■ 巻 頭 言
広報は今 (社)福岡市薬剤師会 広報担当常務理事 北島啓子

参院選も終わり、自民党の惨敗のあおりで首相の座も橋本氏より平成のおじさんこと小渕氏へ。その小渕内閣に、福岡の太田誠一氏が初入閣を果たし、また山崎拓氏も近未来研究会を結成、そのリーダーとして次期総裁選への意欲を表明。また我々が推薦し応援した吉村剛太郎氏も逆風の中での再選を果たし安堵いたしました。

さて、福岡市薬剤師会も充実の2期目に入り早や5ケ月、いよいよ本格的始動の時到来です。市薬の平成10年度の事業計画・・・

1.広報活動の充実 2.組織強化 3.福岡市薬剤師会の運営 4.薬局の活性化 5.医薬分業への推進 6.在宅医療及び介護保険制度への参加 7.研修事業の強化 8.試験センター 9.福岡医療圏との連携

の中でも3の中の『かかりつけ薬局』育成の支援は、特に市薬が力を入れている最重点事業ですがまだまだ漠然としており、それをどのように具体化していくのかが今後の課題であり腕とセンスの見せ所でしょう。現在、市薬では『かかりつけ薬局』特別委員会を作り、一刻も早く福岡発の統一見解を打ち出すべく理論構築中です。

広報としては、その具体策を真正面から捕え、うまく波及させる事に渾身の力を注ぎたいと思っております。また福岡市民に対してのアピールも不可欠で、この件に限らず、将来的には外報部(仮称)としての確固たるチームを別枠にて作成し発足させる必要性を強く感じております。

広報委員会の現在の主たる活動内容は御承知のように市薬唯一の情報誌・市薬ジャーナルの作成です。まず我々が常に考えている事の筆頭はいかにして一人でも多くの方に読んで頂くかという事。月並みではありますがそれに尽きます。この為にはやはり多くのジャンルのコーナーや記事を必要としますし、頂いた原稿を活かす為、日夜試行錯誤を繰返しております。

また、日薬誌、県薬会報とは趣が違って然るべきですので、市薬ジャーナルはよりバラエティーに富んだものにしようという方針です。皆様は如何様にお考えでしょうか。硬軟・辛甘とりまぜて出来るだけ多くの声を目一杯に門戸を開放して取り上げて行きたいとも思います。それが独自性のあるものになれば嬉しい限りです。

過日、市薬ジャーナルが少々バラエティーに富み過ぎているのでは?という御提言がありましたので、この紙面をお借りして我々の思いの一端を書かせて頂いた次第です。御理解の程、お願い申し上げます。

今後も会長が常々おっしゃる広報の4つの理念(記録・対外的広報・情報の伝達・会員のサロン的役割)を踏まえて、常に発想の転換を図りながらも温故知新を忘れる事なく柔軟に活動して行ければと念じております。

市薬執行部並びに各委員会相互の連携を密にし気持ちを一つにして『かかりつけ薬局』育成の為の支援に努める所存ですが、それには、より多くの方々のお知恵を拝借せねばなりません。今こそ全会員一丸となって『かかりつけ薬局』とは、と自問しつつこの大きな波を乗り越えようではありませんか。

「薬剤師はプロフェッションの一員である。プロフェッションとは神が自ら行いたもうべき事を、神の御手にかわって行うわざ師である。(前日薬会長 吉矢佑)」

<私と薬> ごあいさつ 福岡市議会議員 稲員大三郎

社団法人「福岡市薬剤師会」におかれましては、此度、不肖、稲員大三郎を中央区選出市議会議員としてご推薦いただきましたことに、心から御礼申し上げます。

さて、我国における医療技術の向上と医薬品の進歩発展は実にめざましく、国民の保健衛生の向上増進が大きく図られていることは、誠にご同慶にたえないところでございます。

一方、平成12年度を目途とする医薬品の規制緩和推進策や介護保険制度への取り組みが既に始まっております。特に、介護保険につきましては、市といたしましても、要介護認定事務や介護保険事業計画の策定など、薬剤師会のご理解やご支援を頂きながら、検討を進めていかねばならな い課題がございます。

私も微力ながら、自由民主党福岡市議団会長として、よりよい介護保障システムの構築のために皆様方のご意見等をお伺いしながら、全力を傾注して参りたいと考えております。

ところで、毎年10月に「薬と健康の週間」があるということを最近知りました。

私は、幸いなことに頑強な体に恵まれ、又、学生時代から柔道や空手道を続け、各種スポーツに親しみ、これまで医者知らず、薬いらずの生活を送って参りました。しかしながら、54才という、若くもなし、初老といわれるのも猛反発したい中途半端な年齢を迎え、新たな健康維持法を模索する昨今でございます。

吉田兼好が持ちたい友人として、「薬師と物くれる友」と書いておりますが、是非とも薬剤師の皆様方との知己を得まして、若返りの薬は夢といたしましても老化防止の生薬がございましたらご教示いただきたいと思います。

終わりに、21世紀に向けて市民の健康づくりに今後とも格別のご指導ご協力を賜りますようお願い申し上げますとともに、福岡市薬剤師会の益々のご発展、ご隆盛をご祈念申し上げます。

<私のやっている医療薬学研究 連載第2回> 薬の「動き」と「働き」のドッキング九州大学薬学部薬剤学講座
澤田康文

1) はじめに

大学薬学部、薬科大学における専門課程の講義の中で薬の体の中での「動き」と「働き」については、それぞれ、薬剤学(製剤学)と薬理学(毒性学)が最も関係していると考えるのが一般的ですね。学部内にそれぞれ独立した講座があるのですから、もちろん違った先生が講義を担当しているのが普通です。

従って、それぞれの先生方は、全く独立して相互に連絡を取り合うことなく自分のシラバスにのっとって講義を行っていて何の不思議もありません。この事は、講義だけではなく、薬学研究活動においても同様です。同じ大学の中で薬剤学と薬理学が医薬品の創製或いは医薬品の適正使用を目指して連携して活動しているケースは少ないのではないかと思います。

これは一つの問題ではないでしょうか?

製薬企業でも同じで、薬の「動き」を取り扱う、吸収・分布・代謝・排泄(Absorption・Distribution・Metabolism・Excretion:ADME、通常アドメと呼ぶ)を担当する研究部門と薬の「働き」を取り扱う、薬効・薬理、一般薬理或いは毒性を担当する部門は殆どの場合独立して機能していて、いわゆる企業内で横のつながりはあまりないのではないかと思います。

この様なことが原因しているのかどうかは判りませんが、医療現場で活動する薬剤師においても、薬の「動き」と「働き」に関する知識をそれぞれ分離して頭の中に貯蔵し、必要な時に別々に取り出して、情報提供を行っている方が多いのではないかと思います。

私からすればこれでは知識が生きた情報として提供出来ないのではないかと思います。薬学部の学生・大学院生、大学や企業において医薬品開発と適正使用を目指す薬学研究者、薬剤業務を行う薬剤師、とにかく薬学に関係したことを行っている全ての人々は、薬の「動き」から「働き」に至るプロセスを総合的にしかも定量的に理解する能力を持ち合わせていることが必須であると私は確信しています。

2) 薬の「働き」と「動き」の研究からのデータ

先ず、薬の「働き」の研究、即ち、薬効・薬理作用、副作用、毒性作用の研究について述べてみましょう。丸ごと動物を取り扱う実験(in vivo実験という)では色々な量の薬を投与した後、その薬の作用強度を行動薬理学的な変化などを指標にして検定することになります。

グラフにすると、横軸に投与量の対数値、縦軸に作用の強度をとり、いわゆる用量作用曲線(responseのdose dependency curve)を描くことになります。時には、薬を投与してからの作用の変化の時間経緯を測定することも行われます。

試験管内の実験(in vitro実験という)では、薬の量ではなく、薬の濃度と作用の関係 (responseのconcentration dependency curve)が測定されることになります。例えば着目した作用が酵素阻害に基づくものであるなら、試験管の中に標的となる酵素サンプルを入れて、薬による阻害活性を色々な濃度で測定するのです。

従って、in vivoとin vitroでは、同じ種類の作用を検定するのであったとしても、基準となるものが「量」と「濃度」という様な違った性質を持った作用プロフィールのデータを取り扱っていることになります。

一方、薬の「動き」の研究においては、薬を色々な量で投与した後、先ず血液中の薬の濃度を測定することが行われます。その濃度を基準として、薬の尿中・胆汁中・糞中排泄速度、肝臓や消化管などでの代謝分解速度、色々な臓器・組織への移行・分布速度などが定量的に検定されます。

この様に薬の「動き」の研究は大抵の場合は、投与量と血液中濃度の関係、血液中濃度とADME各ステップの速度の関係が議論されるのです。

以上の様に薬の「働き」の研究と薬の「動き」の研究との間には直接的な関係は具体的イメージとして浮んできません。しかし、これでは薬を投与してから作用(薬効・薬理作用、有害作用としての副作用・毒性作用)が起こるまでを総合的にしかも定量的に理解することは大変に困難であると思います。

3) 有効濃度の考え方

薬の「働き」を投与量基準でいつも考えていると誤った理解に導かれることがあります。このことについて薬の有害作用としての副作用発現を例にして考えてみましょう。

動物実験では、比較的広範囲の投与量で薬の作用を検定することが出来ます。動物の半数が目指す副作用を引き起こした時の投与量であるED50値は大変に便利な指標です。これによって色々な薬の効力を定量的に判断することができます。例えば今までに見出されなかった副作用が発見され、その用量依存性が実測されたなれば、臨床でもその副作用に対しては注意する必要があるでしょう。

しかしこの投与量(ED50値)が臨床のレベルから見た場合に果たして意味のあるものであるかどうかは、これだけの情報では不明です。

その量を投与した時の体液中濃度(例えば血液中濃度)がどの程度であるかが必要な情報なのです。もしその濃度が、ヒトにおいて治療量(通常量)程度を投与した場合の血液中濃度に比べて、同じ程度か或いは高い値であるならば、要注意ということになります。

しかし、ヒトにおける濃度よりも遥かに低い値であれば、臨床では余り問題となることもないであろうと判断出来ます(もちろん、この様な場合、動物種間の違いが存在する場合はあります)。薬の「働き」は投与量よりも濃度との関係から評価した方がより臨床に近い議論が展開できるようになるのです。

4) in vitro実験データからin vivo挙動への外挿

薬効・薬理試験、副作用・毒性試験などにおいて、試験管内の作用(in vitro試験)は、多くの場合、使用される薬の濃度が基準となって判定されます。例えば、その作用が有害作用(副作用)であり、もしある酵素の阻害活性に基づくものであるのならIC50値と呼ばれる指標が用いられます。薬が存在していないときの作用強度が薬の存在によって50%に低下する時の薬の濃度と言うことになります。

しかしこのin vitroデータがin vivoでの薬の作用を予測したり、評価したりするために果たして積極的に活用されているのでしょうか?必ずしもそうではないと思います。

薬を投与した後の血液中濃度とIC50の対応によって、その副作用が意味があるのかないのかがある程度推定することが可能となります。投与後の濃度がIC50以上或いはそれに近いなら、危険であるし、またIC50よりも遥かに低いのならあまり問題にはならないと考えられます。

この様な観点から、既に報告されている多くの薬の作用に関するin vitroデータを見直してみるのも意義深いのではないでしょうか?また、in vitroデータからin vivoでの薬の動きや働きを積極的に予測することも必要があると思います。

5) 濃度と作用の時間経緯

薬効・薬理作用、一般薬理作用、毒性作用を検定する試験においても、薬を投与してからの作用の持続時間を測定することはよく行われます。もちろん、ADME試験においては、薬を投与してからの時間を追っての血液中濃度推移の測定は行われるのが普通です。

同じ薬で作用と血液中濃度の時間推移曲線を同じグラフの上にプロットした時のことを考えてみましょう。それらのパターンが類似している時もありますが、場合によってはずれている時もよく経験します。

例えば、ある薬の体内からの消失(代謝や排泄プロセス)の速度が速くてあっと言う間一に無くなってしまうけれども、作用は長時間にわたって持続しているということを考えてください。もしこの薬の血液中濃度推移のデータだけを眺めていたら、投与後、効き目は速くなくなってしまうという烙印を押されてしまうことになります。

逆に作用が長く持続するというデータだけを眺めていたら、薬の体内への蓄積は極めて高いと判断されてしまうかもしれません。

6) 薬の「動き」と「働き」のドッキング

以上のことから、薬の「動き」と「働き」の情報をドッキングさせることを念頭においた思考能力を持つことと薬理学・薬剤学研究を実施することが必要であります。つまりそれらを頭の中で一連の流れ(投与から作用発現まで)として定量的に捉える能力が我々には必須なのです。これは医療現場で活躍する薬剤師はもちろんのことですが、製薬企業で働く研究者にとっても重要なポイントであり、今世の中で騒がれているいわゆる「医療薬学」の大きな柱の一つと考えられるのです。

7) 薬の「動き」と「働き」のモデル化

薬物動態と聞くと、ややこしいコンパートメントモデルが出てきて、複雑な式を誘導し、更にコンピュータを用いて解析して色々な動態パラメータを出して・‥…というイメージが出てきます。

これが原因してかどうかわかりませんが「薬物動態学アレルギー症」になる薬剤師さんが多いのではないでしょうか?この様なことが起こるのも、ただ機械的にデータを解析して、パラメータを出す作業だけで終わってしまって、一体なぜこの様なモデル解析が必要なのかあまり理解されていないからではないでしょうか。

ここで、薬の「動き」と「働き」の関係をモデル化する意陳について考えてみましょう。特殊な例を除いて一般的に薬が作用するための引き金は薬が血液中に出現するということです。つまり作用が引き起こされるための入力関数ということになります。次にその情報の入力から作用に至るまでのメカニズムを可能な限り明らかにして、更にそれを基盤として現時点で最も相応しいモデルの構築を行う。しかしモデルは出来るだけシンプルなものにするように心掛ける必要があります。

そして実際の入力関数(普通、血液中濃度時間推移)と作用の時間推移のデータに対して最も適当な速度パラメータを算出することになります。ここで仕事が終わってしまっては何のための計算かわからなくなります。得られたパラメータが実際の生体の持っている色々な機能に対してコンパラブルかどうか?リーズナブルかどうか?をチェックする必要があります。これは構築したモデルが妥当かどうかをチェックする一つの方法です。

ではこの解析をどの様に生かすのかというのが次の問題となります。モデルとパラメータが得 られたのなら、どの様な入力関数であっても、つまりどの様な投与量、どの様な投与ルート、どの様な投与法であっても簡単に作用をシミユレーションすることが可能となります。更に、場合によっては、ヒトや動物が色々な擾乱状態(病態時、加齢時、相互作用がある時、妊娠時、・・・)になったとしても対応がとれるモデルも構築することが可能となります。

この様なことを行えば、薬の「動き」のデータから薬の「働き」を定量的な評価基準をもとに予測するシステムが構築できるということです。詳しい実例については次回以降に示したいと思います。

8) 薬の「動き」と「働き」を取り扱う学問分野の名前

 薬の体の中での「動き」と「働き」を定量的に取り扱う学問分野として次の4つがあります。
(1) 薬物動態学(ファーマコキネテイクス:phmacokinetics)

(2) 薬物動力学(ファーマコダイナミクス:Phamacodynamics)

(3) 毒物動態学(トキシコキネテイクス:toxicokinetics)

(4) 毒物動力学(トキシコダイナミクス:toxicodynamics)

ファーマコキネティクスとファーマコダイナミクスとは、治療薬などが生体に投与されたとき、最終的には生体にとって有益な薬物作用(薬効・薬理作用)をもたらす場合を取り扱うものであり、トキシコキネティクスとトキシコダイナミクスは、生体にとって有害である薬物作用(副作用・毒性作用)がもたらされる場合を取り扱うものです。

トキシコキネティクスとトキシコダイナミクスと聞くと、トキシコロジー(毒性学)のイメージから主に重篤な毒性作用がそれらの対象となると考えるかもしれません。しかし医薬品の場合、必ずしも肝障害などの重篤な毒性作用だけとは限らず、薬剤性睡眠障害、パーキンソニズムや抑うつなどの一般的な副作用も含まれているのです。

ファーマコキネティクス、トキシコキネティクスとは薬の体の中での「動き」を定量的に扱う学問分野であります。更に、ファーマコダイナミクス、トキシコダイナミクスとは薬の「働き」を単なる薬効・薬理作用や副作用・毒性作用が起こる起こらないということだけを取り扱うのではなく、作用の時間変化などを定量的に解析して、キネティクスとの連結を念頭においたものです。

9) おわりに

薬の「動き」を担当する学問分野は薬物動態学、薬剤学、製剤学などであり、薬の「働き」を担当する分野は薬理学、毒性学などであることを考えると、つまり、薬の「動き」と「働き」のドッキングは、「薬剤学」と「薬理学」のドッキングなのです。この様な「薬剤薬理学」、即ち「ファーマコキネティクス、ファーマコダイナミクス、トキシコキネティクス、トキシコダイナミクス」の教育研究分野の早急な進展がこれから必須であります。我々は日夜その指向で研究に励んでいます。

 

目からウロコが・・・〜澤田教授との出会い〜

第7回日本薬学会クリニカルファーマシーシンポジウム(群馬大学)の後にあった、いくつかのリアクションの中の一つがこれ。神戸の薬剤師さんから、澤田ゼミナールについての問い合わせがあったと、社保担当理事が連絡してきた。シンポジウムで澤田ゼミの話を聞いたとき「まさに、目から…」と言われたという。

東大から九大に来られたばかりの澤田教授と出会ったのは、2年前、県薬務課の下川技官からの電話だった。大同生命が募集している地域保健福祉研究を共同でやりませんかとのこと。なにしろ初めてのことで、申請からアンケートの作成、そしてデータの解析までと、本当に手とり足とりの研究発表であった。

その間に、指導してもらうために何度か社保担当理事と九大を訪ねたが、雑談の中から次々に研究テーマが出てくる。「在宅訪問で、薬を運ぶのが薬剤師ではない。必ず情報を、それも家族やケアチームまでを視野に入れたものを運びなさい」、これは昨年、日薬の学術大会でのポスター発表となった。また、「開局薬剤師のレベルアップなくしては、薬剤師の地位の向上はありえない」とも言われる。こちらは、シンポジウムで座長を務められた東大の伊賀教授も、一字一句違わぬことをおっしゃった。

そして、澤田先生との出会いは、全国に例を見ない“開局薬剤師のための大学教授によるゼミの開講”へと繋がった。

(博多区薬剤師会 木原三千代)

<研修> 澤田ゼミ・ステップアップセミナー ファーマコキネティクス博多区・中央区 社保委員会
九州大学薬学部教授 澤田康文


<テーマ> ・薬の体内動態
      ・薬の投与部位からの吸収
<担 当> 橋本理枝

空腹時と食後とでは、血中濃度が大きく変わる。



 インフリーS、グラケー、VE、これらの脂溶性が極めて高く極性の低い薬は胆汁酸によるミセル形成して、リンパ系から大動脈に直接入る割合が高い薬剤です。

 インフリーSに関しては、食事1回の脂肪摂取量が10g付近であれば、食事による吸収の影響はみられないという結果が出ています。



Q:グラケーが1日3回処方されているが、食事を1日2回しかとらない場合、また経口以外で栄養を摂取している場合、どう服薬指導したらよいか?

A:可能な限り食事をとる(牛乳1杯で十分な脂肪が摂取できる)。ドクターとの相談より、別の治療法を考える。

ワンポイント:食事ができない人について、常に考える必要があり


同一成分でも、商品によって血中濃度推移は変ってくるため、変更時には注意が必要。




 セパミットRは腸溶性顆粒と胃溶性顆粒の混合剤であり、空腹時服用で血中濃度が急上昇するそうです。同一成分でも銘柄間により大きな違いがみられます。銘柄を変更したために起こった血中薬物濃度推移の変動により副作用あるいは原疾患の悪化を招いたテオフイリン徐放性製剤の例も報告されています。

 徐放性製剤の生物学的同等性の評価にはバイオアベイラビリティ、血中薬物濃度推移が重要な因子となっています。徐放性製剤の臨床使用においては、成分は同一でも銘柄が異なれば全く別の薬剤であるという認識が必要であり、銘柄を変更する時にはあらかじめ体内動態に関する情報を詳細に検討しておく必要が有ります。

Q:徐放化でバイオアベイラビリティが低下する薬物がある。それはなぜか?

A:徐放化により吸収が遅くなるため、肝臓へ低濃度で移行。効率よく代謝されたと考えられる。





 徐放性製剤の中にはバイオアベイラビリティが通常製剤と比べて低下している製剤が有ります。このような製剤は、種々の要因(放出異常、食事、相互作用など)により吸収量が増大する可能性が有り、危険性の有る医薬品であると考えられます。バイオアベイラビリティが低下する原因としては、吸収率の低下及び初回通過効果の増大が考えられています。

 

β遮断薬の離脱症状について〜今月のPK・PD講義〜

〈使用上の注意〉
急に投与を中止したときに、症状が悪化したり、心筋梗塞を引き起こした症例が報告されているので、休薬する場合には徐々に減量し、観察を十分に行うこと

1) ISA(内因性交感神経刺激作用)を有する薬物は離脱症状を、起こしにくい。


2) 消失半減期の長い薬物は離脱症状を起こしにくい。


3) 漸減法で離脱症状を防止できる。


 6月のステップアップセミナーを担当させて頂いた橋本です。私は最近かねてからの念願だった愛車を手に入れ、車で走る事によってやっと少し福岡の街を身近に感じる様になりました。教習所にも行き、16年前に運転免許を取った頃の事を思い出し、過ぎた時間をなっかしい気持ちで振り返ってみました。今年の秋は、良い秋になりそうです。

(橋本)

 

 

<テーマ> ・薬の体内分布と臓器クリアランス
<担 当> 杉若靖子

薬の働きを知るためには、体内分布と半減期とクリアランスを理解する必要があります。抗不整脈薬のアンカロンを例に調べてみました。

〈分布容積・クリアランスと半減期の関係〉

分布容積(薬物がいろいろな臓器組織へ分布・移行する能力)が大きい薬物は、初めは組織・臓器への取り込みがよく、十分に貯蔵される。その後、血液中にゆっくりもどるため、半減期も長くなる。

クリアランス(腎臓からの尿中排泄、肝臓での代謝)が大きい薬物は、体内消失が速いため、半減期が短くなる。


Q:アンカロンってどんな薬?



