとか色がつく程度でしたが検査表の0.1ppmを囲み提出しました。水道栓を全開にして○○分後に測定したのですから、残留塩素0.1ppm未満と記入してもいいのではとふと恩いました。しかし簡易専用水道も源水は上水道だからそれではいけないのです。つぎからは養護の先生にお願いして水道水を時々出してもらいましたので1回ですみました。そういえばppmはmg/lに変わったのを忘れてました。

給食センターには1、2学期に研修をかねて丁出かけました。行く前に検便があるのですよ、知りませんでした。自分のものでも取るのは大変なものです。

給食センターでは食器食缶の洗浄度と大腸菌群の検出が担当で、内田文子先生に指導していただきました。大腸菌群はプールと同じですが滅菌精製水と綿棒を使い、サンコリ法で行います。検査する者の手が汚染源になってはいけないので消毒用アルコールで手指をよく消毒するよう気をつけました。食器の残謹デン粉はヨーソ液、脂肪はクルクミン蛍光法で行います。暗室がないのでクルクミン蛍光はなかなか見えにくいものです。ブラインドを下ろし少しでも室内を暗くして、マーガリンを塗った所と比較しながらするようにと教えられました。次は調理室のいろんな検査もやれるようにしなければと思っています。

ベテランの皆様方に助けられながらなんとか一年が終わりました

<会員の広場> オランダ 欧米薬局レポートその8 博多支部 千代吉塚部会 荒巻薬局 荒巻滋

5−1

日が覚めたのはバスがオランダとの国境にさしかかった頃だった。パーキングエリアのような所で入国の手続きをする。ひどく混雑している。レストランで食事をとりながら待つことにする。陸路国境を越えるというのはなんともピンとこない。その手続きがすむのをはたしてドイツなのかオランダなのかわからないレストランで待っているのだからなおさらのことだ。なにやらたった10日間のこの旅ですっかり国際人になったような気がする。

全員で出入国手続きが終えた頃、あたりはすっかり陽が落ちて、夜のアウトバーンをバスはアムステルダムを目指しひた走る。カーラジオからクワイ河マーチが勢いよく流れてくる。ミュンヘンからここまで私達をずっと運んでくれたバスのドライバーはハーバードに留学の経験をもつ超インテリのドイツ人。かっての盟友に気使ったのかすぐにチャンネルを変えてしまった。

いつのまにかバスはアムステルダムの町の中。ネオンサインがとてもきれいで、まるでオモチャ箱をひっくり返したようなとても可愛い町だ。アムステルダムは夜入るに限るそうで、どんに人でも楽しくなるに違いない。歓楽街のネオンサインと言うよりはメリーゴーランドと言う感じ。町全体が遊園地ではないかと錯覚してしまいそうだった。

ホテル到着後、直ちにロビー集合。アムステルダム名物飾り窓を見に行くことになった。飾り窓とは日本でいう遊廓のことで、ランジェリー姿の女性達が自分の部屋の大きなガラス窓越しに客をひく。聞くところによると5−10年前までは本当に機能していたらしいのだが、ある恐ろしい病気の出現により本来の客はめっきり減ってしまい、現在ではむしろ観光コースとして有名らしい。すれちがったアメリカ人の観光客グループには数人の女性も混じっていた。見物客の多さに、これはもしかして市から予算をもらった観光事業ではないかと思ってしまう。

通りに面した部屋の窓はあたかもショーウインドウのようだ。赤や緑、ピンクのセロハンを巻いた蛍光灯の光で自分の体を演出する女性達。白人ばかりでなく黒人や東洋人もいる。だがその美しさは、彼女らの意図とはうらはらにエロスのかけらさえも感じさせない。乾いた喉をいやそうと3人で通り沿いのBarにはいる。まわりは労働者風の人ばかり。我々が入ると無愛想な店主から“Closed”と言われて追い出されてしまう。2〜3軒回ったがどこでもいっしょ。地元の客が楽しく騒ぎながら飲み食いしているところを見るとどうも我々はあまり好かれていないらしい。客層がどちらかと言うとブルーカラーであること、第2次大戦で日本がオランダの植民地を奪いそれが国力衰退の遠因となったために一部の人々に根強い反日感情があることなどを考えると、ここはどうやら早めに引き上げたほうがよさそうだ。彼らがロをそろえて言った“Closed”は、西部劇などでよく聞く“おまえらなんかに飲ます酒はねぇ、とっととうせろ”と言うやつに違いない。

5−2

4月15日、朝食後、ホテルロビーでKNMP(オランダ王国薬局振興協会)副会長よりレクチャーを受ける。

KNMPは1840年に設立された。医薬の適正配給、その働きを科学的に明らかにしてゆく、経済への貢献の3つを主な目的としている。

具体的には

1、客へのパンフレット作成
2、科学的経済的情報の提供
3、製剤の適正化
4、倫理
5、ホームケア
6、電子データバンク
7、研究所の維持運営
8、教育設備およびセミナー
9、薬局どうし互いを評価しあう
10、政治折衝
11、ロビー活動
12、健保対策

などその活動内容は広範にわたる。

薬局においては薬を客に交付するのは原則として薬剤師に限られている。例外として一部のOTC薬、患者が遠距離の場合、ホームケアの場合にのみ、客に交付するのは薬剤師に限られていない。

1薬局に1〜2人の薬剤師と4〜8人のアシスタントが働いており、ほとんどの薬局はすでに電算化されている。コンピューターを用い、医薬品の副作用に関するもののはかいろいろな情報をKNMPを介し医師と交換し合っている。地域ごとに医師に対する医薬品のコンサルティングを行っているそうである。経済的に裏ずけされた薬の適正配給と医療の適正管理が彼らの最大の関心事だそうだ。

5−3

レクチャーの後、早速町の薬局へ見学にでかける。ここアムステルダムの薬局は悪く言えばメルヘンチック、よく言えば夢があり、これまでおとずれたヨーロッパの薬局と較べると、こじんまりとしていて全く威圧感を感じさせない。(5−3−A、B)

 

この薬局では2人の薬剤師と5〜6人のアシスタントが働いており、1日に200〜300枚の処方せんを受けている。月〜金曜日までAM8:30−PM5:30の営業で、3カ月に一度24時間の営業が義務づけられている。入口横にはこの地域の医療機関や薬局の地図が備えられ、また土・目の営業も当番で当たっている。(5−3−C)夜間や休日の義務では充分な人員配置がとれないため、安全を期して当番日専用の窓口まで設けられている。(5−3−D)

 

国から在宅ケアを指導されており、現在その普及率は70%以上と言うことであった。日本で在宅ケアと言うと介護までをふくむ広い範囲をさす場合が多いが、オランダの薬剤師による在宅ケアはあくまでも医薬品に関する事に限られているようだ。医師の電話による処方により患者の家に薬を届ける事ができる。

この場合、配達にあたるのは薬剤師に限定されてはいない。

処方内容は9カ月間コンピューターに保管され、それ以後6年間文書で保管されねばならない。この地域では3人の薬剤師と10人の医師が月に1度の情報交換を行っている。2500アイテムの医薬品が常時在庫され、他のヨーロッパの国々と同様、パンチカードを用いて管理している。問屋からの配送は1日2〜3回で日本といっしょだが、ここでもパッケージのまま販売され、要処方せん薬といえども小分販売は通常行われないので、仕事はすごくやりやすそうだ。

薬局をひととおり案内されこれで終わりかなと患ったら「地下室へどうぞ」と言うことになった。

奥にある急な階段を降りて行くと、そこにあったのは、試験設備と希少薬のストックやミーティングルームなど。なかでもここの薬剤師が自慢気に見せてくれたのは、自動的に数種類の医薬品を数えワンドーズパッケージを作る機械だ。だが完成したパッケージには、情報公開の原則により、薬品名・成分名ロット番号・使用期限・薬局名などが1袋ごとに印刷されているようで日本のものとはずいぶん違う。

