選挙告示

会員各位

平 成 11年 11月 24日
社団法人福岡市薬剤師会
選 挙 管 理 委 員 会

 

会長・副会長及び監事の選挙告示 並びに立候補届出の公示

平成12年1月29日(土)開催の第45回臨時代議員会において、本会の定款第22条により、次期の市薬会長1名、副会長3名、及び監事2名を選出する選挙を行います。

自ら候補になろうとする会員又は、候補者を推薦しようとする会員は、下記により届け出て下さい。

なお、この選挙は「社団法人福岡市薬剤師会会長、副会長及び監事選挙規則」によって行います。

1.立候補者の資格
 平成11年11月30日までに、市薬への入会手続きを正式に完了している正会員に限ります。

2.立候補届出の受付期間と受付場所
 ◎受付期間:平成11年11月29日(月)〜平成12年1月14日(金)
  (1月14日は正午まで受け付けます。尚、土・日・祝日年末年始の休みは除きます)
 ◎受付場所:市薬会館事務室
   ※郵送による届出は受け付けられません

3.候補届出書の書式
 立候補届出書、又は候補者推薦届出書及び添付書類などの届出関係書類は、市薬事務局に準備しています。

  平成11年度 選挙管理委員会委員

    東 区・伊藤一郎 博多区・鶴原律子 中央区・鮫島千織 早良区・福岡英樹
    城南区・東 健一 西 区・北島弘子 南 区・柴山正典 勤 務・権藤雅彦

■ 巻 頭 言
リスクマネジメント (社)福岡市薬剤師会 常務理事 藤田彰

医薬分業が進み、調剤報酬総額は2兆円時代となり、単純に計算しても薬剤師の技術フイはその1/3を占める7千億円近くにも達する。この為、保険者のみならず行政内部、与党等からも、医薬分業のメリットを目に見える形で示せとつめ寄られている。医薬分業がやっと実を結ぼうとしている今、その是非が問われているのだ。フリードリッヒ二世以来、医薬分業と言うシステムの目的は“毒殺防止”であったが、今日における医薬分業の意義は、医療現場における「リスクマネジメント(危険管理)」である。

日薬が平成10年度の院外処方箋150万枚を調査(解析・評価等は日本大学薬学部中村研究室)した結果その2.1%が疑義照会され、その1/2は処方箋からの疑義であり、残りの1/2は薬歴や患者インタビューからの疑義であった。また照会後の措置としては、処方医による処方変更が、全体の2/3にのぼっている。平成10年度の院外処方箋は4億枚と推定されるので2%は8百万枚である。さらに言えば、疑義照会の対象とならなかった98%も薬剤師による調剤上の安全チェックがなされて投薬され服用されたものと言える。

まさに医薬品のリスクマネジメントシステム・クライスマネジメント(危機管理)システムとして、医薬分業が機能している事を裏付ける調査結果ではないか。このリスクマネジメントシステムの機能を確固たるものにしなければ、医薬分業の明日はない。

(日本薬剤師会雑誌1999.7 日英情報No.82参照)

それに伴い、基本的な問題になるが、薬剤師が保険薬局を開設したり、勤務する場合特に困るのが、保険業務を知らないことである。

薬剤師を養成しない現在の薬学教育のあり方であれば、当然のことであろう。しかし保険業務が解らなくとも、薬剤師会に入会すれば、各区に社保委員、市薬には社保担当理事がいる。彼等に質問して頂ければ答はたちどころに返ってくる。しかし医師から「この薬は何日分まで投薬出来るの」とか、患者から「簡 収書の明細を教えてほしい」等の急を要する質問の場合は間に合わない。

そこで頼りになるのが、「保険薬局業務指針」(日本薬剤師会編)。これは村上春樹流に言うと、辞書と同じで固さがありどうも馴染みにくい。しかしのんびりした気分の時にひもとくと法令、業務、資料の山また山、それらが頭の中に「フム、フム」と入る不思議さを感じる。是非一度体験される事をお奨めしておく。大いに活用願いたい。

それでは、最後に保険の問題。

1.慢性疾患の船員が長期航海に出る。1回で何日分まで処方が出来るか。

2.「資格喪失、○月○日被保険者証回収済み」と符せんがついてレセプトが返戻されて来たらどうしたらよいか。

3.患者から、薬歴記載情報を収集する良い方法はないか。

ちなみに、答は全部保険薬局業務指針(今号の64頁にも掲載)に書いてある。

<私と薬> 福岡市健康づくりセンター主催 あいれふ薬草観察ウオーキング福岡市健康づくりセンター 健康推進課 林雅子

10月3日(日)の天気予報は雨のち曇り。前日も大雨が降って、夜中も降ったりやんだりの天気。‘明日はウオーキング中止かな?’と、一晩中心配していました。そして、翌日…見事な秋晴れ。‘よっしやあ!!’これほど天気を気にして過ごしたことはないくらい、やきもきした1日でした。

開会式は、薬剤師会の光安副会長、あいれふの山田事務局長のあいさつの後、準備運動。準備運動は、笑い声が聞こえるくらいみなさん楽しみながら体操されていました。

いよいよウオーキング。5班に分かれて、各班3名の先生方が付きました。

当日の朝早く、薬剤師会の先生方が立ててまわった薬草の札を目印にして、1つ1つの薬草の説明がはじまりました。薬剤師会で作成していただいた「曲渕ダム周辺の薬草」の冊子を参考にしながら、みなさんそれは熱心に説明を聞かれていました。メモをとっている人や薬草をカメラにおさめている人など…。なかには、‘持参の薬草の本の写真とちがう’と先生に質問しているウオーカーもいました。

ゆっくり90分かけて、薬草観察ウオーキングが終了。天気も良かったこともあってみなさん、すがすがしい表情で帰ってこられました。

薬剤師会の先生方で用意していただいた「曲渕かっぱ茶」をウオーカーのみなさんにふるまいました。‘あっさりしておいしいね。’‘ちょっとくせがあるみたい。’などなど、感想はさまざまでした。

昼食後はいよいよ薬草クイズ。ウオーキングしながら見てきた薬草のうち、5つの薬草の名前を当てるクイズです。正解者には石釜どうふがプレゼントされます。みなさん、1つ1つの薬草を丹念にみていきながら、おのおのの解答用紙に答を書いていきました。正解率は9割。ほとんどの方が正解でした。賞品(石釜どうふ)は、抽選の結果、各班4名ずつ計20名に渡されました。当選者の名前が呼ばれるたびに、大きな歓声があがっていました。

閉会式は、薬剤師会の合澤副会長、あいれふの山田事務局長のあいさつがありました。

今回の参加者数は、前回より若干少なめの70名でしたが、けがなどなく無事に終えることができました。(参加者数は145名で、抽選で111名にしぼったのですがキャンセル等で70名の参加となりました。)

今回のウオーキングを計画するにあたって、薬剤師会の方々と下見を3回程しました。開会式・閉会式の場所をどこにするか、などいくつかの問題点がありましたが、薬剤師会の方々と相談しながら、今回のあいれふ薬草観察ウオーキングを成功させることができました。

‘来年の薬草観察ウオークはどこだろう?’と今から楽しみにされているウオーカーもいらっしゃることだろうと思います。さて、ここで‘あいれふ’こと‘福岡市健康づくりセンター’についてご案内します。

健康づくりセンターは福岡市の外郭団体で、「健康づくり」に関するさまざまな事業をやっています。メインに『健康度診断1日コース』・‥医学的検査(血液検査、心電図、骨塩量測定等)を行いその結果をもとに、運動負荷テスト、体力測定をします。健診当日にすべての結果がわかり、医師・保健婦・管理栄 養士・健康運動指導士がアドバイスを行います。一人一人にあった科学的で効果的な健康づくりを学習する、総合コースです。

そのほかに、『糖尿病教室』『健康的にやせる教室』『健康運動教室』『歯周病健診』などがあり、すべて予約制(TEL:751-2806)になっております。また、あいれふの2・3階に楽しく遊び ながら健康づくりが学べるテーマパーク「ウェルネスストリート」があります。入場無料ですので、みなさん一度あいれふに遊びに来てみて下さい。

<市薬会員の薬草観察会> いつも本当に楽しい、バーベQ大会薬局委員会

9月26日(日)早良区曲渕小学校横のバーベキュー会場に、薬局委員・講師・会員合わせて40名ほどが集まり、曲渕ダム周辺の薬草観察を行なった。

国道263号線を南に、坊主ヶ滝の千石荘を左に見ながら三瀬峠・佐賀方面を目指す。短いトンネルを抜け、大谷口バス停から左へ入るとすぐに集合場所の曲渕バス停に到った。

曲渕ダム周辺は先日の台風18号の影響で風倒木がかなりあった。それらに注意しながらまだぬかるみの残った山道を登っていく。群生したオオバコを踏みしめて、講師冷川先生の「牛車腎気丸」の説明に聞き入る。八味丸にイノコヅチ(牛膝)とオオバコ(車前子)を加えて牛車腎気丸となる。楽しいひとときだ。

印象に残ったのは特にゲンノショウコが多かったことである。

市薬の薬草観察のバーベキュー大会はいつも本当に楽しい。今回も、薬草観察が始めてという会員の先生もおられた。

(Y.U.)

 

毎回子連れで参加博多支部 住吉部会
はなたれ薬局 根津繁喜

台風一過、心地良い秋空の下、今年も薬草観察会の季節がめぐってきました。ここ数年は、毎回子連れで参加しているので、顔見知りの先生方も多数いらしており、始まる前から楽しい一日になる予感がしました。

早速、全員揃ったところで出発です。観察コースに入ると、まず目に飛び込んできたのは、烏柄杓(カラスビシヤク)です。さといも科で生薬名を半夏と言って、地下の球茎を薬用にします。この名前を聞いて、ピンときた先生も多いことでしょう。この半夏の名のついた漢方処方がいくつかあります。半夏厚朴湯、半夏汚心湯、半夏白市天麻湯などを思いつかれたのではないでしょうか。

そのほかにも、有名な小柴朝湯、大柴胡湯、麦門冬湯などに配合されていて、ツムラ医療用漢方エキス剤中だけでも、数えてみてビックリ、なんと、27にも及ぶ処方に配合されているではありませんか。本当に、なくては困る重要な生薬の一つです。

それから、おもしろいことに、大半は処方中に半夏と一緒に生姜が配合されています。何故かというと、半夏は有毒であり、内服すると激しい咽喉の刺激、舌の腫脹、失声、嘆声などの中毒症状を起こします。ところが、半夏に生姜を合わせることにより、毒性が消え、制吐作用を現わします。西洋薬でも、薬物相互作用は大きな問題となっていますが、漢方薬では、2000年も昔から、種々の生薬の相互作用を確立していたわけで、先人達の偉大さに圧倒されます。もちろん、食物との関係も記されています。

また、植物の名前の由来も、日本人と中国人の感じ方の違いにより、なるほどと感心させられるものが多いし、勢力拡大の方法も、植物により様々でおもしろいのです。今回、観察できた植物のいくつかを紹介します。

先程のカラスビシヤクは、花の形を杓子に見立てたもので、別名に、ヘソクリとあります。それは、球茎の凹がへそにみえるからとする説と、田畑に生えていたのを、農家の人が収穫し売ってヘソクリを稼いだからとする説があります。生薬名の半夏(中国名がそのまま生薬名になっています)は、夏至から数えて11日目を半夏生といって、その頃になると、半夏が生じることからきています。田畑の近くで、どんどん繁殖する雑草で嫌われものです。

次に、最もポピュラーなドクダミは、毒を矯める(矯正する)という意味からドクダメ草、転じてドクダミになったということです。日本全国に、100にも及ぶ方言があり、葉が臭いことからクサイバ、根が地獄へ続くほどはびこるのでジゴククサ、シプトクサという地方もあります。根を張り勢力を拡大していくのが特徴です。

生薬名の十薬又は重薬は、十種類もの薬効がある、又は重要な薬草という意味です。中国名は、葉が魚の腐った臭いがするということで、魚腹草といいます。ちなみに乾燥させると、デカノイルアセトアルデヒドやラウリンアルデヒド等が分解して、臭いも気にならなくなります。

もうひとつ、ほとんどの人は子供の頃、この草で草相撲をしたであろうオオバコは、大葉子と書き、読んで字の如く、葉が大きく広いことによります。中国名の車前草(生薬名も同じ)は、車の通る道に生えることに由来し、車輪や靴(昔であれば草履)や動物に種子が付着し、分布を広めていきます。

ひと通り観察を終え、折り返し地点に着くころには、お腹の虫もぐうぐう鳴きだし、喉も乾いてきたので足早に下ることにしました。もうひとつの楽しみのバーベキューを前に、まずは聖なる水で喉を潤し、肉をお腹いっぱいいただき、満足満足。ごちそうさまでした。

最後に、親子共々、大勢の皆様にかわいがっていただき、この場をお借りして、お礼を申しあげます。本当にありがとうございました。

 

母の威厳南支部 大橋部会 塩原薬局 東千鶴

ダイエーホークス初Vで博多の街が盛り上がっている中、9月26日、市薬会員の薬草観察会が曲渕ダム周辺にておこなわれました。お天気も、あまり強い陽射しでもなく山歩きするのにちょうどよい秋の一日でした。

24日の台風通過の痕跡があちこちで目につきました。ヒガンバナの朱があざやかに秋風に揺られていました。冷川先生、有馬先生、松島先生をはじめとする“薬草博士”の話に熱心に耳を傾け、メモったりカメラをむけたりと予定の2時間があっという間でした。

アウトドアがブームとなっている今日この頃、山や海でのちょっとしたケガなどにも薬草の知識があれば、手軽に対応できるのではと思います。親の威厳(?)が低下しつつありますが、少しは子供たちに大きな顔ができるのでは…と思いつつも、なかなか薬草を覚えることができない母なのでした。

 

「この薬草の名前は何でしたっけ?」早良支部 早良部会 もみじ薬局 中本麻希子

9月26日、初めて薬草観察会に参加しました。

家を出るときは、なんだか不安だったのですが、集合場所につくと知っている先生方に会ってほっとしました。何を持っていったら良いのか全然わからなかったので、とりあえず、観察した薬草を写真にとってみようと思い、カメラだけはもっていったのですが、他の先生方はさすがというべきか薬草の本を持ってきてありました。次回参加する時は私も用意しておこうと思います。

山歩きというと運動不足の私にはかなりきついだろうなあと覚悟(?)していたところ、冷川先生をはじめ色々な先生方に薬草について教えてもらいながら、歩いているとあっという間に折り返し地点に着きました。

さて、折り返し地点に着いてからひと休みして同じ道を戻りつつ降りてきて、そこで薬草の復習会が始まりました。「この薬草の名前は何でしたっけ?」と聞かれてもなかなか名前を思い出せず苦労しました。そうしているうちに出発地点に戻ってきてバーベキューが始まり、本当に楽しい時間を過ごしました。特に焼きそばは絶品でした。

次回からできるだけ参加し、1つでも多くの薬草の名前を覚えていきたいと思います。

<会員の広場> 踊る薬剤師中央支部 天神部会 裕生堂やまと薬局 竹島雅子

週2回、仕事を終えたその足で私はある所へ向かう。若者達が何をするでもなくボーッと座り込んでいる舗道をかきわけて、西通りから入り組んだ道を進むと、いかにも家賃の安そうな古びたビルにたどり着く。私の職場は築60年以上だが、ここも相当年季が入っている。

まったくビルには恵まれない。頭のぶつかりそうな階段を上り、共同トイレの横を通り過ぎ、突き当たりの立て付けの悪いドアを開けるとそこは…

髪振り乱し、汗を飛ばし、足踏み鳴らし、手を叩き、そして回す。まるで何かに取り憑かれたかのように一心不乱に踊る女達(ちょっとコワイ)。そう、そこはフラメンコ教室。彼女たちは蹄るOL、踊る学生、踊る専業主婦、踊るデザイナー、踊る歯科医師、踊るフリーター、その他いろいろ。そして私は踊る薬剤師である。

もっともここでは仕事や肩書きなんて関係ない。だいたいスペイン人が教えているせいで皆、下の名前で呼び合っているからほとんどの人の名字を知らない。何を生業にしているかも興味ない。若い人も、昔若かった人も、ただひたすらに踊る。踊りたいから踊っている人達なのだ。

フラメンコを始めた理由もさまざまで、スペインで本物を見て感動した正統派もいれば、仕事のストレス発散の場を求める者、一度も見たこと無いけどブームに乗ったミーハーな者もいる。なかにはいざという時、大道芸人としてやって行けるからという理由で始めた強者もいる。

私なんて公式には「面白そうだったから」と答えているが、実はテレビのドラマで山口智子が踊っているのを見て、昔コンピュータの前世占いで「ジプシーの娘だった」と出た事を思い出したからである。かなりいいかげん。

でも考えても見て欲しい。今でこそテレビのバラエティやNHKで講座までやっているが、フラメンコなんて本物見たことある人の方が珍しい。日舞や、バレエのように幼少の頃のお稽古事として親に連れて行かれたり、エアロビやジャズダンスのようにスポーツクラブに常設されてる訳じゃない。東京は別格として、地方ではやってる人だけやっていたマイナーな民族舞踊であった。今、日本フラメンコ界は全盛の時代を迎えているらしい。

私のようなお調子者を含め教室はどこも一杯だ。とにかく、何の知識も自信も説得力もなく習い始めた私だが、ここに通い始めてもうすぐ2年になる。舞踊歴の2年と言うのはまだまだ初心者に毛の生えたレベルだが、元来、面倒くさがり屋で根気や努力を必要とするものが苦手な私としては珍しく続いている。や はり前世の血が呼んだのか?いや、きっとそうに違いない。

そもそもフラメンコは、インドから流れ流れてスペインへたどり着いたジプシー達の踊りが母型と言われている。彼らは差別や迫害を受けながら、その生活の苦しみや哀しみ、喜びを唄い、楽器の代わりに手や足を打ち鳴らし踊った。後にギターが加わりこの唄、踊り、ギターが三位一体となって繰り広げられる即興的な舞踊。これがフラメンコである。

リズムは2拍子と3拍子が混ざった変拍子で、これに表打ちと裏打ちを足や手で打つ。はっきり言って日本人には非常に難しい。歌詞は人生の喜怒哀楽すべてを唄っているが、愛を唄った歌でも可愛らしいものから、「死んでから10年たって、うじ虫に食い散らかされたあとでも、おれの骨は叫び続けるだろう。おまえをずっと愛しているのだぞと」なんて言うのもある。これはかなりアブナィ。そして深い。

でも、スペイン語が分からないのでとりあえず踊っている。今はまだ、振り付けとして必死に踊っている段階なので、皆違った意味で苦悩に満ちた顔をしている。これからもっと踊り続けることによってこの深い世界を理解できる日が来るかもしれない。

「所詮、日本人には無理なのさ!ああスペイン人に生まれれば良かった」うまく踊れない日はひらき直る。あっ、でもスペイン人でもみんながフラメンコ踊れる訳じゃないし、要はセンスの問題か?とにかく難しい事は考えず皆踊る。

残業や家事を片付けて駆けつける彼女たちは皆たくましく、よく喋り、よく食べる。つくづく女は元気だなと思う。バスを待っている時も、信号待ちしている時も頭の中は無意識にウノ・ドス・トレス。カウントを取っている。レッスンの帰り道は道端でも復習のため踊る。まだロボットのような“カクカク”している下手くそな時から他団体の発表会でフラメンコと銘打って踊っていた。これは相当インチキくさかった。どんたくでも、知らない人の結婚式でも、私達は踊る。下手なのに強気だ。素人は恐い。

大体フラメンコを選んだ時点で、自己顕示欲の強い人間達。「こうなりやチームを組んで営業に回れるように」とついには揃いの衣装まで作っている。裁縫なんて学校の家庭科以来で、誰も作れないのに布地を買い込んでしまう。これはもう調子に乗ってるとしか言いようがない。でも止める人がいない。切った状態で部屋にころがってるけど、この先どうするんだ?…

たぶん気合いで作れると思う。

ああ、なんてフラメンコな生活!でもご心配なく、仕事中は見事にフラメンコのことは浮かんでこない。無意識にカウントを取ることも無い。多分使っている脳の機能が違うからか?白衣を着ている私はただの薬剤師。さあ今日も理性と知性と忍耐力とそして愛情をもって仕事に励もう!

