■ 巻 頭 言
薬 剤 師 は 今 (社)福岡市薬剤師会 副会長 合澤英夫

福岡市薬剤師会は現在、激動の時であり、混乱の時であります。対外的には、かかりつけ薬局の啓発、公民館活動、市民対象の講演会、介護保険への参画、健康フェア、行政・医師会・歯科医師会との連携、政治連盟活動、その他、内的には、各種研修会、分業推進、院外処方せん窓口業務、広報活動、市薬薬局の運営、試験センター、親睦、又それぞれの委員会活動、支部の事業等、翼を一杯に拡げて飛んでいるように思います。更にこれからも又、その事業は拡大の一途をたどると予想されます。特に対外的には、好むと好まざるにかかわらず、社会的要求として、そのような状況になると考えられます。そしてその事は福岡市薬剤師会が長い活動の末に、勝ち取って来た証しでもあります。

而し、事業を推進していく為には、人・物・金が必要です。現在の薬剤師会では、その総てが不足気味のようです。今の執行部が、次代の指導者を育成する事が出来なかった点については責任を痛感しています。唯、日常の業務に追われて将来的展望を描く余裕さえなかった事も又事実です。薬局は、調剤薬局も含めて、その経営はますます厳しく、困難になりそうです。而し薬剤師は、社会的に医療の重要なる部分を担う陽の当る職業になっていきます。この事を充分認識し、リーダーシップがとれる人達が必要です。出来れば若い世代の人達にがんばっていただきたいと願っています。

薬剤師会の財政が厳しく、苦しい状態である事は御存知と思います。簡単に云えば、収人が減少し、支出が押えられない状況です。収入は、会費、特別会費、入会金、試験センター契約料、行政との契約事業、補助金等でしたが、不況、規制緩和等により10%近く減少しました。事業は前記のように拡大の方向です。現在千早病院の院外処方に対して総力を上げて取組んでいますが、この傾向はますます大きくなります。次年度、直ぐに大きな改革の必要はありませんが、数年先を見極めた将来展望、設計をすべき時期に来ています。

それにはどうしても人が必要です。会員の皆さんの叡知を結集して、金・物を創り出す事です。薬局、薬剤師は今大きな分岐点にあります。私達薬剤師は長い時間、社会に埋れた時代を経て、やっと社会の第一線に踊り出たばかりです。懸命の努力で、その地位を確立し、それを後世に引き継いでいく義務があります。

福岡市薬剤師会は、ここ数年間、分業先進地として、全国各地の薬剤師会より多数の見学者が訪れました。研修、備蓄情報システム、市薬薬局の運営、.在宅医療モデル事業等、全国に誇れる事業を為し遂げています。これ等の事業を引き継ぎ、栄光ある福岡市薬剤師会の発展を切に祈ります。

<3回シリーズ・米国の薬学教育> 第3回 米国の薬学生 − 遂にNo1の座から陥落!? − 早良支部 西新部会 大賀薬局 西新店 平山徹

前回は予定を変更して米国薬剤師の信頼度に関する世論調査のご紹介をしましたが、今回は第1回の続きとして米国の薬学生についてご紹介したいと思います。

ファーマシースクールと在籍学生

1999年4月現在、米国には55校の州立大学薬学部、26校の私立大学薬学部及び薬科大学、合計81校のファーマシースクールがあります。1999年9月の時点で、約33,000名がそれらに在籍しており、その内訳はPはm.D.課程(6年間の標準修業年)に約20,800名、B.S.(学士)課程(5年間が標準修業年)に約12,200名です。(1) 学生の男女比は男子学生:女子学生が約1:2で、過半数を女子が占めており、私の母校であるMassachusetts College of Pharmacy & Health Sciences(以下MCPと略)においても過半数は女子でした。1997年から1998年にかけての1年間にPはrm.D.課程から約4,800名、B.S.課程から約2,600名、合計約7,400名が全米のファーマシースクールを卒業しています。(1)

余談ですが、もし日本であれば1校あたりの平均在校生数が33,00名/81校=約400名で、1学年あたりの平均学生数は約100名(400名/4学年)であると概算できるのですが、米国の場合には図1のようにPはM.D.課程とB.S.課程が混在することに加えて、2年間の教養課程を設置してない専門翠程のみのファーマシースクールもありますので単純に計算できません。

留学当時、MCPには約1,100名がB.S.課程に在籍しており、教養課程(1・2年)に約300名、専門課程(3・4・5年)に約800名といった変則的な構成でした。このことは、専門課程のクラスがMCPの教養課程を終えた学生と他校の教養課程以上を修了した学生(学士保持者を含む)の混成クラスになることを意味しています。このシステムは、大学間または学部間を転校・転部することが頻繁に行われている米国では珍しいことではありません。さまざまなアカデミックバックグランドや社会経験を持つ学生を在籍させることにより学内における教育と研究活動を活性化させるために多くの米国の大学が採用しているシステムです。単一性を善しとせず多様性を尊重する米国社会に通じるのではないでしょうか。

MCPの学生

第1回で述べましたが、私のMCPを卒業する条件はすべての専門課程と教養課程の1/4程度の単位取得でした。そこで、つい日本的発想から、それならば2年生の途中に編入するんだと思い込んでいました。ところが、入学初日に学校へいってみると新3年生と同じように専門課程の授業を履修するような扱いになっていました。これは何かの間違いではないかと学校に尋ねてみると、専門課程には1年に1度しか開講しない必修講義もあるので事情の許す限りこれらを優先して履修させ、教養課程の授業(毎学期開講している講義が多い)は学生に時間的・経済的(授業料は単位毎に毎学期支払う)余裕がある学期に受けさせるための配慮だとの回答でした。日本の教育制度による学年とか何年生という区切りに慣れていた私にとっては入学初日から驚かされました。更に、当時MCPでは単位による卒業制が導入されており、5年制の学士課程でも高校卒業後4年間程度で卒業に必要な単位を取痔することが一応可能でしたので、学校に4年しか在籍せずに卒業する学生もいましたし(このようなチャレンジャーは少なかったのですが)、逆に何らかの理由で5年以上かけて卒業するということも珍しくありませんでした。

図1.ファーマシースクールのさまざまなプログラム

 

さて、上述した経緯によって入学後いきなり専門課程の講義をいくつか受けることになったのですが、クラスには高校卒業後3年目の学生たちのほかにもさまざまな背景を持った学生がいました。他の大学を卒業してすぐにMCPに編入してきた学生、病院の元事務員、大手コンピュータ会社元従業員、北西部の小さな空港の元管制官など、私のまわりだけでも思い浮かぶだけでこのような社会経験を持つ学生がいました。

また、私のような留学生も全体の1割弱程度在籍していました。留学生の出身国もアジア、アフリカ、中近東、中南米、ヨーロッパの国々と多彩でした。私の記憶では、アジアでは韓国、台湾、香港、フィリピン、マレーシア及びインドが留学生の主な出身国でした。入学1年目は私が唯一の日本人留学生でしたが、2年目からは高校卒業したての日本人が入学して計二人になり、日本語で会話ができるようになったことに喜びを覚えたものでした。

MCPの学生生活

MCP入学前に私がファーマシースクールに入学することを米国のある総合大学を卒業した知人に話したところ、彼が通っていた大学のファーマシースクールの学生はいつもテストの勉強やプレゼンテーションの準備をしていて他の学部の学生よりもかなり勉強しないと卒業できないようだったと冗談まじりに脅されたものでした。さて、実際に入学してみますと、やはり彼の言葉どおりの状況でした。教養課程はそれ程でも・ないと感じましたが、専門課程では一学期間にひとつの科目について3、4回のテストやレポート提出があるためにすべての科目を合わせると毎週のように試験かレポートの準備をすることになりましたし、それらの結果が合格ラインをクリアできなければ情け容赦ない再履修(もしそれが年に1回しか開講されていない科目であれば、事実上の留年)が待っていましたので米国人でさえなかなか息をつく暇がない生活を送っていました。ましてや英語が母国語でない私は残念ながら彼らより多くの時間を費やさなければならず、当初は果たして卒業できるのだろうかと不安と焦りを覚えたものです。

また、専門課程になると学生は少ない余暇を利用して(無理矢理作って)薬局や病院の薬剤部で調剤助手のアルバイト又はボランティアを始めます。これは卒業に必須ということはないのですが、第1回目でお話ししたように高学年になるにつれ講義と実習が薬局業務をある程度知っているという前提で進められますので働かざるを得ないということもありますし、次のセクションで述べる薬剤師免許との絡みもあってほぼ100%の学生が経験します。

ところで、学期中の学生の息抜きといえば金曜日の夜に学校の近くにある飲み屋(いわゆる映画にでてくるようなカウンターで注文して現金と品物を交換する立ち飲み形式のバー)に行ってビールを飲みながらわいわいと騒いだり学校の愚痴を言ったりすることで、僕にとっては本場の非公式(?)な英語を吸収する時間でもありました。また、最近日本でも少し耳にするようになったメジャーリーグチーム、ボストンレッドソックスのホームグラウンドまで自宅から徒歩で20分位の距離だったこともあり、野球観戦にちょくちょく行ったりもしました。

インターン制度

米国のすべての州において薬剤師の免許を取得するための条件のひとつとして、薬局で一定時間以上のインターンを行わなければなりません。インターン時間数やその詳細は州によって違いはあるのですが、マサチューセッツ州では専門課程の1年目から受験までの間に1,500時間以上のインターンの経験を積むことが課せられていました。MCPの場合、約700時間の実務実習を履修しますので残る800時間を自分で病院や町の薬局の中からインターンの職を探さなければなりませんでした。ここでのインターンとは薬剤師の助手としてクラスメートと学業の合間に通常有給で薬局スタッフとして働くことですが、薬局側からしてみればインターンの学生は必要不可欠なマンパワーであり、学生にとっても薬局実務を会得できるとともに先輩である薬剤師の話を身近に聞くことのできる絶好の機会でもあります。更に、インターン先の薬剤師や経営者に認めてもらえれば卒業後に正社員の薬剤師として雇われることも珍しくはありません。このインターン制度によって新卒の薬斉摘市でも既に8カ月以上の実務体験のある即戦力として就職していきます。

薬学生の進路

薬剤師試験合格率と同様に卒業生の就職先についても学校から公表された資料を見たことがありませんし、私も友人たちも学校から就職先について質問を受けたことはありませんので学校は正確に調査していないのではないかと思います。つきましては、以下の数字に関しては私の推測になります。

私の在籍時のMCP卒業生は5年制のB.S.課程修了者であるため、過半数がチェーン薬局を含めた町の薬局に、そして、2割から3割程度が病院などの調剤を担当する薬剤師(staff pharmacists)として就職したのではないかと思います。残りの1割程度が大学院などへの進学組またはその他の就職といったところではなかったかと推定します。誤解のないよう補足しなければなりませんが、一旦就職しても数年後に退職して或いは勤務しながら大学院やPharm.D.プログラムに入学することも珍しくはありません(Pham.D.プログラムへの進学は多い)ので、ファーマシースクールの5年制課程の卒業生が1割程度しか進学しないというのは「卒業時に」という条件付きです。

余談になりますが、ファーマシースクールの大学院(Pham.D.プログラムではありません)について少々触れます。MCPを含めて米国の薬学大学院には主に薬剤学系、薬理学系、医薬品化学系及び社会薬学系の4大分野があります。日本の薬学大学院に比べると守備範囲が狭いのですが、化学系、生化学系、毒物学系、微生物学系などは通常それぞれが独立した大学院として設置されています。このため日本の薬学部の先生方の中で米国の薬学部の研究室に留学された方は少ないのではないかと思います。それから、もう一つ特徴的なこととして、日本において薬学大学院院生のほとんどが薬学部卒業生であるのに対して、米国では日本ほどファーマシースクール卒業生の割合は高くはありません。MCP在籍中、大学院の学生にその理由について尋ねたことがあるのですが、「薬剤師は比較的高収入のうえに求人が無いということもない安定した職業なので一度薬剤師として働き始めるとよほど研究が好きで興味がない限り大学院には進学しないのではないだろうか。それに、もし大学院を修了して博士を取得しても就職先が
簡単に見つからなかったり、良い職にめぐりあえたとしてもリストラの心配がつきまとうだろうし……」と苦笑いしながら話してくれたことがあります。また、他の学部出身者や留学生に対して米国大学院の門戸が広く開かれていることもファーマシースクール卒業生の割合が低い理由のひとつではないかと思います。

以上、3回にわたって米国の薬学教育と学生ならびに薬剤師の信頼度について紹介させて頂きました。拙文にお付き合いいただきありがとうございました。

できる限り客観的にそして裏付けにもとづいた私見を述べるよう配慮したつもりですが、無理のある展開を感じられた箇所が多々あったかと思います。また、読者である先生方が興味又は疑問をいだかれているであろう内容を中心に構成したつもりではありますが、すべてを網羅できていないと思います。

何かご意見やご質問がありましたら、電子メールアドレスHirayama@pobox.comまでご遠慮なくお問い合わせ下さい。

【参考ウェブサイト】
(1)American Association of College of Pharmacy "Academic Pharmacy Is Vital Statistics" http://www.aacp.org

<会員の広場> 店 頭 雑 感 博多支部 雑餉部会 薬局ハルズミ南福岡 堀江秀男

いよいよ介護保険制度の導入が近づきました。少子高齢化社会に対応するため福祉の面はもとより医療保険にも少からず影響してくると思います。私は45年の薬局経営の中で多くの環境の変化を見てきました。1週間分業、分業推進月間等で医師会に協力をお願いに参上したことも思い出されます。分業の進展はこの10年で加速され順調に推移していると考えますが、一方0.T.C分野は距離制限の撤廃後、中小薬局の増加林立で廉価販売時代が続き、その後安定期を迎えて薬局需要が順調に発展したように思われます。が昨今は如何でしょうか。調剤薬局と大型ドラッグの多店舗化でその数を増し、個店薬局が急速に減少閉店に追い込まれていることはご存知の通りであります。

車社会の現在、駐車場つきの大型店で廉価で一般薬を求められることは消費者から見れば、まことに結構なことです。多品目大量陳列であれば経費と回転率の関係で薄利多売を余儀なくされ、ひいては採算度外視の営業もせざるを得ないのが実態と思われます。

さて吾々薬剤師は処方箋調剤と医薬品供給により地域住民の健康増進に寄与する使命を与えられています。その職能が国民に認知されるか否かで薬剤師生命は決するのです。薬のプロとして又保健衛生のプロとして認められるよう日々研鉾の必要があります。

コンビニが大成功で繁盛してるようですが、目で見て解る商品、日用品を自由に客が選んでレジに連ぶ、店員が品物を見てレジに打込む。愛想よく「又おいで下さい」とうたい文句で客を送り出す。確かに利便性でよく利用もするのですが、店もコンピュータ管理と回転率で営業成績は上るのでしょう。医薬品はパン、牛乳、文具とは当然異なりますので大型店ドラッグでは、そのようなことはありませんが、如何でしょうか。

一般用医薬品の服用法の他注意点等は述べられるのは当然ですが、大型店の性格上ややもすると商品とレジの関係が濃厚になって無機的に営業が行われていやしないか危慎するのは私の偏見でしょうか(説明不要の商品も多いが)。

現代、消費者はそれぞれの品物を求めるのに3つの店舗をもっていると云われています。電器製品、食品、家具…品物の種類、格に合せて店舗を選ぶと云われています。医薬品も然りで日常薬、専門薬、体質改善薬等分けて購入しているものと思われます。平易な日常薬は自己選択で充分でしょう。専門的な薬剤、体質に関る薬剤等、又より安全で確かな薬品を望まれる方々は懇切に対応する薬局薬剤師に求めるはずであります。選ばれる薬剤師になるために、より安全で有効性のある薬剤を、より効果的に提供する努力をせねばと考えています。

信頼される薬剤師になるには如何すべきか、客、患者を信ず争ことかも知れない。薬と消費者の関係で多くを済ませて、薬の説明に労作の大半を費やしていやしないか。信ずるとは人に物言うことである。客に申しのべ、その人の中に少しずら入りこまねば本当の苦情や聞きたいことも引き出せない。薬と消費者と自己との三つ巴が確立して客ははじめて信頼して相談にも口を開く。私は常々、薬屋さんにはならないと自分に言い聞かせる。お客を信じ、お客を知り、自分を知って貰う。人間関係があれば、絶対に信頼客として自分の薬局にくる筈である。

患者さんに対する愛情とでも申しますか。例えば胃薬を何時も求める客に、検査は受けたか、食養生は如何か、胃薬の必要が無くなる方法はないか、また目薬を常に求める客にその都度目薬を色々と販売しているだけで良いのか、病院に行く程でないなら、何か他に問題がないのか、目薬無用の体にはなれないのか。便秘薬を常に求める客に便秘が治る方法はないのか、朝食はとっているか、午前中は如何んな生活パターンなのか、3〜5日も便秘している人に浣腸をすすめて古便を少々出して便通のつき易いように手助けしているか。患者に言われる薬のみ販売して薬屋さんをしているのではないか。笑い話だが、私が心配して薬の不要な体になったらと水を向けると“先生のような事をいってたら薬が売れなくなるよ”と返事され苦笑した事がある。確かその時“貴方が治っても未だ治らない人が余計いられるから心配ないよ”と負けずに返答した記憶がある。

厚生省からも本年は健康日本21運動なるものが発足するやに聞いているが、急速な高齢社会へ向けて、いよいよ一次医療の時代が到来している。病にならない健康づくり、運動、食事、環境等多くが問われるところ。生活習慣病の若年化も重大問題である。

吾々薬剤師は薬の安全性有効性をもって国民の健康増進に立ち向い、地域住民との日常的信頼関係の中で平易に語り、指導し、奉仕することが使命であると確信する。0.T.Cに関わる薬剤師諸君に申し上げたい。薬は売るな、薬は求められるものである。そして誰にも健康の大切さ、有難さ、楽しさを説き、情報を提供し信頼に応えられる薬剤師となりたいものである。暇はない、忙しいとは云いたくない。やるべき仕事はたくさんあり過ぎる。

<会員の広場> 薬局から飛び出そう企画第3弾
−オーストラリア編−
城南支部 友泉部会 薬局しきまち 式町寛美

青年海外協力隊として、パプアニューギニアに行っている友人がいる。薬剤師として、病院で働いている。

青年海外協力隊は、任期2年の内に3週間、近隣諸国へ行ってもいいらしい。その友人は、オーストラリアに行くと言う。それならば…と、大学の時からの共通の友人、浦ちゃんと日時をあわせて、行く事にした。オーストラリアでは、どうしても、やりたいことが有った。

【初日】

朝、4時頃ケアンズに到着。7時に行動開始。

グレートバリアリーフへ行く。やりたかったことのひとつ、ブームネッティングをする、。ブームネッティングとは、船のうしろに、引き綱のようなネットを海にたらして、そこに、人がつかまるというもの。手を離そうものなら、大海原に投げ出されてしまう。船長さんは、どんどんスピードを上げていく。人がまるごと「あらっ、さようなら」だったり、水着だけが、「あらっ、さようなら」だったり。単純な遊びなのだが、これが、めちゃくちゃおもしろい。

ちなみに、豪華な船では、こんなことさせてくれない。

それから、ダイビングもやってみた。 生まれてはじめての体験。ボンベを背負ってもぐる。世界遺産のグレートバリアリーフにもぐる。ナポレオンフィッシュもいた。 船に乗っている人は、皆、友達みたいな気分になっちゃっていた。

【二日目】

朝6時半頃、行動開始。

やりたかったことのひとつ、ラフティングをする。ラフティングとは、救命胴衣とヘルメットを着用して、岩あり滝ありの激流をゴムボートに乗って、下るというもの。「前こぎ、後ろこぎ!」の合図で進んでいく。バスの中で、川に、落ちた時の注意などを聞く。一緒に行った人の中に、「ゴンドラ船」のようにお気楽な船と間違えているおばちゃんがいた。半分泣いていたようだ。

途中、ボートから降りて、泳いだりした。
流されて、他のボートに救出されたりもした。
大騒ぎで、これまた、愉快な一日のタリー川だった。

ところが、ここで、失敗。ひざ小僧だけ、日焼け止めを塗り忘れていて、ひりひり、数日痛かった。紫外線の強さは日本の4倍だったらしい。

【三日目】

朝6時、行動開始。
1番の目的、エアーズロックへ行く。赤い大地が広がる。
まずは、マウントオルガへ行く。「宮崎はやお」監督の「風の谷のナウシカ」の舞台になった所。私達は、ナウシカになりきった。

【四日目】

あいにくの雨。エアーズロック登山をあきらめる。
がっかり気分を隠しきれないでいるところに、原住民アボリジニの言葉が、耳に飛び込んできた。「皆様が登ろうとしている岩は、歴史的重要な意味をもつ神聖な岩です。本来は、登るべきではない岩です。岩に登ってみても、岩の本来の姿はみえません。岩から離れて、暫く耳を傾けてみて下さい」 「ウルル(ェアーズロック)の伝統に敬意を払い、登らないようにして頂ければこれほど嬉しいことはありません」 それから、もうひとつ、「この土地に来て、カメラで写真を撮ることだけに専念している観光客もいますが、一体何を目的に写真を撮るのでしょうか。写真に写ったウルルを記念として、保存するのでしょうが、カメラのレンズを通してその表面を写すのではなく、内部を見ることの出来る心のレンズを使ってはいかがでしょうか」 なんだか、心にガツンときて、ほっとした。

サン・テグジュペリの星の王子さまを思い出した。「一番大切なものは、目に見えないのだ…」という一節がある。

オーストラリアを舞台にした作品を多くつくりだした、宮崎はやお監督も、そういえば、サン・テグジュペリの影響を受けているという話を聞いたことが、ある。

【五日目】

ケアンズに戻り、熱帯雨林のキュラングへ行く。ロープウエイから、熱帯雨林を見おろした。「やっほ−!」と叫んでみたりした。
 お決まりだが、コアラも抱っこしてきた。
カンガルーは、奈良の鹿にそっくりだった。
ワニもいた。(虫とか、暗闇とかは、平気なのだが、この爬虫類だけは、どうしても、好きになれない) 実は、ワニも、カンガルーもエミューも食べた。ワニは、鶏肉みたいだったし、カンガルーは、ソーセージに、エミューはパイになっていた‥・。

日本を出る時、「ワニに食べられないようにね!」と送り出してもらったのだが、心配は、いりませんでした。逆に食べてきたのですからねえ。

そんなこんなで、あっという間のオーストラリア旅行は無事、終了した。
本当にあっという間だった。朝は毎日、はやいし、夜はおそい。
旅行では、いつも日記をつけるのだが、そんなひまは1分たりともなかった。本当に充実した旅行だった。

P.S.オーストラリアから、“ディジュリドゥ”という楽器を買ってきました。
身長150cmの私が、長さ100cm、太さ直径15cm程の笛を背負って帰ってきました。薬局においています。みなさん是非吹きに来て下さい。吹きに来て下さらなければ、苦労して持って帰って来た甲斐がありません。東京では、人気らしいですよ…。