医薬品の内容確認試験はドイツほど厳密には行われていない。薬局で製剤したものに関してのみここで行い、他のものに関しては問屋が確認試験を行ったという保証書を持参しこれに代えている。問屋が代行しているわけだ。

全売り上げの80%を要処方薬、OTCの割合は15%でなお上昇中、他の5%はHBAがしめている。OTCに関してもKNMPにより価格が統一されている。

正直に言ってオランダの薬局にはあまり期待をしていなかったのだが、その設備のすばらしさには驚いた。私の好きな言葉に“花が天国に届くなら、その根は地獄にまで届いていなければならない”というのがある。花のようにきれいで可愛らしいこの薬局には、その地階にいたるまでいろいろな試験設備が備え付けられていた。根を張る努力なく花だけ咲かせようという考えが、いかに馬鹿げたものなのか、あつかましいのかと言う事を、この薬局の見学をとおして痛感させられた次第である。

(続く)

<会員の広場> ボーリング大会に参加して 中央支部 六本松部会 和光調剤薬局勤務 高橋美香

1月末に社長の方より、ボーリング大会があるので出てみないかと言われ、本当に軽い気持ちで参加しました。

前日は、当薬局の新年会があり、体調も十分でなかったため、スコアには期待していませんでした。

1ゲームがはじまり、いざ投球してみると、どうも体の中にお酒が残っていたんでしょう。思ったようにピンがたおれません。

2ゲームからだんだんと調子づいてき、おもしろい様にピンが倒れはじめました。

3ゲームに入った頃には、プレイも気分も最高潮になり、1投目からストライク、2投目、3投目も驚いたことにストライク、だんだんとプレッシャーもかかってきて、奇跡がおきてしまったのです。

5回連続ストライクという今まで経験しなかったことを味わってしまったのです。

この頃には、いつのまにかギャラリーも増え、スターボーリングに出てるかのようでした。

6、7は、さすがに緊張し、はずしてしまいましたが、200点を目指し気合いを入れて投げました。

10フレでは、後味よくスペアで終り、結果は、200点を少しこえた203点でした。我ながらよくやったなあと感心いたしております。

軽い気持ちで参加したポーリング大会が、こんなに手に汗にざるプレイになるとは、想像しておりませんでした。

薬剤師兼プロポーラーも夢ではないでしょうか。

■■トピックス■■ 市薬学術委員会

1日1回服用は、良い薬かな?

1日1回服用薬とは

(1) 一時的な作用を期待するもの:下痢止め、睡眠剤
(2) 長時間、効果の持続を期待するもの:降圧剤、抗リウマチ剤などで定期的に服用効果を持続させる方法
(1) 主薬を徐々に放出させる:テオフイリン徐放性製剤
(2) 生体内半減期を長くする:ピロキシカム
(3) プロドラッグ製剤:マレイン酸エナラプリル
(4) 酵素やレセプターからの解離を遅くする:オメプラゾール

1日1回服用薬の有用性

(1) 服薬回数の減少による服薬コンプライアンスの改善:単剤投与時
(2) 徐放化による血中濃度の急激な上昇による副作用の防止:ニフェジピン
(3) 薬物作用の持続化による症状の長期改善:硝酸イソソルビド

1日1回服用薬の問題点

(1) 食事や生理的要因により、製剤の消化管内移動や吸収特性が異なり、薬物の血中濃度推移に大きな個体問あるいは個体内変動を生じる可能性がある。
例:ジクロフェナクナトリウムの徐放製剤において絶食時服用と非絶食疇服用とでは最高血中濃度到達時間に約5時間の差が観察されている。又、1日1回服薬は1製剤中に1日分の葉物が含有されている為、生体内で薬物が急激に放出されたり、放出が完了されない前に排泄される恐れがあり、思わぬ副作用や治療効果の欠如などの問題がある。(テオフイリン徐放性撃剤)
(2) 同一成分でも銘柄間で徐放化の機構が異なるために製剤問での同等性が確保されず、他の銘柄の製剤に取り替えることにより効果や副作用に差が生じる

患者の服薬ミスによる危険性に対する服薬回数の影響

(1) 単独服用時では1日3回より2回の方が服薬コンプライアンスが良い
(2) 単独服用時に飲み過ぎの可能性が1日1回服用で3.3%、1日3回服用で4.8%であり、飲み忘れの可能性は各々1.3%と36.1%であった。

☆1日1回服用ということは、1回分の中に1日分の薬が入っている訳であり飲み忘れた場合は、血中薬物濃度が、1日中、維持されない。飲み忘れたと思って、2度飲みすると血中薬物濃度が、倍になる。いずれも危険を伴う。1日3回服用のほうが危険は少ないと思う。

日本病院薬剤師会雑誌 Vol.29,Nol1993

ベンゾジアゼピン系薬物(BD)のおはなし

BD系薬物の薬理作用は抗不安、抗痙撃、筋弛緩、催眠、麻酔薬・鎖痛薬の増強、自律神経反応の抑制作用が知られている。BD受容体は大脳皮質、辺緑系および間脳に多く分布しており、(1)辺緑系および大脳皮質の受容体が抗不安作用。(2)大脳皮質、海馬、扁桃体の受容体が抗痙攣作用。(3)脳幹網様体などの受容体が鎮静・催眠作用。(4)脊髄のシナプス前抑制の増強が筋弛緩作用にそれぞれ関与していることが知られている。

BD受容体には3種類のサブタイプが存在し、BDZ、受容体(抗不安作用)は大脳皮質や小脳に、BDZ受容体(鎮静作用)は海馬や脊髄に、BDは末梢に多く分布している。新しい抗不安剤として、BD受容体への脚口性が強いにもかかわらず、作用としては抗不安、抗痙攣が主であり、鎮静・睡眠や筋弛緩は認められず身体依存が殆どない「部分作動薬」が開発されている。

日本病院薬剤師会雑誌 Vol.30,No21994

 

 

 

 

【特集・在宅ケア】 福岡市医師会 在宅医療検討委員会に出席して 福岡市薬剤師会 常務理事 木原三千代

医師会の在宅医療検討委員会に出席した翌朝、後輩から電話があった。20年間も頑張っていたOTC薬局がやっていけなくなったから、閉局して勤めると言う。彼女は昨年、薬局業務運営ガイドラインに、恒常的に処方せんを拒否する薬局は一般販売業に変更するよう提示されたとき、もうやっていけないかもしれないと言っていた。それから1年、とうとう閉局するという。

しかし、他人事ではない。昨年の異常気象と商圏内にできた大型店の影響は、徐々にではあっても確実に現れてきている。長男も一人薬剤師で事足りる規模のシティー薬局に将来はないと思ってか、さっさと見限って、何んとかかんとか酵素研究室とやらに出稼ぎに行っている。

国は、面分業の推進と称して、FAXが届いて30分以内に、2軒の薬局を走り回ってようやく調剤ができるような施策を講じ、再販制度の廃止などと零細なOTC薬局では到底やっていけないようなことをしている。

薬局・薬剤師が真の医療人として、地域医療の中でかかりつけ薬局としての信頼を得るためには、今は頑張るしかないとわかってはいても、ついつい言いたくなるのよ…、だいたい国は何考えとんじゃい!って。街の薬局はいらんとかいな?とひがんでいたら、今度の診療報酬改訂で付けてきましたね「訪問薬剤管理指導料」。病棟薬剤師の600点業務と同じく、薬局・薬剤師のたぷん450〜00点?業務。患者さんのベッドサイドまで出向いての薬歴管理と服薬指導に対する評価。いわゆる在宅医療への薬剤師の参画である。