<シリーズ・「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用防止活動8>

今回はいよいよ日本で最も乱用されている覚せい剤です。つい先日も鹿児島県で覚せい剤の密輸が水際で摘発されました。今までで最大の押収量だったそうですが、それだけの需要があると考えると、潜在的な乱用者の多さにぞっとさせられます。

今回摘発された覚せい剤は白い粉末の状態でしたが、これがバイヤーによって一見してはわからない錠剤やカプセル剤などになってビタミン剤、やせ薬などとして販売されていけば一般の人々がその落とし穴にはまってしまうのは容易に想像がつきます。

小説「新宿鮫」の中でもアイスという名で渡された錠剤で、知らず知らず中毒に陥ってしまう若者が書かれていました。今回、私達は覚せい剤がなんという名で呼ばれているか、そのニック・ネームをよく覚えて街の人々の会話の中にその言葉を注意して聞き分けていく力が必要と考えます。

(T.S.)

Q1.覚せい剤は何からできているでしょう?
・天然のハーブでできた健康によいもの
・ケシの実を乾燥させてつくる
・低質の化学物質が混入した殺虫剤に似た猛毒の成分

Q2.覚せい剤は私たちの精神にどんな影響を与えるでしょう?
・目が覚めるような良い気分にさせる
・自己嫌悪のような気分にさせる
・幻覚を見るようになり頭がおかしくなる

Q3.覚せい剤は犯罪の原因になりますか?
・ならない。そうなる前にやめればいいから
・ならない。気分が良くなるから
・なる。中毒性があって、やめようにもやめられなくなるから

Q4.覚せい剤は主にどんな名前で売られているでしょう?
・スピードとかシャプという名前
・アクセルとかブレーキという名前
・名前はまだない

Q5.覚せい剤を乱用した人が起こす犯罪はどんなものがあるでしょう?
・錯乱して暴れる、窓から飛び下りる
・覚せい剤を買うお金が欲しくて泥棒や恐喝をする
・町中で暴れてけが人を出す

Q6.覚せい剤は使い方が正しければ乱用にはならないと思いますか?
・ならないと思う
・どんな覚せい剤も製造が禁止されているので、すべて乱用になる
・密造されたものだけが乱用に当てはまる

Q7.覚せい剤の乱用は私たちの社会にどんな影響をもたらすでしょう?
・暴力団の資金を増やして犯罪を増加させる
・みんなが幸せな気分になる
・本人が病気になったり死んだりするだけで、特に影響はない

Q8.覚せい剤の乱用は脳全体を破壊していきます。どんな状態になるでしょう?
・記憶力がよくなり、うまくしゃべれるようになる
・幻聴や幻覚が恐ろしい悪夢のようにおそってくる
・ものがちゃんと見えなくなり、普通に立ったり歩いたりも難しくなる

Q9.覚せい剤の乱用で脳に影響が出ても、いつかは治るのでしようか?
・一度破壊された脳細胞は元にはもどらない
・きっぱり薬をやめたら治る
・放っておけば自然に治る

Q10.覚せい剤は中毒性の強い麻薬ですが、中毒から逃れることはできるのでしょうか?
・意思が強ければやめられる
・禁断症状を乗り越えたらやめられる
・一度中毒になったら、生涯なおらない

Q11.覚せい剤を買うと、そのお金はどんなことに使われるのでしょう?
・もっと質の良い覚せい剤を作るために使われる
・暴力団等の資金になって犯罪のために使われる
・麻薬中毒の患者さんがいる病院に寄付される

Q12.覚せい剤の禁断症状はどういったものでしょうか?
・ふわふわと空を飛ぶような幸せな感じ
・疲れがとれ、とても楽しくなる
・体中に虫がはい回るような感じがし、自分でコントロールできなくなる

 

「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ

薬物別解説/覚せい剤

覚せい剤とはその名のとおり、眠気を吹き飛ばし一時的に興奮作用をもたらす薬です。

覚せい剤にはアンフェタミン、メタンフェタミンという2種類がありますが、いずれも中枢神経や脳を侵し、幻覚や妄想をもたらします。身体への影響は、歯が技ける、手足の震えなどですが、一旦こういった症状がでればもう治療することもできません。

使用を止め、完全に治ったと思われても、ほんの小さなことがきっかけとなりこれらの症状が再発するフラッシュバックという現象が引き起こされるからです。

覚せい剤がもたらす精神錯乱は激しく、上層階からの飛び下りや暴力事件など引き起こすこともあります。覚せい剤による人格破壊は、決して個人の問題では済まされません。

多くの犯罪の元凶となっている覚せい剤の恐ろしさは、私たちのだれもが理解すべきことでしょう。

覚せい剤の原料

覚せい剤と他の麻薬(コカインやヘロイン、大麻など)との決定的な違いはその密造方法にある。それは覚せい剤が全くの化学化合物であるという点においてだ。そのため、分子構造が安定しており、なかなか分解されず長い間体内に残るため乱用者にさまざまな中毒症状を生じさせる。

覚せい剤にはさまざまな名称があるがこれらは大きく分けて、アンフェタミン系覚せい剤とメタンフェタミン系覚せい剤、デキストロ・アンフェタミンとに分類される。ここではこれらのうち、メタンフェタミン系覚せい剤の原料を見ていきたいと思う。

そもそもメタンフェタミンの原料は現在も漢方薬として使われている麻黄である。ここからエフェドリンが抽出され、他の化学物質と反応させ密造される。こうして密造された覚せい剤はさらに、ラクトース(lactose乳糖)、エプソムソルツ(エプソム塩といわれる嘔吐剤)、キニーネ、ストリキニーネ、殺虫剤、写真の現像液などと混ぜられる。

これらの有毒な混和剤に対してヒトは自然に備わった嘔吐などの拒否反応を示すほか、そのショックが大きいと死に至ることもある。また、これらの混和剤が血管に詰まり、腎臓病や肺機能障害を引き起こす。

覚せい剤の呼び名

■一般的な呼び名

“A”(エー)、 beans ピーンズ(「豆」の意。剤形から)、 beanies ピーニーズ(前同様)、 benz ベンツ(成分から)、 benzies ベンズィーズ(成分から)、 black beauties ブラック・ビューティーズ、 blackbirds ブラック・バーズ、 black mollies ブラック・モーリーズ、 bombida ボンピーダ、 bombido ボンピード、 bombita ボンピータ、 bottle ボトル、 browns ブラウンズ、 bunbulebees ハンブルビーズ、 businessman's trip ビジネスマンズ・トリップ、 cart-wheels カートホイールズ、 chalk チョーク(「白墨」に似ていることから)、 chicken powder チキン・パウダー、 coast-to-coast コースト・トウ・コースト(「西海岸から東海岸へ」の意。これらの覚せい剤はいずれも長距離トラック運転手などが主に使用する)、 co・pilots コーパイロッツ(副操縦士)、 crank クランク、 crystal クリスタル(結晶の意)、 crossroads クロスローズ(錠剤に+印の刻印があるため)、 dexies デキシーズ(商品名Dexedrineから)、 double-cross ダブルクロス(刻印から)、 eye-opener アイ・オープナー(目覚まし=覚せい剤)、 fives ファイブズ、 footballs フットボールズ(カプセルの形から)、 forwards フォワーズ(薬効から)、 greenies グリーニーズ、 hearts ハーツ(剤形から)、 jellybabies ジェリーベイビーズ(カプセルの形がゼリービーンズに似ていることから)、 jellybeans ジェリーピーンズ(同様)、 jug ジャッグ(俗語で「刑務所」の意味あり)、 L.A. エル・エー(つまりロス・アンジェルス。アメリカの覚せい剤は主として西海岸で密造される)、 turnrounds ターンラウンズ、 lidpopers リッド・ポッパーズ(リッドは蓋の意。ここではeyelidつまり「目蓋(まぶた)」の意で、それがポップ(パチンとはじける)=目玉パッチリ)、 lightning ライトニング(稲妻)、 meth メッス(methamphetamine メタンフェタミンの最初の四文字)、 minibeenies ミニピーニーズ(小さな豆。カプセルの剤形から)、 nuggets ナゲッツ(固まり)、 oranges オレンジズ、 peaches ピーチス(いずれも色から)、 pep pills ペップ・ピルズ(pepペップとは元気を意味する俗語。pillピルは錠剤。つまり元気グスリ)、 pink and green amps ピンク・アンド・グリーン・アンプ(カプセルで、半分がピンク、残りの半分が緑色のもの。ampアンプとはアンフェタミンの最初の三文字)、 rythmsリズム、 roses ロウジズ、 skyrockets スカイロケッツ(クスリで「スットブ」ような覚醒効果)、 sparkle plenties スパークル・プレンティーズ(同様、薬効から)、 speekled birds スペックルド・バーズ(斑点のあるカプセル)、 speed スピード(覚せい剤の俗語で一番一般的)、 splash スプラッシュ(本来「飛沫」の意。薬効から)、 sweets スウイーツ、 tens テンズ(商品名をtenuateと称する覚せい剤)、 thrusters スラスターズ(thrustは「突き刺す」薬効から)、 truck drivers トラック・ドライバーズ(文字どおりトラックの運転手。外国では彼等に覚せい剤の使用者が非常に多い)、 turnabouts ターナバウツ(「回転木馬」薬効が想像できる)、 uppersアッパーズ(upアップは興奮。それにerがついて「興奮剤」)、 vivarin ヴイヴァリン(商品名)、 wake-ups ウェイクアップス(目覚ましの意)、 water ウオーター、 west-coast turnarounds ウエスト・コースト・ターナラウンズ(西海岸は覚せい剤密造の本場、そこにある回転木馬)、 whitesホワイツ(白色錠剤について)。

■クリスタル/クランク

クリスタルは、一般に広く用いられている乱用薬物の一つです。これは「メタンフェタミン」の別名で、通常は白色の粉末ですが、製造方法によっては、様々な色をしています。殆どのクリスタルは密造晶です。

クリスタルはまたの名を「クランク」(CRANK)(キチガイとか元気にはしゃぎ回るなどの意味を持った俗語ですが、薬物に関して使われる時は「シャブ」の意味です)とか「ゴー・ファースト」(GO FAST)といい、通常は注射されますが、鼻から吸うこともあります。

摂取してから30分位は強烈な興奮と快感を覚えますが、その後は3時間から12時間位にわたって覚せい状態が持続し、その間、大抵の使用者は眠ることも物を食べることも出来なくなります。そして彼等の大半は偏執病的な傾向を強めていくため、問題は更に拡大します。

その他の危険性:覚せい剤の使用が斬増していくため、常習乱用者になりますと朝のうちは「アッパーズ」(覚せい剤)を使用してすっきりした気分を楽しみ、そして夕方には、緊張を解いてゆっくり睡眠をとるために「ダウナーズ」(睡眠薬)を摂取するようになります。こうした行動は人体の自然なはたらきに逆らうものであるため、次第に肉体的にも精神的にもさまざまな病気を引き起こします。

耐薬性(トレランス)は急激に上昇するため、多幸感(ユーフォリア)や食欲抑制等を経験するためには、以前にも増して多い量の覚せい剤を摂取する必要を生じ、その結果、所謂「薬物依存」(DRUG DEPEN-DENCE)が形成されるのです。こんなところから、ドラッグ・カルチャー(薬物乱用の風潮)は「シャブは身を滅ぼす」(“SPEED KILLS”)という言葉を作り出しましたが、まさしく、最後は死に至らしめるのです。

■アイス(ICE)

「シャプ」、「ヒロポン」とも呼ばれる、また、結晶が透明であるところからアメリカの中毒者の間では「アイス」(氷)と呼ばれています。どこか遠い国で植物から作られるような類のものとは全く違い、いわば、科学万能の現代を象徴するようなクスリで、どこでも手に入るような化学薬品を使って密造所で合成される物質です。

アイスは特別新しいクスリではありませんが、西部諸々州で長年広く使用されている一段と強い力を持ったメタンフェタミンのことで、別名「スピード」とも呼ばれています。

サンディェゴのような都市で製造された「メッス」(meth。methamphetamineの通称)や「クランク」よりも更に高純度で且つ一層きれいな結晶をした「アイス」はアジアから米国に流れ込んだもので、最初にハワイを襲いました。

このクスリは「クリスタル」(cIyStd。水晶、結晶などの意)とも呼ばれ、記録によれば、ハワイでわずか4年間に、なんとマリファナやコカインを凌ぐ第一の乱用薬物として台頭しました。アイスの魅力はなんといっても値段が手頃なことで、十分の一グラム入りの通称「ペーパー」といわれるものが50ドル(約5,000円)は、日本の末端価格からすれば破格です。

由みに我が国ではこの量ですと1万円以上します。クリスタルの持続時間は8〜24時間と、コカインが僅か20〜30分であるのに比較しても、ずいぶん長い効き目があります。覚醒作用がこのように長持ちするこ とから、仕事一辺倒の働き者(workholics)が多い韓国では多くの人々にもてはやされ、今では中毒患者人口が130,000人と推定されています。

アイスは、これを使用した人に対して、長時間にわたり醒めた状態を作り出すとともに、仕事への集中力を高め、そのうえ満ち足りた気分のユーフォリア(多幸感)をもたらします。

しかし一方アイスを使い続けますと凶暴な振る舞いに及ぶようになり、ホノルル警察の発表によりますと、同警察が1989年10月に取り扱った配偶者に対する暴力事件の70%が、こうしたアイスの乱用者を原因として発生していることが報告されています。このクスリはコカインと同様の中毒性があり、実に悲惨な副作用をもたらします。

非常に長い期間にわたって精神的ダメージを与えますが、そのことが原因となって、クスリを止めてから2年半も経過して、なお臓器の機能不全が見られるといった例も報告されています。長期間にわたるこのクスリの乱用は致命的な肺疾患や腎機能不全をもひきおこします。

ホノルル警察本部長ダグラス・ギップによる最近の連邦機関における報告によれば、福祉関係当局に報告された数字として、常に母胎を通じてクスリに侵された状態で生まれてきた赤ん坊の出生率は、嘗て週に二人という数字でしたが、昨年では急増を示し、週に六人とのことです。

当局は社会福祉関連予算の膨張、なおその原因の全てがアイスに起因すると見ています。新生児に対するアイスの副作用に的を絞った研究ではコカインのそれとは比較にならないほど、大きいということが判っています。幼児の中には泣き喚きと体の震えが24時間絶え間なく続く子もおり、こうした子どもの殆どすべてが反社会的な性格を示し到底愛情の絆を結ぶことも困難な状態にあるのです。

ハワイのリハビリ施設では、コカイン中毒者に匹敵するほどのアイスの中毒者が、治療を待っております。しかも覚せい剤乱用事件は大津波を思わせる状況でこの地を襲いつつあるのです。関係者はアイス対策が整備されるに至ってない状況のなかで、せめてアメリカ本土にだけは、こうした薬害が及ばないことを願っています。

しかし、「アイス」の想像を絶する副作用は、すでに大方の薬物乱用者の耳に達しており、従って、彼等はこのクスリだけは巧みに避けているようです。これ以外の形の覚せい剤の乱用者でさえ、何日も連続して「アイス」の影響の下にあることについては、どうもあまり魅力を感じないようです。願わくは、こうした事情が理由となって、製造する側にも「売れないものは製造を差し控える」ことになれば幸いです。

供給を呼び込むのは常に需要です。この言葉をしっかりと理解して下さい。「アイス」はどう見ても「クール」(冴えていてかっこいいこと)ではないのです。

デザイナー,ドラッグズ(DESIGNER DRUGS)の詳細

■作 用

違法な薬物であるか否かは、その物質の化学構造式によって定められています。こうした法的規則を逆手にとって、これを出し抜く目的から、密造者は「違法」とされている薬物の分子構造の一部を別の物に置き換えて「デザイナー・ドラッグズ」として知られる一種の類似薬物をつくるのです。こうして作られた薬物は、その元になった薬物の数百倍も強力な物である場合もあり得るのです。

これらの麻薬類似薬物を製造する際のほんのちょっとした間違いからは、パーキンソン病に見られるような症状・・・制御できない振戦(=震え)、ろれつの回らない話し方、麻痔、そして再生不良の脳障害などをもたらします。

アンフェタミンやメタンフェタミンのアナログ(類似薬物)では、悪心、かすみ目、寒気や発汗、失神などを起こします。精神的な作用としては不安、抑うつ、偏執などの症状が含まれ、たった一回の使用でも脳障害の原因になり得ます。また、フェンサイクリディン(PCP)のアナログ(類似薬物)では、幻覚、精神錯乱知覚異常などを引き起こします。

■通 称

アダム(Adam)、エヴ(Eve)、エクスタシー(Ecstasy)、XTC、チャイナ・ホワイト(China white)、エッセンス(Essence)、MPTP、MPPP、TCP、PCPy。

■デザイナー・ドラッグ(類似麻薬)が最初

に発見されたのは1979年カリフォルニアで、二人のヘロイン中毒者が死体で発見されたときのことです。彼等の死体の近くにはヘロインに似た粉末の入ったパケ(パケは「包み」。麻薬など薬物の末端密売用の小さな包みで、アルミフォイルかポリマーでできている場合が多い)が幾つか落ちていました。最終的に この物体の正体が、DEAによって判定されるまでに、同様の死亡事故が更に13件発生しております。

結局、DEAの判定は、外科手術によく用いられる麻酔剤であるフェンタニルのアナログ・ヴァージン(類似物として作成した物)でした。これらのデザイナー・ドラッグ(類似薬物)の多くはヘロインの代用 として作られたものですが、ヘロインよりずっと強力で、しかももっと長い効き目があります。

デザイナー・ドラッグは密造所で製造されています。安上がりに作れますので、乱用者にとっては非常に強い影響を及ぼします。こうした密造所の化学者連中は、合法な物質や非合法な物質の分子構造の一部に手を加え、現在のアメリカの国内法では明確に「違法な物質」と定義されていないような、新たな物質を作りあげているのです。

そこに潜んでいる危険性は、このほんの僅かな構造上の変更により、本来は「ハイ」な気分にさせる物を、たちどころに悲劇的な死をもたらす物へと変えてしまうという点にあります。フェンタニルの場合は、今までに7種類のアナログ・ドラッグ(類似薬物)が作られています。その

内のある物は実にヘロインの50〜3,000倍も強力なものもあり、米国政府の禁止法は速やかに執行される見込みです。しかし、乱用者達は、法執行より一足先にその薬物の高度な危険性を承知しつつあるため、最早このクスリは乱用の現場から姿を消しつつあるのが実態です。

もう一つの類似薬物であるMPTPですが、多くの乱用者の間でパーキンソン病様の症状が現れています。これらの人々は20歳から40歳で、体は硬直し動かすことさえできず、快復の見通しは殆どありません。

覚せい剤とは

市場に出回っている(医療向けの正規製造品のこと)アンフェタミン系覚せい剤は膨大な数に及びますが、それらは三つに分けることができます。即ち、アンフェタミンのグループ、デキストロ・アンフェタミンのグループ、そしてメタンフェタミンのグループです。これらの物質の全ては、化学的な構造こそ違っ ていても、これらの合成薬物の作用はいずれも長時間に及ぶもので、コカインと同様に中枢神経に働きます。

