■ 巻 頭 言
今、薬局を超える新たな常識 (社)福岡市薬剤師会 社保担当 常務理事 瀬尾隆

分業問題ばかりが幅をきかせる時代の中で、選択の基準を提示してくれる新たな常識を私たち薬剤師は考え始めています。確かに分業問題は重要ですが、それに比例する形で、薬局の指針を示す新たな常識の創造こそ、今まさに求められているのではないでしょうか。最近の問題は混沌とした医薬分業の現状にどのように立ち向かうか、という点にばかりに焦点が絞られています。しかし今一度立ち止まって考えてみれば、分業の変化に対応した新たな常識が必要とされていることに気付き始めています。その意味で経済・経営の話ばかりでなく、根本的な薬局のあり方を問い返して、時代を見通すことのできる新たな常識の創造こそ必要ではないでしょうか。

日薬の佐谷会長が近頃、薬剤師の業務と職能を地球の「自転」と「公転」という言葉で例え表現されておられるのは非常に的をえていますし、現場で活動している私たち薬剤師にはもっとわかりやすいと思います。いろいろな努力にも関わらず、新聞・テレビ等のマスコミで報じらナしているように、医薬分業に対する厳しい世論があり、また医薬品の適正使用・安全性の確保に、真に薬剤師がその役割を果たしているのか、などの疑問の声も上がっております。このような状況を打破すべく、市薬は「かかりつけ薬局」委員会を設置して、会員の先生方のために鋭意努力しているところです。

現在、.日薬・県薬・市薬もいろいろなかたちで「かかりつけ薬局」を提案しています。
今までの常識の中でもあたりまえのことを言っているわけですが、今の薬局の現状でこの提案に充分に答えている薬局がどれくらいあるでしょうか、非常に疑問に感じられます。又、薬局も薬剤師も「かかりつけ薬局」に対しての認識・勉強も不足しているように思われます。しかし、この「かかりつけ薬局」の施策が成功するか否かは、私たち薬剤師一人一人の「理解」と「自覚」が不可欠です。国民そして地域住民に必要な「かかりつけ薬局」のOnly One薬局・薬剤師になるため、新たな常識を創造して、日々こつこつと積み重ねていく努力も是非とも必要になってきます。
先生方と一緒になって頑張りましょう!!

最後にこの詩を先生方に贈ります。

 つみかさね
 一球一球のつみかさね
 一打一打のつみかさね
 一歩一歩のつみかさね
 一坐一坐のつみかさね
 一作一作のつみかさね
 一念一念のつみかさね

 つみかさねの上に
 咲く花
 つみかさねの果て
 に熟する実
 それは美しく尊く
 真の光を放つ

坂村真民 詩集「念ずれば花ひらく」より

<12大都市薬剤師会連絡協議会(第2回)> 連絡協議会を終えて (社)千葉市薬剤師会 副会長 上村芳彦

協議会 全景 1月23日 ホテルニューオータニ博多にて

機内から見る福岡市は実に素晴らしいものでした。三方に従える美しい山々、遠くに見える玄界灘は怒涛のごとく荒々しく、海面は冬の日差しに照らされ、その耀きは目映いばかりでした。こんな美しい九州の大都会で十二大都市薬剤師会連絡協議会が開催されるということは、なんと幸福なことだろうと思いました。

千葉市の一行は、早速タクシーに乗り飛行場から10分程のホテルニューオータニの会場に着きました。開会1時間前というのに受付は謹備されていて、私達一行を笑顔であたたかく迎えてくれました。受付をすませて会場内に入ろうとした時、福岡市薬剤師会のプレスの腕章をした方が、盛んにカメラのシャッターを切っていたのが印象的でした。千葉市薬剤師会の席は、十二大都市で政令市になったのはしんがりなのに何故か最前列の特等席でした。

午後1時を過ぎると各都市の先生方が次々と入室して来ました。1時30分に入江専務の司会で協議会が始まりました。福岡市薬剤師会の光安副会長の開会挨拶、藤原会長の挨拶と昨年の12月に市長に就任された山崎市長の来賓挨拶、そしてご当地出身の荒巻日薬副会長の挨拶、最後に宮崎県薬会長が挨拶され、引き続き協議会に入りました。

先ず札幌薬剤師会の高柳会長が口火を切りました。札幌薬剤師会の財政概況、医薬分業の状況、行政、三師会との係わり合い、そして介護保険制度の取り組み、かかりつけ薬局育成事業の現況を報告され、現在取り組んでいる「視覚障害者用点字記号シール」の作成について、現物を持参して作成の経緯と意義について熱心に述べられました。

この点字シールは、視覚障害者、弱視者が薬を服用する時に字が読めないので、服用を点字シールにして、薬袋の横に貼って視覚障害者でも分かる様にするというものです。高柳会長は、点字シールを全国紙に紹介したところ、全国の福祉団体、病院、盲学校から問い合わせがあり、現在は盲人協会、盲学校の協力を得て、アンケート調査を実施中であると述べられました。またコスト面、大きさ、シールの種類等も詳細を説明されました。つづいて、仙台市薬剤師会、横浜市薬剤師会、名古屋市薬剤師会、と発表がつづき、大阪市薬剤師会では地域保健法改正による「薬事行政一部移管の現状と問題」また「市内病院関係の分業情勢」について発表されました。千葉市薬剤師会では、「会員資格」について質問し、他の市ではどのような規定があるのか、また「十三大都市学校保健会」との係わりについて他市の意見を聞きました。

福岡市薬剤師会の発表では、配布された市薬雑誌、市薬ジャーナルについて説明があり、福岡市薬剤師会の情報メディアに対する熱心な姿勢が感じとられました。又、「かかりつけ薬局」の育成について、福岡市薬剤師会独自の店頭用シールを発表し、このシールを各保険薬局店頭に貼っていただいているということが述べられました。現在は50%だが将来は100%にするということでした。「かかりつけ薬局をつくろう!」と市民に訴えている薬剤師会館の垂れ幕は、まさに福岡市薬剤師会会員の団結を呼びかけているものだと感銘しました。

時間の経つのは早いもので、あっと言う間の4時間の会議でした。欲を言えば、各薬剤師会の現況は資料を見れば分かることなので、もっと質問に対する討議時間が欲しかったと思います。次回開催都市である千葉市で行う時は、今回の協議会を参考にして実り多い連絡協議会にしたいと思います。

この度、福岡市薬剤師会の先生方には一方ならずお世話になり、立派な会場で且つ第1回協議会より更に充実した会を設定していただきまして大変感謝しております。この紙面をお借りして、御礼申し上げます。

<12大都市薬剤師会連絡協議会(第2会)> ようこそ福岡へ 広報委員 上村義徳

1月23日、ホテルニューオータニ博多で2回目の12大都市薬剤師会連絡協議会が開催された。

東京都を除く政令都市、12都市の薬剤師会の会長、副会長が一堂に会し、現状報告や問題点が話し合われた。第1回目は昨年横浜市で開催され、年1回定例的に開催しようということになり、2回目を福岡市が受けることになった。

来賓に、福岡市長の山崎広太郎氏、福岡市保健福祉局医監の坂本雅子氏、日本薬剤師会副会長の荒巻善之助氏、福岡県薬剤師会会長の宮崎和人氏を迎え、更に今回は市薬の常務理事にオブザーバーとして参加を呼びかけ、盛大な協議会となった。開催都市の会長が座長ということで、藤原会長の司会でスムーズに会が進行された。現況報告では各薬剤師会の事情の違い、事務局のあるなしなど、かなりのばらつきが目だった。

札幌薬剤師会では視覚障害者への対応ということで、行政とタイアップして点字シールなどの検討を細かく行い、事業の柱となっている。また税務処理関係の質問等も出て、非常に具体的な会議となっている。

懇親会では、各テーブルに7〜8名ずつが坐り、坂本医監、市議団の薬剤師に対する理解あるご挨拶のあと、宮崎県薬会長の乾杯の音頭でなごやかな会が始まった。名刺を交換される先生方も多く、なごやかな中に真剣な姿勢が感じられた。

こうした対外的な活動が増えるにつれて、裏方である事務局の存在は大きなものになっている。他市との比較の上でも、事務局のあるなしは大きな差を生んでいることを感じさせた。さらに福岡市の場合、各委員会がそれぞれの仕事に真剣に取り組み、結果を形に残していることが非常に際立ったように感じられた。

次回は千葉市が受け持つことになったが、この協議会は将来的にいろいろな可能性を秘めている。益々発展していくことを願いつつ2時間の懇親会を終わった。

(広報委員:上村義徳)


〜12大都市薬剤師会連絡協議会 次第〜

司会 入江 理裕

日時:平成11年1月23日 1:30P.M.〜
場所:ホテルニューオータニ博多

1.開会のことば       光安 龍彦 
2.開催地会長あいさつ    藤原 良春 
3.来賓あいさつ
 ・福岡市長         山崎広太郎
 ・日本薬剤師会会長     荒巻善之助
 ・福岡県薬剤師全会長    宮崎 和人
4.座長選出
 ・薬剤師会の現況報告
    (休  憩)
 ・「かかりつけ薬局」の育成について
                 (討議)
 ・次回開催地  決定
5.閉会のことば       合澤 英夫
                (敬称略)


協議会出席者名簿(福岡市薬外)

福 岡 市 長          山 崎 広太郎
福岡市保健福祉局    医 監  坂 本 雅 子
(社)日本薬剤師会   副会長  荒 巻 善之助
(社)福岡県薬剤師会  会 長  宮 崎 和 人
(社)札幌薬剤師会   会 長  高 柳 秀 男
     〃      副会長  大 森   章
仙台市薬剤師会     会 長  佐々木 国 雄
(社)千葉市薬剤師会  副会長  清 水 睦 美
     〃      副会長  上 村 芳 彦
     〃      専務理事 高 城   優
     〃      事務長  宮 内 三津子
(社)川崎市薬剤師会  会 長  田 中 辰 彦
     〃      副会長  間 瀬   実
     〃      理 事  吾 郎 勝 夫
(社)横浜市薬剤師会  会 長  河 村 太 郎
     〃      副会長  加 藤   洋
     〃      事務局長 高 橋   章
(社)名古屋市薬剤師会 会 長  堀   悦 郎
     〃      副会長  長谷川 常 徳
     〃      常務理事 服 部 勝 彦
(杜)京都府薬剤師会  委 員  坂 東 久 尚
大阪市薬剤師会     会 長  児 玉   孝
神戸市薬剤師会     会 長  江 見 正 彦
     〃      副会長  植 田 宗 宏
広島市薬剤師会     会 長  永 野 孝 夫
     〃      副会長  河 内 一 仁
(社)北九州市薬剤師会 会 長  脇 園   茂
     〃      副会長  小 野 英 吾
     〃      副会長  阿 部 兼 士  (敬称略)


左から古賀顧問、藤原会長、山崎市長、坂本医監、荒巻目薬副会長、宮崎県菜会長手前から、神戸、広島、北九州の皆様、光安、市花、合澤副会長
左から京都、川崎、千葉の皆様左から沖縄、仙台、横浜、名古屋の皆様
トップバッター 札幌市福岡市薬の抱負は…力説する合澤副会長
左から北九州市脇園会長、小野副会長とオブザーバー協議会を終えて山崎市長をお送りする古賀顧問


〜懇親会 次第〜

6:00 P.M.〜

1.開会あいさつ      光安 龍彦
2.会長あいさつ      藤原 良春
3.来賓あいさつ
  日本薬剤師会副会長   荒巻善之助
  福岡市保健福祉局    坂本 雅子
  福岡市議会議員    大江 健一
  福岡県議会議員    早麻 清蔵
4.ご発声         宮崎 和人
      (パーティー)
5.次回開催地会あいさつ
  千葉薬剤師会副会長  清水 睦美
6.閉会あいさつ      合澤 英夫
              (敬称略)


いつもエレガントな坂本医監坂本先生は4月1日より福岡市助役に就任されます。心よりお喜び申し上げます。
今後共どうぞよろしく会場を移し和やかな懇親会
会長に“知的でハンサム”との声あり!来年は頑張って下さい
次回開催の千葉市の方々と談笑中の会長

スナップ:広報委員会
写真協力:井原事務局係長

<会員の広場> 「司馬遼太郎を語る会」というものを作りました 中央支部天神部会 天神調剤薬局 田中泰三

「おもしろき こともなき世を おもしろく…」死ぬ間際に、辞世の歌を書くつもりだったが、ここで力尽きて筆をおとした。枕頭にいた野村望東尼が、下の句をつけねばと思いとっさに・「すみなすものは 心なりけり」と書き添えた。

 高杉晋作が最期をむかえるときの有名なエピソードです。下の句を見て晋作は「おもしろいのう…」と言って息を引きとったそうです。そのようなことが司馬遼太郎の「世に棲む日日」に書いてあります。

 97年12月某日、某メーカーMRと某卸MSとお酒を飲んでおりました。酒の席の話はスケールが大きくなるんですよね。コーヒーのCMでも「ガツンと言う」のが流行りましたよね。当日は3人とも酔って気分が高揚していたのか「今の日本はどうのこうの」と赤ちょうちんの親父的雰囲気だったと思います。

話題はいつの間にか歴史の話になり、「そうだ。司馬遼太郎の書いた小説について語り合う会を作ったらおもしろいばい」ということになりました。まあ、酔っている時というのは「会場はどうすると?」とか「人集めがたいへんばい」とか「金集めやら会報やら面倒臭い」とかネガティブな話はしません。「なんとかなるくさ」とにかく、勢いだけでした。

普通、日が変われば気分もさめて、トーンダウンして、うやむやになりますよね、この手の話は。ところがどういう訳か後日、顔を合わせても「やろう、やろう」ということになり本当に【司馬遼太郎を語る会】を作ることになりました。

色々と話し合いましたが、とりあえず西日本新聞の「掲示板」欄に掲載を依頼し、発足会への参加を呼びかけたところ、当日9名が集まりました。その場で会の進行法、運営、役割分担等が話し合われました。それで、集会は月1回第3木曜日19時から福岡市赤煉瓦文化館(旧歴史資料館)を借りて、2時間程度、卓話とディスカッションをするということになりました。卓話者はくじ引きで順番を決め、毎回交替で回すことにしました。

現在、ちょうど1年が過ぎましたが、会員は30名になりました。男性25名、女性5名で40〜60歳代が中心です。いい大人が子供みたいに夢中になって、浮世離れしたはなしをしております。みんな自分の言葉で何かしゃべりたい。そんな人たちが集まっているようです。. 新聞で呼びかけたので、来る人も様々で、職業に関してもNTT、全農といった大きな企業の人、銀行員、保険会社、新聞社、会社経営者、はりきゅう師、着物の着付け師、主婦、九大工学部教授、医師等です(そういえば我らがK大病院薬剤部長の先生も、時々、お顔を出しておられます)。

又、司馬遼太郎に関わることでは、長年、坂本龍馬の愛好会を主宰されている人。自らバスを購入して、京都、山口、長崎、高知、鹿児島など幕末維新のゆかりの地を案内して回られている人。モンゴルを20数回、馬で旅をされている人。といった活動家から、何百冊か出ている司馬氏の著作を全部読んだという読書家。そんな玄人から、本は読んだ事無いが「街道をゆく」を一度テレビで観ただけという人まで、とにかく少しでも興味がある人が集まっております。ただ今、一周年を記念して文集を作成中です。

司馬遼太郎は、ご存じのとおり、自他共に認める歴史小説家です。同氏は終戦を軍人(強制的)という立場でむかえ、始めから勝てる見込みの無い戦争を、圧倒的不利な軍事力を補う為に「大和魂」という神秘的ともいえる日本人の精神的優位性をうたって士気を鼓舞させることで対抗しようとした昭和軍人の愚かさを嘆かずにはいられませんでした(むかしは、そうではなかったのではないか)。

 ういう想いで、鎌倉、室町、戦国のころ、やがて江戸幕末や明治時代へと日本人の原点(希望的本来の姿)を求めて時空を旅するように小説を書いたようです。

1冊の大作を書き上げるのに、集めた資料が三千冊余り、ほとんど1ページ10秒ぐらいで目を(ぐっと、にらみつけるように)通すそうです。ゆかりの地があれば、どんな些細な事でも全国(外国も)津々浦々、探索して回り、歴史上の血縁者(子孫)をたずねて話をするそうです。そのような小説を書くための執念のような執ようさは、終戦時の疑問(いきどおり)を自身で明かにしたかった。原動力はそういうところにあるようです。

私なんかは、幕末や明治維新のころの話がすきで、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛等のことを読んでいると胸が踊ります。なんというか、すがすがしい気分になるんです。なぜなのか。やはり、スケールの大きさと、自分(私)を捨てて、時世のために生命をかけて大活躍したところだと思います。時として、歴史というのは、どんよりと空気がよどみ、うっ滞してしまう時があるようです。そんなとき、さっそうと現れ、ぐさりと風穴をあけ明るい空気を注ぎ込む。そのためなら代償として、惜し気もなく生命を捧げる。そんなヒーロー達へのあこがれでしょう。

当節、大きな不況です。薬剤師にとってもとても厳しい時代になってきそいる。実感として本当にそう思います。子供っぽいカモしれませんが、月に一度ぐらい「元気もりもり、エネルギーを充電できる」そんな会になって行けばいいなと思います。なんちゃって。

メンバーと 右はしが田中先生

<会員の広場> 薬局から飛び出そう企画第2段 −バングラデシュ編− 城南支部 友泉部会 薬局しきまち 式町寛美

1998年12月22日 火曜日12:00 福岡空港を出発

まずは、バングラデシュという観光ブックにはない、この小さな国をご紹介します。インドの東に接する国。1971年にパキスタンから独立。27年前。まだ若い国だ。面積は日本の約昔。人口は日本とほぼ同じ。約1億2000万人。だから人口密度が高い。どこへ行っても人大人……。私たちの乗った車がとまると、わらわらわらと大人も子供も、お年寄りも女性も男性も集まってくる。くりくり目玉達が、こっちを見つめる。目をそらさず、じっと見つめる。日本人は目をそらす。じっと見つめ合うのはやっぱりちょっとこわい。が、けっこう美形が多い。

車から外に出ると囲まれる。触られることはない。物をぬすもうともしない。ただ、ただ興味しんしんと見つめている。はじめは、本当にこわかった。「わお。わお。わお。」とびびっていた。ところが、怒りや憎しみが伝わってくることがなかったからか、慣れてきた。彼らも「なんだろう。こいつら、白いぞお。ここの者じゃねえだろう?何かするのかなあ。おもしれえ。見ておこう。暇だしなあ。ちょうどいい暇つぶしだあ」と思っていたかもしれない。

村の子供たち 美形!

言葉はベンガル語。私たちがボランティア活動をした村での共通語は“なんちゃって英語”だった。お互い第2外国語だから、けっこう通じてた。と思う。たぶん。ちなみにベンガル語でのあいさつだが、「アッサラームアライクム」と声をかければ、「オアライクム サラーム」とかえってくる。「あなたにアラーの神の御加護がありますようにね」「あなたにもね」と言うような意味らしい。イスラム教徒ではない日本人が言うのも変なのだが、相手もてれくさそうに、あいさつしてくれる。他に覚えた言葉は「ナム、キー↑?」「名前は?」と「バロ↑?」「元気か?」「バロ↓」「元気よ」だ。元気がない時はなんと言うかと言うと「バロ、ナイ」と言う。うそみたいだけれど、本当の話。これで、一応通じる。

国民の90%はイスラム教。豚肉を食べない。
アルコールを飲まない。異性には特に、むやみにさわらない。女性は肌をみせない。私たちが行った時は、ちょうどラマダン(断食)の期間がはじまった時だった。1年に1回、1カ月間ラマダンなのだそうだ。日が出ている時間は、病人、子供、妊婦、月経中の女性以外は、水も口にしない。なぜ、ラマダンをするのか。
 1.心の中にあるみにくいもの、怒り、憎しみなどをおいだすため、感じなくするため。
 2.食事の出束ない、自分より貧しい者の気持ちを知るため。

他にもいろいろな意味があるかもしれない。しかし、1人当りのGNPは日本の約100分の1ですよ。ラマダンの話を日本に帰ってすると「隠れて食べようっちゃろうもん」と言う人がいた。食べすぎ、飲みすぎの胃腸薬がよく売れる忘年会、新年会の時期の日本。日がしずむ頃、口を清めるため、木の枝で歯をみがき、ぐったりとつかれているが、目を輝やかせているバングラデシュの人。かくれて食べようなんて、思ってもいないだろう。

今回、私は福岡を中心に、バングラデシュとの国際協力をすすめている「バングラデシュと手をつなぐ会」のメンバー達に加わり、バングラデシュを訪問した。“バングラデシュと手をつなぐ会”とは、バングラデシュ、カラムディ村の村人による自主的な団体「ションダニ ションスタ」を支援、協力して共に教育や保健医療をはじめ、村の生活改善のための計画をたて、実行しているNGOだ。

前置きが長くなったが、私たちツアーメンバー14人はまず、シンガポールに向け、福岡を飛び立った。医師、看護婦、准看護婦、助産婦、大学の教授、日本語教師、園芸農家、大学生など20代から60代の個性的なメンバーだ。

そして、シンガポールから、バングラデシュの首都、ダッカへ飛んだ。合計10時間。ダッカに到着した時は夜中になっていた。見なれない文字がならぶ、薄暗い空港。「異国だあ」と改めて感じる。遠くにいる薄着のバングラ人達を見てなにやら背中がじんとする。

不安をいっぱいかかえ、入国手続き。「何て聞かれるかな?」「ベンガル語?」「何か質問されたなって思ったら、7daysか、サイトシーイング(観光です)」と答えておこうとか考えていた。ちょっと、きたないカウンター。カウンター内には誰が本物の役人かわからない程の人がいて、ごちゃごちゃしている。何やらもめている、いや、世間話をしているのかな。日本じゃ考えられない。白い線にならんで1人ずつパスポートを持って行くという感じではない。

いきなりこっち見て「ジャパン?」ときく。
「YES」「オー!ジャパン!バングラの友達!カモン」「ジャパン オール カモン」メンバーみんな、カウンターに呼ばれる。「何日いるの?」「7days」「え〜。もっといたらいいのに〜。短かすぎる〜」というようなことを言ってパスポートには「30days」とかってに書きこむ。意外や意外。アバウトすぎる。
入国完了。