ラフティングの様子、大喜び。

<NEWS PAPERより>

「バイリン薬店」効能アリ 日本経済新聞 H12.2.19 

英語での処方せんを受け付ける南区の「メガ調剤薬局」と、市薬ジャーナルで“薬局で使われそうな英会話”を連載して頂いていた 早良区の橋口扶佐子先生が掲載されています。

<リレー・書いていい友!(市薬会員の輪)> 「雨ニモ負ケズ」の想い出 博多支部 千代・吉塚部会 荒巻薬局 荒巻滋

一.細い路地を入って数軒目にその店はあった

 大学を卒業して福岡に帰ってからの数年間、家業に目標を見出すこともできず、とにかく毎晩よく飲んだものだった。「酒と薔薇の日々」ならぬ「酒と酒の日々」だった。

その頃よく通った店に、西通りのVがある。私の幼なじみのK君がピアノの弾き語りをしているせいもあってか月に何度かは必ず出掛けたものだ。そして酒を飲むと食べたくなるのがラーメン。「近くに美味しい店は無いか」とたずねてK君が教えてくれたのがI堂。西銀の横の細い路地を入って数軒目にその店はあった。

店は大将と数人のお兄ちゃんが切り盛りしていた。せまい店内はいつも勤め帰りの会社員や学生でごった返していた。BGMにはいつもハードバップが流れ、活気のある店の雰囲気を盛り上げていた。餃子を一口つまみビールを喉に流し込み正面を見ると、壁には宮沢賢治の「雨にも負けず」がかかっていた。私はそれを眺めながら、隣からしきりと喋りかける友人をよそに、一人回想にふけっていた。

二.「情熱」クレイジーのH先生

小学校の頃、通信簿をもらうと国語はいつも2だった。私の通った小学校では2から5の4段階しかなかったので、ほぼ6年間を通して最低点だったということだ。中学に入れば通信簿が2から10の9段階になるので、おそらく4ぐらいは貰えるだろうと思っていたら、それでも国語は2だった。

中学1年の時の国語の先生は「情熱」という言葉が大好きで、何にでも「情熱」というスタンプを押してしまう「情熱」クレイジーのH先生。ある日のこと、H先生がクラスの全員に課題を出された。宮沢賢治の「雨にも負けず」を暗記して来いとのことだった。その日、家に帰った私は、黒のマジックインキで大きく画用紙に「雨にも負けず」を写し、自分の部屋の、どこからでもよく見える天井に一番近いところに画鋲で貼った。

何気なくそれを眺めながら寝起きすること数日、私はクラスのみんなと国語の授業が始まるのを待っていた。H先生が笑顔で到着され授業開始。「雨にも負けずを覚えてきた人」とたずねられた。私を除いたクラスのほぼ全員が一斉に挙手。「どうせ途中で間違うに決まっているけど」と数秒遅れて私も挙手。「はい、荒巻」よりによって私が指名を受けた。

起立して「雨にも負けず、風にも負けず、・‥」とやっていくうちに、不思議と最後まですらすらと口から出てしまった。自分でも、これには本当に驚いた。そしたらクラスのみんなが私に拍手。H先生も教壇から下りて、私の前まで来て情熱的拍手。そして一言「いや、よく覚えてきたね。僕は君だけには絶対に無理だと思っていたよ」拍手はいっせいに爆笑と化した。私もいっしょに笑った。みんなが自分の事のように喜んでくれた。「情熱」を持つことの大切さを教えて下さったH先生だった。

三.王堂の大将

確か昭和61年の春だった。千代町の自宅兼店舗が市の再開発事業のため立ち退きとなり、一時的に警固で暮らすことになった。天神から地下鉄を利用して千代町の仮店舗まで通っていたので、不幸なことに西通りが通勤路となる。当然の事ながら、飲んでI堂に立ち寄る回数もぐんと多くなった。あつかましくI堂の大将に「店を構えるためにどっかで修行されたんですか」とたずねたことがある。すると、当時30才代半ばと思われる大将は「長浜で修業しました」と答えた。なるほど店のメインは長浜風の豚骨ラーメンらしかったが、私は学生時代によく食べた醤油ラーメンを好んで注文した。そしてラーメンを食べながら壁に掛けられた「雨にも負けず」を読んでいると、何だか気持ちがほっとしたものだった。

四. 豚骨、醤油、塩ラーメン

飲んでは立ち寄るI堂。ある晩、確か時計は午前1時を回ろうとしていた。私は塩ラーメンを注文した。10分ほど待っただろうか。毎度のことながらI堂は大変ごった返しており、なかなかできてこない。向え側の席に勤め帰りの会社員が3〜4人座った。そろって豚骨ラーメンの注文。すると直ぐにラーメンが運ばれて来た。当然ながら私は面白くない。
もしかしてオーダーが通っていないのではと疑問がわいてくる。

「塩ラーメンを注文したんですけど、なかなか来ないんですよ。もう帰ろうと思うんですが。作りかけてるのならお金だけはきちんと払わせてもらいますけど」私は店のお兄ちゃんにたずねた。時間が時間だけに、食べたいよりも眠たいの方が強くなっていたのだ。それに対して、お兄ちゃんは「お金はけっこうです」を連発するだけ。私はそのまま帰ることにした。

店を出て10mほども歩いただろうか。私を追うように付いてきた人が「お客さん、お客さん」と声を掛ける。暗がりでよく見ると、I堂の大将だった。「塩ラーメンはですね、時間がかかるんですよ。今作っているところですから食べていって下さいよ」言葉と眼差しから「情熱」が伝わってくる。「この人、この仕事が好きなんだな」私は眠いのも忘れて店に戻り、美味しい塩ラーメンをご馳走になった。

それから10日ほども経っただろうか。私はI堂をたずねた。お品書きから塩ラーメンが消えていた。「塩ラーメンはどうしたんですか」とたずねると、大将はあっさり「やめました」と答えた。ああ、幻の塩ラーメン。

五.そして現在

 先日、I堂の支店がオープンすると聞き家族3人で出掛けた。もうお昼どきを過ぎているというのに順番待ちの状態。席に案内され注文をすると、待っこともなくラーメンが運ばれて来た。清潔でよく手入れされた店内を沢山のスタッフがきびきびと動き回る。きっとその何人かは、自分で店を持つことを夢見て修行に入っているのだろう。

「あの人、この仕事が本当にすきだったんだな」I堂で最後に塩ラーメンを食べたあの夜のことを思い出した。店頭で大将の姿を見ることはなかった。しかし、それでも大将の仕事に対する今も変わらぬ「情熱」は、細かいところまで気配りの行き届いたお店から私達に伝わってくる。BGMはハードバップで今も変わらない。変わったのは私の方だろうか。

10数年前にI堂でラーメンを食べながら聞くBGMは何ともわびしいものだったが、今は私に活力を与えてくれる。料金を払おうとレジの前に立つと、新装オープンしたこの店にも「雨にも負けず」が掛けてあった。

さて「雨にも負けず」を教えて下さった「情熱」クレイジーのH先生だが、現在、東京都の某有名国立中学の校長をされているらしい。昨年、姉が東京で開かれた母校の同窓会に出掛けた際、H先生が「あなたの弟さん、覚えていますよ。頭悪かったですね」と皆に聞こえる大きな声で言われたとか。どのような印象を持たれていたにしても、およそ30年前にたったの1年しか受け持たれたことのないこの私を未だに覚えておられたとは、何と光栄な事だろう。先生の爽やかな笑顔がなつかしい。

 次は博多支部千代・吉塚部会このは薬局田端晃一先生です。

<特集:THE・RINRI@>

 倫理規定の解説をする様、会長の命が下り2年。いかようにするべきか検討してみたが、良き考えも浮ばず。その間、地方分権の一環として行政も倫理に関する条例を入れるやにきいた。
 私見を入れるより、各位の感性にてこれを味わって頂く方がより良いと感じ、下記の様にした。二番煎じである。お許しあれ。
 これで“リーンリ、リーンリ”とうるさい神経性耳鳴りから解放されそう。(E.T.)

『新薬剤師倫理規定をめぐって』座談会

出席者:
(司会)堀江栄一 日薬常務理事(薬剤師倫理規定策定等特別委員会主担当理事)
   吉田 俊 日薬相談役(薬剤師倫理規定策定等特別委員会委員長)
   田原俊夫 東京都薬剤師会副会長(法規委員会委員長、元薬局第一委員会小委員長)
   山川浩司 東京理科大学教授(薬学教育委員会委員長)

日本薬剤師会の新「薬剤師倫理規定」が、平成9年10月25日開催の理事会にて承認されま した。この新倫理規定は、薬剤師倫理規定策定等特別委員会が平成8年10月から、目薬が昭和43年8月に制定した薬剤師倫理規定を見直す形で検討し、平成9年10月8日、吉田委員長から吉矢会長に答申されたものです。
 改定に当たっては、平成4年にまとめられた薬学教育委員会の「薬剤師倫理コード」と平成7年にまとめられた薬局第一委員会の「薬剤師倫理規定案」が参考とされております。
 日薬誌では、日本薬剤師会の薬剤師倫理規定が約30年ぶりに全面改正されたこともあり、新倫理規定の誕生に関わりの深い先生方にお集まりいただき、薬剤師倫理規定を巡って、改定に至った経緯、背景、各条文の意図するところなど、大いに語っていただくべく、座談会を企画致しました。                   (日薬誌より編集) 

社団法人 日本薬剤師会
薬 剤 師 倫 理 規 定
平成9年10月24日 理事会制定承認

前 文
 薬剤師は、国民の信託により、憲法及び法令に基づき、医療の担い手の一員として、人権の中で最も基本的な生命・健康の保持増進に寄与する責務を担っている。この責務の根底には生命への畏敬に発する倫理が存在するが、さらに、調剤をはじめ、医薬品の創製から供給、適正な使用に至るまで、確固たる薬(やく)の倫理が求められる。
 薬剤師が人々の信頼に応え、医療の向上及び公共の福祉の増進に貢献し、薬剤師職能を全うするため、ここに薬剤師倫理規定を制定する。

(任務)

第1条 薬剤師は、個人の尊厳の保持と生命の尊重を旨とし、調剤をはじめ、医薬品の供給、その他薬事衛生をつかさどることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって人々の健康な生活の確保に努める。

(良心と自律)

第2条 薬剤師は、常に自らを律し、良心と愛情をもって職能の発揮に努める。

(法令等の遵守)

第3条 薬剤師は、薬剤師法、薬事法、医療法、健康保険法、その他関連法規に精通し、これら法令等を遵守する。

(生涯研鑽)

第4条 薬剤師は、生涯にわたり高い知識と技能の水準を維持するよう積極的に研鎮するとともに、先人の業績を顕彰し、後進の育成に努める。

(最善尽力義務)

第5条 薬剤師は、医療の担い手として、常に同僚及び他の医療関係者と協力し、医療及び保健、福祉の向上に努め、患者の利益のため職能の最善を尽くす。

(医薬品の安全性等の確保)

第6条 薬剤師は、常に医薬品の品質、有効性及び安全性の確保に努める。また、医薬品が適正に使用されるよう、調剤及び医薬品の供給に当たり患者等に十分な説明を行う。

(地域医療への貢献)

第7条 薬剤師は、地域医療向上のための施策について、常に率先してその推進に努める。

(職能間の協調)

第8条 薬剤師は、広範にわたる薬剤師職能間の相互協調に努めるとともに、他の関係職能をもつ人々と協力して社会に貢献する。

(秘密の保持)

第9条 薬剤師は、職務上知り得た患者等の秘密を、正当な理由なく漏らさない。

(品位,信用等の維持)

第10条 薬剤師は、その職務遂行にあたって、品位と信用を損なう行為、信義にもとる行 為及び医薬品の誤用を招き濫用を助長する行為をしない。

前 文
 薬剤師は、国民の信託により、憲法及び法令に基づき、医療の担い手の一員として、人権の中で最も基本的な生命・健康の保持増進に寄与する責務を担っている。この責務の根底には生命への畏敬に発する倫理が存在するが、さらに、調剤をはじめ、医薬品の創製から供給、適正な使用に至るまで、確固たる薬(やく)の倫理が求められる。
 薬剤師が人々の信頼に応え、医療の向上及び公共の福祉の増進に貢献し、薬剤師職能を全うするため、ここに薬剤師倫理規定を制定する。

薬剤師は医療の担い手の一員として、日本国憲法の前文および第13条で述べられている基本的人権と個人の尊重、さらに憲法第25条の人々の公共の福祉、国民の生存権、健康権について、それらが全世界が平和のうちに生存する権利の確保に務める責務を持つことを規定している。
 薬剤師は職能の最善を尽くす責務を担っているが、それらのなにものにも先立つ普遍的な倫理がその根底にある。この基盤に立って薬剤師は確固たる薬の倫理観を持って調剤をはじめ、医薬品の創製から適正な使用に至るまでの責務を担っていると述べている。

堀江 確かに、小委員会の時にも私は担当役員で参画していましたし、あまりにも薬剤師の倫理が非常に社会問題化されている。創薬的な部分のところにもあったし、調剤薬局という部分の中にも不道徳なことが出てきた。
 そういうことがあるだけに、規約としてはもっと会員の指導性を強めなければいけないのではないかというようなところが、「ねばならない」の話が非常に誇張された。特に、薬局委員会という立場からみますと、やはりこ うすべきであるという表現のほうが、今の若い人たちにはピンとくるんだという意見も小委員会の中にもありました。特別委員会のほ うではあくまでもそのへんの基本的な論議がなされた結果、まず日本薬剤師会として会員た対しての規則の遵守を依頼すると共に、社会的に宣言する形をとろうではないかという結論になって、一つの文体の方針が決まったという経緯があるわけです。
 そこで、どなたからでも構わないのですが、今回の全面改正の検討にあたって、特にここだけは自分の立場からどうしても入れてよかった、逆に言えば、「入れなかったらおれは席を立って帰るぞ」というようなところがあれば、そのへんからご指摘をいただければありがたい。委員長としては「そこでおれはえらい苦労をしたんだよ」ということになるのだと思うのですが。

山川 今回できた倫理規定の前文では、審議には非常に時間がかかったのです。前文の中に、基本的ないくつかのキーワードのようなものが入っているわけです。したがって、基本的なものは前文に入れて、それがすべての条文のベースになっているということで、各条文の中には敢えてそれを繰り返さなくてもいいということで、前文が作られています。
 例えば、前文の中で、基本的人権とか生命尊重というような意味で、日本国憲法ということがまず一つ、キーワードできちんと入ったということ。それから医療法で定められた、医療の担い手の一員ということが、ここに入っている点。それから、生命倫理というようなこともここには入っている。それから確固たる「薬の倫理」というようなキーワードが、初めてこの前文に盛られた。前文の中に、そういう基本的な概念が盛られて、それがすべての条文の中のベースになっているというような形で倫理規定が今回つくられたというのは、そういう意味ではたいへん良い倫理規定ができたと理解しています。

堀江 確かにまとめとしてはよかっただろうと思いますが、この前文の中にあるキーワードを個々の条文に入れるべきだという意見も、特別委員会の中ではだいぶ論議がなされました。そのへん、委員長いかがでしょうか。

吉田 もし入れると、各条文にみんな入れなくてはいけなくなります。そんなこ・とをしたら、簡明に条文ができないのです。それともう一つ、先ほど山川先生がおっしゃったように、すべての職能がその専門性を活かして、その専門分野でどんどん発展していく時に、つい人を対象にして仕事をしているということを忘れがちで、学問が先に立ってしまうような形になってはどうしようもないだろうというところが、「薬の倫理」という形で表現されたのではないかと思います。あの「薬の倫理」でも、結構苦労しましたね(笑い)。薬というのはクスリではないかと、クスリは物で、物に倫理があるのかというところまでいっ
 ちゃったんです。そうでなくて、そういう物を扱ったり、開発したりする時に、やはり人間性があって、人の倫理というものをもとに、それを踏み外さないようにクスリを作り、使うんだということが「薬の倫理」だというようにどなたかがおっしゃって、皆さん納得してくれたと思いましたけれど。

田原 私も「薬の倫理」ということばを、正直いうと、あまり知らなかったのです。

吉田 馴染みがなかったですね。

田原 ですけれど、だんだん議論を重ねていきますと、やはり「薬の倫理」という、「薬」ということばの中にすべて集約できるのではないか、あるいはそういうものかなということがだんだん分かってきました。今、見ますと非常に短いことばですが、この中に盛られているものが多い。今、委員長がお話しされたように、とかく科学者というのは物ということについて勉強をしてきたが、それじゃいけないんだ。これは我々薬剤師ばかりではなくて、医師も結局そうだろうと思うのです。
 よく医師の本を読ませていただきますと、医者がだんだん医者じゃなくて、生物学者みたいになってしまった。もうはじめから科学者というような感じが強かったんです。それに関して、人間としてのクスリ、人に作用するクスリという点が、ただ合成して分析すればいいんだというところがどうも強調されてきた。それが「薬の倫理」という、クスリというのはやはりただの合成物ではないのだ、社会に役立つというか、人に作用して何かするという非常に倫理性の高いものだということがだんだん分かってきて非常によかったなと思ってます。

堀江 確かに、「薬の倫理」というのが、先ほどのことばで言えばキーポイントというか、キーワードとしてはいちばん論議がなされたわけですよね。ことばは、「医の倫理」に対して「薬の倫理」というふうにいってしまえば、非常に簡単なものになるでしょうけれど、薬というと、クスリということで薬物という解釈をするのと、今、倫理的な問題をいったら薬道ではないかとか、いろいろな問題が出てきました。実は、この「薬の倫理」というのは、薬物に限らず薬道もすべてを含めた薬を取り扱う者の倫理というような形の中でまとめられて、ことばとして今度は逆にいえば、日本薬剤師会が薬剤師の方々や、国民に対して我々の宣言文というような形の中から、薬の倫理を周知というか、認識してもらおうという目薬としての意図もあるだろうと思います。
 日薬誌の平成9年12月号に、山川先生に「薬の倫理」についての論文の掲載を賜わり、また10月に開催した学術大会にもご発表をいただいたのですが、薬の倫理について、ポイントだけ会員に理解を示すという意味でお願いしたいのですが。

山川「薬の倫理」を考える前に「医の倫理」ということを少し考えてみたいと思います。
「医の倫理」というのは、ドクターが患者個人の立場に立って、最新の医学の知識と技術をすべて投入して、そして医師として患者のために献身的な役割を務める。それが、「医の倫理」だということになると、それに対応するものが「薬の倫理」ですから、今までクスリというと物質であって生理性があるもの、しかも生命に関連性を持っているものである。しかしそれだけですと、私は「薬の倫理」にならないと思うのです。そういう生命関連物質を、薬剤師が処方せんに従って患者さんの病気を治すために、薬学の最高の知識と技術を傾けて、薬剤師としての社会的な責務をその患者さんのために尽くすというもの、クスリを介して尽くすということになるわけですが、それが「医の倫理」と並ぶ形での「薬の倫理」だと思います。ですから、それは先ほど堀江常務理事がいわれたように薬道というような意味で、薬剤師がそこに関与するから「薬の倫理」が成り立っのであって、物だけで「薬の倫理」が成り立つわけではないということです。ですから、生命関連物質であって、それを本当に患者さんのために薬学の知識と薬剤師としての使命と責務を持って役割を果たすことによって、「薬の倫理」というものが確立する、成り立つのだと私は理解したいと思いますし、薬剤師会としても、多くの薬剤師がすべて「薬の倫理」ということを身を持って自覚するようにしていってほしいなと思っています。

堀江 まさに、そこがいちばんキャッチフレーズ的な意味でも、いろいろな意味でも今回の倫理規定のいちばん論議されたところであるし、また、会員への周知をしていかなくてはいけない問題だと思います。社会的にも宣言をする本来の意味がそこに含まれていると感じるところです。さて、ほかのキーワードであった基本的人権、あるいは憲法という問題の上に立った医療の担い手ということばが前文の中にあるわけですが、このへんのところで、これを特に主張された先生方の立場とすれば田原先生かなと思うのですが、やはり山川先生ですか。

吉田 その前に、日薬の理事会で決定して正式に公表された時に、「薬の倫理」のところにルビがふってあるんですね。答申書には確かふっていなかったはずですが、それをふりがなまでふって読ませるようではちょっとびっくりしました。親切かもしれないけれども。

堀江 そのとおり親切なのですが、いわゆる論議を重ねた委員の先生方は、この「薬の倫理」ということばは耳につき、その心も十分理解しているということで自然のことばとして入っていると思うのです。ところが、会員のレベル、あるいはもっと理事者の中に、これを読み上げる時に、「くすりの倫理」ということばで質問をされるというようなこともあるのです。「くすりの倫理」ではない、「やくの倫理」だよというのが、今いう薬道の問題にかかってくるわけなんです。そこで敢えてこれは「くすりの倫理」ではなくて、「やくの倫理」だと、つまり物だけではなくて道も入っているのだということを会員にも分かりやすく示すには、ルビをふったほうがいいだろうという判断で、答申書にはルビがなかったのですが、日薬として公表したものにはルビをふって出したということです。

吉田 まあ、それはいいですよ(笑い)。

山川 私が日薬誌12月号に書いたものも、実はルビをふらないで書いたのです。そうしたら気をきかされてわざわざ「やく」の倫理というルビをふられたのです。私は、これをゲラが出てくるまで知りませんでした(笑い)。
 単なるクスリという物ではなくて、薬剤師の使うものが本当の意味での医薬品だということになるわけですから、そういう意味ではいいと思います。

吉田 ちょっと情けなかったですよ(笑い)。

田原 委員長としては情けないと思うかもルれませんが、私はこれにルビがふってなくても、会員なり世間の人が「くすりの倫理」と読んでもいいだろうと思っていました。

吉田 それは読んでもいいですけれど、その中身がこういうことだということは言外にあるのだし、それを徹底して知らせていくというようなことは会の責任としてやってもらえばいいことであって。

堀江 そのうちルビを取っても当たり前に。

吉田 早くそういう時代にしてください(笑い)。

堀江 まさにそのとおりで、こういうようなところが実際に委員会としてもいちばん苦労をしたところで、いろんな論議をやり、また三輪先生も委員として弁護士という法的な立場からのご意見などをいただいて、そういうものを参考にし、また反映をさせていただいたと思います。
 では、先ほどの話に戻しますが、憲法について。

吉田 憲法は、特に法律関係の方もいらしたし、憲法、法律、命令というものが表に出てまいりまして、各条にみんな入ってくるような形になったんですが、倫理は憲法とか法律というようなもののもっと前にあるものでしよう。それをあまり入れてもどうしようもなくなるのではないかということで、では一つ前文できちんとそれを言って、各条ではそれを省きましょうというようなことでご了承をいただいたように思います。