A:図からもわかるように、アンカロンは他の薬品にくらべ、分布容積がかなり大きく、クリアランスが小さいため、半減期が非常に長くなる。

インタビューホーム警告欄
 投与を中止した後も、血簾中、及び脂肪に長期間存在するため、副作用発郵こより投与中止、減量しても副作用はすぐに消失しない場合があるので注意が必要である。

○投与中止後の血祭からの消失は緩慢でその半減期は30.9日であった。



 

β遮断薬の点眼液で全身性副作用が起こる可能性がある〜今月のPK・PD講義〜

 β遮断薬の点眼液1滴の量は、内服にくらべ微量であるが(図1)、心不全、気管支喘 息などへは投与禁忌あるいは慎重投与となっている。



 効果の指標となるのは、血中濃度よりもレセプター占有率である。点眼後のチモロールの最高レセプター結合占有率は、薬理効果を発現するのに、十分なレセプター結合を示していると推測される。



 点眼後の血祭中薬物濃度は極端に低くても、レセプターを占有するには十分な濃度であり、全身性の副作用を誘発する危険性がある。

 

β遮断薬の点眼薬の正しい使い方

全身性の副作用をできるだけ回避するために

1.点眼1回につき1滴。
2.点眼後はゆっくり眼を閉じる。
 (まばたきをすると、結膜嚢内からの点眼液排泄を著しく瓦進させるため)
3.指で軽く目頭を押さえる。
 (鼻涙管への薬物の移行を減少させる)

<フリートーク> 私の想うこと薬剤師のもう一つの職能“漢方” 南支部 高宮部会
薬局 漢方大楠 内山ゆき


「日薬」から漢方が消えました!?本年6月漢方学術の「療血学会」(医師が主流)に於けるシンポジウム(テーマ:癌)で、私は下記の講演発表を致しました。おこがましいですが、その全文をここに掲載させて頂きました。もしも薬剤師の職域職能に対して、幾らかでも開眼するものがあれば幸甚に存じます。

(療血学会シンポジウム)

「癌は、人間が生きている証」

[前言]自己紹介:

☆薬局自営の薬剤師。漢方歴40年。

☆四診(望・聞・間・切)と漢方の生理・病理・薬理に拠る。

☆現代医学の検査結果は、病人側から提示された場合だけ参考にする。
(現代医学は、ミクロの世界を知ることが進歩発展であると錯覚して追い続け、その為、帰納し統括することが不能に陥っていると思う)

☆中西医結合ではなく、並立が宜いと考える。
(中西医学の並立が可能なのは、診断迄である。治療法をも結合させようとするから、本来は強力な学問である漢方までも、引きずり落としてしまっている)

☆(広義の)ガンは、人間が生き物である証拠。ガンがあって普通と考えるべきである。

☆このような考えを持つ私に、この度会長の小川新先生から、シンポジウムへのお誘いがあった。再三再四思案の末、お受けしてみようかと思い立ったのは、世の中の趨勢で(?)医師の漢方発表の仕方が、随分漢方的になってきたと思うからである。
(しかし癖血学会の投稿規定には、“現代医学的検査による病態認識の研究”を繰り返し要求してある。…ハテ、困ッタナア)


[症例]肺癌と脳腫瘍の一例:

女 55才 入院中 平成4年6月3日(初相談日)の報告。

・1年前の6月頃から、易疲労、胸痛、咳蠍、体重減。今年1月、総合病院で受診して、異常無し。その後、疲咳、息苦しい。爪が黒くなった。

・左側頭部に、直径3.5cm、高さ5mmのコプが出現。無色。(手書きの髑髏の絵がFAX送信されてきたので、一瞬ギョッとした)

・右肺に水が貯留していた。(5月10日)

・肺の中心部に陰影。リンパ腺腫という。この8日間に、胸水が20%−>80%に増量。頭部]線で左側頭部の他に、更に前頭部にも直径1.5cmの腫癌を発見。(5月18日)

・肺中央部の陰影は癌で、頭部の2ケのコプも転移したもの。(今年一杯の生存だろうと予告された)この時期の爪の色はピンク色になってきた。病院では背中にパイプを入れ、抜水と、入薬を開始。(4〜5日で排水する時と、排水しない時もある)左肺にも水が溜り始めた。(5月26日)

症  候:

体格中。顔色は青白い。(姉と母ガン死)薄味を好む。甘藷を好む。
少食かも?!昔から便秘の傾向があるらしい。心配症。

使用薬物:

半夏・生姜・裸苓・杏仁・甘草・細辛・五味子・麦門冬・人参・地黄・士別甲・葉音仁。

経  過:

(1) 病人は入院加療中なので、漢方開始当初は、脱毛・不食・身体痛・吃逆(しゃっくり) 二便難など、多彩な変化が出現していた。

(2) 当方の漢方を服薬開始して3週間後には、二便が回復し、胸水が殆ど去ったので、背中のパイプが外された。(6月23日)

(3) 予告を受けていた白血球減少も増加に転じたが、この事は、漢方と抗ガン剤とのイタチごっこである。

(4) 左側頭部のコブは、表面が平らになった。病院からは、頭の2腫瘤は小康状態であると言われている。肺部中央部の癌も随分綺麗になったという。(服薬1ケ月半の報告)

(5) 病院治療が一応終了したとして4ケ月後に退院し、近くの医師からワクチン注を受ける事になった。

(6) 初相談日から丁度1年後、病人自身の運転で、ごく軽い追突事故のような事があった。 それ以来(そのせいか)右肺に時々痛みが出没する。「折角良くなってきたのに」と病人が悔しがる。

(7) それから間もなく再入院して、今度は頭部のコバルト治療を受けた。そのため、初期同様の副作用がまた出現した。]線検査で肺は締麗であった、との報告を受けた。以後連絡がない。

症例のまとめ:

 漢方投薬している間に、肺の水が去り、肺の陰影が消え、頭部の腫瘤が平坦になり、嬉しい報告が続いた。

 再入院後、再び生体を痛める事が繰り返された事を考えると、痛ましい。

 “攻撃治療は半ばで止めよ。過治療は死ぬ”と、古典(張氏医通:清・張路著)にも記されてある。


[結語]

(1) 現代医学の諸検査成績が改善した後、却って仕事が出来なくなった病人の例や、その反対例(検査では明らかに病人であるのに、健常人の生活を長年続けて来た例)を見聞する時、治療とは、病人自身の快、不快が最大目標でなければならぬと思う。

(2) ガンと共存する手助けをする事は、漢方に於てなら可能である。「陰陽調整」が総てである。

(3) 一般人は「ガン即ち死」と洗脳されているため、ガンの告知に悩む。人間は、完全無欠の「蒸留水」では生きられない!“悪(ワル)固まりに固まる”という表現もある。

(4) 人間も自然界も、時々刻々、春夏秋冬、変化する。人体は「蓄積」と「消耗」を繰り返すことによって、生命を維持している。従って人体の気血の循りが悪くなると、血脈が留滞して所謂ガン化(療血)が始まる。なにびとも此の道理から逃れる事は出来ない。ガンと共生する治療法を探る事を、この療血学会の目的にしたい。(暴言多謝)

註:この稿で言うガンの名称は、気血留滞した時のあらゆる病期を含む。

(1998年3月 記)

閉会して2日後に会長さんから電話が入りました。御自身が日頃考えておられた事と、この度私が症例に応用した考え方(漢方の生理・病理・薬理)との共通認識を指摘して嬉しそうなお褒めの言葉を下さいました。漢方は、限りなく面白く、限りなく難しく、限りなくやり甲斐のある学問です。特に薬剤師にとって!

<フリートーク> 荒巻日薬副会長への提言 清水貞知(88才)

はじめに

本誌7月号所載「清水論説を訂す」興味深く拝見した。

先生に初対面を得たのは御仰せの如く、もう30数年前、何かの会合の時だったと思う。

先生は未だ県薬の平役員だったが、鶏群一鶴、中に在って際立った存在であった。「これは将来大物になるな」と思っていたが、果たして、その予感は的中した。

現在日薬の幹部として活躍しておられるが真に心強い限りだ。その御活躍ぶり毎月の日薬誌上で拝見している。

当時私は正直云って会の異端者だった。今でもそうだが会の意向に素直に従った試しが無い。 在職中、九州地区国立病院薬局長仲間でも奇人扱いされていたし、病薬内でもアウトロー視されていた。

退職後も時々県薬会報に投稿していたが、過激な主張が多く、その採否を巡って屡々物議を醸していたらしい。が、それを敢えて押し切って搭載してくれていたのが時の会長荒巻先生だった。

その後、先生、日薬に栄転された後は寛容な同志を失ったので県薬への投稿は遠慮している。 失礼ながら県薬会誌は些か肌合いが合わず、市薬ジャーナルの方が親しみもあるので現在では専ら市薬ジャーナル志向である。

反論の要点

さて、先生の論点にはかなりの幅があり、振幅が大きいのでフォーカスを絞り難い。一一反論していては紙幅が足りないので要点を下記の3点に絞って些か私見を述べる事にしたい。

1 日薬のグランドデザイン
2 服薬指導、情報伝達
3 在宅介護への参加

その前にお断りしておく事がある。それは「やれ私見だ反論だ」と云いながら、方や今は時めく日薬副会長、当方は一介の退職老会員、最初からまるで勝負になっていない。

云ってみれば最新の装備を施した空母エンタープライズに第一線から退いた赤錆びだらけの老朽艦が立ち向かうようなものだ。それを覚悟で、敢えて〈蛙坤の斧〉よろしく挑戦してみる事にする。

1 日薬のグランドデザイン

先ず1のグランドデザイン(以下GD)だが、先生は今でもこんな幻想に促われているのだろうか。

跼した薬剤師会と云う村社会から目を転じ、広く四囲の情勢を達観されている先生にしては怪せぬ仕儀だ。と云って、ここでも誤解の無いように、括弧を入れて置かねばならない。

私がこの「薬局のグランドデザイン」に反対だと云っても全面的な否定ではない。全文に流れる理念、構想には反対するより寧ろ共感を覚える事が多い。特に第2章の「薬局の基本理念」はプロトコールであって何時でも何処でも通用しそうだ。

唯だ論旨が基本理念から離れて一度具体的な構想になると、怪しくなる。例えば第5章の第2節「自己完結型の標準的な規模」に至ると経済的危機に直面している現状から甚だしく距離を置いて夢想に近いものになる。

現状において将来を予測する事が如何に至難な業であるか、その方の専門家でも手を焼いている。日薬がここに至る経緯として、第1章第3節「GD策定までの手順」では、「国内の現状を把握した」「世界的な傾向を誤りなくとらえた」とあるが、このGDの示達された97年1月、その頃既に日本経済の先行きは怪しくなり、96年2月には政府は消費の低迷や公共投資の抑制から景気回復は困難だと発表している。

例の山一証券、北海道拓銀等4大金融機関が破綻したのも97年であった。これを契機として日本経済は現在の困難な事態に突入し始めている。これから先日本の経済が何処まで落ちるのか先行きは分からない。不良債権の後始末さえ未だ手付かずの状態だ、今後リストラは愈々進み失業者は巷に溢れるであろう。斯様な折、GD第5章第2節「自己完結型薬局の標準的な規模」てな画餅がどう云う筆法を以てすれば描かれるのであろうか。不安無きを得ない。

現在日本の置かれている状況は過去の延長線上にはない。第二の維新だと謂われている所以である。改革、大袈裟に云えば革命である。過去の統計数値や実績は通用しないのである。思考も構想もその出発点で180度転換しなければならないのである。

先生はこのGDは一つの薬剤師の目標、理想だと云われる。理想をどのように描こうとそれは勝手だ。然し余りに現実から解離した発想は飽く迄幻想であって指導指針とは成りえないと思う。

今後の世界情勢、特に経済情勢は曾て堺屋太一さんでも見当が着かないと云っていた。

敢えてこんな混沌とした時期に将来の理想を掲げるなんて時期を誤ったとしか言いようが無い。貧弱な私見を以てすれば、ここ数十年先の薬局象はこのGDとは全くかけ離れたものになるだろうと思う。電子機器、マスメディアの進歩、情報手段の予想だにしなかった展開によって狭い範囲の薬局の薬事情報さえ画期的な変貌を遂げるはずだ。

2 服薬指導、情報伝達、

何もDIの先陣争いをするわけではないがDIと云う洒落た名こそ着けなかったものの薬品情報の先鞭を着けたのは、この自分だった。時に55年頃、製薬業界の絶頂期、新薬の族生相踵ぎ毎日のようにプロパーが新薬のパンフレットを鞄に詰めては持って来たものだ。薬局長たる者その応接に暇無く、ロクに読む時間も無かった。それでも兎に角、添付書だけでも整理して置く事にした。

当時開かれた全国立病院薬剤科長会議でもこの件、「勉強しろ」とは云わないが添付書の整理だけもして置くように提案した。

これを取っ掛かりとして逐次薬品情報が態を成して来、DIとして進展した。

後、九大の堀岡薬剤部長がこの一連の情報収集、伝達作業にDIなる酒落たカタカナ語を着けて一般化し体系着けた。

然しその頃、自分は既に単なるこの種、機械的情報伝達には飽き足らぬものを感じていた。後に触れる臨床薬学の芽生えである。

DIが単なる機械的なテレホーントーキングに終わったとしたら、パソコンの普及によって、それこそ猿でも出来る。臨床薬学の前提となるDI本来の意義はもっと患者に密着した生身のそれでなければならない。その事を強調して他にも働きかけたが、肝心の薬剤師自身からも猛烈に反対された。「薬剤師が医師の後塵を拝してセカンドドクターになる必要は無い、薬剤師の括券に係わる」と云う安直なプライドの問題からだった。

「医薬は車の両輪の如し」と云う時代じみた尻尾を挽きずった連中が未だ薬剤師会の指導権を握っていたのである。

荒巻先生は〈市薬ジャーナル〉エッセイ中「情報伝達について」の中で「清水は服薬指導や情報伝達は薬剤師には本来無理だと云っている」と指摘されているが、自分はそうは云っていない、前提が欠落している。今の薬剤師教育や制度の下では満足に出来ないと云っているのである。

言葉が足りなかったのだろうか。又「服薬指導と情報伝達が無くなったら、薬剤師に評価される業務は無くなってしまう」とも云っておられるが、それは正にその通りだ。これらの点に関しては次の3項に関連して2項の服薬指導と共に包括して述べたい。

3 在宅介護への参加

今や総てが様変わりしようとしている。

病院はホテル化し、病院薬局は分業の推進によって半ば消えようとしている。一方看護業務は正に日の出の勢い、看護婦の副院長は珍しく無くなった。

入院治療は本来の医学的治療に留まり、介護の面は在宅に置き換わろうとしている。

この時に浮上して来たのが、今回の介護保険制度だ。従来の薬剤師諸君なら多分ソッポを向くのではないかと案じていたが、でなく積極的姿勢を示しているのは意外だった。

この制度への参加は薬局の収支から云えば決してプラスにならない。否大いなる赤字であろう。それをしも参加意欲に燃えている事は、薬剤師の現状に不満を感じている事もあろうが、それだけ追い詰められているという証左でもあろう。

幾ら情報伝達、服薬指導と云った処で患者の顔も見ず、臨床検査値も知らず、病名だって添付書の上で見るだけで、何んの指導が出来ようか。

在宅介護に参加し、患者に直接接し更には生活環境を瞥見するだけで、生きた指導も出来ようと云うものだ。

患者に直かに接すれば「ハハア、アルツハイマーと云うものは、こんなものか、否こんな程度の者もいる。パーキンソンと云うものはこう云った症状か、それにしても腎透析患者の苦痛は並み大抵のものではあるまい、又糖尿病患者の薬は医師や看護婦が入念に教えているが薬剤師の立場で補足する点もある」などと肌で看取する事も出来る。

これまで薬剤師会主催の臨床講義を何度も受けたが、正直、身に着いていなかった。が、これからは受講態度も変わって来ようと云うものだ。

私はこれまで薬剤師会の臨床講義は「畳の上の水鎌だ」と、悪口云って来た。実体を伴はない病名の説明を幾ら聴いた処で何んの足しにもならない。スライドを見せられるだけの講義では立ち所に記憶は雲散霧消する。

話は変わるが医学雑誌を見ると、あちらでも若者に対する講義は、特にプライマリーケアに対する講義はノッケから実習が主体だそうな。活字上だけの服薬指導に一部看護婦が異を挟んだのも分かるような気がする。臨床薬学なんて簡単に云うが、基本概念は奈辺にある。

これに対し旧東大学派の一部では未だ未練がましく「そんな臨床薬学は本来の薬学ではない」物、指向を忘れた薬学は既に薬学ではない、などと云う向きも跡を断たないようだが、嘆かわしい。彼らには何んの為に薬剤師と云う職業人を世間が必要としているのか分かっていない。「初めに薬剤師ありき、薬剤師は神なりき」では困るのである。

介護保険制度への薬剤師の参加、これを契機として臨床薬学の総てが解明され、実践され、体得され薬剤師の輝かしい未来が拓けて来るであろう。然しそれには多大の犠牲と覚悟が要る。

(H10.8.10)

<在宅介護> 日本薬学会
第7回クリニカルファーマシーシンポジウム
「患者の期待に応えられる薬剤師への道」
前博多支部長
現博多区在宅理事 木原三千代


日 時:平成10年6月25日(木)・26日(金)
場 所:群馬県前橋市
参加者:市薬理事 原田美代子
    博多支部 木原三千代

九大におられた堀岡教授が始められた医療薬学会は、今回標記メインテーマのもと、4つの特別講演と2つのシンポジウム、そして多くの一般演題が研究発表された。

特別講演で、前米国薬剤節会(ASHP)会長のDr.J.E.Murphyは、米国における薬剤師の活動について講演された。われわれ薬剤師の職能にとって、サービスがもっとも不可欠な3つの分野は(1)ファーマシューテイカルの実践、(2)薬剤師間あるいは他の医療従事者との連携の構築、(3)公衆衛生におけるわれわれの役割の拡大である。そして、世界中の薬剤 師が自分たちの患者に有益なケアを提供するためのサービスに参加することと、その能力を信頼していると結ばれた。

シンポジウムは、メインテーマを主眼にI.「患者のQOL向上のために果たす薬剤師の役割」とU.「地域医療と薬剤師−今求められている薬のスペシャリスト」が開催された。シンポジウムU.は次のような5人のシンポジストからなり、博多区薬剤師会は地域薬局の連携について発表した。

 

シンポジウムU
地域医療と薬剤師
−今求められている薬のスペシャリスト−
6月26日 13:45〜16:50

座 長
  東京大学医学部附属病院 伊賀立ニ
  京都大学医学部附属病院 乾賢一

1.地域医療で医師が求める薬剤師とは
  長野県上田医師会 会長 宮下美生
2.薬剤師が地域医療にいかに貢献するか
  日本薬剤師会 常務理事 山本信夫
3.在宅医療における医師、看護婦、ソーシャルワーカー、社会福祉協議会員との連携
  福岡市博多区薬剤師会 会長 木原三千代
4.地域中核病院と地域薬剤師の連携
  札幌社会保険総合病院 薬剤部長 福島紘司
5.基幹病院としての役割 −大学病院の立場から−
  東京大学医学部附属病院 薬剤部主任 杉浦宗敏
6.総合討論

上田市医師会の宮下会長は「医薬分業は、2本のレールの上を走る列車である。患者という乗客を目的地に安全に運ぶために、ゆがみが生じないように固定する枕木や釘の役目をするのが医師会や薬剤師会である。また、看護婦のように日常、診療の現場に立ち会う機会がない開局薬剤師を、外来診察室や入院病棟に医師を説得して参加させる努力を病院薬剤師さんにお願いしたい」と提言された。

日薬の山本信夫常務理事は、東大病院の院外処方せん発行に深く関わってきた経験から「患者の住まいの近くにいる薬剤師が、医師の近くにいる病院薬剤師の力を借りて、診療にあたる医師の治療方針を理解しつつ、患者の薬物療法にかかわることで医療の中で何かができる。また、仲間の手助けがない場合でも医師を遠い存在とせず、その患者のために何をすべきかを常に考えて行動することが求められる」と話された。

札幌社会保険病院薬剤部の福島部長は、「地域医療支援型の中核病院薬剤部として、平成9年に厚生省委託モデル事業『薬・薬連携のための方策、方法論、問題点について』に参画した。その中で、在宅医療においては、服薬指導情報提供書を作成し、開局薬剤師に提供している。

また、病院薬剤師と開局薬剤師が共同して患者を訪問するなど、より良い在宅医療を求めて活動している」と報告された。

私も地域中核病院の在宅患者3名について訪問指導をしているが、医師からの患者情報だけでなく、病院薬剤師から、かなり詳しく服薬指導情報提供を受けているなと思いつつ聞いた。

東大病院薬剤部の杉浦先生は、基幹病院の役割として、院外処方せんの発行に伴い、応需薬局とのさまざまな問題の解決と情報交換の場として、地域薬剤師会を対象とした「調剤技術研究会」を平成4年から開催している。

また、患者を介した情報提供としてのお薬手帳の発案や、お薬説明カードの交付についてスライドを使って話された。最後に今後展開される退院後の患者ケアを始めとする在宅医療・介護への積極的な参加により地域医療への更なる貢献を図ることが必要と提言された。

東大病院でなさっているような勉強会に開局薬剤師が参加しているのは、福岡では、九大病院の先生方が、長い間指導してくださった処方検討会がある。しかし、開局薬剤師の勉強会(澤田ゼミ)に、病院勤務の先生方が参加されているのは少ないのではないかと思いつつ聞いた。

4月の講演要旨の締切り日に九大の澤田教授に目を通してもらった。持っていったタイトルは「在宅医療における連携と澤田ゼミナール」としていたが、先生に澤田ゼミナールは外すようにと訂正されたのが先のタイトルであったが、これは間違いだったようだ。

当日は、開始30分前から座長とシンポジストの打合せ会があった。座長をされた東大病院の伊賀教授に言われたのは「澤田先生と勉強会をしているのでしょう?それを話してくださいませんか」とのこと。

シンポジウムでは、福岡市医師会方式の在宅医療後方支援システムに組織化されたことで「在宅医療薬剤供給推進モデル事業」に参加することになり、モデル事業をしたことで九大にこられたばかりの澤田教授と出会い、ゼミナールの開講となったことを話した。

質問に立たれた新潟大の教授(伊賀教授はご存じの先生でしたが、違っているかもしれません)に「どうしてそんなことができるのですか」と問われ、答えに窮した。なんとか「その時々に出会った方が皆さん素晴らしい方ばかりで、その先生方に助けられてここまでやってこれたのです」と答えた。座長から「先生の熱意が相手を動かしたのですよ」と助け船を出していただき、早々にステージを降りた。

帰って1週間後、徳山薬剤師会の西村さんから電話があり「在宅医療後方支援システム視察のお願い(8月22日)」があった。これは市薬の合澤副会長が担当することになっている。

そして8月、ビールを飲みに来るだけの薬剤師(長男です。お嫁さんは、調剤をしにくるのですが…)が言うには、今年の薬剤師の国家試験は糖尿病の症例について、SU剤の使い方が問われたとのこと。

伊賀教授、澤田教授はともに同じことを言われるが、薬局薬剤師の医療への参加、そしてチーム医療の中で、真に活躍できる薬剤師になるための研鎖が求められてきているのを実感する。

 

福岡市薬剤師会
会長 藤原良春 様

平成10年7月28日

福岡市モデル介護認定審査会委員の推薦について(依頼) 福岡市長 桑原敬一
保健福祉局高齢者部
介護保険給付・システム開発担当

平成9年12月9日に介護保険法が成立し、平成12年4月に法が施行されることとなり、本市におきましても現在そのための実施体制の整備をすすめているところでございます。

そこでこの体制整備の一貫として、今年度、高齢者介護サービス体制整備支援事業(モデル事業)を全区において実施するように計画いたしております。実施にあたりましては、各区にモデル介護認定審査会(保健・医療・福祉の専門家5名により構成)の設置を考えております。

つきましては、貴会から福岡市モデル介護認定審査会の委員として会員2名を御推薦いただきますようお願いいたします。

 

福岡市より上記の様な依頼書が参りました。執行部としましては今後市薬に於て指導に当って頂ける方ということで人選をし、その結果下記の通り決定しました。

  市薬在宅担当理事 原田美代子
  市薬在宅委員   木原三千代

 

福岡地区勤務薬剤師会・総会

6月19日(金)梅雨の真っ只中セントラルホテルフクオカで午後6時より、福岡地区勤務薬剤師会の総会・特別講演会・第450回例会記念式典・祝賀会がおこなわれた。

第48回総会の後、藤原市薬会長による「在宅医療と介護保険の取り組みについて」の特別講演があった。市薬がどのように「在宅医療」や「介護保険」に取り組んだかが報告され、最後に病院の薬局と地域の保険薬局の連携を強調した。コンピューターソフト・パワーポイントで作成したスライドを使い美しい映像を交え視覚に訴えるものがあった。

参加者123名で会場は満員。若い女性の方も多く真剣ななかにも華やかだった。

(M)

<会員の広場> 「環境問題 その7」 早良支部 原南部会 温和堂薬局 福岡英樹

【自然農法】
【遺伝子組み換え食品】
【トリプトファン事件】
【予測できない危険性】
【消費者として出来ること】
【遺伝子組み換え食品二つのタイプ】
【除草剤耐性作物】
【害虫抵抗性作物】
【食糧自給率】
【あなたの心は豊かですか】
【逆ピラミッド型】
【中国の9%は日本の72%】
【穀物生産量の限界】
【地中海型食生活】
【米国に依存する日本】
【経済援助という名の略奪】
【グローバル】
【おわりに】

環境問題についてこれまで6回に渡り、貴重な紙面を使わせていただきました。環境問題は、便利快適を追求する今の物質文明のツケであることは否めません。大量生産・大量消費の問題点が指摘されながらも、現実には環境よりも経済が優先されている今の社会。

問題点を認めるのであれば、何故変われないのでしょうか。未来の子供達のためにと本当に思うのであれば、何故変われないのでしょうか。

被害が出るまで何故放っておくのでしょうか。被害が出ても、因果関係が立証出来ないと何故引き延ばすのでしょうか。

不況不況と言われながら、電力消費量はバブルの時よりも増加しているのは何故でしょうか。地球が何万年という時間をかけて作った石油石炭を、何故数百年で使いきってしまおうとしているのでしょうか。