車がむかえに来ていた。バンが2台。日本と同じ右ハンドル左側通行。でも、反対車線が空いていたら行ってもいいみたいだ。クラクションをプープーならす。「おいらの車にはクラクションがついているんだい」と得意気になっているみたいに、かなりのスピード、けっこうスリル。リキシャ(自転車、又はバイクの後にホロのついたリアカーみたいのがついているタクシーのような乗り物。はでな飾りがしてある)をぬって走る。体に力がはいる。ほこりっぽい町。ぼんやりとオレンジ色の外灯に照らされたグレーの町。この晩はこの町ダッカに泊まる。シャワーをあび、電気を消すとあっという間にねむりについた。

バングラ 2日目

朝はトースト、スクランブルエッグに、オレンジジュース。食後には紅茶かコーヒー。コーヒーはネスカフェのインスタント。瓶ごとでてくる。高級品らしい。紅茶の倍の値段。いざ、村に向け出発。8:00AM。元気。バロ。バロ。気温29℃。車で走る、土ぼこりをたてながら。信号がない(町で1つだけみつけた)。車がとまると、目の見えないお年寄りが小さな子供に手をひかせて、あいている窓から手をのばして、ものごいをする。このほこりで目をやられたのか。国は彼らを保護することはないのだろうか。道路は危ないのに。物やお金をやるのは簡単だが、継続できないのだから、いいかげんな事はできない。悲しく、恐ろしい気持ちで胸がいっぱいになる。

ガンジス河とプラマプトラ河の2つの大河が合流し、ベンガル湾にそそぐ。その大きな三角州の上にできた国だからか、毎年、洪水にみまわれている。自然の川の流れ、川は毎年、変化するので正確なバングラの地図はないという。豊かな実りをもたらす。今年の洪水は異常で、ニュースにもなっていたが、特にひどく、国の昔は水びたしになったという。地球の温暖化の影響があるのだろう。私たちにも責任がある。仕事や家をなくした人々が町のダッカに来る。田舎から出かせぎに来る。出かせぎ者によるリキシャが増えたらしい。働けない弱者は物乞いとなり、犠牲となる。

10:30AM、ガンジス河を渡るためにフェリー乗り場に到着。しかし12:00までストだという。フェリーが動かない。予定外である。

労働者がストをおこすことは自由がある証拠だと言うが……こまる。車のまわりはすでにくりくり目玉達に囲まれている。まだ外に出る勇気がない。空調のない車の中はかなり暑い。乾期なので、雲もない。助手席のガイド役のラフマンさんが外に出る。「やだ〜。おいて行かないで、ラフマンさ〜ん。」と小さな子供のようにさけぶ。「暑いですよ。みなさんも出ましょう。大丈夫」外に出る。本当に大丈夫。しかし臭い。いろいろなうんちがどこにでもある。映像にはないもの。におい。

空気。温度。移動するとみんな一緒についてくる。くりくり目玉達。だんだん慣れてきて、「みんな見てるよ。歌でも歌う?おどったりしてみようか?」なんて事を言う余裕もでてきた。メンバーの大学生なんて、現地の誰かと話しこんでいる。「知り合い?」とばかな質問をしてみる。「いいや」のんきなものである。ストの人達もひまなのだ。行進も一応あった。こぶLをふりあげさけんでいた。

やっとフェリーが動き出す。音もなく、ゆっくり動く。動いているのかたまに確認してしまうくらいのゆっくりさ。トイレはある。
かぎはもちろんないし、ドアもしっかりしまらない。トイレの穴の先にはガンジス河が見えていた。のどかなものである。

おじいさんが古い弦楽器に耳をつけ調音している。ポロリボロンと音楽をひく。乗客の中でちょっとした言い争いがはじまった。そこへおじいさんがそっと近より、音楽をひく。
「けんかはいけねえ。はらがへる〜♪〜 仲よくやろうよボンポロリン」 けんかはおさまり、フェリーはゆっくりガンジスを渡る。岸に着いたら、また車で移動。
車のルールは行けたら行こう。クラクションならして、どんどん進め。事故はおこすな。
自分の責任だ。仕事をなくす。さあ行け。そら行け。というような感じだ。日本のような甘えたルールはないように思える。

14:00 ポリールプールの町でトイレと昼食。シンガラというあげばんのようなものを食べる。中には激辛ジャガイモカレーが入っている。運転手はラマダンなので食べない。

カラムディ村の自然

だんだんと田舎道になる。夏、洪水の時はこの道も水につかり、どこがどこだか分からない位だったという。大人の男性の胸までつかったらしい。突然、水がおしよせてくるのではなく、じわりじわりと水かさが増してくるのだという。足ぐらいの水かさの時はそのまま暮していた。胸までくると、さすがに、バナナの木をボートにして、高い所へ避難。ほとんどの家畜は流されて死んでしまった。

トイレは少し離れてするらしいが、水にしきりがあるわけがない。生活用水とごちゃまぜになる。病気にならないはずがない。各家などには水の跡が残っていたが、私たちが行った時は、すっかりよかった。菜の花(オイルフラワー)が一面に咲き、タバコの葉はもりもりと大きく、野菜も青々、さとうきびもすくっと育っていた。

暑い夕日が沈む頃、木の枝で歯をみがく人の姿がめだち、各家の前に食べ物がならびはじめた。7:00PM頃、カラムディ村のションダニ母子保健センターに到着。10時間位の車の旅だった。

私達の姿を見つけた、相の子供達は「バイバイ。バイバイ」と言いながら、車の後についてきていた。

夕食をいただいて、ひと息ついた後、現地の村人による委員会「ションダニ ションスタ」の人達と顔あわせをする。昨年から念願の女医さんが加わった。イスラム教では、女性は男性に肌をみせない。病気やお産でも男性の医師にはみてもらわないという人が多いのだ。この女医さんはまだ若く、都会で働いていたらしいが、お金もうけ主義の考えがいやになり、この母子保健センターへ、夫婦で来ている。ご主人もお医者さんだ。この日は、お互いの自己紹介とあいさつで終了。

1つのベットに2人ずつ休む。私は准看護婦ちゃんと。あっという間に2人はねむりについたが、他の部屋ではいびき等の被害があったらしい……長旅だったからなあ。しかし、ギシギシ、ガリガリ、ギーギーと3日間、どこから音がするのか、何の音なのか、分からない音がし続けていた。これは今だになぞだ。

バングラ 3日目

朝6:30 起床。ドアをあけるとすでに目玉達が待っていた。もう慣れたが、ここでもやはり興味の対象だった。しかし、どこの子供だ?朝食をすませ、母子保健センターでミーティング。同室の准看ちゃんと私は、看護婦のモルジナとゾフォラと4人で村へ出てフィールドワークをすることになった。

村の1軒ごとに番号がうってある。母子醸健センターは1995年に完成したのだが、出産に多少お金がかかるのでまだ家で子供を産む所が多い。生まれた子供の1,000人に180人は5才までに亡くなっている。ちなみに日本は1,000人に6人位だそうだ。

各家をまわり、子供がいつ産まれたのかや赤ちゃんの体重、頭のまわりの大きさ、背丈をはかる。家族の構成や健康状態、トイレの有無も調べノートに記載していく。つばを吐くな等の衛生指導をする。かなり貧しい。土をかため、わらをかけたような家。しかし私達が来ると必ず、イスか、ゴザをもってきて、日陰にすわるようにすすめてくれる。

臭いはひどい。カゴに牛のフンをこんもり積んでいる。燃料にするのだ。麻の茎を芯にして手でフンをつけ、ぎゅっとにぎってかためる。家のまわりにそれを立てかけ、干して乾かす。どこにでもある。さとうきびのくさった、ひどく甘くすっぱい臭いもたちこめている。トイレのない家が多い。トイレは深く穴をほり、そこでする。いっぱいになるとうめる。水分は土に返る。井戸はトイレから離れているとも限らない。やはり衛生面に問題がある。

ラマダン中なので、私達もみんなの前でゴクゴク、ムシャムシャする訳にいかない。水もひかえていた。暑さと臭いにぐったり疲れはじめていた。すると、さとうきびをむいて、食べやすいようにカットして口にするようにすすめてくれる。どんな栄養ドリンクよりずつと効果があった。うれしくてたまらなかった。彼らはラマダンなので食べないのに。

このノートに記入していく看護婦のモルジナ。美人。日本人男性の恋人募集中。

子供はあいかわらず、どこでも多く、どこまでもついてくる。菜の花をつんで、花束にしてくれる子供もいた。そっとくれる。こんなにうれしい花束をもらったことあるかなあ。生活は信じられないほど貧しいのにその中でできるだけ精一杯のもてなしをしてくれた。

20軒位、まわっただろうか。帰り道、雑貨屋さんでモルジナに、おでこにつけるビンデイを買ってもらった。

宿舎に着いてひと休み。他のメンバーは小学校へ行っていた。

バングラに来る前にパプアニューギニアに青年海外協力隊として行っている友人にバングラに行くと連絡しておいた。その友人が、バングラに派けんされている協力隊の人に連絡してくれていたらしく、思いがけず、2人の協力隊が訪ねて来てくれていた。

ベンガル語が話せるので、村人へのインタビュー等のお手伝いをしてもらった。1時間位会うために1日かけて、来てくれたのだ。彼らはこの国から何を感じているのだろうか。想像以上のものがあると思った。簡単に言いあらわせないものが彼らの中に深く豊かな根をはっているだろうと思った。つやつや活き活きしていた。それに比べて私なんて、半日でぐったりしている。

向って右側の女性と男性が青年海外協力隊の2人です。

バングラ 4日目

郵便局のボランティア貯金の配当がもらえ、救急車をおくることができるようになったそうだ。それにあわせて、救急医療の指導をしていた。その後、ツアーメンバーは、日本の“夢みる子供基金”が協力してできる私立小学校の落成式に出席した。1971年の独立戦争で両足をなくした、国語・社会の小学校の先生と一緒に。戦争の後遺症が目にみえて、ドキリとした。

ドクターノルシャマンの家で昼食をごちそうになり、次はレンガ工場へ。工場といっても屋根はない。土を練り、型につめ、かわかし、焼く。バングラには、山がない。石もない。家の材料は主にレンガなのだ。体じゆう、顔じゆう土まみれ。頭の上から土をかぶったように土まみれ。しかし、ほこらし気に働いている。「こうやって作るんだ」と自信たっぷりでみせてくれる。

次にさとうきび工場。ここも青空工場。はえ、ぶんぶんで臭い。絞りたてをコップについでのませてくれた(後でひどい目にあうとは知らず‥)煮てとろとろになったのもなめた。「ここに来て、1番、おいしい」などと喜んだ。

さとうきび工場。この機械でぎゅっとしぼります。臭いが‥・。こうやって働いていた。
しぼりたてさとうきびを飲んでいる証拠写真です

次に保健センターの薬剤部で働いているエスラムンさんのお宅へ行った。かなり田舎だ。
裸の子供がいる。やせたやぎがいる。エスラムンさんのお宅はきれいだった。ラジオがある。テレビがある。ポロポロに使い込んだ医学辞書がある。てんこもりのおまんじゅうをごちそうになった。中にはさっきのさとうきびのとろとろが入っている。


エスラムンさん、薬を自慢しているの図。夜になり、日本から持って行っていた医薬品をDr.ノルジャマンとエスラムンさん達に説明した。「ディス イズ コモンコールドメディシン」「ディス イズ アナルジーシックス」「アフターエブリミール」「OK?」「スリータブレット」など知っている限りの単語で…。時に「くしゃみ」などがわからず「ヘツクション アンド ハナミズズルズル」とボディランゲージを使った。「オ〜!アンチヒスタミン!」と分ってくれるものなのだ。

 この国へ来て唯一の活躍場面だった。その時は「おお、あたし、かっこいい」と思っていたが、後から考えるとけっこうなさけない姿をしていたりするので、笑える。

 エスラムンさんは、こわい顔をしているが、とぼけた人で、おもしろい。自分の薬局の薬を見せるからついて来いと言う。自信満々な様子。日本からの薬もある。思っていたより、抗生物質や鉄剤など、けっこう種類がそろっている。カメラをむけるとかっこつける。

夜中、屋上で、大の字になって満天の星を見た。ここも地球上だなと同じだなとしみじみ感じた。目も見える。大地もある。緑もある。人とのふれ合いがある。看護婦さん達はとてもきれいで、おしゃれだし、日本人の女の子と同じような質問をする「何才?結婚は?ボーイフレンドは?」

バングラ 5日目

朝、大そうじをしてダッカへ戻る。村の人達が大勢でお見おくりしてくれた。涙、涙のお別れ。帰りは洪水の被害を調査しながらだった。途中、村人にインタビューする。

車の中でバングラの流行歌が流れていた。
♪なんとかかんとか ハタケ〜 ♪〜 アイラブユーの意味らしい。運転手のアロムは20年つれ添っている奥さんの写真を大切に持っている。「ノットビューティ」なんて言っている顔がにやけている。

この日の夕食はダッカで1番きれいなホテルでいただいた。ここまでは、ハッピーだった。ここからがつらい。ホテルに戻ると部屋はジャスミンの花のにおいで充満していた。ずっとシャワーをあびてなかったのでシャンプーで2度洗いをした。ここまではよかった。「おやすみなさ〜い」と言った後から、急に吐き気がはじまった。2、3回トイレに通ったが、どうも調子が悪い。同室の准看ちゃんが「大丈夫ですか」と心配そうに言ってくれた。「大丈夫じゃなくなったよ〜」と言うと、すぐに別の部屋の看護婦さんに連絡してくれ「点滴をしましょう」ということになった。夜中、2時か3時だったろうか。フロントへ連絡、運転手に連絡、薬局へ輸液を買いに行ってくれたのだ。この時は意識がもうろうとしていて、ずっとトイレをかかえていたのでよく覚えていない。ずっと背中をさすってもらっていた。

バングラ 6日目

点滴が到着。もう上からも下からも出つくした感じだった。気を失うようにねむった。目を覚ますと、横にイスを持ってきて、ひざをかかえて、同室の子がうとうとしていた。ずっとついていてくれたのだ。

ツアーのメンバーのもう1人も同じような症状になったらしく、私の部屋に来て、点滴をうつことになった。ホテルの一室が病室となった。

その日はダッカで買い物の予定だったが、1日中部屋で点滴をうつことになった。ああ、さとうきびの汁がいけなかったのかな、それとも、豚肉を食べないイスラムの国で、日本に帰ったら、トンカツが食べたいと思った罰かな。

外からは、工事の音、車の音、人の声がバラバラとしていた。

水も口にしたくなく、持って行っていた五苓散エキスをちびちびとなめていた。本当にきつくて、不安で、「お母さん、助けて!(亡くなった)おばあちゃん助けて!」と心の中でさけび続けていた。この時の熱40度。お昼すぎ、ツアーのメンバーの1人が梅干しをつぶし、熱いお湯を加えて、梅お茶をつくってくれた。このお茶は、心にじんとしみた。おいしかった。がまんができず、涙がぽろぽろ流れた。

夜、ダッカの空港からシンガポールに向け、飛んだ。幸い、席に余裕があり、3つの席に横になり到着まで、ぐっすりねむっていた。

この時もメンバーはスチュワーデスさんにかけあってくれ、席を確保し、そばにいてくれたのだ。汗だくで目が覚めた頃、シンガポールに到着。車いすに乗り、電動車に乗りロビーまで移動。

バングラ 7日目

シンガポールの空港の病院で注射をしてもらい、空港のホテルでまたもや1日休んだ。

29日の朝、帰国、姉がむかえに来てくれていた。

どんなに効果があるという薬があるとしても人は、優しく、触れ合う心がないと生きてはいけないと思った。

コップ一杯の梅お茶。1晩中そばにいてくれた優しさ(彼女も実は38.5度の熱があったのだと後で知った)、夜中に点滴を手配するのにかけまわってくれた大きなやさしさ、そっと手をにぎってくれた優しさ、おでこに冷たいタオルをのせ、とりかえてくれる手。荷物をずっともってくれていた力強さ。よりかかれる肩……。本当にありがとうございました。

このツアーに参加して、まだ、自分自身、消化できていないことがたくさんあります。
理想と現実には大きなギャップがあるとも感じています。日本のことを考え直すいいチャンスでもありました。そして間違いなく、私がバングラデシュに与えた影響より、バングラデシュからいただいた影響の方が貴く、大きいものであったと感じています。

<会員の広場> 『炭と粗塩・酢のシャンプー&リンス』 早良支部 原南部会 温和堂薬局 福岡秀樹

『炭de洗濯』に続き、今回はシャンプー&リンスを紹介します。今回も京都のグリーンコンシューマ牧野裕子さんの資料を参考にしました。

<会員の広場> 「キャッツと私」 中央支部 警固部会 赤坂薬局 中並世津子

 私は、生まれてから大学の4年間を除き、結婚するまでズーと猫のいる生活をしてきた。一人っ子だったせいもあって、猫は家族の一員だった。猫のことは、大抵のことはわかる。そんな私であるから、「キャッツ」はいつかは観てみたい。いや、絶対観なきや、と思っていた。にもかかわらず、この夏福岡で公演されるまで観る機会がなかった。

初めての「キャッツ」観劇、事前に札幌公演のプログラムも見たし、舞台内覧会にも参加させてもらったので、どんな舞台なのか大体掴んでいるつもりだった。

ところが、びっくり、猫が大きくなっていた。いつも、見下ろして足元にいた猫が、私の目の前に顔を寄せている。表情を変えず凛としてこちらを見つめている。彼らは、感情を体で表現する。うれしいとピョンピョンはねるし、かけまわる。怒ると体を大きく見せようと毛を逆立てたり、甘える時はしなやかな体をすり寄せて来る。今、観ているダンスは、猫そのものの姿だ。彼らは、思いっきり自分を表現し、自分を語ってくれる。とりわけ、グリザベラの歌う再生の歌「メモリー」は心に響く、涙で暗闇に映るのは、キラキラと光る彼女の姿だけ、そこには、彼女と私しかいないかのような錯覚に陥る。

そして、エネルギッシュなダンスは、それぞれの人生(猫生)を謳歌している姿を表わし、「せっかくこの世に生まれてきたのだから、精一杯に生きなきゃもったいないヨ」そう、言われているような気がする。そこには、生きている実感があり、他のものに左右されない強さがある。

「キャッツ」は、単に猫の出て来るミュージカルではなかった。彼らの生き方を観ることによって、明日への希望と力が湧いて来る。言葉を持たない猫に、励まされ、教えられた気がする。

日々の忙しさや雑事に負けそうになったら、また、彼らに会いに行こう。勇気と幸せを感じ取れる心を求めて‥・。

中並先生はすっかり劇団四季のミュージカル“キャッツ”のとりこになられた御様子。
 「若い薬剤師にもぜひ見てもらいたい。そしてもっと燃えて欲しい!」と力強くおっしゃっていました。皆さんも福岡シティ劇場に一度足を運んでみませんか?(K)

<リレー・書いていい友!(市薬会員の輪)> カワラナデシコとブラックバス 早良支部 原北部会 たつみ薬局 清水達

いよいよ生物の活動が活発になる春がやって来ましたが、私の目を楽しませる薬草と川魚も活動期にはいります。

市薬の会員薬草観察会や早良区の区民薬草観察会に参加しはじめて6〜7年、初めはそれほど興味も湧かなかったのが、早良区では薬草に詳しい有馬・本村・西岡先生がいて、早良区健康フェアの薬草展示に出展するために毎年一年間丹精こめて薬草の鉢植えを約70種も育てているすごい先生達でありまして、私も感化され薬草の魅力に引き込まれてゆきました。

丁度住まいを西区叶岳の中腹に移してからは、店まで約4キロの往復の路地に生えている野草に次第に目がひかれるようになり、これらの路地はそのほとんどが家が建ち並びアスファルト舗装された上を車が走りかう道でありながら四季折々の薬草野草が咲き乱れます。

可憐な花ではカワラナデシコ・ヒナギキヨウ・ネジバナ・アケボノソウ・ムラサキケマン・マツヨイグサなどが咲き、サネカズラ・ヒヨドリジョウゴ・ノブドウ・ホウノミ・アケビなどの美しい実もたわわにみのります。

途中の室見川河原にはアキノタムラソウ・サクラタデ・ゲンノショウコ・ヤクシソウ等が可憐に咲き、ママコノシリヌグイ・イシミカワ・カナムグラ・ヤブガラシ等の薬草が嫌われながらも繁殖しています。

犬の散歩にかこつけて散歩していても、いつも草木に目が奪われながらの散歩で、初めて見つけた野草などがあると犬の散歩も中止して家に舞い戻って図鑑とにらめっこ、犬には迷惑でしょうが結構野草探索にハマツテしまって一人で楽しんでいます。去年はサギソウとマツカゼソウ・ヘラオオバコを見つけ宝物を見つけたように一人で感動したりしていました。

しかし毎年その生息地も道路拡張や宅地開発で削られて環境は確実に悪化していて去年まで群れをなして茂っていた薬草野草も一挙に消えてしまう事もあり悲しくなります。今一番心配しているのはカワラナデシコやネジバナの花があまりにも.か細く美しいので心ない人手によって摘み取られてしまうか、帰化植物ブタナの侵略に負けてしまうのではないかということです。我が家の近くでも在来種の薬草野草が外来種の繁殖に押され、セイタカアワダチソウは少し減ったもののベニバナポロギクやアメリカセンダングサ、オオブタクサ・アレチマツヨイグサが大繁殖して在来種を駆逐しています。

前回の市薬会員薬草観察会では第一薬大教授の木村教授の話の中で日本ではセイタカアワダチソウが猛威をふるったが、反面、北アメリカでは日本のクズをダムのコンクリート隠しに移植したのが大繁殖して困っているとか。薬草と言ってもけっこう種類も多く、この機会に店から我が家までの間に生えている薬草を数えてみましたらなんと160種以上にのぼる事がわかり驚いています。