田原 だいたい前文というのは、本文に対する説明というか、あるいは主旨を説明するとかですね。

吉田 やはり、こういう考え方でやっているのだという基本をそこでいっておいて、それに基づいて倫理規定を作りましたということでしょうね。

田原 本文はあくまでも10ヵ条。

吉田 そうですね。

堀江 田原先生も、この憲法ということばには特に。

田原 今、吉田先生がおっしゃったように、特に使わなくてもいいとはじめは思いましたけれども、できあがってみればこれでいいかなと。私がかかわった薬局第一委員会原案のほうには、憲法という言葉はありませんでした。

山川 薬学教育委員会の倫理コードのほうにも、本文にはないですね。解説のほうに、生命尊重、生命倫理とか基本的人権というようなことがきっちり謳われている。それも一つのベースだという形で入れたわけですから、規定の中にはありません。前文にはこれと同じように、精神として盛ったわけです。

吉田 そうですね。そのほうがよかったと思います。

堀江 ただ、基本的人権とか、あるいは生命への畏敬とか、あるいは薬剤師業務に関係する法規、そういうものはすべて憲法がベースにあるということは、一般の会員も、また国民も理解してくれると思いますが、ただ前文の中の憲法ということばで認識を新たにしなければいけないというような点を感じたのですが、薬剤師という職能が憲法に基づいている職能なんだということが議論の中に出てきたわけで、あらためて会員としてそこを認識してほしいなという印象を私は受けたのです。確か山川先生がご発言をなさったと思うのですが、そのへんについて先生、会員の皆さんに分かりやすいように。

山川 この薬剤師倫理規定というのは、日本薬剤師会の倫理規定です。フランスの薬剤師倫理コードはフランスの薬剤師のための倫理コードであるということがいちばん最初に出ています。おそらくどこの国の倫理コードも基本的にはそういうことです。したがって私は日本薬剤師会で制定した薬剤師倫理規定だとすると、これは日本国民としての基本になる日本国憲法がそのベースになっている。私たちもそういう国民の信託を受けた薬剤師としての責務を負っているのだという自負を持って、薬剤師としての社会的責務を果たすことが基本であるということを自覚しないといけないのではないかと思います。

堀江 そのへんが、参画された委員がそのとおりだという印象を受けたと思うのですが。

吉田 薬剤師というものは、確かに憲法、法律によって与えられる職能ですから、その薬剤師の倫理規定だということで、薬剤師はこういうことできちんと憲法その他に従ってできているものだという解説を、この前文でやるのは結構だと思います。それはそれでいいですよ。
 だけど、各条文にはいると、ちょっとしつこいように思うのです。

田原 薬剤師という特権を持っている職能が保証されているのは憲法だと思うのです。憲法と謳って間違いないですね。

吉田 だからいらないのではなくて、いるのです。

堀江 現在の私も含めて薬剤師が、そのへんの認識が不足しているともいえるのではないでしょうか。

吉田 もう慣れっこになってしまって。

堀江 当たり前になってしまったというか。もう一度自分の置かれた職責を振り返るという意味では、憲法ということばもキーワードであったということになると思います。
 それでは、各条文の中で、ここはこのことばが欲しかったというようなところ、あるいはこれはもう少し入れたかったけれども、そこまではという意見もあって止めたのだというところもいくつかあると思いますが、そのへんを含めて10条までの中で、ご意見あるいはご感想、あるいは悔し涙の話でも結構です(笑い)。

山川 私は、今度の倫理規定で、いちばんよかったかなと思うのは、あくまでも病気というのは患者個人のものです。今までですと「国民の」という形で非常にぼかされるという形が多かったのです。ところが今度は、随所に個人の尊厳とか、患者のためにとか、そういう個人が強調されている。それは、今度改正されたFIPの倫理規定も、個人のことを非常に強調して作られています。そういう意味では、今回の倫理規定というのはそういうことが非常にはっきりされているという意味で、一部理事会で「国民の向上に努め」というような意見が出たと伺いましたけれども、私は「個人の」として欲しい。それは、ファーマシューティカル・ケアという基本的な考え方がここに出ているからということで、私は申し上げたことがあります。そういう意味では今回、ファーマシューティカル・ケアというようなことも含めて、この薬剤師倫理規定には適切に表現されたと理解しています。

(任務)
第1条 薬剤師は、個人の尊厳の保持と生命の尊重を旨とし、調剤をはじめ、医薬品の供給、その他薬事衛生をつかさどることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって人々の健康な生活の確保に努める。

薬剤師の主要な任務は、なにものにも優先して個人の基本的人権と生命を尊重することを旨としている。薬剤師法で定める薬剤師の目的を遂行して、患者個人の健康な生活を確保することは基本的な任務である。

堀江 例えば、昭和43年の規定では、いわば国民というような表現で非常に大きく丸めた言い方をしていますが、今回の第1条でも個人というふうにはっきりと書いてありますし、第1条の後段でも個人個人というのを人々という表現にして、漠然とした国民というような表現にはしておりません。
 それから、第1条の任務に、個人の尊厳というのがある。やはりこれは、もちろん生命の尊重ということと、個人の尊厳はどちらが上かなんていうことを天秤にかけることではないかもしれませんが、私としては今の世の中にあっては、個人の尊厳というのがいちばん先頭にくるだろうと思います。もちろん生命の尊重ということと不可分ですが、そのへんはやはり譲れないと思ったのです。

田原 私も、ここのところが重要なポイントと捉えました。ここには個人とか、人々ということで、国民とかそういうことではない。
私の見方としては、もちろんこれは日本薬剤師会の規定ではありますが、広く日本全体の
薬剤師、あるいは日本人のもっと広い視野として、ちょっとオーバーになるかも知れませんが、全人類、全世界に宣言するという視野を持って、単に国民というような制限をつけない、人間共通の「薬の倫理」で私はよかったなと思ってます。

(良心と自律)
第2条 薬剤師は、常に自らを律し、良心と愛情をもって職能の発揮に努める。

薬剤師は、常に自らすべての人に献身的な態度と、患者に対して愛情をもって接すること。これらの医療の倫理に反する行為が認められた時には、断固として薬剤師の良心と勇気をもって、この行為を阻止しなければならない。

堀江 これは、私の個人的な意見ですが、法と倫理について先ほど委員長のお話にありましたが、ベースには倫理が基本的に根強くあって、そこへ出てきた芽が法律である。つまり、倫理に外れた行為をして社会相こ害する場合には、法律で縛りますよと、こういう一つの木や枝になってきているのが法ではないかと思うわけです。それがここでいう、つまり薬剤師の秘密の厳守ということについても、行き過ぎれば、間違えれば罰せられるのは当然だというところがあると思うのです。
 それに絡むのか絡まないのか、実は昭和43年の規定でいいますと、「医療担当者にふさわしい人格」という非常に単純なだれが読んでも分かることばだったのが、今回の新規定は、それをさらに奥深いといいましょうか、同じ第2条に、「常に自らを律し、良心と愛情を持って」というふうに非常に形容詞的な表現、それは深さを表現したかったのでそうなったんだろうということは分かるのですが、このへんについてどうでしょう。ご苦労なきった先生方のコメントとして。

田原 自律ということは、これは今、薬剤師以外の人々にも求められているもので自律性という倫理観念は人間全部に共通して求められていると思います。その中で、特に、こういうプロフェッションを持っている人はもっと強く求められる重要な行動基準だと私は思っています。強制されたからやる、規定があるからこうだということではなくて、まず、基本的に薬剤師というものが根本にあるのだということで、自律ということが重要な柱になっていると思っています。

山川 この倫理規定をご覧になったある方から言われたのですけれども、「良心と愛情を持って」という表現ですが、良心はいいけれど愛情を持ってということがちょっと馴染まないと言われた。それは倫理規定ということをはじめに考える時に、どうも私たちはこういうことを敢えていうことがなんとなく面映ゆいようなところがありまして、分かりきったことを敢えて文章で書かなければいけないのかと。
 これが長いこと西欧の文化で、牧師さんが人々に愛情を持てとか、人類愛とか、敢えて言わなくてもいいのにということをいうことに私どもは日頃慣れていないわけです。そういうことを言わなくても自然に分かるものだというところがある。
 ところが、どうも時代が変わってくると、こういうことをきちんといっておかなければいけないことだということになる。そういう意味で、人類愛ということが基本に薬剤師倫理の規定の中にはあるということをいっているのですね。年配の方はこういうことに馴染まない、ちょっと抵抗感があるかも知れませんが。

吉田 愛情ということばは、今までと使われ方がちょっと違って、この意味はもう少し広い意味で、人類愛とかそういう意味でいっているけれども、日本語というのは難しいから。

山川 西欧の人達は牧師さんが言うことを当たり前だと思って聞いているのが、私たちにとってはなんとなく空々しい、くすぐったいようなところがどうしてもあるのですが、やはり新しい倫理規定の中には、そういう人類愛というものがベースにあるということを強調しているわけです。

吉田 やはり職能、プロフェッションというのは、ほかの人がそれだけの特権を与えるとか、全部信頼してその職能を与えているわけです。私達は、特権を与えられた人々は自らをきちんと律しなければプロフェッションではない、とまでいわれて育ってきたんです。だから、非常に大事だと思ったんですが、ここのところもなかなか難しかったですね。

堀江 キリスト教的世界観の中にいる人にとっては抵抗感はないけれど、社会の中に生き抜いている人、宗教的なものに頼らない人から見ると異物感みたいな印象を与える。

吉田 法律の中にこういうことばがあまり也てこないから、こういう文章を作るとすぐ法律と対照するものだから、むずかしくなる。

田原 良心とか愛情というのは、法律の文章にはなじまないですから。

吉田 だから、こういう字が出てくるとちょっと奇異に感じる方もいらっしゃると思うのですが。

堀江 ずばり、人類愛ですね。

吉田 そういうことです。そこのところをきちんと自分で整理しなさいよということです。

山川 年月がたっと、もう当たり前になるのでしょうが。最初、受けた段階ではちょっと奇異に感じる人もないとはいえないように思いますね。

吉田 でも、こういうことをいってもいい時代になりましたね。

(法令等の遵守)
第3条 薬剤師は、薬剤師法、薬事法、医療法、健康保険法、その他関連法規に精通し、これら法令等を遵守する。

薬剤師は、薬剤師法、薬事法はもとより、関係の深い医療法、健康保険法をはじめとする広範にわたる法令などの関連法規を常に学習して、それらの法令の意義、内容に精通することにつとめること。そしてこれらの法令を守って専門職能の発揮につとめなければならない。
 また薬剤師は、薬局業務運営ガイドラインに定める、薬局の業務運営の基本的事項を守らなければならない。

(生涯研錯)
第4条 薬剤師は、生涯にわたり高い知識と技能の水準を維持するよう積極的に研鍾するとともに、先人の業績を顕彰し、後進の育成に努める。

薬剤師が日進月歩する薬学の学術について、広く研鑽に励まなければならないことは当然のことである。これらの学習の成果を患者のために尽くすことが求められる。
 また薬剤師として先輩薬剤師の人々の業績を正しく理解して、これらの業績を継承するとともに、自らの知識、技術、人格の研鑽に努める。特に、次代を担う後輩を育成することには、時代の要請に応え得るように、これまで以上の精力を傾ける必要がある。

堀江 新規定の第4条は、昭和43年規定では「学識及び技能を持たなければならない」と第2条の中にあるのです。これを独立させたということになるわけですが、これは、今日の時代で生涯研修とか研鏡とか、いろいろな問題が出ているから当然だというふうに会員は受け止めてくれると思うのですが、敢えて付け加えてこの1本の独立した「生涯研鑽」を入れたということは、まさにそのとおり読んでくれということでよろしいですかね。

吉田 医学・薬学と言いますか、そういう科学の発達のテンポが非常に速くなりましたね。今までだったらのんびりやっていれば間に合ったかもしれないけれども、これは、ぼやぼやしてはいられないよということをいいたいわけなんです。

田原 そのとおりですね。第4条は、生涯研鑽の義務があるということで、これは厳しいものですが、当然のことですね。

山川 これもはじめ二つに分かれていたものを一緒にしたのですね。一つには、生涯研鑽をするのだということは当然だとしても、もう一つ、先人の人たちの業績を正しく理解をして、それを継承して、これからの世代の人たちを育成する義務、責務があるということで、二つ合わせて生涯研鑽にしている。生涯研鑽をするためには、常にそういうことをしないと次世代の人達を育成することもできないのだということで、二つ合わせたのです。
 そういう意味では、別々にしないで合わせたということは、よかったですね。

(最善尽力義務)
第5条 薬剤師は、医療の担い手として、常に同僚及び他の医療関係者と協力し、医療及び保健、福祉の向上に努め、患者の利益のため職能の最善を尽くす。

薬剤師は平成4年の医療法第二次改正により、医療の担い手の一員となった。このために薬剤師の同僚をはじめ、システム医療を遂行していくため共同して患者の医療に務める人々と共同すること。そして患者のQOL(生活の質)の向上と利益のために、薬剤師としてファーマシューティカル・ケアに最善を尽くす義務がある。

山川 先ほどの第5条の中に、「患者の利益のため」に、これは多分薬局委員会のほうでそういう表現があったと思うのですが、これはこういう表現で入って大変よかったと私は思います。
 ファーマシューティカル・ケアということが新しい倫理規定には非常によく盛られています。これは結果論ですけれども、FIPで今度作られた倫理規定を、中間段階で議論されているものを見させてもらいましたが、必ずしもこれに合わせた議論はあまりしなかった。しなかったけれども、結果的にいえばこのFIPで作られた倫理規定と、私どもの作った倫理規定と非常に似通ったところがあって、今、田原先生がいわれたように、これは世界の薬剤師の倫理規定としても、まさにそのまま適用できる倫理規定だと思います。
 また、今、お話に出た理事会でも意見が出た第5条ですが、患者の利益というのが、特別委員会のいちばんの主力のポイントであり、文章の中の保健とか福祉という問題にも絡んできて、患者の個人という問題との絡みで適切かという質問が出たわけであります。
 これは、先生がご指摘のようにファーマシューティカル・ケアという概念の基本のもとに、今回は患者個人のということを軸にした改定になっていると思います。

(医薬品の安全性等の確保)
第6条 薬剤師は、常に医薬品の品質、有効性及び安全性の確保に努める。また、医薬品が 適正に使用されるよう、調剤及び医薬品の供給に当たり患者等に十分な説明を行う。

薬事法によって、医薬品の品質、有効性と安全性を確保することは、薬剤師としての最重要の業務となっている。現在の医薬品は患者の疾病に直接に協力に作用するものが多くなった。そのために医薬品の副作用については、患者に対する安全性について常に気配りをして、最善の努力をしなければならない最重要課題である。医薬品が患者の個人の病状に適正に使用されることによって、初めて患者のために疾病の治療に効果が期待できるものになる。患者のために調剤した医薬品を授与するときには、薬剤師法第25条2項で規定された、薬剤の適正な使用のための情報を提供して、患者に十分な説明をする義務がある。

堀江 そこで、今のファーマシューティカル・ケアという患者のQOLを改善していくという薬剤師としての責任という問題でいくと、そういう形でも現れているというご指摘をいただいたわけですが、今、日本国内を中心としていわれているインフォームド・コンセントというのも、実は第6条の中にそれなりの文章として入っているということになるのです。
 もっと載せたかったという点があるのを、いかに縮めるかというところに逆に苦労をしたのではないだろうかと、会員は読んでいてその印象でいえばそういう感じを受けると思うのですが、第6条はもっと同じように患者のためにどうインフォームド・コンセントをしていくかというようなところに、つまり倫理論から少し具体的な問題まで入りたくなるような、いちばんポイントがあらたと思うのですが。

吉田 これは、最初に、インフォームド・コンセントについていろいろな問題があったんです。そしてレクチャーも受けました(笑い)。
 なかなかそのことばを使うには非常に難しい面も出てくるようだったので、敢えてインフォームド・コンセントという字を使わないで、中身はおっしゃっているようなことにいくようにと、ここのところは先生方ずいぶん苦労されていると思います(笑い)。

堀江 文章として、これで確かにいかに縮めたかというところはあるのですが、この心を、あるいはこれの実践というものがまだまだ薬剤師会として、現実に会員に具体的な指導をしていかなければいけないという余韻を残しているということですね。

吉田 一人でやっている仕事ではありません。それぞれ専門がいらっしゃる中でやる仕事ですから、難しい問題は残りましたね。

堀江 残ったというよりは、あとはいわゆる運用レベルの実行段階の中で、いかにそれを周知あるいは実行力を上げる方法をとっていくかという施策の問題ですね。

吉田 でも、心を持って自分で知ってやりなさいということに一貫しているはずなんです。自分でやることで、人にやってもらうとか、人にやれと言われてやることではないという者え方が底流にあるはずです。それは大事なことだと思います。
 あと、自分で勉強しろとか、先輩のやったことをよく勉強しろとか、ありましたよね。

山川 第4条ですね。

堀江 第6条では「説明を行う」ということばで閉じてありますから、あとに何かを付け加えたかったという印象が十分に見えるわけです(笑い)。

山川 薬剤師法の改正で第25条の2項に、初めて医薬品の情報提供義務が入ったわけです。これは現在の最先端の医療で、ある意味ではいちばん難しい分野です。ですから、これが日常的にこうだと、ある意味で定着していないというか固まっていないというところがあって、これは医療現場で今、薬剤師法の改正をどう適用して、どうするかということがいちばん難しい分野になっていると思うのです。そういうことも含めて、第6条に「…患者等に十分な説明を行う」という表現で載ったのは、これを実際どう適用してどうするかというのは、本当はこれから起こってくる問題です。だから、そういうことが倫理規定に明記されているだけでいいという気がします。

田原 確かに、この第6条ですが、インフォームド・コンセントということを、薬剤師の義務として出しているわけです。インフォームド・コンセントというのは、患者の権利、要するに患者の自己決定権、あるいは患者の情報公開権というものを受けた、医療担当者としての義務だと思うのです。それが、ここに出たということは、インフォームド・コンセント自体が比較的新しいというか、戦後の一つの大きな流れ、日本というより世界中の流れで、そういう点では我々は第6条に義務として明記したということは、よかったのではないかと思います。

堀江 作ったほうの方々は、いろいろな論議の上でこの問題をやって、ことばの選択もたいへん苦労したわけですが、一般的に会員の目から見た時に、実は、第6条だけが「また」ということで二文になっているわけです。つまり、先ほど田原先生がおっしゃった具体的な補則が「また」のあとに載ってきている。
 それから、また昭和43年の時代の考え方と同じ業務義務が倫理規定の上で強調されているという結果に、実はここだけがなっている。
 これは今の時代背景からこういうことになったのであって、本当は「確保に努める」で全部読めなければいけないですね。

吉田 これは確か、二条になっていたのを一つにしたのではなかったですか。

堀江 敢えて一つにしたというのは、やはり、別条文にたてると業務義務の各論が入ってしまうので、結局一つにまとめたというところなのでしょうが、そういうところでこの第6条には現代的なものが入っているのだということを会員には理解して欲しいなと思うところなんですね。特に、三輪先生あたりから、薬剤師のインフォームド・コンセントと医師のインフォームド・コンセント、投薬に関する基本的な考え方、三輪先生のことばを借りますと、主たる業務と従たる業務という土とになるのですが、それはそれでPR、あるいは指導していかなければならないことなのですが、規定ではそういう形を踏まえてきたんだというところがいちばん現れているところではないだろうかという感じがします。
 このへんで、またさらに会員にもう一つ分かりやすいことばで、先生方がこの倫理規定ではなくて、インフォームド・コンセントに絡むことで会員への呼びかけのことばがあれば、この際、何かありましたら付け加えていただきたいと思います。

(地域医療への貢献)
第7条 薬剤師は、地域医療向上のための施策について、常に率先してその推進に努める。

昭和60年12月の医療法の改正以来、医療は広義の医療としてとらえられ、地域医療計画に沿って、医薬分業に当たる「かかりつけ薬局」として、薬局と薬剤師に対して地域医療への貢献が強調されるようになった。薬剤師には地域医療の推進のために、率先して地域の個人の要求に応え、地域社会の人々の健康を維持することに応えるために行動しなければならない。

堀江 そういうような考え方から、もう一つ、コメントをいただきたいと思うのは、第7条と第8条を分けているんですね。これは一つにすれば出来ないことはないのを、敢えて分けたという理由はいかがでしょうか。
 「地域医療への貢献」と「職能間の協調」というと、今までは一般的にことばは遣っても目的は単に一つだという動きがあって、どちらかというと強かったと思うのですが、敢えてこの倫理規定の中でこれを分けた、分けて当たり前なのですが、特に分けたということで会員に対する強調すべきコメントがありましたらどうぞ。
 第7条のほうは地域医療ということで、別の切り方で貢献していくということで二つに分けられていて、両方とも重要なキーワードだと思うのです。

吉田 これは確か、第7条のほうは、自分の属している職種についてとことんまでやるということであって。

堀江 中身が違うところを明確に出したということですね。第7条のほうは自分たちの立場から、自分の職能の中で社会的な連携を十分に図った活動をしていかなければならないということ。

吉田 医師というところまでいかなくても、薬剤師そのものの幅が非常に広いでしょう。ですから、そういうところは、関係ないよというわけにはいかないという意味だったと思いましたね。

田原 それと医療関連の仲間、敢えて医師とかそういうことばではないですけれど、関係職能を持つ人々というのが医師、歯科医師、看護婦そういう人々ですね。だから、二つに分けてあるわけですね。今でいえば介護の問題ですからね。

(職能間の協調)
第8条 薬剤師は、広範にわたる薬剤師職能間の相互協調に努めるとともに、他の関係職能をもつ人々と協力して社会に貢献する。

薬剤師の職域は、薬学研究・教育、医薬品の開発、製造、情報活動、薬局、病院薬局、病棟薬剤師、環境衛生、食品衛生、衛生試験、薬務行政など広範囲にわたっている。必ずしも直接に医療にかかわる者ばかりではない。
 薬剤師は、この倫理規定にそって各職業間の人々の価値と能力を尊重して、緊密な連携をすることが、社会の人々からの薬剤師に対する信頼につながることを認識しなければならない。

田原 薬剤師というのは何も開局薬剤師ばかりではなくて、それこそ行政関係の薬剤師もいれば、病院の薬剤師もいるわけで、メーカーの薬剤師もおり、いろいろな薬剤師間の協調が大切だということが第8条です。

吉田 第8条のほうは、薬剤師というのは幅が広いから、お互いの分野で協力するということで、ちょっと違うんですね。

堀江 第8条のほうは、職能間、関係医師とか含めるわけですが、そういう医療側の中でどういうことをやっていかなければいけないかということですね。

(秘密の保持)
第9条 薬剤師は、職務上知り得た患者等の秘密を、正当な理由なく漏らさない。

薬剤師は、医療に関わることで患者の個人の秘密を知り得る立場にある。刑法第134条により、薬剤師は「故えなく其業務上取扱いたることに付き、知り得たる人の秘密を漏らした時」は秘密漏洩罪に処せられる。このことは臨床試験への関わりについても喚起されている。また処方せんの取り扱いについても、十分に留意しなければならない。あくまで患者個人の基本的人権は守らなければならない。