“Street Speed”の名で知られる覚せい剤をはじめ、多くの密造覚せい剤にあっては、ラクトース(lactose乳糖)、エプソムソルツ(エプソム塩といわれる嘔吐剤)、キニーネ、殺虫剤、写真の現像液、そしてストリキニーネなどが混ぜられていることがあります。

重度の「覚せい剤狂」と言われる人々の中には、最早、耐性ができてしまっているために、効き目の弱いクスリでは満足できず、こうした爽雑物がいろいろ入っているものの方が目が眩むような(フラッシュという)一段と急激なショックを伴う効き目をもたらすとして、特に好む人々もおります。

しかし、有毒な混和物はときとして死に至らしめることもあります。普通、ひとには自然に備わった拒否反応…例えば「嘔吐」など…がありますが、これら有毒な混和物が入っていた場合には、あるべき拒否反応が機能しなくなってしまうからです。

一般に、臭いの無いものはカプセル状のものを除き、服用した際には苦みがありますが、アンフェタミン類では、吸入や注射もされます。(カプセルを注射する、とあるが、当然その中身の粉末を溶かして注射するという意味)最も危険なアンフェタミン摂取方法は注射することですが、この方法は多くの「覚せい剤狂」(speedfreak。重度な乱用者のことである)達の間で最も好まれている。循環器系統に直接入り込むことによって瞬時に生じる強大な快感(俗語でいう「ラッシュ」[rush])のためです。

「瞬時に」快感を生じるこの方法において、アンフェタミンを「スピード」(Speed)と呼ぶのは誠に当を得ているといえます。「スピーディング」(Speeding)とは一連の注射行為をいいますが、いずれの段階にあっても即座に強烈な感覚のクライマックスと全身快感が引き起こされます。アンフェタミン類は即座に循環器系に吸収されていきます。

大いなる自信と意気軒高を感じさせることにはじまる薬効が、やがてジェットコースターに乗って宙を舞うような感じを引き起こします。覚せい剤乱用者は、無限の力を得て、何事も意のままに操ることができると感じるのです。瞳孔は散大し、呼吸数は急激に上がり、心臓はまさに早鐘を打ち鳴らすような状態に なり、粘膜は乾ききってしまいます。

こうした状況の中で、ものを言おうとしても何を言っているのか訳も判らないような有り様になります。乱用者は何か一つ夢中になるようなことがあってもそれ以外のことはすべて度外視してしまいます。最初の目眩めくような快感は、蓄えられたエネルギーが消耗されるにつれて、多幸感や高揚した気分へと変わっていきます。

精神的並びに肉体的に、最早超人と化した彼には如何なる離れ業も可能と感じさせるのです。彼にとって、人生などほんのマンガです。そしてスピーダー(覚せい剤乱用者)は快感の敷き詰められた道路をひた走るのです。

かくも強烈なヴァイタリティーですが、一旦体内エネルギーが枯渇すると、やがて萎んでいきます。一気に訪れる不安と狼狽と混乱に支配されてしまうのです。スピーダーの快調な疾走もエネルギー切れを迎えると、イライラは偏執病の症状を呈し、そして極度の疲労感に襲われます。頭痛、動悼、目眩、激昂、不安、そして錯乱した状態が、それまでのエクスタシーにとって変わるのです。

上記のもの以外の乱用のパターンでは、バルビツレートの乱用があります。アンフェタミンと交互に、或いはこれと組合せで使う場合もあります。乱用者が覚せい剤をメチャクチャに使用してすっかり目が冴え眠れなくなったときなどに、自ら鎮静化させる目的でバルビツレートを使用する、といった使い方などが、その一例です。

再びハイな気分を味わおうとする際には、また覚せい剤を使いますので、覚せい剤と睡眠薬との交互のサイクルがつくられることになります。「グーフボールズ」(Goofballs。goofは狂人といった語感を持つ俗語で、マンガの主人公になったこともあり、転じてLSDの絵柄になったりしています。ここでは、アンフェタミン類とバルビツレートとを一緒にしたもの)を使用していますと、それと気付かないうちに、バルビツレートの中毒になってしまうことがあります。食欲不振は拒食症へと進行し、食物をまったく受け付けなくなったり、体重が極端に減少し、物を飲み込むことさえ出来なくなったりします。

大抵の乱用者の場合、不眠は一両日ですが、重度の中毒者になりますと、クスリがきれて「ツプレ」の状態になる前の「走っている」間(クスリが効いてギラギラした状態)が、長いときには数日から数週間に及ぶこともあります。幻覚や妄想などのほか、不眠に伴って身体機能の不調も生じ、しかもこれらの症状はクスリを中断しても持続します。

妄想の世界にどんどんはまり込んで行きつつあることは、乱用者自身、意識の中では気付いてはいるものの、かつては現実が満たしていた彼の心の真空を、いまや不安と清疑心だけが充満していく様を、ただじっと見詰める以外に、為すすべがないのです。やがて、多量を使用する者にあっては、被害妄想の感情に左右される偏執病を経験することになるのです。

アンフェタミン系覚せい剤は、仮に多量に用いたとしても、それ自体が人を殺すまでにいたるのは、むしろ稀です。つまり長期間にわたる薬物の乱用の「副作用」が人を殺すことはあり得る訳で、「死亡」が発生するとすれば、まさに覚せい剤狂に共通している凶暴性そのものであると言えましょう。

偏執狂的症状や、異常に克進した活動性、感情的起伏の極端な変化などは、必然的に生じる生活スタイルの変化と相侯って、強姦や殺人などの暴力的行動へと駆り立てることになります。アンフェタミン系覚せい剤とバルビツレートとの併用は「覚せい剤狂」に対して、単に「ダウナー」(バルビツレートの俗称)が凶暴性の誘因となるのみならず「アッパー」(覚せい剤の俗称)がその凶暴性を実行させる起爆剤として働くのです。

乱用が長期化しますと、当然栄養の障害から諸々の疾病や細菌感染などが生じ易くなります。注射針からの感染ではウイルス性肝炎による肝機能障害のほか、エイズがあります。

また水に溶けない不純物を含んだ覚せい剤を注射しますと細かい血管に詰まったり脆弱化させたりする原因となるほか、腎臓病や肺機能障害をも引き起こします。

覚せい剤の影響(身体)

覚せい剤が身体に与える影響としては次のことがあげられます。

【脳に対して】 覚せい剤は中枢神経に作用するためさまざまな意識障害や、幻覚・妄想、記憶力の低下などを引き起こします。その他にも痙攣を生じたり、脳溢血を起こす恐れもあります。

【肺に対して】 水に溶けない不純物を含んだ覚せい剤の静脈注射をしますとそれが細い血管につまり肺機能障害を引き起こします。また、長期間の乱用でも致命的な肺疾患を生じます。

【胃・肝臓に対して】 覚せい剤には食欲を抑制する作用があります。従って乱用を重ねると食欲不振は拒食症へと進行し、食べ物を受け付けなくなったり、体重が極端に減少し、物を飲み込むことさえ出来なくなったりします。そのため、十分な栄養が得られないので免疫性も低下し、細菌感染などが生じ易くなり、諸々の疾病も現れ ます。この他に、覚せい剤に混ぜられている有毒な混和物に対する拒否反応として、胃痛、はきけや嘔吐を生じることがあります。

【腎臓に対して】 覚せい剤の一種「アイス」を長期間使い続けますと致命的な腎機能不全が生じます。「アイス」は非常に中毒性が高く、そのうえ、実に悲惨な副作用をもたらすのです。

【眼に対して】 覚せい剤は瞳孔を散大させ、乱用を続けるとかすみ目も生じます。

【心臓に対して】 心拍数、呼吸、血圧が上昇します。その結果、心不全、不整脈、胸痛などが起こり、ときには心臓発作を誘発します。

【生殖器官に対して】 精子や月経の異常、先天異常が生じます。

【その他】 覚せい剤の効果が切れたときに生じる極度の疲労感から、頭痛、動摩、目眩が起こります。また、クスリにより覚せいされますので不眠になり、自らを鎮静化させるためにバルビツレートと組み合わせて交互に使用する乱用者もいます。注射針からの感染では、ウイルス性肝炎による肝機能障害や静脈炎、エイズがあります。その他にも、非常な高熱や口の渇き、ふるえの発作、筋肉のアンバランスなどがあります。

【脳溢血】 脳の小動脈が破れて、脳実質に出血が起こる病気。破れた血管から血液の供給を受けている脳組織が破壊されるとともに、流れ出た血のかたまり(血腫)によっても、まわりの脳組織が圧迫されて障害をおこします。

【肺疾患】 肺の主要な役割としては、細胞でガス交換を行う、血圧の調整、血液の濾過などがあります。その肺が侵されると、肺炎や肺結核、肺気腫などを引き起こします。

【拒食症】 拒食症が進行すると極度のやせが見られます。また、食べ物を受け付けなくなるため、栄養失調となり、女性の場合は月経が止まることもあります。

【腎機能不全】 腎臓には血液を濾過する働きがあります。そのため、腎臓が正常に機能しないと、腎不全などを引き起こします。一度腎不全にかかると腎臓の働きが正常に戻ることはなく、尿毒症などの様々な症状をも引き起こします。

【不整脈】 安静にしている時の成人の心臓は通常、1分間に60〜80回規則正しく拍動します。この心臓の拍動が乱れ、脈の打ち方が乱れる状態が不整脈です。突然死の中には不整脈が原因である場合があります。

【心不全】 血液を送り出すポンプとしての心臓の働きが低下すると、十分な血液を全身に送ることができなくなる状態が心不全です。突然息苦しくなったり、呼吸困難に陥ったりするため、突然死を招くことにもなります。

【肝 炎】 肝臓には血液中に含まれる成分を代謝したり、排泄したり、解毒したりして生命と健康を維持する働きがあります。その肝臓が炎症を起こすと全身がだるくなる、食欲がなくなり吐き気をもよおす、黄症などがあります。

覚せい剤の影響(精神)

覚せい剤の精神的症状としては次のことがあげられます。

覚せい剤を摂取すると、無限の力を得て、なんでも自分の思いのままに操れるような、とても高揚した気分になります。まるで超人になったような強烈なバイタリティーを感じますが、薬の効果が薄れるにつれ、徐々に気分がしぼんできます。すると、かわりに不安と狼狽、混乱が一気におとずれます。

乱用を続けると、こうした強烈な高揚感と混乱を繰り返すことになるため、猛烈な疲労感といらいらにおそわれ、また覚せい剤に手を出すことになります。

そのうち慢性的な精神症状として、幻覚や幻聴、幻視、幻臭など五感に異常が現れます。続いて妄想、不安、不眠、鬱へと移行してゆきます。また、この頃になると、覚せい剤を摂取していないにも関わらず、その時と同様の感覚がよみがえったり、禁断症状のように突然不安感や幻覚に襲われるようにもなりま す。これをフラッシュバックといい、薬をやめてすら、精神に異常を来す原因となっています。

■覚せい剤による中毒性精神病の発現と再燃の経過

覚せい剤の乱用者では、比較的多く中毒性精神病を発現する。多くの場合、覚せい剤を周期的に使用して2、3カ月位経つと、幻覚、幻聴、被害妄想などの病的症状が出てくる。

覚せい剤精神病は発病後、早期に治療すれば比較的容易に治るが、すぐ治療に結びつかないので長期間放置されてしまうと、幻覚などが慢性化・固定化してしまい、完全に治すのは非常に困難となる。また、早期に治療して治った場合でも、覚せい剤の反復使用による脳内の変化は持続しており、症状再燃の準備性は長期に保持される。

従って、覚せい剤精神病は、覚せい剤を比較的長く打ち続けた後に、初めて発病するのが一般的であるが、一度、幻覚・妄想などの症状が出てしまうと、その後は治療によって治っていても、覚せい剤を少量使用しただけで以前と同程度の症状が容易に再燃してしまうのである。時には、覚せい剤を使用しなくても、大量に飲酒したり、心理的なストレスが契機となって、精神病の症状が容易に再燃することが見られる。

覚せい剤を使用したときの症状

覚せい剤は、心拍数、呼吸、血圧を上昇させ、瞳孔を散大させ、食欲を減退させます。加えて乱用者は発汗、頭痛、かすみ目、めまい、不眠、不安などを経験します。非常に多い分量を使用しますと心拍数が急激に高まったり、拍動が不規則になったり、ふるえの発作や手足の筋肉の働きのアンバランスを生じたり、さらには身体的虚脱状態に陥ることもあります。

覚せい剤の注射をしますと、脳溢血、非常な高熱などのほか、ときとして心臓発作さえ誘発することがあります。アンフェタミン系の覚せい剤を長期にわたり多量を使用しておりますと幻覚、妄想、パラノイア(偏執狂)などを含むアンフェタミンに起因する精神異常(サイコシス)を生じることがあります。

相談窓口の事例

○家庭の崩壊

【相談に至った経緯】
母親が電話帳の官公署欄より、麻薬取締官事務所に相談電話が設置されていることを知り、相談してきた。

【相談内容】
次男A(22歳)は、覚せい剤中毒になり、治療のため入退院を繰り返していたが、覚せい剤が止められず、結局昨年警察に逮捕され、執行猶予の判決を受けて、その後は真面目に働いていた。ところが、最近悪い友達と再び、覚せい剤を使用し始めて、仕事も辞めて、覚せい剤を買うため、私たち夫婦に金をせびり クスリを注射しては、狂ってゴルフクラブでドアや柱を殴ったり包丁を天井や壁に突き刺したりして、暴れるようになった。現在、家庭は崩壊してしまい、もう私達では、どうしようもなく、覚せい剤と手を切るためには、どうしたらよいか。良い方法を教えてほしい。

【指導内容】
母親からの相談は深刻であった。その後、A及び背後関係者の違反事実が明らかになったので、家族に相談し、要望もあり、同人を覚せい剤事件で検挙した。現在AはM刑務所に服役中であるが、本人のみならず、家庭をも崩壊した覚せい剤のおそろしさに気が付き、二度と覚せい剤には手を出さない決意で更正 を図っている。

乱用者の告白

○「逮捕されて初めて気付きました」(22歳・男)

私が初めて覚せい剤を使用したのは18歳の時でした。高校一年生の時に、父親が外に女を作って行方不明になり、親思いだった妹も変わってしまい、外泊が多くなりました。私はいろいろアルバイトをしていましたが、家に帰るのが面白くなく、毎日夜遅くまで友達と遊んでいました。そんなある日、友達がどこからか覚せい剤を手に入れてきて、吸うように勧めたのです。

軽いノリと好奇心から、覚せい剤をアルミホイルに乗せて下からライターであぶり、煙を吸ってみました。2〜3回繰り返しているうちに、急に元気が出てきて、嫌なことはすっかり忘れ、自分がスーパーマンになったような気持ちになりました。罪悪感は全くありませんでした。他人に迷惑はかけていないし、いつでもやめられると思っていました。

当時は週1回程度でしたが、半年ぐらいしてから、いつも覚せい剤を分けてくれていた友達が傷害事件を起こして逮捕され、党せい剤が手に入らなくなりました。既に中毒となっていた私はイライラして落ち着かなくなり、何とかして手に入れようと、大阪ミナミのアメリカ村でイラン人から買うようになりました。

3日に1度位買い、家には帰らず、友達のマンションを渡り歩き、みんなで覚せい剤パーティを開いたりしていました。こんな生活が2年位続いたでしょうか。まさか自分が麻薬取締官に逮捕されるとは夢にも思っていませんでした。友達の家で寝ている時に家宅捜査を受けたのです。拘置所に母親と妹が面会に来てくれたのですが、私の顔のやつれように驚いていました。

母親も妹も私を責めたりせず、ただ涙を流すばかりで、私も言うべき言葉が見つからず、同じように泣くしかありませんでした。今、拘置所で反省の日々です。他人に迷惑がかからなければ、何をしてもいいと考えていたのは大間違いでした。

どういう判決を頂くかは判りませんが、今度家に帰れたら、母親・妹とともにまじめに生活していきたいと決意しています。もう覚せい剤はこりごりです。

 

○もう二度とくりかえさない(20歳・男)

私は妻と子供一人の平凡な家庭生活を送っていました。昨年の六月頃のこと、友達に勧められ一度くらいならと、覚せい剤を注射してしまいました。すると体が軽くなったような何とも言えない気分になりました。それから毎日のように覚せい剤を打ち、仕事も休みがちになりました。そのうち妻も覚せい剤を注射するようになり、親としての自覚もなくなり、子供を自分の親にあずけて知り合いの人の家に住み、日に2〜3回注射するようになりました。

何度もやめようと思いながら、まだ大丈夫とまた注射してしまい、同じことのくり返しでした。3ケ月後に麻薬取締官に逮捕され、やっと自分を取り戻しました。1回くらいならと言う気持ちから、取り返しのつかないことになってしまい、親や友人に迷惑をかけてしまいました。あのままずるずると続けていたらどうなったかと思うと、逮捕されて良かったと思っています。

拘置所で3ケ月くらい毎日反省の日々でした。執行猶予をもらい、社会に出ることができました。しかし、信用を失い、仕事もなかなか見つからず、覚せい剤の代償の大きさを噛みしめています。

一日も早く、この世からあの白い粉がなくなる日が来るように願っています。

 

○断ち切ることの出来ない覚せい剤(29歳・男)

私が覚せい剤を初めて注射したのは、18歳の時で、先輩が注射をしていたのを見て興味を持ち軽い気持ちで注射をして貰いました。その時、確かに身体がフワッとしたよい感じでしたが、本当のことを言いますと「こんなものか」と思ったのが実感でした。

しかし、覚せい剤の魅力は恐ろしいもので最初の気持ちとは裏腹に身体がフワッとした気持ちが忘れられず、段々と回数が増えてきました。その結果、体がだるく仕事するのが面倒臭くなり、家庭を顧みることもなくただ、覚せい剤に溺れ、繹局これが原因で妻とは離婚となり、可愛い子供とも離れ離れになりま した。それからというものは一層、病み付きとなり、お金の続く限り毎日4〜5回覚せい剤を注射し続けました。

こうなると覚せい剤特有の被害妄想とか独り言等の症状が出てついには母親に付き添われ、警察署に自首しました。この時は初犯でもあり、懲役1年6カ月執行猶予3年の温情ある判決を受けました。

それからは、私なりに反省したのですが僅か2カ月後、無性に覚せい剤を打ちたくなり、再び覚せい剤に溺れたのです。このことに気付いた母は、私に化粧品の販売をさせながら、近くの寺で修行するように勧めますので、私は機会ある毎に寺に泊まり、説教を聞いたり、滝に打たれたりして覚せい剤を忘れようとしました。

しかし、一度覚えた覚せい剤は心を離れることなく、いつも耳もとで覚せい剤の悪魔が囁き、毎日が覚せい剤との戦いでした。このように周りの協力があり、覚せい剤を断ち切れた自信があったのですが、気を緩めると覚せい剤の悪魔が囁き、覚せい剤が欲しくなって寺の人、お世話になった人、母親の気持ちを考える気持ちも消え失せ、これもたった2カ月で周りの隙を見て、再び覚せい剤を注射してしまったのです。

その後は覚せい剤を買うために会社の金を使い込み謹慎処分を受けたり、母親に疑われたりしましたが、覚せい剤を使っていると嘘を付くのが上手になり、なんとかその場を繕いながら覚せい剤を注射しておりました。

結局今回また覚せい剤の事件で捕まってしまいましたが、私の場合、仏にすがっても覚せい剤を断ち切ることができず一度、安易な気持ちで注射したことが私だけでなく私の家族の人生まで狂わせてしまい、今となっては取り返しがつきません。あの時、断る勇気があればこんな人生を送ることはなかったのに。

 

○離婚(23歳・女)