3月4日午後7時、福岡市医師会の在宅医療検討委員会に合澤専務理事と二人出席した。医師会館のドアをおすと右側に電光掲示板があり、6つの会議が示されている。最近は市薬でも委員会が3つ4つ重なっていることがあるが、ご一緒した医師会の樋口理事は「いつもこれくらいの会議があっていますよ」とのこと。在宅医療委員会の開催場所は役員室、8Fに着くなり応接室で大熊会長に紹介された。

役員室は円卓でテーブルにはマイクが内蔵されている。正面は委員長席。その左に大熊会長、村山副会長、樋口理事そして木原、合澤専務理事と座る。委員長席の右側には各区在宅医療検討委員の先生方が、2人づつ14名出席されている。いつもは楽しいお話しが多い樋口理事だが、隣の席でさすがに緊張気味。分厚い資料に目を通しながら「座ったままで、前のマイクのスイッチを入れてから発言してください」と言われる。いただいた時間は15分、10分ほど次頁のレジメにそって説明し、足りないところを合澤専務理事から補足してもらって、退室した。

その時、いただいた資料の中に「在宅医療検討委員会・平成6年度事業計画(案)」があり、福岡市医師会方式在宅医療体制の確立の5)に福岡市薬剤師会との連携とあった。訪問薬剤管理指導料は、もちろん処方せんを介して付くものであり、医師会との連携なしに、薬剤師会独自で進められるものではない。薬剤師も医療チームの一員として、次年度にはさっそく協力薬局の組織化を進めなければなるまい。日薬では分業推進対策事業の中に、在宅医療委員会を設立予定と日薬誌で読んだ。医師会の樋口理事も面分業推進を含めて在宅医療を進めていきましょうと言われる。在宅医療の展開は地域での面分業の進展ともなりえよう。

昨年11月の在宅ケア支援事業についての講演会で荒巻県薬会長は「開業医の復権をメインテーマに開催された九州医学会でも在宅医療は大きく取り上げられていた。薬局・薬剤師にとっても、在宅医療に係わっていく事は最大の生き残り策となりえよう」とあいさつされている。

さて、県薬会報3月号に「在宅ケアの研修会に出席して」を投稿されている清水貞知先生は、講演会で、4人の講師から「在宅ケアの中で薬剤師にこの分野を担当して欲しい」というような発言が一度も出なかったとおっしゃっている。

じっさい民生局に講演会の打ち合わせにいった時「薬剤師会がどうして在宅ケアを?」が、高齢者対策部長の最初のリアクションであった。衛生局でもしかり。薬局の機能は在宅介護相談協力員制度であり、在宅ケアの情報提供と介護用品の供給でしかなかった。それもそのはず、日薬ですら介護用品のパンフレット作成からスタートしているのだから。

ところが、市薬の在宅ケア実態調査を見ると、厚生省が考えている以上に個々の薬局サイドでは、在宅医療に係わっておられるのがよくわかる。それもハイテク在宅医療と目されるもの迄ある。それなのに、対外的には清水論文そのものなのだから、情けない。これらの実績を薬剤師会が集約していなかったにすぎないというのに。

私が閉会の言葉で言ったという在宅医療の保険点数の件。私自身早くて来年ぐらいからかなと思っていた。しかし、国は考えている以上に在宅医療に気合を入れているようだ。そう簡単に行く……か、じゃなくて行ったのですよ、清水先生。

しかし、これからが大変。保険点数だけは簡単についたものの、市薬には在宅医療のマニュアルもノウハウもない。これからも試行錯誤しながら進まなければいけないのだから。


【福岡市医師会在宅医療検討委員会での提出資料】

福岡市薬剤師会の在宅ケアに関する現況と今後の方針

1.現在までの経過報告
(1) 「在宅ケア支援事業について」の講演会開催
(2) プロジェクト委員会の設置と、各区医師会在宅医療検討委員会ならびに保健所、福祉事務所との合同会議へのオブザーバー出席について
(3) 福岡市医師会樋口理事を囲んでの懇談会の実施

2.厚生省在宅医療薬剤供給委員会の在宅ケア実態調査について
(1) 訪問薬剤薬歴管理・服薬指導について
(2) 薬剤等の配送について
(3) ハイテク在宅医療と目される医療用異の取り扱いについて

3.薬剤師会の在宅ケアへの取り組み
(1) 福岡市医師会との連携〜医療チームの一員として〜
(2) 面分業の推進と、協力薬剤師の組織化
(3) 平成6年10月に新設予定の「訪問薬剤管理指導料」について
(4) 福岡市薬剤師会・在宅薬剤管理指導委員会の設立
(5) 在宅介護相談協力員としての薬局の機能

4.福岡市薬剤師会立「医薬分業推進支援センター」の利用について
(1) 医薬品の備蓄センターとして
(2) 在宅ケア・ホットラインからの問い合わせや、相談応需窓口として

【特集・在宅ケア】 在宅ケア研修会

日 時
平成6年3月11日(金)午後7時
場 所
福岡市薬剤師会館 4F講堂
演 題
1.ホットラインの実際について
  講師 博多保健所予防課長 西野紀子先生
     博多保健所予防課 在宅ケア担当主査 牧本遺子先生
2.薬剤師会の在宅ケアへの取り組みについて
     常務理事 木原三千代
3.診療報酬の改訂について
     常務理事 小野信昭

 

三津家市薬会長あいさつ

本日は在宅医療とそれに係わる問題についての第2回目の研修会です。医療界、薬学界に於いても変化が大きい時期です。薬剤師会も医薬分業を根本に置いてかかりつけ薬局を考えると色々な可能性が出てきます。その一環として在宅医療にどうかかわるかが問題になってきています。本日は保健所から講師の先生方をお招きし、保健所としての考え方を、お伺いし、薬剤師はどのように係わっていけばよいかを考えてみたいと思います。

講演要旨

「ホットラインの実際について」

博多保健所 予防課長 西野紀子先生

本日は私の方から全体的な像を、その後、担当主査の方から具体例をお話しし、参考にして頂きたいと思います。

在宅ケアホットライン事業は平成3年より博多、西、南保健所で試行的に実施、平成4年6月より全市一斉実施となりました。その時点で在宅ケアホットラインのチラシを市政だよりといっしょに全戸一斉配布しましたが、まだよく知られていないことを日々感じています。皆様方が市民に一番近い所にいらっしゃることを聞いて大変心強く思っている次第です。在宅ケアに協力して頂くと共にホットラインをPRして頂く立場としても皆様の協力を非常に心強く思っています。

在宅ケア支援事業というのは、まず在宅ケア推進会議を各区に持っており、その下に担当者チーム会議があります。その他、実際に事例がありました時には事例検討会を持ちます。

もう一つの柱として在宅ケアホットラインという相談業務があります。主な業務はコーディネイトですので、その患者さんにとってどういうものが必要か家族の方と話し合って、ケアをしていきます。これが出来てから非常に早く福祉サービスが受けられるという良い面も出てきています。

会議と相談と、もう一つの柱は調査というものがあります。福祉と共同で毎年実態を調査、検討しています。

最後に、もう一つ、啓発、普及があります。在宅ケアホットラインを知って頂く事の他に介護の方法を勉強して頂く介護教室だとか、寝たきりにならないように勉強して頂く寝たきりゼロ教室などを実施しています。

以上が在宅ケア支援事業の大きな流れです。では、担当のスタッフより具体例をお話しします。


博多保健所 在宅ケア担当主査 牧本道子先生

では具体的な事をお話しします。ホットラインというのは電話で相談が来たらすぐ対応しますという事です。相談は家族、病院、福祉事務所、市民福祉サービス公社、老人保健施設、特別養護老人ホーム、民生委員、最近では薬局からもお電話を頂いています。