この薬草達はいつの間にか我が店の小さな庭まわりにも移り住みドクダミ・ゲンノショウコ・ミツバ・ヒキオコシ・エビスグサ・オナモミ・ヤマイモ・カラスウリ等 約30種以上がなかば雑草化して繁殖し、みすぼらしい我が店をなおさら際立たせ家内からヒンシュクを買うしまつ。薬剤師会には薬草に詳しい先生方が沢山おられ今後も先生方に教わりながら、いよいよ身近な薬草探索にのめり込んで行きそうです。

薬草観察と似た趣味に、この十数年来、子供の多い我が薬局の小‘さな水槽に毎年室見川の魚を飼っていて患者親子に鑑賞してもらっています。初めは熱帯魚を飼っていたのが途中で死んでしまい、その頃小さかった我が子と室見川に魚すくいに行って持ち込んだのが始まりでタナゴ・モロコ・フナ・ハヤ・モツゴ・テナガェビ・メダカ・スジェビ・シマドジョウ・ウナギ・ナマズ等10〜15種類もの稚魚を形をととのえて一つの水槽に共存させています。種類が多いので生存競争があり水の濁りも早く手入れがたいへんですが、熱帯魚よりはるかに珍しく親近感があり、見る人の感心も人気も高いので今ではやめるわけにもゆかなくなっています。

一年間育てて夏まで生き残って育ちすぎた魚をみんな元の川に戻し、また新しい幼魚を取りなおすのですが、わが子が小さかった頃は子供を連れての魚取りで済んだのが、大きくなった我が子には無視され、大の大人が小さな網とバケツを持って魚すくいに出かける姿に我ながらかっこう悪く苦痛になっていますが、だからといって・今更このサカナスクイはやめられないのです。

ところが去年の秋、名前も知らない新しい小魚を2種類つかまえ一緒に育てていたのですが、最近それが外来種のブラックバスとブルーギルの幼魚とわかった時は既に遅く、在来種のほとんどの小魚やェビが食べられてしまい、水槽の中はこのブラックバスとブルーギルが我が物顔で悠々と泳いでいるのです。

そのうえこのブラックバスは生魚か生肉しか食べないし腹一杯になっても更に餌を食い散らかすファイターでなんとも憎らしい。この夏は室見川もこれらの外来肉食魚に占領されてしまっているのではないかと生態の変化が気掛かりです。しかしこの在来種は小学生にはルアーフイシングで結構人気が有るようでわざわざ連れ立って見に来たりするので、このような時代と環境の悪化に戸惑っています。

こんな私の自然とつきあう趣味はほとんど金もかからずまだまだ続きそうですが、それにしてもここ数年の不況は規制緩和や安売りで薬局業界の低迷は打つ手もなく嘆かわしい事で、外来種のセイタカアワダチソウやブラックバスがスーパードラッグに見えて来て、在来の可憐なカワラナデシコのような小薬局を食いものにするかのようです。手をこまねいて環境にただ耐えてゆくだけでなく明るい春の日差しを呼び込みましょう。

(このリレー、次は城南区 占部薬局の中山 廣子先生にバトンタッチします)

<私のやっている医療薬学研究 第5回> 九州大学薬学部薬剤学講座 澤田康文 4.酵素が関係した薬の作用

〈はじめに〉

現在臨床において使用されている薬剤は、生体の持つレセプターに対して直接作用する薬物(アゴニストおよびアンタゴニスト)、生体の持つ酵素に対して阻害作用を示す薬物、病原体に対して作用する薬剤(抗菌薬,抗ウイルス薬,抗真菌薬等)等種々の作用機構を有しています。レセプターに作用する薬剤については既に述べました。今回は、酵素を阻害する薬剤の評価法についてファーマコキネティクス・ファーマコダイナミクスの観点から紹介したいと思います。酵素阻害剤と しては数多く使用されており(表1)、疾病の原因の解明とともに、さらに治療上重要な役割を担っていくものと考えられます。

表1 本邦において使用されている酵素阻害作用を有する医薬品の一部

そこで、酵素阻害作用を有する種々の薬剤の体内動態(ファーマコキネテイクス)とその酵素阻害作用による薬理作用発現(ファーマコダイナミクス)を解析し、本手法の臨床における有用性を検討し、有効な薬剤投与設計への応用を試みました。これまで行った研究の対象となった薬剤としましては、消化性潰瘍治療薬であるオメプラゾール、ランソプラゾールおよびパントプラゾール1,2)、新規前立腺肥大症治療薬であるFK1433,4,5)および抗血小板薬のアスピリン、チクロピジンおよびシロスタゾールです6,7)。今回、紹介するのは抗血小板薬についてです6)

〈抗血小板薬のヒトにおける作用〉

アスピリン,チクロピジンおよびシロスタゾールなどは抗血小板作用を有し、心筋梗塞や脳梗塞などの予防、慢性動脈閉塞症に基づく潰瘍、痺痛、および冷感などの虚血性諸症状の改善および血栓・塞栓症などの治療に繁用されている薬剤です。血栓症の治療においては、安定した作用の維持が不可欠ですが、一方では、血栓症の患者は外科的手術の適応に移行する場合が多く、手術前の適切な休薬期間が必要とされます。従って、各薬剤の体内動態と抗血小板作用の関係を定量的に解析することは、臨床においての抗血小板薬の投与設計に重要な情報を提供できると考えられます。

〈アスピリンのヒトにおける作用〉

これらの中でアスピリンは組織中や血小板中に存在するアラキドン酸からプロスタグランジンH2への生成に関与するシクロオキシゲナーゼを阻害することにより、血小板および血管内皮細胞におけるプロスタグランジン類やトロンボキサン類の生成を低下させるものと考えられています。トロンボキサンA2は血小板で生成、放出されて血小板凝集を促進させると考えられますが、アスピリンはシクロオキシゲナーゼの529位セリン残基を選択的にアセチル化することによりシクロオキシゲナーゼ活性を不可逆的に阻害し、トロンボキサンA2の生成を低下することにより抗血小板作用を示すと考えられています。

 アスピリンの血祭からの消失は極めて速やかであることが知られていますが、一方で薬理効果の発現には長時間要することが明らかとなっています。アスピリン1日75mgを796名の不安定狭心症またはnon-Q wave心筋梗塞患者に投与した調査では、投与開始2日目までは心筋梗塞あるいは死亡の危険減少効果が認められませんでしたが、5日後には57−69%に低下していることが報告されています。低用量(30−50mg)のアスピリンの作用は蓄積的であり、作用が定常に達するまでに7−10日要することが知られています。一方、325mgを1日2回の服用にした場合には投与初期の有効性が認められています。これらの現象の説明として、血小板はタンパク合成能を持たないためアスピリンにより阻害されたシクロオキシゲナーゼ活性は血小板の代謝回転によって回復し、活性シクロオキシゲナーゼを含む血小板に置換されるまで血小板寿命である8−10日を要することによると考えられています。

 さらに、アスピリンは血管内皮細胞におけるシクロオキシゲナーゼも同様に阻害し、血小板凝集阻害物質であるプロスタサイクリンの生成も低下させるため、実際の抗血栓作用はこれらの相反する作用の和として得られると考えられています。従って、アスピリンによる最適な抗血小板作用を得るためには、トロンボキサンA2の生成を十分に阻害し、プロスタサイクリンの生成阻害を最小にする投与計画を実施する必要があると考えられます。

〈アスピリンの血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼ阻害作用のファーマコキネティクス/ファーマコダイナミクスモデル解析〉

本研究では、アスピリンを単回投与した時の血祭中アスピリン濃度推移とトロンボキサンA2生成阻害作用、プロスタサイクリン生成阻害作用の関係を説明するために、アスピリンによるシクロオキシゲナーゼの不可逆的阻害を考慮したファーマコダイナミックモデルを構築し、アスピリンとシクロオキシゲナーゼの反応速度定数およびシクロオキシゲナーゼの代謝回転速度を推定しました。更に、得られたパラメータを用いてアスピリンの反復投与時の作用を予測し、現在臨床で使用されているアスピリンの用量の妥当性について考察しました。

先ず、解析に用いたデータについてお話ししましょう。アスピリンの血祭中濃度推移は普通錠325mg服用後の濃度を使用しました。

アスピリンを単回投与した時のトロンボキサンA2阻害作用は、アスピリン650mg服用後のトロンボキサンB2(トロンボキサンA2から速やかに生成される代謝物)の生成阻害作用を使用しました。アスピリンを単回投与した時のプロスタサイクリン生成阻害作用は、アスピリン300mg服用後のデータを使用しました。

アスピリンを単回投与した時のトロンボキサンB2生成阻害およびプロスタサイクリン生成阻害の用量作用関係、アスピリンを反復投与した時のトロンボキサンB2阻害作用についても過去に報告された値を使用しました。

解析に用いたファーマコキネテイクス/ファーマコダイナミクスモデルを紹介しましょう。アスピリンによるトロンボキサンA2およびプロスタサイクリン生成阻害作用はそれぞれ血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼの不可逆的阻害によるものであると仮定して、フアーマコキネティクス/ファーマコダイナミクスモデルを構築しました(図1)。

アスピリンの抗血小板作用のファーマコダイミックモデル

図1 血漿中アスピリン濃度とトロンボキサンA2およびプロスタサイクリンの生成阻害作用の関係を血小板および血管内皮細胞のシクロオキシゲナーゼの見かけの代謝回転を含んだPK/Dモデルにより解析した。トロンボキサンA2およびプロスタサイクリンの生成阻害作用は、E/E0(e)およびE'/E0(e')に比例すると仮定した。 Cp:血染中アスピリン濃度,Ks,K's:血小板および血管内皮細胞のシクロオキシゲナーゼの生成速度,E,E':血小板および血管内皮細胞のシクロオキシゲナーゼの量,K,K':アスピリンと血小板および血管内皮細胞のシクロオキシゲナーゼの反応速度定数,ke,k'e:血小板および血管内皮細胞のシクロオキシゲナーゼの見かけの代謝回転速度定数。

トロンボキサンA2は速やかにトロンボキサンB2に代謝されるため、血祭中トロンボキサンB2濃度の変化をトワンボキサンA2の変化の指標として使用しました。
 薬物非存在下においては、血小板中シクロオキシゲナーゼ(E)および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼ(E')はそれぞれ一定速度KsおよびK'sで生成し、一次速度定数keおよびk'eで消失するものと仮定しました。

薬物非存在下では血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼは一定量に維持されていると考えられますので、式(1)および(2)は0に等しく、式(3)および(4)が成立します。

ここでE0およびE'0は薬物非存在下の血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼ量です。血祭中にアスピリンが存在すると血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼとそれぞれ2次反応速度定数KおよびK'で反応してシクロオキシゲナーゼを不活性化させます。

ここで、Cpは血祭中アスピリン濃度です。EおよびE'のE0およびE'0に対する比をそれぞれとおよびE'としますと式(5)および(6)は式(7)および(8)に書き換えられます。

最初にアスピリンを単回投与した時の血祭 中アスピリン濃度推移を非線形最小二乗法に より線形1−コンパートメントモデルに当て はめて薬物動態パラメータを決定し、体内動態を線形と仮定して以降の解析の入力関数と して使用しました。次にアスピリンを単回投与した時のトロンボキサンB2生成阻害作用およびプロスタサイクリン生成阻害作用との関係を非線形最小二乗法により式(7)および(8)にあてはめてK、K'、KeおよびK'eを推定しました。更に式(7)および(8)により種々のアスピリン投与スケジュールに基づくトロンボキサンA2およびプロスタサイクリン生成阻害作用のシミュレーションを実施して実測値と比較しました。
 解析に使用したアスピリンを単回投与した時の血祭中アスピリン濃度、トロンボキサンB2およびプロスタサイクリン濃度の経時変化と非線形最小二乗法によってあてはめたラインを図2に、得られたパラメータを表2に示しました。

アスピリンを経口投与した時の血費中濃度,トロンポキサンB2およびプロスタサイクリンの生成阻害作用

図2
●:アスピリンを1人の被験者に325mg経口投与した時の血祭中濃度。
▲:アスピリンを6人の被験者に650mg経口投与した時のトロンボキサンB2の生成阻害作用(平均値±S.E.)。
■:アスピリンを9〜21人の被験者に300mg経口投与した時のプロスタサイクリンの生成阻害作用。実線はフィッティングライン。

表2 トロンボキサンB2とプロスタサイクリン産生阻害に関するファーマコダイナミックパラメーター

あてはめたラインはいずれも実測データとよく一致しており、アスピリンが速やかに血祭中から消失するにもかかわらず、作用が長時間持続することが本ファーマコキネティクス/ファーマコダイナミクスモデルにより説明可能であったと言えます。keおよびK'eから計算される血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼの平均滞留時間(1/Keおよび1/K'e)はそれぞれ約7日および4日でありました。

体重74.8kgのヒトにアスピリン0.45mg/kgを1日1回30日間反復投与したときのトロンボキサンB2濃度の経時変化の実測値と、表2のパラメータを用いて計算した本モデルによるシミュレーションラインを図3に示しました。

アスピリンを0.45mg/kg経口投与した時のトロンボキサンB2の生成阻害作用

図3各々のシンボルおよびバーは平均値±S.E.。実線はシミュレーションライン。

シミュレーションラインは実測値とよく一致しており、本モデルにより単回投与データから反復投与時の作用が予測可能であることが示されました。種々の投与量のアスピリンを単回投与した時のトロンボキサンB2およびプロスタサイクリン生成阻害作用の実測値と表2のパラメータを用いて計算した用量作用曲線を図4に示しました。

アスピリンを単回経口投与した時のトロンボキサンB<sub>2</sub>(投与24時間目)およびプロスタサイクリン(投与14時間目)の生成阻害作用の用量−作用曲線

図4 各々のシンボルおよびバーは報告値(平均値±S.E.)。実線はシミュレーションライン。

いずれの用量作用曲線も実測データとよく一致していることが判ります。

抗血小板薬は心筋梗塞や脳梗塞などの予防に汎用されており、不安定狭心症、心筋梗塞、脳虚血などの既往患者における死亡危険率を1/6に低下させるといわれています。本研究では抗血小板作用を目的としたアスピリンの用量の合理的な根拠を明らかにするため、アスピリンの作用をトロンボキサンA2生成阻害による血小板凝集阻害作用とプロスタサイクリン生成阻害による血小板凝集促進作用を考慮して、アスピリンを単回投与した時のそれぞれの作用の用量作用関係を速度論的に解析したものです(図4)。

しかし、これらの作用は長時間持続するため、反復投与した時には作用の重複により用量作用関係が低用量側にシフトすることが考えられます。そこで1日1回反復投与した時の定常状態における用量作用関係をシミュレーションしたところ、トロンボキサンA2阻害作用は40−80mg、プロスタサイクリン阻害作用は300mgでほぼ最大に達するということが推定されました(図5)。

アスピリンを15日間反復経口投与した時トロンボキサンB<sub>2</sub>およびプロスタサイクリンの生成阻害作用の用量−作用曲線

図5 実線はシミュレーションライン。

本モデルによる解析で得られたKeおよびK'eから計算される血小板中シクロオキシゲナーゼの平均滞留時間は血小板の寿命(8−10日)と対応していました。更に、図3に示しましたように低投与量では作用が十分に発現するまで数日を要すること、低用量でも投与を中止後作用が消失するまでに10日前後を要する事が説明可能であったこと、更に用量作用関係が説明できること(図4)などから、本モデルにより種々の投与量における作用を予測可能である事が示されました。これらの解析は、アスピリンによる抗血栓作用を得るための投与設計に応用可能であると考えられます。

プロスタサイクリン生成阻害作用による抗血小板作用の減弱については未だ十分には解明されておらず、ウサギを用いた動物実験ではプロスタサイクリン生成阻害が抗血小板作用に影響を与えないという報告と、影響するという報告があります。現在まで高用量のアスピリンが血栓を誘発する臨床的証拠は得られておらず、高用量でも臨床的効果は得られていることから、十分なトロンボキサンA2阻害作用が得られる1日80mg程度が最適であると考えられます。

アスピリンの使用初期では、アスピリン325mgを1日4回あるいは650mgを1日2回の投与により虚血性心疾患の発生や死亡の危険を減少させ、975mgのアスピリンをジピリグモールと併用することにより冠動脈バイパス閉塞の危険が50%減少することが報告されています。近年では、アスピリン1日100mgの単独投与でも同様の有効性が報告されています。

更に、1日30mgの投与でも十分なトロンボキサンB2生成の抑制や出血時間の延長が認められますが、10mgではトロンボキサンB2生成が60%抑制されるものの出血時間は変化しないことが認められています。一般に、抗血小板作用を得るために必要なアスピリンの投与量は75−100mgが推奨されており、この投与量で十分なトロンボキサンB2生成阻害作用が得られますが、速やかに作用を得るためには初期投与量を300−325mgにすればよいとされています。一方、アスピリン10−40mgの投与ではプロスタサイクリンの代謝物である6−keto−PGF1alphaの尿中排泄は変化しませんでしたが、80−300mgでは血管内皮細胞のプロスタサイクリン生成能が低下することが示されています。これらの報告はいずれも今回のシミュレーション結果を支持するものであり、今回の解析が妥当なものであることが示唆されたと言えます。

アスピリンは極めて速やかに血祭中から消失して活性代謝物であるサリチル酸に変換されるため、親化合物であるアスピリンそのものの体内動態についてはほとんど報告されていません。特に、抗血小板作用を目的とする低用量の投与では体内動態解析に耐え得るデータは見あたらなかったため、今回の解析ではアスピリンの体内動態を線形として取り扱いましたが、用量作用関係が十分説明できたことから(図4)、この仮定の妥当性が示されたと考えます。さらにアスピリンは速やかに1次速度過程に従って吸収され、その30−40%が腸管粘膜で初回通過代謝を受け、アスピリンの血祭中消失半減期(13−19分)はinvitroでの血漿中での加水分解の半減期(15−20分)とほぼ一致していることから、体内に吸収されたアスピリンの大部分はエステラーゼにより加水分解され、その消失過程に飽和はないと考えられます。

アスピリンによる血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼ阻害作用の差に関して、血小板への作用は門脈中で既に発現するのに対して、血管内皮細胞への作用は全身循環血中のアスピリンが関与するためと考えられています。アスピリンを徐放化することにより吸収速度を低下させ、すべて門脈血中で代謝させることにより選択的に血小板中のシクロオキシゲナーゼのみを阻害することの可能性が考えられています。実際に、トロンボキサンB2生成阻害作用はアスピリンが全身循環血中に出現する前から発現しており、腸溶性製剤投与後には全身循環血中にアスピリンが検出されないにもかかわらず抗血小板作用が得られています。門脈血中アスピリン濃度に関する情報が過去の報告から得られなかったため、本解析ではいずれの作用も全身循環血中アスピリンが関与するとして解析しました。今後は、初回通過効果まで考慮した解析を行うことにより2種のシクロオキシゲナーゼ阻害活性の差がさらに明確に説明できるかもしれません。

アスピリンの血小板中および血管内皮細胞中シクロオキシゲナーゼ阻害作用の差に関しては、アスピリンの作用点における体内動態の相違に加えて、シクロオキシゲナーゼの代謝回転の違いも考えられます。血小板はタンパク合成能を持たないためシクロオキシゲナーゼが不可逆的に阻害されますが、血管内皮細胞中ではシクロオキシゲナーゼが再生されるため反復投与時の阻害率が異なることが示唆されています。本解析で得られたシクロオキシゲナーゼの消失速度定数(keおよびk,e)は血小板中の方が若干小さいが大きな差はなかったと言えます。むしろ反応速度定数(KおよびK,)に差が見られたことから.、先に述べた作用部位による濃度の違いによるものである可能性が考えられます。この点については、今後動物実験などの基礎的データに基づいた詳細な検討が必要です。

今回はアスピリンの体内動態と薬理効果との関係に関して、図1のモデルに従って、解析した結果を示しました。図1の酵素阻害モデルは、薬物作用メカニズムが酵素阻害であり、薬物の体内動態と作用発現の時間推移に帝離現象がある場合に有用と考えられ、そのモデル使用の普遍性については色々な作用機構によって作用を惹起する薬物をとり上げて、現在検討しているところです1,2,3,4,5,6,7)。機会があればそのうちご紹介したいと思います。

引用文献

1)Katashirna, M., Yamamoto, K., Sugiura, M., Sawada, Y. and Iga, T : Comparative pharma cokinetiq/pharmacodynamic study of proton pump inhibitors, omeprazole and lansoprazole inrats. DrugMetab. Dispos., 23 : 718-723, 1995.
2)Katashima, M., Yamamoto, K., Tokuma, Y., Hata, T., Sawada, Y. and Iga, T. : Compara tive pharmacokinetiq/pharmacodynamic anal ysis of proton pump inhibitors omeprazole, lansoprazole and pantoprazole, in humans. Eur. J. Drug Metab. Pharmacokinet. 23 : 19 -26 (1998)

3)Katashima, M., Yamamoto, K., Haraguchi, K., Tokuma, Y., Hata, T., Sawada, Y. and Iga, T. : Tissue distribution kinetics of a new non steroidal 5a -reductase inhibitor, 4- [3- [3 - [Bis(4- isobutylphenyl)methylamino] benzoyl]- l#- indol- l- yl]- butyric acid, in rats. Drug Metab. Dispos., 25 : 1051 1058, 1997.

4)Katashima, M., Yamamoto, K., Tokuma, Y., Hata, T., Sawada, Y. and Iga, T : Pharma cokinetic and pharmacodynamic study of a new non- steroidal 5a -reductase inhibitor, 4- [3- [3- [Bis(4- isobutylphenyl)methyl amino]benzoyl]- liJ- indol- 1- yl]- butyric acid, in rats. J. Pharmacol. Exp. Ther., 284 : 914- 920, 1998.

5)Katashima, M., Irino, T., Shimojo, F., Kawamura, A., Kageyama, H., Higashi, N., Miyao, Y., Tokuma, Y., Hata, T., Yamaraoto, K, Sawada, Y. and Iga, T. : Pharmacokinetics and pharmacodynaraics off FK143, a non steroidal inhibitor of steroid 5a - reductase, in healthy volunteers. Clin. Pharmacol. Ther., 63 : 354-366, 1998.