私は3年前に結婚して2人の子供に恵まれて、平和と言えないまでも平凡な毎日を過ごしておりました。私は主婦業で家事に当たり、主人は夕方から翌朝まで勤務する会社に勤めておりました。主人の給料は十分とまではいきませんが、私たち親子4人が生活していくのに特に支障はありませんでした。

しかし、主人の勤務が終夜であり、淋しい時がしばしばでした。このことを学校時代の友達に打ち明けたところ、「淋しいときに取って置きのものがある。自分も淋しいときには、これをやっている」と言って覚せい剤を注射して貰いました。

すると、体中がスーツと冷たくなり、体が軽くなったような何とも言えない良い気持ちになりました。その時は一度くらいならだいじょうぶと思っていたのですが一回の気持ちがたまらなくなり毎日注射をするようになってしまいました。しかしこの男が警察に逮捕されてしまったため、また先ほどの女友達に新たな暴力団員を紹介してもらって、覚せい剤を買っておりました。この頃になると自分で注射することが出来るようになりました。

そして、最初の男からは只で貰っておりましたが、次の男からは1回分5千円単位でお金が消えて行きました。この覚せい剤に掛かるお金は、主人に内緒でサラ金から借りたり、自分の母親から子供の服を買うからと言って借りたり、主人の両親から生活費が苦しいからと言って借りたりして何百万というお金を借金してしまいました。こうしているうちに、麻薬取締官に逮捕されてしまい、主人を初め皆に知られてしまったのです。

私の処分は執行猶予を付けてもらっての懲役刑でありました。判決を受けて戻ってきた私を待ち受けていたものは、主人との離婚でした。借金は私の両親が返済してありましたが、私は2人の子供を連れて実家に戻り、職探しのために奔走し、やっとの思いで外交関係の仕事を見つけることが出来ました。今は、母子で健康的な毎日を過ごしております。

淋しいからという甘えた理由から、ちょっとした気持ちから手を出した覚せい剤の代償は、私にとってあまりにも大きいものでありました。今後又、子供達に顔向けできない様な事は二度としない様に固く決意しております。

 

○息子を逮捕された父親の手記(60歳・男)

私は、昨年の春に中小企業の自動車部品を製造する会社を定年退職しました。四十年間毎日、遅くまで働き家庭を犠牲にしてまでがんばってきました。これからのんびりと第二の人生を過ごすことを楽しみにしていたのですが、その楽しみもしばらく先になりそうです。

それは、私の24歳の息子が1カ月程前にまた覚せい剤の使用で麻薬取締官に逮捕されたからです。息子は2年前にも同じ覚せい剤の使用で逮捕され、執行猶予中だったのです。その時私は、息子が殺人とか放火などの事件を起こす前に逮捕され、よかったと思っています。

息子は、拘置所から出た後、電気関係の仕事につき2度と覚せい剤には手を出さないと誓って真面目にやっておりました。しかし、妻が息子の帰りが遅くなったり、食事を余り取らない日があったり、顔が青白く頬も痩せこけたりしているのでどうもおかしいと言うのです。

また覚せい剤に手を出しているんじゃないか、でも息子が誓ったのでたいして心配していませんでした。そんなある深夜、息子が覚せい剤を注射しているところを見たのです。その時私は怒って注射器を取り上げ2回程殴って叱りつけました。

しかし、それからも深夜出掛ける事が多く、しばらくしてまた注射しているところを目撃してしまいました。その時息子は便所に逃げ込んで中から鍵を掛け、何時間も出てこなかったのです。更に、ヤクザ風の人が息子を訪ねて来ることが多くなり、このままではどうなってしまうのだろう、誰に相談すれば良いのか妻と悩んでいたところ、麻薬取締官に逮捕されたのです。

息子は、これで数年服役しなくてはいけないと思いますが、息子を責めることもできません。なぜなら私がもっと息子の悩みを聞いたり、話し相手になってあげていればこんなことにならなかったのだろうと思うからです。今度こそ覚せい剤と手を切って欲しいと妻と共に思っています。息子が出所してきたら、暖かく迎えてあげ、家族が一緒になって覚せい剤に立ち向かっていきたいと思います。

 

○ある主婦の告白(28歳・女)

主人も娘3人もまだ寝ていたある朝、私が朝食の支度にとりかかり、娘の弁当にとりかかり、娘の弁当3個も出来上がり、温かい味噌汁が出来たところに捜査官4、5名がやってきて、家宅捜査だというのです。私はただ驚くばかりでした。

捜査官は主人の寝ている部屋に入り、主人に何か問いつめている様子と室内の捜索をやっている様子が締め切ったドア越しに聞こえてくるだけでした。それからおよそ1時間後、捜査官に連行されて部屋から出てきた主人は、私に「ごめん」と一言言うだけで捜査官の車で立ち去っていったのです。

捜査官の話によれば、主人は2カ月程前から覚せい剤を注射しており、部屋の中から残りの覚せい剤と注射器も発見されたとのことでした。私はその時まで、主人が覚せい剤を使っていたことは全く知りませんでした。でも今から考えると最近の主人は何か異常でした。

例えば夜の外出が日増しに多くなり、金遣いも荒くなり、僅かながらの貯金も私に内緒でキャッシュカードで引き出していたり、無遅刻、無欠勤を自慢していた仕事先も休みがちとなり、明るい日中に部屋のカーテンを締め切り、一人で部屋の中をブツプツ何か言いながら歩き回っていたり、テレビの中から誰かのぞいているようだと言ってテレビの裏側をかまいだしたりすることもあり、また些細なことで娘や私に怒鳴ったり、物をなげたりしたかと思うと、翌日は人が変わったかと思うほど優しく親切な態度となり、冗談を言ったり、頼みもしない部屋の掃除をしたりするのでした。

それが1日か2日後にはまた部屋に閉じこもってしまい、部屋には誰も入るなと言うのでした。ですから、娘も私も何かはれものに触るような気がして主人に話しかけるのが恐い毎日でした。

覚せい剤の誘惑に負けた主人も悪いが、私たちの平和な生活を破壊した覚せい剤が私は憎い。

<3回シリーズ・米国の薬学教育>

米国では薬剤師が信頼できる人N0.1ということですが、保障社会の米国にあって、調剤ミスなどすればすぐにでも訴えられやすい薬剤師がその地位を確保出来たというのは、個人のモラルや、米国の一般的なモラルでなく、その薬学教育にあるのではないかと思います。

今回から3回シリーズで、日本の薬学部を卒業して米国のファーマシースクールに留学された平山先生に、日本と米国の薬学教育の違い、薬学生の意識差、なぜ信頼度N0.1になれたのかについて書いてもらう事にしました。日本での信頼度もN0.3に上がってきているようですが、N0.1になれる秘密を平山先生に解き明かしていってもらおうと思います。皆さんもご期待下さい!

(T.S.)

 

第1回 米国の薬学教育早良支部 西新部会 大賀薬局 西新店 平山徹

はじめに

これまでに米国薬学教育の紹介・視察レポート等が薬学関係の様々な雑誌に数多く掲載されてきましたので、既にこの事についてよくご存知の方もいらっしゃると思います。

今回は1980年代(一昔前?)の日本の薬学教育を受け、ファーマシューテイカルケアという新しい薬剤師業務理念が生まれた1990年代の米国で薬学(再?)教育を受けた体験をもとに、これまでの紹介・視察レポートとは違った角度・視点から日本と米国の薬学教育と学生生活の違いについてなるべく客観的に述 べたいと思います。

私が卒業したMassachusetts College of Pharmacy & Allied Health Sciences;以下MCPと略(現Massachusetts College of Pharmacy & Health Sciences)は、アメリカ東海岸北部のマサチューセッツ州ボストン市にある薬学部が母体の大学で、ハーバード大学医学部や医療関連の学部とその系列病院群が立ち並ぶ世界的に有名なメディカルエリア(The Longwood Medical Area)の中にありました。

まず本文の前にお断りしておかなければならないことがあります。米国はその正式名称であるThe United States of America(アメリカ合衆(州)国)という名前からもわかるように、本来独立している州が集まってできた国家であるために個々の州政府の権限が非常に強大で、薬剤師業務を含む医療に関する多くの法律・規則は各州政府によってコントロールされています。

州ごとに医療システムや教育システムが大きく異なることはほとんどありませんが、細かな点で異なることは多々ありますので、私の述べる内容がマサチューセッツ州のみにしか該当しないことがあるかもしれませんので予めご了承下さい。

ファーマシースクール

米国では薬学部のことをファーマシースクール(phamacy school)と呼びます。卒業後、ほとんどの学生は薬剤師として薬局や病院に就職しますので、薬剤師を養成するための学校と言えるでしょう(米国における「薬剤師」とは、日本で定義される「薬剤師」より狭義であると思います)。

一方、ご承知のとおり日本の薬学部は薬剤師を養成する唯一の機関ではありますが、そのためだけに存在するわけではありませんし、もともと薬剤師の定義が異なることもあり教育方針・内容はさまざまな点で異っていました。

私が在籍していた1996年頃までは、ファーマシースクールには5年制の課程と6年制の課程が存在していました。ちなみに、MCPには1996年まで5年生課程しかありませんでした(正確には米国薬剤師免許保持者対象の2年生のPham.D.プログラムはありました)。

しかし、現在では全米のほとんどのファーマシースクールが6年制の課程、即ち、卒業後Pharm.D.(ファーム・ディー;Doctor of Pharmacyの略)の学位を授与するコースのみを開設しています。

この6年生課程(Pham.D.プログラム)については次回以降にご紹介したいと思います。

さて、私が卒業した5年生課程(卒業後、学士が授与されるプログラム)は1・2年目が教養課程、3・4・5年目が専門課程とおおまかに分けられますが、入学時に私に課せられた卒業条件は約1/4の教養課程とすべての専門課程の履修でした。現在はカリキュラムの大改訂が行われ6年制のPham.D.プログラムのための科目編成になっているとのことですが、表1に私が在学中の専門課程の主な必修科目を記しました。

専門課程の1年目ではPharmaceutics(薬剤学)、Biochemistry(生化学)、Physiology(生理学)、Pathophysioplo訂(病態生理学)等の専門的ながらも薬と人体の機能を習得する上で基礎となる科目を中心に学びました。

そして、2年目( 4年生時)にPhamacology(薬理学)、Medical Chemistry(医薬品化学)、Biophamaceutics(生物薬剤・薬物動態学)、Antiinfectives(抗感染症薬)等の専門科目を受講しました。

それから、最終学年である3年目(5年生時)には、Therapeutics(治療学)、Professional Pharmacy Practice(薬局実務講義と学内模擬薬局実習)、そして各々5週間のAmbulatory Phamacy Extemship(外来薬局実習)とHospital Pharmacy Externship(病院薬局実習)及び8週間のClinical Phamacy Clerkship(臨床薬学実習)を履修しました。

このほかにも、私が1980年代の日本の薬学教育では体験できなかったPhamacy Ethics(薬学倫理)やInterpersonal Communication(患者や他の医療従事者に対する薬剤師としてのコミュニケーション法)などの必修専門科目もありました。

授業

さて、日本の薬学教育では経験できなかった授業や特に印象に残っている授業について話題を進めます。

3・4年次(専門課程の1・2年次)の「生化学」、「薬理学」、「医薬品化学」に関しては現在の日本の薬学部でも同じような、もしくはそれ以上の講義がなされていることと思います。ただ、3年次に1年間通して行われた「生理学」と「病態生理学」は私にとって初めて体系立てて学んだ分野であり、この科目の重要性を今も感じています。

5年次の科目についてはそのすべてが未知でした。「治療学」では薬剤師業務のなかで比較的頻繁に遭遇する疾患の病態生理とその薬物療法を中心に授業が嘩められ、臨床薬剤師として第一線で実務を行っている先生方がそれぞれの専門ごとに講義をするという形式でした。

さすがに各先生方は自分の専門分野をもって実際の現場で働いているだけに、教科書の理論だけにとどま らず自分の経験や最新の情報を盛り込んだ講義はとても貴重で興味あふれるものばかりで日米の薬学教育の違いを痛切に感じたものでした。

それから、これも日本では経験できなかったPharmacy Ethics(薬学倫理)とInterpersonal Communication(患者や他の医療従事者に対する薬剤師としてのコミュニケーション法)についてもご紹介したいと思います。これらは専門課程の2年目(4年生時)に履修する 科目でした。

「薬学倫理」は薬剤業務を行う上での倫理的考え方を学ぶ授業ですが、その内容は薬剤業務を遂行する際に発生するさまざまな葛藤を主にベンサムやミルの学説に代表される功利説による考え方によってケーススタディーするものでした。カント等他の学説によるケーススタディーもありましたが、(私見ですが)実務的にそして米国社会そのものにあまり馴染まないようで切り捨てられていた感がありました。では、実際に授業で使われたケースを一つご紹介します。

「『18歳の女性(患者A)が経口避妊薬の処方せんを持って来局。法律上、調剤・与薬することは問題なかったため、薬剤師は調剤し服薬指導を行った。患者Aは処方薬を受け取り、家族用クレジットカードにて代金を支払った。その数週間後、患者Aの母親が来局。来局の目的は、クレジットカードの利用明細 書に自分の娘がこの薬局で薬を購入したとあるが何を購入したのか教えて欲しいということだった』以上の状況で、もし自分がその母親を応対する薬剤師であればどのような対応をするか?」これは倫理の問題なので当然ながら絶対的正解はありません。

ちなみに、このケースで問題となるのは患者情報の守秘と患者Aが未成年者であるということのどちらに重きを置くかということですが、0歳から20歳までの(米国の成人は21歳から)未成年者すべてを同じ程度の保護・監督の下に置くべきであるか否かということを考慮すべきであると考えられます。

即ち、年齢とともに未成年者のautonomy(自律)の程度が増加すると考えるのであれば、保護者による保護・監督の度合いは小さくなるということを考えなければならないということです。このケースの場合、少なくとも米国では、「娘さんにお渡ししたのは経口避妊薬です」と即答するのは軽率であることは確かです。

これはほんの1例ですが、授業では様々な状況下のケースを用いディスカッションをしました。実際に薬剤師として業務を行う際に遭遇する問題や葛藤に対して適切な対応を行うための判断基準・材料を得ることのできるこの科目は非常に重要であると思います。

そして、Interpersonal Communicationは、患者や医師・看護婦(士)等の他の医療従事者に対する薬剤師としてのコミュニケーション方法を学ぶものでした。前述の「薬学倫理」 と同様にケーススタディーとディスカッションが行われたほかにロールプレイを用いて授業が進められ、日本でも最近お馴染みの傍聴や共感等のテクニックを使う初歩的なカウンセリング法などの訓練も行われました。

また、この科目だけに限らず他の科目の先生方も常に学生に言っていたことの一つに、患者と話す際にはjargon(職業上の専門用語)を使用してはならないということがありました。英語が母国語でない私にとって初めて見たり聞いたりする単語は、どれが一般的に使用される単語でどれが専門用語なのかわからなくなる事もありましたが、日本においても患者と接する際にも専門用語を使わず患者が理解できるよう噛み砕いて話したり、説明することはとても大事で服薬指導の基本だと感じています。

学内実習

次に「薬局実務講義と学内模擬薬局実習」について触れたいと思います。この科目は講義と実習にわかれていますが、それらの内容はリンクしておらずそれぞれが独立した科目のように進められました。講義では、DIのための情報収集と評価法、OTC薬に関する講義、薬剤疫学概説、Phamacoeconomics(医薬品?経済学)概説等々の多岐にわたる内容で、とても興味深いものばかりでした。

「学内模擬薬局実習」は、その名のとおり学校内に設けられた実習用模擬薬局で薬剤師業務を行う週1回の実習でした。この実習室に入室する際には男女ともにジーンズの着用は禁止、更に男性はネクタイ着用が義務づけられていました。

カジュアルなお国柄にしては少々驚かされた規則でしたが、このルールは身だしなみからもプロフェッショナル意識を学生に認識させ育てようとする薬学教育の一環であるとのことでした。実習中、学生は3人一組のグループに分けられ、各人に調剤カウンターと1グループに1台のレセコンが割り当てられました。

毎回、処方せんが各自に渡され実習が開始されます。制限時間内に、予め受け取っている患者情報をもとに処方せん記載事項、用法用量のチェックに始まり、薬物間相互作用、疾患一薬物相互作用のチェック等行い疑義があれば医師役をする先生に照会を行い処方内容を訂正してレセコンに入力。

そして、薬棚にある医薬品(有効期限は切れていますが本物)を自分のカウンターに持ってきて調剤を行い投薬ボトル(米国では薬袋ではなく小さなプラスチックボトルにバラの医薬品を入れ患者に渡します。

ちなみに、散剤は一般的にほとんど使用されません)に貼付するラベル記載事項のチェックを行いボトルに貼付してひとまず第一段階終了。そして、翌週に第二段階が行われます。患者役となる先生を相手に前の週に調剤した薬の服薬指導を行い、更にその先生が医師や看護婦(士)役となりそれらの薬に関する質問をします。

評価・採点は厳しく、毎学期1/3から1/4の学生が再履修しており、学生の間で最も恐れられている科目でした。この実習の先生方の多くは実習のない時は薬局や病院でフルタイムの薬剤師として働いており、実習のある時だけパートタイムの実習教官として学校に雇われていました。

ここで、ひとつ補足しておかなければいけないことがあります。次稿にて改めてご紹介する予定ですが、ファーマシースクールのほとんどの学生は、最終学年(5年)に進級する頃までには薬局や病院において数ヶ月以上の薬剤師の助手の経験をしていますので、「学内模擬薬局実習」を履修する以前に薬剤師業務の内容や流れはおおよそ把握しています。このために、この学内実習は学生が薬剤師実務をある程度理解・経験していることを前提に進められますので非常に内容の濃いものになっていました。

学外実習

ファーマシースクール生活最後の締めくくりは、5週間+5週間の「外来薬局実習」と「病院薬局実習」及び8週間の「臨床薬学実習」でした。

「外来薬局実習」とは外来患者に与薬する薬局での実習のことですが、米国では一般的にクリニックや病院内において外来患者に薬を渡すことはありませんので主にcommunity pharmacy(いわゆる、町の薬局)での実習ということになります。しかし、このほかにも実習する薬局はHMO(Health Maintenance Organizationの略。医療保険を商品にする民間会社の総称)が経営する総合クリニックの外来薬局や退役軍人病院の外来薬局などもありました。

マサチューセッツ州の州法によって実習生は薬剤師の監督下であれば麻薬などのような厳しく管理されている薬の取り扱いや服薬指導等も含めた薬局内容の業務をすべて行えることになっているため、さまざまな薬剤師業務を体験することができました。

薬局実習は「学内模擬薬局実習」と基本的に同じことを行うので特に戸惑うことはなかったのですが、私にとって一番厄介だったことは患者からのクレーム電話の処理でした。

「病院薬局実習」も前述の実習と同じく5週間に渡って行われました。内容は一言で言えば日本で言うところの入院調剤でした。病棟から送られてくる処方シートを監査後コンピュータ入力、ユニットドースカセットの準億、輸液の調剤などを行いました。これらに関しては、日本の病院実習と似ているのではないでしょうか。また、配属される病院によってさまざまなのですが、私の実習した病院では実習生(私を含めて2人)に患者症例や医薬品情報に関する薬局内でのプレゼンテーションが課せられました。

それから、最後になりましたがClinical Pharmacy Cletkship(臨床薬学実習)も行われました。私が配属された病院は、ハーバード大学医学部の教育病院(ハーバード大学には附属病院はありませんが附属病院の機能を持つ関連病院が数施設あります)のため、インターン(医師免許を取得して1年目の医師)や医学部の実習生が大勢いる病院でした。