堀江 さて第9条というのは、実は、倫理規定の中に敢えて入れたということがあるのですが、このへんについてどうでしょうか。
 昭和43年の規定では第10条になるわけですし、既に刑法134条にあるのだから規定する必要性があるのかという意見が会員の中には出てくるかもしれない。また、逆に前文の前段のほうで憲法・法規が入っており、第3条では、薬剤師法に絡む関連法規が入っております。それが刑法の中に入るのか入らないのかという問題もあるのです。刑法に載っているから当たり前だということではなくて、我々も当然それを倫理規定の中に入れて会員への周知をはかり、国民に対して私たちはこうですよということを宣言するという意図でこの第9条が入ったということなのですが、これについて先生方、ご意見をお願いします。

山川 第9条は、教育委員会の倫理コードの時にもあったし、薬局委員会が作られた倫理規定にもあった。それは、日本国憲法の中にもある。そういう意味で、この第9条に守秘義務のようなことばが載るのは、むしろ当然だと私は思います。それはFIP倫理規定の第4条にもきちんと書いてあります。私は、これは倫理規定の中にきちんとなければいけないと思います。ただ、はじめにこの第9条は「秘密をもらしてはならない」というように、ここだけそういう文章になっていました。しかしそれを敢えてここは「漏らさない」という宣言、誓いのことばにしようという形になって、最終的にはこれで落ち着いたと思うのですが、ここだけはどうてしも「漏らしてはならない」というようなことばでないとだめだという議論が随分あったと思うのです。
 ただ、それについても、ではこの薬剤師倫理規定を守らなかったらどうなるのかということも議論があったと思います。フランス薬剤師会の倫理コードというのは、法律になっているのです。ですから、あれに違反をすると、法律として罰せられるということがフランスの薬剤師にはあります。ここでこういうことをいっても、ではこれに違反したらどうなるのか、罰せられるのかという問題になるわけですけれども、これはそうでなくて、「薬剤師は基本的に守らなければいけない、これを尊重しなければいけないのだ」ということを、精神として知っていて、これは何も日本薬剤師会の会員であろうとなかろうと、薬剤師たるものはこうでなければいけないということをいうという意味で、最終的に宣言文に統一したということになったのです。

吉田 守らなくて罰せられるのは、これと同じことが法律にたくさんあるわけです。そちらに任せればいいことで、我々はそれをよく守りますというだけではおかしいから、こういうように漏らさないと自分で宣言したわけです。

堀江 条文の中で、一つ「ねばならない」的なものが生まれたわけですね。

吉田 これは全く同じことが法律にあるから、それをしてはならないと書くと法律を持ってきて、そのまま書いたような形になるし、自分で漏らしません、法律を守りますということと同じですね。

田原 法と倫理というのは何かという問題で、本も出ていますが、法律というのは国の強制的な権力があるのですが、倫理規定にはないんです。では守らなくてどうのこうのというのは、だいたい倫理規定そのものがそういうことを求めているのではないと思うのです。これは、自分の心から発する、あるいは納得してこうするというものだと思います。
むしろ、法のほうがそのへんは弱い。罰則があるから守るんだというようなニュアンスもあるわけですが、この倫理規定というのは罰則とかなんだというものの上にある、私は心の問題だと思っているのです。
 この規定の一つの重要な点は、「正当な理由なく」というところなのです。ここでは要するに秘密は漏らさないということに重点が置かれているのですが、我々としてはむしろ「正当な理由」とは何か。「正当な理由」があったらむしろ漏らすということを意味しているのではないかと思っています。というのは、やはり薬学の進歩発達のためには、秘密ということを全面に出してしまうと、みんな秘密にくくられてしまう、闇の中に入ってしまうわけです。私は、それは非常にいけないことだろうと思います。ですから、個人のプライバシー、個人の秘密については慎重に扱う上にも慎重であるけれども、また一方では、いわゆる全人類の幸福にかかわるものでしたら、敢えて公表する。そうしないと進歩発達がないのではないかというような、そのへんも「正当な理由」というのは、これからよくかみしめていかなくてはいけないのではないかと思います。

吉田 副作用情報などは、報告しなければならないけれど、これがあるから報告しませんとは言えませんよね。そこはやはり倫理にもとづいてやってもらいたいのです。この10条にある「もとる」というのもたいへん難しいですね。これは二転三転して大変だったのですが。

山川 そういう意味で、法律にもなっているフランスの倫理規定というのは、行動綱領のような形で非常に積極的な役割を薬剤師に求める。例えば、10条の中で「信義にもとる」という表現は難航しましたけれども、フランスでは仲間で不正なことをやったら積極的にそういう行動を止めなければいけないというようなことが倫理コードにあるんですね。一種の法律になっているということから、そういう意味では非常に行動的なところが随所に盛られていると思います。コードの成り立ちが基本的に違うということがありますね。

(品位・信用等の維持)
第10条 薬剤師は、その職務遂行にあたって、品位と信用を損なう行為、信義にもとる行為 及び医薬品の誤用を招き濫用を助長する行為をしない。

薬剤師は、職業的品位に反する手段で顧客を引き止めたり、不当な営業活動は慎まなければならない。医薬品を患者に販売する場合、患者の健康状態を利用して不当な利益を得ることを目的とした、職業的道徳に反する行為や協定に関与してはならない。医薬品の乱売や乱用などの行為は禁じられている。薬剤師として患者および地域社会の人々からの信頼と尊敬を得るように努めなければならない。

堀江 さて第10条のところは、これはまさに職能の遂行にあたるというところですが、この「品位と信用を損なう」、ここまではだれもが分かる。あるいは、後半の「医薬品の誤用を招き濫用を」も分かる。ただ、この「信義にもとる行為」というのは、倫理規定そのものを言っているのか、あるいは倫理以外にも信義にもとる行為ということがあるのか、そのことばの意味が、どこまでの範疇を先生方は頭において盛られたかな、ということについてコメントをいただきたいと思います。

田原 実は、薬局委員会で原案を作る時に、ここのところがかなりポイントとして議論されたのです。というのは、薬局第一委員会というのは、委員全員が開局者ですから、日頃開局という立場から薬剤師のあり方というものが目につくわけです。そうしますと、どうも広告とか、廉乱売といったものに倫理的におかしいものがあるのではないかと、そういうところでそのへんを盛り込んだ倫理規定が可能なのかという意見がありました。そんなことがあって、薬局委員会のほうの原案にはそういうことを盛り込んだのですが、それではあまりにも見方が狭いかなあということで、こういう「品位と信用」とか「信義にもとる」というようになったのかと思います。
 私共は、当初は、そのへんを頭に描いてやっていた人もいたということです。

吉田 ぼくのところへ、ある人が言ってきたのは、倫理規定を作るのだったら、一行だけ書け。嘘つかない、ずるしない、それだけでいいと言われたのです(笑い)。それがここに出てきていると思うのです。

山川 特別委員会では、はじめに薬局委員会の倫理規定を規定としてきちんと出せないかということでずいぶん議論がありました。だけど、あまりにも、乱売とか廉売とかいうようなことで、もうちょっといい表現はないかということから、では規定らしいことばにすると、「信義に障る」という表現があることを私が提案して、その時は漢字で書いたのです。
 ところが、「障る」という字は当用漢字ではないから今の若い人にはこんなことを書いても読めませんよと。だけど、私は読めないものも敢えて書いたら、これは何て読むのだろうと調べて、本当に理解してもらったほうがいいということを申し上げたことがあったと思うのです。また信義まではきちんとしても、もとるをいろいろな表現に置き換えたらどうかという意見もだいぶ出たのです。
 しかし、置き換えるのはどうか、だったら仮名で「もとる」と書いたほうがいいということでこうなったのですが、具体的なことからいうと、もっと泥臭い話です(笑い)。だけど、やはり規定としてそうするのだとすれば、確かにフランスの倫理規定の中にそういうのがあって、著しく相反する業務をやっていた時には、進んでそこに行って阻止しろというようなことが書いてあります。しかし、どうもそういうことを倫理コードに書くわけにはいかない。そうすると、最終的にここで落ち着いたと思うのですけれども、こういうことがきちんと入っていれば今のようなことを全部、ある意味で表わしていると私は思います。
 そういう意味では日常的な泥臭いこともこういう表現の中には盛られていると思います。

堀江 要するに信義ということばの意味ですね。

吉田 そこまでいくと、学校になってしまいますよ(笑い)。
 この字もだいぶもめたんですよ。苦労して。また、漢字で書いたらルビをふられてしまうから、かなでもしょうがないね(笑い)。

田原 確か英国の倫理コードの中には、薬剤師というのは、医薬品以外の例えば健康食晶とか健康器具に安全性または品質に疑いのある時、薬剤師が率先して売ってはいけないとか、薬剤師がそれを保証するようなことを言ってはいけないというようなことがあったと思います。そういうものも含めて品位と信用を損なう行為、信義にもとる行為といっているのでは。

吉田 日本語では非常に幅広いものがある。

山川 幅広いから具体的に分からない面もある(笑い)。
 確かに、倫理規定とか倫理コードというのは、行動規定ということもずいぶん含んでいて、あるところでは非常に具体的に書いてあるのです。だけど、この場では必ずしも具体的なことではない。業務規定ではないのですね。

吉田 これを受けて業務規定など、細かいことができてくるだろうと思うのです。これはもとになるものだから、あまり具体的なことは書きにくいですね。ここだけというわけにはいきませんからね。

田原 薬局委員会でも特別委員会でもだいたい10条前後、8から12ぐらいの問でまとめようということが、委員の問で合意ができていました。あまり長ったらしくても困るし、3条でもちょっと短い。

吉田 これは、詰めると3条になってしまうんです(笑い)。綱領になってしまうんです。綱領ではちょっと筒単すぎると言われてしまいますからね。それこそいろいろなところに掲げて、私たちはこうしますと頑張るのだったら、あんまりごちゃごちゃ書くよりも3条ぐらいのほうがすっきりするのですが、もう少し具体的にと言われてもこれが精一杯でしょうね。

田原 友人から、今回の倫理規定を読んでかたいと言われた。もう少しやわらかいほうがいいのではと。確かにそういう面はありますね。

山川 薬学教育委員会の倫理コードから比べたら、かなりやわらかくなっていますよ。

吉田 分かりやすく、やわらかくとはよく言われましたけど。

山川 分かりやすく、やわらかくするということは非常に難しいことです。短い文章で的確にすべてのものを表現しようとすると、どうしても固い文章になる。やわらかくすると文章は長くなる。短くするともれるところが出る。

田原 ひらがなよりも漢字の方がコンパクトになる。倫理規定も年中変更することはよくないにしても、いっぺん作ったから永久にということはないと思います。
 やはり時代に沿って改めるべきだと思う。現在ベストであっても、来年どうなるか分からない。

山川 今のような世の中の変化は激しいから、益々そういうことが起こるかもしれないですね。

最後にひと言

堀江 新倫理規定の策定に当たっては、巳薬の誠意を全部詰め込んでご検討いただいたわけです。本当に献身的な意見を含めて検討いただきました。
 最後に、この倫理規定をお作りいただいた立場から、これを今度は具体的に、まず第一には会員に規定の遵守をどう具体的に指導を図るかということ。私たちが作ったんだ、,だからあとは執行部だよ、といわれればそのとおりですけれど、いわば会員自身がそれを踏まえて意識して欲しいということも含めて、会員や執行部に対する注文があれば、ご意見を伺いたいのですが。

田原 薬剤師会としての一つの使命というのは、こういう倫理規定を作って、これを大きく掲げることだと思います。そういう意味から改定したわけですから、まず、周知徹底して公表するのが薬剤師会の責務だと思います。
 具体的にどうするかということになりますと、例えば、免状のような、額に入るような一枚の紙に作って会員に配るということをしてもいいと思いますが、そういう具体的なことは執行部にまかす。私としては、周知徹底をして、そして皆さんに守ってもらうようにしてもらいたい。守ってもらうというよりも、心から納得して守ってもらう。そのように仕向けていただきたいと思います。

堀江 日薬作成の「医薬分業の動向」という小冊子には、新薬剤師倫理規定、それから同時に薬剤師綱領と、保険薬局遵守事項を合わせて一緒に掲載させていただいています。以前に薬剤師綱領などは刷りものとして、昔、調剤室に貼っておくようにといわれて、もらった記憶がありますね。

山川 私も、今、田原先生がいわれたとおりで、せっかくこういう立派な規定が30年ぶりに出来たわけですから、これを薬剤師が勤める職場になんらかの形で掲げるとか、フランス薬剤師会は倫理コードを小さな手帳みたいなものをこしらえて出していますが、それと同じようなもので、簡単で常に目にできるようなものを具体的には作られることも一つの案かなと思います。

堀江 作ったほうからすれば、会員への周知は、執行部の責任ではあるけれど、具体的なご提案をいただくということはたいへんありがたいと思います。他に言い忘れたことなどがありましたら。

山川 例えば、薬剤師会の証(カード)の裏に規定がきちんと書いてあるわけです。こういうことも必要なのではないかという気がします。

堀江 では、吉田先生、今度は委員長という立場で。最終的には委員長一任というところまでいったぐらいですから、非常にご苦労をいただいているわけです。日薬の相談役でもいらっしゃるわけです。日薬に対するご注文があれば。

吉田 注文は別にありません。皆さんのご協力でなんとかまとめられたことを、ただ感謝しているだけです。ここから先は、執行部がどう敷衍(ふえん)していくかということだけだろうと思います。決めたことをみんなで守る、そういう気運を作っていただくほうがいいのではないかと思います。

堀江 まさにご指摘いただいたことを、執行部として検討していかなくてはいけないと思っております。
 要は、今回の倫理規定改正の基本でありました医療の担い手である薬剤師の倫理規定を改めて見直しをする。これはもう会員には厳守をしていただくようにする。心に刻み、それと同時に、社会的には薬剤師はこうありますよということを宣言できるようにしたいということについては、まさに、その趣旨に基づいた提案をいただき、その原案がまたそのとおり理事会決定ということで、日薬の薬剤師倫理規定としてもう既にスタートを切ったわけであります。あとは、その行動ということになると思います。
 主担当を命じられて、薬局関係の小委員会の時から、また、この特別委員会の時から、いろいろ執行部の一員として注文をつけたり、こっちへ無理やり引っ張ってくるような発言もしたかもしれませんが、いろいろと支えをいただき、具体的なご提案をいただきまして、本当にありがとうございました。この座談会で規定本文の行間を埋めていただけたことと思います。前段は特別委員会審譲の延長線の感ではありましたが、後段は苦労話となり笑いも出てまいりました。
 心から御礼申し上げます。これで終わらせていただきます。         つづく

今回の薬剤師倫理規定については過去の日薬誌をひも解いて大変な作業があったように思う。出来上がりは大変分かり易い構成になっている。2回に渡っての特集の形だが、今回は倫理規定そのものの意味について、どのようなことを意図して作成したかを、委員会に携わった委員の検討を通してまとめている。次回は参考にした国際薬剤師・薬学連合(FIP)の薬剤師倫理規定や、保険薬局及び保険薬剤師療養担当規則、さらに下敷きとなった薬剤師倫理コードについても公開して、より立体的に薬剤師倫理規定について理解できるように企画した。                       (Y.U.)

<シリーズ・「ダメ。ゼッタイ。」薬物乱用防止活動10>

今回は青少年が最も中毒に陥りやすいシンナー体験者の例を元に、シンナー経験者が次に移行しやすい覚醒剤にスライドしてしまうと中毒症状が速やかに現れてしまう実状をご紹介し、そのような人々の回復施設として活動しているダルクの所在地を紹介します。 

シリーズとしては今回で最後となりますが『ダメ。ゼッタイ。』の活動は今後も続いていきますので、その都度薬物中毒については取り上げていきたいと思っています。これまでご紹介してきた内容を参考にして是非、身近な『ダメ。ゼッタイ。』の活動に生かしていただけたらと考えています。

(T.S.)

シンナー

〜田隈小学校保健委員会にて〜

年に1度行っている田隈小学校の学校保健委員会(医師・歯科医師・薬剤師・校長・教頭・養護教諭・保健所・PTA各委員会)でシンナーの話をしました。中野小児科校医がタバコの害について15分間話をした後、20分間程シンナーの害について、21歳男性の具体的な話を中心に話しましたのでここに掲載します。

(上村)

○21歳男性の話

以前私は近所にいた暴走族の兄貴に「気に入られたい」と思っていた。何も考えずに、ただ不良は「かっこよい」と考えていた。その兄貴の勧めで何も考えずシンナーを吸ってしまった。しかしその当時は止めようと思えばいつでも止められると思っていたし、学校で見た他の先輩みたいにだらしなくはならないと思っていた。

シンナーの吸い初め・きっかけというのは、大体こんな気軽な感じで始まっているようです。しっかりと断る。そういった強い意志。また吸うことによってどうなっていくのかをよく教えていく。一度しかない人生が台無しになるということを、よくよく教えていかなければならないと思うわけです。

そのうち学校へは行かなくなり、車で夜を過ごすことが多くなってきた。シンナーは吸っていたが、覚醒剤には手を出すまいと思っていた。しかし仲間が覚醒剤を持ってきて、やろうということになった。「どうなるだろう」と不安だった。仲間外れにならないために注射した。その時自分はこの薬にはまってしまうと思った。
 最初は薬をコントロール出来た。段々コントロール出来なくなって、幻覚や幻聴が出てきた。それでも当時は止める気はなかった。

覚醒剤のみの使用、乱用だと3ヵ月前後で、慢性の幻覚妄想状態になります。ところがシンナー経験者が覚醒剤をうちますと10日〜20日で幻覚妄想状態になるといわれています。この幻覚妄想状態のことを覚醒剤精神病という。

ある日「薬を持ってこい」と下の階より父の声がしたので、覚醒剤と注射器を持って2階から下りた。父はびっくりしてそれまで見せたことのない涙を流した。「持ってこい」というのは幻聴だった。その時初めて恐くなった。

シンナーの場合、慢性中毒になるのは
 1週間に1度のペースで  =6ヵ月
 1週間に2〜3度のペースで=2〜3ヵ月

薬を使っていた仲間が何を言っているのか分からなくなって、翌日自分に火を付けて死んだ。もう一人は自分から自動車に飛び込んで死んだ。

シンナーによる自殺者と事故死は大体半々ですが、最近は自殺者がやや増える傾向にあるようです。

そのうち薬に対してコントロールが利かなくなった。感情や行動に関してもコントロールが利かなくなった。夜起きて外に飛び出したり、土下座したり訳の分からないことをしだした。

本当に訳の分からない事件が多いです。
この前も小倉で子供を人質に両手で刃物を振り回したという、女性の事件がありましたが結局、覚醒剤使用者だということでした。幻覚妄想があったんだと思います。

精神病院で「薬物依存症」といわれた。入院するとき最初はどこに連れて来られたのか分からなかった。親は淡々と帰っていった。
いろんな声が聞こえ、ものすごく恐かった。

本当に自分ではコントロールできなくなる訳なんです。

「助けてくれと」と思った。
「薬は今後使いません」といって退院したが止めるつもりはなかった。退院して使った。
すぐにコントロールが利かなくなった。そのことを親に正直に話した。

逆耐性現象(次頁のQ8)

「もう一度病院に行くか」と言われて、もう一度最後にやろうと思った。泣きながら薬を使ったこともある

本当に残酷な・凄惨な状態になっていくんです。ぼろぼろになっていきます。


@ シンナーの成分
 ・トルエン          64%前後
  吸引量が多いと中枢神経系全体を抑制し運動失調・昏睡・呼吸血管運動中枢を抑制して
  死亡する。
 ・エステル類(酢酸エチル・酢酸プチル)  15%前後
  呼吸器刺激症状が強い。
  肺の障害が出やすい。
 ・メチルアルコール      10%
  網膜・視神経に対する毒性が強い。
  視覚障害や失明をおこす。
 ・ベンゼン          20%前後
  造血機能を抑制して貧血を起こす。
  重症では再生不良性貧血になる。
 ・他 キシレン・トリクロルエチレン

A 身体への影響
 ・歯−歯を溶かす性質があるので歯がぼろぼろになる。
 ・気管支−粘膜が傷つけられる。呼吸困難。
 ・胃−粘膜が傷つけられひどい場合出血。
 ・肝臓腎臓−ひどい場合壊死状態になる。
 ・骨髄−血液が出来なくなる。
 ・神経系−手足のしびれ、筋肉の衰え。
 ・目−眼底出血で失明。
 ・脳−脳が小さくなる。テンカンなど。

B 耐 性
 陶酔感を得るため段々量が増えてくる。
 精神的依存が強い。

C 逆耐性現象
 シンナーを止めた後、少量を吸うことによって元に戻ってしまう。

D 再燃現象(フラッシュバック)
 シンナーを止めた後、アルコールやストレスによって吸ったときと同じ状態になる。

E シンナー依存症の治療成績
 (入院治療後2〜4年後 291人中)

 成績不良        84名(28.9%)
  死亡          12名
  服役中         15名
  精神病院入院中     32名
  仕事、学校に行かない  25名

 成績良好        85名(29.2%)
  ほとんど休まず通勤通学 85名

 その他         122名(41.9%)
  行方不明        60名
  仕事に長続きしない   56名

覚醒剤とシンナーを比べると、依存はシンナーのほうが弱いが、非常に強い神経毒を持っている。幻覚妄想の無くなり方も、覚醒剤だけなら使用を止めたら1週間、遅くても1カ月もあれば無くなるが、シンナー経験者の場合は覚醒剤の使用を止めても、長い年月幻覚妄想状態は無くならない。(Q4 脳萎縮のCT写真)

(広報委員:上村義徳)

薬物乱用Q&A(保健福祉局地域医療課)パンフレットより

回復がやっかいなシンナー少年たち

ダルクの入寮者は、シンナーや覚せい剤、大麻、マリファナ、ヘロイン、街の薬局で買える咳止め薬、睡眠剤、鎮痛剤など、さまざまな薬物依存に陥っている。一番多い薬物依存はシンナーで約50%、次が覚せい剤で20%で、この2つだけでほぼ70%を占める。20歳代前半の若者がほとんどだ。

さまざまな薬物の中で、回復のために一番やっかいなのはシンナー依存の若者だ。多くの若者が、10代の初めから吸引を始めている。

そして、ダルクにたどりついた時には、“ぶっこわれている若者”がほとんどだ。ぶっこわれているというのは、いま、自分が嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか、自分の感情がわからない。感情表現ができない。感情認知ができない状態のことをいう。ガンで言えば、末期ガンの状態である。