6)Yamamoto, K., Abe, M., Katashima, M., Yamada, Y., Sawada, Y., and Iga, T. : Pharma codynaraic analysis of antiplatelet effect of aspirin in the literature Modeling based on inhibition of cyclooxygenase in the platelet and the vessel wall endothelium. Jpn. J. Hosp. Pharm. 22 : 133-141, 1996.

7)Shimizu, T., Yamada, Y., Katashima, M., Tashita, A., Yamamoto, K,. Kotaki, H., Sawada, Y. and Iga, T. Pharmacodynamic analysis of antiplatelet effect of cilostazol and its application to drug dosage regimen Modeling based on reversible inhibition of phosphodiesterase in the platelet. Jpn. J. Hosp. Pharm. (in press).

〜お知らせ〜

H10.11と12月のファーマコキネティクスの記事はお休みです。両月はサエラ薬局の三木晶子先生が担当、津田先生のPK講義はお休みでした。三木先生は病態下における薬物動態として、 1.肝疾患時における薬物動態 2.心疾患時における薬物動態 3.腎疾患時における薬物動態についてお話ししていただきましたが、内容が盛りだくさんで一枚にはまとめられません。詳しくはH10.11月のステップアップセミナーのレジメ、 11月分の三木先生のまとめのレジメを参照して下さい。三木先生のレジメより主な引用文献を紹介しておきます。
   「薬物動態学 一基礎と応用-」 高田寛治著 薬業時報社
   「最新医療薬学I」 伊賀立二・幹賢一・輝田康文編著 南山堂
   「月刊薬事」 vol.40,no.8&11平田純生著 薬業時報社


!!新刊紹介 澤田先生の本がでました!!
      『しのびよる身近な毒』 澤田康文著 ひつじ科学ブックス
0−157、サリン、環境ホルモンをはじめ、アルコール、カフェイン、ニコチン等身近にある毒について、その作用、メカニズムを解析した「毒についての入門書」です。(T.S.)

<福岡市老人クラブ連合会2> 薬局委員会 早良区友愛訪問事業交流会

時期:平成10年12月3日(木)
場所:早良市民センター第1会議室
講師:上村義徳先生(早良区 うえむら薬局)

1.高齢者の服薬と管理について
2.友愛訪問事業について

去る12月3日、早良市民センターにて、我が広報のベテラン、上村義徳先生が「高齢者の服薬と管理」についての講演をなさった。

老人クラブが全国運動として取り組む「医療と薬の学習・実践活動」の一層の普及・強化と、そのより効果的な推進方法の開発に資するため、モデル地区を設定して先進的な実践を試みる事業の「環によるものである。因みに全国に「指定都市老人クラブ連合会」は30カ所あり、更に福岡市早良区には122の老人クラブがあるとの事。

講演は、「薬剤師とは?」「薬剤師会とは?」「かかりつけ薬局とは?」のわかりやすい解説にはじまり、それらへの理解や協力要請で閉めくくった、よく出来た構成であった。声よし、テンポよし、ユーモアを交え聴講者の反応を見ながら、話は快調に進んだ。ヒ素、サリン、ダイオキシン、PCB etc.化学物質がからんだ事件が多い昨今、我々も気をひきしめ日頃の研錆をおこたらず、社会へ貢献をして行かなければならない事を改めて思い起こさせる実のある講演であった。  (K)

声よし・テンポよしの上村講師早良区交流会会長ナニ?バイアグラ?受付・・・賑わう

<トピックス> 最近の抗アレルギー薬の特性と薬物相互作用 学術委員会

 初期に開発された第1世代H1受容体括抗薬から、抗ヒスタミン作用とともに、肥満細胞からのケミカルメディェ一夕ー遊離抑制作用を併せ持つ抗アレルギー薬が次々に開発されてきた。これらは第2世代として、気管支喘息やアレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎の予防維持薬として汎用されている。また最近では、特異性が高く、強力な桔抗作用をもち、脳内移行性が少ない新しいタイプの抗ア レルギー薬が開発されている。

●薬理学的特性

 第1世代H1受容体括抗薬は、その化学構造において図1に示すような共通骨格を持っている。いずれも脂溶性が高く、血液脳関門を通過できるので、中枢神経作用が発現しやすい。また、受容体選択性がそれほど高くなく、H1受容体以外にムスカリン受容体、αアドレナリ受容体、ドパミン受容体、セロトニン受容体などに対してもある程度括抗作用を発揮する(表1)。

図1 第1世代のヒスタミンH1受容体措抗薬の基本骨格とその代表的な薬物

表1 主な抗アレルギー薬の薬理学的特性

第2世代として開発された抗アレルギー薬ケトチフェン、アゼラスチン、オキサトミドは、化学構造上は第1世代H1受容体括抗薬と共通性がない(図2)。いずれも強いH1受容体括抗作用に加えて、アセチルコリン、セロトニン、ドパミン、血小板活性化因子(PAF)、ロイコトリエンの各受容体に対してもある程度の桔抗作用を有している。

図2 主な抗アレルギー薬

また、第1世代、第2世代H1受容体括抗薬の最大の欠点である中枢神経抑制作用や抗コリン作用のない抗アレルギー薬が開発された。脳内より末梢のH1受容体に選択性が高く、脂溶性が低いので血液脳関門の通過性が少なく、肥満細胞からのケミカルメディエーター遊離抑制作用をもつ、一連の新しい強力・持続型H1受容体括抗薬である。この第3−世代といわれる抗アレルギー薬は、アセチルコリン、セロトニン、ドパミン受容体に対する括抗作用も弱いか、ほとんどみられないものが多い。また、肝臓での代謝物がH1受容体桔抗作用を示すことや、半減期が長いこと、H1受容体との結合が部分的に非可逆性であることなどの特徴を有しており、これらが効力の増大や作用の持続性に寄与していると考えられている。

●副作用

 テルフェナジンやアステミゾールでは、過量投与や肝硬変患者に常用量を投与した場合、心電図上QT間隔の延長や多形性心室性不整脈を起こすことが報告されている。
 エバスチンでも、動物におけるQT間隔の延長が報告されている。しかし、先日発売されたセチリジンには、このような副作用はないと考えられている。

●薬物相互作用

各世代の抗アレルギー薬は、常用量ではそれほど重大な副作用は認められないが、過量になったり、肝障害があって血中濃度が上がると多くの副作用が出やすい。こ.のことは他の薬物との併用により、薬学的、薬物動態学的相互作用が出やすいことを意味している。

表2のように、ほとんどの抗アレルギー薬はアルコール、催眠薬、鎮静薬、向精神薬などの中枢神経抑制薬と併用すると、過剰な中枢神経抑制作用が現れて、催眠、めまい、脱力などを起こす恐れがあり、特に老齢者では注意しなければならない。ご存じのように、第3世代抗アレルギー薬は、肝臓でこれらを代謝するチトクロームP450に対して阻害作用を有する抗真菌薬(イトラコナゾール、ミコナゾール、フルコナゾール、ケトコナゾール)や、マクロライド系抗生物質(エリスロマイシン、クラリスロマイシン、ジョサマイシン、オレアンドマイシン)などと併用すると、未変化体の血中濃度が上昇して心室性不整脈を誘発し、失神から全身痘攣に至るケースもあり、危険な相互作用を発症させるので、これらの薬物との併用を禁止するか、慎重投与するよう警告が出されている。食品の中では、グレープフルーツ成分の中にもこの薬物代謝酵素活性を阻害するものが含まれているので、第3世代抗アレルギー薬服用患者には、グレープフルーツやその加工食品を食べないように指導する必要がある。現在までのところ、このように危険な相互作用が報告されていないのはメキタジン、エビナスチン、セチリジンくらいである。

●先頃発売されたセチリジン(ジルテック錠)においては、今のところ相互作用のある薬物は報告されてないようであるが、今後の臨床効果に期待したいものである。

検証;抗ヒスタミン薬 98.6

表2 主な抗アレルギー薬の薬物相互作用

<特集・「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用防止活動4> 「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ

今回はコカインです。一度味わったならもう二度と抜けられなくなると言います。
“one hit and you are hooked”drug.そういう意味では、アヘンよりも更に強い麻薬かもしれません。コカインはまだ日本では普及が進んでいません。それだけが現在は幸いと言えるかもしれませんが、未来は不確定です。コカインの薬禍が日本を席巻することのないように、今回はコカインについての知識を深めて欲しいと思います。なんとなく怖い。と言うような曖昧な考えでいては、コカインの恐ろしさは免れません。   (T.S.)

Q.コカインは何からできているでしょう?
1.両米原産の「コカ」という木の葉から抽出された物質
2.チョコレートの原料であるカカオ
3.合成された化学薬品

薬物別解説/コカイン

コカインはコカという潅木の某が原料です。原産地は南米で、古代から貨幣と同様に扱われる貴重な植物でした。後にヨーロッパでコカの葉から独自のアルカロイド成分・コカインが分離され、麻酔薬として使われるようになりました。 

コカインはごく少量でも生命に危険な麻薬です。主に鼻の粘膜から吸いこんで摂取するため鼻が炎症を起こし、肺も侵されます。この麻薬のもっとも特徴的な中毒症状には、皮膚と筋肉の間に虫がはいまわるような感覚が起こる皮膚寄生虫妄想というものがあります。また、脳への影響も大きく、痴呆状態となり人間として生きることそのものを放棄することになるのです。これらの他にも妊娠中のコカイン摂取が子供に及ぼす影響(コカインべ−ピー)も重要な問題です。 

コカインの恐ろしさは、どんな人も決してやめられないことにあります。ゆっくりとした死への道筋をたどらせるコカインについて、改めて見直してゆきましょう。

コカインの原料 

コカインは南米に生育する「コカ」という木の葉から抽出される物質で、通常はふわふわした感じの白色粉末です。化学的にコカインは中枢神経に覚醒作用を及ぼすほか、局所手術用の麻酔として使用されています。人々は何世紀もの間、この薬を使用し、また、乱用もしてきました。 

末端の密売における呼び名としては、コーク(coke)、トウート(toot)、プロウ(blow)、キャンディー(candy)、リーフ(leaf)、シー(C)、ノウズ・キャンディー(nose candy)、フレイク(flake)、ハッピー・ダスト(happy dust)、ホワイト・ガール(white girl)、そしてゴールド・ダスト(gold dust)があります。

コカ葉(COCA LRAF)

南米のボリビアやペルーなど、アンデスの高地に産する耐寒性の樹木、エリスロキシロン・コカ(Erythloxylon coca)と呼ばれる木の葉には、今日コカインとして知られるある種のアルカロイドが含まれています。この樹木は国内消費用に正規に栽培されていますが、それらの一部は不正ルートを通じて流され、コカ・ペイスト(coca paste)の形にされたうえ、塩酸コカインを製造する能力を持った密造所へと運ばれます。

クラック!(CRACK)

「クラック」(CRACK)や「ロック」(ROCK)という名で知られているこの薬は、おそらく今日巷で密売されているクスリの中で、もっとも危険なものの一つであると言えましょう。あらゆる年齢や階層の人々に広く乱用されていると言っても過言ではありません。コカインを精製した形のこのクスリは簡単に入手でき、そのうえ極めて強力です。 

クラックは「塩」(エン)の形をしたコカインに、化学的な変化を与えることによって作られる遊離体の結晶性アルカロイドです。(例えば塩酸コカインからHCLが取れて、コカインの遊離体になることを説明しているのです)これは膏薬状のものが固まった状態のものですが、通常はこれを砕いて、いくつもの砂礫状の小さな塊となっています。安価で強力ですから、勢い使用者の間で大きな問題を作ってしまいます。 

クラックによる「ハイ」(恍惚感)は、吸煙したとき即座に現れます。効果の持続時間は、ほんの3〜5分ですから、次々とこの強力なクスリを反復して使用してしまうのです。クラックはコカインと同様危険ですが、その程度は一層激しいものです。 

このクスリに対する依存症は極めて高いもので、たとえ一回でも使いますと、忽ち依存ができてしまいます。いてもたってもいられない程の極めて強烈な欲求が生じるのがこのクスリの副作用で、生活の全てを犠牲にしてでも(クスリの)満足感を味わおうとします。

フリーベイシング(FREEBASING)

1979年以降、コカインの喫煙用フリーベイシング(遊離体を作る作業)が目を見張る程盛んになってきました。フリーベイシングと称する所以は、巷で密売されているものが「塩」 (エン)の形をしているため、加工を通じて、これから塩基を取り除いて(つまりフリーにして)活性をもったクスリに作り変えるからです。こうした加工は、溶解したコカインを、エーテルや水酸化ナトリウム、又はベイキング・パウダーなど混入させることにより行います。コカインの「塩」 (エン)は溶解し、後には純粋なコカインが細粒の形でできあがります。巷で密売しているコカイン約1グラムから、遊聯体のコカイン約0. 1グラムができます。 こうして出来上がった細粒は、水又はラム酒を満たしたパイプ[多くの場合ガラス製]に詰めて吸煙します。 火皿の中には数枚の小さな金網が敷き詰められており、コカインがこぼれないようになっています。フリーべイス・コカインの蒸気を発生させるために常に熱を加え続けます。そのためにマッチ、ライター、更にはブタン・トーチ(ガスボンベから炎が吹き出すタイプ)などが使われます。 

かくして、コカインの蒸気は吸うことによって直接肺に達します。そして直ちに劇的な「ハイ」な感じ(悦惚感)が訪れるのです。この気分は長くとも10分程度ですから持続させるためにはすぐに次の一服をやらなければなりません。使用を重ねるうちに、極端な偏執病に陥り、精神に重大な障害を来します。 フリーベイシングは最早乱用者の生活にとって他の何事にも替えがたい極めて重要な習慣になってしまうのです。またこうした吸煙は、回を重ねる毎に頻繁になりますから、非常に高くつくことにもなります。更に、フリーベイシングに絡むもう一つの危険性は、火事です。エーテルやラム酒にあまり近付けて点火しようとしたことによって火傷を負った乱用者もいるのです。

コカインとは

「一回やっただけで、もののみごとに虜になるクスリ」(“One hit and you are hooked”drug)と言われるのがコカインです。最良の予防策は、この薬に関して、またはこれが人々に与える惨憺たる害悪を与えることについて、正確な情報を与えることにあります。問題の発生に先立って情報を提供すること、それが予防策の中核となります。 

また、コカインはどんな量でも使いすぎとなり得ます。理由は、生体の化学物質に対する反応には個人差があり、ある種の物質にどう反応するかは一定していないことによるものです。従って、ある人には安全な量が別の人には致死量であり得る訳です。更に、密売人達は、なるべく薬の量を増やして儲けようと企んでいますから、混ぜ物をしたり、増量剤を加えたりします。ですから実際に何が入っているのか誰も正確には知らされずに使っているのです。実のところ、コカインに起因する死亡事故は、非常識なほどの多量が原因となったものではなく、むしろ、こうしたクスッへの反応で死に至っているのです。 

コカインがもたらす多幸感(ユーフォリア。陶酔感)には、当然それなりの代償が要求されるのです。誰も最初から中毒になろうと計画している訳ではありません。むしろ、誰もが自分はクスリの害悪に打ち勝つことができる、と信じているのです。勿論すべての問題が、必ず乱用者のすべての者に襲いかかるというわけではありませんが、少なくとも好ましからざる症状の幾つかを経験せずには済まないことだけは、くれぐれも肝に銘じておかなければなりません。一見、実に楽しくて幸せな感じに見えますが、コカインの極一時的な快楽は、やがて再現のない長く悲しい多くの問題を抱えることに変わって行くのです。

コカインの症状 

コカインは中枢神経を刺激します。即座に現れる作用には、瞳孔の散大、血圧・心拍・呼吸・体温の上昇といったものが含まれます。常習的使用では、鼻の粘膜に腫瘍をつくる危険性がありますが、時折使用するといったケースでは鼻詰まりや鼻水が見られます。

不衛生な注射針を使いますと、肝炎やエイズ、その他諸々の病気に罷る恐れがあります。コカインの遊離化(普通は塩酸コカインなどのように「塩」の形ですが、これから「塩基」を取る化学的加工)の作業では溶媒(引火性が強い)の使用が絡んでくるため、爆発による死傷事故が発生することがあります。 

コカインは身体及び精神の両面に依存性を作る。このクスリなしでは生きていけないように感じるようになります。おまけに耐薬性がすみやかに向上しますので、同じ効果を得るのに必要な量が次第に増えてゆきます。 

クラックと呼ばれる(コカインの)遊離体である塊状物質(「ロック」rockでここでは固形石鹸を砕いたような小さな塊が幾つもある状態)は非常に中毒性が高く、且つその作用はものの10秒程度で発現します。代表的な作用としては、瞳孔の散大、脈拍の増加、血圧の上昇、不眠、食欲の減退、触感異常、偏執病症状、そして各種の発作です。コカインは脈拍や心拍をコントロールする脳の機能を破壊しますので、死を招くこともあります。

精神的症状 

コカインを摂取すると、いわゆる「ハイ」な感覚に包まれます。ハイとは、極めて幸福な感覚で、やる気に満ち自信にあふれた人物になったような気持ちになることです。しかし、依存性がたいへん高いこの薬は使用量もどんどん増え、アッと言う間に中毒者へとなってゆきます。 

薬の効果が切れると、不眠や疲労困債、焦燥感、鬱などの症状が始まり、妙に多弁になったり、何かをせずにはいられないような衝動(例えば椅子から立ち上がったりまた座ったりといった無意味な行動)にかられます。この衝動はたいへん脅迫的なもので、自分で止めようとしても止められません。 

乱用の繰り返しによる慢性的な症状としては、幻覚や思考の異常、精神錯乱、そしてコーク・バグと呼ばれる特殊な感覚が起こります。コークとは「コカイン」、バグとは「虫」の意味で、日本語では「蟻走感」と呼ばれています。その名の通り、体中を小さな虫に這い回られるような気味の悪い感覚です。ことに皮膚と筋肉の間に虫が走る感覚がし、皮膚が裂けるまでかきむしらずにはおれない状況に陥ります。 

こうした症状が常に繰り返されるようになり、まともな精神状態を保つことが難しくなってきます。最終的には錯乱に陥り、完全な精神障害を受けることになるのです。

コカイン乱用の兆候

●不眠
●鼻水、副鼻腔性頭痛、鼻腔内炎症
●食欲減退と性欲亢進
●人間関係、学校、家庭、経済及び就労上の問題等、各種の問題の発生
●抑鬱、焦燥、疲労困僚
●通称「コークバグ」(「コーク」はコカイン、「バグ」は小さな虫の意。ここでは「蟻走感」で、皮膚の下を蟻が走るような不快な感じを言う)によって、皮膚を引っかくため、赤くなる現象が見られる。
●頭痛、鼻孔散大、振せん(しんせん=ふるえ)、悪心
●多弁、発熱、心拍上昇
●使用に関係する器具としては、小さなスプーン、小さなビニール袋(日本で言うところの「パケ」(packet)、小さな鏡(これはコカインの粉末をこの上において、それを線状に延ばし、それをストローで鼻から吸うのに使うのである)、小さなバイアル瓶(薬瓶)、カプセルなど。

コカインの精神障害

●コカインの依存者は、もうやめることができないこと。
●脳の中では本来は覚醒の後に訪れるべきリラックスした感じを伝達させるために必要な化学物質を、コカインがストップさせてしまい、相変わらず典型的な形のドーパミン(快楽伝達物質です)を作って流し続けるので、依存性ができる。
●多幸感(恍惚感)が消失すると、イライラした抑鬱状態に苛まれる。
●重度の偏執病の症状
●強迫的衝動的行動
●幻覚
●異常で不合理な考え方

麻薬及び向精神薬取締法違反中のコカイン事犯 

平成7年におけるコカイン事犯の検挙者は129人で前年の136人に比べ7人(5.1%)減少したが、押収量は36.6kgで前年の20.0kgに比べ16.6kg(83.0%)も大幅に増加した。コカイン事犯検挙者は昭和63年に43人であったが、平成元年に96人、平成2年に113人と急激な増加を示し、昭和60年以降平成4年まで毎年、検挙者数を更新していた。しかし、その後検挙者は100人〜150人程度であり、検挙者数に大きな変化はない。

【年齢別検挙状況】 

麻薬及び向精神薬取締法違反一事、20歳代の検挙者が168人で全体の50.3%、30歳代が105人で31.4%であり、この両者で検挙者全体の81.7%を占めている。また、未成年劃す21人(6.3%)で前年に比べ3人(16.7%)増加した。

【国籍別検挙状況】
 

麻薬及び向精神薬取締法違反は、全検挙者334人に対し、外国人の検挙者は、157人で、全検挙者に占める比率は、47.0%で前年に比べて2.0ポイント減少した。

【職業別検挙状況】 

麻薬及び向精神薬取締法違反は、無職が163人(48.8%)で最も多く、次いでその他が41人(12.3%)、風俗営業以外の飲食業、土木建築業関係者各M人(4.2%)の順となっている。

(1)一般概要 

わが国において、麻薬・覚せい剤の乱用が社会問題化したのは、第二次世界大戦後のことである。終戦による混乱と退廃の社会情勢の中から始まった薬物乱用の歴史は、戦後40余年を経た今日においても沈静化せず、近年、その乱用は益々巧妙化、多様化の様相を呈している。 

これらの乱用の歴史は、間欠的に到来し過去3回にわたり大流行を来している。 

その第一回目は、昭和20年代から30年代初めにかけて流行した覚せい剤(ヒロポン)の乱用である。戦後による疲弊と混乱の社会情勢を背景に覚せい剤の乱用は急速に広まり、全国的に蔓延し、検挙者の最も多かった昭和29年には、約5万5千人の検挙者を記録した。 

2回目はヘロイン(ジアセチルモルヒネ)の乱用である。ヘロインの乱用は戦後の混乱期から始まり、密売ルートの組織化、暴力団の介入等により覚せい剤に代わるものとして乱用が拡大し、昭和30年代を中心として全国的に流行した。これらは、いずれも大きな社会問題となったが、取締まりの徹底、法改正による罰則などの強化、啓発活動の推進など官民一体となった対策の強化によりその制圧に成功した。 

そして3回目が昭和45年から再び台頭し始めて現在に至っている覚せい剤の乱用である。昭和32年から数百人台で推移していた検挙者は、昭和45年1,600人台に急増し、関西方面を中心に乱用が拡大し始め、享楽的な社会風潮や、暴力団が資金腺としてその密売等に組織的に介入したこと等により、乱用は急速に拡大し、大きな社会問題となった。 