私達は地球(自然)と共存しているはずなのに、地球に君臨していると錯覚しているのではないでしょうか。

毎回冒頭に書かせていただいていますが、ちょっとだけ視点を考え方をそして価値観を変えてみる。今本当に必要な時だと思います。

今回は、もっとも身近な問題「食べ物」について触れさせていただきます。

【自然農法】

有機農法とか自然農法ということがよく言われています。自然農法の究極は「何もしない」だと思います。種を蒔く事も人為的な作業です。自然に有るものだけを食べる。究極の自然農法はそうだと思います。

しかし人類も地球上の生命体の一つであり、人類が種を蒔く行為も蝶々が花粉を運ぶのと同じように自然界のサイクルの中にあると言えます。但し、それは自然界の調和を崩さないという条件に於てなのです。

でも現実には、人類は道具を作り技術を伸ばし科学を発展させてきました。そして化学肥料を化学殺虫剤を使用するようになり、自然界の調和を壊す行為を続けています。今では遺伝子を操作する技術まで獲得してしまいました。そして私達の食卓に「遺伝子組み換え食品」が並ぼうとしています。

【遺伝子組み換え食品】

トウモロコシ、ジャガイモ、大豆など遺伝子組み換え食品は既に入ってきています。しかし私達には、自分達が口にするものが遺伝子組み換え食品なのかどうかは分かりません。

原料に遺伝子組み換え作物を使用してあっても表示が無ければ私達消費者には分かりません。豆腐が体に良いと言っても、もしかしたらその豆腐の原料には遺伝子組み換えの大豆が使われているかもしれないのです。

遺伝子組み換えというのは非常に新しい技術です。その技術で作られた作物は見た目は同じであっても、これ迄自然界にはなかったものです。それが本当に安全なのでしょうか。

EUでは遺伝子組み換え作物であることを表示しなければなりません。オーストリア、ルクセンブルクは、遺伝子組み換え作物の輸入を禁止しました。しかし日本の厚生省は輸入を認めました。そして表示の義務も課していません。

これ迄何度も書きましたが、この遺伝子組み換え食品についても「危険が立証されないから安全」という判断なのです。

今情報公開と言うことが盛んに言われています。少なくとも私達消費者には遺伝子組み換え食品であるかどうか知る権利はあるはずです。でも厚生省は表示の必要はないと言っているのです。

「週刊金曜日」の96.11.22に、日本消費者連盟が各企業に遺伝子組み換え作物についてアンケートを取った記事が載っています。

遺伝子組み換え作物を自社製晶に使う可能性があると答えた企業に、表示について質問した結果は、殆どのところが「厚生省が安全だから表示の必要なしと言っているので表示しない」と答えています。

厚生省は国民の健康を安全を守る省庁ではないのでしょうか。何故少なくとも表示を義務づける指導が出来ないのでしょうか。

【トリプトファン事件】

では遺伝子組み換え食品の事故はこれまで発生していないのでしょうか。実は米国において「トリプトファン事件」と呼ばれる、遺伝子組み換え食品による死亡事故が発生しています。

白血球の一種が異常に増加する。全身の筋肉が痛む。発疹が出る。時に呼吸困難を起こし、重症の場合は死亡するという奇病が1989年に米国で突如発生したのです。

原因究明の調査の結果、その患者は全てあるメーカーの「トリプトファン」を主成分とする健康食品を食べていたのです。「トリプトファン」は必須アミノ酸のひとつで、ふだんは食べ物から摂取しています。

天然のトリプトファンにはこのような副作用はありません。では何故このような被害が発生したのでしょうか。

患者が食べていた健康食品のトリブトフアンを徹底分析した結果、二つの有害不純物が確認されたのです。病気発生のメカニズムの研究の結果、その二つの有害不純物とトリプトファンそれに患者の体質が複雑に絡み合って発病していたのです。

【予測出来ない危険性】

この有害不純物は予測出来なかったのでしょうか。勿論予測出来ていれば除去されていたはずです。この予測出来ない危険性というのが、遺伝子組み換え食品における一番の問題点なので す。

米国の「トリプトファン事件」においては、予測出来なかった有害不純物のために、推定で5,000〜6,000人の患者が発生したと言われています。そしてその中の38人の方の命を奪っています。

この健康食品のトリプトファンを製造したのは日本の企業です。

【消費者として出来ること】

予測出来ない危険性は、厚生省に於ては「安全」なのです。企業も厚生省が安全と言っているから、「遺伝子組み換え食品」を表示の無いまま市場に出し続けるのです。

そして私達消費者は、何も知らされないまま予測出来ない危険が現実化してしまった時に被害者にされてしまうのです。

私達消費者に今何が出来るのでしょうか。私達には安全に暮らす権利はあります。そして義務もあります。それは未来の子供達に安全な豊かな環境を残してあげる義務です。私達は今の便利快適を追求する生活の中でその義務を忘れてはいないでしょうか。

消費者として今出来ることはどのようなことでしょうか。抗議でしょうか。怒りの手紙、怒りの電話でしょうか。怒りをぶつけるだけで相手は本当に分かってくれるでしょうか。どのような方法が一番良いのかは私には分かりません。

でも反対運動ではなく、怒りをぶつけるのではなく、自分の素直な気持ちを伝えようとしている人達がいます。

例えば各企業に次のような内容の手紙やファックスを出されています。

私の子供は貴社の○○が大好きでずっと食べさせてきました。でも○○の原料に遺伝子組み換え作物が使われているという記事を目にしました。本当でしょうか。本当ならとても残念です。

私には遺伝子組み換え作物がどれだけ危険なのかはよくは分かりません。でもヨーロッパでは輸入禁止の国もあるそうです。やはり安全だとは思えません。

疑いが有る間は子供には可哀想ですが我慢させようと思います。どうか本当の事を教えてください。そしてもし遺伝子組み換え作物を使われているなら、使わないようにしてください。どうしても使わざる得ない時には表示をしてください。宜しくお願いします。

このような手紙が1通2通では何も変わらないでしょう。でも百通千通万通と送られて来たらどうでしょうか。結局私達が変わることが一番の早道なのです。ちょっとだけ視点を、考え方を、自分を変えてみてください。そして出来ることから行動を起こしてください。

【遺伝子組み換え食品二つのタイプ】

では遺伝子組み換え食品とはどのようなものなのでしょうか。まず二つのタイプに分けられます。

(1) 例えば大豆の細胞にある細菌の遺伝子を組み込ませて培養する。組み換え体そのものを食べるタイプ。

(2) 微生物に別の遺伝子を組み込み、その組み換え微生物を利用してアミノ酸やタンパク質を作らせる。組み換え体そのものは食べないタイプ。

「トリプトファン事件」のトリプトファンは(2)のタイプです。

(2)のタイプの技術を利用して医薬品も作られています。例えば大腸菌にヒトのホルモンを作る遺伝子を組み込み、その組み換え大腸菌にヒトのインスリンを作らせそれを抽出して薬品にし ています。

遺伝子組み換え技術を利用して作られた医薬品は日本においても3,500億円の市場になっているそうです。

【除草剤耐性作物】

(1)の組み換え体そのものを食べるタイプで今話題になっているものに次の二つがあります。

 「除草剤耐性作物」
 「害虫抵抗性作物」

「除草剤耐性作物」は名前の通り、ある除草剤をかけられても枯れない作物です。雑草を除去するのに、畑一面にまとめて除草剤を散布できれば非常に楽です。しかしそうすると作物まで枯れてしまいます。

例えば、土壌細菌の中には特定の除草剤に耐性を示す遺伝子を獲得したものが出てきます。その遺伝子を取り出し、作物の細胞に組み込めばその除草剤に耐性の作物が出来上がります。

「除草剤耐性作物」なら飛行機で一斉に除草剤を散布出来、除草剤も1種類で済みます。そうすれば経費も少なくて済み、市場には安価な作物が出てきます。そして「この作物には除草剤の使用を少なくしました」という宣伝文句で出てくるのではないでしょうか。

この方法は大農場ほど有利です。日本のように狭い農地では経費削減には繋がらず、市場に於て価格では国産作物には対抗出来なくなってしまいます。

そしてこの土壌細菌から作物に人為的に移された遺伝子は、今度は自然界の中でその作物から雑草がその遺伝子を獲得しないという保障はないのです。というより既にそういう雑草が出て来てしまっているのです。これは自然界に於ては発生しえない新たな生態系を人為的に作ってしまったことになるのです。

ここが遺伝子組み換えと品種改良の根本的に違うところなのです。「品種改良」は自然界に於て起こりうる反応を人為的に時間を早めた作業です。「遺伝子組み換え」は自然界に於ては起こりえない反応を人為的に行なっているのです。

【害虫抵抗性作物】

では「害虫抵抗性作物」はどのようなものでしょうか。害虫を除去するのには殺虫剤を使用します。殺虫剤は作物に残留して人体に害を及ぼす可能性があります。

害虫に強い作物を作れば、経費は安くて済みます。そして殺虫剤の人体に対する影響も心配しなくて済みます。安くて殺虫剤を使っていない作物。良いことだらけです。

Q:では何故害虫が寄ってこないのでしょうか?
A:害虫はそれを食べたくないから。
Q:何故食べたくないのでしょうか?
A:害虫はそれを食べて死にたくないから。
Q:殺虫剤はかけてないのに何故?
A:殺虫剤はかけてないけど、もっと強い殺虫剤をなかに組み込んであるから。

殺虫毒素を持つ細菌がいます。その殺虫毒素を作る遺伝子を組み込ませているのです。この殺虫毒素は人体には消化管で分解されるので害は無いそうです。

又、発ガン性についても殺虫毒素は蛋白質であるので心配無いということです。しかしこの遺伝子換作で「トリプトファン事件」の様に何か他の物質が出来てしまうことは無いのでしょうか。

今厚生省が許可している遺伝子組み換え食品に対して、そういう予測しえない物質や性質についてのチェックはなされていないのです。厚生省や企業が言う安全は、今チェックした範囲に於てだけのものなのです。

「トリプトファン事件」のように予測出来ない新たな危険が発生する可能性はあるのです。予測できないものに責任はないという、エイズ事件の様な過ちを繰り返してはならないのです。

【食糧自給率】

将来の世界的な人口増加、食糧不足に備えて、安定した食糧を確保するために遺伝子組み換え作物は必要だ、と言われる方もいます。しかし人口増加、食糧不足は今の社会構造経済構造そのものの問題であり、遺伝子組み換え作物に頼ることは、more&moreの社会構造の改革には繋がらず、むしろ加速させる方向に働くような気がしてなりません。

今の環境破壊そして人口増加が続けば、世界的な食粗不足が起こることは誰の目にも明らかです。そういう状況の中で、日本は今後も食糧を海外に依存し続けることが出来るのでしょうか。

日本の穀物自給率はなんと30%しかありません。穀物自給率30%という数字を世界と比較してみてください。先進国と言われる国の中で穀物自給率が100%を下回っているのは日本だけです。それもちょっとだけではありません。極端に少ないのです。

第二次世界大戦の終戦時、日本を含め参戦国の多くは自給率70%に落ち込んでいたそうです。今食糧危機と言われている北朝鮮の自給率も70%です。

70%というのは、それ程大変な数字なのです。それが日本の穀物自給率は30%で戦後の自給率の半分も有りません。殆どの国が自給率を回復させる中で、日本だけが自給率を下げ続けたのです。

しかし今の日本には食べ物は溢れています。飽食で贅沢に食べるだけ食べてダイエットに悩む人がどれだけいるでしょうか。

「輸入してまで食べ残す不思議な国…ニッポン」正にその通りなのです。

【あなたの心は豊かですか】

Q:自給率は低いのに何故食べ物が溢れているのでしょうか?
A:輸入しているからです。
Q:何故そんなに沢山輸入できるのでしょうか?
A:経済力があるからです。
Q:何故そんなに経済力がついたのでしょうか?
A:敗戦後一丸となって国民が頑張ったからです。
Q:どのように頑張ったのでしょうか?
A:第二次第三次産業に力を入れ、より良い商品をより安く世界に進出したのです。

 そして国内では、農地を潰し山を削り海を埋め立てて、道路を造り工場を建てビルを建てそしてレジャー施設を造り経済を伸ばしてきたのです。

Q:では生きて行くのに絶対必要な食糧供給の第一次産業はどうなったのでしょうか?
A:それは当然経済成長の犠牲となって縮小されたのです。

勿論私達はそのお陰で、便利快適という恩恵に預かっています。しかし便利快適な生活が決して豊かな生活ではないのです。「今の日本で暮らしていてあなたの心は豊かですか?」と聞かれて、「はい」と答えられる人がどれだけいるでしょうか。

【逆ピラミッド型】

日本の経済成長は第一次産業の犠牲の上に成り立っているのです。産業は第一次産業から第二次第三次産業へと発展していく。そして日本は米国が発展してきたその推移を追い掛けていると学生の時に習いました。

今米国は情報産業の第四次産業の時代といわれます。そして日本も確かに情報産業の時代へ入ろうとしています。しかし日本と米国、根本的な違いがあります。

日本は第一次産業を犠牲にしました。米国では第一次産業は主要産業です。米国は決して第一次産業を犠牲にしていません。

米国が世界の穀物輸出に占める割合は、サウジアラビアが石油の輸出に占める割合よりも大きいのです。第一次、第二次、第三次産業の本来の割合は50%、20%、30%又は50%、25%、25%と言われます。

今日本の状況は7%、34%、59%です。安定した形は底辺がどっしりしたピラミッド型です。今の日本は完全な逆ピラミッド型です。その不安定な状態で日本の経済は発展して来たのです。

【中国の9%は日本の72%】

第一次産業が7%、穀物自給率30%という状況で、さらに言うならエネルギー自給率6%という状況で、日本は輸入に頼ることで生きています。そんな状況でまだ減反を続けています。今の日本に第一次産業を回復させようという動きがあるとは思えません。そこにあるのは、まだまだ経済を伸ばそうというmore&moreの果てしなき欲望の世界なのです。

今の日本の産業構造は、食糧を輸出してくれるところが無くては成り立ちません。中国の穀物自給率は99%です。中国は今工業化が急速に進んでいます。日本が歩んできた道を歩もうとしています。

農地を山を潰し、道路が工業用地が造られていきます。人の都市集中化が進み、食事の内容も変わり食物連鎖の階段を上がっていきます。豚肉、牛肉、卵、ビール等の消費量は既に増加しており、これ等は全て穀物集約的食品なのです。間違いなく、穀物自給率は低下してきます。

仮に90%迄下がったとします。今より9%低下です。日本の30%に比べると大したことないよう に思えます。しかし中国の人口は10億人です。日本の人口の約8倍です。

中国の9%は数字だけで単純に考えるならば、9%×8で日本の72%の量に相当します。中国の工業化は急速に進んでいます。自給率が90%まで低下するのにそんなに長い時間が掛かるでしょうか。

中国が今より9%自給率を低下させ、今の日本の輸入量と同じ量の輸入が必要になった時、その量を世界の穀物市場は賄うことが出来るのでしょうか。

【穀物生産量の限界】

人類の農耕文明は一万年前に始まっています。それから人口増加と共に穀作耕地面積を伸ばし続けることによって収穫量を増やしてきました。

そして1981年に頂点に達したのです。その後の耕地面積の拡大は生産量の拡大に実質的には貢献していないのです。近年に於て1950年〜90年の間に穀物生産量は182%伸びています。

ヘクタール当たりの穀物生産量は50年に1.06トンだったのが、90年には2.54トンに伸びています。140%の伸びです。その間化学肥料の使用量は10倍に増加しています。しかしその後、世界の化学肥料の使用量は減少しています。

投入する化学肥料の量が、作物が養分を吸収し利用する能力を超えてしまったのです。90年〜96年の間には、穀物生産量もヘクタール当たりの生産量も3%しか伸びてないのです。90年〜96年の3%の伸びは、年間上昇率0.5%になります。この間の人口の年間上昇率は1.6%です。穀物生産量の伸びは、人口増加の伸びに追い付かなくなっているのです。

このような状況の中で、日本は食糧を恒久的に輸入し続けることが出来るのでしょうか。中国のGNPが世界のトップになるのは遠い未来ではないと言われます。そうなった時に世界の穀物市場は日本を差し置いて中国に流れるということはないのでしょうか。

その前に、穀物輸出国の生産量が低下して輸出出来なくなるということはないのでしょうか。それでも日本は減反を続け、第一次産業の回復に力を注ごうとしないのでしょうか。

ついでに言うなら、世界の漁獲量は1988年にピークに達しています。1950年〜88年の間は漁獲技術の発展により漁獲量を増やして来たのですが、それも限界に達しています。一人当たりの漁獲量は88年以降現在まで9%減少しています。穀物生産高も漁獲高も1990年頃に頂点に達しているのです。

それに対し人口増加は続いており、一人当たりの量はどちらも既に下降が始まっているのです。

【地中海型食生活】

世界の穀物生産量は1996年で18億2,000万トンです。平均的な米国人の年間穀物消費量は一人当たり800kgです。

インド人は一人当たり200kgです。米国人の場合、穀物の多くは牛肉、豚肉、卵、ミルク、ヨーグルト、アイスクリーム等の形で間接的に消費しています。

インド人の場合は殆どが直接的な形で消費しています。世界で最も健康な人々は、ちょうどその中間の400kgの穀物を消費する人々だそうです。イタリア人など地中海型の食生活だそうです。

仮に穀物生産量を20億トンまで伸ばせたとします。インド人なら100億人を扶養出来る量になります。イタリア人なら50億人、米国人なら25億人になります。今世界の人口は58億人を越しています。すでに一番健康と言われる地中海型の食生活を世界中の人が行なうのは無理なところまで来ています。

世界の人口は2010年で68億人。2050年で100億人と言われています。2050年に20億トンの穀物が確保出来るとしても、皆がインド人型の食生活にならないと、確実に飢餓に苦しむ人口が増えてしまうのです。

健康に良い食生活と言いますが、世界の食糧を考えればそんなことを言っておれる時ではないのです。今考えないといけないのは「人類が生き残れる為の食生活」なのです。結果的にそれが健康的な食生活になるのではないでしょうか。

【米国に依存する日本】

遺伝子組み換え食品のところで、何故表示が出来ないのでしょうかという疑問を上げました。日本は食糧の殆どを輸入に頼っていますが、「日本の農作物輸入量に占めるアメリカの割合」という表を見てください。

1995年の資料ですが、トウモロコシはほぼ100%。大豆は84.4%。飼料用穀物(グレーンソルガム)は89.1%です。米国に依存するところが非常に大きいのです。

遺伝子組み換え作物を一番作っているのは米国です。その米国から遺伝子組み換え作物の輸入を迫られた時、日本は国としてそれを拒否出来るでしょうか。

遺伝子組み換え作物の表示をしないように依頼された時拒否出来るでしょうか。戦後米国に追い付け追い越せと頑張って経済を伸ばし、経済大国とまで呼ばれるようになった日本。米国の産業の成長の推移と同じように推移してきた日本。

確かにGNPも米国を追い越しました。でも気が付いてみると、いつの間にか日本は米国に依存して成り立つ社会になってしまっていたのです。安保だけではないのです。生きるのに一番大事な食糧。その食糧を米国にとんでもなく依存しているのです。

その米国の国債を日本はどれだけ負担しているのでしょうか。米国は今好景気と言われますが、米国は海外に対して借金大国です。日本は今不景気と言われますが、海外に対する援助額は世界一です。日本はこれからどう進もうとしているのでしょうか。

第一次産業を置き去りにして、経済成長を続けようとする限り、米国に対する依存は益々増大していくのではないでしょうか。「NO」と言えない日本人。このような状況の中で、今後日本は米国に「NO」と言えるのでしょうか。日本は海外援助は金額では世界一です。しかし海外援助の内容に問題はないのでしょうか。

【経済援助という名の略奪】

援助のお金はその国の人々に本当に役立っているのでしょうか。例えばマルコス政権を見ても、そのお金は権力者と企業にだけ集中していたのではないでしょうか。そして援助という名目で行なわれた事業は殆どが環境破壊に繋がるものではなかったのでしょうか。

今(1995年資料)日本の食料輸入のトップは「えび」です。(金額ベース)確かに日本人は「えび」は好物です。しかし「えび」は食材として絶対に無いと困りますか。

その輸入の「えび」は東南アジアのマングローブ湿地帯で養殖されています。マングローブ湿地帯は生態系の豊かな環境で、開発されなければそこでは半永久的な生活環境が提供されるのです。

それは現代社会から見れば、便利快適な暮らしではないかもしれません。でも豊かな自然の生活環境がそこにはあるのです。そこに「えび」の養殖場が作られてしまったのです。

そしてその養殖場になったマングローブ湿地帯は5〜10年の寿命しかないのです。破壊された自然環境を再生させるには膨大な費用がかかり、結局はその場所を捨てざるをえなくなっているのです。

一時的な利益はもたらすかもしれませんが、半永久的な生活環境を奪い取ってしまうのは余りにも犠牲が大き過ぎます。そしてその養殖には、日本の商社が大きく関わっています。

何気なく食べている「えび」にはそれだけ大きな犠牲が伴っているのです。私達が「えび」を食べることで、マングローブ湿地帯の人達の生活環境を奪い取っているのです。

勿論、私達は悪意を持って「えび」を食べているわけではありません。「えび」の養殖も最初は経済援助だったのだと思います。でもそれが経済援助という名の略奪になってしまっては何にもならないのです。

【グローバル】

今世界中で都市化が急速なペースで進んでいます。今世紀中に世界の半分以上の人々が都市に住むと言われています。肥沃な土地というのは都市の近くに多く有ります。人口が都市に集中すればその肥沃な耕地は犠牲になっていきます。

第二次産業、第三次産業の発展は第一次産業という基盤が有って継続可能なのです。日本だけでなく世界中が産業の逆ピラミッド化に突き進んでいるように思えてなりません。

もしそうなれば、人類の滅亡まではならなくても多くの人類は生き残れないでしょう。それが自然の摂理と言ってしまえばそうかもしれません。そして生き残った人類は、その時初めて気 が付くのかもしれません。もしかしたら長い年月をかけて又同じ過ちを犯すのかもしれません。

グローバルな社会とかグローバルな経済という言葉をよく耳にします。でもそれは先進国といわれる国からの勝手な解釈に思えてなりません。今現在でも一番健康的な地中海型の食生活を世界中の人がするには、穀物生産量は足らないのです。

2050年の人口100億人の時には、全ての人がインド人型の食生活をして足るか足らないかです。 世界の人口が増え、穀物が不足し出した時に穀物生産国は自国の贅沢を抑えてでも、世界に穀物を供給してくれるのでしょうか。

石油も同じことです。今のペースで石油を使えば残りの埋蔵量は40年と言われます。産油国が石油の輸出を止めてしまうということはないのでしょうか。今聞こえてくるグローバルは、先進国と呼ばれる国々の便利快適な生活が前提になっているように思えてならないのです。

グローバルな社会というのは、地球と自然共存した形でなければ有りえません。その為には先ず小さい地域、小さい社会で自然と地球と共存するところから始まらなければならないのです。それがグローバルの始まりではないでしょうか。

【おわりに】

昨年の9月号に「環境問題の話を聞いて」ということで投稿させていただき、それから一年間「環境問題シリーズ」として書かせていただきましたが、今回でこのシリーズは終わらせていただきます。

会員の為の広報誌であるジャーナルの紙面を、広報の先生方のご好意に甘え自由に使わていただきましたこと、有難く感謝申し上げます。

私が環境問題に興味を持ったのは、環境問題の情報ネットワーク『地球村』の主催者で、全国的に講演活動を続けている高木義之氏の講演を聞いたのが切っ掛けでした。私が聞いた時で、約2,000回の講演をすでに行なっているということでした。