この病院には私を含めて3人が配属されました。スケジュールは、午前8時前に病棟へ行き、受け持ち患者のカルテのチェック(研修医や医学部実習生も使用するので8時以降に行くとゆっくりとカルテを閲覧できないため)、その後回診に同行し、回診後のミーティングに参加してほぼ午前は終わりました。午後は、患者への服薬指導やインタビュー、インターンとのミーティング及び実習担当の臨床薬剤師とのミーティング等がありました。

以上で一応1日が終了するのですが、実はこれからが実習生にとって大変でした。その後、実習生がやらなければならないことは、インターンやその上司(レジデントやレジデントの上司)からの質問事項に関する回答レポートの作成、更に、臨床薬剤師から毎日課せられるDIや病態レポートの作成及び受け持ち患者の症例報告のための資料作成などの準備でした。

平日にはこれが毎日続きましたので、実習期間中は自宅・病院・図書館の往復でした。この実習を受ける前に多くの友人から臨床実習は厳しいと聞いていましたのであらかじめ心の準備をして挑みましたが、実習が始まってすぐに友人の言葉は嘘ではないことがわかりました。

しかし、この実習ではただ単に厳しいという訳ではなく、それまでのさまざまな授業・実習で得た知識を駆使することにより業務上の問題を解決することができ、更にその問題を解決することにより新たな知識と経験を獲得できることを実感できた貴重な実習でした。

エピソード

最後に、日本の薬学教育と大きく異なる点と特に印象に残っているエピソードを紹介したいと思います。

まず、ファーマシースクールの専門課程では薬剤学以外は必修の実験実習が皆無でしたし、研究室で実験をして卒業論文を書くということもありませんでした。

これらの日米の相違についてMCPの友人や薬剤師に話したことがありますが、彼らは、「実験を専門課程でやっても(米国の)薬剤師の職場では必要ないんじゃないの?医薬品や化学物質の分析はべつに薬剤師でなければできないわけでもないし‥・」とか「将来研究職を希望するのなら大学院に行かないと就職できないだろうし、化学、生化学や遺伝生物学の研究をしたいのならファーマシースクールのようなプロフェッショナルスクールよりも化学部、生化学部や生物学部がある大学に進学するんじゃない?」というコメントを述べていました。

冒頭で日本と米国では薬剤師の定義が違うと記しましたが、このことが薬学教育の内容に反映しているのかなと納得したものでした。

また、日米の社会を比較する際、一般的に米国社会のほうが職能が専門・細分化され、高学歴社会(日本のように高偏差値学校社会という意味ではありません)であると言われますが、彼らの発言はこのことを象徴しているのではないでしょうか。それから、“プロフェッショナルスクール”’という言葉がでまし たが、これは職能教育を行う高等教育機関として考えられ、卒後に取得する資格によって業務を遂行するために必要な知識・教養を身に付けるための学校といえると思います。

米国ではファーマシースクールの他にメディカルスクール、デンタルスクール、ロースクール等があり、それぞれ医師、歯科医師、弁護士を養成するためのプロフェッショナルスクールです。一方、日本においては医学部と歯学部のみがそれに該当するのではないかと思います。

たしか専門課程の最初の学期の第1週だったと思いますが、ある授業中に「アメリカで勉強しているんだ!」と思いを新たにした出来事がありました。教室の後ろのほうで数人の学生がひそひそと小声で私語(講義の進行にまったく支障のないちょっとしたもので、私が日本の学生時代にはどの授業でも日常茶飯事のことでした)をしていた時のことでした、教授が「諸君、将来君たちに確実に起こることを予言しよう」と突然言い始めました。

続けて「君たちはこの学校を巣立って薬剤師になっていくが、この教室にいる何人かは業務に関連したことで必ず訴えられることになる。これはジョークではなく、君たちが直面した現実なんだ。このリスクを少しでも小さくするために学生である君たち一人一人が今何ができるのか考えてみなさい。

私がアドバイスできることは、これから3年間君たちは講義、実習、課外研修と多くのことを学び経験するが、これらを謙虚に受け入れ自分のものにすることだ」更に、「友人やレッドソックス(ボストンの大リーグチーム)、セルテイクス(ボストンのプロバスケットボールチーム)が君たちにとって大切なのは充分わかっているし、私もそうだ。しかし、裁判の証言台では無力であることも忘れないように」と厳しい一言がありました。

訴訟社会と言われる米国におけるファーマシューテイカルケアを提供する薬剤師とそれを受ける患者との関係のもう一つの側面を垣間見た気がしました。

今回は私の体験をもとに米国の薬学教育について日本と比較して紹介させていただきました。次回は『米国の薬学生と卒業後の進路』について予定しています。

<地域で活躍する薬剤師> 中学生の職場訪問を通じて東支部 和白部会 ひまわり薬局 中野偉功

昨年の春、近所にある和白丘中学校の先生が薬局に来店され、中学生の健全育成のために、一年生の職場訪問」「二年生の職場体験」という企画に参加頂けないか?と熱心に依頼され、それ以来、当薬局では年2回、中学校の生徒さんを受け入れています。

今年も2月と6月にそれぞれ2〜3人の生徒さんに薬局の業務の一部を体験してもらいました。

2月の一年生の職場訪問は、薬局の業務をひと通り見学してもらい、その後生徒さんからの質問を受け、時間があれば業務の一部を実際に体験してもらうという内容です。

6月の二年生の職場体験は、「体験」という題名のとおり、約2時間、OTCの価格ラベル貼りや商品の陳列、ポップ作成、調剤では、水剤・散剤の量り方、分包、薬包紙の折り方等々、実際の業務に近い事をやってもらっています。

時に「和白丘中学校の○○です。よろしくお願いします!」と元気な声で深々と挨拶をされ、こちらもそれを聞いて気持ちよくなり、自己紹介が終った後で「まあ、ジュースでも飲んでリラックスして下さい」というと、「授業中ですので結構です」と断わられ、どちらが教える立場かわからないような一面もあり ました。

その後の質問も、「なぜ薬剤師になろうと思ったのですか?」から始まり、「仕事のやりがいは?」「仕事が辛いと思う時は?」などの予想していた質問から、「月給はいくら?」「一日の売り上げは?」「仕事をやめたいと思った事は?」「いやなお客さんにはどのように接しているのか?」「治らない病気の人が来たらどうするのか?」等々、非常に答え辛い質問までドンドン飛び出し慌てる場面も多々ありました。

業務体験では、OTCの陳列やPOP作成の時の真剣な目が印象的でしたし、水剤や散剤を量る時も、ちょっとの誤差もなく量ろうとする姿が新鮮に感じられました。

これまでの「中学生の職場訪問」を通して感じる事は、中学生に何かを教えるというよりも、中学生の純粋な質問に答えていくうちに、自分たちが日頃の忙しい業務に追われて忘れがちな、「初心」を思い出させてもらっているような気がします。

これからも、この企画が続く限り参加をさせて頂きたいと思います。

<リレー・書いていい友!> 烏鷺の戦い中央支部 警固部会 上人橋薬局 戸田一美

碁の起源は中国、尭舜創始説をはじめ、様々な説があって判然とはしないが「論語」や「孟子」に「奕」という文字で碁のことが語られているので、紀元前七〜六世紀の春秋時代に、勝負ごとや遊びではなく、天文なり、易なりを研究する道具として行われていたようだ。碁が勝負ごと、遊びとして一段と盛んになったのは、大唐文化の時代が訪れてからである。

碁は四書(琴棋書画)の一つに数えられ、士人の教養的な技芸として定着した。特に、二代皇帝の太宗、六代皇帝の玄宗が自ら碁を楽しんだため、その普及はさらに拡大し、詩文にもしばしば登場するようになる。

しかし、中国から移入した多くの文物が中国で見事に発達していたのと違って、碁は古方漢方(法)の歴史のように、日本でだけ、見事に発達したものである。近世、それは戦国末期から徳川草創期にかけて、信長、秀吉、家康の天下取りたちが碁好きであったことからその庇護のもと、本因坊、安井、井上、林の四家の専門棋士団が起こり、これがいわゆる家元の囁矢である。

江戸幕府は更に、家元四家の上に「碁所」の制度を設け、家元中の最強者をそれに任じて全碁界を統括させることにしたので、家元四家は碁所をめぐって激烈な競争を繰り返していくことになった。他の分野と違い、父子相伝と言うわけには行かない。

勝負の世界なので、家元は一門の最強者が跡を継ぎ、他家と競って碁所の地位を獲得しようと研錬努力することによって、飛躍的に碁技の進歩が成された。また彼等の間で、打碁の検討を行う習慣が生まれた。特に、御城碁(将軍の前で打つ御前試合)の制ができると、その棋譜は権威ある記録として保存され、最高の教材になった。

御城碁が始まって大局観に優れた碁が日本で開拓されたのは、コロンブスの卵的、棋譜を取ると言うただそれだけの事が、抜群のアイディアとなったのである。そして、碁は能や茶などの様に、日本の不思議な伝統に深まったのであろう。

「手談」「座隠」「烏鷺」はいずれも碁の別名であるが、「爛村」「橘中楽」などと言う中国の故事に由来する言葉もある。爛阿、晋の時代の「述異記」に由来するが、株の王質が、四人の童子が碁を打つのを見ていた。その間に斧の村が爛り、里に帰ってみれば、当時の人は誰もいなかった。

橘中楽(きっちゅうのたのしみ)、中国巴郷のひとが、大きな橘の実を見つけ不思議に思い割いてみたら、二人の白髪の翁が夢中で碁を闘わせていたということが「幽怪録」にある。

長い歴史を持つ中国には、こうした滋味あふれる故事が数多く伝えられている。爛何にせよ橘中楽にせよ、現実には有り得ぬことであるが、碁がしばしば時空を超えた夢幻の世界に誘いこむ遊びであることを知るものにとっては、なるほどと理屈ぬきでうなずける話である。

「もうこんな時間か」

気心のあった棋友と盤をかこめば、誰しも一度は口にする言葉である。その時々の時間の経過は何時聞かであっても、それを生涯くりかえして行くことを思えば、まさに、碁は現代も爛何なのである。

「飯を食うのを忘れていたよ」

これも、碁を打っていて、しばしば口にする言葉である。芳醇な果実の中にこもって、白髪になるまで碁を闘わせて飽きぬ翁と同じように、橘中楽に身を投ずれば、空腹などものの数ではなくなってしまう。

今年四月、大分支部との親善試合が九重の麓であり、庄内に「囲碁神社」なるものがあると教えられ、それじゃあ一目上達祈願をして帰ろうと車を走らせる。

国道210号線を阿蘇野を目指し左に曲がると後はほとんど一本道。気持ちよく走ると見落としてしまいそうなところに「囲碁神社」は存在するのである。岩を積み上げ、苔むしたお社は微笑ましく、また風情もある。鳥居の右側にある風穴に顔を突っ込んでみる。

ヒンヤリと冷たく心地好い。冬はとても暖かいとか。当時の人々がこの「風穴」の前で囲碁を楽しんだそうだが、“なるほど、納得!”本殿の前に置かれた白、黒の石を頂戴し、“これで一目上達間違いなし!”

その神社に着く途中には、西暦583〜587年、時の用明天皇より名を賜わった「朝日長者」の内山観音がある。宝陀山浄水寺由来の「当山宝物記録」に「碁盤将棋盤黒岳仙人所持碁石付白黒水晶也」の一節がある。ただ「朝日長者伝」に“宝陀山炎上之事”で詳しく記せられているように、その現物は見当たらない。

「浄水寺由来記」に12代影行天皇−14代仲哀天皇について、藤彦は神宮皇后の三韓行に際して、満珠千珠の守護をした勲功により豊後国玖珠の郷を賜わった。三韓帰陣の折、彼はそのまま玖珠に居住。その時に韓人を連れてきて、農業を広め、玖珠を玖珠と変える。由来の碁石付白黒水晶は韓人持参のものと思われる。

囲碁神社にお参りして一目強くなったと錯覚している私は、七月阿蘇で行われた全九州囲碁ペア・オープン戦に参加。あわよくば優勝!と思いきや、3勝2敗。勝負の神様はそんなに甘くはなかったようである。

盤上優雅に舞える日を夢見つつ、烏鷺の戦いを楽しんでいる。

 

次回は西区姪の浜 タケオ薬局竹尾慎一先生です。

 参考書
  「宇宙に遊ぶわが囲碁史」    江崎 誠 著
  「名 人」           川端靖成 著
  「県下最古の囲碁に関する記録」 大分県

<フレッシュさん> 身内の様に思いやりをもって中央支部 天神部会 福博堂薬局 天神店 藤村知子

皆様はじめまして。3月末より、福博堂薬局天神店に勤めております。半年もたちましたので、もう少し余裕がでても良いのですが、あたふたとその日の業務に追われております。

私の薬局は西日本新聞会館の15Fと天神のド真中にありまして、今まで勤めていたところとは、随分、様子が異なり、最初はかなり戸惑いました。以前は実家のある山口県の総合病院で4年間ほど病棟活動をしていました。

150床ほどの病院でしたが、田舎ゆえに患者層はお年寄りばかり。服薬指導も時間がかかり、やっと理解してもらえたと思っても、また、同じ事を何度も開かれます。寝たきりで自分でお薬を服用出来ず、配薬ケースに入れて、ナース管理が必要な患者様もいらっしゃいました。

ところが福岡にでてきて、今の職場について驚きました。大丸の職員や新聞社の方、サラリーマンやOLなど働き盛りの方が多く、一生懸命説明して、理解してもらえない様な年齢の方は、ほとんどいらっしゃらないのです。

「これは、簡単だ」と思ったのもつかの間、大きな壁に突き当たりました。みなさん、仕事の間にこられているのです。とにかく急いでいらして、説明は聞いてくれても情報をなかなかこちらに流してもらえない。長々と話をされるお年寄りも大変でしたが、その話の中には、併用薬、副作用、効果など、いろんな情報が入っていたものでした。

それが「はい、わかりました!」とか「忙しいから、いくら?」という感じで帰られては患者様から何もつかめないまま、同じ薬をただ処方どおりにお渡しする事になってしまいます。

病院の時の様にカルテや検査データもなく、薬歴作成にも苦労しました。

でも最近、患者様と薬剤師も人間対人間なんだなあと感じる様になりました。身内の様に思いやりをもってお薬の説明をして、心を込めて「お大事に」の声。何度かこられるうちに顔見知りになり、話しやすく、忙しい中でも質問に答えてくださったり、患者様からもいろんな話をして下さる様になって、少しずつですが克服出来ている様に思います。

どこで働くにしても、皆様から信頼され、お薬の事をきっちりまかされる薬剤師になりたいと思っています。前途多難で、まだまだ問題も多いですが、がんばっていきたいと思います。先輩方、よろしくお願いします。

<女性薬剤師会のコーナー> 福岡県職員保育士研修会における女性薬剤師会福岡支部の協力活動の報告第一保育短期大学 助教授
福岡県女性薬剤師会福岡支部 松本紀子

9月7日(火曜日)、13時より福岡県吉塚合同庁舎において、「おくすりの飲み方」について福岡市立子ども病院・感染症センター薬局長市花晃先生、「保育所(園)における投薬について」を私が講演した。そのほかに「子どもの心と保育園」と題して福岡地区小児科医会会長(松本小児科医院院長)松本等通先生のご講演があった。参加者は、保育所連盟の話では320名と、昨年に比べ100名程多いとのことで、これらの問題に対する参加者の関心の強さを示した。

 市花先生の「おくすりの飲み方」は、

  1. おくすりが、からだに入る道
  2. おくすりが、からだに入って出るまで
  3. おくすりの量と作用
  4. おくすりの種類と特徴
  5. おくすりを飲む時間
  6. おくすりの飲み方
  7. 点眼薬の正しいさしかた
  8. 点耳薬の正しい使い方
  9. 坐薬の使い方
  10. 妊婦と薬剤
  11. 授乳婦と薬剤

と分けて一般の方々にも理解できるように、スライドを用いて説明された。保育士達の感想は、以下にまとめられる。薬に対する知識を文章にしてもらって非常に助かった。

 ・安易に飲んでいる薬にこれだけの種類があり約束事があることを再認識させられた。
 ・何気なく服用させているものも園児に適切に服用させる方法を再認識できた。
 ・投薬や点眼の仕方が基本的説明で分かったし、薬がどのように作用していくかを知らな
  かったのが分かった。
 ・はっきりと理解できたし職員にきちんと伝え役立てたい。
 ・今後保護者から薬を預かった時、役にたちそう。
 ・今まで薬について講演等受けたことがなく命に関わることなので勉強になりました。
  ここまで深く薬について考えたことがなかったので面白かった。
 ・保育所でもお薬をもって登園する子も多く大事な問題でもあるのにこういう講演は初め
  てでとても勉強になった。

参加者の半数以上は薬の正確な知識をもたぬまま、保護者に依頼されれば一抹の不安を感じつつ投与しているようである。決められた1時間では足りないという意見も多数あった。

「保育所(園)における投薬について」は、保育所(園)314へのアンケート調査、保護者5238世帯について0歳から5歳まで年齢別にアンケート調査を行った結果をもとに講演した。

保護者からの薬の投与依頼は、世情を反映して毎日のことで、風邪が流行すると複数の子どもに服用させなければならず、保育士はストレスがたまるだけでなく過誤が心配と訴えている。保護者も3回に1回は投与依頼をしている方もいれば、保育士の先生の方が飲ませ方が上手だし家では飲まないからと全面的に頼っている方もいるこ参加者からは、投薬について悩んでいたが、他保育所(園)の情報が分かって安心したと感想をいただいた。

保育所(園)での投薬の問題は全国的なもので、日本保育園保健協議会雑誌「保育と保健」に結果論文を投稿し受理されたことも報告した。幼稚園、保育所(園)に薬の話等をして、地域に貢献しておられる各地区の薬剤師も多くおられると思うが現状はまだまだ余地があると考える。

先日は「働く女性センター」の所長から女性薬剤師会福岡支部に講演者の紹介依頼があり本会会員の未田先生が講演された。後日、所長から女性の立場から親身のお話があったと感動されていた。今回の研修会講演も市花先生の快諾を得て実現した。

ふくおか女性祭り‘99参加をきっかけに外に向けての地道な活動を女性薬剤師の視点から行い薬剤師会に貢献できたらと考える。今年のアミカス女性祭りに、助産婦会、女医会の方々が初参加されているのをみても、女性ならではの視点に立った活動は時代の方向に沿っていると改めて認識した。

ト ル コ 紀 行〜 一日も早い復興を願って 〜女性薬剤師会監事 椛島和子

8月に発生した「トルコ大地震」は同じ地震国に住む私達にとって他人事でない思いである。

「トルコ」といえば、ホメロスの詩で有名な「トロイの遺跡」、「トルコ石」又、「トルコ風呂」等連想されるが、地理的文化的にも東西交流の地として、又シルクロードの東の拠点として知られている。このたび私は曽遊の地として綴ってみたい。

関空から空路ノンストップ15時間でイスタンブールに着く。約1時間で人口360万余、1923年に首都となったアンカラ着。

先ず「アナトリア文明博物館」見学。文明の始まりからローマ時代迄の出土品が展示され、ヒッタイト時代の牡鹿、牡牛の造形物等現代的にも素晴らしく、又ギリシア、ローマ時代の美しい金の装飾品の展示もされていた。

翌日からキノコ状の不思議な岩が広がるアナトリア高原の「カッパドキア」地下都市の「カイマクル」、トルコ語で「錦の戯」と呼ばれる石灰岩の「ハムッカレ」、原始キリスト教の拠点の「ベルゲ」等々巡ったが古代遺跡の中で私の印象に残ったのは「エフェソス」「ベルガマ」だった。

「エフェソス」は長い歴史の間宗教、民族の厳しさから古代遺跡が破壊されているトルコで発掘、復元がなされているエーゲ海最大の遺跡群である。ヘレニズム時代の劇場、世界の七不思議の一つであるBC.7Cの「アルテミス神殿」、コリント式イオニア式の建築やレリーフが多く見られるが「SNAK王」のレリーフが医薬の祖として説明された。