相談は保健的なものだけでなく、医療や福祉に係わる事もすべて一本化して受けております。相談助言だけで済む場合もあるし、医療機関からの往診に繋げる場合もあります。また、必要な場合は訪問することもあります。医療の状況、介護の状況等を把握した上で、その方にマッチしたサービスが提供されるように取り図らいます。


(事例)75才 脳卒中後遺症独居

病院から退院後在宅で可能かとの問い合わせがあり、試験的に自宅へ外出してみたが一人では無理との判断。ヘルパーをたのむ事、リハビリの為、老人保健施設のディケアサービスを受ける、その他保健婦が訪問する、自宅のトイレと風呂場の改造をする等のサービスを組み合わせ、現在在宅で生活しておられます。今の制度を最大限活用すれば、在宅も可能であるといえます。

まだまだ適切な医療や福祉サービスを受けていない例もあります。家族で在宅で看たいと思う場合は、肩肘はらずにじょうずに物や制度を利用しながら、介護する側もされる側も満足のいく介護が出来るようになれたらと思います。

困った時には是非ホットラインに相談してもらえるよう薬局の先生方からもご指導お願い致します。

 

保健所からの講師の講演の後、木原常務理事より薬剤師会の在宅ケアへの取り組みの報告ならびに説明があった。

現在までの経過報告では講演会が開催された事、福岡市医師会と連携して医療チームの一員として参画していく事、在宅ケア実態調査の結果について等であった。医師会の在宅医療検討委員会でもきちんと福岡市薬剤師会との連携をうたってある事も報告された。

その後小野常務理事より診療報酬の改訂について在宅関連では、10月に薬剤師の訪問薬剤管理指導に対する技術科が新設されると報告された。

(橋口)

老人調剤報酬 服用し易い剤型工夫に加算

老人診療報酬では調剤について、内用薬の調剤料加算が二項目新設される。一包化加算は 二剤以上の調剤で、一包化を行った場合に算定できる。老人用製剤加算では錠剤を砕いたり カプセルを外すなど、老人が服用しやすく剤型を加工した場合に算定できる。これらはとも に、医師の了解を得ることが必要。

調剤報酬改定の十月一目実施分では、薬剤師の訪問薬剤管理指導に対する技術料が新設さ れる。患者宅を訪問し、薬歴管理、服薬指導などの薬剤関連業務を行った場合に算定される。 老人以外の寝たきり難病患者なども対象となる。

(日刊薬業 H.6.2.23より)

[広報]

会議報告

【第10回理事監事会】

日 時
平成6年1月26日(水)午後7時
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、山口、中島、小野、篠崎、木原各常務理事、鶴原、松島、成澤、城戸、藤田各理事
藤原、豊福各監事

議 事
1.会長あいさつ
 今年初めての理事会でございます。理事の先生方には、今年度の残された事業を遂行していただきますとともに、次年度の事業につきまして計画案のご提出をお願い致します。
 また年度末に向け、平成5年度収支決算ならびに平成6年度の予算(案)作成等、重要な議題も多くありますので、よろしくご協議ください。

2.会務報告
 合繹専務理事欠席のため、三津家会長から報告

3.委員会報告
(1) 組織委員会
  恒例の新春ポーリング大会は1月30日(日)に開催予定だが、10万円程度予算を
  オーバーする見込み。参加者が多くおよそ50万円ぐらいかかる予定。
(2) 社保委員会
  ○個別指導での薬歴についての指導で、コメントが付いていないのは薬歴と認めら
   れないと示された。
  ○国立福岡中央病院は移転に伴い薬后を閉鎖。4月1日より100%院外処方せんの
   予定。

4.協議事項
(1) 会営業局特別委員会報告について
  福岡市薬剤師会就業規則
  (1)職員給与(2)準職員(3)嘱託職員(4)育児休業(5)出張旅費
  の5規定について検討された。
(2) 「健康づくり財団」設立について設立趣意書(案)について報告された。
(3) 平成5年度収入支出実績報告について
(4) 平成6年度重点事業について
(5) その他

 

【第11回理事、監事会】

日 時
平成6年2月14日(月)午後7時
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、山口、中島、篠崎、木原各常務理事、鶴原、松島、国武、成澤、市花、城戸各理事
藤原、豊福各監事

議 事
1.会長あいさつ
 先の新春ポーリング大会は盛会裡に終了致しました。理事の先生方、とくに組織担当の先生方は本当にお疲れさまでございました。
 細井副会長に兼務していただいていた会計業務は、松島理事にお願い致しまして、お引き受けいただきました。会計担当は年度末に向け、決算書と予算案の作成等で大変な激務になろうかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。

2.会務報告
 三津家会長より報告

3.委員会報告
(1) 組織委員会
  新春ボーリング大会の参加者はおよそ130名、東支部の優勝で無事終了したことを報告
(2) 薬局委員会
  「不定愁訴の漢方治療」〜更年期障害を中心として〜の漢方研修会は、受講者数111名
  大雪のためか、前回より少なかった
(3) 急患委員会
  1月28日(金)福新楼での急患センター出勤者懇親会は、参加者44名。
  三津家会長、松枝副会長にご出席いただいた。
  新規出動希望者は5名。2月中に新規出勤者説明会を行う。
(4) 情報管理委員会
  FAXを使ってデットストックについての情報交換を実施する。

4.関連団体報告
 学薬報告の際、学校薬剤師の一人一校制を推進するにあたっては、その理念をしっかりと据えておく必要があると藤原監事から指摘された。

5.協議事項
(1) 会宮薬局特別委員会報告について
  薬局人事について、薬局長に久池井先生、他に常勤薬剤師(男子)一人、
  準職員薬剤師(女性)一人が内定したと報告された。
(2) 福岡市薬剤師会諸規定について
  1月26日の第10回理事会で検討された諸規程は、本理事会で承認された。
(3) 平成5年度収入支出実績報告について
  松島理事が会計を担当されることから、次全理事会までにわかりやすい形式で報告して
  いただくようにした。
(4) 平成6年度重点事業について
  在宅医療委員会の設置ならびに在宅医療への積極的な参画と試験センターの拡充につい
  て協議された。

 

【第12回理事、監事会】

日 時
平成6年2月15日(金)午後7時
出席者
三津家会長、細井、松枝、長谷川各副会長、山口、中島、篠崎、木原各常務理事、鶴原、松島、国武、成澤、市花、城戸、藤田各理事
藤原、豊福各監事

議 事
1.会長あいさつ
 年度末まで1ヶ月余りとなりました。今日は松島理事のお骨折りにより平成6年度の歳入歳出予算(案)ができましたので、ご協議のほどよろしくお願い致します。
 また、会営業局の方もほとんどできあがり3月の竣工式、4月の落成祝賀式典の案が特別委員会から提示されていますのでよろしくお願いします。

2.会務報告
 三津家会長

3.協議事項
(1) 会営薬局特別委員会について
  竣工式は3月23日(水)午前10時から、福岡市薬剤師会薬局において挙行する。
  出席者は市薬顧問、役員、支部長、事務局(二宮)、建設関係者の予定。
  落成祝賀式典は4月15日(金)午前11時「マリゾン」を会場に行う。
  招待者は市県の行政、議員、医師会、歯科医師会、福岡地区薬剤師会長など、
  多くのお客様をお招きする。
(2)平成5年度事業報告について
  各委員会より報告
(3)薬局業務運営ガイドラインの運用について
  県薬務課より「福岡県薬局業務運営ガイドライン運用指針」が提示され、
  説明に来館された。
(4)その他
  福岡市医師会から打診された市医師会在宅医療検討委員会への出席依頼について
  合澤専務理事と木原常務理事が出席する。

 