シンナーを吸引すると、幻覚を見る。カレンダーから松田聖子が出てきて微笑んでくれる。しかし、ヘロインを使った時のように、虫が身体の血管を這っているような本人が感じる身体症状がないから、症状が進行しやすいのだ。だから、ミーティングに参加して、仲間たちの話を聞いても、プログラムの効き目があまりない。長い間の体験から、10歳から13歳までの間にシンナーを遊びで吸い始めて、25歳を過ぎても吸引を続けていたら、回復率はゼロ。回復したケースはない。低年齢者のシンナーの吸引は、自殺行為だ。生命を確実に縮めてしまう。薬物の種類よりも何歳の時に薬物をやり始めたかの方が問題で、低年齢でかかわった人ほど回復は困難になる。

シンナー少年が家族の説得などで、ダルクに登場するのは、たいていの場合シンナーを吸い始めてから10年もかかっている。それだけの長い間、シンナーを吸い続けているわけだから回復は難しい。

覚せい剤の場合は、後遺症が残ると回復がむずかしくなる。後遺症が残るかどうかは、覚せい剤を使った期間、量はあまり関係ない。体質によってかなり違うようだ。

例えば、あるバクチ好きの中年は、30年間、バクチをやる時だけ、覚せい剤を使っているが、薬物依存による後遺症はなく、仕事もきちんとこなしている。しかし、シンナーの経験者が覚せい剤をやると後遺症が出やすい。わずか1〜2ヵ月使っただけで、「ヤクザに追われている!殺される!」という追跡妄想に襲われて、警察に飛び込んだりする。その後も「指のささくれが虫に見える」とか、幻視という後遺症に悩まされている。

覚せい剤を使わないクリーンな状態が続いていても突然、「あいつは、オレの悪口を言っている!」と被害妄想に襲われたり、勘繰ったりするわけだから、人間関係が作れない。

「お前はバカだ。もう死ね!」という幻聴に悩まされ続けたり、「暴力団に追われている!」と幻聴が聞こえて警察に飛び込んだりしている薬物依存者も回復はかなり難しい。

また、覚せい剤は使っていないのに、突然、使っていた時の症状が現われる。フラッシュバックと呼ばれる症状で、錯乱状態になることがある。

追跡妄想や幻視、被害妄想、幻聴、フラッシュバックなどの後遺症を抱えた薬物依存者には、ダルクプログラムだけでは回復は難しいことがある。精神病院で医療の力を借りる必要があると思う。覚せい剤の後遺症で、回復が難しくなった場合は、結局、精神病院に入院するしかない。病名は分裂病などだが、実際は、覚せい剤の後遺症で精神病院に入院中の薬物依存者は、全国1〜2万人にものぼると思う。

ただし、覚せい剤の依存者は、もともとエネルギッシュな人が多いから、回復すると仲間たちのためにアクティブに行動し、大きな力になる。

依存した薬物の種類に関係なく、薬物依存者はいつでもスリップする。病気が再発する危険性を秘めている。なかでも、スリップしやすいのは、20歳代前半で“よい子の息切れ”タイプの薬物依存者だ。

本人も家族も高学歴で、父親は大企業に勤務し、母親は専業主婦という家庭に育ち、市販の咳止め液などに溺れてしまったケースだ。なぜ、スリップしやすいかというと、家族の目を気にして、家族のためにダルクに入寮し、クスリをやめようとしているからだ。

薬物依存者は、家族のためになどという理由では決してクスリはやめられない。

自分のためにやめたい、という気持ちにならなければクスリはやめられない。そういう気持ちになるまでに、何度かのスリップが必要なのだ。しかし、もともと理解力のある若者たちだから、ミーティングに出席し、きちっとしたタウンセリングを受ければ、問題点に気がついて、回復に向かって動き始める。

“まじめなシンナー少年”もスリップしやすい。自分の感情がわからないほど症状は重くない。まだ、人格はぶっこわれてはいない。とにかくシンナー一筋で、他人の過ちが許せない、やたらと他罰的な性格のシンナー少年がいる。例えば、車がほとんど走っていない、横断歩道を青信号でないのに渡った人を見て、異常に腹を立てて、注意までする。

自分はシンナーを吸っていて、他人の過ちをアレコレ言える人間ではないのに…。ちょっとアンバランスなシンナー少年がいる。このタイプのシンナー少年は、まじめだからクリーンの状態が一応、3〜6カ月は続く。しかし、必ず、やがて息詰まって、スリップする。重い便秘持ちが便秘を繰り返すように、スリップを繰り返すのだ。ぶっこわれていないからやがて薬物依存から回復する可能性はある。しかし、回復までには何度かのスリップが必要で、時間がかかる。

薬物依存 近藤恒夫文(大海社より)

ダルク(DARC:Drug Addiction Rehabilitation Center)施設ガイド

仙台ダルク
〒983-0824 宮城県仙台市宮城野区鶴ヶ谷4-16-7  
022-252-2855
●代表/上林孝幸 ●スタッフ/3名 
●定員/デイケア15名 ナイトケア12名 
●設立/1996年にオープンしたばかりの施設。

茨城ダルク「今日一日ハウス」
〒307-0021 茨城県結城市大字上山川6847
0296-35-1151
●代表/岩井喜代仁 ●スタッフ/8名
●定員/クォーターハウス10名 ナイトケア13名 
●設立/1992年毎日の食事は当番制でメンバーを作り、山登りや温泉などをプログラムに取り入れ、体力づくりと生活のリズムを回復する事に役立てている。

東京ダルク
〒116-0014 東京都荒川区東日暮里3-10-6
03-3807-9978
●代表/鈴木文一 ●スタッフ/6名 経理1名 
●定員/デイケア20名 ナイトケア、:8名 
●設立/1986年東京は全国でもっとも自助グループの充実している(グループ数、ミーティング数ともに)地域であり、その利点を利用して東京ダルクでは就労の時の相談または退寮後のアフターサポートに力を入れている。
入寮者・通所者ともにグループミーティングの他、入寮者はそれぞれの担当スタッフが個別カウンセリングを定期的に行っている。家族の相談も受け必要に応じて病院や専門家による相談機関への紹介もする。

ダルク女性ハウス
〒116-0014 東京都荒川区東日暮里3-10-6(東京ダルク) 
03-3810-0376(直通)
●代表/上岡陽江 ●スタッフ/2名 経理1名 セラピスト1名 
●定員 デイケア14名 ナイトケア6名 
●設立/1990年通常のミーティングの他、アートセラピー、ヨガ等をプログラムに取り入れている。

横浜ダルク・デイケアセンター
〒232-0006 神奈川県横浜市南区南太田1-18-19
045-731-8666 相談室045-743-0048
●施設長/五十畑修 ●スタッフ/3名 経理・事務局1名 
●定員/デイケア30名 ナイトケア5名 
●設立/1990年フォーラム、感謝祭、チャリティーコンサート等を中心に、地域へのメッセージ活動に力を入れている。
94年より地域作業所として新たにスタートする。幅広い受け入れ体制を整えるため、現在移転を計画中。

名古屋ダルク
〒462-0834 愛知県名古屋市北区長田町4-67
052-915-7284
●代表/外山憲治 ●スタッフ/1名 
●定員/デイケア10名 ナイトケア4名 
●設立/1989年デイケアを中心に炊き出しのボランティア活動やスポーツプログラム等の体力づくりに重点が置かれ、責任者自らビギナーと共にプログラムを実践する。また支援会の協力により自立、社会性回復の訓練の場として、版下印刷工房(ダルク・ポップアート・ファクトリー)を開設。

大阪ダルク
〒569-0826 大阪府高槻市寿町1-4-6
0726-96-9980
郵便物宛先 〒558-0000 大阪市住吉郵便局私書箱61号(小包は必ず「ゆうパック」でお願いします)
●代表/ダダ ●スタッフ/3名 
●定員/デイケア10名 ナイトケア4名 
●設立/1993年大阪はもとより京都、神戸、滋賀、和歌山、奈良等、関西方面を中心に精力的にメッセージ活動(ダルクフォーラム)を行う。

九州ダルク
〒812-0017 福岡県福岡市博多区美野島2-5-31カトリック福岡教区美野島司牧センター内
092-471-5140
●九州地区ダルク主宰/スマイル ●九州ダルク代表/茂木常房 ●スタッフ/3名
●定員/デイケア10名 ナイトケア6名
●設立/1994年覚せい剤の輸入の拠点地であり、若者にシンナー乱用者の多い福岡において、九州にあるダルクの拠点地として精力的に九州地区にメッセージを送る。

宮崎ダルク
〒880-0027 宮崎県宮崎市西池町11-36
0985-38-5099
●代表/河野俊男 ●スタッフ/3名 
●定員/デイケア20名 ナイトケア6名 
●設立/1995年福岡の九州ダルクに次いで開設された施設。
南九州を中心、にメッセージ活動を行っている。

ダルク女性ハウス・九州
連絡先/宮崎ダルク
●代衷/河野和美 ●スタッフ/1名 
●定員/ナイトケア4名 
●設立/1996年宮崎ダルクが開設されたのち、今度は女性のために開設された施設。宮崎ダルクとともにメッセージ活動を行っている。

沖縄ダルク・デイケアセンター
〒901-2221 沖縄県宜野湾市伊佐1-7-19
098-893-8406
●代表/三浦陽二 ●スタッフ/5名(内女性1名)
●定員/デイケア20名 ナイトケア14名 クォーターハウス7名 
●設立/1994年94年開設以来、琉球太鼓、ビーチクリーンナップ等、沖縄ならではのプログラムを取り入れ効果を上げている。
またクリニック(かいメンタル・クリニック、院長 稲田隆司)での治療とミーティングを一体化させた、他のダルクにはない個性的なプログラムを提供している。毎年、夏に「沖縄ダルクフォーラム」を開催、全国のダルクから多くのメンバーが参加している。女性の入寮も受け入れている。

図:乱用 第三次覚せい剤乱用期!
図:覚せい剤が原因となった事件・事故
図:密売 これが薬物密売の実態だ!

第3回学校薬剤師学校保健研究大会

2月5日市薬講堂において第3回学校薬剤師学校保健研究大会が開催された。中央警察署保安課長の森岡哲夫氏の特別講演「薬物乱用の実態について」に続いて女賀信子先生、木村英樹先生の研究発表があった。森岡哲夫氏の特別講演は警察庁発行の資料を使い薬物乱用の実態を非常に具仕的に話して頂いて分かりやすかった。その最新の資料より興味深い表やグラフをいくつか抜粋してみた。

(Y.U.)

学校薬剤師への「薬物乱用防止」の講演依頼が増えています。また薬物乱用の低年齢化により赤坂小学校での「ダメ。ゼッタイ。」教室が実施されています。その様子が第3回学校薬剤師学校保健研究大会で発表されました。講演依頼を受けられた時にはこの特集が役に立つと思います。
 教材のビデオは教育委員会・薬務課・学薬にいろいろ準備されています。(M)

市内小学生への「薬物乱用防止授業」 〜意識調査に見るその効果と意義〜 福岡市学校薬剤師会 副会長 女賀信子

「薬物乱用防止5ヶ年戦略」(1998年−2002年)の第一目標の「乱用対策」に政府と都道府県は「中高生を中心に薬物乱用の危険性を啓発し、青少年の薬物乱用傾向を阻止する」事を掲げています。

1996年2月、担当校の赤坂小学校より、初めて「薬物乱用防止授業」の依頼を受け、以後、毎年卒業式を控えた、6年生を対象に実施して参りました。女性協議会や担当校以外の教職員の皆さんへの講義等も致しましたが、いずれも「薬物乱用」の認識度は当時はまだ低いものに感じられました。そして、この年('98年末〜'99年末)市内小学生4年生〜6年生(中央区2校、南区2校)832名へ「乱用防止授業」を実施し、いずれの学校に於ても同一様式の意識調査をアンケート方式で行いました。驚きと恐れの言葉で溢れた素直な感想文とはうらはらに薬物に対処する彼等の反応に驚かされる結果となりました。

設問は「薬物乱用」の「認知度」と「理解度」そして「対処能力」(ライフスキル)を評価する内容とし、いわば「寝た子を起す?」との意見も見られる小学生への「薬物乱用防止授業」の効果と意義を見い出す事を目的としました。

さて、私の授業はおおよそ、次の様に展開します。

「教材」
1.ビデオ「森の裁判」20分
2.薬物乱用防止副読本
 @ 薬物乱用は「ダメ。ゼッタイ。」
   福岡県薬物乱用対策推進地方本部・福岡県警察本部・福岡県教育委員会発行
 A 薬物乱用は「ダメ。ゼッタイ。」健康に生きよう パート12
   財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センター発行

1.乱用とは何か、乱用の3要因
 host(人)、agent(シンナー)そして enviroment(社会環境要医・心)
 「乱用」の成立する3要因を説明します。併せて、シンナーの社会への貢献(溶剤としての存在意義)を理解させ、「乱用」を誘発する「心」すなわち、ティーンエイジャーの内面的特性、孤独や劣等感をいかに克服するを話します。皆それぞれに素晴しい事を伝えます。皆違って皆いい。…みすずさんの詩を引用したりして。

2.急性中毒と慢性中毒
 脳が萎縮し、身体内部の臓器に様々な障害が起こり、末梢神経の障害からまともに円すら描けなくなる事を副読本の図解を利用しながら説明します。
 習慣性と依存性についても分からせ、フラッシュバック現象にも触れ、一回でもダメである事を強調します。

3.ここでいよいよライフスキルの習得への示唆です。
 例え、誘われても「ダメ。ゼッタイ。」と 断わる勇気、又乱用から回避する事の大切さを説きます。

4.最後に乱用に対する法的罰について「死刑」という極刑もあるアジア各国を例に挙げ、薬物乱用をゼッタイに許さない社会を作る事が世界共通の課題である事を話します。
 以上でちょうど50分〜60分の授業です。

さて、この様に授業を受けた児童達へのアンケート調査結果ですが、4校全832名中、教職員の全面協力を得て解析を終了しえた1校375名のデーターを公開致します。他の3校について得られた数値、比率は学校間の差を論じ、解析を深める手段にとどめました。又本解析は男女別をとりませんでした。

【考察】

児童はビデオや話を通じ各々の感想文に見られる様に、乱用の恐しさや有害性を充分認知した様に見えるにもかかわらず「それでも乱用するか」の問に「1回位は使ってみたい」や「その時になってみないと分らない」といった解答が見られたし「大切な友人がシンナーを吸っているとしたら」の問に「見て見ぬふりをする(かかわりたくない)」と解答した者がどの学校にも無視出来ない数、見られました。

これらの結果は総務庁が平成9年全国調査した高校生の意識調査の結果を連想させるものとなりました。すなわち他人に迷惑をかけないのであれば個人の自由とした者が4人にひとりの割合でいたとの当時の新聞記事に心ある者は皆胸が痛み、教育関係者を狼狽させてしまったものでしたが、10才〜12才の小学生に既にその傾向が芽生えていると見てしまうのは悲しい事ですが現実です。

日曜日は大盛況「薬物教育」は有害性を充分に理解させ、それが乱用の「予防的態度」へと連動するものでなければならないとすれば、生徒へ日常接する教師らによる更なる「教育」の必要性を痛感します。

覚醒剤使用者の最初の乱用薬物は「シンナー」が最も多い(最新精神医学vol.2-4)事や、乱用者の治療は脱落者が多く、社会復帰の困難さを見ても「予防」こそが最も有効かつ重要である事を認識し、次の世代を担う子供達に小学校の時から「予防、防止教育」をする事は、危険物を回避する「ライフスキル」の向上育成に大いに効果と意義を認めるものと思います。薬の専門家として、学校薬剤師の積極的関与が期待されるところでもありましょう。

☆ 副読本は県薬務課に依頼すれば、入手出来ます(全て、使用後県へ報告書を提出致しました)。

☆ '99年10月九山大会、'99年11月 日薬大会に於ける「薬物乱用」に取り組んだ北海道、秋田、山口、長崎の「中高生への意識調査」を参照下さい。


アンケート集計結果(授業後の意識調査)
アンケート集計結果(授業後の意識調査)2
アンケート集計結果(授業後の意識調査)3

福岡市赤坂小学校の松本太加保教諭による「自ら健康で安全な生活を考え、行動する児童の育成」という研究発表のなかに学校薬剤師の取り組みがあります。(M)

本年度の防煙教育・薬物乱用防止教育指導の重点

年間計画に基づき、教科領域との関連的指導を実施する。また、学校薬剤師・関係機関(保健所)と協力しながら、6年生を対象に、喫煙防止・薬物乱用防止の指導を中学校入学を控えた3学期に行う。

○薬物乱用防止に関する指導の実際

a 指導日時:平成11年2月10日 第6校時

b 指導者:6年担任 
      本校学校薬剤師 女賀先生

c 指導内容
 ・VTR「森の裁判」視聴
 ・講話
  ○薬物乱用とは
  ○薬物乱用の現痍
  ○1回の使用でも問題とされるのはなぜか(フラッシュバックについて)
  ○薬物乱用の誘惑の手口と分析
  ○薬物乱用の勧めを断るスキルの習得
  ○質疑応答

d 子どもの反応
 学習の後に子どもたちが書いた感想から

・塗料などに含まれているシンナー(有機溶剤)は人間の生活を豊かにしてくれているものだとは知らなかった。しかし、使用の仕方を間違ってはいけないと思った。

・シンナー(薬物を乱用すること)がいけないことだとは知っていた。しかし、具体的になぜいけないかがよくわからなかった。体がぼろぼろになるのがよくわかった。

・今まで、1度ぐらい吸ったシンナーなら、後遺症も残らずに治るだろうと思っていた。しかし、フラッシュ・バックという恐ろしい症状が現われるので、1回でも絶対にいけないことがわかった。

・シンナー(薬物乱用)や麻薬などは、誘われたり脅かされたりしても絶対にやってはいけない、また、絶対にさせてはならないことがわかった。もし、誘われても勇気を持って断ろうと思う。

(平成11年3月「福岡市学校保健会だより」第32号より)

第7版 ”福岡市急患診療医薬品集”発行のお知ら 医薬品集編集委員会 第7版急患診療医薬品集が出来上りました!

昭和50年4月に初版を発行して以来、4年毎に改訂しております。今年で25年が経過し、ミレニアムの年に第7版を発行する事は非常に意義深いものを感じます。

前回の平成8年改訂の際も、前年7月施行されたPL法によって添付文書は各社、改訂につぐ改訂で大変な編集作業であった事を覚えています。前回発行以後も、ソリブジン事件の教訓もあり、平成9年4月、“医療用医薬品添付文書の記載要領について”の通知がありました。警告、禁忌欄の記載位置変更や相互作用、副作用を表形式で記載するなど添付文書の全面改訂が行なわれました。

この様な状況のもと、今回の改訂作業においてもページ数を500ページ以内に納めるという要請もあり、各編集委員の苦労は大変大きなものがありました。

平成11年4月、福岡市医師会会長より、福岡市薬剤師会会長へ医薬品集改訂の協力依頼がありました。早速、薬剤師会学術委員、急患委員及び急患センター出勤者数名による医薬品集編集委員会を設立しました。

医薬品集改訂委員会を2回、編集委員会を月1回ペースで合計8回開催し、意思統一をはかりながら原稿作りをしました。年末までに3回の校正を終え、平成12年1月中旬には印刷へ回すことができ、安堵している所です。

今回の医薬品集の表紙カラーは、ダイエーホークスの日本一との関係は定かでありませんが、オレンジ色に決まっておりました。夏場の暑いリーグ戦の後半戦、原稿作りをしながらダイエーの優勝を期待する気持は、ますます盛り上ったものです。

急患診療で使用するという立場上、内容的には、添付文書の必要ある項目のみを限定して編集しました。その分、充実したものに出来上りましたので、利用される際には、満足していただけるものと確信しております。

最後に、医薬品を選定していただきました医師会医薬品選定委員の先生方、編集に携わっていただいた薬剤師会医薬品編集委員の先生方、藤原良春会長、市原和郎急患委員会担当常務理事各位へ、又、医師会、薬剤師会、印刷会社の間を多忙の中調整して頂いた急患委員の成澤哲夫先生へ厚くお礼申し上げます。

平成11年4月福岡市医師会より医薬品集改訂協力依頼


 〜福岡市急患診療医薬品集改訂委員会〜

平成11年4月〜平成12年3月

委     員   益 田 龍 彦  福岡市内科医会理事
          木 下 正 教  福岡地区小児科医会理事
          金 澤 光 乗  福岡県臨床外科医学会福岡支部専務理事
          戸 次 鎮 昭  福岡臨床整形外科医会理事
          古 野 剛 一  福岡市産婦人科医会理事
          上 原 真 幸  福岡市医師会眼科部会理事
          川 野   嘩  福岡地区耳鼻咽喉科専門医会理事
          市 花   晃  福岡市薬剤師会副会長
          千 阪 善 弘     〃   常務理事
          豊 福 順 一     〃   理事
          中 尾 泰 正     〃   急患委員
          成 澤 哲 夫     〃   急患委員
                                       計12名

担 当 役 員   福 田   量  福岡市医師会副会長
          江 崎 泰 明     〃  専務理事
          大 木   安     〃   救急担当理事
          後 藤 元 継     〃   救急担当理事
          中 山   卓     〃   救急担当理事
          江 頭 啓 介     〃   救急担当理事


〜福岡市急患診療医薬品集編集委員〜

福岡市薬剤師会
学術担当副会長   市 花   晃  福岡市立こども病院・感染症センター・薬局長
編集委員長     千 阪 善 弘  国家公務員共済組合連合会浜の町病院・薬剤部長
編集委員      中 尾 泰 正  福岡市立こども病院・感染症センター・副薬局長
          豊 福 順 一  国家公務員共済組合連合会千早病院・薬局長
          龍   三千子  医療法人敬仁会友愛病院・薬局長
          山 本 純 子  竃局白十字
          堀之内 真 紀  泣Aワーズいずみ薬局
          高 木 淳 一  そよかぜ薬局
          権 藤 雅 彦  医療法人順和長尾病院.・薬剤科長
          白 石 聡 美  総合メディカル鰍サうごう薬局
          神 崎 圭 子  原病院・前薬局長
          野 村 徳 子  医療法人輝松会松尾内科病院・薬局長
          野見山   登  福岡市薬剤師会薬局
          今 岡   恵  恵愛団薬局
          成 澤 哲 夫  福岡市立急患診療センター