このシリーズの内容は、多分に高木義之氏の講演内容を参考にさせていただいております。又、参考に致しました資料は一覧にまとめてます。

最後に、参考資料の最初に上げてます『地球の秘密/坪田愛華』を紹介いたします。

作者の坪田愛華ちゃんは『地球の秘密』を書いた時小学6年生でした。学校で環境問題の課題を与えられた愛華ちゃんは、得意の漫画で表現し2ケ月がかりで描き上げました。

ストーリーは、生き物みんなが支え合ってこそ地球の環境は守られる、という視点で貫かれています。とても小学6年生の作品とは思えない素晴らしいものです。

『地球の秘密』を描き上げた数時間後、愛華ちゃんは突然脳内出血で倒れ、翌日12年という短い生涯を閉じました。遺作となった『地球の秘密』をご両親は50部印刷し、同級生や先生に配りました。読む人達に大きな感動を与え、その後英語、中国語、アラビア語等に訳され、1993年には国連環境計画(UNEP)から「UNEPグローバル500賞」を受賞しました。 (『地球の秘密』まえがきより抜粋)

『地球の秘密』は国連で永久保存の本に指定されています。愛華ちゃんの地球の危機を訴える熱いメッセージを是非読まれてください。愛華ちゃんの最後のメッセージ「この本を作って」を紹介して終わらせていただきます。

『地球の秘密』を購入ご希望の方は下記のところにご連絡下さい。

 《地球の秘密AIKAクラブ事務局》TEL:03−5442−3161 FAX:03−5442−3431
 《ネットワーク『地球村』》    TE L:06−281−0309  FAX:06−281−0321


【参考資料】

『地球の秘密』    (地球環境平和財団「地球の秘密」AIKA委員会)坪田愛華
『奪われし未来』   (翔泳社)シーア・コルボーン ダイアン・ダマノスキ
                ジョン・ピーターソン・マイヤーズ
『メス化する自然』  (集英社)デポラ・キヤドバリー
『沈黙の春』     (新潮社)レイチェル・カーソン
『新・地球環境論』  (創元社)和田 武
『地球自書1997−98』 (ダイヤモンド社)レスター・R・ブラウン編著
『地球白書1998−99』 (ダイヤモンド社)レスター・R・ブラウン編著
『地球温暖化 日本はどうなる』   (読売新聞社)環境庁地球環境部編
『ェコサイクル社会』        (有斐閣)丸尾直美・西ケ谷信雄・落合由起子
『ダイオキシン汚染列島日本への警告』(かんき出版)長山淳哉監修
『危険な暮らし』          (晩聾社)天笠啓祐
『電磁波の恐怖』          (晩馨社)天笠啓祐
『電磁波の正体と恐怖』       (河出書房)小山 寿
『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』(草思社)森永晴彦
『遺伝子組み換え食品の恐怖』    (河出書房)渡辺雄二
『地球新生』            (PHP研究所)グローバルマインド編集部編
『ミュータント・メッセージ』    (角川書店)マルロ・モーガン
『別冊宝島 地球環境・読本』    (宝島社)
『生き方発見シリーズ 高木義之』  (サンマーク出版)
『地球村宣言』           (ビジネス社)高木義之著
『地球は今第1巻 壊れゆくオゾン層』(栄光教育文化研究所)高木義之監修
『地球は今第2巻 迫りくる温暖化』 (東光教育文化研究所)高木義之監修
『地球は今第3巻 消えゆく森林』  (栄光教育文化研究所)高木義之監修
『地球は今第4巻 滅びゆく生物』  (栄光教育文化研究所)高木義之監修
『地球は今第5巻 爆発する人口』  (栄光教育文化研究所)高木義之監修
『地球環境ブックレット総集編』   (ネットワーク「地球村」)
『地球村通信 各号』        (ネットワーク「地球村」)
『いま、さかなは安全か ブックレット1』(日本子孫基金)小島正美
『遺伝子が危うい ブックレット2』 (日本子孫基金)浅見崇比呂
『食品と暮らしの安全1996.9臨時増刊』(日本子孫基金)
『食品と暮らしの安全1996.9No.101』 (日本子孫基金)
『親子で楽しく確かめよう簡単実験』 (ゆうエージェンシー)
『地球にやさしい買物ガイド』    (講談社)グリーンコンシューマネットワーク著
『週刊AERA1997.1.20』     (朝日新聞社)
『JAF・MATE1997.10』     (JAF)
『新聞各紙』

<特集・「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用防止活動> 薬物乱用防止啓発展に出動 薬局委員会・市学校薬剤師会

〜とび出せ 薬剤師〜 場  所:天神・大丸エルガーラバサージュ広場
出動内容:何でもお薬相談コーナー、薬用茶etc.試飲

 

「ダメ。ゼッタイ。」キャンペーンに参加して

7/11(土)午後3時より、大丸エルガーラバサージュ広場は人通りが多く、買物客で賑わっていました。

ビデオで薬物の恐ろしさを撮し出し乍ら、薬草の見分け方のパネル、本物そっくりに作られた覚せい剤・麻薬のモデルが展示されていました。中学生による音楽演奏、麻薬探知犬のデモンストレーションが、人々の関心を集めていました。その中で、「ダメ。ゼッタイ。」のパンフを配るのです。

始めはドキドキし乍ら段々と、中高生、大学生、若者に的を絞って「是非読んで下さい」と訴えました。丁度、選挙期間中でしたので、間違えられたり、「そんなの私には関係ない」「ダメ。ゼッタイ。」 と露骨に避けられたり、反応は様々でしたが、党せい剤が今や小学生にまで及んでいるという現実の中、もどかしさを痛感しました。

安定剤・睡眠薬の相談もあり、美人茶を飲んで頂き乍ら、服薬指導をしました。やせるっ茶・美人茶が人気で、薬用酒にいたっては試飲は少なく、むしろ作り方、効能に話題が移っていたようでした。

両日で1,700名程の方々にパンフが配られ、好評だったと思います。汗だくの中での訴えが、どこかで役に立っことを祈りながら、広場をあとにしました。

(薬局担当理事・毛利久美子)

 

覚せい剤撲滅キャンペーン

7月10・11日、天神大丸エルガーラに於て、覚せい剤撲滅キャンペーンが実施され、薬剤師会もその一環として、薬用酒・薬用茶の試飲と、薬事相談を行いました。

薬用酒については、見るからに苦そうなのもあり、年配の方数人が試飲されただけでした。「良薬口に苦し」はもう時代遅れなのでしょうか?

一方薬用茶は、やせられるお茶、美肌になるお茶、高血圧に良いお茶等若い女性からお年寄まで飲みやすいと大変好評で多くの方に試飲して頂きました。

今回のキャンペーンの目的は覚せい剤の撲滅です。しかし、覚せい剤の使用はますます低年齢化し広がりつつあります。覚せい剤の恐ろしさを小さい頃から徹底して教育することが望まれるところです。覚せい剤を撲滅するにはどうしたら良いか大変難しい問題ではありますが、薬剤師の立場で少しでも貢献できるように取り組んでいきたいと思います。

(薬局委員・津崎 宏)

 

エルガーラでの「ダメ。ゼッタイ。」キャンペーン

ムッとするような暑い日。市薬で作った薬用茶の入った大きなヤカンを持って会場に向った。

会場に着くと、前日よりのパネル展示、ビデオの上映があり、薬剤師会のコーナーには机が2つ用意されていた。さっそく白衣に着がえ、お茶に氷を入れ、薬用酒2種類を用意した。

第2土曜日、お中元の時期という事で、若いカップル、学生、家族づれと人出は多く、パンフレット配布も昨年のキヤナルシティに比べるとかなり多かった。

中学生によるブラスバンド演奏の頃には、特に多くの人が集まり、試飲コーナーにもたくさんの人が来られた。薬用酒の効能効果を聞く人、作り方を聞く人、暑さのせいかお茶の試飲においしい、生き返ったみたいと喜ばれる人など‥‥‥。

薬用酒は興味深そうに飲まれる方も、糖分が無くかなり度数が強いためか盃一杯を飲むのがせいぜいで、当初心配されたアルコールによる被害の恐れはまったくなかった。

麻薬探知犬デモンストレーションでは犬の喚覚のすごさ、また犬を育て教える人たちの厳しさと愛に、子育てにも似たものを感じ、人間も犬も同じだなあと感じた一日であった。

(薬局委員・真鍋登代子)

 

薬物乱用防止啓発展を取材して

7月10日・11日の2日間、博多大丸エルガーラのパサージュ広場で薬物乱用防止啓発展が開かれた。

福岡市保健福祉局保健医療部地域医療課が主催するもので、麻薬・覚せい剤・シンナー等のパネル展示、「シンナーの恐怖(あなたの脳が溶ける)」などのビデオ上映があった。

薬剤師会から「何でもお薬相談コーナー」と薬用茶等の試飲コーナーを設置して啓発展を盛り上げた。

イベントとして門司税関の麻薬探知犬デモンストレーションが行なわれ、10日には第一保育短期大学によりチアリーディング演技があり、11日には福岡市立警固中学校によるプラスバンド演奏が行なわれた。

地域医療課の槍垣順子医薬務係長の話によれば、今後は教育委員会等とも話し合って、学校や公民館など地域に密着した啓発を行なっていきたいとのことだった。

パサージュ広場で「ダメ。ゼッタイ。」のよく目立つ黄色のパンフレットを配りながら一人でも薬物乱用に関心を持っていただくよう祈った。

立ち止まって模擬麻薬展示に見入る方も何人かいて、やはりこのような啓発はこつこつと続けていかなければならないと思った。そして薬物乱用による悲劇をなくしていかなければならない。

(広報委員・上村義徳)

 

「ダメ。ゼッタイ。」

福岡市が主催の薬物乱用防止啓発展を約4時間程取材した。7月の正午前後となるとかなり暑い。最初はパンフレット配りにも力が入るが、尻すぼみとなり消沈する。この時期では2時間交代が限度といった感じだ。

薬剤師会では薬局委員と学校薬剤師会の役員の方が2日間を4交代で参加して頂いた。市は市薬に要請してこられたわけだからこの場合薬局委員が中心となり学薬役員ではなく会員、特に新入会の若手薬剤師に協力を呼びかけ勉強の場を与えるという方法をとってもらいたかった。

学薬にはもっと違った形で、シンナー防止を中心とした主催者となってもらわなければならない。今回の活動は体制的に何か的を外していたと思う。会長、一部の先生方で無理をせず、会全体で活動しませんか。

このままでは、ダメ。ゼッタイ。

(広報委員・津田和敏)

 

<特集・「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用防止活動>

麻薬、覚せい剤などの社会への浸透は、これまでにも何回となく言われてきましたが、生活の向上、利便性とともに、その禍は、より私達の身近に迫り、今や青少年、主婦等のごく普通の人たちが簡単に、安易にその渦中に引き入れられてしまう危険性が出現しています。

なんとなくは把握している麻薬、覚せい剤等のことをより深く知ってもらう為に、「ダメ。ゼッタイ。」キャンペーンのホームページの資料を中心にして様々な人たちの意見、考えを紹介しながら、シリーズで、「ダメ。ゼッタイ。」の意義をみなさまと共に考えていきたいと思います。ご意見、皆様のお考えを市薬ジャーナルまでお寄せ下さい。

(T.S.)

医薬品を始めとする薬物についての正しい知識を持つことがその乱用防止の第一歩となります。そして何より必要なのは「ことわる勇気」なのです。どんな誘惑にあっても「ことわる勇気」のある人間であれば絶対に恐くない。薬物とはそういうものです。

“YES TO LIFE,NO TO DRUGS”この言葉は「愛する自分を大切に。薬物乱用は『ダメ。ゼッタイ。』」ということなのです。

 

麻薬・覚せい剤Q&A

Q1 麻薬や覚せい剤は、魔の薬といわれていますがなぜですか。

A 麻薬や覚せい剤は乱用すると、個人だけでなく社会全体にも計り知れない害悪をもたらす非常に危険な薬です。

麻薬は、長期に使用するとやがて麻薬なしではいられない状態即ち麻薬中毒となります。そして、麻薬を入手するために、窃盗、詐欺、売春などを平気で犯すようになります。また、覚せい剤を使うと眠気や疲労がとれたように感じますが、これは一時的に疲労感が消失するだけで、肉体的に疲労が回復するわけではありません。

そのため覚せい剤が切れると前にも増して激しい疲労におそわれ、これから逃れるため、また使用するようになります。このくり返しにより使用量も増え、いらだったり、不安、被害妄想などの中毒症状があらわれます。

そして妄想や幻覚によって殺人、放火等の重大犯罪を起こすこともあります。また、覚せい剤の影響により精神病のような状態が長く残ることがあります。

Q2 覚せい剤はなぜ乱用されているのですか。

A 覚せい剤乱用者の多くは、ほんのちょっとした好奇心から安易に使い始めています。この背景として、(1)覚せい剤の弊害の恐ろしさが十分に理解されていないこと、(2)覚せい剤は精神依存が極めて強いため、ひとたび乱用を始めると自分ではなかなかやめられなくなってしまうこと、(3)覚せい剤の取引による利益を資金源としている暴力団が覚せい剤を言葉たくみに勧め大量に供給していること、などがあります。

わずか一時の好奇心のために一生を台なしにしてはなりません。乱用を始めてからでは遅いのです。誘われてもはっきり断る勇気をもつこと、それが乱用者とならないための最善の方法です。

Q3 覚せい剤を使用すると行動面や身体面にどのような変化がありますか。

A 覚せい剤を大量に使用した場合には、不眠、多弁、頭痛、発汗、血圧上昇、頻脈、散瞳、口渇、食欲減退等の作用のほか、急性中毒症状として精神病に類似した症状を起こすことがあります。すなわち、まず頭がはっきりし過ぎ、何にでも関心をもち、周囲のことに気が散り、じっとしていられなくなり、不安気分が形成されます。次いで、この不安を起こすものが外界に実存すると思うようになり、幻覚、妄想(病的な状態から生じた誤った判断)が生じてきます。

覚せい剤を反復使用することによって、耐性が上昇し、薬物依存が形成され、慢性中毒の精神症状が現れてきます。慢性中毒者の多くは中毒性精神障害を来たし、人によっては、覚せい剤の使用を止めても後遺症として精神障害が持続することがあります。

覚せい剤の中毒により「自分を殺そうとだれかが狙っている」、「誰かが電波を飛ばし自分にいたずらしている」、「追いかけられている」、「見張られている」、「悪口を言われている」というような妄想や幻覚を生じ、

1.日分が殺されると妄想し居合わせた知人を殺傷した例
2.妻が浮気をしたと邪推し妻を包丁で切りつけた例
3.家に電波が当たるという妄想から家に放火した例
4.家族が自分を罪におとしいれようとしているとの被害妄想から、家族に刀剣で切りつけた例
等が報告されています。

 覚せい剤の常習者は、一般に次のような特徴があります。

1.腕や腿などに注射の痕がある。
2.注射器や小さなビニール袋等に入った白い結晶状の粉末などをもっている。
3.金使いが荒くなったり、不良仲間と交際する。
4.怒りっぽくなり、突発的に暴力をふるう。また、「誰かが見張っている」等の一貫性のない行動が見られる。
5.シャプ、ヤク、ネタ、アンボン、ボン等の隠語を使う。
6.顔色が悪くなり、やせてくる。
7.夜ふかしをするようになる。

Q4 覚せい剤犯罪はどのくらいあるのですか。

A 覚せい剤犯罪は昭和45年から急激に増加し始めましたが、昭和55年以降2万人を越えていた検挙者も平成元年からは、1万5〜6千人台で推移しており、平成7年には1万7千人台となっています。このように覚せい剤犯罪は高水準にあり、深刻な社会問題となっています。

Q5 大麻の乱用よる危害はどのようなものですか。

A 大麻はテトラヒドロカンナピノール(THC)などの幻覚作用を持つ成分を含んでいるため、心身に悪影響を及ぼします。

大麻を乱用すると、感覚が異常になり、幻覚・妄想やわけのわからない興奮状態に陥ったりします。乱用していると、無動機症候群といって、毎日ゴロゴロしていて何もやる気のない状態になったり、知的権能障害や大麻精神病に陥ったりします。

また、乱用によって生殖器官に異常を起こすなど様々な身体障害を生じます。

Q6 麻薬・大麻・覚せい剤には、どんなものがありますか。

A 麻薬には、
1.ケシからつくられるもの・・・あへん、モルヒネ、ヘロインなど
2.コカ菜からつくられるもの・・・コカイン、クラックなど
3.化学的に合成されるもの・・・LSD、MDMAなどがあります。

大麻には、大麻草からつくられる大麻タバコ、大麻樹脂などがあります。覚せい剤は、メタンフェタミンとアンフェタミンとがあります。

不正に使用されている覚せい剤は、そのほとんどがメタンフェタミンで、形状は、白色半透明の結晶状ですが、なかには、小さなプラスチック容器に入った水溶液や、黄色の錠剤もあります。これらはそのほとんどが密輸品で、乱用者の間ではシャプ、ボン等の隠語で呼ばれています。

Q7 コカインとはどのようなものですか。

A コカインは白色の粉末で、粉末を鼻から吸引したり、煙にして吸引したり、注射したりして乱用されます。

コカインの作用は覚せい剤と非常に似ており、使用すると疲労がとれたように感じますが、効果が切れると落ち込んだ状態になるため、くり返し使用するようになります。この状態が続きますと、妄想や幻覚などがあらわれます。

また、一度にコカインを多く使用しすぎると、心臓発作、脳内出血、けいれん発作、呼吸困難などを起こし、死にいたることもあります。妊娠中にコカインを使用した女性では、胎盤の早期剥離を引き起こし、出血により母子の生命が脅かされることがあります。また、これらの女性から生まれた新生児では、高率に心臓や腎臓などの奇形が見られることも報告されています。

Q8 向精神薬とはどのようなものですか。また、乱用による危害はどういうものですか。

A 「向精神薬」とは、睡眠薬、精神安定剤等、精神機能に作用する薬物で乱用される恐れがあるが、麻薬、覚せい剤と比較した場合には有害性の程度が低いものです。向精神薬は医療上有用な物ですが、医師等の監督のもとを離れて長期乱用すると、やがて自ら使用を止めることが困難な状態となります。このような状態になると、怒りやすくなる、判断力が鈍くなる、感情が不安定になる、歩行失調になる等、心身への障害が生ずるようになります。物によっては、使用中断により、けいれん発作、幻覚、妄想、不安等の禁断症状を呈します。

Q9 麻薬や覚せい剤に対してはどのような法規制が行われていますか。

A 麻薬・覚せい剤等の規制に関しては麻薬及び向精神薬取締法、大麻取締法、あへん法、覚せい剤取締法があり、麻薬や大麻、覚せい剤等を輸入したり、製造したり、あるいは有償・無償を問わず他人に渡したり、他人から受け取ったり、所持したり、使用したりすると厳しく罰せられます。(例えば、単に覚せい剤を所持していた場合−10年以下の懲罰)

Q10 もし自分の周りの人が覚せい剤を使用している疑いがあるときはどうしたらいいでしょう。

A 自分達だけで悩まないで最寄りの麻薬取締官事務所または各都道府県の薬務主管課にご連絡ください。麻薬取締官事務所では、このような問題を抱えて悩んでいる人のために麻薬・覚せい剤相談電話を設置してベテランの担当官が相談にあたっています。

麻薬や覚せい剤の乱用者を立ち直らせるためには家族や周囲の人たちの妥協を許さない毅然とした態度が必要です。

 

日本における薬物乱用の歴史

・昭和20年以前 [戦前・戦中期]

  麻薬(あへん、コカインなど)があったが、乱用者はごく少数。

・昭和20年代 [社会的混乱・退廃的風潮・戦災復興]

  覚せい剤の乱用者が急増。ピーク時の検挙者は5万人以上にのぼる。
  強力な法規制と取締りが行われる。(昭和26年、覚せい剤取締法施行)

・昭和30年代 [工業開発期・生活水準の向上]

  覚せい剤に代わって、麻薬(ヘロイン)が流行。
  国際的な密輸ルートで大量に流入。
  少年の“睡眠薬遊び”、“鎮痛剤遊び”も問題化
   (昭和38年、罰則強化、麻薬中毒者に対する措置入院制度導入)

・昭和40年代 [高度経済成長から安定経済成長へ(石油ショック、ドルショック等)都市化、核家族化、高学歴社会、情報化社会、価値観の多様化、国際化の進展]

  少年の間でシンナーの乱用が流行、社会問題化する。
   (昭和42年に2,500人くらいだった補導人員が翌43年には2万人強まで増加)
  一方、成人の間では、覚せい剤の乱用が急激に増え始める。
   (検挙者の大半が暴力団関係者)

・昭和50年代〜現在

  覚せい剤の乱用者が依然増え続ける。
  昭和50年以降は検挙者が2万人前後で推移。
  58年以降は覚せい剤押収量も増大。
  乱用が一般市民の間に広がり始める。
  女性の乱用者の増加、少年のシンナー乱用、大麻の拡大傾向、コカイン汚染など、
  ますます深刻な状況が続く。

 

薬物5法について

麻薬、大麻、あへん、向精神薬及び覚せい剤は、医療分野はもちろんのこと学術研究分野においても大変重要なものですが、これが乱用されるととても大きな社会問題となります。

日本では、戦後3回にわたり薬物乱用が大流行しました。

第1回目は、昭和20年代から30年代初頭にかけて流行した覚せい剤の乱用です。これは、敗戦による疲弊と社会情勢の混乱を背景に急速に広まったもので、昭和29年当時は55万人もの覚せい剤乱用者が存在したと推定されています。

第2回目は、昭和30年代に流行したヘロインの乱用です。これは、戦後徐々に増加していたヘロイン乱用が昭和36年、37年頃に激増し、大都市を中心に全国に広まったものです。

第3回目は、昭和45年から再び台頭しはじめ、現在に至っている覚せい剤の乱用で、第2次乱用期といわれています。昭和59年をピークに覚せい剤の乱用は少し減少しましたが、ここ数年は、毎年の検挙者数が1万5,000人〜1万6,000人台で推移し、なお、高水準にあります。

また、大麻、あへん、向精神薬等の乱用もみられています。

このような薬物乱用問題に対し、わが国は、「麻薬及び向精神薬取締法」、「大麻取締法」、「あへん法」、「覚せい剤取締法」により、厳正に対処してきました。これらの4つの法律がいわゆる薬物4法です。これらの4つの国内法は後述する国際的な3つの条約の内容を満たすものです。

さらに昨今、薬物の不正取引は、国際化・組織化の度を強め、不法収益の獲得を目的として行われる色合いが強くなっています。わが国においても、国際的な薬物乱用拡大の動きを反映したコカイン事犯、ヘロイン事犯及び大麻事犯が急増しています。

こうした動きに対応するため、後述の麻薬新条約の内容を満たすための国内法、すなわち、「麻薬及び向精神薬取締法等の一部を改正する法律」(平成3年法律第93号)及び「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律」(平成3年法律第94号)が平成3年10月5日に公布され、平成4年7月1日から施行されています。

前述の薬物4法に「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等に関する法律」を加えたものが、いわゆる薬物5法です。

■薬物乱用予備軍を育む現代社会・青少年を取り巻く生活環境変化

現在、我が国では覚せい剤や有機溶剤の乱用が、厳しい取締や処罰の強化に対しても抵抗性を示し、過去に経験した薬物乱用と比較して、著しく長期化する傾向がうかがわれる。

その理由としては、これらの薬物の入手可能性が高いことも一因であるが、やはり都市化現象など、現代社会の持つ病理性が大きな背景になっていると思われる。

我が国においては、1960年代の高度経済成長の影響による、生活水準の向上、都市化現象など、社会の構造的変化が指摘されている。

特に、次代を担う青少年の生育・生活環境においては、大きな変化がもたらされている。

これらの変化が青少年を薬物の乱用や非行へと結び付ける温床となっていると思われる。

青少年を取り巻く生活環境の変化

1.生活水準の向上に伴い、価値観が多様化し、社会的規範の低下やサブカルチャーを容認する傾向が助長されていること。

2.都市化現象に伴う自然環境からの隔離、社会的連帯感の希薄化、疎外感の助長、都市のもつ匿名性、享楽的風潮などが助長されていること。

3.進学率の著しい上昇、高学歴化の進行、受験準備の大衆化にともなって、落ちこぼれる児童・生徒が続出していること。また、教師と生徒との人格的触れ合いが不足する傾向にあること。

4.核家族、少子家族が一般的となり、大家族がもっていた家族の教育・教育機能が低下する傾向にあること。

5.情報化の進展の中で、的確な判断や情報の選別力に青少年が情報の洪水(例えばアルコール飲料のコマーシャル)に押し流され、主体性を失うおそれが強くなるとともに、青少年の考え方や行動が感覚的になってしまう傾向にあること。