委員会報告

【薬局委員会】

日 時
平成6年1月25日(金)午後7時
出席者
中島常務理事、国武、松島各理事、中野勝郎、戸田重雄、本村、森川各委員

1.2月9日(水)漢方研修会の役割分担
2.「薬局業務運営ガイドライン」の福岡県薬案の検討
3.昨年の薬草観察時の薬草をスライドを使ついての勉強会について
  講師 冷川襄先生

 

【漢方研修会】

日 時
平成6年2月9日(水)午後7時
出席者
中島常務理事、松島理事、中野勝郎、中野達郎、戸田重雄、本村、森川各委員
鶴原理事、笹野情報管理委員
受講者数
111名
演 題
「不定愁訴の漢方治療」
 〜更年期障害を中心として〜
 講師 高山内科クリニック 院長 高山宏世先生

漢方の病理、薬理の面から諸処方の解説をしていただいた。

 

【急患委員会】

日 時
平成6年1月10日(月)午後7時
出席者
中島常務理事、成澤、市花各理事、小松、竹尾、井上、馬場各委員

1.年末年始診療の患者数と薬局業務量について

 

【広報委員会】

日 時
平成6年1月12日(水)午後7時30分
出席者
木原常務理事、樋口、坂田、橋口各委員

1.市薬ジャーナル1月号の読み合わせ、およびレイアウトについて

日 時
平成6年2月10日(水)午後7時30分
出席者
木原常務理事、樋口、坂田、橋口、荒巻各委員、合澤専務理事

1.市薬ジャーナル3月号の編集について
 巻頭言は長谷川副会長にお願いする
 特集は今号も在宅ケアとする
 1月20日に実施した「在宅ケア実態調査」福岡市薬剤師会FAX保有薬局対象の分を掲載して、会員啓発をはかる。

※委員会の途中に日薬会長候補の三輪氏が来館され、市薬ジャーナルを渡した。

 

【会営薬局特別委員会(第7回)】

日 時
平成6年1月18日(火)午後7時
出席者
細井副会長、中島、山口、小野、木原各常務理事、松井、高杉、光安、栗田、清水各支部長

議 事
1.諸規程について
 先日来検討を重ねてきた諸規程については次の理事会に提出することとする

2.会営薬局の運営規程について
 福岡市薬剤師会薬局業務分掌規定(案)が提示され、協議された。

3.会営薬局の設備機器について

4.その他
 薬局人事について、薬局長はまだ未定。実務者については32才の男性が決まっている。
 なお、人事については、細井副会長、中島、小野各常務理事、栗田支部長が担当する。

 

【会営薬局特別委員会(第8回)】

日 時
平成6年2月15日(火)午後7時
出席者
細井副会長、中島、山口、小野、篠崎、木原各常務理事、松井、高杉、光安、栗田、清水、大庭各支部長

議 事
1.会営薬局の竣工式ならびに落成祝賀式典について
 竣工式については、3月23日午前10時より現地において、市薬理事、監事、会営業局特別委員と建築関係者で行う。
 落成祝賀式典については、4月15日午前11時より福岡市薬剤師全薬局ならびにマリゾンホールで行う。招待者については、理事会でも検討してもらう。

 

「小さな風穴」

教育委員会の木原さんから紹介されたと民生局・保育謀から電話があり、5公立保育所の砂場の検査依頼を受けました。福岡市には23の公立保育所と、132の社会福祉法人の保育園があるそうですが、保育課とのコンタクトは初めてでした。学薬の歴代会長は、つねづね私立幼稚園や保育所・保育園に対して、学校薬剤師の必要性を訴えてこられました。幼稚園には名目上の設置は義務づけられているものの、実際には無いも同然でした。

そこに、検査依頼です。砂の採取についても「保育課で集めてきましょうか」と言われましたが「こちらで取りに行きます。学校薬剤師の必要性を現場の先生方にわかってほしいのです。何しろ今迄は無視されていましたからね」と、少々皮肉っぼく答えてしまいました。

昨秋の日薬学術大会では、大阪府学校薬剤師会から「私立学校の学校薬剤師組織化への取り組みについて」と題して発表されていました。大阪府私立学校保健会に学校薬剤師部会が設置され、私学学校薬剤師活動の本格的第一歩を踏みだしたと報告されていました。

市学薬にとりまして、わずか5カ所ではあっても保育課との間に小さな風穴が開いたのです。これを契機に、大きなパイプにつなげればと願ってやみません。

(学校薬剤師会 木原)

【学薬のページ】 担当校推薦について 福岡市学校薬剤師会 副会長 吉田斌

次年度の担当校について、会員の皆様からご推薦頂いた新人さんは45名に達し、平成5年度に入会していただいた51名を加えると総勢186名になり、一人一校制も平成7年には達成できるのではないかと、大いなる喜びとともに、大変緊張しています。これもひとえに先輩会員の深いご理解とご協力によるものだと感謝しています。

会員個々に置かれましては多々ご不満も残り、お叱りを覚悟しておりますが、空白校(担当薬剤師のいない学校)をつくれない現状や時間的な制約のなかでの担当校推薦でございます。出来うるかぎりの会員さんの意見を聞き、理事会での十分なる審議のもと別紙のように推薦させて頂きました。平成6年度は市学薬研修会、支部研修会、総会などで多々ご意見を伺い、会員さんの意志に添ったかたちでの会の運営や担当校推薦であらねばと考えています。ご推薦、ご紹介へのご協力ありがとうございました。

また、新人さんには、ご入会を大変感謝しています、ボランティア精神がなければ務まらない仕事ですが、薬剤師職能を通して社会に貢献し、楽しい仲間の増えることを益として、どうか会の運営に今後ともご協力をお願いいたします。


平成6年度市学薬会員数
  東 区  28
  城南区  20
  博多区  21
  西 区  33
  中央区  20
  南 区  33
  早良区  31
  計   186名


【学校給食センター職場環境調査報告】

 平成5年度第3回目の学校給食センター職場環境調査は、平成6年2月25日(金)午前8時45分から4時まで、4センターで次のような先生方にご協力いただき終了しましたので報告致します。
 箱崎と有田の騒音測定は第2回目にすんでいたので、今回は那の津と柳瀬で測定しました。

  那の津 ○瀬越  寿、山手 嘉子、千望富士子、小松 秀美
  箱 崎 ○木原三千代、吉村きく子、内田 文子
  柳 瀬 ○城戸嘉寿子、深見 朋子、木村 英樹、神崎 圭子
  有 田 ○橋口扶佐子、西岡 啓子、内田 和江、中山 広子
   (○印責任者)

 

【広報通信】 2年間の重み

赤えんぴつの校正も約10回ほど、大分慣れてきたかなと思う頃、広報委員の2年間の任期を終えようとしています。過ぎてしまえば本当に短いものですね。

でもジャーナルを手に取り、パラパラとめくるとしっかりと手に重たい。2年間の年月の重みを今、手の中で感じています。

2年前、「ほんの年に数回出席するだけでよいのですから」という甘いお誘いにのった自分が甘かったのですが、広報委員の仕事はジャーナルに書かれているように、月1回の定例委員会とその他に代議員会など様々の会に出席すること。そしてその報告です。初めての体験は緊張と不安の連続でした。今ではそれすらも楽しい思い出です。自分をながめると、木原先生に頼りっ放しで、ほんのお手伝いをさせて頂いただけの、たよりない一広報委員でした。申し訳ありませんでした。

そんな私でも無事終えられたのは、諸先生方にいろいろご指導頂いたお陰だと感謝しています。井の中の蛙同様、自分の薬局だけが世界のように思っていた以前と比べ、多くの先生方と面識ができました。福岡市薬剤師会という大きな仲間がいるんだよと、言わんばかりにです。そして、「何とかしなくちゃー」という薬剤師会の将来を思う熱い心にも触れました。