【勤務薬剤師会報告】 福岡地区勤務薬剤師会新年例会及び新年会 理事 千阪善弘

 平成12年新年例会が1月14日(金)、ホテルセントラーザ博多3階「花筐」にて119名の出席を得て、18時30分より行なわれました。
 特別講演として、今津赤十字病院デイケア看護婦長光益イツ子先生より「痴呆性老人の素顔−看護を通して見えるもの−」という演題で講演していただきました。老人性の年齢による判断力、記憶力減退と痴呆の初期症状とは区別し難いものですが、看護を通してそういう見きわめについてお話ししていただきました。
 新年例会に引続き、九大病院歯学部唐澤博順先生の司会で新年会が行われました。大石了三会長の挨拶のあと、福岡県保健福祉部薬務課住吉孝之課長、福岡県薬剤師会宮崎和人会長、福岡市薬剤節会藤原良春会長よりミレニアムでの記念新年会に対するお祝いのお言葉をいただきました。
 篠崎正幸副会長の乾杯によって懇親会と入っていきました。宴もたけなわ、写真同好会を中心に会員より寄せられた自慢作品の表彰が、名誉会員の飯野常高先生より講評と共に発表されました。(金賞1※当ジャーナル表紙写真、銀賞2・銅賞3 ※当ジャーナルうら表紙のうらに掲載)
 平成11年度卒業の13名の新会員の紹介と各人一言ずつ期待や抱負を語ってもらいました。
 ゲームタイムは、出席者お待ちかねの恒例のビンゴゲームです。ビンゴが進むにつれて、会場のあちこちでどよめきと拍手が起っていました。
 最後に、顧問の金枝正巳先生の閉会の辞によっておひらきとなりました。

住吉孝之・金枝正巳・坂本昌利森川俊一・宮崎和人・佐藤義廣
唐澤博順・藤原良春・篠崎正幸(敬称略)

【'99中央区健康フェアアンケート調査報告】 〜お薬に関する意識調査〜

【目 的】

平成11年10月14日。中央区あいれふに於いて、健康フェアが催されました。平成10年10月15日に行った調査では、私達薬剤師が日常的に使用している薬剤用語について、一般の人々がどれだけ理解しているのかを調べることで、一般の人々の理解度と、薬剤師の理解度の落差を日常の服薬指導に役立てていけるのではないかと考えてアンケートを実施しました。そこで、今回も昨年に引き続き、薬剤師が日常的に使用している用語について、一般の人々がどの程度理解しているかについて、又、一般の小売りの薬局に於いての薬の情報提供が必要とされているか、否かについて、内容を絞って、98年と同様に調査しました。併せて今回は具体的な薬剤についても使用法などについて調査しましたので、報告します。

【方 法】

平成11年10月14日あいれふで行われた、中央区健康フェアに訪れた来館者について別紙1のアンケート調査を実施しました。アンケートは昨年と同様、主にあいれふを訪れた来館者を対象としましたが、お昼時にはあいれふの職員の方も参観に見えられ、その方々も対象に含めました。アンケートは昨年と同様に聞き取りと自主記入方式を併用し、回答した方には用語の解説をしたパンフレットを差し上げました。

【考 察】

昨年は男女、年齢について聞かなかったため、男女差、年齢差による意識調査は出来ませんでした。そこで今回は、年齢、男女についても項目を設け、男女差、年齢差についても考察したいと考えましたが、圧倒的に女性が多く、男女の意識度については考察出来ませんでした。

来館者の男女共の年代別割合は20代5.7%、30代10.5%、40代13.6%、50代21%、60代28.9%、70代17.1%、80代3.1%で、女性では60代が最も多く、ついで50代、70代の順に、男性では60代についで70代の順になっていました(表1、図1)。これは健康フェアが平日に開催される為、平日に自由な時間をもてる年代層を端的に現わしているように思います。

次にアンケートの回答について(表2、図2、具体的回答例参照)

1.内用薬、外用薬についての言葉の理解度は良いと思われます。具体的内容についても大体的確な説明があり、きちんと理解出来ていると考えられます。

2.頓服薬については、平成10年におこなわれたアンケートに於いても理解度が低いことがわかりましたが、今回のアンケートでも、わかると答えたのは半分強。なんとなくわかるを加えれば80%以上の理解度になるものの、具体的回答例をみると、中には かなり意味を取り違えているものもあり、更に理解度を上げる努力が必要と感じました。

3.重複投与と相互作用についてはわかる、なんとなくわかるを合わせれば、8割以上の人が理解できているように思いますが、具体的な回答を見てみると、重複投与がまずまずの回答であるのに、相互作用については2種類以上の薬の服用で良い効果が上がると考えている向きもあり、これについては前回のアンケート調査に於いても似たような結果が得られているので、もう少し相互作用で引き起こされる予期せぬ副作用の問題について理解させる必要があるので はないかと考えます。

4.服薬指導という言葉については、わかる、なんとなくわかる、併せて8割以上になることと、具体的回答の内容にも問題になるような的外れの回答はないことから大多数の人に理解されていると考えられます。

5.かかりつけ薬局については、わかると答えている人の中にも、平成10年に取ったアンケートでは病院と契約している薬局というような一病院に一薬局の図表を示唆させる具体的回答もありましたが、今回はそのような回答がなくなり、いつもかかっている薬局、個人の薬歴を知っていて相談にのってくれる薬局などの回答からも意識の変化が見えてきたように思います。これは多くの広域病院が院外処方箋を発行するようになってきたのも薬局に対する意識が変わってきた一助になっているのではないかと考えます。それはなんとなくわかるまで含めると9割以上の人が大体理解している結果にもなっています。

 次に、今回アンケートにもりこんだ具体的な薬の使用状況についてみてみました。

1.イソジンのうがい薬は、適当に薄めて使っても問題はない。という質問に、問題があると答えた人は、26.8%で、それ以外の約7割の人が至適濃度についての理解が不十分なのではないかと考えます。実際に、長い間のどの不快感を訴える患者さんが、かなり濃い濃度で使用していた事実を窓口での会話の中で知った経験があり、適正な濃度での使用が大切であると説明したことがあります。反対に、一、二滴しか入れてないという患者さんもいたりします。イソジンガーグルでの重大な副作用はほとんどないかもしれませんが、不適正な使用により引き起こされる状態に対し、医師がその事実を知らずに、患者さんの訴える不快感に言われるまま状態を改善する為の抗炎症薬なりなんなりを処方したりすれば、最初のきっかけはほんの些細な事であるのにそれが重大な副作用を生む状況に至ってしまうとすれば、薬剤師のしっかりした指導がどんなに重要であるかが認識されると思います。

2.湿布薬は痛いところにいっぱい貼っても良い。という質問には、約6割の人が悪いと答えており、最近の消炎鎮痛貼付薬と従来の湿布薬の見分けがつかないのではないかと考えて、この質問をしてみたのですが、悪いと答えた人が6割もいたのは意外でした。最近病院で処方される湿布薬の量が制限される為、副作用云々でなく、手元にある量に制限がある為、たくさん貼れない→たくさん貼ってはいけないということになっているのかもしれないと考えられますが、処方量の制限が副作用発現の軽減の一助になっているかもしれません。OTCにおいてもたくさんの消炎鎮痛貼付薬が販売されていることも考えて、これからは薬剤師が外用の消炎鎮痛貼付薬の副作用についてもっと一般の人々に認識させていく事で、本当の意味での湿布薬の適正使用を拡げていけるのではないかと考えます。

3.眠れないときにもらう薬は、床について努力してもだめな時に飲んでもよいし、もらった薬より量を減らして飲んでもかまわない。という質問には、よいと答えた人が約4割。実際に薬の副作用が恐いので減らして飲んでいるとか、1時とか2時まで眠れず悶々として終いにたまらず起き出して服用するというのをよく聞きます。薬の血中濃度が上がらないと効果が出ないこと、薬の作用時間についての服薬指導をもう少し徹底して、それを認識した上での服用方法は患者さんに委ねられるかもしれませんが、往々にして患者さんは自分が起きたときには薬の効果はなくなっていると考えている向きがある為、薬剤師が薬の作用時間、血中濃度というものを繰り返し指導する必要があると考えます。

4.以前もらった薬を同じ様な症状の人にあげてもよい。と言う質問には9割以上の人が基本的にいけないと理解しているようでうのはよく聞きます。全くの他人からもらう頻度は低いと考えられますが、近親者に於いてもその代謝酵素が違うというのは最近解明されてきており、そのあたりを窓口で指導していく必要があるのではないかと考えます。

次に2点、OTCにおける薬の説明の必要性の有無について聞いてみました。

1.OTCでの薬の説明を必要とするというのは9割の人が必要性を感じているようです。

2.OTCにおける薬の副作用の説明についても9割の人が必要と答えています。特筆すべきは、薬の作用の説明にはいらないと答えている人が4.3%いるのに対し、副作用についていらないと答えた人は皆無であったことです。最近はスイッチOTCの種類も増えてきており、一回にたくさんの情報を提供することが無理でも一番重要な事から少しずつ説明して行く必要があるし、一般の人々もそれを望んでいると考えられます。

3.最後に相談しやすい薬局についての質問については、調剤薬局、小売りの薬局、どちらも半々で特別な偏りはありませんでした。

【まとめ】

平成11年の健康フェアの際に行ったアンケート調査は回答総数250枚。うち、年齢、男女の質問に回答がないものを無効として処理した結果、約230枚の有効回答が得られました。平成10年に行った調査では男女差、年齢差などの比較が出来なかった為、平成11年の健康フェアではそのあたりが比較できないかと考えましたが、男女の数では圧倒的に女性の来館者が多く、年代も60から70代の人々が一番多く男女差、年齢による意識差にづいては考察できませんでした。これは今後例数を増やしていけば又結果を出していけるかもしれないと考えています。

前回に引き続き用語の熟知度は今回も同様の割合になりましたが、かかりつけ薬局に対する認識が約1年で随分変化しておりそれは薬剤師会のかかりつけ薬局の推進、又広域病院の院外処方箋発行で調剤薬局に対する意識が随分変わってきている事が反映しているのかもしれないと考えます。薬剤師がなにげなく使用している言葉が一般の人々に理解されない時、今はかみ砕いて説明すると言うことも必要でしょうが、将来的には一般の人が普通に使用し、理解できる言葉として認識させていく必要があると考えます。

具体的な薬剤の使用法については考察にも書きましたが、薬剤師が筒単に考えている薬剤、又、一般の人々が簡単に考えている薬剤の中に不適切な使用法により引き起こされる二次的な重大な副作用を惹起する原因があるとすれば、それを起こさないように出来るのは薬剤師の適切な指導と考えます。それは、OTCの薬剤についても、スイッチOTCの薬剤が増加している昨今薬剤師の適切な指導が必要と考えますので、今後もアンケートを取る機会があれば他の薬剤についても聞いていきたいと考えています。

現在、今回行ったアンケートを中央区の各薬局にもお願いして調査を行っていますので、今後今回の調査と併せて又発表していけると思います。平成11年の健康フェアアンケートの調査報告を終わります。

(広報委員:鮫島千織)

お薬に関するアンケート
表1 年代別分布
表2.アンケート解答の割合

〔具体的回答例〕

1.以下の言葉の意味がわかりますか?
@ 内服薬(内用薬)・外用薬
・内服薬は飲む薬、外用薬は塗る薬
・内服薬は体内に入れる薬、外用薬は体の皮膚など外で使う薬
・内服薬は、経口的に飲む薬、外用薬は傷につける薬
・内服薬は、いつも飲む薬
・病院より薬名、利用する原因が袋に書いてある

A 頓服薬
・煎じて飲む
・熱さまし
・飲むもの
・粉薬
・発熱時など、必要時に飲む薬
・鎮痛剤
・飲む薬の総称
・即効がある
・その時だけ飲む
・飲み薬、富山の薬
・一時的に飲む
・症状が出た時に飲む

B 重複投与
・重なってしまう薬
・複数飲める
・同様の効果がある薬を同時に使う事
・重複して飲む
・別の病院で同じ薬(名前が違う)をもらったりする
・同じ薬を重ねて投与する事
・同じ内容の薬をいくつも飲む
・数種の薬を同時に服用する
・一緒に飲む
・いろいろな薬を服用する事
・2種類以上の事
・一症状に複数の薬を同時に飲む事
・薬の副作用

C 相互作用
・引き起こる状態
・互いに効果を増す
・二つ以上の薬を飲む時、薬の効き方が、効きすぎたり、効かなかったりする事
・薬の成分が似ている物で同時に服用すると強く出たり効き目が弱まる事
・数種類を一緒に取る事
・薬同士が互いに作用する事
・2種類以上の薬を飲むことで、新たな作用が起こる事
・お互いに働き合う効果
・両方兼ねることで良く効き目が出る事
・薬を複数飲むとお互いに作用が出てくる
・お互い助けあう
・2通り飲むことで弊害を取る
・一種類以上でお互い良いところで作用
・薬同士の飲み合わせ
・異なった薬が相互に薬同士で効果を出した
・初期の目的以外の効果をあげた
・2種類以上の良い作用
・薬同士の飲み合わせ
・異なった薬が相互に薬同士で効果を出した
・初期の目的以外の効果をあげた
・2種類以上の良い作用

D 服薬指導
・飲み方、保管、副作用、量、薬の作用などを教えてくれる
・薬を飲む上での注意事項
・薬についての説明、指導
・ややこしい時がある
・薬局、薬剤師さんに聞く
・薬の効き目を指導する
・薬剤師さんが薬の説明をしてくれる
・調剤薬局で指導
・医師又は看護婦さんに説明を受ける
・薬の利用法の説明

E かかりつけ薬局
・いつもかかっている薬店
・行きつけの薬局
・薬を買うときに同じ薬局にしているという事
・薬のことなどで相談でき、いつもかかる薬局
・いつも薬を求める薬局が一定している
・いつも薬をもらう事
・まける薬などある時は、かかりつけを作っておく
・常時行き、客の体がわかっている薬局
・日常薬を買いに行く店
・個人の服薬歴を知っていて相談にのってくれる
・薬剤師の指導を受けるから、いつも自 分が利用している薬局
・いつも薬の事について聞いたり、かかったりする事
・手帳を持つことでトータルの服用薬がわかる
・平常相談出来る薬局
・薬局は栄養剤しか求めない

F 薬局と薬店の違いについて
・調剤薬を出す店とドラッグストアのような店
・薬専門の店と薬もおいてある店
・病院からの処方箋によって調剤する所とそれ以外の一般の民間薬を売っている所
・薬局は薬剤師さんがいて処方をしている所
・調剤薬局と市販薬を売る店
・薬剤師さんが常時いて(処方箋必要)薬をもらう所と薬の成分が弱い薬以外の商品もOK
・薬局には処方を扱う薬剤師さんがいる
・薬局は薬事法に定められている物は売れない
・薬剤師さんがいる
・薬局は日用雑貨を設置している。薬店は薬のみ設置
・薬局は調剤をする
・薬局は病院の先生から頂いたもので薬を処方してもらう。薬店は自分で判断して買いに行く
・薬局は薬のみ、薬店は他のものも
・薬局は処方箋による。薬店は日常的な薬を置いている
・薬局は処方箋で調剤する。薬店は市販薬を売る
・調剤薬局と一般薬屋
・薬剤師さんがいる所とただ薬を売っている所
・薬局は医薬品以外の商品も置ける
・薬剤師さんがいる所といない所
・薬局は、病院の薬をもらい、薬店はどこにでもある店
・薬局は調剤してもらい、薬店は薬剤師さんがいない

2.次に一般の小売りのお薬についてお聞きします。
@ 一般の小売りの薬局で買うお菜の説明をして欲しいですか?
・買ったことがない

A 一般の小売りの薬局と調剤薬局では小売り薬局のほうがお薬のことや症状について相談しやすい
・その時の担当により違う
・お店による
・どちらでも良い
・小売り薬局のほうが聞きやすいが調剤 薬局のほうが安心できる
・薬局の人柄による
・わからない
・薬剤師さんがいればどちらでも良い
・小売り薬局はこちらが聞かない限りあまり説明がない
・小売り薬局のほうが聞きやすいとは限らない
・調剤薬局は患者が勉強する事で、又遠 慮なく真剣に質問する事が出来る
・調剤薬局のほうが相談しやすい
・どちらとも言えない
・どちらでも相談して欲しい
・小売り薬局のほうが顔を知っているので相談しやすい

おもひで写真館(あの時、君は若かった)No.4 我が青春の追憶 2 中央支部 警固部会 永寿堂薬局 中野 佐(タスケ)

私は昭和16年4月8日、京城府黄金町6丁目にありました京城薬学専門学校に入学しました。日本人70名、韓国の人30名、台湾の人5名でした。京城薬尊の近くには京城師範学校(立派な建物)・府民病院・東大門小学校・東大門京城運動場・野球場・訓練院がありました。学校教練は学校の前にあった訓練院で行われました。大和町2丁目の叔父の家から通学しました。浅醇さんと言う日本人の家主で借家を200軒も持っておられ、浅野さんの家の前を通って通学しましたが、お嬢さんが弾くのか、いつもピアノの音がしていました。

大和町は逓信省の官舎が多くありました。大和町の緩やかな坂道を下った左角には政務総監(田中武雄)(朝鮮総督南次郎陸軍大将の次に偉い人)の壮大な官舎があり、左奥には朝鮮軍憲兵隊司令部がありました。大和町の坂道を下って右の道を辿って本町5丁目の電車始発点で電車にのり花園町→黄金町4丁目で乗り換え、黄金町5丁目→京城師範学校前で降りて200m程歩いて、京城薬尊の通用門に達して登校しました。大和町からは学校まで2,000m程しか離れていませんでしたので歩いてでも通学はできました。

当時は京城の人口は東京、大阪に次いで人口100万で日本人40万、韓国の人60万でした。朝鮮の政治・経済・学問・軍事の中心地で、官吏・学生・軍人・鉄道・逓信・運送等あらゆる分野の人達が多く住んでいた街でした。

デパートは三越・三中井・丁子屋・和信がありました。日本人町として賑わったのは本町通り1丁目から5丁目までの商店街でした。韓国の人の町として鐘路1丁目から5丁目までが賑わっていました。

朝鮮王朝の景福宮・昌徳宮・昌慶苑・徳寿宮があり、日曜日には良く散策に行きました。学校は京城帝国大学法文学部・理工学部・医学部・予科・高等工業・高等商業・法学専門学校・医学専門学校・歯科医学専門学校・薬学専門学校・鉱山専門学校・フランス人の経営するセブランス連合医学専門学校等がありました。龍山には朝鮮軍司令部(当時の司令官は坂垣征四郎陸軍大将)・第20師団・歩兵・工兵・砲兵・鞘重兵・騎兵等の部隊があり軍人の街でした。

京城薬専の校長は東大薬学科出身で海軍薬剤少将玉虫雄蔵先生(後の名城大学薬学部長)、教頭は東大薬学科出身で伊東半次郎先生(後の徳島大学薬学部長)で専属の教授は4人で皆東大出身者でした。講師もすべて東大出身で京城帝大医学部、朝鮮総督府の役職にある方が先生でした。科目はドイツ語(日本の医学・薬学はドイツに学んだので勉強させられました)・有機化学・無機化学・分析化学・薬用植物学・生薬学・細菌学・理論化学・物理学・数学・鉱物学・薬理学・生理学・化学機械学・有機薬品製造学・無機薬品製造学・裁判化学・防空化学・薬学ラテン語・国民道徳倫理学・日本学・学校教練等で6ケ月短縮卒業だったので、3年生の2学期・3学期の授業を受けなかったので重要な調剤学や日本薬局方・薬事法令は学びませんでした。午前中は2科目教科書による授業、午後は1時から4時まではすべて実習でしたので中学より、専門の学科だけやっていれば良いので楽だなあと思いました。

現在とちがうのは軍事教練で水曜日の午後の3時間は38式歩兵銃を銃器庫より取りだして学校教練を受けることです。中学の時は配属将校は大尉と準尉の2人でしたが薬専では大佐と中尉と少尉の3人で将来は、(陸軍士官学校出身の下級将校〔少・中・大尉〕の戦死が続出したので)日本陸軍の中堅となる幹部候補生にならなければならないと言って鍛われました。

昭和18年6月、38度線の向うにある江原道平康の地平線が遥か彼方に見える広大な高原地帯の陸軍演習場で一週間兵営宿泊の訓練を受けました。現役の陸軍の下士官の指導を受けて、散兵戦・手榴弾投擲(とうてき)・擲弾筒(てきだんとう)・96式軽機関銃・92式重機関銃・迫撃砲の操作訓練、完全武装をして1日20里(80km)を38式歩兵銃を担いで行軍をしました。200m離れた畳一枚の標的に実弾を5発ずつもらって射撃訓練をしました。水原の原野で京城在住の大学・高等専門学校の学生が文科系と理科系に分れ南軍と北軍になり野外大演習があり私も参加しました。

日本では明治神宮外苑で学徒出陣式がありましたが、京城でもその前に京城帝国大学を先頭に予科・各高等専門学校本年度卒業生1,500名の閲(えつ)兵式が龍山練兵場で朝鮮総督南次郎陸軍大将・朝鮮軍司令官坂垣征四郎陸軍大将に対して頭右(かしらみぎ)の分列行進に私も38式歩兵銃を担いで参加しました。昭和18年は軍事一色でした。昭和18年9月と昭和19年9月、6ヵ月短縮卒業させられた学徒兵は毎年全国で15万人でした。特別攻撃隊用員だった海軍予備学生・陸軍操縦見習士官は2万人。武田薬品に務めておられた中西文二さん(長崎薬専昭和19年9月卒、福岡・長崎出張所長、後札幌の支店勤務)に「海軍予備学生に合格、霞ケ浦海軍航空隊に入隊していたのが1万名で、師範学校出身者が一番多かった」とお聞きしました。

昭和16年入学の私達までは角帽や学生服・靴・教科書も手に入れることができましたが、戦争が苛烈になった昭和17年・18年・19年・20年入学組はあらゆる物資が手に入らないようになって大変だったと思います。

昭和19年・20年入学組の後輩に聞いたのですが、殆ど授業はなくて北鮮の山奥でガソリンがないので松根油を造るため松の根掘りをさせもれたと、天神西通りで開業していた鶴田久雄君に生前にお聞きしました。

昭和6年9月18日より日本は中国と武力衝突以来、昭和20年8月15日まで戦争を15年間もしていました。

私達学生時代は男は兵役の義務がありましたので、満20才になった私は昭和18年5月徴兵検査を受けましたが、身長のわりに体重がなかったので第三乙種第二補充兵に補す、京城兵事区昭和18年11月4日の通知を受けました。薬剤師免許証は昭和18年10月30日付で厚生大臣は小泉親彦、厚生省衛生局長は灘尾弘吉、登録番号は46606号でした。召集令が来るまでと思って長崎県庁に就職願を出していましたら丁度、対馬厳原町に保健所が新設されるので待つように言われ、昭和19年3月10日付で『任長崎県技手判任官三等七級俸(月給65円)長崎県厳原保健所勤務を命ず』と言う辞令が来ましたので勤務しました。主に結核菌と赤痢菌・チフス菌の検出を試験室でしていました。

昭和19年の6月30日付で化学の先生が出征して居ないので長崎県立対馬中学校教授に嘱託す。月手当60円給与、長崎県の辞令を2つも貰って、月・水・金と2・3・4年生に12月まで教えに行っていましたが学校を出たばかりで今になって何を教えたか自分でも分かりません。