6.国際化の進展の中で、海外渡航した青少年が大麻などの薬物乱用に汚染されて、その流行を持ち帰る危険性が増大していること。

 

薬物乱用と家族の対応

■薬物乱用をやめさせるには(家族の対応の原則)

[薬物乱用の早期発見]

普段の心がけとして、親子、教師と生徒、家庭と学校の日常的なコミュニケーションを保つようにします。子どもを決して放任せず、言動や交友関係などをよく観察し、子供の小さな嘘にごまかされないことが薬物乱用の早期発見につながります。親や教師が、タバコ、アルコール、シンナーなど薬物に対して、道徳的のみならず、健康問題としての見識をもつことも必要です。

[みんなの問題として対処する]

家庭では本人と母親の問題とせず、家族全体の問題としてとらえ、孤立化することを避け、全員が集まり話し合う必要があります。学校でも、学級や学年、学校全体の問題としてとらえ、関係者がそれぞれの立場で責任を果たすよう心がけることが必要です。グループでの吸引・摂取の場合は、本人の動向に注意しながら、親同士、学校との連絡を密にして対応します。

[薬物を入手するための行動に対して]

家族が歩調を合わせ、薬物を入手するために見せる甘え、嘘、暴力にのせられないようにします。薬物を購入する資金に困って万引きするなど、新たな非行に発展することを恐れて小遣いを与えたり、友人への借金の肩代わりをすることは、薬物の摂取を継続させることになるのでやめます。薬物を摂取して引き起こした不始末に対しては、年齢相応の責任を取らせるように心がけます。

[信頼関係を保つ]

相互の信頼関係を崩さないように心がけ、話し合いの中で言ったことは実行し、できないことは言わないようにします。「今度薬をやったら親子の縁を切る」とか「家を出てもらう」などは禁句。本人は、それをもとに周囲の者に責任を転嫁しながら、行動に移し、かえって薬物の依存傾向を深めさせる結果となることが多いのです。

[上下の関係を離れ、横の関係になる]

児童・思春期の子どもに対しては、「子どものためを思っている」という上下の関係を離れることが重要です。たとえば、不適切な行為に対して、「あなたはこうすべきだ」と上から命令するのではなく「私はこうしてほしいのだけど」と横から提案します。適切な行為に対しても、「えらいね」と上からはめるのではなく、「私はとても助かるわ」と横から感謝することが大切です。

[性急に解決を図ろうとしない]

多様な価値観を許容し、愛情をもって若者のもつ旺盛な回復力、成長力に期待します。人間的に成長させ、社会に適応させることを目標に、親や教師、相談機関や治療機関などの職員が本人とともに地道に努力する必要があります。異端分子として学校や地域から安易に排除したり、強制的に入院させたりするなど、本人の自尊心を無視するような対応はすべきではありません。

[家族が取るべき行動の柱]

以上のように、家族が本人だけを責めたり諦めたりせずに、回復を信じて行動し続けることが薬物乱用者の回復を最も助けることになります。そのためにも、安心して話し合え、支え合える家族関係が必要です。何よりもまず、問題に気づいたらすぐに専門の相談機関を訪れる勇気をもち、できる限り早く対応を検討しましょう。

[カウンセリングを通して]

麻薬取締官事務所や都道府県警察本部等の相談窓口に電話等で相談し、カウンセリングの薬物乱用と家族の対応受けられる専門機関等の紹介を受けるとよいでしょう。カウンセリングを通して、それまでの自分たちの行動が本人の行動に振り回され、よかれと思ったことの中に多くの誤りがあり逆に本人の問題行動を続けさせるものであったことを認め、できる限り早く自分たちの態度、行動を変化させることが大切です。

 

薬物乱用からの回復のステップ

(1)「底つき」からの出発

薬物乱用者の回復とは、薬物を使わずに生きること。「やめようと思えばいつでもやめられる」「時間がたてば気づいてやめるだろう」と本人や家族は思いがちですが、薬物乱用を続けていると、気づかないうちに薬物依存、コントロール喪失の状態になりますから、回復は本人の意志だけではなし得ません。手順を踏んだプログラムに基づくトレーニングが必要です。

(2)同じ仲間と助け合う

乱用者は自分一人の力では回復しないことを自覚し、薬物をやめ続けている仲間の中に素直な気持ちで身をおき、自分も同じようにやめ続けることができると信じるようになることが必要です。この仲間を自助グループといい、ここで自分のこれまでの生き方、考え方を、ありのままに話し仲間の言葉を聞くことによって、より鮮明に自分を知ることができるようになります。

(3)生活と行動を変える

乱用を続けていたときと同じ生活の中では、感覚がもとに戻りがちになります。毎日、自助グループに出席し続けるというように、新しい行動を取り入れ、実践していくことが必要です。自助グループが近くにない場合は、学校の先生や主治医、相談機関等にお願いして、回復者を紹介してもらいその人の話を聞き交流することで、回復を信じる気持ちと希望をもつことができます。

(4)精神科への受診

病院への入院は、乱用の習慣をたち切ること、心身両面にわたる病気のチェックを受けること、「底つき」を体験しやすい場であるという点で意義があります。病院では本人に薬物を使用しない決心をさせることを当面の目標とし、同時に身体の診察、頭部CTスキャン、脳波検査などを行い、身体的傷害が起こっていないかをチェックします。

(5)リハビリ施設への入所

薬物乱用者が、薬物を手離していくためには、乱用を続けていた環境から、物理的にも人間関係の上からも、はっきりと離れることが有効です。リハビリ施設に入所することは、それが容易になることと常に仲間と交流することができる利点があります。したがって、回復を助ける環境と条件が整えば、とくにリハビリ施設への入所にこだわる必要はありません。

 

NO!と言えるようにするための10か条(アメリカの例)

1.飲酒や薬物について子どもと話し合う

 話し合いによって、「誰でもやっている」という子どもの認識を変えます。

2.子どもの話をよく聞く

 話を聞こうとしていることを、言葉や態度で子どもに示してあげます。

3.子どもが気分よく話ができるようにする

 努力や成果をほめてあげる。子ども自身を攻撃せず、誤った行動・行為を正すようにします。

4.子どもが強い道徳心をもつように助力する

 友達に引きずられることなく、強い道徳心で、No!という勇気をもつことができます。

5.あなた自身が模範となり、例となる

 親の癖、行動は、子どもの飲酒、喫煙、薬物乱用に対する態度に強い影響を及ぼします。

6.子どもが仲間から圧力を受けても支えてあげる

 仲間からすすめられても、No!というほうが正しいのだという親の考え方を子どもに示しておきます。

7.家庭内のルールを決める

 子どもの飲酒、喫煙、薬物乱用に対する家庭の中での特別ルールを作っておくことです。破った場合の罰則を、子どもに明確に示しておくことも効果的です。

8.健康的で、創造的な活動を奨励する

 退屈しのぎの飲酒、喫煙、薬物乱用から子どもを遠ざけるため、趣味や学校のイベントなどに参加することをすすめます。

9.ほかの親たちと協力する

 家庭内の指導を補強する支援グループで、ほかの親たちと一緒に行動するといいでしょう。

10.子どもに問題がある場合の対処法を知る

 飲酒、喫煙、薬物乱用についての知識をもつことです。

■■トピックス■■ 学術委員会

N型チャネル抑制型カルシウム拮抗薬

ジヒドロピリジン(DHP)系カルシウム(Ca)括抗薬は現在臨床で最も多く使用されている降圧薬のひとつである。これらの薬剤はL型電位依存性Caチャネルを選択的に抑制することが知られている。最近2種類のDHP系Ca括抗薬がL型のみではなくN型Caチャネルも抑制することがわかった。今回はそれらの分類と、その作用機序について解説する。

カルシウム括抗薬の分類

現在多くのCa括抗薬が使用されているが、構造式の違いからDHP系、ベンゾジアゼピン系、フェニルアルキルアミン系に、また、その作用時間から第1世代〜第3世代と分類されている。(表1)また、最近Caチャネルの様々なサブタイプが明らかになるにつれ、チャネルに作用する薬物を、それらが結合するチャネルのタイプの違いに基づき分類することも提唱されている。(表2)

表1中の第1世代に分類されるニフェジピンはそれ以降のDHP系薬剤の親化合物として知られているが、血管選択性が強くジルチアゼム、ベラパミルに比べ降圧剤としての働きが強い。また、その強い降圧作用のため副作用として反射性の交感神経瓦進作用が認められる。

第2世代の薬剤は降圧効果が緩徐で持続的であるため、副作用も改善されてはきたが表2に示すようにL型のCaチャネルのみに作用するため、上記のような副作用が臨床的に問題であり、狭心症発作の誘因となるなど心血管系にとって長期的にも不利益をもたらす可能性がある。

表2中のL型+T型チャネルに作用する薬剤としてジルチアゼム、ベラパミル、ニカルジピンがある。T型チャネルは洞房結節においてペースメーカー活動に関与しているといわれている。しかし、これらの薬剤のT型作用はL型に比べはるかに高濃度範囲でのみ発現するため、臨床的意義への寄与は不明である。

L型カルシウムチャネル

交感神経末端から放出されたノルアドレナリン(NA)は血管平滑筋細胞のα1受容体や心筋細胞のβ1受容体に作用する。その刺激によってL型Caチャネルが開口し、チャネルを通って流入したCa2+や筋小胞体から放出されたCa2+によって血管平滑筋の収縮や心筋収縮が起きる。このように、血圧調節臓器である血管の緊張維持に自律神経は重要な役割を果たしている。(図1)

Ca括抗薬は血管平滑筋の細胞内Ca2+濃度増加機構のひとつであるL型Caチャネルを抑制することにより血管平滑筋の弛緩をもたらし、自律神経系に対する制御については影響を与えないとされている。これはα1受容体遮断薬による降圧作用でも同じで、プラゾシンは血管平滑筋のα1受容体を遮断することによって血管を拡張させるが、交感神経末端からの神経伝達物質の放出は抑制できない。

すなわち、Ca括抗薬やα1受容体遮断薬は交感神経末端に働いてNA放出を直接抑制するわけではない。逆に、血管平滑筋に選択的に作用してそのL型Caチャネルや受容体を遮断し、急激な血圧下降を引き起こすと、反射的に交感神経機能の克進が起こり神経伝達物質の放出が増加し、反射性頻脈を引き起こすことになる。

従って、血管拡張作用を効果的に引き起こし、かつ反射性頻脈の発生を抑制するには、血管平滑筋に対する効果のみでなく交感神経伝達物質の放出を制御することが重要となってくる。

N型カルシウムチャネル

最近DHP系誘導体のアムロジピンとシルニジピンがL型に加えてN型Caチャネル抑制作用を有することが明らかとなった。N型Caチャネルは交感神経終末に存在し、NAの放出を調整している。すなわち、急激な血圧低下が起こった場合、大量のNAが放出され過度の血圧低下を防ぐように働く。しかし、このN型Caチャネルの遮断が可能ならば、交感神経終末からのNAの放出を抑制することができ、前述のような副作用が軽減できる。(図1)

このようにL型とN型Caチャネルを同時に抑制することができるアムロジピンとシルニジピンは、降圧作用を有しながら、それに伴う交感神経の元進を抑え、長期予後に対するCa括抗薬の欠点を克服する可能性がある。

<市薬薬局のコーナー>

<フレッシュさん> 流転の日々 中央支部 天神部会 双和薬局アクロス店 杉野文子

双和薬局は昭和49年8月に創設されました。当アクロス店は2号店として平成7年7月アクロス福岡5Fにオープンし、3年を経てようやく、このたび皆様の仲間入りをさせていただきました。薬局からの眺めは、地下2階から最上階までの吹き抜けと、シンフォニーホールを正面に見たガラス張りの半円形曲線がすばらしく、患者からも好評です。

一方、私は大学卒業後、ある研究センターで毎日マウスたちに囲まれて大腸癌や胃潰瘍の基礎研究と動物の世話に明け暮れておりました。そのうちもっと人間に近いところで仕事がしたくなり総合病院へ転職しましたが、毎日あらゆる業務に忙しく患者と対話する時間があまりありませんでした。そして患者のナマの声が聞きたくなり、今年の2月から双和薬局にお世話になっております。

ところで、私は就職したての頃、ある恩師に仕事をする上で大事なことを教えていただきました。それは「どんな仕事であろうともプロ意識を持つこと」であります。責任をもつこと、社会に認められることと、その時思いました。まだまだ未熟者であるが故に、その言葉を胸に日々励んでいるつもりでありますが・・。

とはいうものの、私は旅行が大好きで、毎月どこかしこへふらふらと出かけ、前述しましたことをしばしの間すっかり忘れて遊んでいます。そして出かける前には、その次の旅行の計画までも既に立てていることが多く、頭の中が混沌としていることが時々あります。

最近では、デジカメを買って北海道へ行き、現像代が要らないことをいいことに何の惜しげもなく観光地の看板やラベンダー畑を写しまくってきました。紙面がカラーではないので、お見せできないのが残念です。是非見てみたいと思われる方は、私宛にメールを送って下さい。(fsugino@ma4.justnet.ne.jp)

最後になりましたが、会員の皆様方にはこれからも末永くご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

<フレッシュさん> ホームページ作りました絵が動いただけで「うお−」 城南支部 友泉部会 友神堂薬局 原口亨

平成9年12月1日、城南区友丘に開局した友神堂薬局です。今年の4月より薬剤師会に入会させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

開局当初は分業に伴う患者さんからのクレームに頭を悩ませていました。「薬代が高い」「わざわざ薬局に行くのが面倒」「病院ではもらえないの?」等々。予想はしていたものの、やはり面と向かっていわれると少々がっかりしました。定期的に通ってこられる患者さんが多い分、日を重ねるに連れ分業への理解も得られてきたようで、最近では毎日楽しく仕事をしています。

最近、インターネットでホームページを作り始めました。大学院の時、インターネットを使って毎日遊・・いやいや仕事をしていたので、「開局したらホームページを」と思っていたのですが、のびのびになっていました。

本屋に行って「簡単ホームページ」やら「動くホームページの作り方」等々4〜5冊買ってきて、いろいろ試しています。絵を描く才能など皆無なもので、落書き程度の絵が動いただけで、「うおー」と身内だけで感動しています。

薬局や病医院、製薬メーカーなど、この業界でもいろいろなところがホームページを作っています。それに負けないような薬局の紹介や医薬分業についてのページを作ろうと思っていますが、やはりメインは趣味のページ。

車や駄菓子(小さい頃買って食べていた10円、20円とかで買えるやつ)についておもしろいページを作ろうとがんばっています。

個人で作っているホームページの中にも専門制作会社顔負けなんてものもあります。医薬分業関係で有名なのが「医薬分業のすすめ」です。新開・雑誌等でも取り上げられていますのでご存じの方も多いかと思いますが、石川県の小児科医の目から見た分業についてや、分業推進派VS反対派のディスカッション等読み応え十分です。まだ見ていない方は一度みてください。感動ものですよ。

友神童薬局
 e−mail yusin−do@hf.rim.or.jp
 URL http://www.hr.rim.or.jp/yusin−do

<リレー・書いていい友!> 虫取り猫 東支部 名島部会 高又薬局 吉村きく子

店から台所に上がると足裏にグニャと何かを踏んだ。羽がポロポロになった揚羽蝶だった。午前中はトカゲで遊んでいたのに御精勤だ。

アメリカンショートヘアのハイブリッド猫ギンは、キャンパスに立っていた福大生の息子の肩まで駆け上がって離れず、そのまま夜中に我が家にやって来た。1kgの体重だった。

例年、蝶のサナギに食べられて丸坊主になる庭のカラタチは、ギンが来た早々から揚羽蝶を取ってくれたおかげで、今年は初めて薬を繁らせた。猫が虫で遊ぶ姿を息子は酷がったが叱っても陰に隠すだけだし、先々代の様にネズミ取り猫になってくれたらと秘かに期待していた。

現在4.5kgの中猫になったが、毎日トカゲ、セミ、バッタ、揚羽をくわえてきては遊び転げまわり、蝶の羽根は台所中に散らばり、バッタはいつも取り逃がしてどこかにもぐり込ませてしまっている。トカゲは死体になって転がされている。

エサ代節約のため虫食い猫になってもらいたかったが、キャットフードばかり食べている。虫は取るばかりで一向に食べない。店は住宅地なので虫には事欠かないが、沢山虫を食べるトカゲもどんどん取っていたら、しまいには生態系が崩れて近所中、虫だらけになってしまわないかと心配している。

次はかめや薬局 荒木康子さんです。

<おめでとうございます>

ごあいさつ

私こと、この春の叙勲において、図らずも勲五等瑞喪章受章の栄誉に浴しましたところ、皆様方よりご鄭重な御祝意を賜り、まことに有難く厚く御礼申し上げます。

去る5月1日福岡県庁知事応接室において勲記勲章の伝達を受け、5月11日皇居へ参内して天皇陛下拝謁の栄を賜り、私達夫婦にとりまして、終生忘れることのできない、大きな喜びでありました。

この栄誉は、本日ご臨席の皆様方の永年にわたるご指導とご支援があったればこそと心から感謝申し上げる次第でございます。そのうえ、発起人各位のご配慮により、このような盛大な祝賀会を開いていただきまして、身に余る光栄でございます。

本日は、ご来賓の方々をはじめ皆様方より貴重なご祝意をいただき、重ねて厚く御礼申し上げます。今後とも、この栄誉に恥じることのないよう一層の精進を致す所存でございますので、従前にもまして尚一層のご交誼とご鞭接を賜りますようお願い申し上げ、お礼のご挨拶と致します。

本日は、誠に有難うございました。

平成10年7月18日

三津家 正友

 

      経 歴

氏 名  三津家正友 みつかまさとも
本 籍  熊本県玉名郡横島町大字横島2772番地
現住所  福岡県福岡市中央区鳥飼1丁目1番30号
生年月日 昭和2年4月9日生

〔学   歴〕
  昭和23年3月  熊本薬学専門学校卒業
〔職   歴〕
  昭和23年4月  熊本市吉井薬品株式会社勤務
  昭和29年4月  大濠薬局開設
  昭和33年4月  福岡市立鳥飼小学校学校薬剤師
  昭和33年4月  福岡市立城西中学校学校薬剤師
  昭和54年4月  福岡市立福岡中央養護学校学校薬剤師
  昭和62年4月  福岡市立舞鶴中学校学校薬剤師
〔団 体 歴〕
  昭和32年4月  福岡市薬剤節会理事(9年)
  昭和38年4月  福岡市学校薬剤節会理事(16年)
  昭和53年4月  社団法人福岡市薬剤節会理事(4年)
  昭和54年4月  福岡市学校薬剤節会副会長(9年)
  昭和61年4月  社団法人福岡市薬剤師会常務理事(4年)
  昭和63年4月  福岡市学校薬剤節会監事(2年)
  平成2年4月  社団法人福岡市薬剤師会会長(4年)
  平成2年4月  福岡市学校薬剤節会会長(4年)
  平成4年4月  社団法人福岡県薬剤節会分業特別委員会委員長(2年)
  平成6年4月  社団法人福岡市薬剤節会顧問
  平成6年4月  社団法人福岡県薬剤節会監事
〔受 賞 歴〕
  昭和39年7月  福岡市長感謝状(学校薬剤師功労)
  昭和51年10月  福岡県学校保健会長賞(学校薬剤師功労)
  昭和54年10月  福岡市長感謝状(市政功労)
  昭和59年10月  福岡県公衆衛生協会理事長賞(公衆衛生功労)
  昭和60年11月  福岡市教育委員会表彰(学校薬剤師功労)
  昭和62年4月  福岡県薬剤師会長表彰(薬事功労)
  昭和63年10月  福岡県知事表彰(薬事功労)
  昭和63年12月  福岡市学校保健会長賞(学校保健功労)
  平成元年11月  福岡県教育委員会表彰(文化功労)
  平成2年9月  日本公衆衛生協会長賞(公衆衛生功労)
  平成3年11月  文部大臣表彰(学校保健功労)
  平成5年10月  厚生大臣表彰(公衆衛生功労)
  平成10年4月  天皇陛下より勲五等瑞賛章拝受

 

お祝いのことば

この度三津家正友先生が勲五等瑞賓章を受章されました。ご本人のお慶びはもとより、福岡市薬剤師会にとりましても大きな栄誉であり、心からお祝い申し上げます。

先生は、平成2年4月より2期4年間会長を努められました。この間、医薬分業支援センターの建設には大変な苦労をなされましたが、今ではモデル薬局として全国の注目の的となっており見学・視察者も毎年10回以上を数え、また、医療センターの処方検討会も、本年6月で通算40回となり、大きく発展しております。これもひとえに先生の会長としての決断があったればこそで、感謝申し上げる次第です。

先生は、こよなく酒を愛し、こよなく友人を愛し、こよなく薬剤師会を愛されました。今後は、こよなく我々後輩を愛していただきご指導賜りますようお願い申し上げましてお祝いのことばと致します。

発起人代表 藤原良春
(社)福岡市薬剤師会 会長

 

 

三津家正友先生の叙勲受章祝い

この度、三津家正友先生が多年にわたり薬学及び薬剤師職能の発展に努め、県民の公衆衛生の向上及び健康増進に寄与された事が認められまして、勲五等瑞賓章を授与されました事は、先生にとって大変な名誉であるとともに先生の教えを請う私達会員一同にとっても喜ばしいかぎりでございます。又、ご家族の皆様方の喜びはいかばかりかと存じ心からお祝い申し上げます。

先生、誠におめでとうございます。今、地方薬剤師会は変革期にはいっております。平成四年第二次医療法改正に於て薬剤師が医療の担い手(医療人)に組み入れられた以上、会員及び他の医療関係者と協力して、医療と社会福祉の増進に貢献し、県民の健康な生活維持のため薬剤師職能を充分に発揮しなければならない時代を迎えたのです。それを指導出来る人は、高い識見と英断力と誠実な人格者、三津家先生であります。

今後とも薬剤師会の発展と会員・県民の為に全知全能を傾注あそばされますことをお願い申しあげます。最後になりますが先生の御健勝と今後の活躍をお祈りいたしまして、お祝いの言葉と致します。

発起人代表 宮崎和人
(社)福岡県薬剤師会 会長

 

お祝いのことば

この度、三津家正友先生には勲五等瑞賓章の栄に浴され、心よりお祝い申します。このたびの受章を想うに先生は既に、厚生・文部の関係省庁より、開局薬剤師・学校薬剤師として選奨の栄に浴され、なお本日この挙にある、錦上さらに花を添えると申すべきことで、ひとり先生の一身の栄誉であるばかりでなく、実に薬剤師会もそのほまれを分つものと云はなければならない。

先生の履歴を見る時、私は戦後の薬剤師・薬剤師会を学習することが出来る思いがする。特に先生がその職にあるとき、百道の医薬分業支援センターの設置・運営の基本を完成された努力は特筆すべきであろう。

先生の生き方は、自然体と云うべきか、生物学的、生き方とでも云うべきか、基本的に慣習を重んずるところが真骨頂である。無人島から人里に帰ってきた人の様な鷹揚さがあり、冗談とまじめの境目が解りにくい面白さがある。その冗談には持続力があり、先生の性格を如実に物語っている。

この春風飴蕩と云うべきか、その包容力ある徳望が先生を今日あらしめている。欣喜の情にたえられないまゝに一言述べて祝辞とします。これからも健康に気をつけられ、元気に尚一層の精進を望みます。

発起人代表 藤野義彦
(社)福岡市薬剤師会 顧問

 

叙勲を祝して

昭和32年、私が開局した時に、三津家先生は六本松部会長をしておられた。それから今日まで、40 年以上途切れることなく、何かの役職をやってこられている。

容姿端麗、鷹揚な風格から「お殿様」の愛称を持ち、人一倍の気配り、人情味厚く、指導者としては珍しい敵を持たない温厚な先生であります。一面、肥後もっこすらしい粘り強い、事によっては挺子でも動かない頑固なところも、時として見せられる。

そのような先生の人柄が、多くの会員から慕われ信頼され、福岡市薬剤節会会長に推されてからも、支援センターの開設など大きな事業を黙々として成してこられた。

先生の人生観は「功名 誰か 復た論ぜん、まさに人生意気に感ず」の様に思えるのであります。従って今日の叙勲をひとしお喜び、お祝い申し上げる次第です。

発起人代表 古賀隆
(社)福岡市薬剤師会 顧問

 

お祝いのことば

三津家先生、勲五等瑞賓章ご受章誠にお目出とうございます。心からお喜び申し上げます。男としてこの世に生を受ける者はこうした名誉ある章を受章することは大きな願望であると思いますが、それはそれは難しく大変なことであります。

先生は福岡市薬剤師会の五代目会長として2期4年間数多くの事業を構築し為し遂げられました。その中でも医薬分業支援センターの設立には大変なご苦労があったと思います。会営薬局の在りかたが問われる中で、この支援センターは行政はもとより、日本薬剤師会、又各都道府県薬剤師会からの注目の的としてその存在を大きくしております。

私が六代目会長としてその後を引き継がせていただきました事は本当に意義深いものでありました。こうした多くの実績を残されましたが、まだ現役としてご活躍されておられますことがこの度のご受章となったと思っております。ご本人はもとより、ご家族の皆様にとっても大きな喜びであると思います。

お酒が大変強く、又勧め上手で酒の弱い者が先生の側におりますと大変なことになりますが、それはそれは楽しいお酒でついつい釣り込まれてしまいます。

どうかこれからもご自愛下さい、末永く現役として我々若輩をご指導下さいますようお願い申し上げます。

発起人代表 木村英樹
(社)福岡市薬剤師会 顧問

 

 

〜必見!市薬会報第1号〜

三津家先生は、市薬会報第1号(S53.7.1)を創刊した時の広報担当理事でいらっしゃいます。ここに記念すべき第1号のタブロイド版そのままと、現在までに先生がお書きになった数々の原稿の中より抜粋して転載いたしました。 その時々の市薬の方向性や心温まり慈味あふれる文章に、会員の皆様も大いになつかしみ、また今後の参考にもなさることでしょう。

(K.K)

写真提供:山手陽一先生
     水越事務局長
スナップ:広報委員会

 

〔三津家会長ぶろふい−る〕

S2年生まれで63才、熊本薬専をご卒業され、34年市薬理事を皮切りに、県薬・市薬・学薬と理事を歴任。この市薬会報を創刊された先生です。

荒巻県薬会長とは同級生。荒巻先生の言によれば「学生時代の三津家さんは、頭が良くて、家柄が良くて、やさしくて私なんぞ足元にも及ばないくらい女にもててね・・・」だそうです。

やはり親ゆずりでしょうか、三津家先生のご子息は、東大の理Vをご卒業されたと伺っております。

そして前会長の古賀先生とは無二の親友。いつも市薬の理事会の帰りには「ほり田」で、ママの顔を見ながらのお酒です。飲むほどに酔うほどに、ジョーダンとも本気ともつかぬ言葉が次から次へと飛び出してきて、回りの者を楽しくさせるお酒です。

大きな事業が目白押しだった古賀執行部の会計常務理事として、この4年間しっかり補佐してこられました。今度は古賀前会長の思いを継いで、三津家執行部の長としてのスタートです。心からエールを送ります。

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」

ホトトギス内閣の誕生です!