そして、それを会員の先生方に伝えたい、自分も薬剤師としてできることをしなくてはと励まされた2年間です。

広報委員の先生方にも恵まれ幸せでした。木原先生にはただ、そのバイタリティーの偉大さにいつも脱帽。その秘密は何だろう?ビタミンEか人参か?何を服んであるのだろうと伺ったのですが、不明です。

橋口先生とは同じ女性同志、電話のやりとりも楽しい間柄です。去年は一緒に旅行もでき、思い出話も沢山。私の方がほんの少し年上なのですが、私にとっては、いろいろ教わるばかりで、逆に橋口先生の方がお姉さんのような存在です。

樋口先生、私の薬局とはすぐ近く、だからこそ広報でご一緒しなければお会いしなかったかもしれませんね。先生は写真のみならず、講演も得意で、全国的に活動されてあります。今度、聴きに行きます。

荒巻先生、一見、おとなしそうですが、ジャーナルの通り、海外の薬局をしっかり見てこられ、ヨーロッパ、アメリカ、海外事情には詳しい、何でも答えて下さいます。一度、市薬でもヨーロッパ視察とか企画して下さい。

どの先生も、お会いする度に、キラキラと輝いて見えました。

最後の編集後記に、1つだけ「お願い」があります。原稿依頼がきましたら、是非、お引き受け下さいね。

今、市薬は会員数約950名、ジャーナルは会員の為のものです。いろんな先生に登場してほしいと思います。それに女性会員は多いのに書いて下さる先生は少ない。不思議です。心の中に思いをしまっているだけではなく、活字になさってみて下さい。それは人に伝わります。やさしいラブコールとなって。「いつも、新しい会報を手にするときは、緊張してワクワクします」と、初回の真新しい会報を頂いた時の木原先生のコメントです。

自分の文章が活字になっているのを見るのはステキですよ。

原稿依頼には是非、快諾のほど、お願いします。

春は別れの季節。又いつの日か、お手伝いができればと思いながら、筆を置きます。

つたない文章、読んで頂きありがとうございました。これから、その存在性も、内に外にますます大きくなるジャーナル、楽しみにしています。

(坂田)

あっという間の2年間

あっと言う問の2年間でした。元来書くのは嫌いではなかったので、仕事を楽しんで始めたような節もあります。取材と称して、色々な所に顔を出し、記事を書きながら勉強させて頂きました。今、薬剤師全が直面している問題も考える機会を得ました。大変貴重な体験をさせて頂いたと感謝しています。是非皆さんも広報委員になってみられることをお推めします。色々な出会いがあり、ドラマがあり、視野が広くなり考えも深まります。

しかし反面、毎回〆切りに追われ原稿を書くつらさも味わい、自分の非力さを思い知りました。いつもいつも読んで手ごたえのある原稿を書くのは本当に大変な事です。

又、軽い思いつきで始めた英会話の連載は反響が大きく驚きました。回を追うごとに言いたい事もふえ、第1回目と現在を比べると会話もずいぶん難しくなってきて、より細かな服薬指導が出来るようになりました。(でもまだ実際に店頭で役に立ったことはないんですよ)ユニバーシアードもありますし、どこかの先生のお店でお役に立てればと思います。

2年前、ほんの編集員の1人と思って参加した時、藤原先生から「広報の仕事には2つの側面がある。対内的と対外的な仕事である。対外的には薬剤師会の会員の代表としてアピールする事を忘れてはならない」という事を聞き、大変な仕事を、自分の器以上の仕事をしょいこんでしまった!と気分が重くおも〜くなりました。回を重ねるごとにそれなりに開き直りましたけど。

一般的に言ってやはり薬剤師はかなり内向的だと思うので、是非次の委員の先生方も薬剤師の社会的地位を高めるべく頑張って下さい。脳ミソの文章のあふれ出る泉も枯れかげんになってきた所なので2年間というのはちょうど交代に良い時期かも知れません。それにしても○年間も市薬広報を引っ張ってこられた木原先生はすごい!

そしてようやく気心が知れてチームワークの良くなってきたメンバーを解散するのも惜しい事です。是非同窓会をしましょう!そして又、いつの日かいっしょに仕事が出来たらと思います。

2才年もとったけれど、それ以上に何年分も成長する事が出来た2年間でした。皆様、どうも有り難うございました。

卒業式みたい!

(橋口)

生活者の立場で

広報委員の仕事内容も知らずにお引き受けしたこの私。事の初めが無責任なら最後までこの調子。ほんの数回原稿の添削やテープ起こしをお手伝い。月毎の委員会ではこれといった発言もせず早2年近くが過ぎてしまいました。

それまではほとんど表紙を見るだけですててしまっていた会報ですが、今では市薬のものだけでなく県薬や日薬のものまで無意識のうちに目を通すようになりました。

最近になって気が付いたのですが、「ガイドラインでは」とか「医療人として」とか「面分業は」とかの話しがなんと多い事か。主役の生活者はいったいどこにいるのでしょうか。生活者の利益を守るのが私達の本来の目的なのではなかったのでしょうか。ならば私達のうちわの事情からではなく、もっと生活者の立場から物事を考えて見るべきだとおもいます。

私は市内の中小企業主からなる経営講習会に毎月2回出席しています。私と同様許認可事業にたずさわっている方に、市薬会館から徒歩5分くらいの所で大きな酒屋を経営されているTさんがいます。私とTさんは席がとなりあわせということもあるのでしょう。いつも先生からおくれている業種の代表例として引き合いにだされます。「世の中これからこう変わる。君らの所なんかまさにこのいい例だ。気をつけといたほうがいいと思うよ。一番に潰れるよ。」

毎回この調子です。その分私達2人は得をしているのでしょうが、本当に暗い気分になってしまいます。これにお米やさんでもいたなら最高のトリオになっていたことでしょう。だが少なくとも酒屋さんやお米屋さんの多くは生活者の利益確保と政府や組合との方策との問に多少のギャップが存在する事には気付いているようです。

米といえば昨年の冷夏から近年にはない大凶作。世はまさに平成米騒動。お上のおかげか私達の食卓から温かいご飯が消えてなくなるという事はありません。しかしタイ米をなかば強制的にブレンドさせられたという米が店頭に並んだのには驚きました。冷たいビールと温かいご飯が大好きな私は本当に頭にきました。「消費者の権利はいったいどこに行ったのだ」断っておきますがこれは「食い物の有り難さを分かっとらん」とかいう話しとはまったく次元の異なる問題です。私とてインディカ米しか無いのなら、それを大切に食べ るでしょう。消費者の権利が奪われたという事に対して異常に腹が立ったのです。

同感の方も決して少なくはないでしょう。しかし一番気の毒なのは米屋さんです。お上の方策と消費者の権利との間に挟まれて、夜も眠れぬ日があった事でしょう。「ブレンド販売もってのほか。人気のないインディカ米は単独で安く仕入れて安く売るべきだ。客にたのまれてもいないのになんで混ぜて売らねばならんのか。別々に売ってそれぞれのメリットをアドバイスする事こそ大切なのではないだろうか」良心的な米屋さんならだれしもそう考えたに違いありません。

同じような事がお茶の間の話題には至っていませんが、私達の業界にも沢山あるのではないでしょうか。生活者の利益とはいったい何なのでしょうか。どのような方法でそれを守ったらよいのでしょう。100人の薬剤師がいたら100の考えがあってもよいのではないでしょうか。かく申すこの私も、薬剤師会という村社会で、お上のお沙汰と村八分をことさら恐れる許認可事業の村人にはちがいありません。生活者本位の町人には今だなりきれないようです。

最後に、この私に2年間の勉強の機会を与えて下さった市薬会員の皆様と木原広報委員長、そして3人の委員の先生方に深く感謝いたします。どうも有難うございました。

(荒巻 滋)