又無数の乳房を持つ独特な姿の「アルテミス像」も出土している。医学の未発達時代、出産をする女性は地母神信仰から「豊穣の神」として崇拝された。現在考古学博物館に展示してある。

「ベルガマ」はBC.3C〜BC.2Cの都市で大きく2つに分かれ、その1つは丘の上のアクロポリスに有った図書館。蔵書数の多さにエジプト人が驚異を感じパピルスの輸出を禁止したのが羊皮紙の発明につながった。その後ローマのアントニウスがクレオパトラに贈り物をした話は有名。

他の1つは「病院」の始まりの「アスクレピオン」イオニア式列柱に囲まれた道を進むと「綜合医療施設」があった。「医学書」を集めた図書館、「音楽療法」が試みられた劇場、「薬草」による治療、▼又天井に孔を開けたトンネルが有り患者が通る時上から「貴方の病気はきっと治る」と声をかけた「暗示療法」、このトンネルは現存していた。こんな時代から日と全く驚きであった。

主にトルコ西部をまわりヨーロッパとアジアの間のボスポラス海峡を日本人の設計によって出来た橋を渡ってイスタンブールへ。海峡を挟んでアジア側は住宅地、ヨーロッパ側は都市機能を備え17世紀強大な力を持ったオスマントルコ時代の「トプカブ宮殿」「アヤソフィア」「ブルーモスク」「地下宮殿」等目を奪うものがあるがここでは略する。

街で「ECZANE」の看板を見つけ博多弁とジェスチアで写真を撮らせてもらったが「薬箱」にバイエル・ロッシュ・べ−リンガ一等の字が見られた。

99%がイスラム教というトルコ、「ヤボン」と云って話しかけて来る親日的な人達、日露戦争時代の東郷元帥の名にちなんだ地名も有る。「何故日本語を習うの」の問いに「トルコも日本も同じ東洋だから」と答えた女性。一日も早い地震からの復興を願わずにはいられない。

<地域医療に関する懇談会>

毎年、秋に行われている『支部推薦市議との懇談会』が9月24日、タカクラホテルで行われました。議題は「地域医療に関する諸問題について」です。市議会からの出席者は浜地輝−(西区)・稲員大三郎(中央区)・福田康男(博多区)・津田隆士(早良区)・大江健一(城南区)・手島敏文(東区)・渡辺史人(早良区)・国分徳彦(南区ト冨永計久(西区)9名、市薬からは久保田顧問・藤原会長・副会長・専務・常務理事・各支部長・監事に学薬から木原専務が出席しました。

式次第にそって進行しました。会長あいさつでは要望事項が説明されました。下記の要望事項は9月の理事会、支部長会で検討されたものです。

特に市民病院の院外処方箋発行促進、地方分権の推進について、『介護保険の相談薬局』を設置してほしい等、強調しました。これを受けて市議団を代表して大江市議が「要望はよく理解しているのでしっかりやります」と挨拶されました。懇談会では、入江専務が重ねて要望事項の詳細を説明しました。また学校薬剤師の報酬改定について木原学薬専務が資料を示しながら要請しました。

渡辺市議の乾杯でお酒がはいり、あちらこちらに歓談の輪ができました。日頃ゆっくりお話する機会がない市議とのこうした機会は有益でした。最後に春の選挙でみごと上位当選を果たされた、我らが冨永計久市議が「市民のためひいては薬剤師会のためがんばります」と挨拶され盛会のうちにお開きになりました。(敬称略)

(M.I.)

平成11年9月24日(金)
 於 タカクラホテル福岡

次第

1. 開会のことば
2. 会長あいさつ
3. 福岡市議団代表あいさつ
4. 久保田市薬顧問あいさつ
5. 出席者紹介
6. 懇談会
  (1) 要望事項
  (2) 質疑応答
7. 乾杯
8. 閉会のことば


要望事項

1. 福岡市立市民病院の院外処方せん発行促進について
   (平成10年10月29日 市長に陳情書提出)
2. 学校薬剤師報酬の格差是正を図られたい
   (平成10年10月29日 教育長に陳情書提出)
3. 地方分権の推進について(薬事行政事務の移管促進)
4. 「介護保険の相談薬局」を設置してほしい
5. 在宅医療の推進を図る事例研究会への参加(区役所ごと)
6. 「休日急患診療」への薬剤師の参加
7. 区ごとに実施される「薬草観察会」への補助
8. 薬物乱用防止啓発事業への支援

 

<試験センターだより>

(社)福岡市薬剤師会の試験センターは以下のようなことも手掛けています。頭に福岡県と付きますが福岡市薬の事業です。ご存じない方もおられると思いますので紹介しておきます。おたづねは市薬事務局まで。

(K)

 

<薬局製剤研修会>薬局委員会

火 気 厳 禁

9月25日(土)、第6回薬局製剤研修会は、前々回製造したインドメタシン外用液の確認試験を市薬の試験センターで行いました。担当は薬局委員の甲斐田先生(そうごう薬局下山門店)です。前日には中野常務理事、甲斐田先生、試験センターの冨田先生の3人で予備実験をされ、使用する機器や試薬の点検をされていました。

必要に応じて薬局製剤は確認試験などがされます。今までいろいろ薬局製剤の製造をしてきましたが、その確認試験をするのは今回が初めてです。「薬局製剤業務指針」にそって進められました。薄層クロマトグラフ法の展開液にはエーテルが使われたので、「火気に気をつけてください。たばこは吸わないで」と注意がありました。

シリカゲル板に毛細管で標準液と薬局製剤研修会で製造したインドメタシン外用液をスポットしたり、紫外線照射装置箱を覗いたり、学生時代の実習にタイムスリップしたような研修会でした。

(M)

 

インドメタシンの外皮用薬の確認試験そうごう薬局 下山門店 甲斐田恵子

(準備するもの)

インドメタシン外皮用薬、メタノール、エーテル、氷酢酸
薄層クロマトグラフ用シリカゲル(蛍光剤入り)、紫外線照射装置箱
展開層、毛細管(ガラス製、直径約1〜1.5mm)

(試験方法)

1. 試料溶液の調整…インドメタシン外皮用薬1mlにメタノール4mlを加えて、試料溶液と
 する。
2. 標準溶液の調整…インドメタシン7mgをメタノール5mlに溶かし標準溶液とする。
3. 展開換作
 一般には下図に示すものを用い、ろ紙を中に入れ、展開溶媒の蒸気で飽和させる。
 展開溶媒は容器中5〜10mmの高さになるように入れる。
 試料溶液、標準溶液をそれぞれ毛細管に2〜3cm吸い上げ、薄層クロマトグラフ用シリカ
 ゲル板に下端から2〜3cmの原線の上に直径2mm程度の大きさにスポットする。
 次に、エーテル・氷酢酸泡液(100:3)を展開溶媒として約10cm展開した後、薄層板を風
 乾し、紫外線照射装置箱に入れて紫外線(主波長254nm)を照射すると、試料溶液から得た
 スポットと標準溶液から得たスポット(暗紫色)はRf値が等しいことでインドメタシンと
 確認された。

 

【薬連のページ】

日本薬剤師連盟平成11年度全国政治セミナー開催 −自由民主党薬剤師問題議員懇談会・日本薬剤師連盟合同懇親会同日開催−

福岡市薬剤師連盟
小選挙区福岡第2区
幹事長 梅末芳彦

「報 告」

平成11年7月5日標記セミナーが下記要領にて開催されましたので、式次第他ご報告いたします。

(参加対象)
都道府県小選挙区幹事長他役員 314名
目本薬剤師連盟役員他     45名

(福岡市薬剤節会出席者)
第1区 鶴原 潔
第2区 梅未芳彦
第3区 冨永計久(西区市議会議員)

(福岡県薬剤節会出席者)
会 長 宮崎和人
幹事長 小野信昭
評議員 小田利郎
局 長 陶山 巌

他各地区幹事長 8名

 

平成11年度全国政治セミナー

日時:平成11年7月5日(月) 午後1時30分〜午後5時40分
場所:赤坂プリンスホテル2階 「五色の間」

〔次第〕

1. 開会の辞:高橋則行副会長

2. 会長挨拶:日薬佐谷圭一会長
  ☆6月15日 日医「調剤薬局報酬の縮減」を公言
   ・分業バッシングに“徹底応戦”“不退転の決意”
  ☆連盟活動強化…政治主導が強まる
  詳細は日本薬剤師会雑誌1999,Vol.51,8.薬連ハイライト
  「平成11年度全国政治セミナー開催」P37をご一読下さい。

3. 新役員紹介:幹事長 神原赳

4. 協議(セミナー)
 1)日英連盟の現潮及び今後の活動状況について:神原赳幹事長
  日本薬剤師会の当面の課題
  ・医薬分業の質的向上と国民理解の促進
  ・一般医薬品の充実と活性化
  ・薬剤師の資質の向上
   それぞれの問題解決に向けて薬剤師議員と共に論議を進め、又政治的な活動を展開
   する。
 2)次期衆議院選挙について:高橋重夫副幹事長
  ・都道府県薬剤師連盟が主体となり対応
  ・比例代表並立制の国政選挙を位置づけ300小選挙区ごとの地方組織体制を強化し支援
   活動を展開する。特に自由民主党薬剤師問題議員懇談会加入議員に対しては、選挙区
   において地域会員との関係を強化し活動を支援する。
 3)次期参議院選挙について:長野順一副幹事長
  −平成13年度施行比例代表・区選挙を目指して「石井道子参議院肇員」擁立を決定!!
 (1) 石井道子講演会活動について
  ・各都道府県ごとに薬剤師後援会を設立し、強力な支援体制を確立、後援会活動を展開
   する。
 (2) 選挙区候補者の支援体制について
  ・薬剤師議阜 長峯基(宮崎)、常田亨洋(鳥取)再選を目指して支援活動を展開す
   る。又議員懇談会加入議員について再選成果が上がるように支援する。
 4)質疑応答
 5)その他
 6)閉会の辞:岡本彰副会長

(セミナー終了後、同ホテルにおきまして自由民主党薬剤師問題議員懇談会との合同懇親会
 が開催されました。後述いたします)

 

自由民主党薬剤師問題議員懇談会・日本薬剤師連盟合同懇親会次第

日時:平成11年7月5日(日) 午後6時〜
場所:赤坂プリンスホテル2階 「五色の間」
司会:参議院議員 常田亨洋(鳥取)

1. 開会の辞

2. 薬剤師問題議員懇談会会長挨拶:前総理橋本龍太郎(岡山)
危機管理システムとしての医薬分業の推進に理解を示すが、調剤過誤は許せない。

3. 自由民主党幹事長挨拶:衆議院議員 森喜朗(石川)
自由民主党は日薬連盟の300小選挙区ごとの地方組織体制による支援体制を高く評価している。

4. 日本薬剤師連盟会長挨拶:佐谷圭一会長
出席議員へリスクマネジメントシステムとして医薬分業の確立を訴え支援を依頼。

5. 国会議員紹介(総員165名)
 <衆議院議員>
  三塚  博(宮 城)
  丹羽 雄哉(茨 城)
  森山 眞弓(栃 木)
  小泉純一郎(神奈川)
  松本  純(神奈川)
  森  喜朗(石 川)
  橋本龍太郎(岡 山)
  林  義郎(山 口)
  太田 誠一(福 岡)
  自見庄三郎(福 岡)
  山崎  拓(福 岡)
 <参議院議員>
  岩崎 純三(栃 木)
  吉村剛太郎(福 岡)
  長峯  基(宮 崎)
  石井 道子(比例区)

6. 乾杯 参議院議員 岩崎純三(栃木)
〔懇親〕
 各ブロックに分かれ議員を囲み熱心に薬剤師問題に対する支援を訴え、意義深い催しであった。特に福岡市出身の山崎拓、太田誠一、吉村剛太郎の各議員におかれましては、公務大変ご多忙にもかかわらずご出席いただき、医薬分業はもとより諸問題に深いご理解を賜りました。これは日頃の熱心な支援の賜です。今後一層の連盟活動へのご尽力を切望いたします。又この度は西区選出冨永計久市議会議員にも無理にご出席を賜り薬剤師問題について訴えていただきました。


 今回の目薬連盟全国政治セミナーの開催は薬剤師問題が瀬戸際のこの期に評価されるセミナーでありました。尚日薬会長佐谷圭一先生「不退転の決意」をご一読下さい。
 (日本薬剤師会雑誌1999,Vol.51,8、掲載)

※敬称略

<ニュースペーパーより>

[広報]

会議報告

【理事会】

日 時
平成11年8月25日(水)

議 事

1. 会長挨拶

 8/18に山崎市長を囲んで、三師会懇親会があった。介護保険などが話題になった。
 8/12には市の介護保険策定委員会があった。
 8/24には厚生省より介護サービスの仮単価が発表された。全体的に在宅は高め、施設(療養型など)は低めに設定された。
 医療制度の改革は先送りされそうだが、薬価だけが下がり、大病院の院外処方箋は進む。「かかりつけ薬局」の意義をもう一度確認したい。

2. 報告事項

(1) 会務報告
(2) 委員会報告
(3) その他

3. 協議事項

(1) かかりつけ薬局委員会の活動について
  先日行ったアンケートの結果では、在庫管理や薬の備蓄についてまだ困っていないと
 言う事だった。
  小分け配送についても話はしているが、むずかしい。
  9/4北九州でテレビスポットの事を14支部に集まってもらい説明をして了解を得る。
(2) 定款委員会の開催について
  定款22条の会長・副会長・監事の選挙について「投票」と「別段の方法」の解釈を顧
 問弁護士に依頼した。回答は投票が優先するということだった。
(3) 『処方検討全集』の処理について
(4) 日薬学術大会への参加について
(5) 九山薬学大会の参加について
(6) その他

(M)

 

日 時
平成11年9月22日(水)

議 事

1. 会長挨拶

 役員選挙の件について日程等決めておきたい。
 24日の議員懇談会については台風接近で心配ではあるが、今回はしっかりと要望したいと思う。
 昨日の支部長会の案を加えて、今回は8項目の案を出したい。

2. 報告事項

(1) 会務報告
(2) 委員会報告
(3) その他

3. 協議事項

(1) 役員選挙の日程について
  1月29日の選挙から逆算して動かなければならない。
  すでに選挙管理委員については各支部より推薦されている。
  11月末には公示の通知をジャーナルに載せる等の方法で行ないたい。
(2) 市議懇談会の要望事項について
  要望事項8項目
(3)その他
  ・「薬の手帳」の取り扱いについて
  ・会員名簿について

(Y.U.)

 

【支部長会】

日 時
平成11年9月21日(火)

議 事

1. 会長挨拶

 今年は、異常気象で暑い日が続く。役員の病気も多い。これから忙しくなるので、健康には十分注意して頂きたい。
 9月24日に、市議懇談会が行われる。要望事項を5項目用意している。その中で、福岡市立市民病院の院外処方箋発行促進を強くアピールしたい。広域病院の一つである千早病院が、来年4月より院外処方箋を発行することが決まった。
 かかりつけ薬局のテレビCMの放映スケジュールも決まり、10月1日より実施される。緑のロゴマーク入りステッカーを貼って頂き、個々の薬局で対応して頂きたい。
 平成11年度は、役員選挙の年でもある。選挙に関する日程案が出来ているので、検討してもらいたい。

2. 報告事項

(1) 会務報告

3. 協議事項

(1) 選挙管理委員会委員の推薦について
(2) 市議懇談会における要望事項について
(3) その他
  (1)  かかりつけ薬局をアピールするテレビ放映について
  (2) 「みんなで支える介護保険」の新聞広告
  (3) 「処方検討全集」再生版の発行について
  (4) 新入会員加入のお願い

委員会報告

【組織委員会】

日 時
平成11年9月10日(金)
出席者
副会長:合澤 常務理事:井上
委 員:松浦・竹野・福岡・佐藤・見元・権藤・平島・東

議 事
○ソフトボール大会について
 ・10/8までに、各支部メンバー表作製
 ・1回戦のみ、女性1人入れる
○定款委員会報告
○選挙について

 

【薬局委員会】

日 時
平成11年9月19日(日)14:00〜
出席者
副会長:光安 常務理事:中野
理 事:毛利
委 員:国武・満生・東(千)・行実・甲斐田

議 事
○各区保健所健康フェアについて
 城南区:10月6日(水)、西区:10月7日(木)、東区:10月8日(金)
 早良区:10月13日(水)、南区:10月13日(水)、中央区:10月14日(木)に行われる。
 博多区は7月港まつりで終っているので今回はなし。
 薬酒類パネルは各区でもち回りする。
 生薬見本、薬草茶類は各区で用意する。
○薬局製剤…今回はインドメタシンの確認試験をすることに決定。
 9月25日(土)PM4時〜5時
○薬草観察会…2回目の下見であいれふ側
 (林氏)に同行してもらい、当日(10/3(日))開会式の場所は福岡市水道局曲渕資材置場に決定。当日の一般会員120名分の薬草パンフは25日、薬局製剤デモ後に作成予定。
 9月26日、市薬会員のための薬草観察会の準備はほとんど完了。薬草観察現場の名札を植物につけたり、立てフダを立てるのは10月3日 9:30A.M.より行うことにする。
 当日薬草茶を提供。9月19日の下見会の薬草説明指導員の先生は次の通り。(1)合澤先生 (2)松島先生 (3)根津先生 (4)坂田先生 (5)篠崎先生 (6)冷川先生の6名に参加いただいた。

 

【市薬薬局委員会】

日 時
平成11年9月6日(月)
出席者
副会長:光安 専務理事:入江
常務理事:藤田
委 員:江田・江崎・徳永

議 事
○市薬薬局現状報告
・医療センターからの処方箋集中率が19.4%とあがっている。特に、月曜・水曜・金曜は平均受付回数が90〜100件/日とかなり増えており、研修指導等との業務の重なり及び薬剤師の1名欠員によりかなりハードとなっている。
・相互作用検索依頼の件数低下
・1名・9月末にて退職(江田薬局長)
・薬局長及び薬剤師の面接を行う
・市薬薬局前の道路に中央分離帯設置の計画があり、その件に関して、光安副会長が自治会の話し合いに参加
○九大窓口・医療センター窓口
・DM教室報告
・窓口スペース縮小については今のところ何もアクション無し
・お盆期間中、特にトラブルは無かったが、各薬局の休みの予定をもっと早くほしい。また福岡県内、全ての情報があったほうが良い。年末年始の情報は12/20頃までにもらいたい。
○その他
・国立南福岡病院・一部オーダリングシステムが導入されている。

 

【広報委員会】

日 時
平成11年7月13日(火)
出席者
常務理事:北島
委 員:伊東・上村・鮫島・津田・石井・戸田

議 事
○7月号全員での最終校正
・写真コメント再考
○広告確認

日 時
平成11年8月19日(木)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委 員:戸田・上村・伊東・津田・石井・森山・鮫島

議 事
○9月号市薬ジャーナル第1回校正
・北島・伊東・石井・森山・鮫島により校正
○第43回通常代議員会議事録要旨作成
・合澤・戸田・上村・津田により検討

日 時
平成11年8月30日(月)
出席者
会 長:藤原 副会長:合澤
常務理事:北島
委 員:石井・伊東・上村・鮫島・津田・戸田・森山

議 事
○9月号第2回校正
・第2回にもかかわらず、初稿が多かった。
〇第43回、44回代議員会議事録作成
・今回は、第44回臨時代議員会要旨作成中心で行なった。
○重要な内容が多かったので、前回、今回は2班に分け、校正班、要旨作成班で会議を行なった。