(H2・5よリ)

 

会長に就任して (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

去る4月21日、第22回通常代議員会に於て古賀隆前会長が県薬副会長として専念されるため勇退されたあと、会長職の大任を仰せつかりました。今更ながら、事の重大さに身の引き締まる思いであります。

過去4年間、前会長の元で総務と会計担当として、会務を勤めて参りました。その間、会館用地の譲渡、新会館の建設、更に会営薬局用甲土地建物取得等、会運営の基本となる問題に携わってきました。

これ等ハード面の解決を見た現在、今後は古賀前会長の路線に沿うとともに、歴代会長を中心に多くの先達が、長い間青くまれた「社団法人福岡市薬剤師会」の組織と多大の財産を守って行くことが重大な責務であると考えています。

平成元年は第二次分業元年と言われましたが、本年はいよいよその実効を上げるべく、具体的行動に移る年であります。

日薬、県薬における事業の最大なものは、面分業の推進と研修となっていますが、それを具体化したものが「都道府県薬剤師会認定基準薬局制度」です。この問題について、会員にはそれなりの対応が必要となりますが、まだ県薬の方針が定っておりません。

いずれ研修の必修制度が打ち出されて来ると思います。諸々の点が決まり次第お知らせ致しますさて、市薬では、先の代議員会で御承認頂きました事業計画に従って、それぞれの事業を進めて参ります。

この中で急を要し、且つ重大な事業は、国立福岡中央病院及び市内科医会との間で進めている処方せん応需問題です。

皆様が御承知の通り、国立病院の院外処方せん発行促進については、厚生省が面分業の呼び水として強力に押し進めています。福岡中央病院側も、又市薬としてもこれに対応するため、前年度より定例会議を設けて話しを進めて参りました。

その結果、第一次の受け入れ薬局名簿を提出し、細部の詰めの段階に来ています。しかし、受け入れ薬局についてはその数がまだまだ少ないのが現状です。受け入れ薬局になるには、研修が必修と なっていますが、それを受けられることにより、多くの方が参加されるよう望みたいと思います。 なお、市薬としてこれをサポートするために、コンピューターを導入し、備蓄薬品管理システム並びにファックス網の整備を進めているところです。

次に、内科医会の問題については、今までに4回の協議を重ねて参りました。先方の幹部の先生方は、我々以上に真剣で前向きに、分業問題と取り組んでおられます。小野理事の報告にある様に、支部によっては急進展することも考えられますので、積極的な対応をお願い致します。

分業問題は、今後支部活動が中心となります。そのために市薬としても最大の支援を致しますが、皆様の自覚と団結が必要です。又、OTC問題については、単なる経済自由主義的考え方でなく、基準薬局認定制度と相まって、地域医療への参加という観点で進めて参りたいと考えている次第です。

最後に、会員諸兄の御協力をお願いして、会長就任の御挨拶と致します。

(H2.5「巻頭言」より)

 

「子を想う親心」 荒巻県薬会長に謝して 市薬 会計の係り 三津家正友

大切な会報の紙面ですが報告と御礼です。

旧薬学専門学校の頃は「修身」で子は親に孝行と教った様な気がするが、近頃の薬科大・薬学部ではそれは無く、親のフトコロ具合等考える由なく、学校(なるべく授業料を多くとる所を選んで)に入学し、良くマナビ、良く遊び、親は子のためとヒタスラ精進する。

荒巻県薬会長は旧人類であるが、その点常々良く理解を示され、県薬は市薬の親ですから「何でも云うてきて下さいよ」と申される。市薬では今度百道地区の土地購入のため、1億円借金することになっている。

古賀会長の指示で各方面からのアプローチを辞退して、福銀の天神支店に借りに行くことになった。

福岡銀行天神支店では、包容力豊かそうな支店長さん、キャリア組を想わせる副支店長さん、外見は優しそうに見える次長さん、元気のカタマリの代理さん、青年将校の係長さん。皆さん、揃って紳士で気品がある。

「福岡市薬さんには、公定価格の6%で貸してあげますよ」これでひと安心。然しこれからが思案のし所。もう少し安く借りたいが、さて一人で行くか、他人にたよるか。

古賀会長と相談の末「お前一人ではたよりないし、県薬は市薬の親であるから」と大変御多忙でも、荒巻県薬会長にお願いしようと云う事になった。

荒巻会長「ハア、私がやってあげまっしょ」紆余曲節はあったものの、手前共の希望する利率で話は合意に達した。お蔭で最終的には、千数百万円、利息が少くてすむ事になった。

改めて、荒巻県薬会長に御礼申し上げたい。

荒巻会長日く

「ハア、また何かあったら云うてこんですか、出来るだけの事はしてあげますけん」

「ありがとうございます」

(H1.9「余滴」より)

 

 

会報編集の思い出 福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

昭和53年藤野義彦先生が会長になられたとき、突然広報担当の常務理事を命ぜられた。私としてはとまどいもあり、仕事は何をするのですかとお尋ねすると、会報を作れとおっしゃる。そしてお断りする暇もないほどの強引さで「頼みますよ」。この一言で押し付けられてしまった。

何しろ学生時代を通じて未経験の分野であり、市薬には前例もないので何から手を付けていいかもわからない。先ず会報の形式をどうするか、本の形式にするのか、新聞の形式にするのか大いに迷った。本の形式にすれば編集は楽なのであるが、経費節限ということで新聞形式にせざるを得ず、このときから悪戦苦闘が始まった。

私一人の作業では無理なので、親友の細井徹一先生に応援を求めることにした。書いていただいた原稿、会員に伝達すべき情報等の資料を持って細井先生宅を訪れ、二人とも辞書を片手に、縦書き13文字の原稿用紙に書き直す作業に着手。そしてレイアウトをどうするか、見出しは何段にするか、その活字の大きさは?と、すべて手探りの状態で進めなければならなかった。

最も苦労したのは、文字数を何度数えても枠内にきちっと納まらず、その都度原稿を書き直さなければならないことで、細井先生宅での作業も夜の12時、1時になることが数日続いた。

やっとの思いで昭和53年7月1日、新聞タイプ2ページの創刊号(現在の会報の10ページ分に相当)を発行したことが今懐しく思い出される。

その後、第2号から第8号(昭和53〜54年)は新聞タイプ4ページで発行したが、保存しやすいようにということで、昭和55年の第9号から本タイプ約20ページの会報に変更し、昭和56年の第13号で編集の責任を終えた。

今思い起こすと、昭和53年は藤野会長により会の運営、事業等数々の改革がなされた年であった。 主なものでは、(1)組織、社保、薬局、急患の常置委員会を設置しての事業運営(広報部、常置委員会としての学術委員会は54年に追加)、(2)支部制度の発足、(3)会館建設問題、そして情報を密にするため、(4)会報の発行があった。

私が携わった4年間の会報を読み返してみると、市薬、学薬、各支部、またその他の組織の役員として、いきいきと活躍された先生方の顔が浮かんでくる。一方では若くして亡くなられた先生もあり一抹の淋しさも覚える。

会報編集の大変さは、身をもって経験した一人として十分認識している。それだけに、現在のように充実してきた会報には今昔の感を覚えるとともに、編集者に対しては、心から感謝しつつ「ご苦労さま」と申し上げたい。

しかし、会報というものは時代の変化に対応して、更に充実させ発展を続けなければならないという宿命を持っている。そのためには編集に携わる人の努力はもちろんであるが、会員諸兄の協力がなければ、今後の発展はありえない。

(H4.3「特集・会報について」より)

 

山が動く (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

4月25日、第25会通常代議員会において再度会長職の大任を仰せつかりました。過去2年間、900名の会員諸君と共々薬剤師の職能高揚をめざして、また、歴代会長を中心に多くの先達が育まれた「福岡市薬剤師会」の組織と多大な財産を守るべく努力して参りました。今後さらに2年間、この大任を果たすその責任の重さを思うとき、身の引き締まる思いであります。

さて、今医療界、なかんずく薬業界は、まさに維新前夜の感の中にあります。さる4月1日より実施されている「社会保険診療報酬」の改正は、従来の単なる値上げ、値下げではなく、その中に大きな流れの変化が感じられます。

厚生省では従来は、薬務局が分業に対する微風を送っておりましたが、現在では保険局が中心で、厚生省あげて「良質の医療」の旗のもとに、完全に分業指向で動いているといえます。

このことは、院外処方せんが出やすくなった、出しやすくなった、というに留まらずもはや出さざるを得なくなったということであります。先の診療報酬改正は、そのことを意味している訳です。

福岡市の大型総合病院においても、院外処方せん発行について諸々の検討が行われていると聞いております。また、その他の病院、診療所等でも処方せん発行について非常な関心が高まっており、すでに動き出している所もあります。

会員諸君には、今医薬分業という大きな山が動き出しているという現実を直視していただかねばなりません。木や森を見ているときではないのです。

この大きな山が動くとき、薬剤師会という一組織内で考えていた医薬分業に対する善なるもの、悪なるものを区別することなく、大きな激流となって、多くの会員が押し流され、あるいは、その中に埋没してしまう恐れさえあるからです。

また一方、厚生省は「地域医療」という旗のもとで、「良質で効率な医療」を提供すべく、三師会をはじめその他の医療機関、地方行政、それに地域住民を含めて協議し、地域の実情にあった形での実現を早急に永めております。

このような状況を勘案しますと、福岡市薬剤師会が進めてきた国立病院の処方せん応需対策とその実績は、大きなPR効果を持つものであり、今後の指標ともなるもので、さらに完全なものになるよう努力が必要です。

そして私共薬剤師は、薬剤師本来の姿を見直し、薬剤師職能について研鑚を重ね、「信頼される薬剤師像」を行政を含め、地域住民の方々にアピールしなければなりません。

ところで、公衆衛生活動の一環である学校保健活動もこの流れの中で捉える必要があります。分業の進展とともに会員活動が制約されるというむずかしい面もあります。その中での会員の増強、活動内容の充実、そして対外的地位の向上を目指し、市薬として取り組め、というのが先の学業総会で会長職を兼務させられた意味だと受け止めております。

会長職の重大さを充分踏まえて努力する所存です。会員諸君のご協力をお願い致します。

(H4.5「巻頭言」より)

 

会営薬局について (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

福岡市薬剤師会では9月1日現在903名の会員数に達し、なお新しく入会される方が続いております。

先の第2次医療法(6月)の改正に於て吾々薬剤師は医療担当者の一員として、医薬分業を思考しつつ行動するように求められています。そこではいわゆる「良質でかつ適正な医療供給体制作り」の一環として薬剤師の職能が充分発揮されるべきと考えます。

昨今、福岡市内における官公立の大型病院と称される施設や、私立の病院や診療所に於いても、その理由は多岐にわたるようですが、処方せんを院外に出したいとの兆しが散見されます。

われわれ福岡市薬の会員としては、同種同効薬や多種多様の薬品の品数には多少気になる所ですが、当該施設の内部との話合いがつけば、患者の受益を考慮しつつ「良質で適正な医療供給体制」の枠組の中でこれに応えなければなりません。

個々の具体的な事例は後日にゆずるとして福岡市薬では、国立福岡中央病院におきまして厚生省の指導を得つつ「FAX」を利用して処方せんを応需する面分業を試行してきた所です。そこでは受入薬局の会員諸兄の非常な努力により一応の成功が認められております。

今後はそれらのノウハウを生かして面分業を目標として、処方せん応需においては先達とされる、調剤専門の薬局や、一般大衆薬(OTC)主眼としつつも処方せん応需についても特に努力を続け、成功されている薬局の会員諸兄を遣先案内とし、リーダーとして450軒の保険薬局は勿論、その他の薬局を含む、650軒の全会員薬局が同じ歩調で医療人としての薬剤師の遠を進まねばなりません。

その為には会員相互の組織の強化と研鎖が必要であります。その研鎖の一助として、例えば吾々の先達により先行取得されております。福岡市中央区百道の会有地については、(新設の国立病院 隣接地、ツインドーム前)

(1) 地域住民の方々に対してのモデル薬局として「基準薬局」の構想をふまえてのサービス
(2) 面分業推進のための支援センターとしての研修の場
(3) 稀少薬品等を含む「薬品の備蓄センター」としての役割
(4) 会員はじめ地域住民の方々への「医薬品情報」の収集と提供
(5) 休日及び夜間の処方せん調剤と一般大衆薬の提供

等を目的として、今後会員諸兄の意見を集約し、且つ薬業界の将来を見つめながら、また、厚生省、福岡県薬務課、福岡市衛生局等行政の協力や指導を得ながらその準備を進めたいと考えます。

今後医療環境の変革は次々と行われ、その中での医薬分業の進展は医療人としての福岡市薬会員の自覚と相互研鎖によって得られるものであります。会員諸兄の自愛を祈念して。

(H4.9「巻頭言」より)

 

市学薬会長就任あいさつ (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

昭和31年6月29日櫛田会館において、福岡市学校薬剤師会発会式並びに辞令交付式が行われました。

役員には会長に友納英一、副会長に矢野憲太郎、柴田伊津郎の諸先生が選ばれ、小学校担当者50名、中学校担当者23名、合計73名の会員が、無報酬ながら学校保健活動に対する意欲と使命感に燃えてのスタートでした。この年の市薬会員数は200名。つまり3人に一人が学校薬剤師になっています。

その後36年たった現在多くの先生が引退され、或は亡くなられて、当初の会員で今も現役でいるのは土肥菩衛、松尾英輿、細井轍一の諸先生、それに私を入れて4名になってしまいました。

その最も古い会員の一人である私に学薬会長のお鉢が回ってきたのは、何かの因縁のような気もしますが、私としては「原点に帰れ」という意味だと受け止めています。またそれは、市薬会長としての責務だとも考えています。

なぜなら、学校薬判師の誕生とその組織作りに当っては薬剤師会挙げての努力と活動があったからです。

ここに古い話を持ち出したのは、現在学校数250校、会員数100名、36年前に比べると、学校側で3.4倍、これに対し会員数は1.4杯にしか増えていません。このことをよく認識して頂きたいと思っているからです。

さて、現在私達がおかれている状況は、医薬分業の進展とともに時間的制約を受け、十分な学薬活動が困難になりつつあります。

一方、学薬活動は学校内における環境衛生管理はもちろんのこと、学校を囲む地域を含めての水や大気汚染問題、或は、薬物乱用問題等幅広い活動が要求されています。

学校薬剤師による学校保健活動は、たとえそこに困難な問題があっても、公衆衛生活動の一環として、今後とも積極的に進めて行かねばなりません。薬剤師職能を発揮して地域に奉仕する。そしてそのことを対外的にアピールする。その結果が薬剤師の地位の向上につながってくるからです。

そのためには、ただ単に学薬内の問題としてではなく、市薬全体の問題として取り組んで行く必要があります。

市学薬は、両副会長をはじめとして、若い理事の方々が張り切って仕事を始めています。会員の方々にご協力をお願いして、ごあいさつといたします。

(福市学薬より 転載)

(H4.9「学薬のページ」より)

 

会報第50号によせて (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

秋ようやく老いて、秋探し。それを感じる間もなく、街には、早々と歳末のどよめきが聞こえる頃となりました。

会員の皆様方には、薬剤師生涯教育の研修会、処方せん応需のための協議や説明会、各区で開催された健康フェア、薬草観察会、そして各支部対抗ソフトボール大会等への参加で、休むひまもなく次々と行事に追われ、ひたすらご健闘されました。市薬へのご協力、心から感謝申し上げます。

さて、「市薬会報」は今回五十号発刊の節目を迎えまして、会員の皆様と共に限りない祝福をしたいと思っております。顧みますれば、昭和53年、当時の藤野義彦市薬会長により、始めて福岡市薬剤師会の会報誌が発刊されました。

それ以来、会員相互の融和を求めるサロンとして、また、情報交換、伝達の場として、多彩なエピソードを含みながらも、極めて有意義に活用された会報です。

会員諸兄からは、常に活発な意見が出され、その外にもエッセイ、旅行記、写真等バラエティーに富んでいます。また、編集に当たられた委員の方々の弛まぬ努力の積み重ねで、各界にわたる会員外の原稿も集められ、会報としての重みも出てきました。

その結果、今では会員はもとより、広く対外的にも「読まれる会報」、「楽しく待たれる会報」として発展しています。

いまここに、会報五十回目の節目に当って、多くの先達より発行され続けた会報の意義を再認識するとともに、それを糧として、さらに努力と工夫を重ね、今後の発展を計らねばなりません。

今後「市薬会報」の道しるべとして考えられますことは、

(1) 先達の志を受けついで、福岡市薬剤師会の品位ある会報として
(2) 会員相互の親睦をはかる場として
(3) 情報を、正確に且つ迅速に伝える場として
(4) 上部団体(日本薬剤師会、福岡県薬剤師全)及び行政当局からの指導、指示等の告知板として
(5) 身近な団体(福岡市医師会、福岡市歯科医師全等)の皆様との親睦の場として
(6) 最後に最も大切な事は

福岡市薬剤師会の進む方向を示すと共に、対外的に薬剤師会の活動をアピールする会報です。

以上会報発刊五十回目を迎えて、会報の編集を指示された歴代会長と、その編集に当られた役員、委員の諸兄に更に敬意を蓑しつつ会員の皆様方と共に、会報の更なる継続、発展、充実を祈念する所です。

(H4.11「巻頭言」より)

 

三鹿家先登虜舵倉錯賓 代議員会を終えて (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

4月24日に開催された第28回通常代議員会に於ては73名の出席者を得て、新正副議長大庭秀臣、樋口昌嗣両君の指揮により執行部提出の議案につきまして原案通り可決して頂きました。

九州大学病院、国立福岡中央、国立南福岡の各病院等広域病院の処方せん応需を始め、医薬分業の機運の高まる中で新年度の事業計画、予算等につきまして代議員諸兄より、多々御意見、御要望がありました事を程として、本年度一杯執行部全力をあげて努力する所存でございます。

時あたかも厚生省において「薬局業務運営ガイドライン」が策定され、薬局に対する行政指導の指針として実施される事になっております。

医薬分業の理念と位置づけがより明確化されるこのガイドラインは、本来の薬局の又薬剤師の姿を再確認する形での調剤を通して良質、適正な医療を提供し、地域医療に貢献する様求められています。

これに対応する具体的な業務、作業につきましては今後日薬、県薬の指導を待ち、又行政ともよく話し合って「薬局業務運営ガイドライン」を有効利用して、薬剤師会及び全員諸兄のより活性化を計りたいと考えております。

特にその中での地域医療に関連しては、福岡県、福岡県福岡地区とそれぞれ「地域保健医療計画」が策定されているのは御案内の通りですが、福岡市におきましてはそれらの整合性を図りながら福岡市独自の「福岡市地域保健医療計画」が策定される所であり、その中にあって私共医療人としての薬剤師として、医薬分業に際しては面により処方せんを応需して良質の医療提供を求められています。

地域(市民)への医薬品に関しての医療サービスの一環として福岡市薬剤師会が中心となり、

(1) 医薬品情報の提供
(2) 休日、夜間の薬品供給対応
(3) 医薬品の備蓄による処方せん応需への支援
(4) 在宅医療における薬剤師としての対応とその準備

等多々あげられており、福岡市行政当局に対しては、これらに対する薬剤師会の活動について、強力な指導と援助を頂く事になっております。

又、一方福岡県、厚生省に対しては福岡市薬剤師会として面分業推進のため、国の施策となる「医薬分業推進支援センターの施設・設備整備費の補助」の要旨にのっとって国、県への助成を申出ている所です。

現在福岡市の医療施設の現況は、

  一般診療所  1,019
  病   院   118
  歯科診療所   702
  薬   局   522   (福岡市衛生局統計年報平成2年12月による)

既存の薬局の分布状況では処方せん応需に不安が考えられます。面分業を前提として早急に処方せんを完全応需する薬局の適正配置が不可欠です。

専門職能団体として福岡市薬剤師会、会員の薬局が更に活性化される事をめざして前進したいと考えます。

(H5.5「巻頭言」より)

 

かかりつけ薬局の育成と会営薬局の意義 (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

「冬来たりなば春遠からじ」という言葉があるが、平成不況は未だに出口が見えない。その中での年明けとなった1994年。世相は政治も経済も波乱含みである。いずれにしても世は物・金の高度成長期から、ソフト充実の時代へと移ってきた。

薬剤師職能たっいても、市薬の組織運営においてもまたしかり。ソフト面、つまり内容の充実を問われるのが本年の課題であり、このことに組織を挙げて取り組まなければならない。その日的はただ一つ、「かかりつけ薬局」の育成にある。

そして、地域住民に対して啓発が必要であり、結果として認知されなければならない。このことを無くしては、調剤を主とする薬局も、OTCを主とする薬局も今後は生き残れない。

いうまでもないことであるが、「かかりつけ薬局」とは患者に投与される薬剤を総合的に管理する薬局のことであり、このためには医療に参加しなければできない。当然の帰結として、第三の医療といわれる在宅医療にも参加しなければならなくなる。

昨年通達された「薬局業務運営ガイドライン」は、結局ここまで行きつくことになり、今後、その締め付けは一段と厳しくなることを覚悟すべきだ。

さて、市薬の懸案事項であった「会営業局」が来たる3月には完成する運びとなり、4月から「福岡市薬剤師会薬局」という名称のもとに運営することになった。まずは会員諸兄と関係諸団体、諸機関に感謝申し上げたい。