表紙抜けにならないように

長かったようで短かった2年間の広報委員の任期も今月で終わろうとしています。

最初の頃は右手の小指を骨折し、ペンを持つのも儘ならず、皆さんの足手まといになりはしないかと心配しましたが、どうにか無事に広報の仕事をこなすことが出来たようです。これも偏に木原編集長のお陰と感謝しております。

広報委員をやっていて、沢山の先生方とお知り合いになり、又、色んな会合に出席させて頂き、少しずつ福岡市薬剤師会の活動を理解する事が出来たのは大きな収穫でした。

ジャーナルの表紙の写真撮影から、原稿の校正、座談会のテープ起こし、取材、編集後記……と。特に表紙の写真撮影には気を使いました。傑作がないと表紙抜けになるからです。モノクロ24枚から1枚が表紙に選ばれます。なかなか満足のいく写真が撮れず、木原先生にTELして、「先生、いいのがなかったんじゃないですか」と言うと、「いや、そんなことないよ。いいのがあったよ。」といつもやさしく言って頂きました。

広報委員を引き受けてから、市薬代議員副議長、六本松部会長と役職も増え忙しくなる中、小学校のPTAの役員も同時にさせられる羽目となり、仕事そっちのけの2年間でした。そろそろこの辺りで、本業に打ち込まなければと思っております。

PTAの役員が出来るのも子供がいるからで、二人の子供達に感謝しております。又、四月からは、子供が卒業し、私がPTAの役員としてお世話になった小学校の学校薬剤師をさせて頂くことになりました。

それと同じように、市薬の委員が出来るのも会員であるが故のことで、一人でも多くの会員の先生方が市薬の運営に積極的に参加され、又、広報委員としてご活躍されることを切にお願い致します。

最後になりましたが、四月から新しい執行部が誕生しますが、その船出と共に広報委員会も外に目を向けて、本当の意味での広報活動が出来るのを期待しながらペンを置きます。2年間有り難うございました。

(樋口)

あとがき

○市薬の広報を引き受けて、6回目の春。会報第27号から第58号まで32冊、最後の編集後記になりました。最後だと思うとあれもこれもと思うばかりで、中々筆が進みません。古賀会長時代、木原さん“しか”ではなく、多分に木原さんでもの、“でも理事”就任でした。

でき上がった会報を一人で見にいく勇気がなく、藤原先生(当時専務理事)に「先生、先に見てきてください」と言ったのが、つい昨日のことのようです。

○「たかが100人、されど100人」で始まった石井選挙。よかトピアでの“健康いきいきドーム”。取材のためと称して古賀会長に連れていかれた三師会など、本当に懐かしいことばかりです。

その時の三師会でお世話をなさっていた歯科医師会の中富専務理事は、現会長に。以前広報を担当されていて、広報のノウハウを教えてくださった医師会の村山専務理事は、現副会長としてご活躍。

また、九大病院の野仲範子先生に書いてもらっていた、シリーズ「バードウオッチング〜鶏たちの身上調書〜」も懐かしい。

○この6年間、三師会の先生方やマスコミさんなど、いろんな人達との出会いがありましたが、市薬広報に対外的活動の目を付けてくださったのは、当時市医師会で広報を担当されていた山本愛文理事です。医師会のプレスクラブに登録されているマスコミさんには「面白い文章を書く人だから」と事あるごとに紹介されました。

フクニチ新聞の永津記者との出会いは「とっておきのクスリ箱」に、そして西日本新聞の竹井部長との出会いは「くすりの話」に。「もう書けません」を繰り返しながらの連載でした。終った時には、長〜い長〜い宿題からようやく解放されたような、そんな気がしました。

○福岡大学から非常勤講師の講義手当て改定通知がきました。Aランク1回90分12,200円、適用基準にはこう書いてあります。(1)大学教授の職にある者又はこれと同等以上の者(これじゃないなぁ。)(2)大学卒業後、教育研究歴又は関連事業歴20年以上の者(あー、これだあ。)シティ薬局は1970年(昭和45年)開局。市薬会員歴も足かけ24年です。

3年前、非常勤講師の資格審査のために提出する履歴書に、主たる研究・論文を書き込む欄がありました。開局薬剤師に「そんなもん、あるわけなかろう!?」と思ったのですが、その時に論文として認められたのが、「とっておきのくすり箱」と「くすりの話」の連載でした。

○県薬の地区指導者研修会に参加しました。県薬の古賀副会長から、今回は在宅医療がテーマになっているからとFAXを送っていただいていたのです。

福岡市衛生局の西岡参与は「薬剤師に期待する」〜地域診療計画の中のチームメートたるには〜をテーマに、薬剤師の在宅医療への係わりについて、ご講演。その時、手にしておられたのが市薬ジャーナルであり、橋口さんが書いた「薬剤師も参加しなければ」と「今、テーマは在宅医療」、そして入江さんの「東区保健医療協議会報告」を紹介されました。今秋には、健康作りセンターのオープンや、医師会の訪問看護ステーションと先生方の訪問薬剤管理指導がスタートするなど、福岡市の衛生行政は画期的な変革を遂げようとしています。薬剤師さんに期待する部分は大きいと終わられました。

中休みに、合澤専務理事と「市薬の宣伝みたいやったね。衛生局があんなふうに見てあったとは思わんやった。来年度は在宅医療を重点事業にせないかんね」と、二人の感想。

○すこやかさんライフくすりのセミナーで、東支部の入江先生が保健所で講演したものがNHKのニュースで取り上げられました。残念ながら見落としたのですが、聞くところによると、クスリについての質問がたくさん寄せられたとか。末田順子先生の「南区シニアフェスタ'93」や、橋口さんの「早良区健康まつり」など、薬剤師さんに対するクスリについての講演依頼が多くなっています。それだけ一般社会の人たちが、薬や薬剤師に対して期待をしているということでもあるのでしょう。

さっそくNHKニュースのことを原稿依頼したのですが、今日現在届いていません。次号にはきっと書いてくれるんでしょう…ね、入江先生。

○最初の2年は市薬会報の編集におわれ、次の2年は「私の健康法」「とっておきのクスリ学」などの新聞連載がありました。西日本新聞の私の健康法は、県薬・市薬の役員の先生方に書いていただきました。フクニチ新聞のクスリ学では戸田専務理事(当時)、清水支部長、市花理事、九大病院の牧野さん、橋口さん、坂田さん、荒巻さんなどでグループ執筆。最後の2年は広報委員会ができて、4人の委員さんに助けられながら、常に外に目を向けた広報活動をスローガンにやってきました。

○6年前に100万円でスタート、来年度の予算は380万円。市薬事業費の中で一ばんの金喰い虫が広報費です。この中でもかなりの部分を占める郵送料。何とか安くするため、第3種郵便物を取りたいと思いつつも、隔月発行ではままならず今日に至りました。会員の先生方の暖かいご支援で、心置きなくやらせていただいた広報でしたが、これだけは心残りです。

(木原)

“欲張り新年会”
〜「樋口正士先生を囲む新春懇談会」報告〜

日 時
平性6年2月5日(土)午後6時
場 所
「福新楼」
参加者
三津家会長、中島、木原各常務理事、藤原監事、入江、光安、橋口、吉田、岩佐各在宅ケアプロジェクト委員、樋口、坂田、荒巻各広報委員
来 賓
福岡市医師会 樋口正士理事

市医師会の樋口理事をお招きして、新春懇談会を催しました。出席者名をご覧になったらわかるように、在宅ケアプロジェクトと広報委員会の2委員会が出席しています。

じつは広報委員会で新年会をしようと思ったのですが、何しろ広報委員会は5人と少人数。どこかの委員会とドッキングして、大人数でやれたら楽しいだろうと、忘年会シーズンから組織委員会や薬局委員会にアプローチしてみたのですが、「もう、済みましたよ」と残念ながら断られてしまいました。そこで、考えついたのがこのプラン。在宅と広報の2委員会での新年会です。どうせするなら有意義な企画をと、医師会の樋口理事をお招きしての懇談会と、広報委員会で何かとお世話になった藤原監事へのお礼を兼ねての欲張り新年会となりました。