昭和20年ともなると沖縄が6月24日に陥落、次には大陸と本土を遮断する為にアメリカ軍が対馬に侵攻してくるかも知れないと革がないのでスフで造った帯と竹で造った鞘(さや)のゴボー剣を吊った老兵1万名と船舶工兵隊(暁(あかつき)部隊)に38ミリ自動砲を持つ港湾守備隊で守っていて、私も南地区隊第三大隊長織川準三大尉の指揮下の衛生隊に任命され軍刀を吊ってきて良いと言われたが昭和20年8月15日敗戦。・対馬の砲台は一発の砲弾も発射せず終戦となりました。終戦前は対馬上空はアメリカの四発の哨戒爆撃機がゆうゆうと飛んでいて制空権は失われていて本土との連絡は月3回夜中に珠丸が航行していました。

戦争当時の日本人の人口は6,000万、男3,000万、女3,000万として実際に兵力になるのは3,000万の20%600万、14才から37才までとして動員兵力は695万4,700人、海外出兵者は452万3,900名、うち戦死者148万2,300人、非戦闘員約80万、合計230万。一番戦死者の多かったのはフィリピン・ビルマ・沖縄・ニューギニア・ソロモン諸島・中部太平洋諸島・小スンダ列島であります。昭和16年・17年・18年・19年・20年、この4年間は日本にとって国家存亡の時で大正生れを主として若い男子が148万も戦死しました。日本女性は最愛の夫、将来結婚するだろう青年を失いました。昭和20年以降に生れた人は幸です。

中国大陸は広いので12〜20年の問1,440,900人の兵力を投入していましたので、戦死者は385,200人です。
 フィリピン投入兵力  466,000人
       戦死者  368,700人
 ビルマ投入兵力    230,800人
       戦死者 160,400人

思い出の京城

【学薬のページ】 平成11年度 福岡市学校保健大会

日 時 :平成11年12月2日

場 所 :福岡市早良市民センター

福岡市学校保健会・福岡市教育委員会が主催する学校保健大会が上記のように開催された。今大会では福岡市学校保健功労者として学校医、学校歯科医、学校長とともに次の3名の学校薬剤師の先生方が表彰を受けられた。

【福岡市学校保健功労者表彰】
有馬  純先生(早良区)原西小学校ほか
清水 達三先生(早良区)有田小学校ほか
川添 成人先生(西 区)西陵小学校ほか
福岡市学校保健会長(福岡市医師会・竹嶋会長)より、表彰状を受けられる有馬先生教育長、医師会長らとともに受賞の代表から謝辞を受けられる藤原会長

また、第2回「喫煙・飲酒・薬物等乱用防止に関する図画・ポスター」表彰では、次のような入選者に福岡市薬剤師会長賞が藤原会長から授与された。
喫煙・飲酒・薬物等乱用防止に関する図画・ポスター入選者

(専務:木原三千代)

<女性薬剤師会のコーナー> 平成11年度 福岡県女性薬剤師会福岡支部新年例会

日 時 平成12年1月30日
場 所 花野(ソラリアホテルB1F)
来 賓 福岡市薬剤師会会長   藤原良春
    福岡県薬剤師会専務理事 小野信昭
    福岡県女性薬剤師会会長 内野孝子
    福岡市薬剤師会広報委員 鮫島千織
                (敬称略)

今年も女性薬剤師会の新年例会が行われました。今年は地下のアットホームな雰囲気の中で行われ、いつにも増して参加者の気持ちが一つになったようなすばらしい新年例会になりました。それは、一つにはご挨拶された藤原市薬剤師会会長、内野県女性薬剤師会会長、小野県薬剤節会専務理事のご挨拶から、女性薬剤師の問題にとどまらない薬剤師全体の今後が現在予断を許されない状態に立ち至っているということを参加者全員が深く受け止められたことにもよると思います。一人一人が自己紹介されていく中でも保育短大助教授の松本先生から保育所における乳幼児の服薬の取り扱いについて現在具体的な実施方法が検討されており、もうまもなく実行に移されていくだろうという、身近な問題への取り組みも紹介されて、単なる新年会の酒席ではない充実した会になりました。

(広報:鮫島千織)

華やかでアットホームな雰囲気の中で…

<商組のページ>

「薬局・薬店」はどこへ行く[上] 「薬局・薬店はどこへ行く」[下]

広報

会議報告

【理事会】

日 時
平成11年12月20日(月)
議 事

1.会長挨拶
 時候のあいさつに続き、
 ・篠崎先生の九山表彰の件
・福岡市の新福祉総合計画の件
・次の会長選挙に不出馬の件
2.報告事項
 (1) 委員会報告
 (2) その他
  ・テレビコマーシャルの件
3.協議事項
 (1) 千早病院の処方せんFAX機器の選定
  ・「ナビ之介」の導入
  ・オペレーターの導入
  ・かかりつけ薬局カードの導入
  ・処方せんの手数料の件1枚200円決定
  ・分業積立金からの支出を認める

(M.I.)

− ★ − ★ −

日 時
平成12年1月17日(月)
議 事

1.会長挨拶

・1/29
臨時代議員会で来期の会長・副会長・監事の選挙をおこなう。1/12介護保険事業計画策定委員会に出席。最終答申を議会に提出した。4月からサービスを提供する・横だし上乗せはしないなどが答申された。
認定審査会の協議により、以前考えていたより介護度が20数%アップしている。
支援事業者は収益事業であるが、認定審査会は現在ボランティアでおこなっている。これを続けるのは無理がある。将来的には専門家による認定作業が望まれる。

・1/13
国保運営協議会があった。来年度の保険料が決まった。リストラその他で加入者は増えているが、未払い者も増えている

2.報告事項
 (1) 会務報告
 (2) 委員会報告
 (3) その他

3.協議事項
 (1) 第45回臨時代議員会の付議事項について
 ・副会長2名・監事1名が定員に達していない。決まらなければ定款により決まるまでの間、今の役員が代行する。

(M)


【支部長会】

日 時
平成12年1月22日(土)
議 事

1.会長挨拶
 介護保険がいよいよ4月よりスタートします。薬剤師会も医療の一員として頑張って行かなければなりません。それから来週29日の土曜日役員改選の代議員会がありますが、副会長・監事の立候補が足りない現状です。予算等見直しも真剣に考えて行かなければなりませんし、難しい時代になってきています。十分な討議をお願いします。

2.報告事項
 (1) 会務報告
 (2) その他
 (3) 会費の件

3.協議事項

(1)第45回臨時代議員会の付議事項について

・副会長2名・監事1名が定数に満たないので、代議員会では別段の方法で選ぶことになる。

・代議員会前に議事運営委員会を開く予定。

・歴代専務には相当の負担をかけていると思う。専務になった方が次々に病気になっているということは、仕事量・内容とも大変なご苦労だと思う。役員の費用弁償を上げる方向で考えても良いのではないか。

4.代議員の確認
・平成12年1月21日現在 72名

(Y.U.)

委員会報告

2月1日までに提出された議事録を基に報告します

【広報委員会】

日 時
平成11年12月14日(火)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委 員:伊東・津田・戸田・森山

議 事
○「1月号」の第1校正の2日目
・細かい所を再校正する。
・写真のコメント入れる。
○追加原稿を載せられるか検討する。

− ★ − ★ −

日 時
平成11年12月21日(火)
出席者
常務理事:北島
委  員:石井・伊東・上村・鮫島・津田・戸田・森山

議 事
○1月号第2校正と写真のコメント検討・追加原稿の校正

− ★ − ★ −

日 時
平成12年2月1日(火)
出席者
副会長:合澤 常務理事:北島
委 員:伊東・石井・上村・津田・森山・戸田

議 事
○市薬ジャーナル2000年3月号編集会議
・原稿回収
・写真選択
○市薬ボウリング大会取材打合せ


【組織委員会】

日 時
平成12年1月7日(金)
出席者
副会長:合澤 常務理事:井上
委 員:見元・平島・松浦・東・竹野・権藤

議 事
○市薬ボウリング大会について
・日 時 H12.2.6(日)集合9:30 スタート10:00〜
・参加費 1名1,500円(ゲーム参加者のみ)

支部だより

〔東〕

〜東区薬剤師会会務報〜

( )内は出席者

平成11年
12月8日 地区連絡協議会(伊東)
  14日 千早病院打ち合わせ
  20日 東区在宅ケア検討会(原口・川口・伊東)
平成12年
1月5日 県薬業団体連新年会(楠木・吉村・伊東)
  12日 千早病院打ち合わせ(伊東)
  13日 役員会(伊東・伊藤・馬場正・楠本・津崎・竹野・川口・馬場智・荒木・中野偉)
  21日 三師会新年会(出席34名)
     千早病院合同会議(伊藤)
  22日 支部長会(伊東)
  24日 千早病院勉強会(出席者77名)
  27日 高齢者保健福祉協議会(荒木)
  28日 臨時地区連絡協議会(伊東)
  31日 千早病院「新・ふあっくす ナビ之介」導入説明(馬場正)

(支部長:伊東美穂)


〔城南〕

〜支部勉強会〜

日 時
平成12年1月25白(火)19時
場 所
城南市民センター 視聴覚室

研修内容
 @「アルツハイマー型痴呆症治療薬アリセプト(R)について」
   エーザイ 学術担当者
 A 各委員会報告
 B その他

(社保・分推:瀬尾 隆)

〜支部忘年会〜

日 時
平成11年12月3日(金)19時
場 所
やま中
参加者
36名

ソフトボール参加者慰労会を兼ねた忘年会 が行われた。松島支部長の「今年一年、薬草 観察会、健康フェアなど御協力下さった先生 方に感謝します」の挨拶で会が始まり、会員 の方々は楽しい時間を過ごした。


(広報:森山健次郎)


〔中央〕

〜部会長・役員会〜

日 時 平成11年12月27日
場 所 福岡市薬剤師会館
1.健康フェアの反省と今後についての検討
2.アンケート調査について(47頁に報告あり)
 ・健康フェアアンケートの集計結果
 ・今後の薬局店頭に於いてのアンケート調査実施について
3.新春の集いについて
4.その他

(広報:鮫島千織)


〔博多〕

 〜事業報告〜

平成11年12月
 8日 県薬地区連絡協読会 鶴原会長出席
 10日 理事・部会長会

平成12年1月
 7日 博多区新春を祝うつどい 高木理事出席
    博多区医師会新年会   鶴原会長・森川副会長出席
 13日 ステップアップセミナー
 14日 歯科医師会博多支部新年会 鶴原会長・蔵元専務出席
 17日 第5回博多区在宅ケア懇談会 蔵元専務・木原理事出席
 20日 結核についての講習会
     講師:博多保健所 鈴宮予防課長
    予備代議員会
 22日 支部長会平成12年2月
 2日 博多保健所運営協議会  鶴原会長出席
 10日 ステップアップセミナー

(広報:石井雅明)


〔早良〕

〜結核研修〜

平成12年2月17日早良保健所にて結核研修が開かれた。西野予防課長のさわやかな司会進行で、本村早良区薬剤師会会長の呼びかけるような挨拶の後、村上所長のわかりやすい講演が行われた。「知って防ごう結核」と題して、8枚にも及ぶレジメを用意して、詳しいデータを示して頂いた。さらに診断に至るまでのケースなど非常に興味深く、具体的にお話頂いた。72名の席が満席となり、再びよみがえってきた結核の緊急事態宣言に皆さん真剣に聞き入っていた。今後はもっともっと地域と密着する意味においても、保健所との連携を強めていかなければならないと思う。

村上所長のわかりやすい講演本村会長のよびかける様な挨拶
西野予防課長のさわやかな司会(広報:上村義徳)

第43回早良支部だより

お知らせのコーナー

支部及び勤務薬剤師会対抗親善ソフトボール大会

<文芸>

医聖(いせい)と神医(しんい)(1)

これから正義派は追放され、悪党がはびこる。海内(かいない)のその風を慕う人々は、やがて互いに標梼(ひょうぽう)して、天下の名士を指名し、津名(あだな)をつけた。

一番上が「三君(さんくん)」、次が「八俊」(はっしゅん)、その次が「八顧(はっこ)」、その次が「八及」(はっきゅう)、その次が「八厨」(はっちゅう)とよばれる。

寮武(とうぶ)・劉淑(りゅうしょう)・陳蕃(ちんばん)が三君、君(くん)とは一世を仰ぐ人という意味。

李贋(りよう)・荀翌(じゅんよく)・杜密(どみつ)・王暢(おうよう)・劉祐(りゅうゅう)・魂朗(ぎろう)・趙典(ちょうてん)・亜(しゅう)・が八俊、俊(しゅん)とはすぐれた人の意。

郭元林(かくげんりん)・宗慈(そうじ)・巴粛(はしゅく)・夏馥(かふく)・茫滂(はんぽう)・尹勲(いんくん)・蔡衍(さいえん)・羊陟(ようちよく)が八顧、顧とは徳行で人をひきいる者の意。

張倹(ちょうけん)・岑唖(しんしつ)・劉表(りゅうひょう)・陳翔(ちんしょう)・孔星(こういく)・苑康(はんこう)・檀敷(だんふ)・瞿超(てきちょう)が八及、及(きゅう)とは人を導き、一世に仰がれる人を追求する意。

度尚(たくしょう)・張哀(ちょうばく)・王考(おうこう)・劉儒(りゅうじゅ)・胡母班(こぼはん)・秦周(しんしゅう)・蕃響(ひきょう)・王章(おうしょう)が八厨、厨(ちゅう)とは財で人を救う意味である。

− 後漢書「党銅伝」

−党錮(とうこ)−

 そぐわないふたりが、目の前に広がった黄河を見つめて呆然としていた。
「これは何としたこと。黄河の水がこんなに澄み切っている」 背の高い鼻筋の通った男がいった。
 品のある顔立ちで、ものに動じない威厳が感じられる。意志の強そうな目が鋭く、しかし優しく輝いている。
 もうひとりの男は背が低く、垂れ下がった
太い眉毛の下にはいたずらっぽい子供じみた目が輝いている。
 ふたりが並んで立っていると、どことなく違和感があった。それは背の高さという形の違いではなく、人格の匂いというような独特な雰囲気の違いだ。しかしふたりはどこかで通じているようだ。
「噂は本当だったんですね。張機(ちょうき)殿」
 太い眉毛の男がいった。
「華柁(かだ)殿。どうしたことでしょう。悪い知らせでなければよいのですが」 張機も華作も自分の目で確かめるまで、黄河が澄んでいるなどという噂を信じることが出来なかった。
 張機は洛陽(らくよう)の太学生(たいがくせい)だった。南郡涅陽(ていよう)(南陽)の生まれで医は同郷の張伯素(ちようはくそ)に習った。
学問が好きで幼い頃よりものごとを深く考えるところがあった。それが若くして威厳を感じさせているのだろう。
 張機が洛陽に出てきたのは十七歳の時である。今年二十七歳になるので洛陽には十年滞在していることになる。張機は何としても孝(こう)廉(れん)に挙げられ太守(たいしゅ)くらいまでにはなりたいと思っていた。太守というのは今でいう県知事の様なものである。
 後漠の時代にはまだ科挙(かきょ)のような試験制度はなかった。隋(ずい)の文帝(ぶんてい)を待たなければならない。それまでは孝廉といって、推薦によって人事の補充をしていた。善し悪しは別にして人に認められるということが大事で、人脈が優先された。
 しかし洛陽の太学には三万人の学生がおり登用されるのはほんの一握りに過ぎない。張機のように十年も学生を続けているというのも珍しいことではない。
「これ以上悪くはなりますまい」
 華佗がいった。
「司隷(しれい)・冀州(きしゅう)・予州(よしゅう)では毎年飢饉が続いています」「大変な惨状です」
 張機も眉をひそめた。
「それに大疫が流行っています。張機殿もご存じのように昨年などは予州では十人に四人が亡くなっています。飢饉に大疫と重なってこれ以上悪くはなりますまい」「そうでしょうか」
 張機が遠くを見つめながらいった。
「私はまだまだ悪くなっていくような気がしているのです」
「もっと悪くですか」
「政治が惑いのです。特に宦官が悪い。最近では三君(さんくん)の陳蕃(ちんばん)殿や八俊(はっしゅん)の李庸(りよう)殿が頑張っておられるが、どうにもなりません。中常侍(ちゅうじょうじ)の侯覧(こうらん)・張譲(ちょうじょう)が何かと邪魔をしているということです。まったく宦官というものを一掃したいものです」
「確かに」
「安武殿・陳蕃殿・李庸殿に頑張っていただきたい。私はいつもそう思っています」
「確かに。私も同じです」
「督郵(とくゆう)の張倹(ちょうけん)殿のことはお聞きでしょうか」
 張機が振り向いていった。
「いいえ」
「張倹殿は太守(たいしゅ)の瞿超(てきちょう)殿に乞われて東部の督郵になったのですが、そこは正義派の張倹殿のこと、八及の置超殿の期待に見事に応えています」
「さすがに張倹殿」
「ところで中常侍(ちゅうじょうじ)の侯覧(こうらん)の自宅は防東(ぽうとう)にありますが、百姓が米を滞納したことで目に余る仕打ちがあったそうです。国の宝である百姓に残酷な振舞いをして殺しているのです。
宦官のやり様には限度というものがない。見るに見かねて張倹殿はそのことを天子に上奏(じょうそう)したのです」
「侯覧のことをですか。さすがですね」
「ところがその上奏を侯覧が握り潰して、天子まで届いていないのです」
「そうですか」
「華柁殿、許せますか。そのようなことが」
「・・・」
「中常侍のような宦宮が悪の元凶なのです。衆は飢饉や大疫で苦しんでいるというのに、賄賂や容赦のない取り立てで、自分さえ良ければ良いと思っている」「なんとも嫌な世の中です」
「一昨年、党銅の事件がありましたが、それから宮官が勝手のし放題。世の中が一層悪くなったように感じます」
 党錮というのは党人の禁錮ということである。禁錮というのは終生官職に就けないことで、将来の道は隠遁の生活か、後輩の勉学の指導の道などしか残されていない。
 党銅の発端は単純だった。
 張成(ちょうせい)という占術師(せんじゅつし)がいた。風(かぜ)の音で占う風角(ふうかく)の上手だったが、宦官とも交際があり、桓帝(かんてい)への覚えも良かった。
 ある時何度も占い、大赦で助かることを確かめて、息子に命じて人を殺させた。河南芦(かなんいん)であった李庸が部下に命じて息子を捉えた。
ところが案の定大赦で助かったので、李庸は怒って拷問にかけて息子を殺してしまった。
 そこで張戒は弟子に上奏を書かせた。
− 李庸らは太学の不良学生を養い、諸郡の生徒と結び互いに利用し、共に党派をなし朝廷を誹譲し、世間を惑乱しております 天子はそれを読むと、党人を逮捕させた。
その数は二百名を数えたという。党銅はかなり厳しかったようで、城門校尉(じょうもんこうい)だった寮武(とうぷ)らの連名上奏でようやく天子の怒りも解けたと『後漢書』に記されている。
「張機殿は時事に聡いからそのように思われるのでしょう」
 華化がいった。
「私にはとてもそこまでは考えがいたりません。政治向きは私には分かりません」「華佗(かだ)殿は沛国(はいこく)の誰(しょう)の生まれだと聞きましたが、これからどうなさるおつもりですか」
 張機は話題を変えた。
「私は張機殿のように考えも深くはありません。官職も似合っていませんので、国に帰って医でもやろうと思っています。国でも多くの衆が大疫で苦しんでいます」
「それは良い考えですね」
 張機が華佗の目を見ていった。
「私の郷里は南郡涅陽(なんぐんていよう)ですが張伯素(ちょうはくそ)先生について医術も勉強しました。医術は奥が深いと思います。そして十七歳で孝廉に挙げられましたが、太学でもっと深く勉強をしようと洛陽へやって来たのです。それから十年ほどになりますが、時のたつのは速いものです。むなしく時が過ぎていきます」
「いいえ、張機殿はきっと大成なさいます。
私などとても及びません。私が洛陽へ来たのは、若いうちに一度は都を見ておこうと思っただけで大意はないのです。今後は国に帰り徐州(じょしゅう)を廻って医に専念するつもりです。それに私には官職は似合っておりません。以前沛 国の相の陳珪(ちんけい)殿に孝廉(こうれん)に挙げられました。また大尉(たいい)の黄阿(こうえん)殿にもお招き戴きましたが、職にはつきませんでした。私には似合っておりませんし、特に今のように乱れた状態ではとても官職につく気にはなれません」
「残念です」
 政治も宦宮の思い通りの世の中で、官職についたからといってどれだけのことが出来ようか。そう思うと深い脱力感に襲われるが、張機はそれでも官職につくことが本道であると信じていた。南陽の一族もそれを望んでいる。郷(くに)を出るときも父母は勿論のこと一族が期待を込めて見送りに出てくれた。どうして官職にもつかずに郷へ帰ることが出来ようか。
「どうでしょう」
 張機が華佗を見つめていった。
「汝南(じょなん)に許劭(きょしょう)という人がいます。彼は郭泰(かくたい)と並ぶ人物鑑定(じんぷつかんてい)の上手です。許劭の推薦した人物はいずれも名を馳せています。徐州で遊学なさるなら少し遠回りにはなりますが、汝南の許劭にあってからでも遅くはありません。
私も一度は許劭殿にあって、自分の将来を考えたいと思っていました」
「そうですか。急ぐ旅でもなし。張機殿の良いように」
 このころ士を抜擢する名人といえば、誰もが郭泰(かくたい)と許劭(きょしょう)の名前をあげた。郭泰は不思議な才能があって人の性質や才能を見分けることが出来た。許劭は人を見る目があり、節度を守り恥を知っていると評判をとっていた。
鑑定して貰えるかどうかは別にして、評判の名人に面会するだけでもおもしろいと張機は思っていた。
 ふたりは黙ったまましばらく澄んだ黄河を見つめていた。