昭和45年に急速な増加を見せた覚せい剤の乱用は、昭和48年に改正された覚せい剤取締法の罰則の強化等で翌年の昭和49年にはいったん減少したが、昭和50年には再び増加に転じ、昭和55年には、検挙者が2万人を突破し、昭和63年まで2万人台で推移した。その後、平成元年に2万人を割り、以降1万5千人前後で推移しているが、これは事犯そのものが減少したものでなく、覚せい剤事犯がより潜在化、巧妙化したためと思われる。 

一方、麻薬及び向精神薬取締法違反のうちヘロイン事犯は、昭和47年の沖縄復帰に伴い、一時期、在日米軍兵士等による事犯の多発がみられたが、取り締まりの徹底等により間もなく沈静化した。コカイン事犯は、近年の欧米を中心とした国際的な乱用の拡大に伴い、わが国においても乱用の拡大が危倶されているところである。 

大麻事犯は、戦後外国軍隊の駐留に伴い、基地周辺で散発するようになったが、その大部分は外国人であった。その後、ベトナム戦争の激化に伴って増加した在日米軍兵士、不良外国人、海外旅行者等による事犯が増え、退廃的風俗流行と相侯ってわが国でも次第に若年層を中心として乱用が拡大した。また、暴力団が新たな資金源として大麻密売に介入し.たり、不法滞在等の外国人による大麻等の密売事例が増加している。

前号の「PCP」はPenta chloro phenolでした。


中毒者は語る

鼻汁の悪夢 

僕は、ドラッグをやって失敗したな、とはあんまり思ってないんですけどね。失敗してるように見えますか?そうですね、そう見えるところは確かにありますね。ここ半年で7キロ痩せましたから。体は大切だとは思ってるんだけど、食べることにあまり関心がないんですよ。でも、体は健康だと思いますよ。

忙しくて会社の定期検診とか受けてませんから詳しくは分かりませんけど。まあ、へタに検診を受けてドープ・チェックなんかされたら、洒落にもなりませんしね。 

問題があるとすれば、ただひとつ、鼻なんですよ。コークって鼻から吸うでしょう。だから、鼻が悪いんです。粘膜が弱くてね。もしかしたら、おカネのことより困ってるかもしれない。 

ほんとに死にそうですからね。ウミみたいな鼻汁が出てきて、息ができないんですよ。立ってるときはまだいいんですけど、横になるともう地獄ですよ。鼻汁が鼻からロへ逆流して、想像を絶する苦しさですよ。この鼻汁で何度うなされたことか。もう5年になりますから、少しずつ慣れてはきましたけど。粘膜も鍛えられたのかな。 

コークをやりはじめた頃がいちばんたいへんでした。もう体中の粘膜が腫れちゃって、目なんか見えなくなっちゃう。鼻も穴がなくなるくらい腫れるんですよ。さすがにいまは腫れませんけど、それよりも鼻汁がねえ……。

みんなもアドバイスしてくれるんですよ、鼻から水入れて口から出すとかね、いろいろと。
もちろん、コークが原因だなんて、みんなは知りませんよ。 

耳鼻咽喉科に行くこともできないしねえ。
「どうしました?」
「コカインの吸いすぎで、鼻汁が……」
 なんて、言えないですから。コークをやってると、医者にかかれないっていうのがありますよね。何がきっかけでバレるか分かったもんじゃないですからね。ほら、いまはエイズの問題で、すぐ血を取りたがるじゃないですか。そんなことされたら一発でバレますからね。バイトの子も心配して、耳鼻咽喉科を紹介するって言ってくれるもんだから、切り抜けるのに必死なんですよ。
「僕は宗教上の理由で、医者にかかれない」
とかね(笑)。 

まあ、心配するのも当たり前ですけどね。レジに立ってると、鼻汁がツツーつて垂れてくるんです。水みたいなのだったらごまかせますけど、僕の場合はむかしの鼻垂れ小僧みたいな黄色いのが出てきちやうんですよ。キタネェですよ。コンビニだから、食品も扱ってるでしょう。信用に関わりますからねえ。「あそこの店長はハナタレだ」なんて噂が立ったらコトですから。だから、最近はずっと上を向いてますね。変な奴だと思われたら悲しいけど、ハナタレよりはマシでしょう。 

たまに本社の人間がチェックしに来るときがあってね、そのときはもうたいへん。ティッシュを小さく丸めて鼻の奥に入れちゃうんです。ちょっと鼻声になるけど、とりあえず鼻汁が垂れてこないですから。抜き打ちで来るときもあるから、慌ててトイレに駆け込んで、ティッシュを詰めるんです。もちろん詰める前にコークを一服キメてますけどね。   

気持ちいいクスリ(別冊宝島173)より


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<他紙より> 薬剤情報提供と服薬情報提供の意義と実際 薬歴管理と薬剤情報提供 −医薬分業の原点に立って− 太陽薬局 中島英之[NAKAJIMA Hideyuki]

【1】はじめに

医薬分業はここ数年,急速に進展してきている。
一方,平成9年の医療保険改革などで医療費抑制政策が進む中,受診抑制の傾向が顕著にあらわれてきている。医科,歯科の診療報酬額が前年比で落ち込む傾向に対して,日本薬剤師会がまとめ牢平成9年度の「保険調剤の動向」(全保険対象,速報値)によると,9年度の処方せん枚数は前年度に比べて140%増加し,3億3,782万枚となり,処方せん受取率は前年度を3.5ポイント上まわる26.0%に上昇している。また調剤件数は2億88万件(前年度比15.6%増),調剤金額は1兆6,095億円(前年度比16.5%増)と飛躍的な伸びをみせている。処方せん受取率を都道府県別にみても,佐賀49.3%をトップに,秋田43.5%,神奈川41.2%,東京41.0%,福岡40.4%と続き,5都県が40%を超える状況となっている。 

この数字をそのまま鵜のみにして,薬局の将来はバラ色だと喜んでいられる状況なのかと考えると疑問が残る。厚生省は平成9年6月5日に行った医薬分業に関する世論調査の結果を発表したが,それをみると医薬分業肯定派は2割強,薬歴の認知度も2割強と,きびしい数字が報じられている。今この時期に,厚生省はなぜこのような分業調査をして公表したのかなど,いろいろな議論があるが,私はこの数字を謙虚に受けとめるべきだと考える。

 医薬分業のこの飛躍的な進展の数字は,国民から医薬分業に対して本当の意味でのコンセンサスを得られた結果ではなく,薬価差益の縮小政策の副産物として,医療機関側の事情で処方せん発行に踏み切り,患者は否応なしに処方せんを薬局に持っていくようになった結果だと考えられなくもない。今こそ,薬局薬剤師は国民から医薬分業の長所のコンセンサスを得るべく,医薬分業の原点に立って,その質的向上に努力していかなくてはならない。 

医薬分業が本格的にスタートした当時,薬剤師会はそのメリットとして,
@医療機関重複受診による同効薬剤の重複のチェックと相互作用の防止,
A医薬品を正しく服用,使用してもらうための服薬指導,
B待ち時間の短縮−などを主体にアピールしてきた。
今ではこれらに加えて,「処方の開示」すなわち「情報の提供」が大事なポイントになってきている。

そのためには,薬剤師の主たる業務である「調剤」の質を高めて,一人ひとりの患者のニーズに合った適切な「情報提供」がなされなくてはならない。

その基礎になるのが,服薬指導をする中で得られる患者情報とそれを記録する薬歴管理の充実である。このことが「原点に立つ」ことであり,確実に実行されるようになれば,結果的に医療分業に対するコンセンサスが得られ,「かかりつけ薬局」が育成され,面分貴の進展につながってくる。

【2】面分業の意義と重患管理

今,医薬分業は大事な岐路に立っている。この時期だからこそ,医薬分業の原点に戻って,「今なぜ,医薬分業か」の意義について考えてみる必要がある。今こそ正しい医薬分業をしなければ,将来の薬局像,薬剤師像に大きな影響を与えてしまう。医薬分業は,薬剤師のため,医師のためにあるのではなく,「患者のため」にあることを深く肝に銘じなければならない。

そのためには,患者は自分の「かかりつけ薬局」を決め,そこにあらゆる医療機関でもらった処方せんを持って行き,薬局で自分の体質,体調などや薬についての副作用歴やアレルギー歴,併用薬など,あらゆる情報を記録してもらっている薬歴を参考にしながら調剤してもらい,適切な薬剤情報提供書をもとに服薬指導を受けることが求められる。面分業だからこその意義は,ここからスタートする。

面分業,かかりつけ薬局の普及により,超高齢化社会を迎えて増えているかけもち受診による薬剤の重複投与や,薬剤間の相互作用による思わぬ副作用の出現などを避けることができる。かかりつけ薬局では,それぞれの患者のきめ細かい薬歴管理をしなければ,患者にとって其のメリットは生まれてこない。これが薬歴管理の基本になる考え方であり,患者のための医薬分業の原点になるものである。 

一方,薬剤師の立場からいえば,患者に薬の専門家である薬剤師から,薬局で薬をもらってよかったと喜んでもらうためにはどうすればよいかを考えなければいけない。患者は病院,医院で薬をもらうのではなく,病気になって体調が悪いにも関わらず薬局まで足を違んで,しかも支払う金額が増えている場合が多いのである。いいかえれば,薬剤師の主たる業務である調剤を,患者の立場に立って,どのように行っていけばよいかが,問題になってくる。

【3】患者の立場に立った調剤と薬歴管理 

調剤は,例外的に医師および歯科医師が自らの処方に基づいて自ら調剤する場合を除けば,薬剤師にのみ与えられた大きな権利である。権利があれば義務と責任を伴うのは当然である。

九州大学病院創設期の薬剤部長で,明治時代の薬学の第一人者であった酒井甲太郎先生は,「調剤は本来有形なものではなく,無形なものである」といわれている。また,前日本大学薬学部教授の堀岡正義先生は,その論文の中で,「今日の薬物療法は,英を調剤するとともに情報も調剤しなければならない」と述べている。まさに今,薬剤師に求められていることにはかならない。さらに元日本薬剤師会会長の石館守三先生は,「業務の中でのサジやハサミによる外見的な作業は調剤の末梢に過ぎない」と述べている。

たとえば,ただ単に処方せんに基づいてAという散薬とBという散薬を何グラムか計って乳鉢で混ぜ,分包機にかけて分包し,そして錠剤を何錠か数えてハサミで切りとって薬袋に入れ,「毎食後に1錠と1包ずつをお飲み下さい。お大事に・・・」。これらのことだけでは,薬剤師の調剤とはいえないということをいわれているのだと思う。それでは患者にとっても,医薬分業になった大きなメリットはない。

調剤には処方鑑査,薬剤調製,服薬指導,そして処方設計の4つの要素がある(図1)。

図1調剤の学問的背景〔掘岡正義:調剤の考え方.日英誌35(1):7,1983〕

患者にメリットをもたらす必要なポイントはいろいろあるが,特に薬局で故も求められていることは,患者個々のニーズにあった適切な「薬剤情報提供昏」をもとに,「服薬指導を充実させる」ことに尽きる。

それも,1枚の処方せんだけに基づいた服薬指導と薬剤情報提供では一般論になってしまい,患者の本当の満足に結びつけることはむずかしい。それまでの患者の経過がわからないのでは,医師の処方意図が十分に理解できず,的はずれの薬剤情報提供と服薬指導になってしまい,治療を混乱に陥し入れる危険性も生まれる。いろいろと報道されているように,医師会と薬剤師会とのトラブルの原因にもなりかねない。

一般に薬局の薬剤師は,病院,医院,診療所の薬剤師の場合に比べて,患者との人間関係が密接になるため,患者から心配ごとや悩みごとなどを打ち明けられることが多くなる。薬局の薬剤師は,その患者の心理を十分に理解した上で,きめ繍かい服薬指導と薬剤情報提供をすることが大切になる。そのためには患者の心配ごと,悩みごとも記録しておかなくてはいけない。また,処方医,病院薬剤師とも可能な限り連携をとって,その記録を取っておく必要がある。つまり薬剤師にとって調剤業務のすべての基盤は,薬歴にある。

薬歴に記載すべき事項は,保険請求に定められていることは当然ながら,患者の心配ごとや悩みごと,生活習慣,アレルギー歴,副作用歴,治療歴,治療態度,家族や友人のこと,そして医師などから受けた情報,薬剤師として考察したこと,患者から受けた相談ごとなど,あらゆる事柄をきめ細かく,後から述べるSOAPの方法で整理して記録しておく必要がある。そして次回以降,「薬歴を活用」しながら服薬指導と薬剤情報提供を行えば,患者が満足を得られるものになる。

また処方鑑査,薬剤調製も,薬歴による患者個々の情報がわからなければ,真に患者のための処方鑑査,薬剤調製はできないだろう。いろいろな医薬品情報とともに,薬歴に記録されたきめ細かい情報をもとにして,医師にフィードバック,場合によっては疑義照会をすれば,処方設計への参加までチャンスも広がってくる。このように薬歴は,「調剤」を充実させ,患者に医薬分業のメリットを得てもらうための基本となりうるもので,薬局薬剤師だけでなく,患者にとっても今や不可欠になったといってもよい。

調剤の概念は大きく変遷してきているが,その変遷は3つの世代に分けることができる(表1)。医薬分業での薬局薬剤師は,第V世代の調剤を充実させなければならない。この意味でも「薬歴」は基本になる大切な業務である。

表1 調剤の変遷
第T世代 薬剤調整の技術中心の調剤
第U世代 医薬品情報を活用し、処方監査、服薬指導を重視する調剤
第V世代 医薬品情報と薬歴をベースに、患者に投与される薬剤を総合的に管理し、処方監査、服薬指導などをさらに充実させる調剤
(堀岡正義:平成4年度薬局・病院薬剤師指導者研修会講義録,日本薬剤師研修センター,1992)

表2 情報提供の根拠法令
薬事法第77条の3
「薬局開設者又は医薬品の販売業者は、医薬品を一般に購入し又は使用するものに対し、医薬品の適正な使用の為に必要な情報を提供するよう努めなければならない」
薬事法第25条の2
「薬剤師は、販売又は授与の目的で調剤したときは、患者又は現にその介護に当たっている者に対し、調剤した薬剤の適正な使用のために必要な情報を提供しなければならない」
保険薬局及び保険薬剤師療養担当規則第8条
「保険薬局において健康保険の調剤に従事する保険薬剤師は、保険医等の交付した処方せんに基づいて、患者の療養上妥当適切に調剤並びに薬学的管理及び指導を行わなければならない」
医療法第1条の4
「医師、歯科医師、薬剤師、看護婦その他医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るように努めなければならない」

【4】薬剖情報提供と薬歴管理

薬剤情報提供は,薬事法,薬剤師法の改正により義務化されている。調剤した医薬品について,正しく服用,使用してもらうための情報を患者に提供することが求められている(表2)。「当たり前のことが単に義務化されただけ」という見方もあるが,不適切な薬剤情報提供が行われると,報道されている各地での例をみてもわかるように,トラブルの原因になりかねない。

しかし,薬剤情報提供は「患者の安全を守る医薬分業の質を上げ,三鞋剤師職能を発揮して,国民から医薬分業のコンセンサスを得るための絶好の機会だ」ととらえなければならない。今,再確認したいことは,薬剤情報提供は薬剤師兼務の中で,調剤業務の一部に過ぎないことであり,その日的は医薬品の適正使用と適切な薬剤供給を図るため,個々の患者に対し,病気と医薬品に対する理解を高め,服薬のコンプライアンス向上に寄与することである。

当然のことながら,それは画一的なものでは不適切であり,医師の処方意図を十分に考慮しながら,患者の症状の経過をもとに個々のニーズにあったものを作成しなければならない。.ここで大切なのことは,「適切な薬剤情報提供は,より充実した薬歴管理に基づく服薬指導などの基本的な薬剤師業務が基盤にある」ことの認識である。これが不十分だと,適切な薬剤情報提供がむずかしくなり,「医薬分業の原点」がぐらつくことになる。

次に問題になるのは,「薬剤の適正使用のために必要な情報」とは何かであろう。

ここで基本になるものに,日本美斉購市会が展開したゲット・ジ・アンサーズ(GTA)遊動と日本病院薬剤師会の「患者等への薬剤情報提供の進め方(答申書』がある。

GTA運動では以下の「大切な5つの質問」を掲げ,患者に尋ねるように促した。
 @この薬の名前は?
 F何に効くの?
 B服用する時に注意することは?
 C副作用は?
 D他の薬や食べ物とののみ合わせは?
 

これらはあくまでも,患者に訴えるために作成したものであり,副作用など,深く検討しなければならない要素も多いが,一つの方向を示唆している。

また日本病院薬剤師会の答申番では,情報を3段階に分けている。
(I)薬剤師が独立して提供できる情報
 @薬品名および関連情報(成分名,識別コード,色調,形状等)
 A用法,用量
 B服用上の留意事項
 C保管上の留意事項
 D薬価
(U)医師の判断に基づいて提供できる情報(=効能効果)
(V)医師との十分な連携の上で提供できる情報(=重大な副作用,その他の副作用,生活上の留意事項) 

日病薬答申書宙の特徴は,薬剤師個人の判断で行うのはむずかしく,医師と薬剤師,病院と薬局との連携の必要性を訴えていることであろう。

薬剤情報提供は,答申初などに示されている項目を説明すれば済むというものではなく,患者個々の要因によって異なり,要はケース・バイ・ケースになってくると思う。日本薬剤師会の渡辺徹専務理事は,「薬剤情報提供は,医師が一人の患者の病状を診て,経過を見ながら,どう診断し,どういう治療法を選ぶかということと同じで,どこまで説明するかは,職能人である薬剤師が個々に判断するよりしょうがない」といわれている。そのためには,普段の薬剤師業務の中で,個々の患者の要因と医師の処方意図を十分に把握し,理解することが必須になってくる。その基礎になるのが充実した薬歴管理であることはいうまでもない。

一方,弘前大学病院薬剤部は平成9年11月から平成10年1月にかけて,同病院の勤務医を対象に,薬局の薬剤情報提供に関する調査を行った(図2)。その結果,10人に1人の医師が,地域の薬局と菜剤情報提供をめぐって何らかのトラブルを経験していることがわかった。

また薬剤師の情報提供自体には,基本的にはほとんどの医師が賛成しているが,約4割の医師は「条件つき賛成」としている。その条件として,「医師側との事前協議」や「医師と薬剤師とのコミュニケーション」の必要性が指摘されている。さらに医師たちは,薬剤師に「医師の治療方針を理解した上」で,医師の患者指導と食い違うことのない薬剤情報提供を望んでいる。

一方,「薬剤師の裁量で行ってよい」と考える医師は11.9%と少数である。また診療に介入するような情報提供も歓迎されていない。そして,提供してほしくない情報として,「詳細にわたる過剰な副作用情報」「抗癌剤の名前と効果」「患者の病気に関する病名」「向精神薬の名前と効果」などがあがっている。
このアンケート結果も,薬剤師が行う薬剤情報提供の一つの方向を示唆している。参考にしたいものだ。 

以上のことを十分に考慮に入れて,太陽薬局本店では現在,約900品日の備蓄医薬品すべてについて,医師との連携をとりながら,コンピュータのソフト会社が作ったものではなく,オリジナルな薬剤情報提供書を作成している。その一例を図3,4に示す。

図2

図3 太陽薬局の薬剤情報提供書−例1図4 太陽薬局の薬剤情報提供書−例2

【5】ファーマシューティカルケアと薬歴管理

薬剤師として果たすべき業務を積み重ねる上で,その考え方として「ファーマシューティカルケア」という言柴が薇近よく使われている。

ファーマシューティカルケアは「患者のQOLを改善することを目的として,明確な結果を実現するために,責任ある薬物治療を提供することである。」(D・Hepler)と定義されている。この考え方には「QOL」と「結果」という2つのキーワードがある。

たとえば患者に服薬指導するとき,アレルギー歴や併用薬ばかりに注意を向けるのではなく,文字が読めるか,耳が聴こえるか,この患者の生活サイクルは−など,その患者一人ひとりの細かな状況にまで配慮した対応をしているのだろうか? 案外,薬剤師の一人よがりな思い込みで患者と接し,よかれと思ったことが患者にとって迷惑であったり,理解されていないといった場合も少なくない。

患者のQOLを向上させるということは,良好な環境でその患者が薬物治療を継続できるように,そのときどきの状況に対応し,適切な情報を提供し指導することといえよう。こうした患者の個性に合わせるオーダーメードな対応は簡単にできるものではないが,そうした患者とのコミュニケーションの中から,2つ目のキーワードである「結果」がみえてくる。

継続される薬物治療の途中で現れる「結果」を評価,検討して,次の結果へ進むための計画を実行し,さらに次の結果を観察する。この繰り返しが薬物治療全体の質を向上させることにつながり,薬剤師として,ファーマシューティカルケアを実践することになる。

このための基礎になるのが,何度もくり適すが,薬歴管理である。この考え方にのった手法に「SOAP」がある。

SOAPとは,POS(Problem Oriented System,問題志向システム)のシステムを具体的に展開するための手法で,従来漠然と進められていた治療計画を分析して,合理的にわかりやすく整理したものであり,Subjective(主観的情報),Objective(客観的情報),Analysis & Assessment(分析と評価),Plan(治療計画)の頭文字をとったものである。

すなわち,患者から得られた主観的情報と処方せん,添付文書などの客観的情報に分けて患者情報を収集し,それらの情報を分析し,評価し,問題を抽出するわけである。抽出した問題のうちから薬剤師が関与すべき問題を選び,その間題の解決レベル(到達的)も検討し,薬剤師としての治療計画を立て,実行に移し,その結果をモニタリングしていくことである。この考え方で某歴管理していくことが大切である。まだまだ不十分であるが,太陽某局での一例を示す(図5,6)。