日 時
平成11年9月7日(火)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委 員:石井・上村・鮫島・津田・戸田・森山

議 事
○9月号市薬ジャーナル編集会議
・9月号第3校正
○通常・臨時代議員会議事録要旨作成仕上げ
○11月号市薬ジャーナル打合せ

日 時
平成11年10月4日(月)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委 員:石井・伊東・上村・鮫島・津田・戸田

議 事
○11月号編集会議
・原稿集め、写真選択

 

【在宅委員会】

日 時
平成11年9月14日(火)
出席者
専務理事:入江 常務理事:田中
理 事:原田
委 員:木原・原口・春日・熊沢

議 事
○訪問看護ステーションとの関連について
○介護保険の申請書パンフレットの取り扱いについて

支部だより

〔博多〕

〜博多区薬剤師会事業報告〜

平成11年8月
  5日 理事・監事・部会長会
  9日 千代・吉塚部会
  10日 エプソンレセプトコンピューター説明会
  27日 博多保健所運営協議会 鶴原会長出席
9月4日 かかりつけ薬局テレビCM説明会
      鶴原会長、蔵元専務、高木理事出席
  21日 支部長会 鶴原会長出席
  22日 博多区高齢者サービス調整会議 鶴原会長出席
10月4日 理事会 蔵元専務出席

(専務:蔵元良行)

〜博多区健康フェア〜

日 時 平成11年7月24日(土)10時〜14時30分
場 所 博多港マリンメッセ横
参加者 木原・森川・真鍋
来場者 195人

 博多区の健康フェアは例年市薬各区の中でも一番遅く11月初めであるが、今年は博多港開港100周年ということで7月24日博多港であった。

 あいにくの雨と博多港という地の利の悪さがあり、多少出足は悪かった。お隣りのテントでは例年通り歯科医師会のブラッシング指導、看護協会による血圧・脈拍測定と健康相談が行われ、薬剤師会では4種類の薬用酒(カリン酒・クコ酒・大棗酒・女貞子酒)と3種類の薬草茶(ダイエット茶・美人茶・目薬の木茶)を用意し、試飲してもらったり、薬についての相談をうけた。

 森川薬局より提供されたハープ茶や県薬の「身近な薬草」など来訪者にお土産として渡し喜ばれた。

 午後からは雨も小ぶりになり、人出も多くなった。巡視船「はかた」の艦内見学とか青空青果市、リサイクルマーケット、飲食コーナー、ガレージセールといろいろなイベントがあり、親子づれで楽しむ人が多かった。

 とても蒸し暑かったので、例年に比べると来訪者はかなり少なかったけれど、薬草茶は残りわずかになる程よくうれた。

(薬局:真鍋登代子)

 

〔東〕

〜東区薬剤師会会務報告〜

()内は出席者
8月5日 分業検討委員会 千早病院(光安副会長・伊東)
  6日 東区役員会
     (伊東・伊藤・中野達・馬場正・川口・津崎・竹野・楠本・馬場智・中野偉)
  6日 吉村剛太郎政経セミナー(伊東)
  23日 東区在宅ケア検討会 東保健所(田中・伊東・川口・荒木・原口)
  28日 日医総研講演会(伊東)
  29日 福岡県自由民主党薬剤師問題議員懇談会(伊東・吉村)
9月9日 東保健所運営協議会 東保健所(伊東)
  17日 東区役員会(伊東・中野達・伊藤・楠本・川口・原口・篠崎・津崎・竹野)
  21日 支部長会(伊東)
  22日 千早病院に分業協力要請への御礼(光安副会長・伊東)
  24日 支部推薦市議との懇談会(伊東)
  30日 未加入薬局について(伊東・中野達・竹野)

〜千早病院の院外処方箋発行について 〜

千早病院では院外処方箋発行について何度も会議をされ、8/5は分業検討委員会の最後の会議に市薬から光安副会長と伊東が出席して福岡市の分業状況を説明した。9/17に院外処方箋発行の決定がなされた。9/28には千早病院より市薬に挨拶にみえて、正式な院外処方箋発行への協力依頼があった。

11月に患者さんに院外処方箋発行のお知らせをおこない、来年の4月からスタートする。分業にはいままでは追い風が吹いていたが、全国平均の分業率が30%を超え、調剤報酬が前年比16%の伸びになった今、分業は薬の適正使用に役にたっているか、問われている。

千早病院の分業を機にもう一度、「目にみえる患者メリット」−院外処方箋による二度手間・負担増を帳消しにできるサービスの質−を考えてみるのはどうだろうか。

*来年の1月は市薬会長の選挙です。東区の選挙管理委員は、副会長の伊藤先生(フラワー調剤)です。

 

〔城南〕

〜城南支部夏季親睦会〜

日 時 平成11年8月6日(金)19時
場 所 ウエスト天神 ジークス8F
参加者 38名

 恒例の夏季親睦会が、今年はウエスト天神で行われた。参加者は38名と過去最高だった。来賓として、いつもお世話になっている市薬事務局の水越局長、井原係長、上田さん、田中さんの4名を招き、会を盛り上げて頂いた。焼肉とあって、始めは皆さん食べに走っていたが、お酒が進むにつれて人の移動が始まり、会は大いに盛り上がった。

(広報:森山健次郎)

〜支部勉強会〜

日 時 平成11年8月19日(木)19時
場 所 城南市民センター 第一会議室

研修内容
(1) 「ニコチネルTTSについて」
   「ローコールについて」
    ノバルテイスファーマ学術担当者
(2) 各委員会報告
(3) その他

(社保・分推:瀬尾 隆)

〜城南支部運営委員会〜

日 時 平成11年9月11日(土)19時
場 所 市薬会議室

議 題
1.今後の支部事業予定並びに運営について
(1) 第13回城南区健康展について
  (1) 薬草観察ハイキング
  (2) 展示品、パネル、お茶等の準備
  (3) その他
(2) 市薬親睦ソフトボール大会について
(3) 九州山口薬学大会について
2.各委員会事業予定について
3.その他

 本年度、第2回支部運営委員会が開催された。

(支部長:松島照幸)

〜支部勉強会〜

日 時 平成11年9月17日(金)19時
場 所 城南市民センター 視聴覚室

研修内容
(1) 「低用量ピルの使用法について」
   「トリキュラー21について」
    日本シエーリング学術担当者
(2) 各委員会報告
(3) デッドストック交換会

(社保・分推:瀬尾 隆)

〜支部会員の薬草観察ハイキング〜

日 時 平成11年9月23日(木)
場 所 油山市民の森

 10月11日(月)におこなわれる第3回城南区薬草観察ハイキングの下見を兼ねた支部会員のためのハイキングが行われた。

 参加者は10人。はなたれ薬局冷川先生にも来て頂いた。2時間程掛けて、当日の観察コースを決めながら、44種の薬草を選んだ。台風接近のため天候が心配されたが、小雨がパラつく程度で、会員は楽しそうにハイキングを満喫していた。途中、ヤマカガシという蛇が木の枝にいるのを発見。蛇ざらい数名がびっくり慌てた。

 南区薬剤師会も同じ日、同じ場所で下見を行っていたので、終了後、お昼は一緒にお弁当を広げ、ビールで乾杯した。その後、当日の入念な打ち合せを行い解散した。

 

〔西〕

〜福岡市薬剤師会西支部連絡協議会〜

日 時 平成11年9月18日(土)午後7時30分より
場 所 三四郎(室見川河畔)

議 事
○健康フェアについて
○ソフトボール大会メンバー決め
連絡事項
○在宅介護の進歩状況について
○市薬会長等選挙管理委員会委員の西区推薦者選出
○市議・県議への要望事項について

 

〔中央〕

〜天神部会開催〜

日 時 平成11年8月27日(金)19時
場 所 博多城山ホテル「王府」
出席者 佐伯(ミワ)勢島(セジマ)栗岡(くりおか)竹島(裕生堂やまと)
    黒田(ベストドラッグ)藤野(ふじの薬局アネシス店)
    長谷川(双和薬局アクロス店)迫田、佐々木(大賀福ビル店)
    矢野(大賀天神コア店)藤村、山口(福博堂天神店)
    紀内(天心堂)田中(天神調剤)以上14名
来 賓 稲員大三郎(中央区市議)梅末芳彦(中央支部長・フジ薬局)北島啓子

※敬称略
(市薬広報常務理事・新日本薬局)

天神部会において、年1回の部会(暑気払い)は部会長のノルマです。ノロマな私は「はよ、せないかんなあ〜」と思いながらズルズルと先延ばしにしておりましたが、前向き(飲み会にも)な先生方の殺気を感じ、夏ぎりぎりになんとか行う事ができました。

先生方皆様楽しくお過ごしのご様子でしたので、胸をなでおろしましたが、大先輩からごきげんな声で「今年は、忘年会もやりまっしょうや、部会長」と頼まれました。

ズボラな私は「部会費がもう残っとらんですもんね」と逃げようとすると「それなら、会費ば取ってやりまっしょうや」と返されました。気の弱い私は「そ、そうですね」と引き受けました。部会員の皆様、忘年会のご出席お願いします。

(部会長:田中泰三)

初めて天神部会に出席させて頂きました。若い女性も多く、とても華やいだムードです。お忙しい中、稲員市議もおでまし下さり、日頃のご尽力の御礼を申し上げ、更なる力添えをお願いしながら会は和やかに進行します。那珂川の夜景を見ながらの2次会(藤野先生ごひいきの店)が素晴らしく楽しく、大盛会であったことは言うまでもありません。

(北島啓子)

〜中央区役員・部会長会〜

日 時 平成11年10月7日(木)午後7時30分〜
場 所 タカクラホテル

議 題
(1) 9月・10月現在までの活動報告
  9/7 第2回中央区愛護パトロール員研修会
  9/10 中央保健所連絡協議会
      ・中央区医歯薬会長、市議、民生委員出席
  9/12 中央区衛生連合会
      ・婦人部に服用とかかりつけ薬局について講演
  9/22 支部長会
      ・9月29日 会長・副会長及び監事の選挙日公示
      ・選挙にあたって、未入会の薬局に入会を促す
      ・自民党党員加入の要請
  9/24 市薬推薦市議団と執行部との懇談会
  10/5 国武・樋口先生あいれふで健康フェアについて協議
  10/17 ソフトボール大会参加者
       中野・田中・樋口・下瀬・松原・長谷川・山田・中島・伊藤
       小松・平島先生 8:30までに集合
(2) 健康フェアについて
 ・薬物乱用防止啓発
  ○麻薬探知犬実演、麻薬防止キャラバンカー、
   麻薬防止啓発ビデオを舞鶴小の子供達に参加してもらう。
  ○子供達にのみ「ダメ。ゼッタイ。」のアンケートを書いてもらう。
  ○薬物乱用防止の啓発タオル2000本用意。
  ○健康フェアに使用すると共に学校、公民館、会員薬局にも配布の予定。
  ○薬物乱用防止のぼり(のぼり型14枚、掛け軸型7枚)
  ○「ダメ。ゼッタイ。」君携帯ストラップ−小学生に配布(手配予定)
 ・薬草茶・薬用酒の試飲
 ・体脂肪測定
 ・14日開催の早良健康フェア使用の薬草も借り受ける予定
 ・足踏み健康器具などの遊び道具を置いておく
 ・健康フェアアンケート
   とにかく人の流れがスムーズになるように配置を考える。
(3)今後の中央区薬剤師会の活動について
 会員にお願いして参加してもらうという形でなく、自発的な参加が促せるような企画を考えていく

〜中央区健康フェア〜

日 時 平成11年10月14日(木)9:30〜16:00
場 所 中央保健所(あいれふ)

・「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用防止啓発
 麻薬探知犬実演(10:30〜、14:00〜)
 麻薬防止キャラバンカー(14:00〜)−
 パソコンゲーム、フォトクラブ、立体映像、人体模型など
 薬物乱用防止啓発ビデオの放映
・くすり何でも相談
・体脂肪測定
・薬草茶、薬用酒の試飲
・薬草の展示
・健康器具の展示、試用
・お薬に関するアンケート
・薬物乱用防止に関する意識調査(小学生のみ)

毎年恒例の健康フェアがあいれふで行われた。これが終わると一年が終わったような気がすると、参加した会員が口をそろえて言うように、この企画に賭ける会員の準備の努力は並大抵のものではない。

今年も薬物乱用防止ののぼりを新調し、薬物乱用防止啓発の為のタオルを用意した。このタオルは健康フェアのみならず、今後の公民館活動、学校薬剤師の活動、又会員薬局店頭での活動にも利用していく。

当日は参加した会員が白衣に「ダメ。ゼッタイ。」のたすきをかけ、参観者を迎え入れた。「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用防止啓発活動については、今回は山本先生の講演は催されなかったものの、麻薬探知犬の実演や、午後からは麻薬防止キャラバンカーにも参加していただいて、なかなかの盛り上がりを見せた。

特に麻薬探知犬の実演は、午前中は小雨も降って、あいにくの天気になってしまったが、麻薬のにおいを染み込ませてあるタオルの入った箱を素早く見つけてその箱に猛烈にアタックする麻薬犬に、あいれふの職員の方々も初めて見ると興奮気味。

天気も悪く参観者も少ないのではとの予想に反し、あいれふの玄関の外で行われた実演に玄関口はびっしりと人で埋まり出入りも自由に出来ないほどだった。

午後からの実演には舞鶴小学校の4〜6年生も参観。登場した真っ黒なゴールデンレトリバーにかわいいを連発。午後には雨も上がったので午前中より場所を拡げての実演で、素早く麻薬のにおいのする箱をかぎ分け、猛烈に箱を破壊し中からにおいのするタオルをくわえ出す犬に子供達の驚嘆の黄色い声がどよめいていた。

特にその後のハンドラーとの遊びは(犬にとっては、麻薬を見つけると、ハンドラーと言う世話をしてくれる人に構ってもらえるのでものすごくうれしいらしい)、遊びと言うより犬と人間のバトルのようで、これにも歓声が上がっていた。

ちなみに午前と午後は違う犬が来てくれたのだが、午前中の犬はその後空港で通常の業務。午後の犬は、午前中に国際郵便で通常業務の後に参加してくれたらしい。ワンちゃんお仕事お疲れさまです。午後から参加してくれた舞鶴小の子供達には、薬物乱用防止啓発ビデオを見てもらった後、アンケートに答えてもらった(47名回答)。

午前中は雨だったにもかかわらず、ものすごい人で、「くすり何でも相談コーナー」もひっきりなしの人。アンケートのコーナーは福大の大学院生に応援をいただいたが、若者効果絶大で昨年を上回る250枚の回答をいただいた。この結果については、後日発表させてもらう予定。

今回は、各コーナーの配置に苦労したものの、薬剤師会の場所の前面に、早良の薬剤師会から借り受けた薬草を展示し、その後ろにアンケートのコーナーを配し、その後ろに薬用酒、薬草茶の試飲コーナーを設けた。窓側に今回一緒にしていただく看護協会、栄養士の方々のコーナー、体脂肪測定、後列に薬の相談コーナーを設け、最後列に子供達に鑑賞してもらうビデオのコーナーを設けた。

薬用酒、薬草茶のコーナーの周りには健康器具を配し、それらを試用していただいた方にお疲 れさまとお茶のサービスが出来たのも良かったと思う。来年以降もよりよい企画をたてて健康フェアを盛り上げて行きたい。

〜 ご存じでしたか?〜

レッドリボンというのを健康フェアで見つけました。このリボンの由来は、ナチスがデンマークに侵攻した折、ユダヤ人は胸にレッドリボンをつけるように命令がだされました。その時、 デンマーク王が率先してレッドリボンを胸につけて街に出たのでした。

それを見たデンマークの人々が全員胸にレッドリボンをつけて街に出たので、結局ナチスは手を下すことが出来なかったそうで、それからレッドリボンは人を差別しない徽となったそうです。

(広報:鮫島千織)

文芸

連載小説

扁鵲(へんじゃく)(4)

− 孟子(もうし) −

「もしかして、蘇秦(そしん)殿か」

輜車(ししゃ)から降りてきた人物を見て、子陽(しよう)がいった。

「これはまた、どこかの使者のようですな。行きと帰りでは服装まで違っている」

「喜んでくだされ。子陽殿。燕(えん)の文侯(ぶんこう)殿より大事なお届けものを預かっての旅でござる。やっと私も日の目を見ることが出来ました」

扁鵲、子豹、子明も表へ出てきた。

「立派になられたな。蘇秦殿」

扁鵲が喜びの声をかけた。

「それもこれも扁鵲殿や子豹殿に助けられたおかげです」

「子明の予言はよくあたるな」

子陽も喜びを隠さなかった。一年ぶりの再会であった。扁鵲の平屋は蘇秦一行でいっぱいになった。

積もる話が一段落したとき、蘇秦は扁鵲にいった。

「扁鵲殿、洛陽へまいりませんか。周の洛陽は私の故郷です。今は発展がなく出稼ぎが多くて、残っているものはお年寄りが多いのです。扁鵲殿に来ていただくと助かります。どうかお考えになってください。粛侯(しゅくこう)殿を説き魏の恵王(けいおう)殿を説いて洛陽へ向かいます。どうかご同行願えないでしょうか」

「お年寄りを大事にする土地柄と聞いています。それも良いかも知れないな」

扁鵲は真剣に考えていた。

「私は粛侯殿に会ってまいります。その間にお考えを」

蘇秦が帰った後、扁鵲は弟子を一堂に集めて洛陽へ移ることを伝えた。

「ここには子儀に残ってもらう。子儀の腕はかなりのものになっている。特に婦人の病については、子儀に叶うものはなかろう。邯鄲は歓楽の街だから婦人の患家が多い。ここは子儀に任せて、私は洛陽へ行きたいと思う。蘇秦殿と同行し、大梁より洛陽へ向かう」

皆新しい土地は望んでいた。特に子豹は剣を捨てて、身体がなまっている。剣を捨てたとはいっても、時々は素振りなどをやって、身体を維持している。しかし、それでは足りない。

そのうえ医の道に入ってはみたが、思ったより難しく、毎日同じことの積み重ねで、子豹の気分は晴れない。むずむずしているところに今回の話だ。

− 蘇秦も良い話を持ってきてくれた

子豹は新天地が今から待ち遠しかった。

二三日して蘇秦から連絡があった。

〈明日出発いたします。扁鵲殿ご一行の輜車はご用意しております 蘇秦〉

牘(とく)(木簡)にはそのように記されていた。

− 粛王の賛同も得られたのだな

扇鵲はすぐに思った。

− 次は魏の恵王殿だな。蘇秦殿も大変だ

「今日のうちに用意を。子陽は鍼を忘れぬように」

「鍼は忘れはいたしません。それより私は先生から教えて頂いております脈についてまとめております。それこそは命に変えても大事なものでございます」

「子陽は熱心だな。まだまだ子陽の医の腕は上がるぞ」

「ありがとうございます。よろしくご指導をお願いいたします」

後に子陽のまとめたものが「扁鵲の脈書」として残る。

子陽が奥で木簡をまとめていると、子明が近寄ってきた。

「子陽。先生と何を話していたんだい」

「子明か。私は脈について、先生の言葉をそのつど書き記している。今ではそれが私の命の次に大事なものだと申し上げていたのだ」

「子陽は熱心だからな」

「しかし最近、先生は本当に脈を診ているのだろうかと思うことがある」

「扁鵲殿は必ず脈を診られる」

「病を診るのに、切脈 望色 聴声 写形がある。扁鵲殿はそれぞれ行ってはいる。しかしそれは形だけでやっているのではなかろうか。何もしなくても本当はすでに病が見えているのではないかと思うことがある」