 桓帝崩御の知らせが洛陽城内に飛んだ。
 大将軍の竇武(とうぶ)はすぐに宮殿へ登った。
− 忙しくなるぞ
 竇武は先のことに頭を廻らせていた。
 その時、竇武は自分の名前を呼ばれたような気がした。宮殿内は宦宮(かんがん)と士人(しじん)が入り混じって右へ左へ忙しく動き回っている。
− 気のせいか
 竇武が再び動き出そうとしたとき、今度ははっきりと後ろから声がした。
「竇武殿」
 竇武が振り返ると、大尉(たいい)の陳蕃(ちんばん)が立っていた。
「これは陳蕃殿。大変なことになりました」
 と、話し出した竇武を制して、陳蕃は近くの部屋へ誘った。
− 三公(さんこう)の陳蕃(ちんばん)殿が何事であろう
 竇武は何かあると直感した。
 三公(さんこう)というのは官職のなかせも最高の地位で、丞相(じょうそう)・太尉(たいい)・御史大夫(ぎょしたいふ)がそれにあたる。
三公の上は太師(たいし)・太傅(たいふ)・太保(たいほ)といって天子の教育係であるが、これは常にある役職ではない。三公の下に将軍があり大将軍(たいしょうぐん)・驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)・車騎将軍(しゃきしょうぐん)・衛将軍(えしょうぐん)がそうである。その下が九卿(きゅうきょう)で宗廟や礼儀を司っている。宦官は常に天子の近くにおり、特に十常侍と呼ばれる宦官は三公九卿と同等の扱いを受けるようになっていた。
 宦官はもともと宮刑(きゅうけい)・腐刑(ふけい)といわれる刑罰によって男根を失ったものが宮殿の雑事の用に使われていたのであって、恥ずべきものであり、ましてや権力を持つことなどは考えられないことであった。『史記』を書き上げた司馬遷でさえ、刑を受けてから恥じ入って死んでしまいたいと何度も考えたと書き綴っているほどである。
 それが天子にもっとも近しい存在である中常侍のような宦官のほうが、三公九卿よりも天子への影響力が大きくなるのは当然のことかも知れない。
「この様なときに申し上げるのは、どうかと思いましたが」
 陳蕃は世間で同じ三君と呼ばれている竇武を尊敬していた。官職では上とはいえ何事も竇武に相談していた。
「うむ」
− 難しい話を持ち込んできたな
 竇武は一瞬そう思った。
「実は中常侍のことです。竇武殿はどのようにお考えか」
「どのようにとは」
「腹を割ってお話いたします。一昨年の党錮以来、宦官のやり様はますます横暴を極めております。昨年になって恩赦があり禁錮が解けて私も復職致しましたが、以前よりひどくなっております。特に侯覧は目に余るものがあります」
「…」
「張倹をご存じでしょうか」
「張倹」
「東部の督郵です。侯覧の目に余る無法ぶりに、何度も上奏を差し出しているそうです。それが侯覧の手でもみ消され、天子には届いていないということです」
「そうですか」
「侯覧(こうらん)は百姓を残酷に殺したそうです」
「それは私も聞いています」
「侯覧ひとりではありません。中常侍は皆賄賂を請求し、自己(おのれ)のことしか考えておりません。宦官どもの節操の無さは度を越しております。このままにしておけば国はどのようになっていくのでしょう」
「宦宮の無法は今に始まったことではありません。党銅とはよく考えたものです。徒党を組んでことを謀っているなどと、全くよくも考えたものです」
「竇武殿、今しかありません」
「…」
「桓帝(かんてい)が崩御(ほうぎょ)された今、竇皇后(とうこうこう)が太后になられます。そして当然、ご子息であります解竇侯(かいとくこう)の劉宏(りゅうこう)殿が跡継ぎになられるでしょうが、まだ十二歳の若さです。ですから竇太后(とうたいこう)に頑張って戴かなければなりません」
「…」
「竇太后は、竇武殿のご息女ではありませんか。何事か出来ないことがありましょうか。一挙に宦官を払拭して、腐敗しきった政治を正しましょう」
「しっ」
 その時、竇武が陳蕃を制した。
 竇武の視線がゆっくりと入口に移動した。
 陳蕃も視線を追った。
 扉に異常はなかった。遠くで宮殿を右往左往する足音が微かに聞こえるだけだった。
「気のせいか」
 しばらくして竇武がいった。
「私も常々そのように考えています。その記はまた後ほどに。陳蕃殿、くれぐれもご注意を。宦官は宮殿の隅々にまではびこっておりますぞ」
 張譲は忙しかった。宦官の詰所で国葬の式次第を検討していた。その時、侯覧が入ってきた。後ろを気にしながら張譲に近づいた。
「張譲殿」
 侯覧は必要以上に息を殺していた。走ってきたのか呼吸を整えてから、
「張譲殿、大変でございます」
 と、いって再び後ろを振り向いた。
「どうしたのだ」
 張譲は侯覧を坐らせた。
「先程まで竇皇后と国葬の準備の件で打合せをしておりました」
「うむ。大変だがよろしく頼む」
「ところが打合せを済ませてこちらに向かっているとき、陳蕃殿を見かけたのです」
「うむ」
「陳蕃殿は竇武殿を部屋へ誘って、何やら良からぬ話をしている様子なのです。私は聞くつもりはなかったのですが、扉の向こうから中常侍だの宦官だの横暴などと、穏やかでない言葉が聞こえてまいりましたので、そのまま聞いておりました。すると、宦官を払拭しましょうなどと話しております。これは私たちに対する反逆です。一昨年の党銅でもまだ懲りていないようです。恩赦で復職したばかりだというのに全く懲りてはいません。また手を打たなければ大変なことになります」
「太学の書生たちに、三君だとか八俊だとかいわれていい気になっておる。司隷校尉(しれいこうい)の李庸もそうだ。忘れもしない。以前私の弟の張朔(ちょうさく)が李庸(りよう)に殺された。弟は確かに暴れん坊でやりすぎのところはあった。しかし死刑は前もって天子に顧い出るべきものであろう。いかに司隷校尉とはいえ、自供書を取っただけですぐに殺してしまうとは、越権行為もはなはだしい。しかし天子にそのことをお話すると、天子は季庸にお見方なされた」
「私も聞いております。李庸は私たちを目の敵にしております。そのことがあってから私たち常待(じょうじ)・黄門(こうもん)は休暇の日にも後宮の詰所から外に出たがらなくなりました。日常のことでも差し支えが出ております」
「うむ」
「この際、もう一度党錮を行ないましょう」
「うむ、思い切った策が必要だろう」
「今度は前回のようななまぬるいやり方ではなく、徹底的にやるべきです」
「うむ」
「張譲殿、私に良い考えがございます」
「どのような」
 張譲は膝を乗り出した。
「張倹を利用するのです。張倹と同郷のものに朱並(しゅへい)というものがおります。その朱並は張倹を恨んでいるということです。私にお任せください」
 張譲は侯寛の悪知恵には一目置いていたので、策を開かずにうなづいた。
 侯覧がうっすらと笑った。

 張機と華佗は汝南に着いた。
 ふたりが通された待合室は簡素で落ち着きを感じさせる。
「許劭殿」
 扉の向こうから、低いが鋭くてよく通る声が聞こえてきた。
「私は大尉の橋玄殿に懇意にしていただいております。『天下は今に乱れると思う。それを平定できるのは並の才能では駄目だが、君がそうかも知れない』といっていただきました。そして自分は年老いたので、許劭殿と交際するよういわれたのです」
「橋玄殿も人物をよく観ます」
 もう一つの声がいった。
「そこで許劭殿、わたしをどのように思われるか鑑定してくだされ」
「先程も申し上げたように、橋玄殿がそのようにいわれているなら、それでよいではありませんか」
「わたしは許劭殿の鑑定が聞きたいのです」
「お断りしても聞きますまいが、どうしてそこまで人物鑑定にこだわっておられる」
「私はこれまで好き勝手に遊びま
わってきました。しかしそろそろ私も世に出て活躍したいと考えているのです」「そうですか」
 しばらく沈黙があった。
「太平の世の中では、姦賊(かんぞく)と呼ばれるかも知れない」
「姦賊‥・」
「ことを起こせば、姦賊として追われる身となるかも知れません」
「何といわれる」
 低い声が響いた。
「ただ、これから世は乱れてくる。そうなると橋玄殿もいっていたように、乱世ではあなたは英雄と呼ばれるでしょう」
 しばらくの沈黙の後、笑い声が起こった。
「許劭殿、ありがとうございました。またお会いいたしましょう」
 待合室を通り抜けるとき、男は張機と華佗に一瞬鋭い視線を向けた。が、すぐに笑いながら出ていった。
− 乱世の英雄か
 張機はまだ十代の男の容姿を見て、なるほどと感じるところがあった。
− いずれ名を馳せる人物かも知れない
「華柁殿、今の男は大した男のようですね。やはり、私は許劭殿を訪ねて良かったと思います」
「そうですか。私はこのような場所は苦手です。居心地が悪いばかりです」
「じきですよ」
 張機がそういったとき、案内のものが来て丁重に隣の部屋へ誘った。
 張機は許劭の前に座ったとき驚いた。まだ二十代半ばの男が、こちらを見て微笑んでいた。
− この男が郭泰殿と肩を並べている男か
 色が白く女性のような動きの中に、しかし眼光が時々鋭くなった。
「今の男はどなたですか」
 張機が聞いてみた。
「あの男は曹操(そうそう)といって、帰国(はいこく)の誰(しょう)の生まれです。大尉の橋玄殿に気に入られて、私を訪ねてきたのです」
「沛国の誰の生まれといえば、私と同郷ですよ。これも何かの縁かも知れません」
 華佗が驚いた。
「良い縁か、悪い縁かは分かりませんが」
 許劭が眉をひそめながら続けた。
「私はあのような男は好きにはなれません。太平の世の中では、あのような男は何をするか分からず、一時も眼が離せないでしょう。何を考えているか分からない。しかし乱世ではあのような男が活躍するのです」
 張機も華佗も感心していた。単に好き嫌いや学問のみで鑑定しているのではないのだ。
「遅れましたが、私は張機と申すものです。洛陽からまいりました。ぜひ許劭殿に鑑定して戴きたいと伺いました。郭泰殿と肩を並云るお方だと聞いていましたので、実はお会いして、思いのほか許劭殿がお若いのに驚いております」
[それはそれは。私も郭泰殿のようになりたいと思っております。毎月勉強会を月初に行なっておりますが、欠かしたことはありません。おふたり一緒に観てみましょう。非常に対照的なおふたりのようです」
 許劭はそういうと突き刺すような視線を向けた。
「これは面白い。非常に対照的だ」
「いかがでしょう」
 張機には自分より十歳ほど若いに違いない男の視線が耐え難かった。
− 鑑定とはこのようなものか。刺さってくるような視線だ
「まず」
 許劭が話し始めた。
「張機殿といわれましたか。穏やかな顔立ちだが、内に大志を抱いておられるようにお見受けします。強い意志を感じます。それに対して華柁殿といわれましたか、あなたは愛情に満ちあふれています。ご家族を大切になさる方です」
 華佗は思わず領いていた。
− 大志か
 張機は県令か県長くらいまでにはなりたいと思っていた。そうすれば少なくともその県くらいは自分の手で良くすることが出来るかも知れない。
「考えますと」
 許劭が続けた。
「張機殿は官職に向いておられる。しかし華柁殿は官職に向いていないようです。張機殿は緻密に考える方ですね。それが大成すれば後世に残るような仕事をなさるでしょう。華佗殿は優しい方だ。気ままな職に就いたほうがよろしかろう」
「医を続けようと思っています」
 華佗は許助の言葉に納得していた。
「それが良いかも知れません。お弟子さんを沢山持たれるがよろしかろう。ただ、気ままで優しいということが禍となるかも知れません。世の流れに翻弄される可能性が多いにあります。そのことを肝に銘じて、気をつけなさるがよいと思います」
 許劭の屋敷を後にしたとき、ふたりの気持ちは固まっていた。張機は洛陽へ、華佗は徐州へ向かった。
「またいつか、お会いすることもありましょう」
「張機殿も、お元気で」
 こうしてふたりは別れた。
                                つづく

(上村義徳)

「川柳」

お詫びと訂正

<市薬薬局のコーナー> 「福岡市薬剤師会薬局勤務に当って」 〜大陸的で慢々的(マンマンディー)の陽気者〜 薬剤師会薬局 薬局長 中山友博

初めまして、昨年の10月1日から縁あって福岡市薬剤師会薬局にお世話になっています中山です。よろしくお願い致します。

さて、これから先がなかなか出て来ません。他人様が読まれても、何の興味もないでしょうが、どんな人間なのか自己紹介でも書いてみたいと思います。

産地:両親が当時の日本の国策にそって、大陸に渡り、朝鮮全羅北道全州で出生(S6年)。
次に5才で、満州国最南端の街、瓦房店と云う所で、幼稚園・小学校と育ち、中学は旅順に出かけ寄宿舎暮し。中学3年で勤労動員されて、大連にあった化学工場(火薬を合成)で終戦になり、急いで親元に帰った。1年余り天地がひっくり返った中で暮し、S21年10月1日、日本に帰国する為、いろいろな思いを胸にその土地を馬車ではなれました。当時引揚船の出港地胡呂(コロ)島を10月24日上船出港し一路博多に向い、3日後に博多湾到着。しかし伝染病発生の為、上陸差し止で隔離。11月8日、上陸許可が出て無事博多港に帰国第一歩をしるす事が出来ました。以来日本に居住。

性格:柄は小さいけれど、大陸的で慢々的(マンマンディー)の陽気者。学校の好きな学科、薬学?とんでもありません、社会科。

趣味:ザル碁。年期は長いが才がなく上達しない。現在は碁を打つ暇もありません。他に夜間星をボケーッと眺めること。今は夕方7時頃、木星・土星、スバルは少し苦しいけれどオリオン座・シリウス・冬の大三角形や朝、東天に輝く金星(あけの明星)が綺麗です。

S30年薬学部を卒業してから以後は、メーカーのプロパー1年間。済生会(広島県)5年、国立病院28年、薬品卸10年を経て現在です。

市薬薬局勤務については、約10年間ですっかり何でも卸してしまい、化石人間か浦島太郎の心境です。気持は職場の人達が仕事をし易い様にをモットーに心掛け、市薬の取り計らいで、頭数も揃えて頂き、後はその中身を高めなければと思いつつ、若い先生方に支えられ、励まされ、鍛えられている今日此頃です。

駄文で失礼致します。


市薬薬局の新人です。 〜「この人なら信頼できる」…を目指して〜 薬剤師会薬局 薬剤師 安川紀子

みなさま初めまして。昨年の9月末より福岡市薬剤師会薬局に勤めております。
 毎日、東区の方から眠い目をこすりつつ通勤しています。

もうすぐ勤めだして半年になりますが、日頃の業務をこなしていくのに精一杯の状況です。

私は以前個人病院に数ヶ月勤めていましたが、初めは病院と調剤薬局との業務の差に戸惑いました。

なんとなく頭では解っていたつもりだったのですが、保険やお金の事は想像以上に難しく基本的な事を理解するのも大変でした。

病院の時には病棟活動をしていなかった為、薬歴作成も初めての経験で苦労しています。

また薬局が医療センターの隣にあるので特定疾患の患者さんが多く、病名が解らない患者からどう情報を聞き出すのか、患者個人個人にあった服薬指導をどうすればいいかなど諸先生方には及びませんが自分なりに上手く聞き出せるよう試行錯誤しております。

幸い、良き先輩方に恵まれ指導をして頂いています。

まだまだ知らないことばかりで中山先生、野見山先生、土田先生など諸先生方の足を引っ張ってしまって気持ちだけが空回りしている状態ですが1日も早く患者さんに「こめ人なら信頼できる」と思われる薬剤師を目指したいと思います。

みなさま、ご指導をよろしくお願いします。


a


福岡市薬剤師会薬局現状報告

会員の移動

会員の移動

会 務 日 誌

12月1日 福岡市医師会忘年会(ホテル日航)       18:30
  2日「受賞者を囲む合同懇親会」(ニュ「オータニ)  19:00
  6日 福岡市介護保険事業計画策定委員会       13:30
  7日 三役会                    19:30
  9日 福岡市地域保険医療計画推進委員会       15:00
  13日 在宅医療委員会                19:30
     広報委員会                  19:30
  14日 広報委員会                  19:30
     千早病院分推打合会              19:30
  16日 三役会                    19:30
  19日 千早病院院外処方説明会            14:00
  20日 第323回理事                  19:30
  21日 広報委員会                  19:30
1月4日 山崎拓「新春の集い」(ニューオータニ)    13:00
  5日 県薬業団体連年賀会(ホテル日航)       11:00
  7日 組織委員会                  19:30
     太田誠一「新春の集い」(シーホーク)     15:00
  12日 市介護保険事業計画策定委員会         19:00
  13日 市国民健康保険運営協議会           15:00
  14日 選挙管理委員会                19:30
  17日 第324回理事会                 19:30
  18日 薬物療法研究会                19:00
  20日 学術委員会                  19:00
  22日 薬局委員会                  15:00
     支部長会議                  19:30
  23日 広報委員会                  17:00
  24日 議事運営委員会                19:30
  25日 新薬研修会                  19:00
     組織委員会                  19:30
  26日 三役会                    19:30
  27日 処方説明会                  19:00
  29日 選挙管理委員会                17:30
     第45回臨時代議員会              18:00
2月1日 広報委員会                  19:00
  3日 三役会                    19:30
  4日 急患委員会                  19:30
  6日 市薬懇親ボウリング大会            10:00
  9日 福岡市健康づくり推進協議会          15:00
  10日 役員選考委員会                19:30
     福岡市福祉のまちづくり推進協議会       10:00
  14日 広報委員会                  19:30
  15日 広報委員会                  19:30
     薬物療法研究会                19:00
  19日 社保分推委員会                18:00
  21日 第325回理事会                 19:30

第45回福岡市薬剤師会臨時代議員会(1月29日)において
次期役員が下記のとおり決まりました。
   会 長  正 岡 民 次
   副会長  市 花   晃
   副会長  光 安 龍 彦
   副会長  末 田 順 子
   監 事  大久保 傲 住
   監 事  清 水 達 三

第88回日本薬剤師会通常代議員会(2月25日)にて、宮崎和人県薬会長
副会長に選出されました。

CONCLUDING REMARKS

〜ピンチヒッターならぬピンチ薬剤師を〜

処方せん発行率が50%を目前とした福岡市で一人薬剤師の店舗が半数位ある現実に急の時の代わりの薬剤師、いてくれると非常に安心だと思えるのですが妙案はないものでしょうか

(石井雅明)


〜威  厳〜

突然子どもに聞かれてすぐ答えられるのは何年生までだろうか。1mって何?詰まってしまった。北極・南極を通る地球1周の長さの4千万分の1が1mと貴方はすぐ答えられましたか。小学生が習う漢字もあまり自信がない。円すいの体積は?円柱なら分かるが…親の威厳とは頼り無い物である。紙1枚に乗っている気分だが、洋紙が和紙くらいに強く成りたいものである。

(津田和敏)


〜2000年の孤独〜

2000年1月1日午前0時は静かに過ぎた。
秒針がその後も一秒ずつ針を進めていくが世の中は静かに過ぎていっている。テレビの中はカウントダウン後のお祭り騒ぎが繰り広げられている。外に出てアパートの階段を上がっていくと、海沿いの2カ所で花火があがっていて、なんとなく拍子抜けした心で見ると妙に空虚な美しさがあった。その後はあいも変わらぬ日常が繰り広げられる。

そんな中、承認された薬剤師倫理規定の内容を見ると普段はほとんど本能で動いているような私だが、誰に教えられたか今まで積み上げてきた薬剤師としての経験からか、そこそこはずれてないのに安堵している。4月からは介護保険も実施される。これからも倫理規定を元に薬剤師として貢献していけたら2000年の心の空虚感も埋まるかもと思っている。

(鮫島千織)


〜倫  理〜

神奈川県警の覚せい剤、恐喝等の不祥事、教員による女性のビデオ撮影、NHK放送界の不倫の不祥事など、最近は再び倫理が問われる時代になった。医療廃棄物がフィリピンから送り返されてきたり、自分だけがという時代はすでに終わったように感じる。経済優先に疑問を感じるようになった。薬剤師も自分だけという時代は終り、助け合って行かなければ生き残れない。そんな中、平成9年に「薬剤師倫理規定」が目薬の理事会で承認されたことを思うと、全く時宜を得た判断だったように思う。今回もう一度その意味をじっくりと考えてみることは、これからの薬剤師の方向性を見出して行くひとつの視点となるのではなかろうか。

(上村義徳)


〜倫理規定〜

2年程前に、「新薬剤師倫理規定」の拡大コピーを社長より頂き、この精神で毎日の業務をこなそうと思い、調剤室の一番目に付く所に貼ってみたものの、結局、最初に目を通しただけで、後は見向きもしなかった。

毎日、同じ業務の繰り返しで、大切な事を忘れがちになる。今回の特集で、あらためて身の引き締まる思いを覚えた。

(森山健次郎)


〜少し立ち止まって〜

昨年から今年にかけて2000年のミレニアムイベント・特集がめじろ押しだった。振り返ってみると、1000年前は『源氏物語』が書かれた。それは今も読みつがれ、瀬戸内源氏と言われる現代語訳が出版され人気を呼んでいる。恋は永遠のテーマ。約2000年前は漢方を志す人なら1度は手にする『傷寒論』が書かれた。その著者とされる張仲景はその序で次のように述べている。「人々は我を忘れて名誉や利益を追い求め、寿命を大切にしない。ところが一旦、病気になると取り乱し藁にもすがるように治療を求める」。健康もまた永遠のテーマ。

今、人々の生活がかつてとは較べようもなく便利になり豊かになったが、1000年前2000年前の書物がまだ人々を惹きつける。少し立ち止まってそれが何なのか思いを巡らしたい。

今回から新しく連載小説が始まった。主人公は張仲景だ。「中医略史」「扁鵠」に続く上村義徳先生の力作。その展開が楽しみである。

(伊東美穂)


〜4年間のご厚情を感謝〜

市薬も新しい執行部が出来る。
宮大工の棟梁はさまざまなぐせを持つ木々を巧みに組み合わせ、構造の美と力強さを示すという。このことを組織づくりに投影させ、より活気あるものが生まれるよう切に願い、4年間のご厚情を深く感謝申し上げる。

(戸田昭洋)


〜輝かしい未来〜

今号をもちまして編集の担当を降りさせて頂くことになりました。早いもので、もう足掛け6年かかわって参りました。その間には色々なことがありましたが、今思いますと楽しい夢のようにも感じられます。

ものを知らない、常識にうといボンクラの私が今までやって参れましたのも、一重に市薬執行部・広報委員会をはじめ、関係者の皆様、読者の皆様の強く暖かいお力添えのお陰と深く感謝致しております。多くの素晴らしい人格との出会いが何ものにも代えがたい私の財産となりました。本当に嬉しくありがたく思います。

今後はジャーナルの一愛読者となって、毎号届くのを楽しみに待たせて頂きます。福岡市薬剤師会並びに広報委員会に輝かしい未来のあらんことを心より念じながら……。

それでは皆様、ごきげんよろしゅう。

(北島啓子)

福岡地区勤務薬剤師会平成12年新年会における恒例のフォトコンテスト入賞作品紹介

平成12年3月15日発行
福岡市中央区今泉1丁目1番1号
社団法人 福岡市薬剤師会
TEL 092-714-4416
FAX 092-714-4421
担当副会長 合 澤 英 夫
常務理事  北 島 啓 子
編集委員  石 井 雅 明
      伊 東 美 穂
      上 村 義 徳
      鮫 島 千 織
      津 田 和 敏
      戸 田 昭 洋
      森 山 健次郎
発行人   藤 原 良 春
発行部数  1、3 5 0 部
印刷所  (有)興英社印刷