運営内容は、国立福岡中央病院の処方せん応需、備蓄と研修による分業支援、在宅ケア支援、休日夜間調剤、OTCモデル薬局となっていて一大事業である。今後とも会員諸兄のご理解とご協力がなければ運営は不可能となるので、経費の面を含めて積極的なご支援をお願いしたい。

スタートするに当り是非申し上げておきたいことは、目薬の方針、厚生省の考えにもあるように、門前薬局は規制または排除の方向に進んでいる。従って当薬局も早晩門前薬局の機能を縮小または廃止することを考えておかなければならない。そうでなければ、「かかりつけ薬局」の育成とは逆行することになるからである。そのとき残る機能は、主として在宅ケア支援センターである。

県薬会報1月号で、田中慶司県保健環境部長は「医薬品の備蓄や休日夜間時の調剤を主とする医薬分業支援センターの設置について補助を行った」と述べている。

これが行政の認識であり、休日夜間の機能も充実させなければならない。そしてこの機能もまた在宅ケア支援事業につながり、ひいては「かかりつけ薬局」の支援に寄与する。会営業局の建設については、議論百出、異論もあったが、薬局を取り巻く環境が激変する中にあって、ここに述べたように今後の市薬事業の有益な拠点となることを信じている。

最後に、本年は役員改選の年である。会営薬局の建設に尽力していただいた現役員諸兄に感謝申し上げるとともに、次期執行部で運営される会営業局には、若い世代の意見を取り入れ、有意義な運営がなされるよう希望してごあいさつと致したい。

(H6.1「巻頭言」より)

 

オーストラリア・ニュージーランドにおける保健衛生の視察について (社)福岡市薬剤師会
会長 三津家正友

去る10月。10日間に亘り上記視察旅行に福岡市の要請をうけて参加した。以下にその報告を行う。

1. 日 程 平成5年10月2日〜10月11日

2.訪問地 オーストラリア(シドニー市、メルボルン市)
      ニュージーランド(オークランド市)

3.参加者 福岡市衛生局長               穂屋下信吾
      福岡市博多保健所長             神宮純江
      福岡市こども病院感染症センター感染病科部長 青木和信
      福岡市市民福祉サービス公社事務局長     小河泰久
      福岡市歯科医師会会長            中富憲次郎
      福岡市薬剤師会会長             三津家正友

4.目 的

 オーストラリアにおける、エイズ患者・HIV感染者の発症の現況と対策を視察し、福岡市におけるエイズの正しい知識の普及と医療機関の体制整備などエイズ対策の一層の推進を図るものである。

又、ニュージーランドは保健・医療・福祉が有機的に結びつき、社会福祉の統合化が最も進んだ国として知られている。本格的な高齢社会に向けて、ニュージーランドの市民参加型の福祉システムを調査し、福岡市における保健衛生の構築に役立てるものである。

5.所 感

 エイズ患者・HIV感染者は世界の国々において増加の一途をたどり、我国においてもHIV感染者の数が急増している。オーストラリアではエイズ患者・HIV感染者の新規発症数が減少傾向となっている。これはオーストラリアにおけるエイズ患者・HIV感染者の大部分(86%)を男性の同性愛者が占めているという事実を冷静に受け止め、これらの人々を排除することなく、又強制力を用いずに初期の段階より現実的対応を行って来たためである。

またその予防対策として1983年より統計分析を詳しく行い、その分析に基づきターゲットを同性愛と静脈薬物乱用の問題にしぼり、その対策をたてた。強制力に訴えるのではなく、自主的な動きを育てるよう政府が援助していく。

例えば男性同姓愛者を差別や偏見をもたずに受け入れ、これらのグループを医療従事者・政府関係者が同じテーブルで話し合い、同性愛グループに対して援助の手をさしのべる。又、同性愛グループの中で教育カウンセリングを行うなどである。

我国とは背景は異なるが、疫学統計の重要性、HIVの検査を受ける人を信頼し、差別しないこと。青少年の教育が必要であると痛感させられた。

ニュージーランドにおいては、保健・医療の再編成が行われている状況の中、福祉システムについては、従来の施設福祉から在宅福祉への切り替えがはかられている。

公的なサービスとボランティア活動が有機的に連携し、地域の中で普通の生活をという、いわゆるノーマライゼーションの理念を実現するための努力が払われていた。

主な訪問先は次の通りであった。

(1) オーストラリア
  ○ セントビンセント病院(ニューサウス・ウェールズ州立)
  ○ フェアフィールド病院(ビクトリア州立感染症専門病院)
  ○ ニューサウス・ウェールズ州保健省エイズ対策課)
  ○ ビクトリア州地域保健サービス局
  ○ エイズ基金
  ○ ビクトリアエイズ委員会
  ○ HIV感染者生きがいセンター
(2) ニュージーランド
  ○ オークランド市役所
  ○ エイズ基金
  ○ マンガレ精神病院
  ○ ウィルソンホーム
  ○ ノースヘルス

以上10日間に亘るオーストラリア・ニュージーランドにおけるエイズの問題と高齢者福祉について、所感を交えつつ簡単に報告を行った。

(H6・1「広報」より)

[広報]

会議報告

【理事会】

日 時
平成10年7月15日(水)

議 事

1.会長挨拶

2.報告事項
(1) 会務報告
(2) 委員会報告

3.協議事項
(1) 代議員会における問題点について
   (土曜休日の件など)
(2) 試験センターの運営について(再確認)
(3) 三津家先生叙勲祝賀会について

【支部長会】

日 時
平成10年6月10日(水)

議 事

1.会長挨拶

 26日は決算代議員会です。付議事項を検討する時間が欲しいのでもう少し早く配って欲しいという要望に答えて、監査済みの資料を配ります。分かり易い報告書という事で作りました。

 6月23日に吉村剛太郎参議院選の決起大会があります。薬剤師会の割り当ては400人です。各支部のご協力をお願いします。

 組織担当の常務理事は井上嘉明先生に決まりました。代議員会が終りましたら新しい体制で動きはじめます。

2.報告事項

3.協議事項
(1) 決算代議員会の事業報告
 ・決算の説明
 ・付議事項を早く出して欲しいとの要望に応えてゲラ刷りを送る。
(2) 市代議員の選出
(3) 夏休みの福大見学実習生受け入れ薬局のリストの作成
 ・受け入れ人員は26名で3日間 調剤とOTC薬の両方をしている薬局

(M)

日 時
平成10年8月10日(月)

議 事

1.会長挨拶

 暑い日が続いておりますが、皆さん夏ばてしないように頑張っていただきたいと思います。

 今日のテーマでメインになるのは「かかりつけ薬局の育成」ですが、皆さんにいろいろとお聞きしたいと思います。医薬品の供給など大切な事だと考えております。

 また、三津家先生の祝賀会は盛大に行なわれ、ありがとうございました。

2.報告事項
(1) 委員会報告(委員会報告参照)
(2) 三津家正友先生叙勲祝賀会の報告
(3) 介護認定審査会委員について
    原田理事・木原(在宅委員) 薬剤師定員2名
(4) かかりつけ薬局特別委員会の設置
   「かかりつけ薬局の育成」については全組織を挙げて取り組みたいので、
   特別委員会を設置し横のつながりを協力にしていきたい。
   承認され理事会へ諮る。
(5) 分業推逸ステッカーと広告について
(6) その他
   5月に薬務課より定款申請の回答があり組織より
   定款委員会を復活させたい意向があった。

3.協議事項
(1) 支部補助金のあり方について
   収入の10%を支部に、人数割り・均等割りの両方を加味して振り分けてきているが
   各支部の現状、見解はさまざまである。現状維持の方向で考える。

(上村)

委員会報告

【市薬薬局委員会】

日 時
平成10年6月11日(木)

議 事
○市薬薬局5月分業務報告
 先月、昨年度との比較
○研修生、学生実習予定
○CPU( コンピューター) の件
 CPU新機種導入に伴い、日常業務の見直し等をはかる
○緑化協定の件
 業者に下見をしてもらったので、見積もりの連絡が、藤田常務理事にはいる予定
○九大オーダリングの件
 全体テストを行い、6/22より施行予定
 全体テストには理事も立ち会う予定

日 時
平成10年7月7日(火)

議 事
○市薬薬局6月分業務報告
 4月分業績とほぼ横ばい
○CPU切り替え
 ・7月中に切り替えし、8月よりバージョン3にて業務開始
 ・薬剤情報については、藤田常務理事を含め、話し合う
○学生実習予定
 ・7月21日より9月中旬まで25名の予定
 ・九大などの大学へ実習依頼書を書く様に光安副会長が医療センター牛島副科長と話し合う
○緑化協定の件
 シルバー人材派遣に依頼
○お盆の対応について
 お盆の開局状況を早めに把握する
○見積もりの件
 ・10月の見積もりは行わず、8月に全薬品の見積もりを行う
 ・価格交渉は執行部にて行う
 ・MSの職能を考慮した上で、落札業者を薬局長権限にて変更可能とする
 ・以後、年に2回、半期毎に見積もりを行う
○九大オーダリング報告

 

【薬局委員会】

日 時
平成10年6月24日(水)

議 事
○薬局製剤研修会
 薬局製剤について、アンケートをとった結果、継続希望が多かったので、
 9月から隔月毎に6回はどする予定。
 今回から製剤の市薬薬局委員会確認試験も手がける予定。
○あいれふ薬草観察会
 10月11日(日)に決定。観察場所は8月末までに市に報告。
 尚、会員のための薬草観察会は9月27日(日)を予定。
 〔ケアマネージャーの試験にかかるようなら10月4日(日)を予定〕
○薬物乱用防止キャンペーン
 大丸デパート前(エルガーラパサージュ広場)
 7月10日、7月11日の2日間行われるが、本日詳細について市福祉局とうち合わせた。
 市薬局委・学薬と合同で、薬の相談他、薬用茶3種、薬用酒2種の試飲コーナーも設置して
 市民の相談にあたる。
○みずむし等用薬の添付文書の件
 平成10年5月15日、厚生省医薬安全局長通知
 「みずむし・たむし用薬の製造(輸入)承認事項」の取扱いについて通知
 (添付文書に記載する使用上の注意について)があった。

日 時
平成10年7月22日(水)

議 事
○あいれふ薬草観察会について
 観察場所:三日月山 長谷ダム周辺と決定
 ・8/2(日)、薬局委員、あいれふ藤崎、冷川、有馬、岡村、計8〜10名で下見予定。
 ・9/13(日)薬剤師会員の観察会のバーベキューは、業者にたのむ予定(1人2500円?)
  会費2000円で毛利理事が交渉中。
○薬局製剤について
 ・まず研修会員を募集。(我々薬局委員をいれて28名くらいを予定)
 ・開始日は、H10年11月、H11年1月・3月・5月・7月・9月・11月、
 H12年1月・3月の9回を予定。そのうち5月(H11)、3月(H12)は確認試験とする。
 第4土曜日PM5時〜8時に責任者、国武、行実で品目、会費9回分(実費)で実施予定。
○7月10・11日開催された麻薬撲滅キャンペーンの反省
 ・市薬剤師会の名称を市発行パンフレットの中に明記してほしいとの要望が、
 市福祉局檜垣氏に申し入れられた由。

 

【在宅委員会】

日 時
平成10年6月12日(金)

議 事
○6/12 研修会並びに反省会
○今後の計画
 7/10 模擬テスト予定

日 時
平成10年7月10日(金)

議 事
○7/10 模擬テストの反省
○ケアマネージャー試験の情報の伝達について
○次回テストの日程

 

【社保・分推委員】

日 時
平成10年7月13日(月)

議 事
○逓信病院 薬剤部長 藤井先生講演
 ・院外処方箋発行と員数問題について
○今後の処方検討会について
 ・名前の変更“処方説明会”
 ・当日の質問の仕方について
○広域病院 盆休みの薬局対応について

 

【組織委員会】

日 時
平成10年7月6日(月)

議 事
○H9年度事業報告、代議員会報告
○H10年度事業計画
 ・ソフトボール大会、ボウリング大会について
 ・会員名簿作成について (県薬の情報を参考とする)
 ・各支部の部会活動、費用弁償などの情報収集

 

【学術委員会】

日 時
平成10年7月17日(金)

議 事
○7月 学術研修会の反省
 ・脳卒中から最近のプリオン痛及パーキンソン病の講演であった
 ・患者だけでなく、身の回りの家族の事もあり、非常に好評であった
○8月 薬物療法研究会の打合せ
 ・8月18日(火)17:00
 ・「在宅における痺痛管理」と題して、シオノギ製薬の松本禎之先生に講演を依頼した。
○平成10年度 薬局実務研修会について
 ・研修会のご案内を市薬ジャーナル7月号、
  県薬会報7月号・8月号に記載した女子薬の総会でも説明してもらった

 

【広報委員会】

日 時
平成10年6月16日(火)

議 事
○市薬ジャーナル7月号
 ・第1校正、編集 その(1)
 ・追加原稿、写真を加えてレイアウトやり直し

日 時
平成10年6月17日(水)

議 事
○市薬ジャーナル7月号
 ・第1校正、編集 その(2)
 ・写真の挿入位置・レイアウトについて
 ・学術委員会“トピックス”中カロチンは独語読みの為、英語のカロテンを採用、アルファベットを入れて説明に代える
 ・第69回総会議事録は組み直してよりわかりやすくした
 ・各支部会の報告は早良支部に紙面を割いた形になったが、各支部の持ち味としてそのまま掲載に決定
 ・足利学校潤徳斉先生の文は、ルビをふって煩雑さを取る
 ・今年度も、今まで以上に見やすく、会員にアピールする紙面づくりに努めることで全員一致。
次回、レイアウト写真も入れた紙面で更に校正することに

日 時
平成10年6月30日(火)

議 事
○「ジャーナル」7月号 2校
 ・今回は代議員会報告があり、100ページをこえる
 ・全体の構成を大幅にさし変え、読みやすく、メリハリをつけた
 ・新しく加わった方の意見が新鮮
○表紙の写真の選択
 ・写真とカラーを決める
○澤田先生の原稿依頼の確認
 ・鮫島先生に担当になっていただく
○編集後記を集める

日 時
平成10年7月7日(火)

議 事
○市薬ジャーナル7月号
 ・第3校正、編集(今号は100頁を超えるので第3校正まで全員で細かく見てゆく)
○近いうちに“専務の一日”を紹介して欲しいとの要望有り(合澤副会長より)
○本日より森山健次郎先生(城南支部)に加わって頂き、大まかにジャーナル作成の流れを説明。
 これで全支部広報委員が出揃い、又、新たな気分でやって行ければと思う。
 “皆様、大変だとは思いますが更なる充実のため、御協力下さい”

支部だより

〔東〕

〜 総会報告〜

日 時 平成10年7月11日(土)19時より
場 所 リーセントホテル福岡
出席者 22名 来賓5名

 中野(達)先生の司会で進行しました。藤野会長・藤原市薬会長・来賓各位のご挨拶に続き役員改選、新役員紹介、篠崎先生による乾杯がありました。

役  員
 会   長:伊東 美穂(オーケイ薬局)
 副 会 長:吉村きく子(高又薬局)
      :中野 達也(くすりのナカノ)
 会   計:馬場 正佳(馬場薬局 貝塚ガーデンシティ店)
 薬   局:津崎  宏(松崎調剤薬局)
 社保・分推:楠本 哲也(八田調剤薬局)
       伊藤 一郎(フラワー調剤薬局)
 在   宅:原口 恵子(瑠璃薬局)
 組   織:吉村きく子(高又薬局)
 広   報:伊東 美穂(オーケイ薬局)
 監   事:井原 俊一(和白薬局) 

部会長
 和白部会:中野 偉功(ひまわり薬局)
 香椎部会:荒木 雅広(松仙堂薬局)
 名島部会:中野 達也(くすりのナカノ)
 箱崎部会:馬場 智弘(箱崎薬局)
 馬出部会:篠崎正十郎(篠崎薬局)


〜役 員 会〜

日 時 平成10年7月17日(金)19時より
場 所 リーセントホテル
出席者 伊東・吉村・中野・馬場・伊藤・楠本・津崎・原口
    藤野県薬常務理事、田中市薬常務理事

 藤野先生より薬局を取り巻く状況、田中先生よりケアマネージャー試験を含む在宅関連のお話を聞いたのち議事に入った。

議 事
(1) 社保・分推(楠本)
   ・東支部での処方説明会をどのようにするか。
   ・委員をもう一人選出する。
(2) 薬局(津崎)
   ・健康フェアは10/9の10時〜3時で薬草を中心に工夫する。
(3) 組織(伊藤)
   ・三節会ゴルフコンペは今年は薬剤師会の当番。
    コースの予約等、藤野先生にお願いする。
(4) 在宅(原口)
   ・ケアマネージャー試験対策の支部の勉強会は
    8/6東市民センターでする。講師は田中先生。

(支部長 伊東美穂)

 

〔城南〕

〜 支部総会〜

日 時 平成10年5月9日(土)7時〜
場 所 市薬第1会議室

 市薬第一会議室にて平成10年度城南支部総会、及び懇親会が開催されました。(出席者24名、委任状11通)ご来賓として入江専務理事に出席して頂きました。

 総会資料に沿って議事進行を行ない、報告事項及び議案など審議され、賛成可決されました。中でも役員改選では満場一致で松島先生の支部長2期目の継続となり、以下役員が決まりました。

 本年度の目標もこれまでの延長線上にて、更に充実させる事となりました。

 内には組織づくりを、外には外から見えるガラスばりの薬剤師活動の充実を。この環境激変の中、共に協力しあって乗り越えていきましょう。と支部長就任の声かけがありました。

 そのあと気分も新たに魚辰にて懇親会を行ないました。新規入会の先生方のお顔も見られ、自己紹介などなごやかな会となりました。

 なお、昨年度中に3薬局退会されました。

 前田先生(弓の馬場調剤)、浦野先生(昭和薬局)これまでのご指導に対し感謝し、更なるご発展をお祈り致します。

 高木先生(3月にご逝去 城南調剤)ご冥福をお祈り致します。

  支 部 長:松島 照幸
  副支部長:合澤 英夫・坂田 博子
  監  事:大隈 治入
  社保委員:瀬尾  隆・山本 和宏
  組織委員:東  健一
  在宅委員:原田美代子
  薬局委員:満生 清士
  広報委員:森山健次郎

(副支部長 坂田博子)


〜第1回城南区三師会ゴルフコンペ〜

日 時 平成10年5月25日(日)
場 所 フジカントリークラブ(佐賀)
参加者 20名

 城南区三師会の親睦を深める目的で、第1回城南区三師会ゴルフコンペが開催されました。薬剤師会より5名参加し、緊張感の中にも和気あいあいと有意義な1日を過ごしました。成績としては歯科医師会が上位を占めました。

(組織 東健一)


〜〜講 演 会〜

「身近な薬草と薬の飲み方」 松島照幸先生
日 時 平成10年5月29日(金)10時〜
場 所 片江公民館

 片江公民館での「熟年大学」の定例会に招かれて約1時間講演されました。オオバコ、イノコズチなど主柱近隣で見かけることの多い薬草のスライド30枚ほどを使い名前の由来やその効能、使い方など分り易い解説でした。

 又漢方薬と民間薬の違い、薬の飲み方、かかりつけ薬局の話と進み、最後に質問を受けました。

 60〜80才と思われる男女約50名ほどの出席でした。早くから会場は一杯となり元気の良い熟年パワーを感じました。熱心にメモを取られたり、質問も時間があれば何時まででもと思えるほどです。

 会場の雰囲気に「外から見える薬剤師活動」その思いは私達、こちらからの一方通行ではないことを感じました。城南区には公民館数11、このような講演の機会が与えられたことに感謝しつつ、会を重ねていきたいと思います。

(副支部長 坂田博子)


〜城南支部夏季親睦会〜

日 時 平成10年8月8日(土)18:30〜
場 所 ホテルクリオコート博多ビアガーデン

 恒例の夏季親睦会が今年はビアガーデンで行なわれました。参加者は12薬局27名に、ご来賓として入江専務理事、井上常務理事の2名を招いて計29名。

 ビアガーデンにしては珍しく和風座敷で、落ち着いた雰囲気でしたが、そんなの関係なし。城南親睦会は一気に盛り上がりました。

 遅れて来る先生方が席に着く度に、みんなで「乾杯、乾杯」と大騒ぎ。心あたたまる親睦会でした。

(広報 森山健次郎)

 

〔中央〕

〜天神部会開催〜

日 時 平成10年6月17日(水)
場 所 滝の茶屋(城山ホテル)
参 加 17名

[来賓]梅末(支部長)、稲員(市議)、鮫島(広報)

 中央支部として本年度の基本方針の一つに、部会間の交流強化を上げております。他支部と比較して中央支部は、店舗数の多い事や、チェーン店が多い事で勤務薬剤師の比率が高いこと、又若い薬剤師の多い事等の理由により、今まで必ずしも部会の交流が盛んとはいえなかったようです。

 しかし、今日、三師会の関係強化や広域基幹病院の面分業の流れの対策として、少なからず会員間の団結が重要になってくるでしょう。そこで中央支部としては、まず部会単位でいっしょに、ご飯を食べ酒を酌み交わすという身近な事からやろうということになりました。

 今回は、いつもおなじみの先生方に加え、若い勤務薬剤師の先生も多数参加されて、老若男女入り交じっての宴になりました。部会長になって間もない私は、心細く、梅未支部長をお誘いし、中央支部の本年度事業計画(活動方針)を説明していただきました。

 最初は少し硬いムードでしたが、宴が進むにつれ徐々に和やかになり、各々席を離れ、酌を交わし、あちこちに笑い声が上がり盛り上がってきたところに、仲居さんの『もうそろそろ閉店です』の声でお開きになりましたが、半数の先生方はそのまま二次会へ流れました。

 又、当日、梅未支部長のお薦めにより、中央支部推薦の稲員大三郎市議をお誘いしました。ご多忙中にも関わらず、二次会まで参加して頂き、ほとんど全員の先生方とじっくり会談されていたようです。

 稲員氏によると『中央支部の推薦を受けてまだ間もないので、薬剤師というもの薬局というもの薬剤師会というものが、まだよく把握できてないが、会員の先生方とゆっくりひざを突き合わせて話をすることにより、色々と情報を得ることができた』とのことです。

 中央支部では、7〜8月中にすべての部会を行うことになっています。稲員氏も要望があれば、すべての部会に参加したいとのことでした。より多くの方と話をして頂き、薬剤師の主張、活動、問題、課題を理解して頂き、ぜひ力を貸して頂きたいと思います。

 話はそれますが、中央支部の本年度事業計画の一つに、薬局委員の強化が挙げられております。健康フェアの活動に代表されるように、広く、一般の方に薬剤師会及び薬剤師職能を、もっと活発にPRしていくことが、今後ますます重要になっていくようです。

 そこで中央支部としては、各部会から一名ずつ委員を選出し、国武先生(中央区薬局委員)を中心に中央区薬局委員を組織化することになりました。天神部会は、当日部会に新入会員として参加された長谷川先生(双和薬局アクロス店)が引き受けて下さいました。

(天神部会長 田中泰三)


〜大名・警固合同部会開催〜

日 時 平成10年7月14日 夜7時より
場 所 天神3丁目「博多魚村」
参加者
 ○大名部会
  アガペ薬局天神:2名 そうごう薬局 :5名
  新日本薬局  :2名 薬局白十字  :3名
  大賀薬局   :3名 舞鶴薬局   :1名
 ○警固部会
  ハロー薬局  :1名 勢島薬局薬院 :1名
  永寿堂薬局  :1名 裕生堂赤坂  :1名
  赤坂薬局   :3名 桜坂薬局   :1名
  上人橋薬局  :1名 パール薬局  :2名
  フジタ薬局  :1名 小野薬局   :1名    以上 29名
 来 賓 梅末中央支部長、下瀬中央支部専務、稲員市議会議員
 以上 合計 32名

 梅末中央支部長のあいさつに始まり、小野警固部会長(県薬・専務)より今後の薬局のあり方等、日薬、厚生省の動向を混じえ有意義な発表あり。

 中野先生(中央支部監事)の乾杯の音頭に始まり宴会に入る。稲員市議より薬剤師会への力強いお言葉を頂き感謝。また各薬局紹介の後、下瀬先生より介護保険等関連事項の報告あり。最後に大賀薬局社長大賀先生の万才三唱でなごやかに閉会する。