「よく分からないが」

「薬王樹(やくおうじゅ)というものを聞いたことはあるか」

「うむ」

「薬王樹の前に立ったものは、その身体が透けて見えるという」

「扁鵲殿もそのような力があるのではなかろうか」

「まさか」

「私の思い過ごしかも知れぬが、扁鵲殿の医のすごさは底知れないものがあると、私は最近そう思っている」

翌日、蘇秦の使いのものが輜車三乗を運んできた。使いのもの二三人が手伝って荷物を運び込み、出発した。

しばらく行くと、人だかりがあった。

「何だろう」

扁鵲がいった。

「行列のようです。それを見物しているのでしょう」

子陽がいった。

「私が見てきましょう」

子豹が扁鵲をみて走っていった。

「大変です」

戻ってきた子豹が興奮していった。

「あれは蘇秦の行列です。どこが先頭なのか分かりません」

「大変なことになったな」

扁鵲も驚いた。その時、使者のものが後ろから駆け寄って、

「蘇秦殿は前方でございます。案内いたしますので」

そういって人だかりを分けた。

行けども行けども先頭にたどり着けない。

「いったいどこまで行くのだ」

子陽がいった。

「まだ先があります」

子豹が手をかざしていった。

ようやく先頭にたどり着いた。

蘇秦が扁鵲を見つけて、

「扁鵲殿申し訳ありません」

上気した顔で謝った。

「大変なことになりました。六国を巡る大仕事になりました。忙しくて、つい不義理をしてしまいました」

「そんなことは良いが、この従者の数は一体どうしたのだ」

「粛侯殿がどうしても連れて行けというものだから大変なことになりました」

「六国の使者だから、それくらいは要るのだろう」

子豹がいった。

「これは子豹殿」

蘇秦が子豹を見て、輜車の後ろを探った。

「これは楚で作られた名剣です。越(えつ)の欧治子(おうじし)と並ぶ風胡子(ふこし)の作です。これは子豹殿に使っていただくのが一番良いと手元においていたのです」

「子豹は剣を捨てたのだ」

子陽がいった。

「いや、まて」

子豹が慌てていった。

「風胡子の作とは、蘇秦殿まことか」

「まことです」

子豹は剣を技いた。ずしりと手応えがあった。

「うーむ。確かに名刀」

「子豹殿、如何です」

「うむ。いざというときのために戴いておこう。蘇秦殿、かたじけない」

「迷いが多いのう、子豹は」

扁鵲が笑った。

数日して大梁に着いた。

しばらく行くと、横路から別の行列が現れた。数十台の馬車と百名ほどの従者が、だらだらと蘇秦の前を横切る。

「長い行列だな。しばらくかかるぞ」

蘇秦が従者にいった。

「後ろのものに止まるように指示してくれ」

次々に後列に伝達された。蘇秦の行列は整然としていた。

「恵王殿でしょうか」

子陽が扁鵲にいった。

「いや、従者が違う。あれは護衛ではない」

「確かに。それでは」

「分からぬ」

前の行列が止まった。

従者の一人が走りよってきた。

蘇秦をみて、

「どなたか存じませぬが、私どもは孟軻(もうか)の一行です」

「孟先生か。名前はお聞きしています。私は蘇秦と申します」

「長い行列でご迷惑をおかけしております」

「それはお互い様です」

「道の途中で立ち止まりましたのは、急病人がでたのです。医者を連れてはおらず、難渋いたしております」

「どなたです」

子陽がいった。

「弟子の孟仲子と申すものですが、突然の腹痛で苦しんでいるのです」

「ちょうど良かった。扁鵲殿がいます」

蘇秦がいった。

「扁鵲殿といえば邯鄲ではありませんか」

「邯鄲から来たのです」

「扁鵲殿なら願ってもないことです。よろしくお願いいたします」

扁鵲は子陽、子豹、子明を伴って従者についていった。

「私は孟軻と申すもの。ご迷惑をおかけします」

孟子がいった。

「私は扁鵲といいます。孟先生のお噂は聞いております」

「扁鵲殿か。噂に高い名医に診てもらうとは仲子も幸せものだ。弟子が急に腹痛を起こしまして、難儀しているところです」

扁鵲は患家をみた。脈を診て、

「子陽、鍼を」

といった。子陽はすでに鍼を研いでいる。子陽が鍼をすると仲子の痛みが嘘のようになくなった。

「見事だな。さすがは、名医といわれた扁鵲殿。少し屋敷で休んでいかれないか」

孟子が扁鵲を見た。

「それでは官舎に落ち着いてから、蘇秦殿とお伺いします」

行列が再び動きだした。

蘇秦は先に使者を恵王にやって、人数をあらかじめ知らせてある。官舎は三カ所に分かれた。

蘇秦は翌日登宮する予定だが、恵王とはどういう人物か知らなかった。孟子が誘ってくれたのは情報を得る好機だった。

孟子の屋敷は驚くほど広かった。

「私は恵王殿の師だと思っています」

孟子は蘇秦にいった。

「国賓だと思っておりますので、これくらいの待遇は当然でしょう」

− 自尊心の強い男だ

蘇秦は孟子を見てそう感じた。

「春秋の頃、孔子が仁を説いた。私は戦国にあって仁義を説いている。孔子の意志を継ぐのは、戦国にあっては私をおいてほかにいない」

蘇秦は少しうんざりしていた。蘇秦が聞きたいのはそういうことではなかった。明日お会いする恵王のことである。

「恵王殿は仁義をどのように」

蘇秦は矛先を変えた。

「先日恵王殿は、私に質問をされた。斉や秦より奪われた失地を、どのようにして回復すれば良いかと聞かれた。私は仁なるものに敵はないと説いた。政治に仁を尽くせばどこにも負けるということはないのです」

「なるほど」

蘇秦がいった。

「馬陵でホウケン殿が亡くなっておりますし、その後商鞅(しょうおう)に太子を略殺されていますから、恵王殿はさぞかし落胆されているのでしょう。国都の安邑(あんゆう)が秦に近いので、大梁に遷都なされた。恵王殿の心痛も察せられます」

「蘇秦殿は恵王殿のことを聞きたかったのですな」

孟子は蘇秦を見つめて続けた。

「ホウケン殿が亡くなってから、私は恵王殿に面会にいった。確かに恵王殿には気魄というものがなくなっているように感じる。ところで蘇秦殿はどうして恵王殿に会おうとなさっているのか」

蘇秦は六国同盟の『合従』(がっしょう)のことを孟子に話した。秦に対抗するにはそれしかない。蘇秦は心からそう思っている。しかし孟子はあまり興味がない。

− 策略で世を動かせるか

孟子はそう思ったが、口にしなかった。

「頑張ってなさるとよろしかろう。それより扁鵲殿、今日は大変なところを救っていただき感謝のしょうもない」

「当然のことです。お気遣いなさらぬよう」

「そういって頂くと気が安まる。ところで私は、扁鵲殿がカクの太子を生き握らせたという噂を聞いている。一度死んだものを生き返らせることが出来るのか」

「孟軻殿、それは間違いです」

扁鵲は慌てて訂正した。

「カクの太子はまだ亡くなってはいなかったのです」

「医をやっている中庶子がはっきりと亡くなったといったそうだが」

「いかにも亡くなったように見えるけれど、実際にはまだ息があったのです」

「医は誠に不思議なものだ」

孟子は感心した。

「恵王殿にも何か処方をされては如何であろう。あのようにふさぎ込んでいると病気にもなろう」

「確かに。良工は未病を治すといいます。病になる前のその兆しを知り、手当をするのが名医なのです。湯剤を考えておきましょう」

「私は久しぶりに良い客を得た」

孟子は扁鵲にそういうと笑った。


翌日蘇秦は恵王にあった。

燕と趙からの贈り物を差し出すと、恵王は喜んだ。

「わたしとしても自ら争いたいとは思ってはいない。文侯殿や粛侯殿が賛同しているならわたしとしても異論はない」

蘇秦は詳しく『合従』の話をした。

燕 趙 韓 魏 斉 楚

六国が連合して、国力を増してきた秦に対抗しようというのだ。

一、もし楚が秦より攻撃を受けた場合

二、もし韓・魏が攻撃を受けた場合

三、もし斉が攻撃を受けた場合

それぞれに他国の動くべき行動をきめ細かく決め、違反すれば他国より攻撃されるというものだ。

「すばらしい」

恵王は聞き終わると感激した。他国への土産を持参させ、さらに蘇秦への褒美の品を与えた。 蘇秦は、その場で燕と趙への使者をたてた。

〈魂の恵王殿の贈り物です。恵王殿も喜んで賛同されました。旅を続けます 蘇秦〉

牘(木簡)にはそのように記されていた。


洛陽ののどかな街に異変が起こった。

「あんなに輜車がたくさん」

「どこかの国の王様でしょうか」

「最後がどこか見えない」

あちこちに人だかりが出来て、そんな囁きが聞こえる。

蘇代(そだい)は表に出てみた。

− 何だろう。あの人だかりは。洛陽にあのように大層な行列が通るとは。

蘇代の経験にはなかった。

行列はこちらに向かってきた。そして、蘇代の家の前で止まった。

先頭の輜車から立派な装束の男が降りてきた。懐かしそうに蘇代を見た。

− 蘇秦に似ているようだが、まさか蘇代はふと思った。が、その男の目的が自分であることなど、まったく考えもしなかった。

「兄さん」

その男がいった。

「もしや蘇秦か」

「はい私です」

「本当に蘇秦か」

「本当に私です」

「立派になったな」

「約束を守りました」

蘇秦は兄の手をとっていった。

「ご心配をかけました」

「一年待って帰ってこないから、どうしているのか心配であった。どこかで野たれ死んでいるのではなかろうかと心配していたが、立派になって」

「色々ありました。積もる話があります」

「そうか」

「とりあえず私は周王にご挨拶してまいります。従者が多いので、官舎をお借りしてきます。積もる話はその後で」

「うむ」

「それから兄さん、名医の扁鵲殿が洛陽で暮らされるそうです。もうこれからはお年寄りも大丈夫です」

「扁鵲殿といえば、カクの太子を生き返らせたという名医じゃないか。そのような方がどうしてこの洛陽へ」

「お頼みしたのです」

「ありがたいことだ」

兄の蘇代はそういうと、とてつもなく大きくなった蘇秦を見上げた。


蘇秦と扁鵲が周王の前に出た。

魏や趙よりの贈り物を差し出すと周王は喜んだ。すぐに官舎を用意した。

「扁鵲殿が洛陽に留まられるそうです」

「扁鵲殿か。名前は聞いている。洛陽もこれで安心だ。それではどうだろう。是非官職については貰えまいか」

「いえ、私は広く民を診たいのです」

扁鵲がいった。

「洛陽では、お年寄りを大切にされているとお聞きしています。それも周王殿の徳でございましょう。そのようなところで医を行うことが出来るのは、私にとっては願ってもないことなのです」

「よくいってくれた。屋敷を与えよう。困ったことがあったら、何なりと申すがよい。いつでも手を貸そう。それから時々は、顔を見せるがよいぞ」

扁鵲は洛陽では恵まれた。

(上村義徳)

おもひで写真館(あの時、君は若かった)No.2

「テニス馬鹿」を卒業西支部 西部会 津田薬局 津田和敏

母校である中学校の正門前に、私が小5の時母がパン・牛乳の店を始めてから目が中学校へ向き、浮々して中学へ入学「さあ、部活だ」と卓球部へ入部。しかし仮入部で止めてしまった。

また今では、サッカー・ラグビー・野球と全国に名を成す程、部活の活発な高校に入学したが全国大会に出場するのは当時では卓球・ボクシングくらいだった。1年生の時体育を担当された先生からボクシング部に勧誘され、幾度か体育教官室に呼ばれ、あわてて眼鏡を常時掛け、バスケット部へ入部した。勿論好んで入った訳でなく、ここでも1学期も続けることはなかった。

しかし、大学では入学式当日に硬庭部に入部し1年どころか5年間も活発に走り回った。長くとも4年でいいところちょっとオーバーしている理由はここでは説明しなくとも分かるだろうが、この5年目が最も猫の額程のキャンパスを走り回った時期だ。

ここで運動音痴の私は体力を付けたのである。何しろ前・後期各2科目しかなかったし、自宅通学でバイトもやったことがなく時間だけはたっぷりあったのだから。だがラケット技術は上達せず、ネットプレーがいやなものだからストロークを何分もペタンペタンと続けて走る走る。このしつこさで3年生の時熊大での九薬連個人シングルスで優勝することができ本人は大満足、親は大迷惑な1年を過ごした。

今も、やはり学校から離れきれず、母の店に薬品を加え12年目を迎えている。そして、店から長男の部活(野球)を眺めながら市薬のソフトボール大会に向けイメージトレーニングをしている。『ようし、平成12年度ソフト頑張るぞ』と、「テニス馬鹿」もすっかり卒業し「市薬ソフト馬鹿」に変身中の今日このごろだ。

(ポツリ・・いや〜テニス馬鹿時代に戻れるものなら戻りたい)

<市薬薬局のコーナー>

会員の移動

訃報

  西支部 壱岐部会 大晃調剤薬局(有)

  須賀原彦光 様 が

  9月22日にご逝去されました。ここに謹んでご冥福をお祈りし、ご通知申し上げます。

会 務 日 誌

8月3日 福大病院薬剤部勉強会              19:00
  4日 三役会                     19:30
  5日 急患委員会                   19:30
  6日 学術委員会                   18:00
     吉村剛太郎セミナー(ニューオータニ)      14:00
  7日 山崎拓政策提言セミナー(ニューオータニ)    13:00
  12日 市介護保険策定委員会(天神ビル11F)      14:00
  17日 学術研修会                   19:00
  18日 三師会懇親会(三光園)             18:00
  19日 三役会                     19:30
     広報委員会                   19:30
  20日 「処方説明会集」打合会             19:00
     市国保運営協議会                15:00
  25日 理事会                     19:30
  26日 処方説明会                   19:00
  27日 ろうあ者社会生活教室(プラザ6F)        18:30
  29日 県薬議員懇談会(ニューオータニ)        10:00
  30日 市高齢者サービス総合調整会議(ガーデンパレス) 15:00
     広報委員会                   19:30
9月2日 学術委員会                   18:00
     監査会                     18:00
  3日 西給水四国地区34条研修会(徳島県)       13:00
  4日 学薬研修会                   17:00
  5日 薬局実務研修会(第1日)            9:45
  6日 市薬薬局委員会                 19:00
  7日 福大病院薬剤部勉強会              19:00
     広報委員会                   19:00
  8日 定款委員会                   19:30
  9日 三役会                     19:30
  10日 組織委員会                   19:30
  12日 介護認定審査員研修会(県薬)          14:00
     薬局実務研修会(第2回)            10:00
  14日 在宅医療委員会                 18:00
  17日 医薬品集編集委員会               19:00
  18日 代議員会議事運営懇談会(千太)         18:30
  21日 支部長会                    19:30
  22日 第320回理事会                  19:30
  24日 処方説明会                   19:00
     地域医療問題市議懇談会(タカクラ)       18:00
  25日 薬局委員会(製剤)               16:00
  26日 市薬会員薬草観察会   29日 選挙管理委員会(第1回)            19:30
  30日 酉給水協管理部会(リーガロイヤル小倉)     13:00
10月2日 13大都市医師会連絡協議会「懇親会」       18:30
  3日 あいれふ薬草観察ウオーキング(曲渕ダム周辺)  8:30
  4日 三役会                     19:30
     広報委員会                   19:30
  5日 福大病院薬剤部勉強会              19:00
  8日 組織委員会                   19:30
  15日 市介護保険事業計画策定委員会(国際ホール)   13:00
  16日 12大都市薬剤師会連絡協議会(千葉市)      13:00
     吉村剛太郎政経報告会(ホテルオークラ)     7:45
  17日 親善ソフ下ボール大会              9:00
  18日 広報委員会                   19:30
     介護保険業務に関する研修会           19:00
  19日 薬物療法研究会                 19:00
  20日 薬事功労者知事表彰祝賀会(エクセルホテル)   16:30
     第321回理事会                  19:30

[編集後記]

〜充  実〜

薬物乱用防止のシリーズも8回を数える。今回は特に覚せい剤が取り上げられている。いま最も乱用されているものだけに興味を引く。また手記や告白などの生の声もありすばらしいものに仕上がっている。更に新シリーズの「米国の薬学教育」は日米の薬学事情の違いを浮き彫りにし、薬学界の方向性に示唆を与えるものであろう。その他、健康づくりセンターより「あいれふ薬草ウオーキング」、女性薬剤師会より「保育園における投薬について」の話、また「書いていい友=」では囲碁の話ありで充実した11月号となった。

(上村義徳)

〜身近な人の薬にも関心を〜

アジア映画祭で、韓国映画の「マヨネーズ」を見た。内容は韓国儒教社会の倫理観の中で、親の面倒を見ようと努力する娘と、親への孝を強要する母親との日常の葛藤を描いている。私は心臓も悪いし、糖尿病だし、腰も悪いと愚痴をこぼしながら、何かというと薬ばかり飲んでいる母親、時に洗面所で昏倒していたり、時に非常に落ち込んでいたかと思うと、はしゃいで歌を歌ったりする。

私にとっては不快な映画ではあったが、見ている内にこれはハイミナール中毒ではないかと思うに至った。母親の奇異な行動に娘は怒りながらもとまどいを見せている。しかし、それらの母親の行動が薬によるものではないかという疑念を娘は一度も抱かないのだ。幼い頃の回想シーンでも、嫌な事が有ったとき、決まって薬を飲んでうとうとする母親というのが出てくるのに、娘は薬に疑問を抱かない。結局、薬に無関心なのだ。

一般の人にとっては薬は治すのが当たり前で、治るために飲んでいると思う薬に何の疑いも持たないのだろう。自分の飲む薬には神経質になっても、たとえ肉親のでも何を飲んでいるかはよほどの事がない限り見過ごしているのではないか、ここに薬物乱用の落とし穴があるのではないかと思うに至った。副作用を回避し、薬物乱用防止活動を推し進めるには、身近な人の薬にも関心を持って下さいと一般の人々に訴える必要があるのではないかと思う。

 (鮫島千織)

〜スクール〜

「フラメンコ教室」ではないが、私も週1回「テニススクール」に通っている。健康作りもだが、一番の目的は、いろんな職業の人と話ができ、勉強になるからだ。先日、いつもの薬剤師の飲み仲間に、この事を話したら、数名が目的はわからないが、それぞれ興味のあるテニス・スカッシュ・ピアノ等のスクールに通いだしたとのこと。きっとタメになることがある。頑張れ!

(森山健次郎)

〜薬剤師の祭典〜

10月30・31日と九山宮崎大会に出掛けた。福岡市薬からは、学校薬剤師部会で木原三千代先生、女性薬剤師部会で女賀信子先生、開局薬学部会で我が広報委員会の才媛伊東美穂先生が発表された。図らずも女性ばかりの発表であったが、それぞれに知的で頼もしく麗わしい。

大学別懇親会も、いつもながら時を忘れ年を忘れる楽しい一時だ。毎年地元の先輩後輩たちが暖かくもてなしてくれる。本当にありがたい。来年は大分、そして再来年は福岡。皆さんも、もっと気軽に参加してみてはいかがだろう。薬剤師の祭典でもあるのだから。

それにつけても会場はせっかくのシーガイヤ隣り。水着を持って行くのを忘れたのはうかつであった。

追伸:新年号に九山特集掲載予定。みてね!

(北島啓子)

  

平成11年11月15日発行
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会 TEL 092-714-4416
FAX 092-714-4421
担当副会長 合 澤 英 夫
常務理事  北 島 啓 子
委 員   石 井 雅 明br>       伊 東 美 穂
      上 村 義 徳
      鮫 島 千 織
      津 田 和 敏
      戸 田 昭 洋
      森 山 健次郎
発行人   藤 原 良 春
発行部数  1、3 5 0 部
印刷所   (有)興英社印刷