図5 太陽薬局の薬剤服用歴管理指導録−例1図5 太陽薬局の薬剤服用歴管理指導録−例2

太陽薬局では昭和58年2月から,前述の「医師分業の原点」である「患者の立場に立った調剤をどうすべきか」の考え方に基づき薬歴管理を始めた。それから約16年が経過したが,当時は今のように調剤報酬の中に彙歴管理フィーはなかったし,私の周囲に薬歴管理をしている薬局もなかったので,参考にするものもなく,まったく手探りの状態でスタートした。その後,試行錯誤をくり返して現在の薬歴になった。

太陽薬局本店は,福岡市中央区のオフィス街の中でビルの1階にある。小さなビルなので,薬局のスペースは多くとれず,6.5坪しかない。調剤室3坪,待合室兼OTC販売スペース3坪,控重0.5坪の中で,薬剤師3人,事務員2人の計5人が働き,備蓄薬は約900品目,某歴は約8万人分を保管し,非常に狭い。しかし,薬歴は「薬剤師業務の基盤になるもの」の考え方から,患者が来局したらすぐに取り出せるように受付の真後ろで,調剤室の真ん中に薬歴保管庫を置いて管理している(写真)。

【5】おわりに 

医薬分業は急速に進展してきている。しかし,これまで述べてきたように,いろいろな問題点も出てきており,今後も医薬分業がさらに進展して定着するかどうかは,医薬分業に対して国民のコンセンサスをいかに得ることができるかどうかにかかっている。

そのためには「医薬分業の原点」を考え,藻剤師兼務を着実に実行していくことが大切である。そのため,いま薬剤師に求められているのは「適切な医薬品情報」をもとに,「服薬指導」を充実させることである。その基盤になるものこそ,「薬歴管理」である。

写真 太陽薬局受付薬歴保管庫      

【学薬のページ】 プール授業とプール環境について 福岡市学校薬剤師会 理事 樋口昌嗣

1.はじめに

私たち学校薬剤師は、学校環境衛生活動の推進に携わっている。中でもプール水の管理にお いて、事故のない安全なプール授業のために、プールの水が衛生的であること、また水中に危険物や異常な物がないことが求められる。とくに本市では、授業プールの腰洗い槽の使用を、平成8年度から原則として中止しており、プール水を清潔に保つための消毒がプール本体のみ となり、水質の管理については今まで以上に厳正に行わなければならない。

2.プール水の管理について

学校環境衛生の基準でプール水は、1カ月に1回の定期検査が義務づけられているが、本市では学校薬剤師により検査が行われている。福岡市薬剤師会には、中央区今泉に4階建ての会館があり、その3階のほとんどを占める試験センターを持っている。

検査は理化学試験と細菌試験があり、現場でなければできない検査と試験センターに持ち込んでする検査がある。理化学試験には@遊離残留塩素A水素イオン潰度B濁度C過マンガン酸カリウム消費量の検査が、細菌試験には@一般細菌数(塾大腸菌群の検査があり、それぞれに基準値等が決められている。日ごろ、先生方や子どもたちの目に触れることのない試験センターでの検査が(図1)のように4項目ある。



3.プール環境についてのアンケート調査について

【調査の目的】

プールの安全管理の面で、学校薬剤師よりプール環境を含む問題点が指摘された。そこで学 校薬剤師会ではプール水の管理について改善についての検討を目的に実施した。

【調査方法】

実施期間は平成10年9月2日から9月10日まで。市立のみでなく県立も含めた福岡市内にあ る学校薬剤師が置かれている全養護学校、学校等198校を調査対象とした。回収できたのは181校で回収率91.4%であった。

【結果と考察】

結果と考察
結果と考察2

 

プールの設置場所と水質汚染との関係については、運動場に設置されていて、校舎や体育館と隣接している場合、例えば、プールの1/2〜1/3が体育館や講堂の影になるため、日光の当たる所と当たらない所では、プール水の遊離残留塩素の値にバラツキがおこり、一定にコントロールすることが難しいとの指摘があった。また、直接プール水汚染とは関係しないが、プールが校舎のすぐ横の場合、校舎で学習中の児

童や生徒にとって、水の音や歓声が騒普となり、学習に集中できないといった興味ある報告もあり、今後新しくプールを設置する場合の一つの指針となるであろうと思われる。さらに屋上に設置されたプールについては、運動場に設置されたプールに比べ、空き缶の投げ込みや木の葉などの浮遊物が少ないといった利点がある反面、排水口の位置や傾斜が緩やかといった点から排水がうまくいかず、砂やゴミがプールの底に溜るといった意見が聞かれた。

4.まとめ

以上の結果は、今後プール水の水質検査に、プールを取り巻く環境についての項目を取り入れる必要性を示唆しているJ終わりに、私たち学校薬剤師はプール授業において、児童・生徒の健康を考え、人に優しい、特に目を刺激しない、皮膚・咽喉の粘膜等を傷めないプール水の管理に努めていかなければならないと考えている。

平成10年度 福岡市学校保健大会記念誌より

【女子薬のコーナー】 福岡市保母研修会にて 第一保育短期大学助教授 女子薬福岡支部 副会長 松本紀子

昨年11月24日、福岡市市民福祉プラザにて福岡市保母研修会に東田先生と私が呼ばれ薬の話をした。

末田先生は「子どもたちへのくすりの飲ませ方、使い方」と題して、子どもを預ける母親の立場、その代わりをする保母さん達がくすりをどう扱うべきかを話され多くの保母の質問に答えられた。

保育現場の子どもの保健で問題になっているのは、0−157に始まる感染症の問題、文明病といわれるアレルギーの問題、そして子どもに対する投薬の問題といわれる。子どもに薬を飲ませるのは医療行為であるが、母親が薬を飲ませるので母親の代理の保母が薬を飲ませるのは当然という考え方がある。しかしながら保母はその資格過程の中で薬については学んでいない。従って、母親と保母と医師と子どもの四者の関わりの中で無理な投薬を受けがちになるのは子どもである。

私はこの問題に興味をもち小児保健の立場から福岡県内314の保育(園)所とその保護者5,238名の投薬に関するアンケート調査をした。その結果から、保母と保護者の保育園での投薬行為に対する取り決め事項、医師との関わりの問題の深さが浮き彫りになった。

薬を園に預けた事のある保護者は約80%、薬を預かった事のある園は約70%(公立では80〜90%)であった。育児支援に追われる保母にとって投薬行為はかなりのストレスになっている事が分かった。

日本保育園保健協議会会長の巷野(こうの)悟郎氏は、この問題に理解を示され保育園看護婦を置くのが無理ならば何らかの統一した書式を園と小児科医と保護者の間にもつ方向に働きたいといわれている。

以上は第4回日本保育園保健学会で発表した事であるが、女子薬剤師として子育てを経験してきた(かなり時代が過ぎて、現在とは家庭環境も親子関係も変わっていると思うが)方がたが多くおられるので、現場の保母の投薬に関する問題解決にその知識をもって支援できる何らかの形を作る事ができればと考えている。

研修会を終え考えるのは、地域によってはすでに行っておられると思うが、薬剤師間のみならず保母さんお薬なんでも相談のような気軽に話せるような窓口を作り、普及できれば社会に貢献できるのではと考えた。そのためにはもっときめ細かな計画と周囲の理解を得る事が必要と考えられる。

この研修会は日本保育園保健協議会の援助を受け福岡市保母会主催、福岡県女子薬剤師会福岡支部共催で行われた。


平成10年度福岡県女子薬剤師会
福岡支部新年例会報告
福岡支部 副会長 女賀信子

日時:平成11年2月11日(木)11:30〜14:00
場所:福岡ビューホテル2F レストランジュリアン

例年の時と場所を得て、ささやかながらも和かに、お昼のフランス料理のコースを楽しみながら新年例会が開かれた。 「時の人」多数をゲストに迎え、有意義なひとときを過すことが出来た。

来 賓:
●福岡県議会議員 市薬顧問 自民党県連最高顧問     早麻清蔵先生
●福岡市議会議員 中央区薬剤師会推薦 自民党市議団会長 稲員大三郎先生
●魯福岡市議会議員初立候補(西区) 前市薬常務理事   冨永計久先生
●福岡市薬剤師全会長    藤原良春先生
●福岡県女子薬剤師会会長  内野孝子先生

県議として10期目に挑戦され、県全体に精通された早麻先生は、私共と食事を共にされながら、21世紀を高齢者の世紀と捕え、組織間の相互の信頼関係の中で正しく政治が行われることの大切さを豊富な事例を混じえてお話された。自民党市議団会長の稲員先生(中央区6期目)、今回が初陣の冨永先生(西区)、各々市政に対する熱い情熱と抱負を力強く語られ、支援を呼びかけられた。

又、市薬のトップリーダーの藤原良春先生は、行政のケアプランに於ける、薬剤師会のとり組みの現状を披露された。在宅介護の調査員として現在活動を開始されている内野先生は、久留米市に於ける活動状況を卓話の形で報告された。調査員としてケアプランの構図に参加されている先生の奮闘ぶりが伺われ、私共も貴重な体験談を得て今後の業務に大いに参考になった。

時の経つのも忘れてしまうかの様に大変熱気のこもった華やいだ雰囲気の中にて閉会。明日の英気を培う良い会合であった事を報告する。

会長、早麻清蔵県譲、内野孝子県女子薬会長 冨永計久先生と稲員大三郎市議


華やいだ雰囲気の中で 〜女子薬新年例会に参加して〜

司会進行:女子薬福岡支部副会長  女賀 信子
開会の辞:女子薬福岡支部会長   小松 秀美
来賓挨拶
卓  話:福岡県女子薬剤師会会長 内野 孝子
出席者自己紹介
福岡支部新役員紹介:
  会 長  小松 秀美
  副会長  松本 紀子
       女賀 信子
  会 計  徳丸 京子
  監 査  椛島 和子
  参 与  城戸嘉寿子
  市薬理事 毛利久美子
               (敬称略)

本年もどうぞ宜しく‥

2月に入ってはいるものの女子薬としては今年最初の会合となった。女子薬な らではの華やいだ雰囲気の中、賑々しく始まった会には、薬剤師会の推薦する2議員の方にも出席をお願いし、又今年は西区から冨永計久先生が立候補する事か ら女子薬としても全面的に応援していくことにして、会は盛会の内に幕を閉じた。

(T.S.)

守破離(しゅはり)十年    (能の修行の訓言)

能の修行には十年かかるといわれ、当初の三年はひたすら師匠の教えを守り、次の三年は自ら学び少し師匠を破り、あとの三年余で師匠を離れて自分を確立するという意味です。

市薬役員インターネット体験セミナー

日時 平成10年12月21日(月)19:00〜21:30
会場 パティオQ NTTデータビル1F

真剣そのもの ウ〜ン!

[広報]

会議報告

【理事会】

日 時
平成10年12月16日(水)

議 事

1.会長挨拶
 時候の挨拶に続き
 ○予算原案作成の件
 ○薬剤師不在時の医薬品販売の件
 ○スイッチOTC(特にH2ブロッカー)販売の件
 ○参照価格制度の件
2.報告事項
(1) 会務報告(会務日誌のページに記)
(2) 委員会報告
(3) その他の報告
  @北九州市薬 平成11年「新年賀詞交換会」について
  A新市長表敬訪問について
  Bアビスパ後援会の法人会員継続について
  C病院見学実習生の受け入れについて
  Dその他
3.協議事項
(1) 平成11年度の事業方針と予算について
   新規事業は停止し、従来からの『かかりつけ薬局』の育成をコンピューターの有効利用を絡ませて推進のこと。
(2) その他
  @お薬手帳について
  A広域病院の状況について
  Bその他

(M.I.)


日 時
平成11年1月20日(水)

議 事

1.会長挨拶
 ○各委員会は来年度の事業計画と予算を作成してください。
 ○1/7の国保運営協議会の報告
  来年度国保保険料の値上げはしない。
 福岡市国保への加入者は前年度より6〜7%増えている。不況と人口の増加による。福岡市国保の赤字は市よりの補助で3年で解消できる。
 ○冨永先生の後援会入会の推進をお願いします。
2.報告事項
3.協議事項
(1) 平成11年度の事業方針と予算について
 ・収入・支出の洗い直しをする。会費の値上げはしないが、受益者負担ということで講習会の資料は有料にしてはどうか。また各委員会ごとに予算をよく検討したい。
(2) 12大都市薬剤師連絡協議会について
 ・今月の23日(土)ホテルニューオータニ博多で開催される会議には常務理事以上、懇親会には理事以上は出席のこと。
(3) その他
 ・年始の市薬職員の仕事始めはカレンダーどおりにする。就業規則の確認。
 ・代議員会は4/24(土)。

(M)

【支部長会】

日 時
平成10年12月22日(火)

議 事

1.会長挨拶
 時候の挨拶に続き来年度の指針説明
2.報告事項
(1) 会務報告
(2) 委員会報告
(3) その他の報告
3.協議事項
(1) 平成11年度の事業方針と予算について
 ・かかりつけ薬局の育成事業の発展
 ・試験センターの業務見直し
 ・予算の関連で全事業の見直し


日 時
平成11年1月26日(火)

議 事

1.会長挨拶
 市薬の事業は今のところ全般的に順調だと思います。先週の土曜日に12大都市薬剤師会連絡協議会がありましたが、大成功だったと思います。特に市長に出席していただいたのが良かったと思います。札幌の休日夜間の対応・点字の薬袋の件などは、行政・医師会と話し合いを確実に行い、大変な努力だと思います。また日薬への申し合わせ事項として、緊急連絡については12大都市には直接連絡していただきたいと要望しました。市議選も近いですが、それぞれの支部で頑張っていただきたいと思います。
2.委員会報告
3.協議事項
(1) 平成11年度の予算について
 各委員会に出来るだけ削減の方向で予算案を出してもらっている。それを参考に再検討していきたい。また事務費の見直し、ファックス・コピー等の経費の見直しを行い、予算を抑えるよう考えている。
4.その他
(1) 第4回「六人会」シンポジウム開催について
(2) 部会連絡協議会開催について
   日 時 3月6日(土)5時より
   場 所 セントラルホテル福岡
   選挙の絡みもあり日程が難しい。
(3) 統一地方選挙について(薬達)

図 支部長会(1月26日)風景

(Y.U.)

委員会報告

2月5日までに提出された議事録を基に報告します

【薬局委員会】

日 時
平成10年11月25日(水)
出席者
副会長:光安 常務理事:中野(勝)
理 事:毛利
委 員:津崎・真鍋・国武・行実・東(千)・満生・冨永

議 事
○市老人クラブ連合会での講演結果報告
・各区での講演も早良区の12月5日をのすのみとなった。総評として感じたことは、テーマにあるクスリの服用法については好評であったが、かかりつけ薬局の 説明ではあまり反応がなかったように思われた。ある質問者は自分は処方箋をもらったことがないが、それでもかかりつけ薬局がいるのか、かかりつけ医はいるが・‥。
○かかりつけ薬局について…毛利理事より特 別委員会での内容について説明あり。
○薬局製剤第1回研修会について
・11月28日(土)−PM4時〜6時 第1回−
 鼻炎散2号の製造でスタートした。総数27名で当日欠席者2名で2班にわけ、それぞれ薬局製剤と薬袋、容器作りに取組んだ。製剤製法上の留意点、販売法等について、国武委員・行実委員より説明をうけ、製造については新会員1人1人に実際に計量、分包させ、我々薬局委員がアドバイスして、楽しく薬局製剤製造に取りくんだ。

−☆−☆−

日 時
平成10年11月25日(水)
出席者
常務理事:中野(勝)
理 事:毛利
委 員:津崎・真鍋・国武・行実・東(千)・満生・冨永

議 事
○薬局等における薬剤師による管理及び情報 提供の徹底について、厚生省より都道府県を通じて、薬事法の遵守を徹底するよう通達あり。
 @薬局の管理上、保健衛生の支障なきこと。
 AスイッチOTC薬等について医薬品の適正使用のために必要な情報説明を加えて販売のこと。
○平成11年1月23日の薬局製剤「風邪14号」について
・研修会費27名×3万円=81万円を行実会計担当が集めているので、その収支を期間中に、会員に発表させること及び、材料を市薬薬局で在庫してもらうように再度江田薬局長に申し入れることを決定。
○その他
 @第1回シティウオークふくおかを平成11年3月14日(日)開催予定。賛助又は協力で市薬の名称を案内パンフレットに入れるよう要望。
 A酉区薬局委員 冨永計久氏の夢実現に向って、全力をあげることを決議。


【広報委員会】

日 時
平成10年11月25日(水)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委員:伊東・石井・鮫島・上村・森山・津田・戸田

議 事
○1月(新年号)編集会議
・各区委員からの記事収集、まとめ
・九山、薬草観察会、ソフトボール大会の写真選択
・次号の表紙写真
○緊縮財政の折、よりよい記事を選出しながらも楽しい記事もより多く選択、たくさんの人達に登場してもらい、皆さんに喜んでもらえる編集を心がけた。

−☆−☆−

日 時
平成10年12月9日(水)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委員:石井・伊東・鮫島.上村・津田・戸田・森山

議 事
〇第1校正 その@
・表紙写真の決定
・追加原稿で構成再考

−☆−☆−

日 時
平成10年12月10日(木)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委員:石井・鮫島・津田・戸田・森山

議 事
〇第1校正 そのA
・写真のコメント検討
・編集一部再考

−☆−☆−

日 時
平成10年12月18日(金)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委員:戸田・上村

議 事
〇第2回校正
・校正及びレイアウト
○「かかりつけ薬局」について
○市薬の動き、各委員会の情報交換

−☆−☆−

日 時
平成10年12月19日(土)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委員:石井・伊東.鮫島・津田・戸田・森山

議 事
○18日に続いて第2校正、各自時間のよい時に集まったので、4時から行われた。新年号を早目に出すための工夫。

「ワインが飲みた〜い!」とさわざながらの広報委員会 


【組織委員会】

日 時
平成10年10月28日(水)
出席者
副会長:合澤 常務理事:井上
委 員:福岡・佐藤・平島・松浦・権藤・見元

議 事
○ソフトボールの反省
 ・雨天順延の為、勤務部会の不参加により盛り上りに欠けた。
 ・昼食のバーベキューについてはおおむね好評であった。
○ボウリング大会について
 ・H11年2月7日を予定日とする。
 ・広報募集要項について
○薬剤節会未入会名簿次回まで提出

−☆−☆−

日 時
平成10年12月8日(火)
出席者
常務理事:井上
委 員:見元・平島・東・佐藤・松浦・権藤・竹野

議 事
○ボウリング大会について
 日時 H11年2月7日(日)
 集合 委員9:30 一般10:00
 募集 H11年1月8日 FAX締切り 1月19日
○非会員リストアップ
○会員カード作製について

−☆−☆−

日 時
平成11年1月21日(木)
出席者
副会長:合澤 常務理事:井上
委 員:見元・平島・東・松浦・権藤・竹野・福岡・佐藤

議 事
○ボウリング大会について
・現在参加者144名  中央16、早良12、両24、市職8、博多28、城南12、酉12、勤務16、東14
・1月29日(金)までに市薬へメンバー表 FAXする。
・賞−例年通り(140位追加)
○各支部で参加費徴収(シューズは個人)
 支部賞:優勝3万 準優勝2万 3位1万
 個人賞は前年通り
※予算について 〜会員名簿作製〜
※研修会について 〜会員と非会員の区別〜
※未加入(非会員)薬局について


【在宅委員会】

日 時
平成10年11月25日(水)
出席者
副会長:合澤 専務理事:入江
常務理事:田中 理事:原田
委 員:木原・下瀬・原口・熊沢・中間・清水

議 事
○モデル事業の説明  東支部 伊東先生
○経験談       南支部 未田先生
 東支部よりモデル事業に参加する薬局の先生方も出席


【市薬薬局委員会】

日 時
平成11年1月12日(火)
出席者
副会長:光安 常務理事:藤田
理事:山本・小松
委員:江田・江崎・徳永

議 事
○市薬薬局11・12月業務報告
・10月と比較して一日の平均受付回数は上がっているが、点数的には横ばいの状態
・12月は30日まで開局
    29日・・・患者数 2名
    30日・・・患者数 0
・1月より18時まで開局時間延長
○研修・実習の件
・来年1月末より学生実習、約38名予定
・日本薬剤師研修センターからの研修生、3月より2カ月間の予定
・日本薬剤師研修センターからの研修生、12月24日面接
・1月11〜14日まで研修生 2名
○市薬薬局 薬剤師1名平成11年3月いっぱいで退職
・薬剤師補充については執行部と相談のうえ決定する
○事務員の件・九大窓口の事務員1名(今里) 2月15日より市薬薬局へ移動
○ランニングコストの見直し
○九大オーダリング報告 院外処方箋発行率低下
○医療センター窓口報告
・年末年始
・お盆の薬局情報を一日でも早くもらいたい
  (今回の年末年始の情報は遅過ぎて活用しにくかった)

支部だより

〔中央〕

〜 中央区薬剤師会会議〜

日 時
平成10年12月14日
場 所
タカクラホテル

議 題
1.中央区健康フェアの反省
 アンケート調査結果報告他について
 県薬小野専務より内容についてのコンセンサスを受けたが、今回のアンケートは内容不備の為にこれ以上の内容の発展は期待できない。しかし、次回の健康フェアに於いては、内容を絞り込み、調査結果については、九山、また日英の大会に於いても発表出来るような内容にすることで一致した。
2.新春ファミリーボウリング大会について
 1月24日(日)城山ボウルにてボウリング大会開催後、セントラルホテルに於いて表彰式並びに、講演会、中央区選出稲員市議にもお言葉をいただくことに決定。
3.統一地方選の対応について
 2で協議した行事をふまえて、一致して目的に向かっていく事にした。

−☆−☆−

日 時
平成11年1月18日(月)
場 所
市薬会議室
議 題
中央区新春の集い実行委員会

議 題
1.ボウリング大会進行について
 参加者が思ったよりも少ない。市薬のボウリング大会に近い事も理由か?景品の選択ももう一つ考えるべきところかも。再度各薬局には参加の呼び掛けをする。
2.講演会進行について
 ボウリング大会終了後の講演会として考えたが、ボウリング参加者が少ないと、講演会参加者も少なくなってしまうので、ボウリングに参加できなくても後半のセントラルホテルからのイベントには参加して欲しい。
3.懇親会、表彰進行について
  ボウリング大会の景品については、余剰分については、ボウリング大会参加者以外にも抽選の形なりにして送れば良いのでは?と言うことで一致。
4.冨永先生については、今後も全面的にバックアップしていく姿勢は変わらない事で一致。