その時、樋口理事に「お土産です」とお渡ししたのが、市薬の在宅ケア実態調査です。そして後日、樋口泌尿器科クリニックのFAXで送信されてきたのが、市医師会第10回在宅医療検討委員会への出席依頼と、委員会の平成6年度事業計画(案)です。それも「最後の一行はLove Letterですよ」の、コメント付き。嬉しい一行は「福岡市薬剤師会との連携」でした。

そして、市医の代議員会の翌日、「(案)の字が取れましたよ」と連絡があったのは、いうまでもありません。

(木原)

【会員の移動】


会 務 日 誌 (平成6年1月〜2月)

1日5日 薬業団体名刺交換会 19:00
  6日 処方検討会Dブロック 19:00
  7日 緑進会議新春の集い 12:00
  8日 太田誠一新春の集い 14:00
  9日 山崎拓新春の集い 14:00
  10日 急患委員会 19:00
  11日 新規保険薬局個別指導 19:00
  12日 学術委員会 18:30
     組織委員会 19:00
     広報委員会 19:30
  13日 財団法人福岡市健康づくり財団設立発起人会 13:30
     規程検討会 14:00
     処方検討会Aブロック 19:00
  18日 会営薬局特別委員会 19:00
  19日 学術研修会 19:00
  20日 処方検討会 19:00
  21日 第2回国民健康保健運営協議会 16:00
     東支部三師会(会長) 19:00
  25日 薬局委員会 19:00
  26日 理事会 19:00
  27日 処方検討会Cブロック 19:00
  28日 急患出勤者懇親会(三津家、松枝:福新楼) 19:00
  29日 福岡地区勤務薬剤師会新年例会(松枝:八仙閣) 14:30
  30日 ポーリング大会
  31日 会営薬局事務打合会 19:00
2月1日 ユニバーシアード福岡田大会第2回医事専門委員会(会長:市役所) 15:00
  3日 処方検討会Aブロック 19:00
     第3回国民健康保険運営協議会 16:00
  4日 急患委員会 19:00
  5日 福岡市医師会在宅医療担当理事を囲む新春懇談会(福新楼) 18:00
  7日 選挙管理委員会(発会式) 19:30
  8日 新規薬局個別指導 19:00
  9日 漢方研修会 19:00
  10日 処方検討会 19:00
     広報委員会 19:30
  14日 山崎拓政経懇話会(会長) 7:30
     理事会 19:00
  15日 会営薬局特別委員会 19:00
  17日 処方検討会Cブロック 19:00
  18日 福岡市健康週間第2回実行委員会 15:00
  21日 県薬地区連絡協議会 13:30
  24日 福岡市心身障害者審査部会 16:00
     処方検討会 19:00
  25日 理事会 19:00
  28日 吉村剛太郎懇話会(会長) 7:30

  市薬会員数 A 会 員    658名
        B 会 員    278名
        C 会 員     15名
        合   計    951名(2月21日現在)

福岡大学公開講座 −薬学部卒後教育講座−

福岡大学薬学部では医療の現場で働いている卒業生の自己研鑚の一助とするために、年2回の卒後教育講座を開催しておりますが、今回は薬学の基礎講座として、1)薬の作用メカニズムの基本、最近のトピックスとして、2)エイズに対する漢方医学的アプローチの2つの演題を取り上げて開講いたします。

本講座は福岡大学公開講座の一環として開講しておりますので、本学卒業生に限らず、多数の方々のご参加をお待ちしています。

講 演
1 「受容体」で病気と薬を語る 福岡大学薬学部教授 神谷大雄
2 エイズと東洋医学 福岡大学医学部助手 宮本康嗣
日 時
平成6年5月14日(土)午後1時30分〜5時30分
場 所
福岡大学薬学部 3号館第3別館 301教室
対象者
薬剤師及び一般
参加費
無料
申込先
〒814−01 福岡市城南区七隈8丁目19−1
福岡大学薬学部 公開講座係 TEL(092)871−6631 内線2260
ハガキに住所、氏名、年令、職業、電話番号をご記入の上、お申込みください。
受付期間:平成6年4月5日〜5月8日 当日参加も可
後 援
福岡大学薬学部同窓会

この講座に関するお問い合わせは薬学部事務室 TEL871−6631内線2260にお願いします

今、あかされる 博多人形の素顔

新しい会員さんは、ご存じないかもしれませんが、昭和63年7月号から市薬会報の裏表紙に登場したペンネーム博多人形さんの川柳。読み返してみると、石井選挙や役員改選、消費税、リクルートなど、時代が反映されていて今読んでも面白いものです。

市薬会報は、私が編集を引き受けた6年前、それまでは年2回だったのが、隔月で年6回発行に変りました。現在は委員会制になっていますが、その頃は広報部といわれ、専務理事の職務の広報部分だけを任された形をとっていました。その時の専務理事は現監事の藤原先生で、編集者でない専務理事が編集後記を書くわけにはいかないからと「川柳」にその時々の思いを込めて投稿されることになりました。私にも川柳を書くように言われたのですが、根が素直で正直者?のこと。川柳のように物事を斜めから みる皮肉っぽさは、あいにく持ち合わせておりません。それでも泣く泣く何ん句かは書きましたよ。

その点藤原先生の句は、機微にとんでいて、その皮肉っぽい表現はバツグンです…ね。どの句とどの句が藤原先生、これが私というのは秘密ですが、最後に博多人形の素顔だけは紹介しておきたく思います。

そして、この会報と一緒に市薬初の選挙公報が同送されることになりました。それで過去の「博多人形」から、役員改選について吟まれたものをここに掲載します。いかがですか。

Michiyoさんの実践英会話

市学薬理事会へ出かけようとした午後6時、アメリカ人のお客さんがありました。東月隈小学校の横にジャズダンス教室があり、教えてあるのが黒人の素敵な先生です。

奥様は小学校の保健厚生委員で、年3回の学校保健委員会ではいつも一緒になっています。今日のお客様はどうやらそちらのお友達のようです。日本に来られて間がないのか、日本語は全くダメ。左手で自分の左胸の辺りを指し「ミー、カンデム」と言いながら、何やら店内を物色。だけど捜し物はなかなか見つからないらしく、困りはてた様子。「出かけないかんとに、どうするかいな」

困った、わからん!!こうなりゃ、FUSAKOさんの英会話だけが頼りとファイルを持ち出して彼に見せるのですが、ないのです。途方にくれた、Michiyoさんは、FUSAKOさんに電話して、Help Meと言おうとしたのですが、助けられましたよ紙とえんぴつに。

たいていの外人さんは、ジェスチャー得意人間だと思うのですが、彼の場合は何故かジェスチャーが全くないのです。それもそのはず、彼は紙にこう書いたのですから。Condomのスペルと、例のイラスト。そして「メンアンドウイメン。ミ−、ミー」と。そこまで言われてわからんようでは、国家の最高学府を出た女性の恥とばかりに答えましたよ。「オー、イエース。これですか(ここは日本語)ワンサウザント円。」

できた!Michiyoさんの英会話。という理由で、1分遅刻の市学薬理事会でした。

(SAN)

  

平成6年3月31日発行(隔月年6回発行)
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
T E L 092-714-4416
発行人  三津家 正 友
編集入  木 原 三千代
広報委員 樋 口 昌 嗣
     坂 田 博 子
     橋 口 扶佐子
     荒 巻   滋
印刷所  (有)興英社印刷