(大名部会長 平島公彦)

 

〔早良〕


〜早良区薬剤師会 役員会〜

日 時 平成10年8月6日 19:30〜
場 所 「馳走亭」 南庄2丁目
出席者 本村・清水・有馬・上村・北・行実・福岡・片山・村岡・藤永・坂口・前田・西岡
    (13名)

議 題
1.ソフトボール大会
 場 所:武田薬品グラウンド
 日 時:10月18日
2.健康フェアー
 場 所:早良保健所
 日 時:10月15日
 前日(10/14)午後より準備
3.薬草観察会
 場 所:坊主ヶ滝
 日 時:9月27日
 講 師:有馬・本村(2)・清水・行実・上村・西岡(2)
 出席者:前田・北・藤永(2)・坂口・村岡(一般参加者(50名)は四箇田小学校校庭集合)
 9月20日 下見10:30集合(千石荘)
 9月27日 9:00集合(千石荘)
4.三師会
 薬剤師会の当番
 場 所:福寿飯店
 日 時:9月18日 19:00
  ・受付 (藤永・上村・村岡)18:30集合
  ・名札作成(上村)
  ・席順(くじ)
  ・司会(福岡)

(書記 西岡啓子)

 

〔南〕

第21回南支部の定期総会を開催しました。多数の会員の出席が会に対する関心の深さを物語っていると思います。会員の為のメリットを考えながら、支部活動を続けて行きたいと思っています。

今年度も又、地域の住民のために、保健、医療、福祉の連携を中心に事業を進めていく積もりです。

第21回 定期総会

日 時 平成10年6月13日(土)17時
場 所 「清水苑」

【総会式次第】  司会 専務 井上嘉明
 1.開会のことば  副支部長 吉田邦夫
 2.支部長挨拶   支部長 末田順子
 3.議 事     専務 井上嘉明
   報告第1号 平成9年度 支部運営事業報告
   報告第2号 平成10年度 市薬代議員会報告
   議案第1号 平成9年度 決算承認の件 監査報告
   議案第2号 平成10年度 事業計画の件
 4.閉会のことば

【懇親会】          18時より
 1.開会のことば
 2.来賓紹介
   福岡市薬剤師会  会長 藤原良春
   南区医師会    理事 山崎節
   南区歯科医師会  会長 山本俊三郎
   南 保 健 所  所長 横田清
   衆議院議員山崎拓事務所 秘書 西村俊隆
   県議会議員 高山久男
   市議会議員 国分節雄
   (敬称略)
 3.乾 杯
 4.懇 談
 5.閉会のことば

【平成10年度会務並びに事業報告】
 1.一般会務報告
  会員数
   平成9年3月末現在 86名(A会員)
   平成10年3月末現在 88名(A会員)
  部会数 5部会
  部会長
   長住部会:成田純六郎
   高宮部会:柴山正典
   野間部会:岩佐周一郎
   大橋部会:毛利久美子
   井尻部会:冨田裕子
  平成9年新入会者
   井尻部会:笹原薬局 山崎直子
   大橋部会:いずみ薬局 清水邦博
   野間部会:裕生堂薬局花畑店 塚田 征二
   長住部会:あおぞら薬局 森禎宏
   井尻部会:コクミンドラッグ井尻店 川上孝幸
   大橋部会:佐野調剤薬局 佐野彰
   高宮部会:メガ調剤薬局 女賀信子
  平成9年退会者
   井尻部会:いじり薬局 堺裕子
   高宮部会:真和薬局 寺田早苗
   井尻部会:西日本薬品井尻店 坂口昇
   井尻部会:マルキョウ響弥郷店 長田成弘
   大橋部会:セガミ薬品 瀬上修
   野間部会:ヒヨシ薬局 日吉益己
  役員紹介
   会 長:未田順子
   副会長:吉田邦夫
   専 務:井上嘉明
   会 計:具嶋圭次
   監 査:中島英之

【委員会報告】
 組織委員会 松浦秀紀
  H10 1/15 ボウリング大会
  H9 10/19 ソフトボール大会
     11/9 三師会ソフトボール大会
 薬局委員会 東千鶴
  H9 10/5 南区薬草観察会
     10/8 南区健康フェア
 社保・分推委員会 荒木みどり
  処方検討会(アミカス)
  H9 5/14 九州医療センター呼吸器内科
     6/20         泌尿器科
     7/18         循環器内科
     8/20         消化器内科
     11/21 「知って得する訪問薬剤管理」
         ビデオ研修
         介護保険について
 医薬研究会「みなみ」(国立南福岡病院)
  H10 1/12 小児喘息 大人の肺気腫
     2/9 花粉症
     3/9 アトピー性皮膚炎
 在宅委員会 柴山正典
  H9 5/22 日薬モデル事業「在宅医療における薬剤使用の実態調査」報告
         東京 弥生会館
  H9 8/22 日薬モデル事業「在宅医療における薬剤使用の実態調査」報告
         アミカス
  H10 3/31 日薬モデル事業「在宅介護支援相談薬局」
         在宅介護支援センターへの相談協力員
         街角相談薬局としての機能

【会  議】
 南区保健、医療、福祉在宅委員会 アミカス
  H9 5/19 7/7 9/8 11/10 2/25 3/12
 南区健康づくり会議 公民館前にて 地域薬剤師で対応
  5/20長丘 6/5大池 6/20東若久 7/4大楠 9/19弥永西 10/24野多目
 南区医師会演芸大会 10/19 寸劇「知って得する訪問薬剤管理」南市民センター
 視察研修依頼 11/6 上越市助役 新潟薬剤師会上越支部
 薬の正しい飲み方講座 公民館
  5/23東花畑 11/16大池 6/19長丘 11/18筑紫丘 6/21若久 6/27弥永
 事業計画
  1.支部ならびに部会活動の活性化
  2.医薬分業の推進、支援
    日赤病院
    九州中央病院 面での対応
   三師会、保健所、福祉との連携強化
   地域住民団体との積極的交流
   在宅医療供給業務の推進
   公的介護保険への対応
   デッドストック情報の強化
 平成10年度新年度 役員紹介
  会 長:末田順子
  副会長:吉田邦夫
  専 務:井上嘉明
  会 計:具嶋圭次
  監 査:木村英樹
 委 員
  薬局委員:東千鶴
  組織委員:松浦秀紀
  社保委員:荒木みどり
  在宅委員:熊沢正浩
  広報委員:戸田昭洋
 部会長
  長住部会:山口淑子
  高宮部会:柴山正典
  野間部会:岩佐周一郎
  大橋部会:城戸加寿子
  井尻部会:角野健身

(南支部長 末田順子)

シルバー健康教室

 7/7 高木公民館の“シルバー健康教室”において“薬との上手なつき合い方”をテーマに話をしました。42名出席、60才〜80才位の高齢者がほとんどです。

 まず、「どんな種類の薬を服用しているか」又、「何種類の薬を服用しているか」を、聞いてみました。

 循環器用薬14名  白内障治療剤15名
 骨粗紫症薬10名  アレルギー用薬4名
 消化器用薬10名  精神神経用薬4名

種類については
 2種類 2名  5種類 3名
 3種類 8名  6種類 6名
 4種類 4名  7種類 3名

 持参の薬を見せながら、服用の多い薬から順に、服用上の注意を重点にして話をすすめました。

質問として
 ・降圧剤はやめられないのかりJ、児用バファリンの使う意味と量について
 ・健康食晶も含め、体によいと聞いたらついついふやしてしまい、
  どう整理してよいか分らない。
 ・どこに持って行けば整理してもらえるのか。

が、出ました。

 まさに我々薬剤師のかかりつけ薬局の出番だと、“かかりつけ医”と共に、身近なところに相談の場があることを強調して終りました。

(毛利久美子)

【支部訪問】おじゃましま〜す!

南区編〜南区薬剤師会総会にて〜

南支部の総会は「清水苑」で開かれた。やはり南支部の特徴というのは、三師会の太いパイプを感じさせる。来賓も県議、市議のみではなく、医師会・歯科医師会・保健所長が出席されており、対外活動にいかに精力を注ぎ込んで取り組んでいるか分かる。

末田支部長の挨拶では「地域の方が薬剤師に何を求めているかを考え、調剤室から外へ出て、広く活動していかなければならない」とあり、三師会の活動や公民館活動は他支部に比べて群を抜いているのではないかと思われる。

残念ながら予算が少なく、総会の質疑では今年は市薬の協力を是非とも、もっと頂きたいとの大庭先生の質問もあった。

国立南福岡病院の協力による医薬研究会「みなみ」は病院の特殊性もあり、情報提供を行なう上でも、大事な研究会だとの位置づけで、今後も続けていきたい旨の事業計画もあった。

国立南福岡病院の院外処方箋も増えてきており、医薬分業はいかにコミュニケーションが大事であるかが伺える。役員の先生方の地道なご努力が、少しずつ実を結んでいっているのだなと思った。

(上村義徳)

「医薬研究会みなみ」〜南福岡病院の処方を勉強する会を取材して(7/13)〜

午後7時過ぎラッシュをくぐりぬけてやっと南病院に着いた。今までの通りの喧騒が別世界の様に、夕方の光の中にゆったりとした空間があった。正面玄関を入ると右手に案内の張り紙があった。末田先生に聞いた通りだ。

目的地は3階の会議室、分かり易いとはとても言えないがどうにか着いた。すでに勉強会は始まっていて、室内は暗かったが満員だ。

この勉強会は医薬分業に熱心な西間院長、鶴谷副院長、村田薬局長の全面的な協力により始まり、講師は毎回南病院の医師が受け持っておられると聞いている。どうしたら、このようないい関係ができるのか興味をひかれた。

処方箋応需薬局にとって処方医の話が聞けるのはとても大事だ。処方箋一枚で病名も判らず、処方医の治療方針は知る術もない。手探りの状態での服薬指導には当然限界がある。このような勉強会で直々に処方医より講義を受け、質疑応答し、処方内容への理解が深まれば、患者さんへの服薬指導は的確なものになるだろう。

今日は「成人における気管支炎・肺炎などの感染症について」で抗生物質・抗菌剤などの使い方が話題になっていた。出席者は40会名。南病院の処方箋応需薬局のほぼ全員に近い方が参加されていると言うことだ。主催者と参加者が一体となった充実した羨ましい勉強会だ。 

   

(伊東美穂)

聴覚障害者に薬局のFAXを開放福岡市薬が関係者に利用呼びかけ

福岡市薬剤師会(藤原良春会長)は、3月から、聴覚障害者の連絡用に薬局のファックスを利用してもらう試みをスタートさせた。現在、会員594薬局中70薬局が実施している。市内では、百貨店などがこうした公衆ファックスサービスを実施しているが、薬局で行うのは全国的にも珍しいケース。

聴覚障害者にとって公衆ファックスが重要であることを知った福岡市薬では、以前から福岡市などにボランティアの申し入れを行っていた。ことし3月、在宅介護支援センターへの橋渡しをする在宅介護相談薬局のモデル事業を実施することとなり、その際、並行してファックスの利用を呼びかけることとなった。

現在、日薬が作成した在宅介護相談薬局のポスターの下部に、「聴覚障害者用緊急FAX取扱店」と書いた紙を張り、利用を呼びかけている。1回あたりのファックス使用料は20円。

光安龍彦副会長は、「薬剤師も福祉の世界に積極的に関わっていくことが重要。地域に根ざした薬局になるためには、こうしたサービスに取り組んでいくこと」と語る。いずれは、薬袋への点字表記などサービスを広げていくことも考えているという。

(卸薬業Vol.22Na7(1998))

【学薬のページ】第3回学薬理事会

日 時 平成10年6月18日(木)午後7:30

協議事項

1.全国一斉調査「プールについて」
 ・回収日9/10必着
 ・学校印はゴム印、アンケートは鉛筆にて記入。
2.薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ヤング街頭キャンペーン参加
 ・6月28日(福岡県薬務課主催)三越ライオン広場 会長以下8名参加
 ・7月10・11日(福岡市保健福祉局主催)
   エルガーラバサージュ広場 薬局委員と合同参加し学薬8名動員。
   ビラ配り、薬用茶等を市民希望者へ提供。
3.福岡市学校保健委員会11月26日
 ・福岡市薬剤師会会長賞絵画選考(絵画ポスター)9月中旬に行う。
4.薬物乱用防止のスライドを作ろう

【薬連のページ】祝 当 選

 

当 選 御 礼

謹啓

時下益々御清栄の事と存じ上げます。

このたびの第18回参議院議員通常選挙に際しましては、貴会のご推薦と並々ならぬご支援により、無事再選を果たす事が出来ました。心より御礼を申し上げます。

但し、全国的には我が自民党は大敗を喫しました。要因は、先が見えない経済状況が背景にあったと思いますが、自民党の政策全般、また体質等に国民感覚と隔たりがあったものと、この結果を真撃に受け止めている処であります。今後はこの敗戦を糧とし、党再生へ向けて努力していく所存であります。

扨、我々は、日々の生活の中で、医薬品との関係は密接なものがあります。それだけに医薬品に対する関心は非常に高いものがあります。しかしながら医療や医薬品に縁遠い一般大衆は、とかく科学的根拠のない言い伝えや、噂、また過度の商業主義にのっとった宣伝などに迷わされがちです。

また、最近起きた和歌山や新潟の毒物混入事件のように保管や悪意の使用など一歩間違えば人命に係るだけに他人事とは思えません。

医薬分業は着実に進展しつつあります。医薬品の適正な使用を図るうえで薬剤師の果たす役割は極めて重要であると思います。その点、業界として常に研鎌を心がけレベルアップに努められている事に敬意を表します。

どうか、医師、歯科医師、看護婦など医療関係者と連携のもと国民に良質で適切な医療の提供に御尽力頂きたいと思います。皆様のご健勝をご祈念申し上げます。

参議院議員 吉村剛太郎

 

第18回参議院選挙において自民党は予測をはるかに超える惨敗に終わった。その中で我々が推薦して吉村剛太郎氏が当選を果たされたことは誠によろこぼしい限りである。

今後は薬剤師問題議員懇談会にも是非参加して頂き活躍願いたい。尚、支部長・部会長・連盟所属の薬剤師各位には大変御苦労をお掛けした。お礼を申し上げる。

福岡市薬剤師連盟会長 藤原良春

 

うちの看板娘(No.9)

森川誠心堂薬局本店編

森川誠心堂薬局に勤めだして、1年以上が過ぎ、なんとかひととおりの仕事がこなせるようになってきました。卒業したてでまったく何もわからない状態だったので、覚える事がいっぱいで、あっという間だった気がします。

自宅から自転車で通える距離にあるので通勤の点ではすごく楽させてもらってますが、雨の日でも自転車で出勤することがあるので、薬局の皆にはだいぶんあきれられてます。

以前は手あたりしだいに本を読んだり、映画を見に行くのが好きだったんですが最近はすぐに眠くなるので困っています。今は新しい趣味をさがしているところです。

薬剤師 西 野 美 樹

《社員一同より??》

入社当時2メートル弱あった背丈も今では、平均以上に落ち着いてきました。自転車競争では負けません。社内ボウリング大会では、16号ボールも楽勝で投げられます。平均スコア200オーバーです。このような彼女ですが、暖かく見守ってあげたいです。

P.S.彼女は僕がトイレに行っているスキに、サクサクッと逃げて帰りました。(飲み会にて)

《広報より》

今度は《社員一同より》のコメントを書いて下さった方を、ぜひ取材してみたいと思います。その節はどうぞ宜しくお手やわらかにお願いします。

お知らせのコーナー

文芸

中医略史(12)

孝の道

「あなたがそのように精神的に弱い人だとは知りませんでした」叔母は声を荒立てていった。

「病に負けてどうするのです。書経といわれるほど書物を読んで、今では武帝より官職につくよう何度も使いの方が来ています。それほどの評価を戴きながら病で自害しようとは、あまりにも情けありません。あなたがこれまで勉強してきたことはどうなるのです。少なくとも後に続く方々への指針となるようなものを残していくべきでしょう」皇甫護は僻いたまま叔母の言葉を聞いてい た。

手には堅く刀が振られていた。薄暗い部屋に重い空気が立ち込めていた。

「申し訳ありません」皇甫護は刀を鞘に納めていった。「病を患って久しくなります。最近では風病を患い寒食散の用法を誤ってさらにひどくなっております。半身は動かず何をするにも不自由を感じております。私にはもう生きていく気力もありません」

はき気と下痢が3ケ月も続き憔悴しきっていた。そのうえ聾となり人の話が聞き取りにくかった。 寒食散の誤用は後悔されたがどうしようもなかった。

「何をいうのです」叔母は静かに話し始めた。「あなたはまだ若かった頃、勉強もせず遊び呆けてまわりのものから愚かものと笑いものになっていました。このまま行けば将来はどのようになるのか心配して私はあなたにお説教をしたことがあります。

家は貧しく落ち着いて勉強できるというわけにはいかないけれど愚かにも程があります。もともとあなたは漢代に太尉を務めたことのある嵩の子孫で名家の出身なのです。恥を知って勉強しなさいといったことがあります。あなたはそれから農事のかたわら寝食を忘れるほど一生懸命に勉強し私も安心しました。

しかし多くの人があなたの教えを請うようになろうなんて、官職に着くように皇帝より依頼があるなんて考えてもみませんでした。そんなあなたが病気だからといって自害に及ぶなど私には考えられません」

叔母はそこまで話すと、思わず言葉を詰まらせた。皇甫謐は20代の頃を思い出してはらはらと涙を流した。

「叔母様の言葉がなければ私もここまでは来れなかったでしょう。本当に感謝しております。当時の私は何も考えずその日その日を楽しく過ごせばそれで良いと思っておりました。叔母様のその時の言葉で私も人の道を深く考えるようになったのです」

「孝の道についてもあなたはよく話しています」叔母は目頭を押さえていった。「医術を学ばなければ忠孝の気持ちがあっても父母や主君を救うことが出来ないと。孝の道を考える人が何故まわりの人を悲しませるのです。それは忠孝に外れてはいませんか」

「申し訳ありません」

 

三国時代の終りの頃、紀元3世紀の中頃のことである。皇甫謐は丁度「傷寒論」を書いた張仲景が亡くなる頃に生まれている。皇甫謐は深く反省してその後も書物を読み続けた。

そして「素門」「鍼経」「明堂孔穴鍼灸治要」の3部を合わせ「黄帝三部鍼灸甲乙経」全12巻を編纂した。現在伝わっている「甲乙経」は北采の林億らの校正によるものである。

叔母の言葉がこのように強い口調だったかどうかは定かでない。しかし皇甫謐のことを真剣に考えていたことは間違いない。

(上村義徳)

会員の移動

会 務 日 誌

5月19目 薬業研修会 14:00
     支部長会議 19:30
  20日 試験センター連絡協議会(県薬) 11:00
     理事会(第304回)19:30
  22日 福岡医療圏協議会 19:30
  23日 広報委員会 19:00
  25日 学薬研修会 19:00
     情報管理委員会 19:00
  26日 在宅委員会 19:30
  27日 薬局委員会 19:30
  28日 学術研修会 19:00
     処方検討会 19:00
     西日本地区給水衛生検査協議会(28〜29日) 於山口県
6月2日 三役会 19:30
  3日 福大生実習打合せ 19:30
  5日 社保・分推委員会 19:30
     広報委員会 19:30
  6日 地区連絡協議会 14:00
  8日 在宅委員会 18:00
     九大オーダリング打合せ会 19:00
  9日 監査会 18:00
     学術委員会 19:00
  10日 試験センター連絡協議会 11:00
     支部長会 19:30
     市薬薬局委員会 19:30
  12日 在宅委員会 19:00
  15日 理事会(第305回) 19:30
     学術委員会 18:30
  16日 学術研修会 18:00
     広報委員会 19:30
  17日 広報委員会 17:30
  18日 学薬理事会 19:30
     ブロック予備代議員会 19:30
  19日 社保・分推委員会 19:30
  23日 部会連絡協議会 20:30
  24日 薬局委員会 19:30
     県薬代議員会予備会議 19:30
     議事運営委員会 20:30
  25日 処方検討会 19:00
  26日 第42回臨時代議員会 19:30
  30日 広報委員会 19:30
7月6日 組織委員会 19:00
  7日 市薬薬局委員会 19:00
     広報委員会 19:30
     市学校保健会 15:00
  9日 急患委員会 19:30
  10日 在宅委員会 19:30
  13日 社保・分推委員会 19:30
  14日 学術委員会 18:00
  15日 理事会(第306回) 19:30
  16日 佐世保薬剤師会市薬薬局視察(6名) 14:00
     学校保健に関する懇談会 18:30
  17日 薬業研修会 14:00
     学術委員会 19:00
  18日 三津家先生叙勲祝賀会 17:00
  21日 在宅委員会 19:30
  22日 薬局委員会 19:30
  23日 処方検討会 19:30
     福岡市地域保健医療計画推進協議会 15:00
  24日 九州山口ブロック医薬分業担当者会議 13:30
  28日 三役会 17:30
8月1日 広報委員会 19:30
  2日 広報委員会 16:00
  3日 福岡市国民健康保険運営協議会 16:00
  4日 定款検討会 19:30
     社保分推委員会 19:30
  6日 急患委員会 19:30
  7日 組織委員会(流通) 19:30
     九州山口県代表、目薬代議員予備会議 13:30
  10日 支部長会 19:30
  17日 広報委員会 19:30
  18日 学術研修会 19:00
     三節会懇親会 18:00
  19日 理事会(第307回) 19:30


日薬役員・委員紹介(福岡県)

副会長  荒巻善之助(福岡)

常務理事 井上章治(若松)

理事   宮崎和人(福岡)

委員会
 医薬分業対策本部 阿波欽治(福岡)
 社会保険委員会 小田利郎(小倉)
 調剤技術委員会 青山敏信(福岡)
 介護保険対策特別委員会 尾上柴(八女)

[編集後記]

〜 自  由 〜

『花瓶の水』これは何度となく聞いた。自分達が小学生の頃は手を挙げてトイレへ行った。今、学薬で学校へ行ってビックリ、授業中児童がすっと立ち上がりスタスタと歩き出しトイレへ行って来るという光景を目にして、自由?疑問に思った。『花瓶の水』の女の子の行動が正しかったのかどうか、感動はしても賛同はできない。福祉と、おせっかいの違いもまた難しい。

(津田和敏)

 

〜 時を経て 〜

薬物乱用のシリャズが始まる。薬物乱用についてはこのシリーズで大体が分かるというようにしたい考えで、広報委員会は全員張り切っています。

学薬でも薬物乱用についてのスライド作成を考えているようです。学薬の先生方の中には、学校の授業で講演された先生も多いと思いますが貴重な経験や、こんなふうにやれば良かったなどのご意見がありましたら投稿をお願いします。

三津家先生の勲五等瑞賓章受賞は心よりお祝い申し上げます。「福岡市薬剤節会会報」(第1号)が65・66頁に掲載されていますが、53年7月に発行され、新聞タイプの立派なものです。その当時 のご苦労も「会報編集の思い出」に克明に書かれており当時が偲ばれます。

何事も最初の事業というのは難しいものですが、当初これだけの会報を作られた先生に頭が下がります。更に充実させ発展を続けなければならないという言葉は、時を経て広報委員会に響いてきます。 

(上村義徳)

 

〜 はじめまして 〜

今回広報委員会をお手伝いさせて頂くことになり、期待と不安で一杯です。

期待は出無精なものですから、これを機会にいろんな先生方と出会えればと思います。もうすでに、期待した通り広報委員会のすばらしい先生方に出会えました。「市薬ジャーナル」作りを目的にエネルギッシュにお仕事をされている姿を見て、老け込みがちな自分は刺激されました。

不安は、世間知らずの自分に、この仕事が勤められるかどうか。苦手な読み書き。取材や原稿の依頼なども押しが弱いだけに不安です。まずは小さな事からコツコツと頑張っていこうと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

(森山健次郎)

  

平成10年9月15日発行
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会 TEL 092-714-4416
FAX 092-714-4421
担当副会長 合 澤 英 夫
常務理事  北 島 啓 子
委 員   石 井 雅 明
      伊 東 美 穂
      上 村 義 徳
      鮫 島 千 織
      津 田 和 敏
      戸 田 昭 洋
      森 山 健次郎
発行人   藤 原 良 春
発行部数  1、3 5 0 部
印刷所   (有)興英社印刷