−☆−☆−

〜'99新春の集い報告〜

平成11年も薬業界は先が見えず、厳しさが予測されます。ご家族の皆様と職員の方々の交流と親睦を深め、一丸となって難局を乗り越えるために、下記要領にて「新春の集い」を開催致しました。

尚、今回の集いには日頃より、医薬品の安定供給はもとより広域病院の院外処方箋応需に際し、備蓄薬品不足(調達)に大変ご尽力を賜っております中央区担当の各卸セールスの方々のご参加をいただきました。

一時はインフルエンザ流行により欠場が多く、開催が危ぶまれましたが、各部会長、役員の先生方のご努力のお陰様をもちまして盛況な集いを行うことが出来ました。

ゲーム説明中 下瀬先生
優勝した中野先生 トロフィーと生花をもらって御満悦2位の黒田先生 テレビをかかえてニッコリ

〈1部〉新春ファミリーボウリング大会
  ○日  時:平成11年1月24日(日)
       午後2時〜4時
 ○場  所:薬院城山スポーツパレス
 ○会  費:ゲーム代  無料
       シューズ代 自費
 ○参加資格:中央区薬剤師会会員及び家族
       職員及び家族
       (小学生以上、男女不問)
       中央区担当卸セールス及び家族
 ○競技規定:個人対抗戦 3ゲーム
       (会員・卸セールス)
 ○ハンディキャップ:
       小学生60ポイント
       中学生40ポイント
       女性及び60才以上30ポイント

 競技進行は専務理事下瀬和俊。参加者78名で20レーンを使用し、けが人もなく和やかな内に無事終了。表彰式はセントラルホテルにて行いました。

早麻清蔵先生 中央区夢語れる街に!! 稲員大三郎先生 心ふれあう街づくり
いつも若々しい三津家先生

〈2部〉講演 中小企業の経営安定をめざし
    −不況克服の事業資金の確保に対するアドバイス−
○日  時:平成11年1月24日(日)午後4時30分〜 
○場  所:セントラルホテルフクオカ
講演1)福岡県に於ける景気浮揚政策について
福岡県議会議員(中央区)早麻 清蔵先生
 県政レベルによる不況克服のため経済対策過去最多の1,000億円補正予算成立に努 力中との報告があった。

講演2)福岡市における緊急景気対策融資について
福岡市議会議員(中央区)  稲員大三郎先生
 福岡市経済振興局「緊急景気対策融資 〈0.9%年利〉」他、経営支援に対する福岡市制度融資相談窓口などについての報告があった。

講演に引き続ぎ'99中央区薬剤節会新春の集い

−懇親会及びボウリング大会表彰式−

     於  セントラルホテルフクオカ
     司会 中央区薬剤師会 副会長 樋口 昌嗣式次第
○開会のことば:中央区薬剤師会 会長 梅末芳彦
○会長あいさつ:福岡市薬剤節会 会長 藤原良春先生
○乾杯:中央区薬剤節会 監査 三津家正友 先生
○開宴
○来賓の紹介及び挨拶
来賓
・福岡県議会議員(中央区)早麻清蔵先生
  後援会支援依頼「ガンバル はやま」中央区夢語れる街に!!
・福岡市議会議員(中央区)稲員大三郎先生
 誠実さと行動力で薬剤師会のため頑張ります。後援会支援依頼と決意表明「心ふれあう街づくり」
・前中央区医師会会長 篠崎哲宗先生
 自民党市議団会長稲員大三郎氏を医療チームとして三師会にて後援会のご支援を戴きたい。
・福岡市学校薬剤師会副会長
(稲員大三郎後援会丘の会会長)女賀信子先生
 稲員市議と同級生で「まちがいのない行動力にご支援を!!」と訴えた。
・前政調会長衆議院議員 山崎 拓先生秘書 相薗泰文、古賀正秋氏
・参議院議員 吉村剛太郎先生秘書 山口浩之氏
応援が根付きますように
○鉢植贈呈

 県議会議員 早麻清蔵先生、市議会議員稲員大三郎先生の御両名へ今後のご活躍を祈念申し上げて応援が根付くように中央区 女性会員による鉢植の贈呈を行いました。

○新春ファミリーボウリング大会表彰式
  司会:中央区専務理事 下瀬和俊
  会員の先生方による多数の協賛の景品を賜り、和やかな表彰式での豪華景品は好評で、又参加者全員に参加賞が配られました。
 (協賛晶を出していただきました先生方各位に御礼申し上げます)
○万歳三唱
 福岡市薬剤師会 副会長 光安龍彦先生
  来賓を励ます力強いガンバローコール。ありがとうございました。
○閉会の言葉
 中央区薬剤師会副会長 樋口昌嗣先生

 本日は不慣れな司会にもかかわらず、皆様方のご協力で会がスムーズに進行出来ましたことを、心より御礼申し上げます。又、次年度もこのような楽しい交流の場を設け、会員相互の親睦を深め、一丸となって会の運営発展に努めて参りたいと思いますので、ご協力の程宜しくお願い致します。
 これをもちまして閉会とさせて頂きます。
 本日はどうも有り難うございました。

(支部長:梅末芳彦、副支部長:樋口昌嗣)


〔東〕

〜役員会と部会長会〜

日 時
平成10年12月4日(金)午後7時30分
場 所
東市民センター

議 題
報告事項
(1)各委員会報告
 ・組織委員 竹野先生 未加入薬局のリスト
(2)三師会新年会 1月22日(金)
協議事項
(1)市会議員の選挙 推薦について
(2)「排禍老人ネットワーク」のポスター・パンフの配布先
(3)モデル事業
・今までの報告
・参加関係者の忘年会
・具体的なやり方の検討(訪問のしかたのマニュアル)
・参加薬局の掘り起こし
(4)医師会より面分業依頼

−☆−☆−

〜モデル介護認定審査会にオブザーバーとして出席〜

日 時
11月から12月にかけて
場 所
東保健所
出席者
田中市莫在宅担当常務理事・原口在宅委員・伊東

−☆−☆−

〜保健所保健福祉サービス調整推進会議〜 (事例検討会)

日 時
11月から12月にかけて
場 所
東保健所
構成員
医師会・歯科医師会・薬剤師会・訪問看護ステーション看護婦・福岡市市民・福祉サービス公社調整指導員・東福祉事務所福祉課・保健所医師、保健婦
出席者
田中・原口・伊東

薬剤師会より下記のような症例報告した(郵告者:田中)

『過酷な介護を強いられていたが介護者のQOLが改善できた事例』

セイイ薬局 入江
氏名:M・T 氏(男) 92歳
病名:脳梗塞後遺症・高血圧性心臓病

【病歴及び経過】
 H7年まで高血圧症の為本人が来局。
 H8年 坐骨神経痛のため娘さんが代理で来局。以後、代理来局続く。
 (自宅にて血圧測定される)
 H9年10月娘さんより相談を受ける。

【相談内容】
 母親(寝たきり)妹(障害者)父親を含め3人の介護と自分の仕事の為、お薬を
 きちんと服用させることが難しい。
 医師にこの件を連絡し、訪問指導開始となる。
 H9.10.3 初回訪問
  家族に残薬や患者の様子を聞く。お薬の効能などを説明し、大変喜ばれる。
 H10.10.30
  家族からの申し出(夜間せん妄)により、医師よりグラマリールが投与される。
 H10.11.10
  よだれがだらだらとすごく、排尿障害(夜間10回以上)有りとの家族の申し出により
  訪問し、グラマリールを回収する。

【まとめ】
 大変な介護の中で父親に夜間俳号回・興奮が現れ、介護者を悩ませる。グラマリールの投与により改善された。しかしパーキンソン症候群や排尿障害のため中止になった。3人の介護をしておられる娘さんにとって一時的にでも父親の夜間せん妄から解放された。またベッドの搬入(在宅ケア・ホットラインへ依頼)により介護が軽減された。しかし物理的には在宅介護の域を大きく越えているので娘さんを説得して12月21日原土井病院に入院となった。父親の入院をためらわれていた介護者はほっとされている。
 在宅介護・在宅医療への薬剤師の係わりは薬物療法はもちろんであるが、患者さんをとりまく環境の調整も大切である。チームのなかで連携をはかっていきたい。

−☆−☆−

〜東区三師会新年会〜

日 時
平成11年1月22日(金)7時
場 所
福岡リーセントホテル
出席者
医師会24名 歯科医師会29名 薬剤師会24名

式次第         司会 竹野 将行
1.開会の辞
   福岡市東区薬剤節会   中野副会長
1.幹事会代表挨拶
   福岡市東区薬剤師会    伊東会長
1.来賓祝辞
   福岡市薬剤師会   光安龍彦副会長
   福岡市医師会    福田 量副会長
   福岡市歯科医師会
             水ノ江文生副会長
1.合唱
              東杏混声合唱団
1.乾杯
       福岡市東区医師会 松本会長
1.懇親会
       アトラクション ビンゴゲーム
1.万歳三唱
   福岡市歯科医師会東支部 内田支部長
1.閉会の辞
  福岡市東区医師会    二宮副会長

毎年持ち回りで三師会が行われている。今年は9回目で薬剤師会の当番だった。新役員ばかりで要領を得ず困惑することも多かったが、皆様の御協力で盛会のうちに無事終わった。

三師会発足の趣旨は「今から医療の混迷期を迎えるにあたり、三師会がガッチリスクラムを組まなければならない」だ。開催は当番制で各会が責任を持って当番会に迷惑をかけないという事が基本になっている。これからもこの会を大切に継続していきたい。

医師会・歯科医師会との連絡など諸事全般を一手に引き受けられた中野(達)副会長・竹野組織委員お疲れ様でした。

−☆−☆−

(支部長:伊東美穂)


東区推薦 手島敏文議員

 東区薬剤師会推薦市議会議員は『福祉の手島』として全国的に高名な手島敏文氏です。  6期24年「福祉と健康の街づくり」を目指して市政を担ってこられました。「患者さんのための医療」「地域に貢献する薬局」を目指す私達にとってこれ以上の方はみあたりません。  皆様のご支援、よろしくお願い申し上げます。      (東支部長 伊東美穂)

 東区薬剤師会は一丸となって、手島敏文議員を全力を上げて推薦しております。手島敏文議員の市民を思うその実行力は衆目の認めるところであり、その結果が昭和50年4月の初当選以来今日まで、連続6期24年間勤めておられることが物語っております。  手島敏文議員は、副議長、東保健所運営協議会会長、九州大学移転対策協議会会長、第2常任委員会委員長(保健福祉局・環境局)など数々の要職を歴任されています。  手島敏文議員の政治哲学は、市民生活の向上を第一義とされ《よい政治がよい生活の助けをする》 ということに尽きます。手島敏文議員が今後も気さくで気取らない庶民派として、身を惜しまない行動力で今後益々の御活躍をしていただく為、私ども東区薬剤師会は総力を上げて支援してまいります。 (福岡県薬剤師会常務理事 藤野哲郎)


「介護保険制度」
市政に責任を持つ一人として 福岡市議会議員 手島敏文

介護保険制度成立の歴史的意味

1979年に経済審議会が提言した日本型福祉は、家族の献身的無給労働を基盤とする政策で、日本型の悲劇を招きました。

介護に疲れはて、愛情が潤れてしまう家族。食堂、談話室、風呂もない病院の雑居部屋で人生を終える人々が、たくさんでました。

2000年4月に始まる介護保険制度は、一般市民を対象とした最初の高齢者福祉制度(ゴールドプラン)がスタートしてから、わずか7年という驚くべき短期間で成立しました。社会的介護システムの必要性について全政党が賛成したものであります。

その意味では、社会福祉がはじめて保守対革新というかつてのイデオロギー的立場をこえて論議されたという点で、この制度の成立は歴史的意味があると考えます。

介護は家族の義務だというこれまでの強い社会通念から、要介護リスクは国民すべてが社会的責任において引き受けるべきだという合意へと転換したことの重みは、非常に大きいものであります。これは社会的介護システムに対する国民の要望の深さの証拠です。皆無に近かった1990年以前の在宅の要介護高齢者に対する社会福祉サービスから考えると、社会通念の変化の大きさが分かります。

あまりにも悲しい

「早く死ぬのも 国のため」
 新聞や雑誌に投稿された次のような川柳をご存じですか。

「もしかして 早く死ぬのも 国のため」また「老人は 死んで下さい 国のため」「孝行を したくないのに 親はあり」という句もあります。

戦中戦後の貧困の苦しみのなかで懸命に働き、今日の繁栄「日本」を築いてきた高齢者が、このようなショッキングな句を読まざるを得ないというのは、どういうことでありましょうか。

介護の現場で経験することは、腹がたったり、悲しくなったりすることばかりです。そこに見えてくるのは、患者や家族の立場を軽視する時代遅れの行政であり、製薬会社の利益を守っても患者の命を軽視する、腐敗した政治であると思えてなりません。

しかも、福祉という視点よりも財政再建という大蔵省の馬鹿の一つ覚えの声が全てに優先されて、多くの政治家も財政再建の大合唱の前に、すっかり思考が停止した状態になっております。

福祉を切り捨てれば、財政支出が軽減できるのは当たり前であり、その程度の政策しか提言できないのであれば、政治家は不要ではないか、今の政治には知恵もなければ、国民に夢や希望を与える能力もないのではないかとさえ思えます。

日本が世界一の長寿国になったことは喜ばしいことであり、戦後の日本人の努力の賜であります。その点は戦後政治の功績であると言えますが、しかし、もしお年寄りの口から「ああ長生きして良かった」「日本に生まれて良かった」という声が聞かれなかったとしたら、それこそ戦後50年の私たちの努力は水泡に帰したことになると考えます。


〔博多〕

〜博多区薬剤師会会務報告〜

平成10年11月
 5日 モデル介護認定審査会
     木原理事、森理事出席
 6日 支部長会
     鶴原会長出席
 9日 在宅ケア懇談会
     木原理事、森理事出席
 17日 県薬社保・研修合同研修会
     高木理事出席
 20日 博多区三師会役員懇談会
 27日 市薬委員会合同懇親会
平成10年12月
 10日 理事会
 18日 ステップアップセミナー
 22日 支部長会
平成11年1月
 6日 博多区医師会新年会
     鶴原会長、蔵元専務出席
 7日 博多区新春の集い
     鶴原会長出席
 8日 歯科医師会博多支部新年会
     鶴原会長、森川副会長出席
 11日 在宅ケア懇談会
     蔵元専務、木原理事、森理事出席
 14日 ステップアップセミナー
 18日 理事、監事、部会長会
 26日 支部長会

博多区薬剤師会では、6名の先生方を応援しております。後援会等よろしくお願い致します。

井上まさみ氏新宮まつひこ氏鬼塚としみつ氏川口 浩氏
南原 茂氏福田康男氏


〔城南〕

〜城南老人クラブ講演会〜

日 時
平成10年10月21日(水)13:30
場 所
城南区役所

講師 合澤英夫先生

−☆−☆−

〜支部忘年会〜

日 時
平成10年12月3日(木)19時
場 所
福新楼
参加者
36名

今年の忘年会は、ソフトボール参加者慰労会と前期広報委員をされてたライオン薬局の東美代先生の送別会も兼ねて行なわれた。
 一人でも多くの参加をと支部長や部会長の呼び掛けで、出席者数は過去最高だった。

おつかれさまでした

−☆−☆−

〜支部研修会〜

日 時
平成11年1月21日(木)19時
場 所
城南市民センター 第1会議室

 @ 市薬(1/28)処方説明会の研修
 A 現在のインフルエンザ情報について
 B 参照価格制度について
 C 支部連絡事項
 D その他
 城南区薬剤師会では、4名の先生方を応援しております。後援会等よろしくお願い致します。
    大 江 健 一 氏
    高 山 博 光 氏
    はしづめ 和元 氏
    むとう 英 治 氏
          

(広報:森山健次郎)


〔南〕

商区薬剤師会では、4名の先生方を応援しております。後援会等よろしくお願い致します。
    こくぶ 徳 彦 氏
    伊 藤 よしと 氏
    古 賀 潤一郎 氏
    か ぢ 邦 雄 氏

(広報:戸田昭洋)


松は松の用あり、
槍は槍の用あり、
  其用々に随て用ゆれば、
  甚重宝になる事なり。

(尾張名古屋藩主 徳川宗春)


〔早良〕

第31回早良支部だより

第31回早良支部だより


〔西〕

冨永計久

●学歴

 S23年9月23日生まれ
 S36年3月/福岡市立周船寺小学校卒業
 S39年3月/福岡市立元岡中学校卒業
 S42年3月/福岡県立糸島高等学校卒業
 S48年3月/第一薬科大学製薬学科卒業(薬剤師)

●過去の役職

太田誠一衆議院議員 周船寺商工青年部部長
周船寺商工連合会理事
福岡市立周船寺小学校父母教師会会長
福岡市立元岡中学校父母教師会会長
(社)日本薬局協励会福岡西支部長
(社)日本薬局協励会九州合同支部副支部長
(社)福岡市薬剤師会常務理事
(社)福岡市薬剤師会西支部西部会長
周船寺公民館少年剣道教室指導員(剣道4段)
まちづくりフォーラム249(にしく)会長

●現在の役職

(有)冨永薬局代表取締役
周船寺商工連合会副会長
(社)福岡県薬剤師薬局委員
(社)福岡市薬剤師薬局委員
(社)福岡市薬剤節会西支部副支部長
福岡市元岡中学校同窓会理事

冨永先生御夫妻と会長(右) 事務所開きも盛大に

西区推薦 冨永計久先生

薬剤師会前常務理事の冨永計久氏が政治家へといままさに転身をはかろうとしています。

冨永計久氏は西区住民の皆様の代表として活躍されていた池宜輝氏の後援会長であり、陰に陽に池氏をささえてきた方です。しかし、無情にも池氏は病に倒れ、断腸の思いで政治家を断念し、氏の後援会の役員及び顧問に後継者の諮問をされました。その結果満場一致で冨永計久氏を後継者として擁立することが決議されたのです。

冨永計久氏はその経歴が示すとおり、地元出身の地元育ち。冨永計久氏のお祖父さまは町長、ご尊父は町会議員をされた家柄です。

今政治家に求められるものは高度の知性と未来への信念とそれらを実践する行動力です。

冨永計久氏はこの要求に充分応えてくれます。なぜなら、薬剤師会役員として薬剤師職能の本質を追究し、薬(やく)の倫理いわゆる心の向上を土台に行動され、薬剤師会の発展にも貢献してきた方だからです。

我々は、この頼もしい冨永計久氏を地域の皆様と共に支援し、また薬剤師の代表として行政とのパイプ役、行政に薬剤師の主張を反映させる役になってもらいたいと熱望するものです。どうぞ皆さんと一緒に応援していこうではありませんか。是非後援会に入会して下さい。ご本人やご家族はもとより、一人でも多くのお知り合いの方々を紹介願います。冨永計久氏は必ずやこたえてくれます。

 冨永計久先生を支援する輪を広げましょう。
 皆様のお力添えをお願い致します。

福岡市薬剤師連盟


この快挙に応えようではないか 福岡市薬剤師連盟 会長 藤原良春

冨永計久氏(西区周船寺 冨永薬局)が急遽政治家に転身することとなった。これは氏が後援会長として推挙していた、池宜輝市議が病に倒れ、地元各後援会組織から同氏に対 して池氏の意思を受け継ぐよう強い要望が出され、氏も引くに引けない状況下で転身を決意したものである。このことは、冨永計久氏に対する地元における人望・声望の高さと力量の大きさを物語っており、今回の立候補は正に快挙というべきである。

思い起こせば、本市における薬剤師としての市議は、磯田秀雄氏が昭和12年から22年まで活躍され大きな実績を残された。その後お二方が立候補されたが残念な結果に終わっている。冨永氏が政治家への転身を果たすことができれば、実に半世紀振りの薬剤師議員誕生ということになり、同氏の名誉もさることながら、福岡市薬剤師会にとっては計り知れない大きな力となり得る。

市薬剤師連盟としては政治力の大切さを痛感し、過去国会議員、県会議員、市会議員選挙において、会員の皆様方に強力なご支援とご協力をお願いしてきた。その結果、いまでは、各議員から組織として高い評価を受ける存在となってきているが、さらに強固なものにしなければならない。なぜなら、福岡市薬剤師会が地域住民のため保健・医療・福祉の諸問題に取り組むためには更なる政治力を必要としているからである。

とにかく、冨永氏は新人である。大きく出遅れている。いま急がなければならないことは後援会名簿作りである。会員の皆様方には酉区の友人・知人を総動員していただくよう切にお願いしたい。そして、我々の力によって氏を押し上げ、光り輝く希望の星にしようではないか。

光り輝く希望の星に 薬剤師の未来を掴もう!


身近かな政治家を 一薬会福岡支部 支部長 松島照幸

さて、この度、第一薬科大学第10期卒業の冨永計久氏(冨永薬局:西区周船寺)が政治家への道を決意されました。

冨永氏は薬局経営を通じて、地域の商工会や青少年育成活動、さらには薬剤師会活動と精力的な活躍をしておられます。特に、地域における氏の信頼は絶大だとお聞きしています。

先日の後援会結成と事務所開きには多数の応援の方々が参加され、盛大に執り行われました。今後の後援会活動をさらに拡充することを確信した次第です。

氏は、学生時代から剣道をこよなく愛し、真撃で正義感が強く、質実剛健とはまさしく彼にピッタリの言葉です。また、薬剤師として医療・保健・福祉の専門家であり、数十年のキャリアは頼もしい限りであります。

今日、二十一世紀を間近に控えて社会変革が激しい勢いで進んでいます。近年の日本においては、高度成長、バブルの崩壊と、その目的のためには手段を選ばない痛嘆すべき社会機構が林立しています。

二十一世紀は人に優しい人間性回復の時代であると言われています。来年度から実施される公的介護保険は正にその原点になろうと思います。

この変革の時代に薬剤師バリューの確立は現役の我々が作らなければなりません。このような時代にこそ力強い政治力が必要なのです。

千載一隅のチャンスです!その役割を必ずや冨永計久氏は果たしてくれるものと信じています。同窓会でも出来る限りの応援をいたしたくここに深く嘆願するものです。

西区在住の友人・知人への声かけと後援会入会者紹介のご協力を切にお願いいたします。


医療現場から立ち上がれ 西支部長 占部吉事

地域の夢の実現の為に、政治家への転身を決意された同胞、冨永計久先生は、剣道で鍛えた強靭な体で寒む空の中、パワフルに活動を続けておられる。

また、会員の方々のご協力とご好意により御送付いただいた後援会名簿も集まりつつあり、氏に対する市薬剤師連盟会員の方々からの熱い支援と期待に、地元会員も発憤し勉強会の折、部会長会の折、連絡会の折、一時も忘れることなく、地味な努力を継続している。 そして住民の方々に、医療・保健・福祉を充実させる為には医療人の政治家が必要である所を力説している。

薬剤師の政治家が誕生すれば山積の医療問題が整理、解決され、今後の医療計画も、医療現場から立ち上ったものであれば、地に足がついているので、きめ細かく、素早く出来上る。とにもかくにも、冨永計久先生が栄誉を勝ち取る為には、各会員本当にコツコツと住民の方々1人1人に熱く、真剣に、医療・保健・福祉の充実を何回も、くどく、判りやすく、かみ砕いたものを訴え、理解いただかなければならない。その努力がなければ、栄誉は勝ち取れない。

国会議員の方々からも組織として高い評価を受けている今、会として不動の実績を冨永先生勝利の形で実現させようではないか。冨永先生の夢の実現の為、各会員粉骨砕身の努力を惜んではならない。

市薬代議員会(薬局担当常務理事として出席) 粉骨砕身の努力を


薬局委員会の声

○ 常務理事をしながら、地域では剣道指導員として御活躍でした。
  責任感の強い方だと思います。
            (国武靖夫委員)
○ 薬局委員として、御一緒に仕事をして、何に対してもきちんと仕事をなさり、世話の行き届く方だと思います。
 頼みごとをしても、様な顔をなさらず聞いて下さっていました。
 又真面目な方で、はっきりとした御自身の意見を持っていらっしゃるので立派な仕事を遂行なさると信じています。
            (行実公男委員)
○ 何度か御一緒してみて、福岡市民にとっても私達薬剤師にとっても、市政を託すのに最適な人柄だと確信しています。
 又“かかりつけ薬局”については深い見識をお持ちで、患者の立場からみて、本当に信頼される薬局にならねばとおっしゃっていました。
 市民、患者、薬剤師の立場に立つ先生のお考えの根っ子にあるものは、これだと思います。まさに、今の時代に必要な方だと思います。
 必勝を強く祈念致します。
          (毛利久美子理事)
○ 冨永先生が薬局委員会の常務理事をされた時から一緒に薬局委員会の仕事をしてきました。冨永先生には責任感がつよく信念を持って仕事をしている方というイメージがあります。
  今回たいへんな決断をされたと思います。冨永先生であればきっと、われわれ薬剤師の立場を反映できる方だと思います。
 ぜひ冨永先生の夢が実現されるように、みなさんのご協力をお願いいたします。

(満生清士委員)

冨永先生と漬地市議 薬局製剤実習 薬局委員会のメンバーと いつでも どこでも ガンバロー!

■ 巻 頭 言
その名に生きる 〜保険薬剤師であると覚悟をすれば〜 (社)福岡市薬剤師会 常務理事 冨永計久

薬剤師会の会員は、いろいろな立場の方がおられる。会員別でいえば、正会員・賛助会員、種別でいえば、保険薬局・非保険薬局・一般販売業・薬種商・卸売業・製薬業・行政官・教育研究者・薬局勤務・病院勤務等々皆さんそれぞれ何らかの形で薬とかかわっている。

福岡県薬剤師会が昨年実施した「会員薬局・一般販売業実態調査」の報告によれば、福岡市の会員の87%が保険薬局である。もし87%の保険薬局が保険薬局としての仕事を責任をもってやれば、つまりどこの病医院の処方箋でも責任を持って受け入れれば、面分業はスムーズに行くのではないだろうか(もちろん処方せんを書く側の理論も色々あるだろうから、それを考慮に入れなければの話ではあるが)。

薬の調達、在庫の問題、保険請求の問題、 スタッフの問題等、確かに難蓮は山積している。しかし保険薬局である以上、その処方箋を損得抜きで受け付けて当たり前ではないだろうか。なぜなら、患者さんはその薬局を当てにして来局しているのだから、その患者さんの期待を裏切ることはできない。これはOTC販売でも同じことで、OTC販売でも保険調剤でもその他来局された方の期待に応えるのは当然ではないだろうか。それが患者さん(お客さん)にとっては「かかりつけ薬局」であり、我々にとっては「かかられつけ薬局」というのだと思う。保険薬局として、やって当たり前のことをやっていれば、基準薬局なる奇妙な薬局は出てこなかったのではないかと思う。ちょっと厳しく言えば保険薬 局の看板を上げている以上、処方箋受付は当たり前で、それを拒否する薬局は一般販売業にならざるをえない状況が、すぐ目の前に来ていると思う。

                    

話は変わるが最近「極楽ガン病棟(※)」という本を読んだ。30才代の男性のガンとの闘病記である。死の恐怖と戟いながら何とか生きよう、明るく生きよすとしている姿が書かれている。内容を一言で言えば「患者は必死で病気と闘っているんだ。医者として、薬剤師として、看護婦としそ、検査技師として、その他患者に携わるものはプロとして必死でやってくれよ、患者は期待しているんだよ」ということを言いたいのではないかと思った。患者さんの気持ちがよくわかる内容でぜひ一読されることをお奨めする。

今後、薬局薬剤師の仕事はOTC販売、調剤、薬局製剤、学校薬剤師、訪問在宅介護、環境衛生、薬局経営等々日が回るほどである。 しかし会員がそれぞれ『その名に生きる』つまり薬剤師であると覚悟をすればおのずと市民の皆様の支持は得られるのではないだろうか。評価は人がすると思う。

「できるかぎりで精一杯、しかしまだまだたらん」の気持ちで頑張りましょう。

※「極楽ガン病棟」出版社:石風社 著者:坂口 良

市薬ジャーナル,97.9月号 巻頭言より 〜

【支部訪問】おじゃましま〜す!

西区編

2月19日(金)室見川河畔「三四郎」で福岡市学校薬剤節会西区研修会及び福岡市薬剤師会酉支部連絡会が行われた。

竹尾先生の司会で、なごやかに会が開かれた。藤原会長、合澤副会長、光安副会長を迎え、さらに県議の田中久也先生、市議の濱地輝一先生、前市薬常務理事冨永計久先生を迎えて、盛大に開かれた。

藤原会長の挨拶では、今回特に薬剤師である冨永先生の立候補は快挙であり、当選すれば半世紀振りの薬剤師議員であると力説された。

また占部支部長のお話では、介護保険の問題、薬剤師の地位の向上等の話が出、冨永先生や濱地先生への期待の大きさが伺われた。

全体的には酉区の場合まとまりがよく、なごやかに和気あいあいとしているように感じた。中小病院からの処方箋発行など、具体的な面分業の依頼の話もあり、いろいろな問題が検討されていた。

懇親会に入ると薬局製剤の話や不況の話や「ジャーナル」の話など、思い思いに日頃の考えを話し合った。楽しい会だった。

(上村義徳)

田中久也県議 冨永計久先生 私に相談もなく‥
三四郎サミット 西のくされ縁(?)
ガンバロ〜 突き上げるこぶし〜♪

委員会合同忘年懇親会

日時:平成10年11月27日  場所:タカクラホテル福岡
司会の二人 吉村剛太郎議員もかけつけ 去年の表彰者が一堂に 来賓のリビング福岡黒木営業部次長(中)と瀬川編集長(右) 今年一年大変お世話になりました 各支部推薦の市議団 来賓のテーブル 市薬職員(九大・市薬薬局)の先生方いつもありがとうございます

第4回 六人会シンポジウム聞きかじり

衆議院議員 阿部正俊 田浦 直 武見敬三
      常田享詳 中原 爽 長峯 基(コーディネーター)
                      ※順不同・敬称略

終了後のロビー 2月11日(木)、パピヨン24「ガスホール」で行われたこの会に、前に女子薬の新年会に出席していたので、閉会30分前ぐらいにたどり着いた。会場は満席の状態で立ち見の人も多く、ホールにも人が溢れている状態だった。中は熱気につつまれ、会場のエアコンの暖房と相まって、息苦しい程のものがあった。既に会場からのパネリストに対する質疑応答が始まっていた。
 医薬分業について参議院議員の阿部先生は、医薬分業が100%になることはないと考える。70%ぐらいが限度だろうと考える。医薬分業のデメリットを非難されるむきもあるが、メリットをのばしていく必要があるだろう。備蓄医薬品に限度があるというのも分かるので、この点についてはモデルを作っていく必要があるだろうと考える。又、法律サイドを改正して、薬品の小包装化等に努めるよう政府で検討して行かなければならないと考える。というようなお話があった。

最後の質問で参照価格制度についてのパネリスト全員に意見が求められたが、時間も迫っており一言ずつということで、全員、問題が多くさらなる検討が必要と言う回答だった。

最後にコーディネーターの長峯先生が行政とはこんなもんですからと結ばれたので、最後列で聞いていた私は、思わず冗談じやないわよこんなもんですで、すまされたんじゃたまったもんじゃないわよとつぶやいてしまった。最後を聞きかじっただけの状態ではなにもいえるものではない、多分私の聞いていない時間になにか有意義な発言があったとは考えている。

尚、詳しい内容は県薬会報(4月or5月号に掲載予定)をご覧頂きたい。

(T.S.)

禍福在君 不在天晴
           (中国 六輪) 
「禍福は君に在りて、天の時に在らず」
 吉と出るか凶と出るかは、いわば天運などではなく、指導者の如何によるもの。

お知らせのコーナー

1)福岡大学公開講座
2)九州漢方研究会入会案内
3)市薬ダンス同好会会員募集のお知らせ
4)楽しい中国語

今回は一挙に2薬局の看板娘をご紹介します

うちの看板娘 No.12 

中村千登世 ●●●冨永薬局編●●●
西支部 西部会
 私が冨永薬局に勤務してから早いもので5年が過ぎました。ここまで長く勤務できるのも、暖かく見守ってくださる先生方のおかげだと思っています。
 毎日いろんなお客様と会話する事が大好きな私です。(大きな声でケラケラと笑っています) 時にはお客様からいろいろな情報をおしえて頂く事もあります。まだまだ勉強不足な点が沢山ありますが、明るく元気にがんばりたいと思いますので、これからも宜しくお願い致します。

(中村千登世)

〜薬局長より一言〜
 いつも明るい笑顔で、私の手となり足となりで、助けて頂き感謝しております。
 今年から息子(長男)がスタッフに加わり、ますます地域密着型の暖かい薬局づくりをめざして頑張ろうと燃えております。
 宜しくお願い致します。

(冨永サヨ子)

冨永薬局

うちの看板娘 No.13 

近藤律子 オーナー 坪郷京子
●●●なかお薬局扁●●●
博多支部 博多東部会

 調剤薬局に勤めて、はや1年、ハタハタと過ぎ去る毎日。懸命に足を踏んぼってみても、かよわい、この2本の脚では支えきれません。逆さまに走って行きたい、その様な心境です‥。はやく誰か良きパートナーを探して下さいませ。(ex.“救命病棟”の進藤先生の様な方、いらっしゃいませんでしょうか?)近頃は、日暮れが少し遅くなり、寒い中にも春の香が漂う季節を迎え、勉強(?)に、趣味に、そして恋に心馳せております。
 患者様との接遇にも少しずつなれて参りました。出来る限りの優しさで、心のケアの出来る薬剤師となれる様、努力する所存です。
                    (坪郷京子)

 短大を卒業し、医療事務のお仕事についてもうすぐ1年です。パソコン、レセプト、帳簿づけ‥・と毎日がんばっております。
 患者様が安心し、喜んで帰られる姿を見ますと、医療チームの一員として働いている事に喜びを感じます。
“優しい言葉づかい”“心のこもった応待”を肝に銘じております。
『会いたかったネェー』といつもみえる患者様に声をかけて戴いた時などは、うれしくて笑顔でお返事しています。
 帰宅路にはお腹もすき、今は食欲が一番で、チョコレート・ケーキetcが頭の中を右往左往しています。
 これからも一社会人として皆様の御指導のもとに自己研鉾に励みたいと思います。
 ただ今、テニスの御相手募集中デス。
                    (近藤律子)

〜薬局長より一言〜
“寒風に向って立つ裸木、冬木立こそが本当の春のぬくもりを知っている、一番の闇こそが本当の夜明を導く”
(新聞のコラムより感動して)

<市薬薬局のコーナー>

福岡市薬剤師会薬局現状報告

文芸

中医略史(15)

唐の薬王

孫思週は70歳の声を聞いてなお元気だった。それでも「備急千金要方」を書き上げてほっとしたのか幾分力が抜けた感じだった。ところがつい先だって再び孫恩遇を奮い立たせる出来ごとが起こった。
 「私は本当に感動いたしました。もっと早くにこの書を読んでいたらと思うと残念です」孫思週は尚書省の役人である友人に話し出した。
 「あなたがこの『傷寒論』を持ってこられた時、私がどれほど感激したか誰にも分かってもらえません。多くの書物の中に引用されて名前は知っていたのですがこの書を初めて手にしたときの感激はとても言葉では語れません。私が太白山に隠居してどれくらいになるでしょうか。その間にも皇帝太宗殿から役職に着くよう何度もお誘いを受けたが断った。今も高宗殿から誘いを受けている。

しかし私にはそのようなことは似合っていない。私がまだ幼かった頃洛州の長官に『聖童』だといわれたことがある。その時私は『荘子』『老子』を読んでおりました。長官に器量が大き過ぎて、実際面では役に立たないといわれました。その時は深くは分かりませんでしたが今になって考えてみますとなるほどと思います。こうやって太白山に隠居して草木を捜し歩いての生活が似合っていると思う」

「私も『備急千金要方』を読ませていただきましたが、多くの病人を救うことができると思います。すばらしい出来ばえです」友人は続けた。

「玄契殿が天竺より帰られてもう4〜5年になりますが、都ではまだその話で持ち切りです。17〜8年の長旅は話しても話しつきるということがありません。ただ最近では武則天皇后の権力が強大なものになっております。多くの犠牲者が出ておりますが、その点恩遇殿は隠居の身でうらやましい限りです。それはそうと先日お持ちした『傷寒論』がお役に立ってうれしく思います。先方の方も孫先生だったら心行くまで読んでくださいということでした」

「有り難いことです」恩遇はいった。「人の命は手金にも勝るといわれます。私の父は私が幼い頃病弱だったのでたびたび医者を訪ね家財を尽くしてしまった。私は父より身を持って命の尊さを教えていただいたと思っています。急に備えるという意味で『備急千金要方』という書名で全30巻書き上げましたが、この『傷寒論』を読んでまだまだ不備な点があることを知りました。すでに70歳になりましたが再び情熱が沸いてきました。この書をもとにもう一度私の経験の全てを書き記そうと思います」

「それは大変なことです。皆先生の書籍は待ち望んでおります。いつまでもお身体を大切に頑張ってください」友人はそういうと70歳の頑強な老人を見上げた。

「明日よりまた生薬の採集に出かけます」思週はにっこりと笑いながらいった。「採集の時期は非常に大事なのです。時期を逸すれば、名前はあっても実がありません。生薬の名前はその通りだけれど効果がありません。

また陰干しにするかしかないかでも効果に大変な違いがあります。生薬の採集時期なども書き残しておこうと思います」恩遇の目はきらきらと輝いていた。

「それはそうと以前太医が傷寒を治療するのを見たことがあります。その時知母などの冷薬ばかりを使っていました。私は『傷寒論』を手にしてざっと読み進んでいますが、およそ傷寒の治療は桂枝湯と麻黄湯と青竜湯の3種しかないと思われます。その他は癒えないときの治療であって、最初の治療ではない。この『傷寒論』をもっと読み砕いて『千金翼方』の書名で書き上げたいと思っています」

孫恩遇はそれから30年の歳月をかけて『千金翼方』を書き上げた。享年101歳だった。生薬は全部で800余程あり、200余種の薬物の採取時期を詳しく記載していたので、後に人々は「薬王」と呼んだ。

『傷寒論』を70歳にして手にしたことは文献に残っている。しかし友人を通して手に入れたかどうか、或いはそのような友人がいたかどうかは定かではない。

(上村義徳)

川柳
俳句

会員の移動

会員の移動

会 務 日 誌

12月8日  組織委員会                19:30
      在宅医療委員会              19:30
  9日  広報委員会                19:30
  10日  広報委員会                19:30
  11日  監査会                  18:00
  14日  三役会                  19:30
  16日  理事会                  19:30
  18日  広報委員会                19:30
  19日  広報委員会                19:30
      顧問会                  19:00
  22日  支部長会                 19:30
  24日  薬局委員会                19:30
  28日  御用納め                 17:00
1月11日  三役会                  19:30
  12日  学術研修会                18:00
      市薬薬局委員会              19:30
  13日  学薬理事会                19:30
  20日  理事会                  19:30
  21日  組織委員会                19:30
  23日  薬局委員会(研修)             19:30
      12大都市薬剤師会連絡協議会        13:00
  25日  在宅医療委員会              19:30
  26日  支部長会                 19:30
  27日  学術委員会                19:00
  28日  処方説明会                19:00
      試験センター技術講習会(東京)
  29日  急患委員会                19:30
2月5日  広報委員会                19:30
  8日  市薬薬局委員会              19:30
  12日  P.E.M研修会(社保)           19:00
      監査会                  17:00
  13日  在宅医療委員会              16:00
  16日  三役会                  19:30
      薬物療法研究会              19:00

[編集後記]

〜Shake your identity〜

4月は統一地方選ということで世の中かまびすしい。患い起こせば、20数年前の高校生時代は70年安保に吹き荒れていた。政治なんて糞食らえの青春時代だったが、年と共に、世の中を動かすのは結局は政治なんだと考える様になった。ならば私達薬剤師にとってよりよい道を開いて行ってくれるそんな政治家を選びたいし、また育みたいと思う。

そんな意味でも今期、酉区より立候補される冨永先生には是非頑張っていただいて薬剤師議員の席を確保していただきたいと考えている。街を歩けば70年代のあの頃のように、若者が街角でギターをかき鳴らしている。しかし時は21世紀に向かっているのだ。

(鮫島千織)


〜今なにが〜

忙しくなっていくと自分を見失っていく。介護の疲れ、町内会の世話、薬剤師会の役員の仕事など人それぞれであるが、そんなとき今、何が一番大事なことなのか考えてみる。
同じように「市薬ジャーナル」の紙面を見ていると、それぞれが大事なことだがその中に組織的に、将来的に考えて大事なものが毎号あるような気がする。

今回は12大都市薬剤師会連絡協議会であろう。次回開催地の千葉薬剤師会の副会長より原稿を頂いて、紙面が華やかになった。 詳細に書いて頂き、他都市の薬剤師会の現状などが浮かび上がっている。そのうち12大都市薬剤節会広報委員会連絡協議会という下部組織なども出来てくるのではないかと思う。今後の発展を願う。

さらに今回、冨永先生の御健闘を心から頗っている。

(上村義徳)


〜ユーモア(humour)〜

辞書には「人間味のある晶のいいおかしみ。上品なシャレ」とある。語源はラテン語のフモールで「体液」という意。体液は血液やリンパ液など生命維持に必要不可欠なもの。

つまりユーモアもしかり。今、ユーモアがもたらす「笑い」の効用の実験や企業の教育現場への導入が静かなブームだ。すでに欧米ではアルコール依存症治療や小児病棟その他で幅広くユーモアセラピーが盛んに行なわれている。暗く辛い病気を笑いで吹き飛ばすというものだ。

愛あるユーモアで患者を大いに元気づけよう。ユーモアのセンスはビジネスセンスひいてはライフセンスといえるのかもしれない。 『かかりつけ薬局』としてのヒントが何かありそうだ。

(北島啓子)


〜伝  統〜

来年度、私が学薬で担当している小学校でPTA副会長を申し付かることとなったのだが、本年度10周年を迎えたばかりの若い学校とはいえ、会長が変わる度にPTA役員総入れ変えとなることが多い。また、これ以外でも総入れ変えというケースはこの世の中あまりにも多い。 副が長に上がり伝統を作り上げていくことも大切なことではなかろうか?醜い例はいくらでもある。できれば因縁だ、怨念だ、という話は聞きたくない。

もちろん良い例も数多くある。隣町の周船寺では、地域住民が一致団結して地元市議中心に協力体制が築かれている。残念ながら、市議が病床につかれたが、後援会長が立ち上がり団結に変わりはない。この後援会長が、たまたま市薬会員だったことで我会が、伝統の第一歩を歩き出すこととなるのである。

(津田和敏)


〜希  望〜

私は試験に通らなかったが、ケアマネジャーの試験に合格しても開局薬剤師にはその道はほとんど閉ざされている。法人格のない薬局には仕事はこない。市薬薬局を活用するという手も定款の壁に阻まれる。「予想を上回る受験者があり成功だった」という厚生省のコメントは今になって振り返ると苦々しい思いが残る。勉強して損することはないと思い返す。

介護保険・規制緩和・医療制度改革など問題だらけ。このような中での冨永先生の選挙への挑戦は、私達にとって希望です。是非、成功するように協力します。

(伊東美穂)


〜断  言〜

政治の空洞化を言われて久しい。それはひとえに我々の政治への不参加が原因。「私がしなくても」「誰かがやってくれる」そういう思いはないだろうか。

冨永計久先生後援会入会に限り、それはないと断言する。

(戸田昭洋)


平成11年3月15日発行
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
TEL 092-714-4416
FAX 092-714-4421
担当副会長 合 澤 英 夫
常務理事  北 島 啓 子
委 員   石 井 雅 明
      伊 東 美 穂
      上 村 義 徳
      鮫 島 千 織
      津 田 和 敏
      戸 田 昭 洋
      森 山 健次郎
発行人   藤 原 良 春
発行部数  1、3 5 0 部
印刷所   (有)興英社印刷